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2009年5月18日 (月)

なかなか難しい世間の常識

 良く聞く言葉で、常識的とか、非常識とか、、、、
 これは、モラルに関してもあるけど、知識に関しても言われる言葉だ。

 モラルにおける常識、非常識の判断っていうのは、これは人によって捉え方が様々であり、その基準っていうのは実は曖昧であり、ある人にとっては何気ない行為が、別の人にとっては不愉快な行為に感じられる事は結構多い。

 街でのタバコの吸い方、吸い殻の処遇、歩行者、自転車の唾吐き、携帯電話マナー、、、、等々、これは人によって様々だ。

 常識か非常識か?道徳的か?不道徳か?正義か?悪か?を見ると、難しいのは多数派か?少数派か?では分けれない場合が多い。多数派=常識と単純に判断すると、モラルの低下が加速しかねない危惧を孕んでいると思う。
 一寸前に、人に注意した時に言い換えされた言葉が、『○○さんもやってるから、、、、』って言葉を受けた事があるけど、その際の感想は『えっ?』っていう感情。でも、今になって考えると、自分で判断しない(出来ない)人は他人を見て判断する訳であり、他人=多数派≒常識という結びつきで考えれば、判らないではないのである。

 これは、モラルの例だが、知識でも似た様な物だ。一般的と思われる知識レベルがあるとして、その一般的という基準はどうか?って考えると、実は一般的と判断するのは判断者個人の勝手な思い込みということかな?と最近思う事が多い。

 日常的に見る道具、機材、部品、構造、形態、、、、、色んなモノに垣間見れる状況を仮に自分が当然と判断しても、これを当然と思わない人は案外多いような気がする今日この頃なのだ。
 例えば、男の子だから、ドライバーの使い方、鋸の使い方、スパナの使い方、、、、今の時代ならPCのオペレーション、家電のオペレーション、日常で見返る便利品の使い方、具体的には、接着剤、ホッチキス、ネジ等々なんて、誰でも判るだろ?って思っている部分全てが誰にとっても常識的か?っていうと、実は、そうでないような気がする今日この頃なのだ。

 そういえば、街での風景でモラルに違和感を感じるのが、例えば、携帯機器の使い方であったりして、その違和感が非常に多い現状は、多数派と常識が乖離しているためだろうし、ゆとり世代とか言って揶揄される世代に見られるパターンは、その変な行動を変と判断できる人から見れば滑稽だけど、当人からみると、判らない事自体が常識であり、別に可笑しくも何ともないのだろう、、、、、

 これを自分に当て嵌めると、自分の判らない世界を常識的と考える層から見ると、逆に、自分が滑稽に見えるんだろうとも言える訳だ。

 そういう意味で、常識的って言葉の使い方を考える時に、基準が何処か?っていうのは案外難しい問題の様に見える。

 ただ、言えるのは世代間で常識の観念にズレが多いのは、世代間における常識の伝承であったり、教育制度が時代によって大きくブレているのが原因だろうっていうこと。
 モラルや教育が確立した社会では、常識に対する価値観も共有できる社会が出来ているのだろうけれど、日本の社会を見ると、その価値観の共有が社会で出来ていないように感じるところ。戦後駆け足で発展した歪みというのが、このように見える、、、、そんな気がするのである。

 NHKの日めくりタイムトラベルって番組のまとめのコーナーではないが、出来る事は?っていうと、自分の持つ常識や知識を子供の世代に惜しみなく伝える事かなぁ?と考えたりするのである。
 更には、自分自身も他の世代から、常識を持っていないバカだなぁ!なんて揶揄される対象には当然なりたくないので、モラルにしろ知識にしろ、生きている限りは滑稽な側にはなりたくないものだ。具体的な例を示すと、最新の電子機器に対して、年寄りだから、、、、って言葉で前時代に留まるってことも、或る意味、時代の常識から取り残されていることであり、そうは為りたくないものである。

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