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2009年6月30日 (火)

障害仕様か?

ココログはメンテナンスで何某かのバージョンアップの度に障害が起こる。
仕様なんだろうか?
ニフティ繋がりで利用しているけど、チョット障害の頻度と程度が醜すぎるような印象。

まぁ、タダだからと思いつつも、もう少し検証を行ってからメンテナンスを行うべきでは無いだろうか?

ココログってブログに限らず、ホームページでもCGIには方言が剰りにも多く使い辛いし、、、元々、@niftyっていうと、ニフティサーブってパソコン通信の草分け的存在で、この分野の先駆的役割を担っていた筈だけど、今や、対応と完成度から言うと一番遅れているような気さえする。

今更引っ越すの面倒くさいから当分は様子見だけど、今や、ネットは常時接続して、そのアクセスポイントにニフティを使っていない。メアドの都合で契約しているだけともいう。メアド自体は複数持っており、別にニフティアドレスである必要も実は無い。

フラストレーションが溜まるようだと、次行こう!って気分になる。

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これからはアナログだぜぃ!

 先日、血圧測定で変化の傾向を把握するのが大事って記事をアップした。
 その際に思った事。それは、何事も瞬時値よりも、その経時変化が大事ってこと。勿論、瞬時値の積み重ねが傾向変化になるのだが、瞬時値には較差というものが存在する。変動要素だったり、ノイズだったり、較差だったりする。その変化というものは、ものによっては結構大きな値であるが、その瞬時変動を見て一喜一憂する程バカげた行為は有り得ないのだ。

 よく、毎日の体重を測って増えた、減ったで一喜一憂する例を見かけるけど、、、、滅茶苦茶バカくさい。
 日常生活において、出入りする水分量は2kg程度ある。排便も1kgは無いけど、500gはあり得る話。つまり、幅として2kgの変動はあり得る筈。それ故に、日々の変化で幅が2kgっていうのは、目的とする減量脂肪量には該当しない。単なる、脱水量の有無次第である。
 血圧も然りである。起床後、測定前後の感情、運動等々でまるっきり異なってくる。それ故に、数値の変動を持って血圧数値が高い低いは意味がない。他にもそんな例が山程ある。
 勿論、健康によらない。自転車でも単車でも水泳でもそうだ。何かのタイムを測定するとか、速度を測定するにしても、その数値には必ずと言って良い程に誤差要因を含んでいる。その誤差要因を無視して出てきた値だけで判断する程に愚かな行為は無いのだ。

 瞬時値というと、比較の対象が前日だったりする。そんな変化でマクロ的な変化はとらえれない。

 結局大事なのは何か?っていうと、測定期間を長く取った上でのマクロ的な変化、つまりアナログ的な見方こそが大事なのだ。大きな変化から傾向を読む。これこそが重要なのだ。

 体重の変化では最低でも1週間の定時測定が必要だし、血圧の場合は1年は必要。スポーツでも数ヶ月以上は必要だろう。そんなもんだ。

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NEW昼ポタ経過1週間

 昼休みのポタリングコースを新調してから実質一週間経過した。
 やはり、相当な距離のせいか、走り終わると、、、、怠い感じ。チョット、睡魔にも襲われかねない感じ。

 距離的には14km+αの道のり。30分で走るには丁度良い距離でもあるのだが、30分弱で走るには、信号待ちも入れて、市内の歩道徐行区間も入れて平均で28km/hオーバーというアベレージである。実走領域、猿候川沿いでは35km/h以上は確保(往路で2.8km、復路で2.5km)しなければ難しいし、青崎から大州に掛けて(1.8km)は40km/h以上で走らないと活けない。茂陰トンネルに到っては、最高で50km/h以上である。つまり合計で7km程は、相当な速度で走っている状況。

 折角昼休みが1時間になったのだ。飯食い時間が20分、残りが40分である。万が一の事態を考慮すると30分が使える限界だ。30分で14kmの走行、休日の1/2~1/3の程度の距離だが、毎日のローラー台オンリーよりは有意義である。

 健康管理のためか、同じ会社に勤務するオッサン連中もウォーキング、ジョギングしている。ウォーキング組は概ね1.5km程度だろうか?ジョギング組は最長で4km程度だろう。となると、自転車を使う自分としては、最低でも10km以上は走りたいし、そうしないと意味が無いとも言えるのだ。

 これまでの猿候川を上流に遡る往復コースの場合、往路と復路が同じせいか、今一だったし、往復の場合はトラブル発生時には、最低でも、その地点からの復路距離を走る必要があった。しかし、今は周回コースである。それ故に、景色が違うと気分も良い。更に、万が一のトラブルでもショートカットの最短狙いで戻れるのは悪くない。

 今回のコースは河川沿いに走り、市内中心部の幹線道路を走り、トンネル、市街地再開発地域を走る。そして河川の対岸の土手を走り、旧道から別のトンネル、そして河川支流沿いを走るパターン。風景の変化がめまぐるしく、健康管理の他に気分転換的にも優れもののコースである。

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2009年6月29日 (月)

現役は違うなぁ、、、

 金曜日、長水路のビッグウェーブに泳ぐ場所を移した。
 そこは水深2m以上のプール。歩く人、泳げない人は居ないのだ。

 プールの水も綺麗。

 そうすると、他のスイマーが嫌でも目に入る。プールは真ん中と両サイドで別れているのだが、素人?ゾーン、クラブゾーンっぽい棲み分けだが、自分のようなオッサンスイマーは素人ゾーンで泳ぐ。

 そうすると、クラブ活動で泳ぐエリアのスイマーのフォームが結構目に入るのだ。そのフォーム、実に美しく、そして速度も速い。現役のティーンエイジャー?恐らく高校生~大学生の水泳部系だろうが、皆さんレベルが違うというか、、、、圧倒的である。

 さすがに、オッサン的には手も足も出ないというか、関心するばかりである。これが現役の力なんだろう。

 思うに、こういう人達が将来、現役を退いて、もし、将来も自転車ブームなんかが訪れて、乗り始めると、、、、そりゃぁ凄いパフォーマンスを示すんだろうなぁ、、、って思ったのである。

 思い返すと、自分たちが幼少の頃のスイミングクラブと今のは、レベルというか全然違う印象だ。時代と共に、教える内容も高度に洗練されているような感じ。泳いでいる人のレベルが昔とは段違いのようだ。羨ましくもあり、感心するばかりでもあり、、、、まぁ、端から競う気なんてサラサラ無いけど、、、、やはり、現役は違う。

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トミカコレクション

 戯言だが、トミカをチョット集めている。
 以前もチョット書いたけど、ロータリーエンジン搭載車である。好きなのは、車はロータリー、単車は2ストって背景があるのもあるし、理屈抜きで好きだから、ロータリーエンジン搭載車を集めているのだ。

 勿論、本格マニアには程遠いので、当時モノで超高額なミニカーに感心がある訳でない。復刻版で十分なのだ。

 で、揃ったミニカーは?っていうと、

1.トミカビンテージ:コスモスポーツ
2.トミカビンテージ:サバンナGT(RX-3型、S124前期)
3.トミカ35周年復刻シリーズ:コスモAPリミテッド
4.トミカ35周年復刻シリーズ:コスモL APリミテッド
5.トミカリミテッド:コスモAPリミテッド
6.トミカリミテッド:サバンナRX-7 リミテッド(SA22C)
7.トミカリミテッド:サバンナRX-7 デイトナ仕様IMSA-GTU(SA22C)
8.トミカビンテージ:コスモ4HTロータリーターボリミテッド
9.トミカビンテージ:ルーチェ4HTロータリーターボリミテッド
10.トミカリミテッド:サバンナRX-7 GT-リミテッド(FC3S)
11.トミカ:マツダRX-7(FD3S)
12.トミカ:マツダRX-8
13.トミカ:マツダ787Bルマン仕様レナウンカラー
14.トミカリミテッド:マツダRX-7(FD3S)
15.トミカリミテッド:マツダRX-8

ってところ。トミカ以外ではHOTWHEELのRX-7、MATCHBOXのRX-8がある。

今でもロータリーエンジンは、その開発の背景から特異性から、、、多くの部分で好きなエンジンである。勿論、理詰めで考えると、実際に優れるか?という判断は出来ないが、少なくとも、レシプロエンジンとは違うのは間違い無いエンジン。

何となく、この違いっていうのが頭から離れない理由。現実世界ではロータリーエンジン搭載車を買う可能性は極めて低いが、それ故に、なんとなくミニカーだけでも集めたくなる。そんなもんである。

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動作不良!?

 先日、我が家のメインマシン、P6Tが頻繁にハングして、ブルースクリーンも連発しまくるって話をした。そして、その対策で効果が在ったのが、P6T最新のBIOSである0603のアップグレードである。その後、ハングアップは全く発生していない。

 つまり、これまでの不調の原因はBIOSの不良である。BIOSの中のWOL起動に必須なACPI S3の不良、SUPEND TO RAMの不良って事だ。

 さて、これで快調?っていうと、別の問題点がある。

 それは、、、、PC本体でなく、PCの主用途に纏わる不具合である。ズバリ、ピクセラの地デジキャプチャーボードの不具合である。ボードはPIX-DT090-PE0だ。不具合の症例は、、、、BSデジタルのNHKのBS1、BS2、BSHiの映りが最悪ということ。受信出来ても画面の右半分、左半分がバラバラで見れたモノでない状況。
 因みに、アンテナ受信レベルは65以上であり、ピクセラの言う60以上で楽に映るという条件をクリアした上での話。

 と言う訳で、ピクセラのサイトのドライバ、アプリの更新状況を見ているところ。

 最新のドライバには、一部選局で映りが悪いのを修正って書いてあったからアップデートしてみたものの、、、、全く効果無し。ダメダメである。

 そうは言っても、他の選局で地デジを含めて快調であり、NHKのBSのみ不具合という状況。この症状、実はユーザーでは定番?化した状況であり、ボードへの供給電源の品質が問題と言う事らしい。

 解決は、

1.電源供給をボード専用で通し、HDD等と共用させない。
2.玄人志向のNo-PCIといったPCIラインの電源ノイズシールドボードを入れる。
3.ボードへの電源供給を外部から別系統で供給する。
4.ボードへの供給ラインにコンデンサを噛ませる。
5.ノイズカット付き電源分岐コネクタを使う。
6.高品質?の電源を使う。

 の方法である。それぞれ考えると、、、

1.については、そもそも大元から分岐しているので怪しい。
2.割高かつ高発熱CPU搭載機ではエアーフロー等から今一。
3.外部コンセントを更に使うのに抵抗がある。
4.悪くない選択。
5.これも悪くない選択。
6.電源に品質明記はしていないので何に交換するべきか不明。

 ということ。となると、、、4.か5.である。供給ラインにコンデンサを噛ませるといっても直接コネクターにコンデンサーを付ける訳ではない。結局、コンデンサを装着したコネクタを準備する訳だ。すると、結局はコネクタとコンデンサを別途購入する必要が出る。更にハンダ工作も必要だ。5.はどうか?というと、調べると、分岐でコンデンサ付きのモノが200円程度で売っている。
 電源品質を気にするなら3.の選択もあるか?これだと、Centuryの直刺しAC電源を要するが、そのスイッチを連動させるにはUSB連動タップが必要。自作すればOKだが、時間が無い人は全て買う必要がある。直刺しAC電源が2000円程度、連動タップが3000円程度で5000円コースは割高。2.のシールドボードは2000円~、、、

 ということで、コストパフォーマンスを考えると、、、5.がベストである。

http://www.comon.co.jp/FC-553NZ.jpg

 である。我が家はこれで対応した。一応は、元電源から別系統という事にしているが、それは気休め。ノイズカットアダプターを噛ませるだけ。仮に、不具合が出たら、2.のシールドボードでも搭載しようか?と考え中だ。

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2009年6月28日 (日)

ランデブーしたけれど、、、

 土曜日は、ホームコースを回遊走行する日である。
 で、今日はニシダサイクルの常連さんの『ひろのしん』さんと一周回目の折り返し地点で出会ってランデブー走行を行った。
 競技者でも、現役でも無い自分だが、それでも何か聞きたいというリクエストがあるならば、判る範囲でお話するし、走り方を見てアドバイスも出来る。勿論、持論に基づくものだが、、、それでもOKということで、今日はランデブーを行った。

 一周目の復路では、最初の太田川橋から高瀬堰迄をポジション観察、高瀬堰から安佐大橋の低速区間をレクチャーしながらのデモ走行、安佐大橋から安芸大橋を本気のTTモードで走行。ここは車道区間で車も居ないので結構踏めるのだ。
 今日は、向かい風だったけど、出だしで45km/hオーバー迄加速してその後、最低で40km/hを維持して安芸大橋に到達。心拍数は瞬間最大値で160bpm程度だから大した負荷ではないけれど、やはり見る人、観察する人が居ると、いつもより気合いが入ってしまう。
 当然、一人ダッシュ状態になるんで安芸大橋でUターンして迎えに行った後、再度合流して自歩道区間に入ったところで、ひろのしんさんの脚が攣り気味になったので一時休憩。その時、チョット自転車のサドル位置の変更を行って、乗って貰った。勿論、ペースは30~35km/hの流しのペースで脚に不具合が出ない程度で風よけを受け持ちながら、、、、

 そのまま、北大橋でターンして二周回目に突入である。二周回目では、スプリント時の踏み方、ロングライド時の踏み方の勘所、脚のどの部分に意識を持つか?をレクチャーしながら走行し、祇園新橋を過ぎて安芸大橋に向かう途中、チョットしたトラブルでレクチャーは終了。
 その後、ソロで太田川橋で引き返して二周回目を終了。最後の三周回目はソロで往復走行で、イメージは追い風で38km/hイーブン、向かい風で35km/hイーブンで刻んで終了。

 三周回したところで、先にショップに戻られたひろのしんさんとショップで談笑して、また御一緒しましょうと別れて、最後に10%級ヒルクライムを二本やって帰還。

 というところだけど、反省点は、、、、ランデブー走行する時には、スプリントっぽい走りは封印しないとだめだな、、、、相方に変なプレッシャーを与えてしまうようだ。そういう状況は、自分も相手もアドレナリンで興奮状態になる。それが肉体や注意力の限界を超えるリスクを生む可能性はありうる。それが判った。

 ひろのしんさん、無理させて御免なさいね、今度はチョット考えて走ります。回遊走行時は、あくまでも中距離走行(50~100km)の模擬走行である。ロングライドの模擬走行するときは、ピストもロードも乗らない。ランドナーかスポルティーフ、そう言う時は荷物も積んで走る。長距離走行(最低でも300km)の模擬走行(200km程度)も少しずつ始めようかな?って思い始めた今日のランデブーだった。

 ひろのしんさん、今度、ロングライドの模擬走行しませんか?ゆっくり走りますんで、考えておいて下さいね!ショート、ミドルも模擬走行時は、殆ど、全開モードなんで踏める迄踏む習性が抜けきらないんですねぇ、、、、

 ところで、ショップで談笑した内容、、、

 今は殆どロードバイク、そもそも長距離走行の快走車とは違う。ロードバイクはモノを積む事が前提でないだけに短距離を速くってモノ。そういう意味で今の人は快走車で行う長距離走行、ロングライドの距離感が通じないだろうなぁ、、、、跳ばさず、力を抜ける時は抜いて、力を温存して距離を稼ぐ、何かあったら自分で直し、携帯とか他人に頼らず走る。そういう経験は多分、想定外なんだろう。
 スポルティーフに自分の技量でリスクに対応する必要十分な装備を持って旅に出る。それで、何処まで走れるか?そういうのが、実はサイクリングの醍醐味だとは、ひろのしんさんと、ニシダサイクルの店長さんに話しをしたけど、そういう世界が自転車で一番楽しいところだ。

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6/21~6/28の週の検索ワードピックアップ

★新城幸也選手の体型
 もうすぐ、ツールが開幕だ。で、6/27、28では全日本ロードが広島の中央森林公園で開催される。そのせいか、新城選手の体型に感心がある検索ワードが残っている。
 詳しくは知らないが、何と言っても170cmで67kg、そして、あの見た目というのが結論だろう。身長から言えば、体重は標準+5kgである。その+5kgは何よ?っていうと、筋肉に他ならない。それが全てだ。J-Sports等で中継されるレースのバイクカメラから映した映像を見ると、逞しい脹ら脛、太股である。それを中心とした筋肉が彼のパフォーマンスの根幹だろう。

★自転車で速くなるには
 って疑問文での検索も極めて多い。脚力+持久力+知識+精神が回答だ。速筋、遅筋がどうだこうだの細かい話もあるけど、速いという言葉、つまり効率の高さ、所謂高出力となるとトルクが大きいか、回転数が速いかの二者択一。論理に拘る人向けの回答として、速筋が発達した人ならば、トルクの大きさを活かした戦術となるし、遅筋が発達した人なら回転数を活かした戦術となるだけ。人間、速筋だけとか、遅筋だけとか偏った人は居ない。先天的に比率が決まり、その比率に応じて活かし方があるだけの話。筋肉種別の違いはエネルギー源が糖分か、脂肪分かの違いが大きいところだが、どっちにしろ酸素が必要なのは言うまでもない。トレーニングの結果、筋肉が要求するのが酸素、トレーニングすれば酸素の供給能力が連動して高まるだけ。
 その経験が脚力+持久力で、所謂、素地だ。速くなる、人より速くなるには、素地を高めるのが必須。素地の成長は、成人迄の成長期。そこでの経験の差がパフォーマンスの上限を決めるだけ。オッサン世代以降に発達しないか?というと、するけど、その発達の度合は1/10とも1/20以下とも言われる。
 ある意味、知識も一緒。教養レベルの高まりに併せ興味あるものを知識で納得できるようになる。それが進行形的に進むために、知識の理解のプロセスも身に付く。ゆとり教育とか、公式主義、点数主義では身に付かない。知識とは、独力で発想を生んで、独力で解法を見出すためにある。他人の意見に翻弄され、他人の方法を模倣する限りは、己の目的さえ見出せない。そんなものだ。
 精神とは、続けるモチベーション。それが保てるには、信じるものが無いと無理。結果が出ようが出まいが信じれないと続けれない。何を信じるか?他人の声?、、、、No、No、自分の考えだ。自分の考えが信じれるには、自分の仮説を信じる事。仮説とは論理に基づくから信じれるモノ。そう、大事なのは正しい論理。正しいというのは自然科学の事。
 逆に言えば、それ以外は信じれない。そんなものだ。
 言葉は悪いが、学問を軽んじる愚か者は絶対に上達しない。知識がモチベーションを生む。それが経験となって素地を支える。そんなものだ。

★液晶とハイビジョンブラウン管
 技術の新しさからいうと液晶が一番だろう。でも液晶が目指すのはブラウン管の真似というレベル故に、目的の完成形がブラウン管にある以上、越えれない壁があるかもしれない。液晶ならではの世界を理想に掲げた時点で、ブラウン管は過去のモノとなる。
 大きな違いは走査方法の違い、それと複数解像度への対応度、映像の切り替わりへの追随性って部分。
 今、自分としてブラウン管が良いと判断するのは、SD解像度、HD解像度の二種類のコンテンツを見る上での判断。液晶、プラズマは基本的に単一解像度しか綺麗に映せない。ブラウン管は自由自在。この違いは大きい。DVDはSD解像度、最新のデジタル放送はHD解像度、両方見るにはブラウン管しか無いという判断。
 但し、液晶ならではの世界観とか、世の中からSD画像が無くなればブラウン管は選ばない。そんなものだ。
 詳しくないから想像だが、デジタル画像の圧縮形態は画像の変化した差分のみを記録するもの。ならば、デジタル画像の描写に得意な液晶パネル等は、表示画像の差分のみを切り換えていくような部分的な画面更新が可能となれば世界が変わるかも知れない。差分判定のエリアが表示情報の変化密度に連動して変化するようなシステムというかアルゴリズムが生まれれば、液晶ならではの必然性が出てくるように思う。今の全画面更新速度を競って倍速云々をいうのは、やはりブラウン管を追っているが故のように見える。

★カッパーマイン世代
 20世紀末のハイエンドが今使えるか?って疑問だろうか?我が家にはDual構成のマシンしか無いが、Xp迄は楽勝だろう。VistaもHomeBasicなら活ける。鍵は搭載可能なメモリー容量次第である。
 一世を風靡したi815のチップセットではNG。なんたって上限が512MBはダメダメだ。それよりも前世代の440BX/440GXの方がマシ。1GBが詰めれば、Windows2000、WindowsXpは楽勝。我が家のメイン?マシンは、Windows2000を4GBのメモリーで快適運用だ。快適の目安は、、、RAMに1GB積めるか否か?コレ次第だ。
 関係有るかどうかしらないが、タスクマネージャーを立ち上げてCPUの負荷を見る限り、常用域においてPentiumuIIIでさえ稼働率が100%近辺となる事は稀。
 メモリー容量、VGAカードでパソコンの寿命は決まるのである。

★尿酸値が高い
 人は知らないが、自分の場合、間違い無く菓子の食い過ぎ。ダイエット直前が9.1mg/dlだった。過去最高値は10.5mg/dlだった。ただ、それでも痛風の痛みは感じなかったし、個人差?って軽く受け流していたのは事実。
 尿酸値が高まるのは、ビール、干物、納豆、明太子、蛸、イカと言われている。
 尿酸値を下げるには、ビールを控え、菓子を控え、、、、何と言っても毎日2L程度の水分をしっかり補給すること。これが重要。
 多分、運動して脂肪を無くせば自動的に尿酸値は下がるだろう。

★煙草の禁断症状
 人次第だろう。自分は禁断症状は全く無かった。っていうか、突然、吸いたくなくなったから。吸いたいという気持ちを持った状態での禁煙はストレス溜まるのでは無いだろうか?人間、誰しも長生きしたい訳であり、生存本能的に、危機感を感じたら、味覚的にも煙草が不味くなる時期が訪れると思ったりする。それが生存本能では無いだろうか?
 そうすれば、禁断症状を感じることなく辞めれると思う。

★素地に対して
 然るべき時期に然るべき練習で個体が完成される。完成されたモノは機能を保とうとする。それ故に、パフォーマンスは個体の完成形に左右される。完成された個体の特徴の事を素地という。素地を高めるには、スキャモン成長曲線に従って、然るべき時期に、然るべきトレーニングを行うしかないのである。
 素地の無いものは、個体完成後に得られる限界もあれば、その限界に到達するには莫大な労力を要するもの。そんなもんだ。

http://www.sokennet.co.jp/manual/pdfimage/cyokyori.pdf

の文献なんかが解りやすい。
 今の流行のロードバイクで持久力?っていうと、小学生時代にどれだけ泳いだか?どれだけ野山をかけずり回ったか?外で走りまくったか?それで決まるといって過言でない。スプリントで言えば、中学以降成人迄に、どれ程の運動に勤しんだか?次第だろう。
 この時期に得た素地は簡単には無くならない。仮に成人以降に怠惰な生活を送っても、機能は失われない。機能は寝ているだけ。それ故に、呼び戻すのは簡単。簡単に呼び戻せる能力を素地という。逆に、無いモノを成人後の鍛錬によって作ったとして、それは、持続訓練を怠れば消え去ってしまうモノ。そんな違いでは無いだろうか?

