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2009年5月19日 (火)

真面目?

 我が子を含み、人と接する時、思うのは真面目?って何よ?って事。

 話す事に対して、ウンウンと頷く奴、言った事に従って行動する人、、、、確かに真面目なんだが、真面目って良い事なんだろうか?

 前の記事で、常識、非常識の尺度は人によって違う。その判断は、道徳や知識の分野で為されるって話を記事にした。その判断を自分の判断でなく、他人の言動で多数派に従う人が多いって事も記事にしたのだが、、、、真面目=従順と捉えると、多数派に盲目的に従う人=従順な人=常識人=真面目って方程式も立てる事ができる。

 しかし、どうも違う様な気がするのである。

 本来、道徳や知識の基準は個人の生い立ちに従うものであり、その生い立ちというのが世代間の社会観の共有があれば、自然と、在る範囲に纏まるモノという質だろうけど、社会観の共有っていうのは、そこでの伝承は、個人の意志が行動の背景に存在するモノだと思う。

 盲目的な従順っていうのは、社会を構成するメンバーに意志が存在しないということであり、意志決定を自分で下せないから、多数派行動がモラルに反した状況を生む現状に繋がっているように思う。

 つまり、真面目っていうのは、考え無しで他人に従順したり、模倣したりするモノは除外しなければ為らないのでは無いだろうか?

 思うに、真面目っていうのは、問題に対して真摯に考える意欲を示す事であり、その結果が他人と異なっていても、意志を示す事、示し続ける事が、善悪や正誤の判断の精度を高めるトレーニングであり、その判断精度が高まった状態こそが『完成された真面目』だと思うのである。つまり、真面目っていうのは完成された状態でなく、その状況に達するには、個人の生い立ちに従った意思表示(思考力、判断力)という道具を使って到達する目標みたいなものと考えれると思う。

 教育産業に長い間身を置いていると、そんな事を思い返す事が多くなる様だ。そして、自分の定義している真面目な人っていうのが、あまりにも少ない印象を持つのが最近の感想だったりする。

 今、子供の教育教材の斡旋や習い事云々を沢山見るし、テレビでは、子供の計算能力がどうのとか、英語力がどうよ!って話があるけど、そういう教育だけで本当に幸せになれるか?っていうと、どうも納得がいかない事が多い。

 なぜなら、天才・・・・・って持てはやされる子供っていうのは、小さい時にテクニカルは方法を教え込ませて、それを高度に習得している部分が凄い訳であり、本当に凄い子供っていうのは、その教え込ませるテクニカルの部分でなく、子供自体の発想で、大人の思い付かないテクニカルを生み出す発想力では無いだろうか?と思うのである。
 持てはやされている『天才・・・・』っていうのは、あくまでもレールの上での話であり、それって、先に話した無意志で従順な一見真面目な人達となんら変わらないようにも思うのである。

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