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2009年5月12日 (火)

やっぱり、多分、みんな似たようなモノ、、、

 先週末の水泳では70往復で3.5kmを1時間5分で泳いだ。
 こういうのって、自分だけの世界か?っていうと実は違う。

 実際、近くのレーンで50分くらいで50往復くらいしている20~30代スイマーが居たけど、多分、似たようなモノだろう。似たようなスイマーはあんまり見掛けないけど、似たような時間帯に、似たような体型で、似たような泳法で泳いでる人っていうのは、多分だが、似たような経歴と生活サイクルを持っている筈。そうなると、似たような所で泳いでいたとして、その泳力は似たようなものなんだろう。

 この考えは全てに当て嵌まる。単車で峠って状況でも、基本は走り込んだ距離に応じて類型的になる筈だ。峠時代を思い起こせば、峠に入り浸っている時の連れは、やっぱり漏れなく入り浸っている。その入り浸り具合で常連扱いになるんだが、その入り浸る時間、走る時間に比例して走りの質は似てくるモノ。

 全ての競技に当て嵌まるのである。

 人間って種類の生き物である限り、似たような積み重ねの結果から得られる違いは極僅かなモノ。それが自分の確信であり、色んな分野における経験からも、その確信にブレは無いのである。
 人間に限らず、マグロとか、鮫の泳力も類型的にまとまるし、チーターの脚力、鷲や鷹の飛行能力も種族で類型的になる。そんなモンである。

 但し、人間の場合は、本能的な分野以外での競い合いが多く、やれば同じになるけれど、同じだけやらなければ、絶対に同じ結果にならないのも真実である。やるかやらないか?やったか?やってないか?って区分は、分野において必要な鍛錬をどれ程こなしたか?が純粋に差違になるのである。

 今なら自転車、ロードバイクがブームだが、ブームで始めた人でも、同じ嗜好性を持つ人っていうのは、その価値観に到る経歴に大きな差違は無いと考えるのが普通だ。経歴に差違が無いということは、積み重ねたモノにも差違が無いということ。それは、結局、パフォーマンスに差違なんて現れる筈が無いってことを意味する。
 色んなサイト、BBSでは、誰が凄いとか、誰が遅いとか、勝った、負けた、、、、なんて話が在るけれど、そんな一瞬の差違なんぞは、大きく見たら多分誤差みたいなものだろう。

 恐らくだが、ロード競技の選手とか、プロの競輪選手っていうのは、トップ以外は、その域で生活するに見合う経歴というか積み重ねの結果なんだと言える。

 結局言いたいことは、人間である以上、同じ趣味性、同じ価値観であれば、似たような経歴、似たような積み重ね、、、、そうなると、いがみ合ったりするような優劣なんぞは存在しないのである。それを感じるとすれば、それは気のせいか、誤差だろう。そういう思いを改めて持ったところだ。

 仮に、負けん気を本当に持ちたかったり、絶対的な優位を誇りたければ、並の価値観を超えた積み重ねが必要であり、その積み重ねの結果が、違いを持っているという自負に繋がるんだろう。必要なのは自負であり、それは無分別な他人との比較で生まれるモノでなく、自身の積み重ねたモノを冷静に見て分析して生まれるものなのだ。

 泳いだり、単車に乗ったり、自転車に乗ったりして、パッと見て、この人は違うな!って思うことがあるけど、そういう対象は得てして類型的かつブームに載ったような雛形には当て嵌まらない人が多い。そういうのは、なんていうか、オーラがあるというか、そんな感じを受けるのである。単車なんかは、跨った姿勢、雰囲気で違いが判るような気がする。自転車でも同じように思う事が多い。

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