★DAHONの451化でVブレーキは?
 一説によるとVブレーキのまま、700Cトランスファーで対応可能って話もあるけど、自分のSPEEDで試した限り、不可能。451化にはキャリパーブレーキ化が必須だ。勿論、そのままでリーチは合わない。そのような改造を行う人の多くはフェンダーレス。となるとショートリーチ(スモールアーチ)を選ぶだろう。
 インテグラルヘッドモデル以降の場合、フェンダー穴はホイールから前後とも遠い。よって、アタッチメントを作ってアーチを固定する場所を作る必要がある。フロントはコラムパイプに延長パイプを差し込んで固定すればOKだし、リアは一枚物のアルミ板の加工程度で作れる。
 オーバーサイズスレッドのモデルでは、フロントはフェンダー穴がそのまま使える。リアはシートステーの角度の違いもあり、新設する取り付け穴は、フェンダー取り付け穴よりもホイールに近いだけでなく、角度が全く異なってくる。これが相当に難しい。アルミのブロックを削って取り付け角度を15°程度寝かせる必要がある。

★ピスト乗り
 ピスト乗りを揶揄する表現での検索も少なくない。ピスト乗りのイメージがどうか?は知らないが、ファッションバイク系が多い事を見て、ロード乗りは上から目線で見ているようにも見える。でも、目くそ鼻くそだろう。多分、本職さん以外は、どちらもファッションというか、機材趣味で乗っているようなモノ。少なくとも、技量的に差異は無さそう。マナーを見た上での印象。

★相変わらずコンパクトクランク
 気になるなら使えば解る。調べても解らない。少なくとコンパクトクランクは素人向けでは無い。クライマーズクランクであり、アウターを50Tでコンパクトというのはアホ。コンパクトクランクを正確に言うならば、インナーコンパクトクランクとでも言うべき。貧脚、素人向けにはジュニアカセットというのは実は100%ではない。なぜならば、レシオの差分比が小さすぎるから。良さを実感するには、超高ケイデンス、つまり心肺機能的に相当優れた人向け。
 ならば、素人向けにはどうよ?っていうと、正解は、通常のカセットのまま、フロントのアウター、インナーの比率を1.3程度に保ったままに絶対歯数を小さくする事。つまり42-34Tとか、38-30Tとか、、それが正解。それが見えない理由が見えない。

★ストリームRST
 これが関心高い様子。実際、悪く無い。でも、盲点だが積載性だけを見ると、実はエアウェイブの方が上手なんだ。まぁ、どっちも並以上の積載性だが、違いは排気量という訳である。1.5Lに拘るか?2.0Lを狙うか?が大きなポイントだろう。勿論、デザインの好みもあるが、、、、個人的には、ストリームRSTの2Lが良いかな?と思う位。1.8Lに下げるならばエアウェイブの1.5Lで良いような気もする。
 欲言えばだが、これではステーションワゴンのままである。出来れば、独立四座の4シーターで、作って欲しかった。理想は、メルセデスの旧A210Lだ。独立四座のモデル。5人乗りの必要性だって現実では少ない。殆どが四人でOKなはず。一人にピッタリの椅子を四脚がベストだ。

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景気、底打ったの?

 昨年からの景気後退では、100年に一度の不景気、、、、そんな声が聞こえていたけど、今は、、、、景気は回復基調で、底を打ったなんて表現をチラホラ見る。

 ホントか?

 100年に一度の不景気が、この程度の景気対策で持ち直せるの?

 どうも、総選挙前の与党の政策を誇張実績の如く吹聴しているだけのように感じるのは気のせいか?

 思うのは、100年に一度の不景気っていうのは、世界経済における景気変動ではそうかもって事でなく、産業革命で生まれた世界各国の世界での役割が変化する時期という意味合いでは無いか?ということ。そうでなければ、100年という単位で不景気を表現するに当たらない。

 100年前の価値観で生まれた社会、欧米各国が価値観を作り、それに安い人件費+模倣する技術力によって生産を請け負う国が発展したという事実。ヨーロッパで産業革命が起こり、その生まれた技術が安い労働力+技術の模倣によって世界の工場に該当した国が恩恵を被ったのである。そうやって、日本のような国が発展してきたのである。

 今後の100年はどうか?価値観を作る地域、その価値観で世界に価値を供給する地域が繁栄の恩恵を受ける。それに乗り遅れた地域が衰退する。それが、過去の歴史でも見られるのである。
 日本が景気回復するというのは、今後100年の価値観を生み出せるか?或いは、生み出された価値観を実体化した価値として供給できるか?次第だろう。仮に、日本でそれが出来たとしても、産業構造の中で、その価値観を作ったり、価値を製品として供給できなければ、過去に繁栄した企業であっても衰退する。そんなもんだろう。

 世界景気が底を打ったかどうか?は、新しい価値観が世界の総意として認められたか?を判断すべき。そういう意味で、新しい価値観が環境とか省エネ、次世代エネルギーを総意としている現状を踏まえれば、世界景気の底は打ったと言える。そして、地域毎の景気が底を打ったか?というと、価値観を生みだしたのが欧州であれば、欧州はやはり価値観を創出できるという点で景気の底は打っているだろう。地域としての日本の景気が底を打ったかどうか?は、価値観としては欧州の価値観に乗っているだけであり、本当の勝負は、その価値観の尺度で価値が認められる製品を市場に供給できるかどうか?に掛かる訳だ。
 そういう意味で、その価値観で競争力を持つ製品を生み出す企業は間違い無く景気の底を打っていると言える。それが、ハイブリッドカー特需に支えられたトヨタとかホンダだろう。

 しかし、その価値観に沿った製品を価値あるモノとして供給できない組織にとっては、景気の底を打ったとは言えない。

 そういう意味で考えれば、国としての景気が底を打ったとは思えない。そんな印象だ。

 

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2009年6月27日 (土)

リスト強化中

 いよいよ今週から長水路のプールに移る。真夏日続きだからそろそろ良いだろう!って判断だ。

 それに併せ、最近掴んだプルの感覚を更に高めるために、ダンベルを用いた筋トレで片側25kgのダンベルを用いたダンベルフライ、ダンベルプレスの合間に15kgダンベルを使ったリストのスナップを片側30回(30RM)でインターバル付きで三セット加えることにした。

 リストを強化することでプルの推進力が飛躍的にアップするのは確認済み。

 自分の肉体的素地の基本はスイム、その中でもブレストだ。特に小学校~中学迄は相当の距離を相当の頻度で泳ぎまくってきた自負もある。それが今の自分を支えている。
 如何に、自転車に乗ろうとも、バイクに乗ろうとも、フィジカルの基本はスイムであり、スイムは自分なりに洗練させたいとも思う。それにしても人生の75%以上を競技トレーニング的な量と頻度で泳ぎ続けているのは、我ながら良く続くもんだと感心したりもする。逆に、そういう状況では辞めれない。

 http://www.sokennet.co.jp/manual/pdfimage/cyokyori.pdf

 の文献にもあるけど、素地を作る上で、持久力の確保は8~15歳がベストというのが掲載されているが、そういうのを見る度に、そういう時期にハードなスイムを続けてきて良かったと、人生を振り返ったりするのが最近だ。

 因みに、筋トレ的な取り組みは中学以降で殆どが下半身重視。やはり、ブレストの推進力の80%をキックで得るというのが背景にあるのだが、自分のフィジカルの利点というと、下半身の筋肉と、腹筋、背筋、それと自身の自惚れかもしれないが、圧倒的な持久力だと思っている。仮に、スイムで競技生活に戻るとすれば、それを活かしたオープンスイムくらいかな?と思うくらい。3km/50分スイムは当たり前、5km/120分で並、最長で12km/330分を休まず泳げるのは、自分なりの自信の根拠だ。この辺りの素地は少々怠けても失われないとも思うけど、成人以降の筋トレで得た上体の筋肉は、多分だが、怠けたら簡単に消え去ってしまうものだとも思う。

 それ故に、相変わらず、ダイエットメニューで組み込んだ筋トレは上半身メインの筋トレばかりなのだが、スイムで更に満足度を高めるために、苦手なプルに着目して筋トレメニューを見直すのだ。

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女競輪王

 なんとも凄まじいタイトルである。
 女性が競輪でトップを狙い引退して幸せに結婚するというストーリーである。

 内容がどうか?は良く判らないが、そのタイトルにインパクトを感じる。そのインパクト故に、番組表で見つけ録画して見たのだ。

 この映画は1956年の作品で、日本映画専門チャンネルで放送されており、そこでは当時の競輪関係の映像が所々用いられているのが興味深い印象。

 そこで、懐かしい!っていうのは、その自転車を街乗りで使っている構図だ。天返しステムでハンドルをひっくり返して付けてアップハンドルで街乗りに女優さんが乗っている。そういえば、天返しステムはそのために存在していたんだっけ、、、、

 この自転車を見て思い出したのが、、、、1980年頃流行したブリジストンの自転車、『カマキリゴンザエモン』である。誰も知らないかも知れないが、今で言う軽快車にアップハンドル、ブレーキは前はキャリパー、後はコースター、そしてフェンダーレスという仕様。超シンプルな自転車で、単車でいうなら当時の自転車のスカチューンのような自転車だが、当時のピストバイクのハンドルひっくり返しが、そのカマキリ号の祖先のような印象。

 そんなパーツの使われ方、歴史とその後に登場した色んな自転車がフラッシュバックで繋がる。昔の映画を見ると、そんな所にも目が行く。

 結構、楽しい。

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シルクピストのギア比をどうしよう?

 今、シルクのピストのレストア計画中だ。基本は当時もののパーツ+ブレーキパーツである。ブレーキパーツは吉貝のピスト用ブレーキ、リムはARAYAのRC-540くらい。違う部品というと、サドルに藤田シームレスという位。

 そんな事よりもギア比をどうするか?が問題。元々付いているクランク、マイティ・コンペである。48T×168mmのクランクセットだ。これにコグは16Tだろう。ギア比でいうと3である。3というと、、、、ロールアウトで6.3m弱である。踏める訳在りませんね、、、、

 さて、どうするか、クランクセットはそのまま使うが、コグは見直しが必要だ。
 自分の持つコグは、、、17Tと18Tがある17Tなら5.9m、18Tなら5.6mだ。どっちにしろ重い。ラングスターが44T×17Tで5.4mだ。5.4mが自分の脚にピッタリ来る。5.6mは上限近く、、、5.9mは多分踏めない。仮に19Tを調達したとして、、、5.3m弱、、、今度は軽い。今ラングスターでチョット軽いかな?って感じであり、理想は5.5m位の筈。

 この度のシルクに付いていたハブがサンシンのハブだが、一応両切りハブなんで、17Tと18Tを付けてみよう!

 実際の公道を踏んで走る事はまず無いバイク。公道を走るにしても、今の拘りローディが嫌がるよな仕様なんで、実際はタラタラノンビリ走るバイクに使うつもり。踏む!って状況は、室内のローラー台スペシャルだ。
 街中で乗る時は玉ヘルでビンテージコスプレで乗ってみようかな?

 後は、レストアでの逝かれたメッキの処遇だ。再メッキからやり直すかどうか?或いは、メッキ風塗料で誤魔化して、その他を全塗装するか、その辺を検討中。

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2009年6月26日 (金)

血圧傾向で健康管理

 ダイエットの発端は血圧が自分にしては高値だったから。
 その時が2005年の事。収縮時血圧が138mmHg、拡張期血圧が80mmHgという値。この数値は、自分の想定範囲外だった。

 その後、勤務先に従業員の健康管理目的で健太郎が導入されたのが2007年の事。

 そして、2007年の11月以降、毎日血圧を測定している。なお、2007/11というと、今と同じコンディションを確保しており、健康診断におけるエラーは全て克服した後の話。

 それから1年半が経過して測定数値を眺めると、、、、、

 収縮時血圧は110~120mmHg、拡張期血圧は60~70mmHgで静定している。平常時心拍数は冬季が43~48bpm、夏季が48~53bpmってところ。気温で10%程度の心拍数が変化している様子。血圧数値が一定で、吐出流量が10%変化しているってことは、荒っぽく言えば、血管容積が体温によって10%程度の容積変化を起こしているって事。血管長は普通に考えて一定だから、断面積が10%の変化というと直径で5%程度の変化している。

 そのような範囲で極めて安定した数値を保っている。

 この数値から通年の平均を取ると、収縮時血圧は115mmHg、拡張期血圧が65mmHg、平常時心拍数が46mmHgってところ。

 この数値を基準値と比較すると、、、、推奨値で収縮時血圧は120mmHg以下、拡張期血圧で80mmHg以下、安静時心拍数は60mmHgってところであり、上の血圧は殆ど普通。下の血圧が顕著に低く、心拍数も顕著に低い傾向である。勿論、正常と言われる範囲内での事。

 ところで、血圧とは末梢血管抵抗と心拍出量に比例する。末梢血管抵抗が血液の通りにくさのこと。心拍出量とは一回の収縮で運び出される血液の量の事。他にも循環血液量、動脈の弾性が影響すると言われているが、その数値の単純な高低で一意的に原因を言い当てる事は困難。

 このような血圧測定で大事なのは、通年を通して値が静定しているという事実であり、仮に、その傾向が長期的にも何らかの変化を示していたとすれば、変化の原因をしっかり見つめる事で疾病等の予見に繋がる訳だ。

 このように、レコーディングといか日記というか、そういう記録を残しておけば、自身の体調の把握に繋がるし、異常の兆候を早期に捉えることが出来る。
 今、記録を残しているのは、食生活、運動記録、自転車走行記録があるけど、何れも記録する事で、変わっていない事が後から解る。それが健康維持における大きな自信にも繋がるのだ。

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プロファイリング

 今のブームで自転車を選ぶ人を想像してみた。
 自転車を選ぶ理由、それは、、、、、エコ、省エネ、健康があるけど、多くはダイエット目的、健康目的では無いだろうか?エコとか省エネとかの場合、ガソリン価格の異常高騰時ならいざ知らず、更には、エコカー減税の如き、自転車消費でポイント溜まるなら諫知らず、そうではない。
 自転車ブーム、特に、ロードバイクブームを牽引しているのは30代以上のオッサン世代である。

 オッサンの悩み、それは、肥満であり、不健康である。それを運動で解消したい!って願いが自転車ブームの多くを締めているのではないだろうか?

 そこで、何故にオッサンが自転車を選ぶか?

 健康目的というのは運動目的に合致する。

 運動で痩せるには、自分にとって効率の良い運動を選ぶのが通常、、、

 そこで敢えて自転車を選ぶ。何故か?
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 普通、効率的に減量するならば、自分の馴染んだスポーツを選ぶのでは?という思い。馴染んだスポーツというと、多分自転車以外が殆どだろう。普通なら、その経験したスポーツを選ぶと考えるのが自然だ。
 勿論、一人で出来ないスポーツもあるよ!って意見があるのは承知だが、どんなスポーツであっても、運動部経験者の多くが慣らされている行為がある。それは最もローコストに出来るもの。そう!ランである。
 実際、自転車ブームなのは確かだが、自歩道で見掛ける人を見ると、サイクリストの体型とランナーの体型の差は一目瞭然である。ランナー体型は純粋に長距離系のランナーも居れば、腹回りが肥えていても他の瞬発系スポーツで養われた様な筋肉を持つ人が多い。それが特徴だ。
 それに対し、サイクリストの場合、かなり絞れた人も居るけど、絞れた人、そうでない人に共通して言えるのは、肝心の筋肉が付いていない人が多いってこと。

 此処で思うのは、健康狙いならば、慣れ親しんだスポーツ、或いは、練習で違和感なく行える運動を選ぶのが素直な所。逆に、そういうモノが無ければ、、、普通に自転車を選ぶのが自然か?って結論。自転車の場合、スポーツ的な部分に加え、機材趣味的な満足度も大きく影響しており、その辺が文化系出身者のハートを鷲掴みにしているように伺える。
 逆に、敢えて、本来なら競技人口の少ない自転車を選ぶっていうのは、それ以外のスポーツへの習熟度が無いからとも言えるのだ。

 で、勝手に思った結論、、、、

 それは、今の健康、ダイエット目的で湧き上がった自転車ブームに入ってくる人の多くは、案外、他の競技を含め、運動経験の少ない人ばかりでは無いだろうか?と言う事。

 それ故に、形や機材への拘りが尋常でない傾向が強く出ている、、、、そんな印象である。

 自分の場合も然りだ。体重のヤバイ状況に気付いたのが2005年である。そこで運動で減量しよう!と思い付いた。そこで選んだのは、自分の得意としたスポーツ。競技経験の多いスポーツ。それこそが、自分にとって時間効率の最も良い減量手段。そう!それが水泳だったのである。水泳なら自信が持てた。計算も出来る。それ故に、三ヶ月で20kg以上の減量が実現できただけ。仮に、自分の苦手な球技とか、或いはランでは、そういう速度での減量は出来なかった筈。
 メジャー人気の球技では基礎連に必須なランは球技経験者にとっては抵抗の無い運動。ならば、多分ランを選ぶ。そんな印象。

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収集癖以上の病気

 自身、重大な病に冒されている。収集癖もだが、それ以上の病。

 それは、、、、関心のある分野で、自分の拘りにヒットするようなモノ、、、それを見つけると、使うことなくても、、、つい買ってしまうのである。

 今なら、、、低画素CCDのデジタルカメラなんか心にヒットする。具体例を挙げるとDS-10Sなんか大好きだ。在れば買ってしまう。他にも低画素のトイデジの舶来品にも弱い。それも安価で安売り的なのでなく、チョット変わったAGFAとか、Larganとか、、、そういう奴。
 パソコン関連なら、、、Tualatin 1.4GHzのCPU、、、、常用は1.13GHzだが、1.4GHzも持っている。他には、レアなMMX-ODPの200MHz版、更には、P55CのファイナルであるMMX300MHzを搭載した、HP5-MX300-Lってアクセラレータ、S603Xeonの2.8GHzの予備?として2.4GHzとか、、、、言い訳としては、S603の2.4GHzはEvo W6000の予備とか、HP5-MX300-LやMMX-ODPはPC-9821Xv用とか、Tualatin1.4はGA-6VTXDの予備とか、、、
 自転車ならどうか?シルクのピスト、、、、エンド幅110mmのピスト、、、悪くないねぇ、、、、DAHONのカスタムパーツも使う予定無しに持っていたりする。良い例が台湾台座。まぁ、これは売るかも知れないが、、、、
 単車ならどうよ?っていうと、2ストというだけで買いたい衝動が抑えられなくなる。

 使う、使わない関係なしに、将来使うかも知れない?なんて変な気持ちが芽生えて、つい、買ってしまう傾向がある。ヤバヤバである。

 このブログには紹介していないが、実は最近はミニカーも結構持っている。

 切っ掛けは、息子のオモチャで買っていたのだが、今は自分のコレクションも在る。

 コレクションの対象は全車でなく、トミカならば、、、、ロータリーエンジン搭載車である。初代コスモスポーツ、RX-3型サバンナ、SA22型RX-7、FC3S型RX-7、FD-3S型RX-7を筆頭に、デイトナ使用のSA22とか、ルマンで勝った787Bとか、4ドアリトラのコスモとかである。
 最近、ネットでオーダーしたのが、コスモAP、コスモLのAP、ルーチェロータリーターボ、リミテッドモデルのRX-8とかだ。

 将来、実車に乗る可能性は極めて低いけど、心の中ではロータリーエンジン搭載車が大好きだ。ロータリーエンジンの唯一無二の存在感、実用化に到るエンジニアの苦労話、、、、そういうのを含めて好きなのだ。効率的には有り得ないエンジンだが、軽さと馬力を見ると、、、二輪の2ストロークに相通ずる部分を感じる。

 ホントは次期愛車の陰の筆頭は現行RX-8の最安の5MTモデルだ。そんな気持ちを確かめる最後の砦が、ミニカーでのロータリーエンジン搭載車集めだったりする。

 因みに、チョロQも同じ系統を集めている。チョロQの場合は、ロータリーエンジン搭載車に加えて、各メーカーのレース仕様車、トヨタのTS010とか、日産のR390とか、、、そんなのも在る。

 アホですねぇ、、、、

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2009年6月25日 (木)

後付け心肺機能?

