今更ながら、でもやっぱり、デュアルCPU
CPUのパフォーマンスアップ=クロックアップという方向性に限界が訪れた頃にやって来たのが、CPUコアのマルチ化である。それが2005年頃の話だが、随分と昔のように感じるところ。出始めのデュアルコアっていうと、二つのダイによるものでPentium Dが最初のように思う。
その後、シングルダイでデュアルコアが普通になり、クワッドコアも普通になったのが今だ。デュアルコアの前には、仮想的なデュアルCPUで、Hyper-Threadingって手法がPentium4で生まれ、現Core i7世代でも使われている。
実質的、仮想的に限らず、プロセスを同時に走らせるというのが現代のCPUのトレンドであるのは間違いないけれど、その前身は?っていうと、それは純粋にデュアルCPUの世界である。
CPUデュアルっていうのは、1998年当時にAT互換機の世界に入った自分にとっては、或る意味、憧れの世界の話である。CPUデュアルというと、それはサーバー向けということ。サーバー向けというと、高速、安定、、、、そういうイメージを持っていたのだが、そういう世界を具現化するには、剰りにも高価であり、現役の時代当時にCPUデュアルのマシンを具現化するっていうのは出来なかったものである。
そんな経緯もあって、サーバーとか、CPUデュアルとか、、、、そういうのには、性能が云々以前に、印象的に憧れとして未だ意識の中にある。
一般ユーザー向けにデュアルが一般的になったのは、デュアルコアの時代である2005年の事だが、その直前に自分が触手を伸ばしたのが、一世代前のデュアルCPUなマシンである。それが、未だ我が家ではメインマシンとなっているCoppermine最終世代の1GHzのCPUによるDUALマシンなのだ。
このマシンを稼働させ初めて5年が経過しようとしているが、時代遅れで稼働し始めたものの、なんら不満を感じることなく今に至っている。
そんな訳で、途中大きな変革を遂げながらPCトレンドとは離れた状態、浦島太郎状態で今に至っている。
で、今でもCPUデュアルマシンは良いなぁ!って考えを持っており、結果的に今の所有マシンは殆ど、そんなマシンばかりである。Coppermine Dual機が二台、Tualatin Dual機が一台、Xeon Dual機が一台、、、、そんな状態だ。
勿論、最新のデュアルコア、クワッドコアが優れているのは判るけど、マルチコアっていうのは、言ってみればコンシューマ向け、、、、一方で、古くてもマルチCPUっていうのはハイエンド、サーバー向けであり、古くても、そういう方に対して何となく畏敬の念を持つっていうか、そんな感じなのだ。
冷静に考えれば、間違いなんだろうけど、趣味的、嗜好的要因も含めて物選びすると、つい、世代前のハイエンドに強く関心を持ってしまうのである。これは、パソコンに限らず、デジカメでも、他の分野にも当て嵌まる自分の悪い癖だ。
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