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2009年2月28日 (土)

自分のモノは拘れる

 チョイ前から車では一般的な買い方で、残価設定ローンとか、リースとか、、、、そういう買い方を見たりする。

 この買い方っていうのは、一定期間後にモノの価値を設定し、その価値減分をローンで支払う、リースで支払うって方法だ。この場合、所有権がどうなるか?は、こういう買い方を経験したことがないから知らないけれど、一定期間後に定めた価値を維持するというのが前提であり、仮に、どんな所有形態であっても、一定期間後には定めた価値に戻せるという大前提があるように思う。

 つまり、モノに対して不可逆な手を加えることは当然ながら出来ないということだ。

 更に言えば、所有者の好きなようにすることが出来ないってこと。

 これは、一体、、、、、本当の意味で、自分のモノに仕切れないということでもあるように思う。そういうのは、或る意味、借り物であったり、レンタル品であったり、或いは所有権こそあれど、運良く第三者から貰ったりというモノと同じように思ったりするのである。

 リース品、残価設定ローンでの取得品、借り物、貰い物っていうのは、一体どうよ?っていうと、それは、自分の思いからすれば、実用品で無い限りにおいては、自分で決めて手に入れたモノとは一線を画す別個の存在のように思うのである。

 何が違うか?っていうと、手に入れる段階において自分の意志があるかどうか?という点である。

 趣味のモノって場合では、この入手段階における動悸の時点で、自分の意志の有無っていうのは実は非常に大きなモノだと思うのである。動悸の時点での自分の意志の有無とは、簡単に言えば、拘りである。拘りがあるかどうか?それが自分で決めたモノか?与えられたモノか?というのが、実は非常に大きな違いになるのでは?と思うのである。

 拘れるモノっていうのは、存在に自分の動悸がある。それ故に、大事にするし、なかなか飽きないし、、、、そういうモノなのである。

 この拘りっていうのは、有形なモノに限らず、実は、無形なモノにも当て嵌まるモノである。特に、趣味において無形なモノっていうのは、思想、方法論、考え方という部分だけど、そういう本質的でありながら無形なモノでも、その無形なモノの考え方がぶれるか、ぶれないか?っていうのは、自分が自信を持って決めたモノかどうか?が、無形なモノの安定性に繋がるように思うのである。
 例えば、バイクでの曲がり方、自転車での漕ぎ方なんて方法論もそうである。誰彼が言うから、それに従うって程度では、その内容への信仰は、聞き手への信頼感だけであり、その信頼感が崩れれば、その内容も崩れがちとなる。
 しかし、そういう方法論を自分の根拠で生みだしたモノとなれば、その自身の意識の信頼感が揺るがなければ、考えも確固となるものである。それが確固となるか否か?は、結局は、自分自身の積み上げてきた経験であり、その経験を得たという自負こそが、自分の考えの安定性となるのである。

 結局、有形、無形に限らず、自分で信じれるものっていうのは、自分の考えで自分で一から決めたモノしか有り得ないのである。そういう拘りこそが、趣味というジャンルにおいて一番大事なモノのように思うのである。

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