 アクセスが増えているからと言って、図に乗って記事を書く訳で無いけど、、、、

 誰が言ったか知らないけれど、筋肉の付き方、付いた筋肉の質、量をオッサン世代以降で変化させることは難しいけど、持久力は付くような気がするって話。

 前日の記事では無いが、持久力自体が筋肉次第故に、持久力が付くというのは、筋肉を付けるのと同様に簡単ではない。

 しかし、筋肉は種類、場所によって運動の種目によって向き不向きがあるが故に、如何に鍛えていても、鍛えた場所が使う場所と異なれば殆ど役に立たないもの。でも持久力、心肺機能っていうのは、体全体に血液を送る心臓を核としたシステムの能力であり、筋肉の種別に寄らず、運動経験者であれば、場所に関わらず鍛えられた筋肉に応じた心肺を有しているのは事実。
 仮に、自転車を例にとってみると、脚の筋肉が無くても、上体の筋肉が発達した別種目に取り組んできたオッサンが居たとする。
 すると、そのオッサンには心肺機能自体は高い状態である。ただ、瞬間的なパフォーマンスを発揮する筋肉は無いのは仕方ないのだが、それでも持久力の素地があれば、低い運動強度で筋肉を動かし続けることは可能なのだ。使う筋肉が違えば、当然、その世界の経験者には適わないが、それでも持久力なら良い勝負になる。そんなもんなのだ。
 逆に言えば、経験者のプライドの発揮できる領域とは、その世界でしか得られない瞬間的でも絶対的なパフォーマンスの領域なのだ。逆に言えば、その世界の経験者でも運動経験の絶対値が少なければ持久勝負になれば破れることは当然あり得るのである。

 運動経験の全くない文系、屋内系からきたオッサンには、筋肉もなく、持久力も無い。すると、瞬間的なパフォーマンスも発揮できないし、低いパフォーマンスであっても運動強度が高くなり長続きしないだけなのだ。

 運動していれば、とりあえず心肺機能の中心である心臓と末梢血管は発達している。それを使えるようには持久運動を続ければ簡単に得られるのである。

 こんな感想を持つのは、会社の同僚数名を連れて泳いだ経験から。皆、スイム未経験者。それゆえに、最初は50m程でバテバテになる。しかし、毎週連れて行くと、30分、1時間と続けて泳げるようになる。そんなもんなのだ。ただし、それに見合った筋肉、使い方が無いので絶対的な速度は話にならない。1時間で1000m程度のもの。それでも、1時間程度を続けて彼らなりに高い運動強度で泳げるのは、相応に運動した経験を持っているから。
 しかし、連れて行っても泳ぎつづける時間を長く出来ない奴も居る。そういう奴は、運動経験が皆無に近い。そんなもんなのだ。

 自転車でも然り。メジャースポーツ経験者ならば、絶対性能は大したことないが、その人なりの持続力は結構なレベルだろう。スポーツ経験の無い人は、どっちも今一となるのが道理なのだ。

 ただ、あんまり夢も希望も持てない事を書いても仕方ないので、一つに夢のある話を付け加えておく。
 人体の成長では、筋肉の発達と循環器系の発達は車の両輪のように発達する。それ故に、循環器系を発達させる最短の近道は成長期における運動経験+筋力強化は間違いないけれど、あくまでも相関であり、筋肉が無くとも必要以上に動かせれば循環器系は少なからず発達する。
 人間、加齢に従って筋肉が痩せ細る。そうして基礎代謝が減るっていうのは有名な話だが、それだから循環器系も宿命的に退化するか?というと、そういう訳でもない。痩せ細りながらも、存在する筋肉の稼働率を上げる事で循環器系の能力は確保出来るもの。つまり、瞬発力、最大出力は失っても、発生可能な負荷における持続力は保てるということ。後付けで循環器系能力を高めるのは難しいが、備わった持久力は、残った筋肉の稼働率次第で維持出来ると言う事。

 恐らくだが、有酸素運動系のスポーツが高齢者にも満足できる結果故に、オッサンに人気があるのは、そういう理由から。それ故に、ジョギングとかサイクリングというのは、最大負荷を求めない限りは長く楽しめるのも事実だ。言えるのは、ジョギングがランニングになったり、サイクリングがタイムトライアルやスプリントになるのが危険ということ。

 運動経験の無いオッサンが、無理してその気になる。知らぬ内に無理をする。これが一番恐いのである。そうして、怪我とか突然死に見舞われる。恐いものである。
 最近の記事は、剰りにも幻想を抱く人が多いから。そんな人へのアンチテーゼ的な意味での警告のつもりだ。

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多機能より単機能を複数!

 パソコンは便利だ。
 調べモノ、日記等記録の入力、、、、あれば直ぐ出来る。

 そんなパソコンの便利さを飛躍的に向上させたのが、最近流行りのネットブック、或いは、ネットトップである。これら小型のPCは携帯性を特に重視し、持ち運んで直ぐ使えるっていうのが便利さの象徴なのだ。

 そして、この機動性に注目して最新のi-phoneにしても携帯端末にしても、そういう方向に向かっている。機動性=可搬性=小型軽量化なのだ。このトレンドはパソコンに限らず、携帯電話、デジタルカメラ・・・・あらゆるジャンルに見える傾向だ。更には、集積度を競って、小型軽量超多機能というのが今のトレンドである。

 でも、自分は嫌いだ。こういうのは、、、、、

 何故ならば、超多機能で小型=マルチファンクションでオペレーションが固有動作に依存する。つまり、直感的なオペレーションが難しいということ。最初に使う前にマニュアルを一度は読む必要がありそうって事。面倒臭いのだ。

 理想は、単機能で直感動作が可能!これに尽きるのだ。小型軽量は程々に、扱いやすい、使いやすい大きさを確保するのが第一と考えるのである。理由は、モノの目的は運ぶ事に非ず、使う事に在るからだ。

 つまり、ホールド性の悪いデジカメは要らないし、キー入力がブラインドタッチで高速に行えないPC/PC系端末も不要、キーピッチが指のサイズに見合わないキーボードも不要、、、、、そんなもんなのだ。マルチファンクション程にむかつくのだ。

 勿論、そうすると可搬性は望めない、、、、

 で、今はどうか?っていうと、、、、例えば、デジタルカメラ。気に入ったのは単機能でそこそこサイズで単純操作。持ち運ぶのはノーサンキュー、、、、、で、同一機種を複数所有して、自分が活動する場所、拠点に適当に転がしている。持ち運ぶのはメモリーカード類のみってパターン。
 次にはパソコン。パソコンも持ち運んでって事はしない。自分の活動拠点に適当にパソコンを設置している。移動中に迄、操作する必要性は感じない。移動先で使う程度。そのためには、次の場所に向かう直前に遠隔起動掛けて、ついたら操作。終わればシャットダウンってパターンだ。これは職場でも然り。自分の席は複数箇所にあるけど、席毎にPCがセットしてある。自宅でも同じ。リビング然り、書斎然り、リビングソファー然り、、、、そんな感じだ。接続されていたらデータを取り出すのにハードを移動させる事自体不要なのだ。

 テレビ、デッキ、テレパソも同じ。複数台を連携させて、見ながら隣で操作。一台に全てを任すのは、その操作で作業が占有されるし、特化してない機器故に面倒臭い。しかし、特化させた機器で専門の操作を行うのは快適だし、他の用途と重複して使用が制限される事もない。

 用途に応じ、使う場所に応じ、必要数量を適当にばらまく。これが便利に感じる。

 この考え、実は自転車、バイクにも通ずる。一台で全てをこなすなんて考えれない。この考えの起点はバイク。速度レンジ毎、走り方毎、使い方毎に車種を分ける。快適この上ない。自転車もそうだ。走り方、使い方で全部分ける。これがベストだ。

 そんな考えで今度は、パソコンを寝室にセットする予定。寝ながらPC操作、、、結構、そういう場面は少なくない。ベッドに入ったままオペレーション、、、、怠け者だが、そういう必要性を感じる事がある。それようのPCをこれから組み立てる予定。

 P6Tの不安定記事に宣告したとおり、CUV4X-DのPentiumIIIでDUAL構成で作る。楽しみだ。OSとITブラウザ、メーラー程度でOK。本来、パソコンは何でも出来るという触れ込みだが、別に一台で何でも賄うって意味ではない。パソコンは何用、何目的で使えるということ。選んだ目的を複数抱えるのでなく、選んだ目的に特化させる。これが便利の秘訣だ。

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MT派にとって最期の選択可能な時期

 自動車ネタである。
 自動車のトレンド、売れ筋は?っていうと、一寸前は多人数乗車のミニバン、SUV、今は安価でエコな車、その代名詞がハイブリッドカー。

 車の進化の歴史は、効率重視、快適性重視、、、、誰にでも等しく体感できる高効率性、高い性能の普遍性である。

 これは、技術の進歩という宿命的側面からみると正論である。その結果、ハイブリッドカーが普及し、車運転の自動化が進んでいる。

 でも、俺的には、効率は、少ない燃料で遠く迄でなく、同じ燃料なら、何処までも高出力とか、高性能に!って思うし、効率的な運転は機械任せでなく、自分自身で!ってと思う。そして、車の効率の極致というと、無駄な制御の排除と絶対的な小型軽量化しかないと思う。自動で行うから制御系が必要、快適性を言うから、人手の介在を減らす。それ故に、制御系が更に複雑化するという今の考え方は一つの方法論としては認められるが、別の方法論や価値観を否定する必要は無いとも思うのである。

 別の価値観とは、兎に角、軽量に!必要最小限のパッケージで、、、、出来る事は各自が行うことで、製作に纏わるコストを含めて削減、省エネ、省資源というのもアリだと思うのである。
 更にホンネを言えば、少々の燃料消費よりも趣味性を持つ上では、楽しさを忘れてはならないという思いもある。それ故に、車ならロータリーエンジンも捨てたくないし、単車なら2ストロークエンジンも捨てたくないのである。

 まぁ、そんな不平を言っても仕方ないので、現実を見ると、兎に角、効率と快適性を人手無しで実現という方向に進んでいるのは事実。

 そんな現実において、自分の価値観で満足を得られるのは、今が最期かな?って思いが強い。
 2ストとかロータリーとかは置いておいて、3ペダルのマニュアルトランスミッションが殆ど選べないのが今の時代。

 今の愛車はエリオの4WDのMTだが、次の車に4ドアで3ペダルのMTって拘りを貫くと、、、、営業車両の他には、シビックのType R、RX-8くらいしか見当たらない。高級車は2ペダルのパドルシフトとかクラッチレスのシーケンシャルミッションとか、、、そういうのばかりである。将来、乗り手によって効率が大きく変化するであろう3ペダルのMTは消え去るのが、多分、自動車技術の流れなんだろう。

 そんな時代の流れにおいて、僅かではあるが、3ペダルのMTが買える最期の時代が今のように思う。
 本当は、3ペダルのMTのワゴンが欲しい。しかし、プロボックスのワゴンしか無いのが現実で、それ以外の要素では購入の決断が出来ない状況。リアハッチを持つMT車は?っていうと、日産のティーダとか、アクセラのMPSくらい、、、積載性はエリオと同等程度の車ばかりなのが現実。

 積載性が変わらないのなら、最期の選択の時期ということで、シビックのTypeR、RX-8が生産中止になる直前迄、他車の発表動向を見守りながら過ごそうか?と思っている。

 RX-8の次はRX-7だが、これは新型のロータリーで2ペダルのスポーツという噂だ。それは買えないが、RX-8なら買える。シビックも然りだ。この辺りが、現実に選べる最期の時かもしれない。それか、今のエリオを徹底的に乗るというのもMT派の最期のあがきかも知れない。

 手遅れかも知れないが、何年か前にクルーとかコンフォートのガソリンMT車が選べる時代に乗り換えていたらなぁ、、、、と今でも思う事が多い。

 今、ハイブリッドとかエコとか言われている時代。エコカー減税が販売の追い風になっている時代だが、エコカーで安くなるから!って理由で車は買わない。欲しいか?欲しくないか?だけだ。そこそこ積めて、そこそこ便利で、拘れる。昔のスカイライン的な車が望み。そう思うと、敢えてエコでなくパワー、敢えてコンフォートでなくストイックで選んでみたくなる。妥協の産物的に中庸を求めるよりも、今だから、最期だからという惜別の思いで、レーシーなスポーツセダンを買うのも悪くないように思う。

 ここ数日、RX-8のMT車に強く関心を持っている。シビックも悪くないけど、2ストロークに相通ずるロータリー、、、良いなぁ、、、、

 亡くなった連れのポリシー、、、、車はL型、単車はZ系って奴がいたが、対峙する自分は、車はロータリー、単車は2ストって譲らなかった。そして共通点は車はMT、単車は操縦性だった。それが俺らのポリシーだったが、それを自身で貫ける最期の時代が今なのかも知れない。

 世間的には大きな声では言えないが、、、、エコ?糞食らえである。欲しいのはパワーとかレスポンス!エコでは選ばない。走るか否か?それで選ぶ迄。でも、超残念なのは、RX-8から5MT車が廃盤になった事。ベースモデルがTypeGに呼称変更、そして6ATオンリーになったのである。2009/5の改良のタイミングだから先月廃止なんだ、、、、寂しいものだ。

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2009年6月24日 (水)

原付小僧♪イイねぇ。で、やっぱりMTが良いなぁ。

 先週の金曜日、例によって畑賀峠を通って泳ぐために急いでSCに向かっていた。
 偶然、前方を塞ぐ車両が居なかったので、エリオ号でしっかり踏んで峠を駆け上がった。高校下の横断歩道から踏みっぱなし、、、、そして、何時も以上に踏みっぱなし!?

 何時も以上に踏みっぱなしにした理由は、後方に原付がピタッと付いてきたから。譲ろうか?とも考えたけど、登り勾配では、仮に80ccにボアアップしていたとしてもエリオ号の方が遙かに速いと思ったから。先に行かせて後から煽るスタイルは気の毒だし、転かせるリスクを背負わせるかもって考えたからだ。

 さてさて、という訳で峠区間に入ると、気分はガンマを運転している気分でセコ、サードでしっかり踏んでヒール&トーは当然にキッチリ回転を併せながら駆け上がる。ラインは?っていうと、単車で攻める時のレコードラインに内輪側を揃えるライン取りである。平地区間ではそれ程離れなかったけど、神社前のS字、その前のコの字ヘアピンあたりから徐々に離れ、、、、その後は車間でいうとバックミラーでは確認出来ない状態となったのだが、そんな原付が峠に居る事自体がチョット嬉しかったりした。

 思い起こせば、高校時代、原付バイクで、ここ畑賀峠を上がったり下がったりしていたのを思い出すし、多分、今回のライダーもそんな感じである。因みに、出で立ちは?っていうとは、布ツナギ+フルフェイス、そしてバイクはNS-1+チャンバーという仕様である。正に、自分の高校時代を思い浮かべる感じである。チョット良い気分♪

 更には、こういう遊び?が出来るのもMT車故の事。この程度の峠なら1500ccで十分。勿論、ギャラリーコーナーの立ち上がりの登坂車線で抜く事は難しいけど、抜くのを目的とせず、自分のペースで自分なりに遊ぶのは、曲がった部分から立ち上がる瞬間迄。そんな場所では、1500ccでホント十分である。

 その後、SCで3000mを50分程で泳いだ後、帰宅する時も、、、やはり、前方クリア!ってことで、下り貴重の峠を心地よく駆け下りる。下りで好きなのは、やはり神社下のS字~コの字への区間。手前の下りから奥に行くほどタイトなコーナーの連続に変わる部分。ここは大好き。滑らせながら向きを変えるのが何とも言えない醍醐味である。勿論、速度は控えめだ!?

 こういう所を走って思うのは、やっぱり3ペダルのMTの楽しさだ。エンジンブレーキの強弱自体もコントロールして減速させながら重心の前後位置を支配下に置く。そうすることで、下り勾配でも前のめりに為ることなく自在に向きが変えれる。ATではブレーキでの減速故に、トラクションが連続的に掛けるのが難しい。パドルシフトに乗った事は無いけど、減速時のクラッチミートのタイミングでエンブレ自体の抑揚を付けるってのが想像出来ない。その辺が我流ながらも自分で支配下に置いている感を保ちながら操作出来るって言うのは、やはり3ペダルのMTならではの世界。単車ならクラッチ付きのバイクならではの世界。単車ではS字の立ち上がりでの全開加速では、リアブレーキを引きずりながらパワーリフトを抑えての加速だったり、減速時はリアブレーキで姿勢を制御しながらって芸当も普通の世界。車も前後輪のブレーキが独立制御だったら更に楽しいかも知れない。

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時間で得られる結果は皆一緒

 人間、誰しも同じである。自身の意見の根底には、それが有る。
 同じ取り組みを、同じ時期に、同じ期間取り組んだら、、、、結果には僅かな差異しかないだろう。それが、誰しも同じって根拠。これは、別に自転車に限った事でなく、水泳でも、学問でも、何でも言える事。
 そんな話は、動物の類型的な特徴が収束する話を何度かしているが、それにも通ずる事である。

 だから、どんなに自信を持っても、その収束範囲から飛び出した成果なんて有り得ないというのが俺の考えだ。

 そして、世の中での分野毎の差異は何か?っていうと、取り組み方が違う。時期が違う。期間が違う。と言う事に起因しているに過ぎないのだ。
 因みに、取り組み方っていうと、精通度、知識、それに割ける時間の配分による訳であり、ぶっちゃけた話、自転車で同じ時間帯に同じような格好で過ごす他人は、実は、似たようなライフサイクル故に、取り組み方やイデオロギーに殆ど差異は無いと言い切れるのである。

 だから、変な対向意識とか、僅か二三年で得た満足感なんて、言ってみれば屁のツッパリにもならないのだ。二三年で得た自信なんぞ、誰にでも二三年過ごせば勝手に身に付くモノ。それが現実であり、意識を対向したところで、違いなんか無いし、仮に、仲間内で上から目線で見下すような二三年の経験者が居たとしても、実は、殆ど同じな場合が多いのだ。

 これを言っちゃ、身も蓋もないかも知れないが、順位とかコンマ一秒に全てを掛ける世界の外では、その違いは誤差みたいなものなのだ。

 時間で得られる結果が同じっていう前提で、他人より深いモノを得ようとすれば、それに相応した時間の取り組みが必要であり、自負を持つならば、相応の年数の取り組みが必須なのだ。経験する年数が長く、経験した時期が早い程、得られる結果に差異が生まれる。ただ、同じ時期に同じ年数の経験を積んだもの同士では差異は無い。そういうものなのである。

 つまり、素人が一足飛びで経験者に並ぶ事は未来永劫有り得ない。

 しかし、どんな事柄、どんな分野でも、同じ年数や努力に応じて普遍的な結果が得られる段階と、その方法論次第で個性が生まれるものである。その個性が僅かな差になる。その差は大局的には小さなモノだが、優劣とは異なる違いとして存在するモノである。そして、その終局的には、年数と取り組みを如何に増やしても、その到達域はあるレベルに収束するものでもある。勿論、その収束域には、時期の違い、年数の違いの差はあるが、それ以上に、取り組み方の違い、才能の違いによる影響はあるけど、その違いが僅かな条件で逆転する範囲に収まるのも事実である。

 そういう状態っていうのが、各自なりに満足感が得られる状態ではないだろうか?

