みんな一緒
ここ十数年は毎年、同じプールで、同じ曜日の同じ時間帯に決まった距離だけ泳ぐというスタイルが続いている。プールの場合、レーンを繰り返し往復して泳ぐというスタイル上、他人の泳ぎが自然と視界に入ってくる。
で、思うこと。
いろんな人がいるけれど、似たような感じ(雰囲気)の人は、泳力やスタミナ的には殆ど差異が無い感じ。レベルっていうのは、雰囲気に連動している印象である。レベルの差っていうのは、雰囲気の差。雰囲気が同じであれば、泳力も同じ様な感じを受けるのである。雰囲気の差っていうのは、経験の差であったり、熟練度の差であったりするのであり、同じような経験を積んで、同じ様な熟練度であれば、雰囲気も似通った雰囲気となり、泳力的にも大きな差異は感じられない。そんな印象である。
で、他の事についても考えてみた。
単車も自転車も同じ様である。多分だが、似たような経歴を持ち、似たような経験を積んで、同じレベルの習熟度であれば、その雰囲気は同じになり、力も似通ってくる。
そんなモンではないだろうか。
同じ人間が、同じような時間の使い方で人生を積み重ねてくれば、結果は、ある領域に収束するもの。その収束した値っていうのが人間という種の性能というか特性なんだろう。
その割と限られた範囲の中での優劣は才能であったりするんだろうが、その才能を有した上に、並大抵では到達出来ない熟練度に到る経験を積んだモノが、所謂、その世界での優れた性質を示し、その一握りがプロであったり、競技者であったりするんだろう。
このように考えると、どんなジャンルであっても時間と場所がオーバーラップする者同士では、経験や価値観を形成するに到った生い立ちや経歴っていうのは、それ程、大きな違いが無いのでは?と思うのである。つまり、似たようなライフスタイルや価値観を持つに到った経験っていうのは、多分、似たような力をもっているんだろうと思ったりするのである。
何故に、そんな事を思うか?っていうと、水泳にしろ、自転車にしろ、単車にしろだが、その世界で色んな人との繋がりが出来たり、或いは、客観的に他人を眺めたりしての結果だが、パフォーマンス的に皆一緒のように感じるのである。
回りくどい言い方になったが、たかが同じ人間である。同じ様な価値観を持つ者は、似たような過去の経験を持っているだろう。そうすると、個人差なんて僅かなモノで、殆ど差異なんぞ現れない筈であるということ。
逆に、同じ人間でありながら、圧倒的に差がある場合っていうのは、経験にともなう熟練度の差に他ならないということ。熟練度の差っていうのは、どの瞬間に生まれるか?というと、これも、人間の成長期における対象分野への取り組みの深さで生まれるのが最大で、成長期を終えた状態では、同じ時間を費やしたとしても到達出来る熟練度には埋めようのない差が生まれると思うのである。
身近な例では野球という球技がある。これは、少年野球の経験者と、野球に縁の無い者を比較したら、中年以降でも、その差は一目瞭然だが、水泳でも単車でも自転車でも、成長期における経験の有無は埋めようのない差を生むのは、或る意味当然である。
ただ、どんな人間にとっても例えば30歳という年齢であれば、等しく30年の時を過ごしてきているのも事実である。或る者が、水泳や自転車に多くの時間を費やしたとしても、その者は他の球技に時間は費やしていなかったとすると、その者は、自転車では優れていても、野球はダメダメだったりするのである。もっと広義に分けても、運動が万能であって学業が苦手な人が居れば、その逆も居る。結局は、同じ時間を、どのように配分してきたか?が、個人毎のパフォーマンスの違いになっているんだろう、、、と、そう思うのである。
先の記事で、ブレーキ交換の決断に到った経緯を含めて記事を書いたけど、昨今の自転車ブームでは、多くの人がカッコイイ、今風の自転車に、今風の格好をして、似たような価格の自転車に乗っているのである。その財力、そして走る時間を確保するライフスタイルから考えると、その主たる世代っていうのは若くても20代後半、中心は30代以上である。
そして、そのような年齢の人が、紹介されるが如くの価値観に従ったお揃いのパッケージに行き着くっていうのは、似たような経歴と価値観の人ばかりとも言う。もっと言えば、そういう選択では、ここ数年のブームに従って増殖した人が殆どとも言う。
しかし、スポーツにおける熟練度の差は、野球やサッカーを見れば歴然だし、ここ数年の単車のMoto-GPへのエントリー日本人の経歴を見れば判るように、成長期における経験の有無が非常に大きな要素を締めている。
自転車のブームっていうのは、ここ数年の話であり、今のブームを牽引している層が、成長期にスポーツサイクルにスポーツとして取り組んでいたか?というと、その率は皆無に等しい程僅かであり、言ってみれば、殆どが成長を終えたオッサン世代以降でのデビューといって過言ではない筈だ。
それ故に、似たような世代、似たような経歴、似たような価値観、似たような時間帯で走る人っていうのは、やっぱり、誰もが皆、似たような走りに収束すると言える。
過去の80年代のバイクブームを過ごした世代の子供の世代は幼少から単車に接しており、その中から有望なライダーが生まれてきたように、もしかしたら、今の自転車ブームの世代の子供の世代からは有望なサイクリストが生まれるかも知れない。
所詮、同じ人間が同じ時間をどう過ごすか?というレベルの差が、分野ごとの差になっているに過ぎない。
| 固定リンク
コメント
こんばんは!コメント有り難う御座います。
人間、みんな同じような経験を積めば、同じ様になると思いますね。
経験が違うから個性が違う。その違いが顕著な場合は、経験が大きく違うという方が才能よりも大きいように思うところです。
全く同じ人生を歩める人はいませんし、個人にとっても、先の生き方は何通りもあり、どれを選ぶかで、やはり結果が変わるもの。残念ながら結果の比較は出来ませんが、、、
それでも、その先に似た経験を積み重ねた人と会えば、やはり、似たような価値観を持つんでしょうね。
投稿: 壱源 | 2009年3月15日 (日) 01時13分
こんにちは。
>同じ様な価値観を持つ者は、似たような過去の経験を持っているだろう。そうすると、個人差なんて僅かなモノで、殆ど差異なんぞ現れない筈であるということ。
おお、そうかも知れません。人間って意外と類型的になるような気がしてきました。ちょっと例が運動能力から外れますが、同じ業種の同じ程度の規模の会社の経営者に仕える事、数回。同じような価値観、考え方をもってるので驚きました。と言う事は・・・30代、40代でもまだまだ、いろいろ経験して吸収することでこの先も変えれるのかも知れませんね。
投稿: sara | 2009年3月14日 (土) 13時50分