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2009年4月28日 (火)

睡眠誘導トーク

 4月というと、新入社員研修での講師である。
 講師では、殆どアドリブで話すのだが、持ち時間に対して過不足無く、尚かつ、聞き手に睡魔を与えないように話すのがコンセプトである。
 だから、彼らに対して後に確認するのは、眠たくなかったか?興味が持てたか?何か印象に残った事はあったか?である。

 例年、そのレスポンスに対しては概ね良好だと自分では判断している。社員指導に限らず、研究会、座談会での座長を務める時でもそうだ。要は、人と話す時には、その場の雰囲気を判断して、その空気に適合した状況を作り出して、そこで伝えるべき事、教えるべき事を、聞き手のキャパシティに併せて伝える事に最大の留意を払っている。

 しかしである。

 逆に、聞く側の立場で会議に出席したり、学会に出席したり、、、、、という場合も少なくない。

 出席するからには何かを聞き取ろうと努力はするのだが、どうやっても意志が保てない状況っていうのにも遭遇することがある。
 それが、例えば、会社の役員さんであったり、会長職、社長職の相手と対面の1対1でも自分の聞き取ろうとする意志が消失する場合があるのだ。

 そういう場合の話は、殆どが魅力が無い、取り留めがない、中身が無い、価値がない、意味がないと判断した時。そうなると、相手が誰でも睡魔がやってくる。

 さすがに、代表取締役と話す場合に、目の前で爆睡する訳にもいかないので、シャープペンシルとかボールペンを持って考える振りをして自分の首に突き刺して痛みで目を見開いているのである。

 振り返ると、話が上手い奴、引き込まれる話をしてくれる人っていうのは、意志があり、理想が見える。だから、その考えを自分の中で理解しようとスイッチが入るのだが、そういう本心が無く、言われるからやるとか、命令に従ってやってるとか、或いは、仕方なく、体裁を整えるためにやるって奴は本心が会話に滲み出るもの。滲み出たら、その話には人を引き込む魅力は出てこないのである。

 人を引き込む会話の力とか、そういうのをカリスマ性っていうのかもしれないが、カリスマ性の奥に善意があれば、それはOKだが、その奥に悪意が潜み、人を騙そうとする意志で話をする人も居る。

 人の話を聞いたり、人に話をしたり、、、、そういう状況では、引き込まれるか否か?引き込まれるとしても、一歩下がって、その話の本心には、悪意が潜むか?善意が潜むか?を見抜かないと活けない。
 また、人間誰しも私利私欲があるのも事実だが、その嫌らしい部分は結果的に人に対しては悪意と見られる場合もあるだろう。そういう場合は、聞き手に対して、本心を或る意味では見せて、或る意味では完全に隠して接しなければならないもの。

 会話っていうのは、実に面白いもの。答えが永遠に定まらないもの。この人間を相手にする行為っていうのが、多分、生きる上で一番面白いモノだろうと思う。

 余談になるけど、今の製造業勤務よりも、昔の塾経営の方は数百倍魅力があったと思うのは、ターゲットが複数で二度と同じ手が通用しない世界だったからだと思うけど、その理由は、ターゲットが人間だからなんだと改めて思うところだ。

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