 逆に、そういう状況からほど遠い段階では、得られる結果は皆同じ。そして、結果は、年数と時期次第。そんなもんだろう。

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心肺機能=運動経験

 気温が25℃を境に体感上、暑い、涼しいが分かれる様に思う。この感覚が何を意味するか知らないが、間違い無く、涼しく感じる時は体温も低め、暑く感じる時は体温は高めになっているだろう。

 そんな時、数値的に何が変化するか?っていうと、、、、、心拍数だ。

 血圧数値自体は、毎朝の定刻測定を繰り返す限りでは殆ど不変である。しかし、同時に測定される心拍数の数値は結構変動している。

 そういえば、自転車に乗って目一杯で走っている時も、心拍数の上がり方が季節で大きく変わる。
 冬場では限界近く踏んでも190bpm止まり、、、、でも、夏場は?っていうと210bpm近辺迄上がる。因みに、冬場の起床時心拍数は38bpm、夏場だと48bpm、そして、日常生活における平常時心拍数は冬場で45bpm、夏場で53bpm程度、、、、で、MAXが前述の通り。

 同じ人間でも、季節によって、これ程変化するのである。

 この影響は、気温、即ち、体温である。アスリート志向の人のサイト(当サイトを含む)で心拍数が低いから、凄いぜ!って文面は多々見受けられるが、そこに気温の記述がある例は極めて少ない。

 考えようによっては、そこに謳われている心拍数なんて当てにならないということ。

 何故ならば、安静時心拍数の低さ、最高心拍数の高さは、気温次第で大きく変わるから。それ故に、心拍数数値を表に出すのは無意味かもしれない。

 心拍数が高いとか低いというのは、 心肺機能を表す血管抵抗の低さを一因とする状態値の一つであり、心拍数を下げる大きな要因である体温とか気温を併記しなければ無意味だし、血圧自体も、変化させる要因に末梢血管抵抗と心拍出量に比例するし、循環血液量、動脈の弾性も影響している。

 話は違うけど、心拍数はその場の緊張、前後の行動、運動直後からの経過時間で凄く激しい変動するモノ。例えば、心拍数で170bpm程度を保っていても一分もすれば100bpm以下に落ちる。変動が激しすぎて当てにならない。

 そういう事を考慮に入れて心肺機能を理解しようと思えば、心拍数なんて一言で一意的に言えるモノではない。

 心肺機能を高める!って人が最近のロードバイクブームには多く見受けられるが、そもそも心肺機能が高い状態を定義するのは簡単では無さそうだ。
 何を以て心肺機能が高いか?っていうと、結局は、心臓の能力のキャパシティから見て低い稼働率で高い出力を維持できる能力って事になる訳だ。
 但し、心臓の低い稼働率は、備わる筋肉の低い稼働率で高い出力を維持し続けるということであり、それは何を意味するかというと、稼働率的には低くても、稼働している筋肉と筋肉が要求する酸素量は、掛ける負荷に見合った絶対量が活動しているということ。

 つまり、心肺機能が高いというのは非常に多くの筋肉を持ち、全ての筋肉が活動する際に必要な酸素を供給する心臓、酸素を取り込む肺を持つということ。出力に応じた活動はするものの、個体から見て低い稼働率であれば在るほどに、その個体にとって負荷を維持する時間が長くなると言う事。単純にそれだけの話だ。

 つまり筋肉量が多いほど、肉体の素地的には筋肉量に応じた毛細血管が発達し、心臓の心拍出量が多くなる。それ故に、負荷が低ければ必要な酸素量が少ない結果として心拍数が低く保たれるのである。心拍数という面で言うならば、安静時であれ、活動時であれ心拍数が低いというのは、最大心拍数からの相対比率が低いという意味で無ければ心肺機能が高いとは言い切れないのだ。

 最大心拍数が高くても平常の心拍数が下がらないのは、心臓自体の心拍出量が少ないため。つまり日常行動で必要な酸素量から見て比率的に大量の酸素を更に送る余地が無いということで、心肺機能以前に出力が掛けれないということである。

 心肺機能を心拍数で説明しようとすれば、一定の条件の負荷における運動強度が如何に低いか?で見るべきなんだろう。
 人間の身体をシステムで考えた時に最も合理的かつ納得出来る説明を付けようとすれば、、、、筋肉細胞自体の活動が一定の出力を発揮するのに必要な酸素量は人に依らず殆ど一定と考えれる。何故ならば、同じ原理で動作する生体システムだからだ。
 その上で、最大心拍数が高く、安静時心拍数が低いっていうのはどういう事か?それは、安静時心拍数が低いっていうのは生体維持に必要な酸素量が少ない心拍数で送れるということ。つまり心拍出量が多いということ。そして、最大心拍数が高いというのは何か?っていうと、活動する筋肉が必要とする酸素絶対量が非常に大きいということ。つまり、筋肉が非常に沢山あるということなのだ。備わった筋肉に応じて酸素の供給能力が個体に備わるというのが適応の原則。
 そして、人間の身体の変化を見ると、成人以降、筋肉量が減るとされているが、同じように、成人以降、年齢に応じて最大心拍数も減るとされている。最大心拍数の減少は減少する筋肉量に適応している結果と言えるである。

 つまり、高い負荷を低い運動強度で継続させることが心肺機能であるならば、何はともあれ、相応の筋肉を保持するのが必須なのだ。

 全ての運動、スポーツにおいて、ウェイトトレーニングとランニングが基本練習にあるのは、そういう原則に従っての事であり、スポーツの種目を実践する時に、備わった能力を、どんな運動強度で発揮するか?だけの違いに過ぎないのである。その目的とする運動強度に従って適応させるのが種目別のトレーニングと言える。
 そして、個人の適性っていうのは、個体の個性である速筋、遅筋の比率によって運動強度的にどのレベルの運動が適しているか?を言い表しているのに過ぎない。更に余計な事かも知れないが、オッサンが速筋、遅筋を鍛えるってのもナンセンス。鍛えられた筋肉が速筋か、遅筋か?ってだけであり、それを運動に使うかどうかって事に過ぎない。

 どの分野でも一流のアスリートっていうのは、個体の個性が、個人の嗜好と一致して、その方向で鍛錬を積んで開花した人達の事を言うのだろう。生まれ持った筋肉の資質を如何に鍛えたか?それが選んだ種目に好都合か否か?そういうのが天性に繋がるんだろう。

 最近のホビーレーサーが自転車乗りは心肺機能が高い!って表現を使う事が多いが、自分としては、心肺機能が高いのは、前述のような負荷と相対強度の関係を保てるようなアスリート全般に当て嵌まるもの。それ故に、形は違っても別の種目で運動経験の在る人っていうのは、資質的、素地的に優れた心肺機能を持っていると言える。
 そういう人が自転車に接し、それを種目として取り組んだとすれば、それに応じた運動強度での運動をマスターし、相応の能力を発揮するのは当然と言えば当然なのだ。

 結論、、、心肺機能が高さとは、、、、種目に依らず、運動経験をなるべく若い時期から長くやって来た人達の特権であり、その時期と期間に比例するもの。

 仮に全く無関係なスポーツ、球技や格闘技であっても、それを若い頃から長く続けていれば、間違い無く心肺機能は高い。それを自転車で活用できるように変形させるのは、そんなに難しい事ではないだろう。しかし、帰宅部で運動経験の無い人が同じものを手に入れるのは、実質不可能だろう。

 この記事とは離れるが、結局、出力を司るのが筋肉だが、その筋肉に適応して生まれるのが心肺機能。結局は筋肉の肥大単位となる細胞を如何に成長期に身に付けるか?これが勝負なのだ。そして、一般に言われている持久力は成人以後にも獲得しやすいっていうのは、実は嘘。成人以降に獲得出来たと錯覚しているだけ。それは、本来持っている心肺能力を発揮させる運動強度のパターンに併せて適応させただけって考える方が自然。
 なお、高地トレーニング等の細胞あたりの酸素運搬能力の確保っていうのは、更に高度な適応のための行為であり、別次元の話。

 しかし、前記事の『パフォーマンスの考察』に引き続いて、こんな記事書いたら、いけないのかなぁ?なんて考えたりもする。でも、前記事の警鐘では膝壊すなよ!って事だが、この記事の警鐘はジョギング中の突然死なんて痛ましい事故を起こすなよ!って事が真意。一番は、各自が夢見ず身の程で楽しむって事が大事だと思うからだ。健康のために、怪我したり突然死したり、、、有り得ない。

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2009年6月23日 (火)

不安定?

 我が家で最新、最強のマシンであるP6Tであるが、残念な事に最も不安定。一日に最低一回の頻度でブルースクリーンか、ハングでフリーズする。理由は不明。ソフトはOS(Vista32bit版)+地デジキャプチャー関連+RamPhantom3+StandbyDiskと言う構成。ハード的には、12GBのメモリ、Palit Geforce 9600GT Sonic 1GBと言う構成。他には、BUFFALOの無線キーボードを採用している。ホントは64bitOSにしたいところだが、キャプチャー関連が32bitに限定されているから駄目なのだ。

 Vistaの問題レポートから不具合の原因はNVIDIAのドライバとかの報告されているということから、不安定の要因がビデオカード?って思い、ドライバは常に最新に更新しているが、どのバージョンのドライバで試しても、毎日一度はブルースクリーン、、、、最悪である。

 これでは、液晶テレビ、録画マシンとしての役割は任せれない。

 因みに、もしもソフトが?という思いから、RamPhantom3、StandbyDiskを抜いても変化無し。更には、Monster X-iを外しても効果なし。ピクセラの地デジカードだがこれを抜いて安定しても無意味なんで、、、、と思いながら、抜いてやっても効果無し。

 で、疑いの念はマザーが悪いのか?Vistaが悪いのか?というのが結論だが、純正ノートのNECのVersaPro、VJ16MXF1027は至って快調。ハング知らず、ブルースクリーン知らずなのだ。このノートは、USBマウス+カードバス接続の無線LAN子機を追加している程度だ。

 となると、、、、P6Tのフラストレーションの原因はVistaでなく、マザー本体、、、、

 そう思って、BIOSのアップグレードを頻繁にチェックしている。狙いは、、、、なんといっても安定性確保に纏わる更新があるか?である。
 マニア系のOC耐性がどうのこうのは眼中に無いのだ。

 で、最近行ったBIOS更新は、、、

1.Core i7のD0ステッピングへの対応アップデート
  P6T 0403 Bios
  Support new CPUs.

2.大容量メモリ+高速ビデオカードでの安定性?
  P6T 0507 BIOS
  Fixed Vista may loading slowly when populated memory size is larger than 3GB and with high-end VGAs

3. ACPI S3の安定性?
  P6T 0603 BIOS
  1. Support new Express Gate version
  2. Fix system may hang after resume from S3

ってところ。

1.は、噂のD0ステッピング対応に備えたためだ。
2.は、マシン構成がRAM12GB+Geforce9600GTが該当しているか?って危惧を感じだから。

 しかし、此処までやっても変化無し、、、、半ば諦め気味で、先のメッセージからビデオカードの交換を真剣に考えていたところ。

 ところが、3.のリリースを見て思った。これは関係しているかもしれない、、、、

 そういえば、我が家のP6Tは、リビング設置故に、 WLI-TX4-AG300Nって有線LAN端子接続の無線LAN子機にぶら下げている。そしてWOLで他のPCから起動を掛けているのだ。
 つまり、本機の起動のために、BIOSでACPIのサスペンドをS3オンリーにセットして、Power OnのフックをPCIデバイスからEnableとなるようにしている。つまり、この3.のBIOSでのS3レジュームからのハングに対して
修正が気になるところなのである。

 因みに、BIOSでのACPI S3っていうのは、SUSPEND TO RAMってことで、CPUオフ、メモリ保持、ハードディスクのオフからの復帰であり、これに問題があれば確かにハングの可能性も有り得る訳だ。
 思い返してみれば、、、、ハングする場合は、WOLで遠隔起動した時ばかり、ハング後にローカルで再起動した時にはエラーは思い返す限り、、、、、無い!、、、、

 で、藁にもすがる思い?で、3.のBIOSアップデートを行った。

 結果、現在、UPGから4日経過したけど、未だハング無し、ブルースクリーン無しである。これが原因だったのだろうか?
 詳細は不明だが、、、、、どうだろう?

 思えば、二歳になったばかりの息子の攻撃に耐えるために、リビングでメタルフェンスで囲んだラックにPC本体を入れている。それ故に、遠隔起動が必須な訳だが、息子の分別が付き始めたら遠隔起動させる必要は無いのである。
 遠隔起動のためにWOLを使う、それ故に、まともSuspend To RAMが必要。逆に言えば、遠隔起動しないのなら、何にも問題無いのかも知れない。

 未だ100%信頼している訳ではないが、安定して動くと、これ程快適なマシンも無い筈。

 話は変わるけど、関心がデジカメとか自転車に集中しており、取り敢えず、寝室用ネット閲覧マシンを作るための道具を準備したまま放置プレー状態。組むだけなんで、取り敢えず組まないと活けない。因みに、、、、ミドルタワーにサラピンのCUV4X-D、Coppermine1.0BGHz×2、SDRAM2GB、HDD80GB+DVDマルチという構成。LANは無線子機と言う構成だが、これを組んで使える様にしよう!

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怖いほどのアクセスだな

 ここ最近、アホみたいにアクセスが増えている。チョット怖いくらいだ。アクセス推移を眺めると、訪問者数で300~500、アクセス数で450~700って数。で、何処からお越し下さったか?っていうと、殆どが各ブラウザのブックマークからである。つまり、『お気に入り?』に登録された所から、程々に定期的にお越し下さる模様だ。突発的に、Niftyのトップページに紹介されたり、或いは、著名人のブログに貼られたり、某巨大掲示板に曝されて急増する事があるけど、最近の増加傾向はビックリである。

 ネタ的には、世間の自転車ブームに連動して自転車関連のページとか、ダイエットや健康ブームに連動してのページが多いのだが、興味深いのは、私的好奇心の追求活動である材料開発関連に関する戯言に関心をお持ちの方も少なくない様子。

 アクセスの増加に伴い、少ないながらもコメントを頂ける様になったのは有り難い話である。

 ただ、此処までアクセスが増加すると、発信する情報の質の吟味が必要か?とも思うし、強引な私的な論理の展開も度が過ぎるとキツイかな?とも思うのである。

 得に、自転車ネタに関しては、ブームを作るムーブメントが常識としているセオリーに挑戦的な内容が少なくないだけに、今のトレンドを盲目的に崇拝したりする方から見ると、強烈に挑発的に感じられるかも知れない。

 それにしても、これ程のアクセス増は、何が読者の吟線に触れるのだろうか?その辺が知りたいところだ。
 アクセス解析から見て取れるのは以外かも知れないが、、、、

・場合によっては不安定なP6T
・BS/CSとCATVの混合、増幅、分配
・ミドルツインの性能は?
・コンパクトクランク
・有名人のダイエット、トライアスロン挑戦
・心臓の鍛え方?
・ピストの乗り方?
・ロードバイクの走らせ方?
・DAHONの改造

 ってところが、定番的に多い。答える事の出来るのもあるし、そうでないのもある。ネットの情報は発信者に責任が有って無いような部分がある。それ故に、色んな情報に突き当たるけど、その取捨選択が難しい。調べる程にドツボに嵌る。そういう傾向もある。

 また、情報の真偽は、書き手の感じ方次第故に、その肯定、否定も一意的に言えない部分も多い。その辺が難しい。

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長寿の秘訣

 寿命を縮める要因っていうと、生活習慣病を発端とする各種疾病が挙げられる。それは、知識として知っている。

 全く関係ないけど、自転車や水泳で速く走りたい人の検索キーワードで『心肺機能強化』でお客さんが沢山訪れている。

 更に、全然関係ないけど、種の系統的に、小型の生物よりも大型の生物の方が寿命が長い話も知っている。具体的には、ネズミとかハムスターよりも、大型の象とかの方が長寿ってやつだ。

 そんな知識の断片で情報探しをしていたら面白い記事に辿り着いた。
 情報的には古いニュースをネタにした記事だが、これだ。

http://www.e-iml.com/index.php/?p=57

 これによると、高齢者の長寿は、内臓脂肪でなく心肺機能によってもたらされるって話。心肺機能を高める事が長寿の秘訣。でも、心肺機能を高めるっていうのは、これまた直接的に鍛える方法が思い付かない訳であり、これまた難しい話でもある。

 大体、運動強度云々で最大心拍数がどうしたこうしたって話が在るけれど、その最大心拍数を220-年齢で求める時点で荒っぽすぎ。

 そんな事を考えながら思った事は、長寿云々で言うところの心肺機能というものと、アスリートが望む心肺機能というのは似て非なるモノかな?って感想だ。

 長寿云々の調査対象の標本となった人が、アスリート的にいうところの心肺強化トレーニングをしていたという事に該当しないのが、先のニュースソースだ。追跡年数12年、年齢が64歳という時点で、トレーニングで強化した心肺機能とは訳が違うのである。

 アスリート的にいう心肺機能っていうのは、普通の人を高い心肺機能を持つ人に近付ける一種の適応現象に期待するトレーニングである。
 もっと考えれば、ハツカネズミはトレーニングしても象のような心拍には為らないし、仮に、ハツカネズミの心拍数が下がったとしても、下げるために高い負荷を与え続けていたとしたら、実は積算心拍数は高い状態であり、測定時において心拍数が低くても寿命の大部分を使い果たしているのでは?とも考えれるのだ。

 つまり、トレーニングによって数値的な心肺強化を図ったとしても、それは、その状態に到るまで酷使している訳であり、結果的には変わらないのかな?という考えである。

 その上で、心肺機能と寿命というのを逢わせて考えてみると、本来的に低燃費動作の出来る人程、臓器や器官の寿命に到る迄の時間が長いだけなのかな?と考えるのが自然なのである。

 何故に、そんな事を思うか?っていうと、車の寿命なんかが該当する。仮に20年オチの中古バイクでも、樹脂の劣化防止程度の始動で走行距離が僅かなモノと年式相応か過走行なモノを比べると、明らかに使用頻度の低いモノほど、今後の余生は長いからだ。
 そう考えると、氾濫する情報も、考えようによっては色々だなぁと改めて思うのである。

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2009年6月22日 (月)

アンダーパスに車止め整備

 金曜日朝刊で知った事。
 何やら、河川沿いの遊歩道のアンダーパス部分に車止めが春から整備されているそうだ。
 なんでも、通過する自転車の過速度抑止を目的にしているそうで、自転車ユーザーからは評判が悪いらしい。

 俺的には、アンダーパスに限らず、数百メートル感覚での車止めとか、かまぼこ状の速度抑止器具の設置は大賛成だし、高速移動する車両の速度抑止には、グレーチングを多用して細いタイヤ幅では走れない領域を付けるとか、、、そういうのが必要ではないか?と思うのである。

 少なくとも、速度を出したくなる自転車は(遊)歩道でなく車道を走るべきであり、その棲み分けを徹底して普通の利用者の利便性を確保する措置が必要ではないか?と思うのである。

 速度ガンガンの自転車の象徴というと、28C未満のタイヤが多く、そういうのが走れないのはグレーチングを反対向きに数十メートル間隔で敷き詰めるなんて有効な策と言える。

 勿論、遊歩道で高速自転車ばかりが悪いとも思えない。被害者意識、善人意識の強い歩行者の中には、日傘さして並んでふらついて歩く奴もいる。犬の散歩ではリードで歩道を幅員一杯で利用する奴もいる。集団ジョギングでは、前後方向、横方向に密集して幅員占有しているのも果たしてどうか?とも思える。
 ただ言えるのは、そういう利用者が殆どっていうのが社会という認識を持つべきであり、誰が悪いと主張しても意味無いモノ。殆ど全ての利用者に否があるのが実際だ。
 人の否を指摘するのは簡単だが、結局、否だらけであり、それを引っくるめて受け入れる甲斐性が必要なのだ。

 そんな中、起こりうる事故や被害の重傷度、確率を考えた時、突起物の多い競技用自転車が高速で無音で移動して衝突するのはリスク的に無視出来ないもの。確率が低くても、重傷度が高いのは事実であり、その当事者、被害者にとっては確率は100%となるわけで、その重傷者を無くすには、根本的な対策が必要である。
 それには、高速車両が走れない、高速移動が出来ないようにするというのは、至って当然の策であり、逆にそういう策が施されるのは、利用者が不満を言う前に、利用者の行為がそうさせたと自覚すべきなのだ。

 過去の自動二輪車のつづら折れの道への進入禁止規制はそうやって生まれたのである。自転車も同じ轍を踏んでいるように見えるのだ。

 何事も、今の状況は悪いのは周囲にあるのでなく、今の状況は己の過去の結果なのだ。それを理解すれば、アンダーパス設置への不満というのは、意識の矛先を規制する側に向けるのは、お門違いである。アンダーパス利用者の大多数の利用形態が、そういう規制に到ったのである。個人がそういう意識を持たなければ、規制は増える一方になるだけだろう。

 兎に角、速度差が大きく衝突すると大きな障害を与えかねないロードバイク、ピストバイクは歩道走行禁止が大前提だと言える。現状の歩道通行可のルールがある限り、利用するのは正しいし、自分も歩道を利用するけど、走行禁止で例外無しにすれば一番スマートだ。それが出来ないなら、そのようなバイクが歩道を走れないようなインフラを整備すべきなのだ。

