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2009年5月 4日 (月)

評価、昇給の季節

 年度が変わって最初の月は?っていうと、成績評価、それに応じた昇給、新基本給が定まる時期だ。

 昔は少しはワクワク?していたけど、最近はどうでも良いような印象の方が先行jしている感じ。

 給料にしても、昇給額にしても、、、、貰えれば沢山貰える程良いか?っていうと、決してそうではないと思うのである。
 必要なのは、対価に見合う状況か否かということ。

 評価が決まると、昇給額の相対額も決まる訳だ。絶対値っていうのは、労使交渉における妥結額が基準となるので変化するけど、それを基準にした相対値っていうのは、評価が決まると決まる数字であり、その値が例年通り、他に対して同じ相対性が不変というのは、金額の相対性は不変ということでワクワク感が萎むのである。

 人間不思議なもので、みんなが同じ金額貰えば、それは幾ら高額でも嬉しさは額面を超えないもの。
 話は逸れるけど、定額給付金なんて一律ナンボの世界故に、結局インフレみたいなもので得した、儲けたって感覚でないのに通じると思う。だから昇給額も皆同じだけ昇給となると、嬉しい!というよりも、当然!って気持ちの方が強い。

 頑張ろう!とか、やった!って喜んだり、悲しんだりするのは、それは相対性が常に変化するからでは無いだろうか?行ってみれば、みんなが100点取るテストで100点っていうのは嬉しくも悲しくもなく当然って意識だが、人が50点しか取れないテストで100点取るっていうのと意味合いが違うように思うのである。

 そういう意味で、このような評価、昇給額でモチベーションを与えるのは、額面的な平等ではなく、相対的にはばらついた状態で、貢献度の密度比率で平等、つまり相似的に差異を付ける事こそ平等では?と思うのである。やればアップ、実績に応じてアップ、、、しかし、転ければダウン、、、、、そういう緊張感が無ければ楽しくない様な印象だ。

 振り返れば、労働組合に所属していた時期は、昇給額の決定に際しては、様々な項目の積み重ねであり、各項目が年々変動していて、それなりに愉快だったけど、組合を離脱してからは、昇給額は一律要素+成績要素というシンプルな形態な癖に、成績要素は仕事の密度に拘わらずここ数年は完全に一定の値であり、額の絶対値こそ変わっても、他に対する相対率は全く不変であり、なんか、コルホーズ、ソフホーズではないが、そんな印象なのだ。

 まぁ、労働組合へ属していた時代でも、セクションを超えて行った仕事に対する貢献度等が数字で返ってきた事は無いので、結局は、そういう体質の組織なんだろうけど、どうも気合いが入りづらいというか、、、、、そういう感じである。
 勿論、金額が不満とか、そういう表面的なモノでなく、得られる評価の中身、評点の理由が知りたい訳であり、その辺が不明瞭なのは、腑に落ちないというか、懐疑心が増すのである。

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