気温が25℃を境に体感上、暑い、涼しいが分かれる様に思う。この感覚が何を意味するか知らないが、間違い無く、涼しく感じる時は体温も低め、暑く感じる時は体温は高めになっているだろう。
そんな時、数値的に何が変化するか?っていうと、、、、、心拍数だ。
血圧数値自体は、毎朝の定刻測定を繰り返す限りでは殆ど不変である。しかし、同時に測定される心拍数の数値は結構変動している。
そういえば、自転車に乗って目一杯で走っている時も、心拍数の上がり方が季節で大きく変わる。
冬場では限界近く踏んでも190bpm止まり、、、、でも、夏場は?っていうと210bpm近辺迄上がる。因みに、冬場の起床時心拍数は38bpm、夏場だと48bpm、そして、日常生活における平常時心拍数は冬場で45bpm、夏場で53bpm程度、、、、で、MAXが前述の通り。
同じ人間でも、季節によって、これ程変化するのである。
この影響は、気温、即ち、体温である。アスリート志向の人のサイト(当サイトを含む)で心拍数が低いから、凄いぜ!って文面は多々見受けられるが、そこに気温の記述がある例は極めて少ない。
考えようによっては、そこに謳われている心拍数なんて当てにならないということ。
何故ならば、安静時心拍数の低さ、最高心拍数の高さは、気温次第で大きく変わるから。それ故に、心拍数数値を表に出すのは無意味かもしれない。
心拍数が高いとか低いというのは、 心肺機能を表す血管抵抗の低さを一因とする状態値の一つであり、心拍数を下げる大きな要因である体温とか気温を併記しなければ無意味だし、血圧自体も、変化させる要因に末梢血管抵抗と心拍出量に比例するし、循環血液量、動脈の弾性も影響している。
話は違うけど、心拍数はその場の緊張、前後の行動、運動直後からの経過時間で凄く激しい変動するモノ。例えば、心拍数で170bpm程度を保っていても一分もすれば100bpm以下に落ちる。変動が激しすぎて当てにならない。
そういう事を考慮に入れて心肺機能を理解しようと思えば、心拍数なんて一言で一意的に言えるモノではない。
心肺機能を高める!って人が最近のロードバイクブームには多く見受けられるが、そもそも心肺機能が高い状態を定義するのは簡単では無さそうだ。
何を以て心肺機能が高いか?っていうと、結局は、心臓の能力のキャパシティから見て低い稼働率で高い出力を維持できる能力って事になる訳だ。
但し、心臓の低い稼働率は、備わる筋肉の低い稼働率で高い出力を維持し続けるということであり、それは何を意味するかというと、稼働率的には低くても、稼働している筋肉と筋肉が要求する酸素量は、掛ける負荷に見合った絶対量が活動しているということ。
つまり、心肺機能が高いというのは非常に多くの筋肉を持ち、全ての筋肉が活動する際に必要な酸素を供給する心臓、酸素を取り込む肺を持つということ。出力に応じた活動はするものの、個体から見て低い稼働率であれば在るほどに、その個体にとって負荷を維持する時間が長くなると言う事。単純にそれだけの話だ。
つまり筋肉量が多いほど、肉体の素地的には筋肉量に応じた毛細血管が発達し、心臓の心拍出量が多くなる。それ故に、負荷が低ければ必要な酸素量が少ない結果として心拍数が低く保たれるのである。心拍数という面で言うならば、安静時であれ、活動時であれ心拍数が低いというのは、最大心拍数からの相対比率が低いという意味で無ければ心肺機能が高いとは言い切れないのだ。
最大心拍数が高くても平常の心拍数が下がらないのは、心臓自体の心拍出量が少ないため。つまり日常行動で必要な酸素量から見て比率的に大量の酸素を更に送る余地が無いということで、心肺機能以前に出力が掛けれないということである。
心肺機能を心拍数で説明しようとすれば、一定の条件の負荷における運動強度が如何に低いか?で見るべきなんだろう。
人間の身体をシステムで考えた時に最も合理的かつ納得出来る説明を付けようとすれば、、、、筋肉細胞自体の活動が一定の出力を発揮するのに必要な酸素量は人に依らず殆ど一定と考えれる。何故ならば、同じ原理で動作する生体システムだからだ。