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ロードバイクとかピストバイクとか、、、

 ロードバイク、ピストバイク、、、このような所謂競技用自転車がブームである。ブームということで、誰でも金を払えば量販店、ネットを含め、誰でも手軽に簡単に買えるモノとなっている。
 この競技用自転車は果たしてで誰にでも勧める事が出来る存在か?というと、個人的にはやはり違うと思うのである。

 別に偉そうな事を言うつもりは無いが、昔々に遡り、自分が自転車好きになった小中学生の頃に地元の自転車屋さんでカッコイイロードレーサーが欲しい!みたいなノリで話した事があるけど、その際の店主の回答を今でも覚えている。それは、、、、

『乗れる様になってから、乗ればよい!』

って言葉だ。この乗れる様にって意味は、バランスを取って乗車できるという意味でなく、ロードレーサーの意義を理解し、機能を使えるようになってからという意味だったのは言うまでもない。

 そんな言葉は、店主から見れば私だけでなく、普通のお客さんにも言われていた言葉であり、そういうのが当時の普通だったように思う。自転車に乗る車型に応じた資格は不要だが、技量や目的に応じて、今と同様に当時もラインナップが存在し、その経験に応じて乗る自転車をステップアップしたものである。そして、ラインナップの序列を見れば、エントリーモデルのシリーズにロードレーサーはラインナップされておらず、ランクが上級に以降するほどに、ファーストライディングモデル、ロードモデル、ピストモデルとラインナップされており、そういう価値観が標準だったのである。

 自分が今で言うプロショップに該当する自転車店で丁稚奉公的なアルバイトを始めて数年をショップで過ごしたけれど、業界的にも、顧客的にも、そして、活動的にも、そのような序列は厳然として存在していたのである。
 少なくとも、自転車でダイエットしたい!とか、通勤快速したい!とかの思い付きで、『オッ!この自転車はスピードが出そうだな!』って発想を持ってショップに行って、ショップがロードバイクは速くて快適だよ!ってノリで進めるパターンは当時的な感想から言えば有り得ないのである。

 ロード、ピストっていうのは、競技のための機材である。最近では更に細分化されてTTバイク等もある様だが、そのような車型、或いは、そのためのパーツ等々は全て機材なのだ。機材とは、自然科学的に優劣がハッキリして専門性の上で成り立つ競技を実践するための道具であり、その形には必然性があり、それは目的の為に必要なものであり、その目的のモノを使って解を求める行為においては、絶対にユーザーに負担を与えるものでは有り得ないのである。不平は不快、痛みを訴えるのは、因果に応じた使い方、選定を誤っているに過ぎないのである。

 機材というのは目的に特化する事。特化する事は汎用を捨てるという意味。汎用を捨てるということは、特化した用法のみにおいて効率と快適性を与えるもの。効率と快適性を自覚するには、当然、目的に応じた使用法と、それに見合ったフィジカルを整えるのが大原則なのであり、それが、昔の自転車屋のオヤジの言う経験だと言えるのだ。
 そのような自覚を抜いた状態で、素人に乗りやすいロードレーサーとかピストバイクとか、、、そういうのは、有り得ないというのが持論だ。

 今、健康のため、リハビリのためとかで自転車を買い求める人が居る。
 そんな人に何故だかロードレーサーを勧めるショップがある。これが超不思議なのだ。ユーザーの抱える状態、思いを素直に見つめれば、そのユーザーには何が良いか?を考えると、用法や用途が競技に特化した自転車が如何に当て嵌まらないか?っていうのは、一目瞭然の筈だが、それが最近は曖昧になっている。

 やはり、市街地メインの通勤では、それに見合った選択が快適だし、スポーツサイクル未経験者で自転車を実用を兼ねて利用するならば、それなりの選択がある。そのような選択を勧めるには、本来は売り手側が顧客の実際と理想をしっかり噛み砕いて勧めるモノを紹介するような姿勢が欲しいと思うのである。

 今の状態は、80年代のツーリングから通勤、通学がメインな用途でありながら、買い手の思い込みで、顧客任せに年々過激になるレーサーレプリカを売りまくり、その実体に顧客が気付いて一気に衰退したレプリカブームのような印象だ。

 果たして、買い手の生活においてロードバイクやピストバイクが理想か?というと、多くの人にとってはそうでない様に思う。
 ただ、単車と違い、単価が安いから、用途別、目的別に自転車を揃える事が出来れば、それぞれに楽しむ事が出来るから問題無いかも知れないが、それでも、競技機材に属するタイプに乗って、それ風に楽しむには、その機材の意義を理解する程度の準備が必要だと言える。

 どうすればロードバイクで速く走れる?とか、ピストバイクの乗り方は?って事をネットで調べるレベルでは、多分、専門性というモノを有する世界において上達を感じれる程の進歩は実現しないだろう。専門性っていうと、科目であり、科目であるには、そこにある論理を自分の言葉で表現出来る程度の理解力と発想力が必要であり、それはネット検索では得られないし、自分なりって言葉で殻に閉じこもる模倣屋の付き合い、友人関係の中でも得られないだろう。
 もっと辛口に言うならば、自分でロードバイクを速く走らせる事が思い付かなかったり、ピストバイクに乗るに必要な事が思い付かなかったりする段階で、30年前的に言えば、修行して出直せというのが正直な意見だ。

 機材には意義がある。意義には目的、目的には因果がある。その集合、集大成が確立された機材に凝縮している。凝縮した能力を理解しなければ、使う場面、使い方が判らない。そんなものだ。そこに漠然とあるのではなく、あるには理由があるのだ。
 それを理解するには、それが無い、汎用的なモノを目的に応じて使い尽くし、自分にとって最初に必要なモノは何か?を一つずつ加えていけば、その取り組みの最後が完成された機材として見えてくるのである。最初から在るモノとして機材を見るのとは次元が違うのである。

 これは、スポーツバイクで汎用的な小排気量からステップアップしなければ、高性能車量は扱いきれないという論理に通ずるモノであり、スポーツサイクルでも、経験に見合った汎用車から目的に応じて必要なモノを探すという結果で得た競技機材で無ければ、乗り手が使い切る事が出来ないと言う事に当て嵌まるのである。

 ブームに乗って興味を持ったらカッコイイモノに目が行くのは人の性だ。しかし、その性を読みとって、ユーザーの本質の側にたって見繕うショップこそが本当に良いショップだと思う。そういうショップ、昔ながらの自転車屋、頑固オヤジの居る店っていうのがホントに少なくなった様に思う。
 金さえ払えば、高級車OKっていうのは、確かに儲かるかも知れないが、なんか、違和感アリアリなのである。
 別に金を掛けたオーダー車がロードバイクの体裁を持っていなくても良いように思うのである。金を掛けたオーダー車がユーザーの体力に応じて、ユーザーの投資がユーザーに機能を全て提供するようなセットアップを行う事が愛では無いだろうか?俺的には、このバイクに乗る時はアウターは使わない様に!って指示をするのは、店の怠慢だと思うのである。

 カッコイイロードバイクを望むメタボジジイが居たとしても、その希望を叶えるには、そんなジジイに苦痛を与えず、現状のフィジカルで快適性を提供しつつ、満足度を与えるようなオンリーワンなバイクを真剣に考える。そんなショップが生まれてほしいと思うのである。

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2009年6月21日 (日)

バイク&スイムは少数派?

 昔々の体育会系時代だが、バイクとスイムはセットで行っていた。自分の場合、基本はスイムである。スイムは7歳から始めて、大学時代後半~社会人二年目の空白の5年を除いて、ずっと泳いでいる。人生の75%の年数をスイム基本の生活を行ってきた。それ故に、それなりの心肺機能も備わっていると自負しているし、その自負がベースにバイクを取り組んできた時の自信の礎になっていたのは事実だ。

 当時を振り返ると、、、、クラブのバイクのメンバーの殆ど全てが、競泳が可能なレベルの泳力と、オープンスイムに近い遠泳を普通に行える持久力を持っていたし、バイクのトレーニングメニューの中には、確実にスイムの項目があった覚えがある。

 そんな当時の感覚から言えば、ランドナーとかスポルティーフに加えてロードレーサーを機材として選んでいた仲間の100%がスイムを行うのは当然という認識を持っているし、今もそれは変わらない。

 そういえば、スイムとかランとかを競技者レベルのパフォーマンスを維持出来る時間っていうのは、実はそんなに長く無いのも現実だ。中には、希有な才能を持ちトップレベルのパフォーマンスを持つスイマー等は相応の期間を一線で戦い続ける事が可能だが、部活レベルのスイマーでは、一線の泳力を保つっていうのは実は結構困難なのだ。これは、身体一貫で勝負する競技全般に言える事だ。スイムに限らず、ランでも言える事だろう。

 当時のスイム仲間がその後、どのようにスポーツを選んでいったか?を考えると、多くがバイクを始めている。時代的に、トライアスロンが一般的に為った時代と符号するのだが、当時のアマチュアトライアスリートの中には、スイムやランで一線を退いた人が多く居たのも事実だ。中にはスイム、ランを辞めてバイクを余生的趣味として取り組んだ仲間も多くいる。そして、言えるのは、皆さん、バイクでは結構なパフォーマンスを発揮されていたのを鮮明に覚えている。それ故に、スイム、ランの次にロードバイクを競技として選んだ人も多いのだ。

 そんな事を考えながら、今人気のロードバイクの最高峰であるロード競技に名を馳せる選手の経歴を見て思ったのは、、、、結構な割合で、ロードバイク以前に、トライアスロンに取り組んでいたり、スイム上がりだったりというアスリートが多いのである。
 今なら、日本人で3人目、戦後では二人目となるツール・ド・フランスに出場が決まった新城幸也選手もトライアスロンの経歴を有し、多分、石垣島出身ということで魚みたいな少年だったんだろうと想像される。ロード趣味の人間なら知らない人の居ないであろう、ランス・アームストロング選手もトライアスロン上がりだ。

 それ程に、ロード競技に必要な要素が鍛えられるスポーツがスイム、ラン、トライアスロンであり、その出身者がアドバンテージを有しているのも現実の話である。

 その一方で、昨今のブームを起点に乗り始めた人が、ロードバイクでそれなりにパフォーマンスを期待?する人全体から見ると、ランとかスイムとか、、、そういう方向で必要な要素を磨こうと考える人が少ないのはチョット興味深い現象にも見える。

 一般に、自転車の性能っていうと、漕ぐ力×漕ぐ回数。漕ぐ力は筋肉量だから変えれない。漕ぐ力を一定で性能を上げるとなると単純に漕ぐ回数。漕ぐ回数とは、筋肉の収縮仕事の時間あたりの回数を増やすだけ、何処まで増やせるか?というと、供給できる酸素量に従う訳であり、供給できる酸素量とは、心拍数に比例して決まる訳であり、平生の低心拍ほど、供給酸素量の上限迄の余裕が確保出来ると言う事。つまり、心拍の上限を高く確保し、それに見合った酸素取り入れ能力があるほどエネルギーを取り出せる訳であり、その部分に対する関心が薄いというのが不可思議な印象だったりする。

 ただ、力×回数=筋肉量×心肺機能であり、これは相当に獲得が難しいのが現実。完成された成人の身体では、その身体を高度な持久運動に耐える事ができるような心肺機能を成長期以後に獲得するのは不可能と言って良いほどに困難だが、それでも、そういう方向に目線が行かないのは、やはり違和感を感じるところだ。

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6/14~6/20の週の検索ワードピックアップ

★掲示板スパム
 これで検索下さる方がいらっしゃる。記事に埋もれているから再度アップ

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2009/05/post-5d6a.html

 のページに自分の対策が記載してある。今、スパム被害はゼロだ。お奨めである。

★自転車で40km/h、45km/h
 こういう速度域を維持するのは結構難しいもの。追い風の助けが必要では無いだろうか?微風か無風で35km/hを越えて、40km/hの指示値近辺で走るのは相当にハードだろう。45km/hを数分単位でも維持しようと思えば追い風が必須である。
 50km/hって速度は分単位で維持する場合、心拍的には限界に近いもの。更に言えば、55km/hオーバーの世界は、相当な追い風+一瞬という世界であろう。それ以上は?っていうと、正直、下り坂くらいでしか経験した事が無いので判らない。
 ただ言えるのは速度アップとは出力アップである。出力アップというと時間あたりの駆動回数を増やすだけである。駆動回数を増やす程に、負荷による失速が防止できる。

 上手いペダリングが出来れば、回転数アップに力は不要。タイミングが重要だ。そうなると、回転数の上限は心拍数で決まる。心拍数が高まる余裕があるほどに、筋肉の収縮回数が稼げる訳だ。心拍数の上限は、実は体温(気温)の影響が相当に大きいのも事実。
 体温が高い程に心拍数が上げれる。恐らく、血管が収縮していないからである。40km/h程度の維持走行は夏場なら案外簡単かもしれない。

★心肺機能強化
 色んな説がある。でも負荷を持続しながら呼吸リズムを減らす事が全てだ。呼吸法の究極は横隔膜を最大限使った腹式呼吸。負荷を保ちながら大きく呼吸する運動を行う事。俺的な解答は、、、、ズバリ、ブレストストロークを極める事。最低でも1ストロークで3m、1ストローク1ブレスで長時間泳ぐ事。 これが効くだろう。これを意識すれば必然的に腹式呼吸法が身に付く。他にも鍛える方法は在るだろうけど、循環器系に自信が持てる自分の生い立ちを振り返ると、これが一番だ。
 但し、心肺機能が高い状態をどんな状態が当て嵌まるか?これは判らない。何故ならば、基準値が不明瞭だから。

★小径車は速いか?
 速いか遅いか、、、厳密に言うと判らない。言えるのは、小径車とフルサイズは違うということ。違いを良いと取れば好きになる。悪いと感じれば嫌いになる。そんなモンだろう。
 小径車の特性はホイールが小さい。それに起因する違い、操縦性、安定性、硬さが違う。違っても優劣には結びつかない。優劣は感じ方次第だろう。
 それでは、答えにならないので、体感可能な範囲で実質的にどうか?っていうと、ポジションとロールアウトが揃えて在れば、、、、、殆ど一緒と考えて差し支えないだろう。
 我が家には何種類かの自転車、アルミ、クロモリ、サス無し、固定~多段と沢山あるけど、ノリ味こそ違っても、性能は皆同じ。
 どこの小径車が良いかはAs you likeの世界。個人的には安価でパーツが豊富なDAHON系がお奨め。

★トイデジ、旧デジ
 表題のカメラは安物が多い。それ故に機能はシンプル。更に、低画素、遅い、、、、良いところは無いのか?って程。でも、そんなシンプルな機能に惹かれるのが自分。単焦点、固定焦点って所が良い。特に固定焦点、つまりパンフォーカスっていうのは使いやすい。何と言っても、押すだけでOKだ。暗闇、室内で撮影するとき、ピントが併せようのない所でも押すだけでOK。他には、低画素の割りに大きめの筐体である場合が多く、更には、レンズのF値も小さく明るい場合が多い。つまり、室内ではストロボレスで撮影出来て十分な写り。これが良い。更に更に、構造がシンプルなせいか、単三電池で何時入れたか判らなくなるほどに電池が長持ち。電池の入手性も抜群。最高だ。

★レ・マイヨWのフロントW化
 自分のやっている方法は面倒臭すぎる。一番簡単なのは、折り畳みレバーは半分カットする。そうすると、普通に縦パイプにメカが付けれる。案外お奨め。カットしたレバーを引くのに力がいるけど問題無いだろう。レバー戻り防止のロックが使えなくなるけど、ロックが無いからレバーが走行中に解除されるという事は無い。ただ、インターロックを一つ除外するのを自覚して行うべき改造。
 でも、そうすれば簡単にW化できる。良く走りまっせ~っ!

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2009年6月20日 (土)

パフォーマンスの考察

 近いところに居る自転車好きが出入りの店で脚の筋肉について話をしたら、それは必要ない?という話だったんだそうだ。

 自転車=脚細くなる=筋肉は不要

これが、論理なんだそうだ。これ、或る意味で正しいのだ。自転車に乗る、負荷を掛けずに乗る、有酸素運動さ!だから脂肪は燃焼する。皮下脂肪は減る。負荷を掛けない。それ故に、筋肉は過剰に付かない。これは、真実なのだ。

しかし、自転車で高速に移動する。高速に長時間移動する。って場合は、全く別物である。高速とは、時間あたりの移動距離が大きい事。つまり出力が大きい事である。出力とはトルク×回転数の事。至って当たり前だ。トルクとは踏む力、大きな踏む力とは大きなロールアウトを踏むための力。それを高回転、、、、ならば、同じ回転数なら大きな力が出る程、遠くに進める。速く進める。また、同じ力なら、、、、より高い回転数の方が遠くに進める。

 これは自転車に限らず、エンジンとか、効率云々の講釈を垂れる全ての事に言えるもの。

 大きな力を生むには、如何に身体の筋肉を多く使えるか、同じように多くの部分を使えるなら、各部がどれだけ強大か?次第である。これまた当然の事だ。
 事実、スプリントの極致である競輪選手の圧倒的な筋肉は極端な例だが、本場のクラッシックレースに出場している選手の筋肉は、中継映像、特にバイクカメラ等で真後ろから撮った映像を見ると、脂肪の少なさと、四肢の長さから細く見えるかもしれないが、間近に見ると、その太さは圧倒的なモノである。事実、本職さんや本場のロードレーサーの多くはオフシーズンに筋トレは必須なのだ。
 更に言えば、国内のホビーレーサーを含む多くのサイクリストで一線の結果を出している人の多くは、自転車競技以前に他のスポーツを行ってきているのが経歴上殆どを締めている。陸上、水泳を筆頭に、、、、である。これらのスポーツの運動部経験者、体育会系部活経験者なら皆知っている。そう、殆どの部活では、多くの時間を基礎体力強化、マラソン、筋トレに割いているのだ。それがフィジカルなポテンシャルに結びついているのである。
 自分はそれを素地と呼んでいる。素地が在る程に、機材の能力をより高く引き出せるのである。

 同じ回転数なら、力が強い程に速い。これは真実。力の無いモノが同じ出力を得るには、回転数が必要。回転数アップには実は力は不要。必要なのは、単位時間に筋肉を如何に繰り返し収縮させるか?つまり、、、、、純粋に心肺機能次第なのだ。勿論、前提として回転数を変動させてロスを生んだり、余分な力を掛けずに漕げるペダリング技術が同じ前提での話だ。
 心肺機能の高さとは、如何に大量の酸素を送れるか?つまり、運動強度的に低い共同で高い出力が出せる人程、回転数の上限は高いということ。最高心拍数に対して、低心拍で高出力が実現できる事が重要で、心臓が高回転で動くには、心臓の吐出圧力に対して、配管抵抗が低い程有利なのだ。配管抵抗が低いというのは、血管が太いということ。血管が太くなるのは、末端の毛細血管が発達している事なのだ。
 人間の身体の成長過程に於いて、毛細血管の発達に並行して、それが合流する血管の太さが決まって身体が完成するのだ。これは何時完成するか?っていうと、実は成人迄の話なのだ。
 毛細血管の発達とは、その分岐数だ。毛細血管の分岐が多いっていうのは、具体的には筋肉の組織細胞の数に比例する。細胞数の増加は、身体の成長期の運動次第で決まるもの。そんなもんなのだ。
 勿論、心肺機能はそれだけでない。肺活量等々もあるけど、肺活量の大きさも極論すれば腹腔の大きな動きが出来るか?次第である。つまり、大きな呼吸をトレーニングすることで成長期の身体の完成の仕方が決まるのだ。言ってみれば、呼吸法のトレーニングを、行うべき時期にやったか否かで決まるのだ。

 身体の素地は成人期には完成される。その素地の段階で、如何に沢山の筋肉細胞を作り出して、その筋肉を用いた持久運動を行ってきたか?これが全てである。その素地に加えて、様々な技法や知識を加えたモノがパフォーマンスに繋がるのである。

 それ故に、仮にバイク関連での相談者が居た場合、成人未満と話をする場合は、兎に角、フィジカルの素地を高める事が大事という話し方になるし、オッサンと話をする場合は、素地を鍛えるなんて非効率的故に、フィジカルのリソースを最大限に使える技法や知識に力点を置いた話をする。そんなもんなのだ。

 因みに、各自の持つフィジカルのリソースの違いを以て、スプリンター、クライマーと呼ばれる選手に分類されているようだが、それも、各自の身体がどのように作られたか?に起因しているのに過ぎないのだ。

 今年、ツールに出場する新城選手が大きな話題を呼んでいるが、生まれたところが石垣島、沖縄である。ハンドボール選手上がりである。という事で、泳ぎまくりながら、ハンドボールの部活のトレーニングをこなしてきた素地が、彼のパフォーマンスを生んでいるのだ。
 大体、あの風貌で、実は170cmの身長で67kgもの体重を有しているのだ。体脂肪率は5%程度だろうから、それから言うと、骨格筋率は38~40%はある筈。冷静に考えると、圧倒的に頑強な筋肉の鎧を身につけているのだ。それを瞬発系の運動経験と環境的な心肺トレーニング経験でロードバイクで他を圧倒しているのだろう。

 今、内外で活躍しているプロライダーの多くがトライアスロン等の競技経験者というのが上記の事実を冷静に物語っている。トライアスリートの殆どが、陸上とかスイムの出身者なのだ。
 それ程に、バイクパフォーマンスの差違は素地の違いに影響されるのだ。

 良い素材に、その世界の優秀な指導者が適切な論理と戦略を注入する。それが究極のパフォーマンスになるんだろう。

 関係無い話だが、素地が無い、知識を入れない、我流にはしる、、、、結果は出ない。なると、、、、機材のスペックに奔る。これは或る意味、人の性を示したモノ。何故ならば、一番楽な方法に行くからだ。それも自然の摂理である。
 で、必要なのは、第一に素地、第二に知識と技量(使い方、セッティングの仕方)、第三が機材の能力なのだ。良いメカニック、自転車改造マニアとは、素地や技量に応じたセットアップが出来るかどうか?である。

 オッサンやオタクは、第一、第二、第三がひっくり返って、機材グレードやブランドに拘り、ブランドなりのスペックの使い方に固執して、、、、無謀な実践でトレーニングをしたつもりになる。
 それが、、、、致命的な怪我や故障に繋がる場合が少なくないのだ。

 そう、恐いのは、、、、『本末転倒』なのだ。

 でも、業界的には禁句かもしれない。何故ならば、それを言うと商売にならないから。さらに、夢見てガンバルサイクリストも認めたくないだろう。手遅れ世代で素地!って言われたら、夢が見れない事を認める事になるから。難しいところだ。

 でも、趣味として幻想を抱かなければ、、、、ずっと付き合えるもの。付き合い方は、己のリソースに合わせて楽しむという方法。そうすれば、他人との張り合いや、憧れへの盲目的な追認は無くなる。身の程で楽しむ。これが重要なのだ。そのためには、一歩引いた余裕が必要だ。子供が仮面ライダーになりたいような考え方は捨てるべきだ。そんなモンだろう。

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臓器移植法案

 表題の臓器移植法案のA案が衆議院で可決されたそうだ。
 脳死は人の死と定義する。これが意味するモノは何か?

 それを議論するには剰りにも短すぎる時間で採決されたようだ。総意として賛成意見、反対意見を多数決で決めるのは悪くないが、議論が尽くされたとは言い難い印象である。

 今回の採決では、移植を待つ患者さんから見ると、非常に有意義な結果だが、視点を変えると見方も変わる。

 脳死前提で積極的な医療が無意識に放棄される危惧、虐待、DVの結果か否かの判定はどうするか?とか、モラル的に脳死状態の患者の組織を資源的に見ないか?とか、、、、色々である。

 どの意見も一理ある。

 ただ、全く個人的な印象だが、臓器移植っていうのは、個人的には生命の尊厳から考えると、其処までの医療行為は神への冒涜というか、自然界のルールへの挑戦のように感じるのが正直な感想なのだ。

 不妊治療、移植、遺伝子操作、、、、このような行為は果たして行うべきか?という部分で心の奥底で違和感が拭いきれないのが素直な意見なのだ。それは、末端的には薬漬けで得る健康、サプリ依存生活への抵抗感に相通ずる感覚なのだ。

 何が正しくて、何が間違っているかの価値観で、果たして、長生き、長寿、、、、それは万人にとっての常識かという判断に違和感を持つのである。
 身体に障害を抱える方に対してどう思うか?というと、身勝手な意見だが、それは個性の一種という捉え方を持つのである。人によっては、それを不幸とか、可哀相とかの感想を持つ人もいるが、それは自分が幸せという価値観に基づいての判断であり、そこには優劣思想が入っているように感じる。
 思うに、個性とは違いであり、その違いの顕著な例がそういう事例かもしれないが、それは可哀相というものでなく、違いに過ぎないという認識なのだ。

 疾病、怪我、先天的な何か、、、、それは、やはり違いであり、違いは違いという認識を持つのである。生きる事と生かされる事、これはやはり同じとは捉えられないのである。

 勿論、そのような意見が当事者とか近親者に該当する人が居て同じように言えるか?と言われると、それまた自信は無いが、少なくとも、そのように立場が違えば様々な価値観と意見があるのは事実であり、その価値観が集約していない現状では、採決を行う事自体が時期尚早の感を受けるのである。

 人によっては、生まれながらにして障害を抱え、長生き出来ない例も少なくない。ただ、その事実をどう受け止めるか?それは、考え方次第だし、本人にしても何を考えているか?意識の深層はたとえ家族でも判らない。そう思うのである。可哀想と言うよりも、違いの一つとして考えたいというのが自分の理想論なのだ。そういう個性であり、人格を含めて100%対等であるという考えを持ちたいというのが、理想論と言われるかも知れない考えの根底にあるのだ。

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誰のため?

 過去において、非常に特殊な硬質材料の開発に携わってきた。
 その目的は?っていうと、耐食性、耐摩耗性を両立する摺動材料を得るためである。その摺動材料の開発を終えて、耐食性、耐摩耗性を持つ材料の開発は一段落した。

 その後、この摺動部品の用途、使用環境が変化して、これに加えて気中運転、無潤滑摺動運転への耐性が求められるようになってきた。

 但し、この摺動部品は部品であるから使用が想定される機械が存在するのだが、そのターゲットとなる機械自体の担い手が変化しているのが頭が痛いところ。

 本来、耐食耐摩耗用の機械への想定部品だったのだが、その想定していた機械における使用は行われず、細々と行われてきた基礎研究に対し真摯に採用を検討してくれた組織というのは、残念ながら当初耐食耐摩耗用で考えていた機械を担う組織とは別の組織なのである。

 本来、摺動というモノ、組み合わせが重要なのだ。一方だけを開発しても、本当はダメなのである。
 そういう意味で、最も初期に行った開発作業というのは、一方の材料開発に留まり、相手材は従来品を使ったというのが、不味かったのである。

 不味かったっていうのは、耐食耐摩耗用途で開発した材料が、想定外の無潤滑環境に曝されて一気に壊れるという事態である。
 この想定外における破壊形態の制御等のフェイルセーフ、危険予知等が不十分故に手痛い代償を払う事となったのだ。手痛い代償とは、開発業務の中断と言う事である。

 この業務の正式中断の後の開発というと、殆ど自費的に趣味的に行ってきたのだが、その辺りの雰囲気は規模と内容こそ違えど、マツダならロードスターの開発、RX-8の開発が有志で行われた結果という雰囲気に近いモノである。

 その自費開発に経費でなくモチベーションを与えてくれたのが、この材料の将来を期待してくれた?であろう別の組織の技術本部、開発本部なのだ。勿論、その組織にも利害を呼んで利用したいという目論見は有っただろう。その目論見が組織外の別の人間を利用しようと判断した背景には、摺動に関する難しさで、彼らなりに壁にぶつかっていたというのは他ならないのである。
 そして、その壁というのが、摺動の世界ではナンセンスな無潤滑摺動、気中摺動、先行待機運転という非常に厳しい使用環境に耐えうる性質の保持という部分なのだ。

 その後、耐食耐摩耗性硬質材料の開発の後に、この材料の特性を最大限利用し、システムとして無潤滑摺動、気中運転、先行待機運転に耐えて、万が一の破壊においても部品が形状を原理的に失わない構造を発案し、その第一弾を自分の所属する組織外のモチベーションを与え続けてくれた組織の製品に展開したのだ。

 この摺動部品は、耐食性、耐摩耗性は勿論の事、無潤滑摺動、気中運転、先行待機運転の全ての状況において従来製品では為しえなかったレベルの性能を提供しているのだが、ジレンマとして、開発の発端である退職耐摩耗性の硬質材料、所謂、自主開発セラミックスを用いる上で逃れる事の無い欠点も持っているのだ。

 その欠点を何点か上げると、、、、、最大の欠点は、スケールアップが極めて難しい事。他には、摺動システムの論理であるトライボロジーの理想条件からは絶対的に異なる構造となっていること。他にも、数点の問題が存在する。
 勿論、その欠点を今販売代理店を通じて販売している状況では、こんなブログで明かす事は出来ないが、開発者故に理解する致命的な欠点が確かに存在する。
 勿論、この用途に提案されている他者の手法にも同等以上の大きな欠点が存在するのは言うまでもない。それは事実なのだ。

 それでも、実際に開発したシステムが非常に大きなエンドユーザーに納品されて、社会的に大きな話題を提供する案件を抑止するための機械に組み込まれて実際に稼働しており、他者システムを制して後発ながら採用されているのは、技術的に現段階でも絶対的なアドバンテージを有しているからでもある。

 それを踏まえて、これから先の事を数年前には予測していたのも事実であり、今の最新のプロトでは、既存の特殊セラミックスを用いた方法とは全く異なる手法で、今抱えている欠点の殆ど全てを克服したニューシステムの開発に漕ぎ着けたのである。
 そのシステムは実際に普及させてこそ価値があるのだが、このシステムの権利を如何にして、どういう理念に従って世に出すか?これが悩みの種である。

 但し、この新しいシステムは従来のシステムのメリットを全て無価値にする程の性能であり、これをどうするか?が問題なのである。
 所属しながらも公式的には開発を断念した組織の製品にアプライさせるか、或いは、個人的なモチベーションの供給元として自分の発案を実際に世に出してくれた組織の製品にアプライするか?はたまた、ニューシステムの権利、製造を何処に任せるか、或いは自分で保つか?その辺が悩みの種だ。

 可能性的には、、、、一段階前の製品でも実際に世の中に出す事に注力してくれた組織を普及の起点にしたいと考えている。言いにくいが、仮に所属していたとしても、それを断念した組織には、やはり使わせる気持ちは毛頭無いというのがホンネだったりする。

 話は変わるけど、このニューシステムと組み合わせる第2段階の部品開発における知見や知識が複合材料関連のモノであり、この辺が自転車がらみの戯れ言の根拠だったりするのである。

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2009年6月19日 (金)

悪くないね!新型ストリーム

 新型ストリーム、登場だそうだ。
 まぁ、マイナーチェンジ故にモデルサイクル後半なんだろうけど、何て言うか、追加されたグレードRSTが、ここ最近に登場した車ではベストに近い印象。

 何が?っていうと、5ナンバー、立体駐車場OKを守りながら、二列シートでその他がラゲッジという構成。三列シート車では、自分では絶対に使わないシートが存在している限り、絶対的にシート分のラゲッジ圧迫というのが気になっており買う気に繋がらなかったけど、それが無いのが最高だ。

 元々、三列シートでキャビンフォワードなボディ、全長は丁度良い4570mmという構成で、そこから三列目のシートを取っ払う。このラゲッジ空間は魅力である。因みに、全幅、全高、全長を見ると、エリオ+300mmがストリームRST、2列シートっていうことは単純にエリオのラゲッジ+300mmがストリームのラゲッジ。エリオのラゲッジ長が800mmチョイだから1100mm近い訳だ。これは、5ナンバーワゴンクラスで最大級である。

 ホンダ車でいうと、エアウェイブも凄く気になる車だが、実際の広さ、動力性能を加味すると、ストリームの二列シート車である新グレードRSTモデルが一歩リードと思っちゃう。
 このグレード、走り系らしく、内外装の装備、シート、トリム、エアロ等々含めて若々しい。
 欲言えば、此処までスポーティにするならばMTを設定して欲しい程、、、、これがMTなら即買い間違い無しなんだが、、、、、ただ、MTで無くとも全体的に良い。5ナンバーサイズのワゴンとして捉えれば、気になる国産車で最高位にランクされる。

 レガシーが肥大化して上級移行した今、狙える車が限りなく減ってきた。

 エアウエィブ、ストリームRST、プロボックスワゴン、、、、、個人的にはプロボックスだが家族の反対から非現実的。エアウエィブ、ストリーム、これが現在のベターな選択。ベストはMTだが、、、、
 MTに拘って他を割り切るという選択もあるが、その場合は、RX-8、シビックTypeRが筆頭。ただ、この辺りはラゲッジ無さ過ぎというのがネック。さすがに車は二台所有は置き場所的に難しい。

 時代的にユーティリティ優先の車にMTは期待できなのかもしれない。妥協すべきかもしれない。

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10年経つと、壊れます。

 家が新築から10年経過した。
 結構くたびれてきた。

 そんな中、風呂場の換気扇が動かなくなった。突然に、、、、本体を確認すると、使用想定年数は10年との表記、、、、そういう時期なのだ。
 最初は、タイマースイッチの回し応えが変わったので、スイッチか?と思い、電気のスイッチとタイマーをホームセンターで購入し、既存のスイッチを取り外して交換したのだが、それでも治らない。
 ホントは最初に行うべきだったけど、スイッチの交換後に通電を確認したのだが、異常無しである。

 やはり換気扇のモーターが御臨終なんだろう。

 そして、換気扇を新たに調達した。今度の換気扇も見た目は従来品と殆ど同じ。機能も殆ど同じ。何も変わらない。取り敢えず無事に交換出来たので良かったものだ。

 次は何が壊れるか?ドキドキである。

 我が家の家電、住宅設備の故障を遡ると、、、稼働6年で壊れたのがVHSデッキ、次がテレビで10年、そして今回の換気扇。予感としては、エアコン、冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機辺りが怪しそう。エアコンについては二年前に思いっ切りクリーニングしたから少しはマシか?とも思うけどどうなることやら、、、、
 交換可能なモノは買えば問題無い。しかし、住宅設備関連は壊れると困るし、その修理交換も個人で手に負えない場合も出てくる可能性がある。スイッチとかファンとかの交換レベルは難易度低いけど、給湯器関連、自動お湯はり機とか食器洗い乾燥機辺りは任した方が良さそうな類だ。

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ポタリングコース

 平日、出勤日の昼休み、、、今は休憩時間が1時間もある。食事を除外しても40分は休めるのである。
 この時間を利用して多くの従業員が自分なりの健康管理を目的にウォーキング等を行っている。
 そんな中、自転車でうろついているのは自分だけなんだが、そのコースを思案中だ。自転車で走るとなると往復コースよりは周回コースが良い。信号は少ない方が良い。路面は当然綺麗な方が良い、、、、

 勤務先の休憩時間は、当初が45分、それが時短により50分、55分、60分と延長されてきた。確かに、昼休みが45分から60分に変わると、食事時間を除外して考えると、、、実質休憩が25分から40分に延びる。これは大きいのだ。

 本社勤務の際は、隠れ家でベンチプレスを行ったり、同期と馬鹿話したりして時間を潰していたが、今は12km程度を30分で走るのを目安にコース選定中なのだ。毎日、チョットずつ走るコースを変えて具合を感じている最中。
 どんなコースに落ち着くか?結構気になるところ。

 週末TTでは、太田川の白島地区より上流の川土手の周回だから、平日も太田川の川土手の周回にするのも悪くないなぁと考え中。猿候川あたりで川土手を周回するコースを基本に選べば1周回が12km程度のコース取りが出来そうだ。

 ただ、勤務時間の合間の昼休みの走行故に、万が一の状況ではショートカットして帰れるルートも確保しておきたいところ。河川周回では橋が無いとどうにも為らないのがリスキーと言えばリスキーだ。その辺が悩みどころ。

 そんな思いを馳せながら、木曜日は猿候川の周回をトライしてみた。北は駅前大橋、南は仁保橋を渡り、西岸走行では比治山に接近し段原再開発地区の綺麗な舗装路を回遊して猿候川沿いを南下、信号無しなんで速度的には追い風条件もあって38km/h程度、、、仁保橋を渡り北上する時は車道走行でやはり35km/hオーバー、途中、茂陰トンネルをくぐり、このトンネル内で50km/hオーバー、その後府中界隈でクールダウンして東岸北上で戻るパターン。

 結構な距離だが、所要時間は30分も掛からない。20~22分程度、、、、風向きでも往路復路だから一方は必ず追い風になるので概ねこの程度だろう。
 このコースをベースに検討を重ね、マイポタリングコースを作ってみよう。走るならやっぱり周回コースがイイ。往復で同じ路面を通過するのは今一だ。

 考えてみれば、随分と距離が長くなってきた。ボードウォークで始めた時は往復で5km程度のものだったから、倍以上の走行距離だ。

 ところで、DAHONのSPEED改、スピママ号だが、結構良く走ります。楽しいですねぇ、、、、こういう使い方では、やっぱりステルビオはNGだろうなぁ。頑丈なタイヤのマラソンスリックの方が好都合。リム打ちでパンクは洒落にならない。

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ベンチプレス台、第二次改造完了!?

 我が家ではダンベルプレス以外にもベンチプレス台によってベンチプレスを行っている。
 理想はフリーウエイトだが、フリーウエイトの場合、重さと長さで邪魔くさいので場所を取らない方法で行っている。

 運動の基本はどうか?っていうと、基本はスロートレーニング、保持系トレーニングである。スローとか保持を行う上で必要なのは、その状態で負荷が掛かる事である。
 ということで、速度、加速度で負荷が変化するのはNGなのだ。つまり、ストロークが前提で、ストローク過程におけれ流体移動に伴う粘性抵抗が負荷となるダンパー式では運動出来ないということ。

 ということは、以前も話したとおりだが、我が家ではダンパー式のフィットネス機器は現在使用していない。
 では、何?っていうと、ラバーテンション式である。但し、ラバーテンション式は実は剰りにも弱いのである。ある意味、女性用かも知れないほど、、、、

 ラバーテンション式の特徴は、グリップ(力点)と支点が存在し、そのバーの途中に負荷を生むラバーが取り付けてある事が多い。つまり、支点を軸に力点を動かす事で、途中のラバーの変位が負荷を与えると言う構造であり、その負荷自体は実はレバリッジタイプと同じもので、テコの原理で負荷を変える事ができるのである。

 我が家のベンチ台は、テンションラバーの取り付け位置は、支点と力点の丁度中間部位であり、ラバーテンションの半分の力でラバーを伸ばす事が出来る構造だ。
 そして、負荷はラバープレートの枚数によって調整するものだが、酷使によってラバーが劣化して破れつつある状況。
 そこで、ラバーの自然長と同じになるように、引きバネをUボルトを購入して、ラバーと追加して用いている。これによって、ラバーテンションというよりもスプリングテンションという構造で負荷を作るように為っている。
 この状態でも負荷が不足気味であり、現在は、力点となるべくグリップの位置をラバーの取り付け位置に近付けるべく、金属パイプをパイプ固定用のUボルトでグリップレバーに固定し、負荷スプリングに対するレバー比を変えている。

 これによって、標準のモノの3倍程度の負荷がフルストロークで静止している時に生まれるように改造している。

 ところが、最近行ってきた片側25kgのダンベル、両側で50kgのダンベルでのプレスとフライを行っていると、ベンチプレスの負荷が不足気味なように為ってきたので、更に負荷を増す様にテンションの加えてみた。
 当初、テンションの追加には、レバー比変更で追加したパイプに20kgのウエイトを乗せていたのだが、増量負荷に対してベンチ台の取り回しが悪化したので、これを取り外し、100円ショップで売っているラバーバンド式のエクステンダーを用いてレバーのストローク方向に取り付けてみた。

 すると、、、、イイ具合の負荷で重量は20kgのウエイトな無い分、片付ける時にも邪魔にならずイイ感じなのだ。

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2009年6月18日 (木)

アンテナレベル表示の意味が、、、、

 チョイ前に、BS/CSパラボラアンテナを付けた。
 そのBS/CS線はCATVがテレビとインターネットと分岐した後に、CATVテレビのラインと屋外で混合して、屋根裏でブースターを入れた後に分配して各部屋に送っている。

 そう、送った先はアンテナ線の長さの違いの影響はあるものの、似た様な品質の信号が送られている。
 そうやって送られた信号は、寝室では東芝の28DX100で受けて視聴し、リビングではパナソニックの機器類(TZ-DCH2810、32CL-DH550、DMR-XW200V)とパソコンで受けて視聴している。

 そんな構成だが、そこでパナのチューナー、東芝のチューナーでアンテナレベルの表示をさせてみた。

 すると、Panasonicのチューナー(テレビ、DVDデッキ)では、BSデジタルが60程度の表示、CSデジタルが50程度の表示なのに対して、東芝のチューナー(テレビ)では同じ信号の筈だが、BSデジタルが48程度の表示、CSデジタルが38程度の表示となっている。数値は兎も角、数値と逢わせて表示される横棒のバーグラフを見ると、Panasonicでは6割程度の表示をして、東芝では4割程度の表示に留まっている。

 勿論、どっちのチューナーでも全く問題なく視聴できるのだが、表示数値に単位が使われていない点と、東芝の場合はバーグラフの半分以下の表示に留まっているという現実が微妙に不安を煽るのである。
 なお、地上デジタルではどうか?っていうと、これはCATVから直接入れており問題無い出力が確保されているはずだが、東芝のチューナーでは地デジレベルでさえ50程度、バーグラフの半分であり、このアンテナレベルの数値自体が何を意味するか?が判らない時点で今一つの感が否めない。

 まぁ、テレビを用いてアンテナ設置における方角決める目安にしなさいという事なんだろうけど、なんとも腑に落ちない表示である。

 ここ最近、BS/CSとCATVの混合についての検索で訪れられる方が多いが、悩むより行動である。案外簡単なのだ。混合するには混合器、増幅するならブースター、それだけだ。業者に頼むと安くない。自分でやると、、、、殆ど実費のみだ。
 小売店で新品を調達するとブースターが異様に高価となるけど、ネットで中古調達すれば定価の何十分の一で購入可能。お奨めである。

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総合型地域スポーツクラブ

 先日、テレビを見ているて、広島県にも総合型地域スポーツクラブって制度というか運動があるって事を初めて知った。興味があったんで検索を掛けてみると、、、、、

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/kyouiku/kouiki/index.html

で紹介されている模様。で、大元は、

http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/club/main3_a7.htm

なんだそうだ。
地域のスポーツ振興の在り方を模索している制度の様子。

 話は変わるけど、そういえば、最近は生活習慣病という病名が正式名称となり、処方箋として、運動メニューを処方すると言う事で運動の啓蒙を医療行為にしている。
これが、生活習慣病科って診療科での医療行為。そして医療設備としてエアロバイクとかエクササイズ機器とか、、、、

 運動の啓蒙を文部科学省主導で行うとか、或いは、運動不足を疾病状態と見なし、厚生労働省管轄で医療行為として運動啓蒙するとか、、、、言っている事は判らないではないが、素直に直感的に受け入れる事が出来るとは言い難い。

 確かに、制度を機会に取り組むというのは利用法としてアリだと思うのだが、そこまで公的な体裁が必要か?或いは、運動不足を保健医療対象として改善させる体制が必要か?というと、、、、、凄く違和感を感じざるを得ないのである。

 公的な仕組みに乗っかると言う事は、そこには税金という公的資金が少なからず運営に投入されている筈だが、健康を守るという事は、果たして社会が責任を負うべき事か?というと、これは個人の生存本能に従うべき事と思うのは不思議な考えだろうか?