その上で、最大心拍数が高く、安静時心拍数が低いっていうのはどういう事か?それは、安静時心拍数が低いっていうのは生体維持に必要な酸素量が少ない心拍数で送れるということ。つまり心拍出量が多いということ。そして、最大心拍数が高いというのは何か?っていうと、活動する筋肉が必要とする酸素絶対量が非常に大きいということ。つまり、筋肉が非常に沢山あるということなのだ。備わった筋肉に応じて酸素の供給能力が個体に備わるというのが適応の原則。
そして、人間の身体の変化を見ると、成人以降、筋肉量が減るとされているが、同じように、成人以降、年齢に応じて最大心拍数も減るとされている。最大心拍数の減少は減少する筋肉量に適応している結果と言えるである。
つまり、高い負荷を低い運動強度で継続させることが心肺機能であるならば、何はともあれ、相応の筋肉を保持するのが必須なのだ。
全ての運動、スポーツにおいて、ウェイトトレーニングとランニングが基本練習にあるのは、そういう原則に従っての事であり、スポーツの種目を実践する時に、備わった能力を、どんな運動強度で発揮するか?だけの違いに過ぎないのである。その目的とする運動強度に従って適応させるのが種目別のトレーニングと言える。
そして、個人の適性っていうのは、個体の個性である速筋、遅筋の比率によって運動強度的にどのレベルの運動が適しているか?を言い表しているのに過ぎない。更に余計な事かも知れないが、オッサンが速筋、遅筋を鍛えるってのもナンセンス。鍛えられた筋肉が速筋か、遅筋か?ってだけであり、それを運動に使うかどうかって事に過ぎない。
どの分野でも一流のアスリートっていうのは、個体の個性が、個人の嗜好と一致して、その方向で鍛錬を積んで開花した人達の事を言うのだろう。生まれ持った筋肉の資質を如何に鍛えたか?それが選んだ種目に好都合か否か?そういうのが天性に繋がるんだろう。
最近のホビーレーサーが自転車乗りは心肺機能が高い!って表現を使う事が多いが、自分としては、心肺機能が高いのは、前述のような負荷と相対強度の関係を保てるようなアスリート全般に当て嵌まるもの。それ故に、形は違っても別の種目で運動経験の在る人っていうのは、資質的、素地的に優れた心肺機能を持っていると言える。
そういう人が自転車に接し、それを種目として取り組んだとすれば、それに応じた運動強度での運動をマスターし、相応の能力を発揮するのは当然と言えば当然なのだ。
結論、、、心肺機能が高さとは、、、、種目に依らず、運動経験をなるべく若い時期から長くやって来た人達の特権であり、その時期と期間に比例するもの。
仮に全く無関係なスポーツ、球技や格闘技であっても、それを若い頃から長く続けていれば、間違い無く心肺機能は高い。それを自転車で活用できるように変形させるのは、そんなに難しい事ではないだろう。しかし、帰宅部で運動経験の無い人が同じものを手に入れるのは、実質不可能だろう。
この記事とは離れるが、結局、出力を司るのが筋肉だが、その筋肉に適応して生まれるのが心肺機能。結局は筋肉の肥大単位となる細胞を如何に成長期に身に付けるか?これが勝負なのだ。そして、一般に言われている持久力は成人以後にも獲得しやすいっていうのは、実は嘘。成人以降に獲得出来たと錯覚しているだけ。それは、本来持っている心肺能力を発揮させる運動強度のパターンに併せて適応させただけって考える方が自然。
なお、高地トレーニング等の細胞あたりの酸素運搬能力の確保っていうのは、更に高度な適応のための行為であり、別次元の話。
しかし、前記事の『パフォーマンスの考察』に引き続いて、こんな記事書いたら、いけないのかなぁ?なんて考えたりもする。でも、前記事の警鐘では膝壊すなよ!って事だが、この記事の警鐘はジョギング中の突然死なんて痛ましい事故を起こすなよ!って事が真意。一番は、各自が夢見ず身の程で楽しむって事が大事だと思うからだ。健康のために、怪我したり突然死したり、、、有り得ない。
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