 この手の国策運営は、例えば、ダイオキシン、環境ホルモン、パティキュレートマター、アスベスト被害とは異質のモノである。環境に身を置く事で不可避な健康を害する要因に公的資金を投入して国民生活を守る部分では理解出来るが、国民全員が日本社会において生活習慣病に漏れなく陥るというものではなく、その状況は、個人の意志次第な訳であり、その一点で、公的な資金の関わりは、違和感を感じるのである。

 このような診療制度とかスポーツ振興は、やはり利用者が全額負担するというモノで無ければならない筈。制度としてスポーツクラブは理解できるが、その運営から全てを参加者負担で行うべきだし、診療制度についても保険適用除外で行うべきでは無いだろうか?
 理想論かもしれないが、理想論を例外規定で埋め尽くすと制度の論理破綻を招くのでは無いだろうか?
 運動や健康というのは、個人の生存本能で個人が守るべきもの。俺はそう思う。

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全ては物理か?

 そういえば、久米宏さんの番組で哀川翔さんがゲストで登場した回の彼のコメントで、オッ!って思った事がある。

 それは、自身、常日頃思っている事だが、どんな事も、物理、化学であり、自然界のルールに従って変化するって事の一部だが、スポーツは物理だ!って意見である。

 正しくである。

 自身、物事を極めている意識は毛頭無いけれど、最近思うのは、義務教育から高等教育に掛けて、すべての学問、教科には目的があり、実は全教科とも関連があるという認識をもったり、その認識の先は、人がどうなるべきか?を朧気ながらイメージ出来る事が多い。
 そして、そのイメージを構成するに到る様々な学問、科目における内容で、例えば、自然界の挙動を解説したような現象は、状態量を表す定義、テクニカルタームこそ固有であれど、すべての現象、相似なルールが適応できるような印象を持っている。

 熱移動、物質移動、化学反応、効率の問題、生物の機能、生化学的なサイクル、コンピュータの世界におけるプログラミング、その指向性、或いは、PCの進化、、、、・・・色んなジャンルがあるけれど、皆、似た様な動きに感じる事が多い。

 何となくだが、遭遇する新しい分野の事柄も、過去の事例に当て嵌めて考えれば、割合すんなり理解できるような気分を感じる事が多いのである。
 実際、自分の業務は二度と同じ分野を繰り返す事無く、3年~4年周期で全く未体験の新分野に携わるのであるが、どれも似た様な感じ、どれも似た様に結果を導く事はそんなに難しく感じない。それ故に、未知の依頼であっても、基本は断らないのだが、その根底は、全てが似た様に感じるという印象を持っているからだ。

 最近思うのは、自転車関連、水泳関連、、、、こういうのも、正しく物理、小さな事に着目して考えてみると、なんだか自分なりに消化して、自分の考えというのが人に惑わされることなく持てるのである。
 勿論、その考えが正論とは限らないが、少なくとも、自分で納得して、自分で信じれるのでOKだと思っている。

 そして、思うのは、ブームっていうのは、殆どが模倣で己の考えが本当に己の考えでは無い人が多いのでは?と思うのである。情報を納得するとか、模倣するというのは、どうも己の考えとは違うように思う。
 チョット違うかも知れないが、自分で決断して、人の影響を受けたくないという考えが、自分の場合、自転車や単車で走る時は単独か、先頭でなければ嫌という気持ちに結びついているのか?と考えることも多い。

 やっぱり、人の後は、人の背中を見て走るのであり、自分で情報処理していないのが自分の好みには合わない。自分で情報判断して行動するのは、目に入る事を色々の判断する事自体が楽しいから。そこで色んな発見があり、それで知識や経験が増えていくのが判るからだったりする。

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2009年6月17日 (水)

価値観の違いを主張しても、、、

 自転車ブームである。その中でも注目度が高いのがロードバイクブームである。ブームを先導する価値観は?っていうと、今のトレンドに見合った高級ロードバイクに見合った装備、レーパン、レーシャツ、ヘルメット=カッコイイというスタイルである。

 別に否定しないけど、そういうのが多い。そういう価値観を持つ人が似たような思想というか考え方を持っているのは容易に想像出来る。それ系の人に多いのが、抜いた抜かれた、ただ乗り云々、無賃乗車云々、追い掛けたとか、、、、そういうのが多い。
 聞いた話だけど、とあるショップの話では、速そうな人を追っかけると、大体自分がどの程度か判るし、速い人を見ると参考になるから、、、って話をマジで聞いたのだが、そういう話が出る事自体、そういう考えは、コレ系では普通の事なのかも知れない。

 体験上、エラク激しい反応を受けた事は少なくないけど、そういう反応をしてくる人は100%の確率というか完全に、高級バイク+カッコイイ装備の人である。

 でも、チョット思うのは、少なくとも似たような出で立ちならば、似たような価値観、似たような行動パターンになるって言うのは、判らないではないが、何故に、全く異なる価値観の自転車、身なりや服装の人に対して迄も、反応過剰な行動を取るのか?ということ。

 ブームにおいては、同系のスタイルなら同系の考え、それ故に、他人同士でバトルって話は、昔のレプリカブーム、或いは、峠での他人とのバトルという交流の在り方から理解出来ないではないのだが、全く異なるジャンルで、そのようなバトルが生まれるというのが自転車の不思議な所である。

 少なくとも、昔のレプリカブームにおいて、レプリカバイクとアメリカンバイクが峠でバトルって状況は私の知る限りでは見た記憶が無い。仮に、アメリカンバイクをレプリカが煽っていたら、それは外道扱いされる程だと言える。
 今なら、峠の走り屋系SSバイクが峠を通行する乗用車を煽るって感じだろうか?
 それ自体が不自然な話。

 仮に、乗用車がSSバイクを挑発したり、アメリカンバイクがレプリカバイクを挑発したとしても、SSバイク乗りの逆鱗に触れて、それに目にモノ見せるのがSSバイクだとしても、その勝負は少なくとも一瞬に付くだろうし、逆に、それが縺れる段階でSSバイクはとても恥ずかしく、その挑発に長時間乗ると言う事は普通は有り得ない。

 しかし、今の自転車ブームでは、ロードバイクがそれ以外と渡り合うという場面が少なくないのが違和感を感じるところ。仮に、実用車から挑発を受けたとして、例として、中高生の通学自転車や、MTB、クロスバイクに挑まれたとしても、その勝負は一瞬で付くはずだし、長引くようだと挑発には乗らないのが自然と思うのだが、何だか、このようなミスマッチな小競り合いの風景をよく見るのは凄く不思議な感じである。

 少なくとも、乗り手が大人で、見た目的(乗り物ジャンル、装備)に違いが明らかであるならば、そういう無意味な反応っていうのは無いのが自然と思うのだが、そうでないのが世の中の不思議なところだ。

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関取の筋肉とダイエット

 これまたクメピポでゲスト出演された横綱の朝青龍関の話だが、片側50kgのダンベルっていうのを生まれて初めて見た。その横に30kgのダンベルが置いてあったけど、30kgのダンベルがオモチャのよう、、、、それで、50kgのダンベルを軽々片手で振り回すのが横綱、、、、

 超ビックリである。

 勿論、比べちゃいけないけど、自分がダンベルフライ、ダンベルプレスを行うのが片側25kgのダンベルだが、その25kgのダンベルの二倍のウエイトを自分流に言えば15kgくらいのダンベルを振り回すかの如く扱う。

 これが横綱のパワーなのか!?

 圧倒的なパワーに驚いたけど、その番組の中の話では、大関の魁皇関と二人で一晩で一升瓶を16本飲み干したという、、、、全てに桁外れである。

 関取っていうのは、これ程にパワフルな訳だ。そんなパワーの根元は並はずれた筋肉なんだろう。

 そういえば、貴乃花親方がダイエットを短時間で行ったって話しも最近の事である。

 貴乃花親方も当然の如く並はずれたパワー、筋肉を身に付けられている筈。親方はダイエット本を出版されている。そして、書かれている事、、、、、これって、普通に食って、普通に運動しろって事。敢えて言うなら、極めて一般的なしっかり噛んでゆっくり食う。そして、食材の食う順番に留意する。そんなモンだ。これに運動は?っていうと、親方にとって一番具合が良いのが当然、相撲の稽古を取り入れたスタイル。言ってみれば当然である。個人にとって効率が最も優れる運動は、取り組んだ時間が最も長いスポーツ。親方が相撲のトレーニングを利用するのは、或る意味当然、自明の事。

 それで相撲の稽古程ハードでなくとも、効率の良い運動を行う。運動を行う事で相撲の為に身に付けた各部の筋肉を動かしている。目的に合わせた筋肉を効率よく動かす。それで筋肉がエネルギーを消費する。大量の筋肉故に大量のエネルギーを消費する。筋肉の量が横綱のダンベルの話でないが桁外れ、結果、桁外れのエネルギー消費となる。

 すると、、、、、当然の如く一気に減量できる。

 減量できるかどうか?それは、脂肪を燃料として燃やせるエンジンを有しているかだけの話。

 仮に、筋肉を持たない単なる脂肪の塊が四股トレなんかやったら、、、、ていうか、四股なんか踏めないだろうし、身体壊すのがオチだ。

 色んなダイエットサイトを見て思う事。ダイエット結果に自信を持ってる人っていうのは、殆どがスポーツ経験者。それで合理的に減量している場合が多い。これこそがダイエットの真実。ダイエットを代謝アップで行うには、一にも二にも筋肉次第のようである。

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オーバートレーニング

 昨日の体調不調の記事を書きながら思い浮かんだ事。
 それが、表題のオーバートレーニングである。オーバートレーニングとは何パターンかあるようで、それを箇条書きにすると次の通り。

1.時間が長すぎ(持続時間が長い)
2.強度が高すぎ(負荷が高い)
3.メニュー多すぎ(頻度が高い)

んだそうだ。この比較級的表現、長すぎ、高すぎ、多すぎって部分が非常に曖昧で判りづらい。因みに、本格的なアスリート、闘う選手の場合は、2.の強度アップでパフォーマンスを求めすぎて陥りやすいものらしい。

 兎に角、オーバートレーニングっていうのは、練習と休息のバランスが取れていない状態の事。それによるパフォーマンスの低下で明らかになるモノなんだそうだ。
 職業系アスリートの場合、パフォーマンスの低下を感じたら、更に追い込むのだろうから、更に、収支不均衡に陥りやすいのだろう。

 でも、此処まで書いて思った事。こんな事は果たして本格的なアスリートだけの話か?というと、実は、一般の人にも当て嵌まる事。
 何故ならば、収支の不均衡であり、個人の持つポテンシャルに対して過負荷という状況は人次第だからだ。
 それ故に、思い込みやすい人、真面目な人、考えが凝り固まる人は要注意かもしれない。

 そんな状況の兆候はどんな状況?っていうのを探してみると、、、

 無気力、体重低下、過剰睡眠、心拍不安定、鬱、筋肉痛、集中力欠如、下痢、性欲減退、治癒力低下、、、、なんだそうだ。

 当然、こんな記事を書くのは、自分はどうか?を考えたからだが、そのような兆候には何れも当て嵌まらない。

 オーバートレーニングというよりも、私事も含めて一日の時間が足らないのが現実。オーバーライビングという状況かもしれない。

 オーバートレーニングで負荷過剰という訳でないが、時間不足なのは間違い無い。運動メニューの見直しが大事という状況。そんな感じ。

 サーキットトレーニングとダンベル体操を組み合わせて時間短縮を計画してみよう。

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2009年6月16日 (火)

集団暴走行為等々

 単車、自動車で取り締まれる行為。それが表題の集団暴走行為だ。
 集団暴走行為とは、二台以上で競争行為のような事を行ったり、威圧的な運転を行うと処罰される。

 集団暴走行為に限らず、車間距離不保持でも自動車なんかでは一発で捕まる行為。

 このような行為が何故か、己を車両だと主張しながらも、自転車だから?良い?気付かない?で皆が行うのがスポーツサイクル。

 揃いの衣服、目線を覆い隠す出で立ち、それが密集した状態で群れを為して走る行為。これを集団暴走行為の車間距離不保持と言わずして何と表現できるだろうか?

 車道であれ、自歩道であれ、歩道であれ、そういう行動は、この世界を常識と捉えない人から見ると、剰りにも威圧的なもの。

 例えば、単車のツーリングでは、法に触れない様に行うとなると、適切な車間で並進せずというのが最低限のルールだが、自転車の朝練では、そのような単車の様よりは、遙かに異常な世界に見えるのは気のせいか?

 鰯の群、雀の群、、、、一個体では大した存在でなくとも、密集すれば威圧的になるのは自明の事。自転車でも然りだ。一台では交通弱者かもしれないが、それが群れになって存在すると、それはやはり威圧的だ。
 そのような行為に属す個人の気持ちは、多分、集団行為に身を置いた陶酔が脳内を支配しているのでは無いだろうか?集団で走って気持ちよい、もがき?闘争本能?そういう言葉が出るのは、集団心理に染まっているからではないか?とも思える。

 正統派、常識人、大人と気取っても、やはり集団行動で表題のような状況は、それを常識と捉えない第三者からは違和感アリアリである。
 別に、公道で集団行動を取るのは悪い事ではないが、やはり、並進はNGだし、車間距離不保持もNGだ。公共の空間では、大集団の密集した動きは周囲に威圧感を与えている事を自覚すべきであり、そういうのは自歩道のような空間では慎むべきだ。

 単車、自動車等の車両の遵法すべき常識に従うと、一列走行で、例えば30km/h走行ならば最低でも6m以上の車間距離を保持して走行する。これが大原則だと言える。

 因みに、自分は任意の第三者に対しては、不可侵領域で6mどころか10mは保持する。同じ様な速度かどうかの認識には10m程の距離を保って判断するし、抜く場合は、一気に抜いて当然背後の10m以内には入れさせない。
 単車でも然りだ。近寄らないし、近寄らせない。

 でも、こういう考えを持つスポーツサイクル愛好家は皆無に近いように感じる。

 今の様な状況は、いつかしっぺ返しを喰らうのでは無いだろうか?

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二輪教育

 我が家の娘は小学一年生。今の自転車は二台目で、18段変速のマウンテンバイクである。このタイヤをスリックに換えてポジションを整えて乗せている。

 結果、今では10%勾配の坂の続く山、標高200mを一気に漕いで上がる事が出来る程になり、普通に往復で30km程度のサイクリングには付いてくる。自歩道では20km/h程度では走る程。
 乗り方自体も後から指示したギアを選び、実に上手いペダリングを行う。ケイデンスメーターを付けている訳でないが、娘と同じリズムで脚を回してみると、概ね100~110rpmで走ってる。
 子供体系に合わせ、ポスト長、クランク長、ステム長、全てを考慮してギアの選び方、脚への感じ方、漕ぎ方等々を教えてきた甲斐あって、痛みを訴える事もない。

 親の目から見て、まぁ、完璧だ。それと、思うのだが、身の回りの大人に自分流の乗り方を聞かれて何度かアドバイスした事はあるけど、自分の娘程素直に実践し見た目に乗り方が変化する例を見た事はないのだが、それ程に子供の理解力と飲み込みの速さは目を見張るモノがある。ビックリだ。少なくとも、自分が年長~小学一年の頃に娘程上手に乗れていなかったのは確かである。
 まさか、平気な顔してヒルクライムするとは、思いも寄らなかった、、、、、

 で、下の息子は一歳である。もうすぐ二歳だが、コイツには一歳半頃からバランシングバイクを与えている。勿論、足が届かない。そこでバランシングバイクを改造しているのだ。このバランシングバイクは木製であり、標準のサドルを取っ払い、パイン材を買ってきて削り出してスペシャルサドルを自作して息子の足が届く様に低サドル化を実現している。

 このバランシングバイクに跨って足漕ぎで進ませる練習をずっとさせてきたのだが、遂に、足漕ぎで瞬間的だが二輪走行が出来る様になってきたのだ。
 親バカだが、嬉しいモノである。

 これまた、親の目から見て、完璧だ。

 娘に単車を乗せるのは嫁が反対しているから自転車止まりだが、息子には単車を乗せてみたい。コイツが免許を取れるのが15年後である。それまで、自分が今のパフォーマンスを維持できるようにしなければならない。それはそれで楽しみでもある。

 まぁ、単車に行き着く前に、娘同様にマウンテンバイクに乗せるかも知れないし、ジュニアロードレーサーに乗せるかも知れない。

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情報の仕入れ方

 先日、若い衆と話をした。
 話では、最近は情報をネットで収集する。買い物をネットで最安でゲットする。って事に関する感想。

 ネットの情報、ネットでの購入、確かに便利である。便利であるけど、失われるというか得られないモノも少なくない。

 確かに、スペック、額面だけで評価できるのは事実だが、、、、

 ただ、スペックや額面だけでは本当の所は判らないのも事実である。ということで、自分の買い物のスタイルを思い浮かべると、、、、、ネットで買うのは、ネットでしか入手出来ないモノを買う時くらいである。更に、モノを買うのは金額だけで判断すると言う事はあまりないのが現実である。

 例えば、パソコンを組む、、、新しいパーツで組む。そういう場合、どうやってパーツを入手するか?というと、値段で選ぶでもない、、、寧ろ、割高?かもしれない小売店で買う事が多い。これはパソコンに限らない。自転車の部品も然り、単車のパーツも然り、、、、そんな感じである。

 要は剰り金額の事を気にしていないし、スペックや仕様に究極を求めている訳でもないのだ。寧ろ、売り手側に或る程度の希望を伝え、半ばお任せ的に済ませる事が少なくない。同じモノを買う時に、実際に財布から出る金額はどうよ?っていうと、ネットで最安探索した買い方に比べると額面が高くなる方が多いだろう。

 でも、それは承知なのである。

 例えば、趣味的なモノを買う場合どうか?

 これは、その分野で知らない事も少なくないし、表に出ない話も少なくない。そんな話は何時聞けるか?というと、実は、モノの売り買いで作られる人間関係であり、そこの交友関係の深さによって会話のキャッチボールが生まれ、そこで、お互いに知らない情報の交換が生まれるのである。その情報こそが、ネット販売や複数ショップへの徘徊購入では得られないモノなのだ。

 趣味性の強いモノ程、専門性が生まれる。そこには明確な論理があり、そこで扱われる品物には相性、優劣、癖、常識・・・・自分の知らない事が溢れているのだ。この通常では手に入らない情報こそが真の価値があるのである。そこに、そういう価値があるか?っていうことは、その世界に長く深く接してきた人しか持ち得ない話。それが商売の武器なんだろうが、それを知る機会が、モノの売り買いで生まれる交流、交流で生まれる会話に潜んでいるのだ。

 こういう考えが根底にあるので、やはり、モノを買うという行動を利用して、その世界の人間関係を作りたいのである。

 ということで、実は量販店、ネット通販っていうのは、自分的には剰り好みでなかったりする。これは趣味の分野に限らず、メンテや技能を有する住宅家財の購入でも然りである。家電量販店しか知らないと住宅設備の更新にはとまどうが、そのような電気店、工務店との繋がりがあれば、その世界に応じた小回りの利いた対応が期待できたりする。そういう付き合い、小回りの利いた応対を望むには、やはり、その辺で日頃の取引が重要だったりするのだ。

 随分昔に米不足だったことがある。そこで、国内米が不足してタイ米で需要を満たそうって時期があったけど、その時でさえ、タイ米を食べた記憶がない。その時は、地元の配給所が優先的に新米を供給してくれたからであり、日頃から米を買うのは配給所って付き合いを保っていたからである。
 その際に米屋さんがいったのは、日頃、スーパーで買って、こういう時だけ新米を売ってくれと言われても、日頃のお得意さんを優先するのでNGって話だが。世の中、そんなモンなのだ。

 モノの価値を判定するのに、カタログスペック、性能表記仕様、値段だけで判断すると、そのモノを通して得られる筈の人間関係、その世界の大事は話を聞きそびれるのである。

 更に、趣味の分野がスポーツのようなモノの場合、今なら自転車が該当するけど、自転車を科目として捉えると、それを正確に教えてくれる所は殆ど皆無だが、それを教えてくれる所というと、伝統あるショップだ。そんなショップで情報を得るには、モノの売り買いをタイミングにして行う会話。会話に深みを持たせるには人間関係、信頼関係が大事なのだ。
 その信頼関係を売り買いを切っ掛けに築き、そこで職人の話を聞く。これが秘訣だ。

 ある意味、ネット販売より高いかもしれないが、職人の話を聞ける授業料のように捉えれば良い訳である。その辺を理解せず、額面、スペックで体裁を整えても、結果、何も身に付かない。そんなモンなのだ。

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2009年6月15日 (月)

どこにも書いてない事

 単車、自転車、共に好きである。
 どっちも移動の手段だが、移動の過程で求めるモノが決まっている。単車の場合、未知のワインディングを自在に可能な限り速く走り抜ける事。自転車の場合、持てる体力を可能な限り出力に換えて遠くに行く事。それが、一番の目的で、そのためだけに接している。

 シンプルに言えば、どっちの乗り物も速くということで、同じ趣味を持つ人と同じ方向を向いている。そのために、することは何か?となると、多くの人と同様に、色んな情報を収集する。試す。聞く。習う。盗む。情報の品質も重要だが、量も重要ということで、多くの人同様に色んな事を試してきたように思う。

 しかし、そういう調査とか情報収集では限界があるのも事実。

 自分の理想に近づくには、理想とは何か?理想を選るには何が必要か?仮に、どうすれば理想を具現化するモノが感じれるか?といった、或る意味、数学的な仮定立案と証明的な活動が必要なのである。

 この問題を解決する手法というのは、実は、人生において遭遇する様々な問題への取り組み方と同じモノで、その手法というのは、実は教育課程において身に付くモノなのである。小学校教育では目に入る情報を紹介し、何故?何?の気持ちを植え付ける。中学校では、それらを体系立てて、分野ごとに最も単純な手法で問題に到る手法を身に付けさせる。高校では、仮定証明の方法のパターンを教え、大学教育では、正解が定まっていない分野で、身に付けた問題探求の手法を実践させることが目的なのである。
 この問題を解明するというのは、数学に限らず、語学、自然科学、法律、歴史、、、といった様々な分野に通用するものなのだ。

 未知の問題を無闇に試行錯誤しても答えには辿り着かない。答えに到達するには、近道を選ぶ方法論に従うのが最良であり、その方法論こそが、成長過程において学ぶべき事柄なのである。勿論、このような事は字面だけで答えを得る筈もない。実践、評価がセットであるのは言うまでもない。必要なのは、理想と理想を実現するための仮定、仮定を証明するための実践と評価の繰り返しである。その先に、その人なりの理想の答えがあると信じている。

 その答えっていうのは、人によって異なる理想毎に違う答えが、探している人にもたらされるのである。

 例えば単車で見知らぬ峠で自在に走る。咄嗟の判断で対応できる。そんな能力に必要なのは何か?それを考えて、それを得るためには何か?それを得るには、何が出来ないといけないか?それをするには道理に従うと、どんな乗り方がベストか?その乗り方を極端な形で身に付けるにはどんなトライが必要か?
 これをモデルに置いて、これを実践し試行錯誤した結果得たモノ。こういうモノを自分の中に確立している。この仮定が何で、それを実践するには、どうすればよいか?というのは、或る意味、人生の集大成みたいなものであり、それは唯一の守るべきモノ。

 自転車でも同じである。持てる体力を最高効率で出力に換えて、最も遠くへ、最も速く走るには?何が必要か?何を省くか?それを体感するには、各部をどう仕上げるか?調整するか?それが出来たら、どう感じて、それが出来なかったら、どう感じるか?という風に、仮定を立てて仮定を実証するにはどうするか?を考えて自分なりに掴んだコツというものがある。これは単車での自信を持てる乗り方と同様に、自転車でも自分のスタイルという形で大事にしているモノなのだ。

 このようなモノは、人によって異なるモノ。何故ならば、求める理想が違うから。それ故に、一般論とは為り得ないので、文書にもネットにも公になっていない(突き詰める人が誰も明らかにしていない)モノなのだ。
 これこそが、単車や自転車に乗った時の自分の武器になるのである。そうやって見渡すと、誰一人、その勘所を記載している例が無い。そういえば、工学図書にも理解のコツみたいな事は何も書いてない。事実のみ淡々と記述しているだけ。結局は、掴んだ事は誰も人に明かしていないのである。勿論、自分も人には絶対に明かさない。

 そうやって掴んだモノが自分の中で自信になり、確信として持てるようになるには、やはり、自分の知識レベルを高め、少なくとも自分の知識の範囲で論理的な破綻を来さず、信じれる道理に従っていなければ有り得ないし、自分の知識に自信が持てるように、知らない事を知らないで放置させない知的探求心も必要である。それだけでなく、そうやって信じた通りを実感として納得しなければならないし、納得に到るまで、物事を感じ取る事が出来るようになるまでの実践を積み重ねていなければ砂上の楼閣の如きの自信に留まるのである。

 単車で言えば、200台を越える台数を乗って、月に3000km走行という生活を10年以上過ごして得た結果だし、自転車ならば自分だけの力で何処まで行けるか?どれだけ走れるか?をターゲットに競技生活を含めて5年以上取り組んできた自負があるからである。
 勿論、自身の状況で納得しているのは、二輪車を扱うに必要な筋力、心肺機能といった部分を維持する生活を人生の8割方の期間において継続し続けているという自負があっての話だ。

 多分、天才とかセンスがあるって人は、そのような事を直感というか、繊細に感じる神経が発達して答えに最短で辿り着ける能力を持っているのだろう。

 天才とは程遠い自分の場合、単車でそれに気付くのに5年は要したし、自転車でも同じくらいの期間を要した。過去を振り返ってみると、自転車の競技を諦めたのは、当時、大腿骨の粉砕骨折という怪我に見舞われたから。当時、膝の関節は曲がらないと宣告されたのを覚えている。それで単車一本となったのだが、それから20年のタイムスリップを経て身体機能も事故以前の健常者と同じ状態に戻っている今、当時の掴んだ考えがそのまま通用する。それが判っただけでも、当時の考えが自分なりの自信に見合うと思えて嬉しいモノである。そうやって掴んだものはやはり大事にしたいものだ。

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気温と体調

 最近は気温が高くなってきた。日中は25℃を越えることも珍しくない。

 すると、、、、、

 何していても、何処居ても駄目、、、、脳が痺れる感じ、、、、眠たいというか意識朦朧というか、そういう感じ。

 運動の弊害だろうか?しっかり寝ていても結果は同じ。普通に生活する事が、或る意味困難とも言う。

 睡眠不足とは違う症状。この症状、冬場では感じない症状である。因みに、今の段階で血圧測定すると、上が100mmHg、下が50mmHg程度であり、相当に低いのである。所謂、低血圧で脳に血が行っていないのか?と思える程だ。

 この症状、早足で工場構内を移動したり、或いは、ビルの階段の昇降を行うと治まる症状なのだ。この症状、2005年の秋~冬で体重を落として以来の症状なのだ。

 2006年、2007年、2008年と三年続けて夏場の体調は良好とは言い難い状況。こういう状態がずっと続くとなると、それはそれで問題である。血液検査の数値が最悪でも季節による不快感が無い方が良いのか?っていうことも無いけれど、どんなに健康診断結果が良くても、実感として夏場がキツイのは我慢出来ないもの。
 勿論、夏場が常にコンディションが悪い!のではなく、休日なんかは、自転車に乗って、子守りして、晩飯の支度して、、、、って分刻みで動いている時は別に不調が気になるというものでない。運動していたら絶好調。例えば、スイムとか回遊走行中とか、、、そういう時は調子良い。逆にそれ以外だと駄目。不調が気になるのはデスクワーク時、会社勤務時のこと。

 高い気温、活動度の低い生活、、、、、これが重なると血圧低下が著しい。結果、脳が痺れるような感じ。動くと快調、止まると不調、、、身体の変化に機能が追い付いていないのか?或いは、この程度の生活にして運動しすぎなのだろうか?

 

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2009年6月14日 (日)

自分流、理想のペダリング

 何をどうするか?何て事を公開する程の知識や経験はないから書かないけど、自分で理想と思えるペダリングは自分なりにイメージして、自分なりに実践出来ていると思う。
 多分、自転車愛好家には、それなりに自己主張があるだろうが、この記事も、その中の一つみたいなもの。目に触れた人、あんまり気にしないように!

 今日(土曜日)にホームコース走行と斜度10~15%のヒルクライムを二本行った。
 平地のコンディションはゴルフコースの旗が真横に向く程の強い風。それを往路、復路で合計二往復、それと場所を移してのヒルクライムだ。

 機材は44×17Tの固定シングルバイクである。

 で、向かい風の強い状況では95~110rpm、追い風では130~140rpmである。当然、スタート時は0rpmからの発進で徐々に回転が上がる。

 そんな状況だが、ペダリングを行う時は自分流の留意点に最大限の注意を払っているのだが、その目的は膝に負担を掛けない事のみである。膝に負担が掛からないように回転数をコントロールする。それで向かい風で35km/hオーバーでコースを走りきる。道が無くなるので、直ぐに折り返すけど、そうすると追い風で40km/hオーバーで走り続けることが可能。勿論、ペダリングに自分流の注意点に細心の注意を払いながら、、、、、

 先日のサイクリングではジュニアカセットを組んだロードバイクで走ったけど、ギアが選べるだけに、更に快適。変速のタイミングは理想のペダリングに対して負荷を高すぎる、低すぎる状態で変速というパターン。変速タイミングは、自分のペダリング留意で理想から外れそうな状況を察知した時である。変速比は、自分のペダリングのレンジに合わせているからドンピシャリである。

 そういう走り方。別に90rpmを意識している訳でもない。純粋に膝に負担が掛かり得ない踏み方が出来るかどうかのみに注意して走っている。
 トレーニング的には理想の感覚を保ったまま回転を上げたり下げたり、或いは、無負荷で意図的に理想から外したり、、、そういう方法。それで得られる結果は?っていうと、実走で210rpm、ローラーなら240rpm迄回る。在る状態、例えば意図的に理想から外した状態で120rpmで回している時に理想の感覚に修正したら130rpm迄自動的に回転上昇する。そんな感じのトレーニングだ。
 言えるのは、自分流の理想のペダリングが行える負荷っていうのは、相当に軽めの負荷に限られる。追い風バンバンでもロールアウトで7mも在れば大抵は事足りる程度のモノ。
 その結果がどうか?っていうと、やはり膝に疲労、痛みは皆無。勿論、身体の他の部位の痛みも皆無である。

 思うに、90rpmとかのような数値に囚われすぎると膝の痛みを招くのでは?という思い。

 同行した他のサイクリストの感想を聞くとそんな感じ。頑張って90rpm踏むというのも間違い、逆にその回転数で脚が軌跡を追い切れないのも逆に膝や足首、股関節に負担を与える。数字に拘りすぎると逆に危ない、、、、そんな印象。

 単車の世界でクローズドコースを走る。何処のコーナーを何速何回転で走る。自分が出来たから他人も、、、、それで、何人もハイサイドで跳んだり、スリップダウンしてきたのを思い出す。
 そこのコーナーを何速何回転で走るか?っていうのは、結果論であり、速く走る方程式を実践した結果がそういう数字になっているだけであり、その数字が万人にとっての共通では無いのだ。

 自転車も然りである。90rpmで漕ぐべしという常識に捕らわれること程危ないことは無い。大事なのは、理想のペダリングである。理想とは、幾何学的に、動力伝達的に実践できる個人のベストの事。個々のベストは個々のスキル、知識、経験で決まるモノ。他人のベストは自分のベストに非ず。90rpmっていうのは、あくまでも、他人のベストであった筈である。それを履き違えた頑張りが破滅への序曲、、、、そんな印象だ。

 今日のコース走行では、頑張って高ケイデンスにトライするコルナゴ等も見たが、数値に捕らわれすぎっていうのが見た目で顕かだったりする。逆に、半月板損傷に到りそうなのが見た目にも通ずる。90rpmに拘るのでなく、理想をモデリングする。それが重要。

 大事なのは、自分の身体を痛めない注意力、そんな印象。理想か否かの判断、これを見つけだすのが自転車趣味の大きな醍醐味。少なくとも、痛みを伴うトレーニングというのが在るとすれば、それは自分のモデルからいうとナンセンス。でも、それを理想と考える人には正論なのだろう。
 ただ、膝痛っていうと、筋肉痛でなく、関節周り、軟骨周りのダメージの蓄積であり、一度なったら治らないという印象が強い。それ故に、自分としては神経質になり、どんな事をトライするとしても膝に痛みを感じる事態だけは避けるというのが方針だ。

関連ページ

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/12/90rpm.html

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/12/post-d9e3.html

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通勤手段としては、、、、

 金曜日のBSデジタルの番組でも紹介されていたけど、ジテツー(自転車通勤)が熱いらしい。自転車が今ブーム、そして、自転車通勤を支えるのが量販店がリリースする安価な自転車であったり、或いは、最近流行の電動アシスト自転車だったりするようだ。更には、一方ではスポーツサイクル、ロードバイクに専用のウェアを装備して通勤に使い、職場で着替えてメタボ改善を狙う人も多いようだ。

 なるほど、通勤の時間を用いて健康改善するのである。これが不況に対してもエコ、節約でブームを巻き起こすほどのムーブメントである。

 でも、自分は今は通勤は自動車であり、多分、これからも自動車以外に考えられない。
 過去の生活を振り返れば学生時代の通学、バイト通勤って時代があった。その時の移動距離は100km/dayって状況。そんな時代では、、、、単車以外考えられない。そんな感じである。

 今の生活で自動車以外考えられない理由、、、、それは職場迄が割と近い。片道で10kmも無い。信号の数は5個しかない。でも、山越えで行くと狭い峠道を超える。通勤では鞄、弁当、作業服等々あるし、曜日によってはスポーツセンターの水着等々も必要なのだ。そう、装備がある状況では、二輪車、特に自転車は考えられないのだ。
 では単車はどうか?っていうと、渋滞の状況が皆無に近い状況では、天候によって利便性が左右される単車もあり得ない。そう考えると、実用としては自動車以外考えられないのだ。

 過去の学生時代では走行距離が100kmというもので、重要なのは分刻みのスケジュールを狂わせない迅速性、機動性なのだ。その点で、自動車の渋滞リスクは行動が計算できず、選んだのが単車なのだ。

 如何に健康、エコとはいっても、いわゆる通勤や通学の移動時間に自転車という所要時間の多く掛る選択肢は自分のライフスタイルにおいてはあり得ないのだ。

 それでも、万が一、移動先の駐車場の確保等で自動車が使えない場合、自転車を選ばざるを得ない状況となると、、、、選ぶのは電動アシスト自転車かな?って思うところ。

 自転車に乗るっていうのは、時間に追われない範囲で身軽に乗るか、装備満載で日常から離れるくらい。結局、何かの代わりに選ぶというよりも、自転車自体を目的にしたときでないと選ばない。それが自分の考えだ。

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6/7~6/13の週の検索ワードピックアップ

★水処理
 言わずもがな、多分、船舶バラスト水の処理の検索が相変わらずヒットする。最近は熱処理で検索する人も多いようだ。
 熱処理、塩素等化学処理、、、、、色々あるけど、厄介なのは生物の生命力。環境が厳しくなる程、微生物は頑張るもの。
 例えば、シストなんかが厄介。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/04/post_3f8e.html

 を参照願いたい。

★トリアルタイヤ
 1970年代のブリジストンの入門車に装着していたタイヤ。ヤングウェイ~ロードマンクラスに装着。断面が台形形状でセンターの接地部がスリックに近いタイヤで、走行抵抗が少ない事を売りにしていた。実感は、、、、微妙。

★自転車で膝
 膝痛っていうと、老人の場合、変形性膝関節症で軟骨の摩滅が原因。軟骨の摩滅は偏荷重で軟骨がすり減るというもの。何故偏荷重?っていうと、悪い姿勢、衰えた筋肉、増えた体重がある。
 では、自転車は?っていうと、やはり無理な関節角度で大きな力を掛け続けること。大きな力=身を捩る。つまり、大きな力は長く踏む。それも身を捩りながら、、、、そういう要因も存在する。
 膝の痛みを取るのは、正しい姿勢で、負担を与えずが原則。

★通電焼結
 通電焼結っていうのは、電極間の物質に電流を流し、導体の抵抗に応じて発熱させる焼結方法。見落としがちなのが、何が発熱しているか?って事。多くの人は焼結の場合、内部焼結粉体が発熱と感じているが、実はそれに限らない。黒鉛モールドに電流が流れる場合も結構多い。
 電極が何を抑えるか?が結構影響がデカイ。黒鉛モールドのパンチ部分を押して電気を流す場合は、粉体に流れる場合が多いが、モールド側面から加圧軸とは別軸で通電する場合はモールドに流れる事が多い。
 知りたければ、モールド内壁、パンチと粉体の接部に絶縁性のhBNスプレーを塗りたくってみれば直ぐ判る。簡単な実験だ。
 なお、モールドに通電させる場合、電極とモールドの接触面圧の均一化が図れないと局部発熱でモールドが直ぐ割れる。面圧を一定に保つ秘訣が必要。割と簡単なんで研究者の方は似た様な方法を実践しているだろう。

★コンパクトクランク
 相変わらずコンパクトクランクネタで検索される方が多い。これはインナーに小さいギアを使うのが最大の狙い。アウターインナーの差を可能な限り確保しつつ、インナーも小さくしつつの妥協点でアウターが50Tを維持しているのが実際のところ。アウター50Tを維持しているあめに、スタンダードクランクに対して実質ローギヤードという訳ではない。アウターで2T差なんて微々たるモノ。
 それより、インナー34Tで得たモノは実質ローギヤードな世界。更に、アウターインナーの差が大きいと言うことは、アウターロー近辺、インナートップ近辺を使う前提の話。
 つまり、そういう状況でも使える前提の漕ぎ方用のセットがコンパクトクランク。

 アウターロー、インナートップが苦手というのはチェーンの速い動き。それを許すのはチェーンの動きが速くない場合。インナー掛けでギア比を軽くして、チェーンはゆっくり、そして駆動力が欲しい、、、、ズバリ、ヒルクライム用のギア。登坂スペシャルって事。誰が言ったか知らないが、別にビギナー向けという訳ではない。寧ろ、登坂好きなスペシャリスト向けなギア。或いは、峠越えが好きなランドナー向けのギアみたいなもの。昔のフロントWのランドナーでは48-36Tとか48-34Tが普通な世界。それと同じ。

 逆に、市街地、川沿い好きなビギナーにはアウターインナー比が1.3程度を保ったままアウターインナーとも小さい組み合わせを使うか、或いは、ジュニアカセットを使うのがマトモな考え。自画自賛ではないが、我が家の小林ロードとか、BSのTTバイクが素人向けにベストなギアセットだ。

 敢えてフロントインナーで34Tとか欲しいなら、変な色気は捨ててアウターは48T以下にすべしである。48-34Tでも歯数比1.4だから使いやすいとは言い難い。

 コンパクトで前の歯数比を1.5近くとって、CSをMTB風のワイドレンジを使うなら、ロードなんか乗らない方が自然。そういうのがクロスバイク。そういうのを欲しい奴はクロスバイクから乗る方が多分幸せになるだろう。

★平泳ぎの進む距離、進める速度
 これも結構見かける検索ワード。参考になるかどうか知らないけど、普通の1ストローク1ブレスで長水路50mで14ストロークくらい、1ストロークで4mくらいだ。短水路25mでも6ストロークだから4mくらい。
 なお、泳ぎ続けれる距離は泳力次第。元競技者レベルなら12kmくらいは泳げると思う。因みに、自分も12kmくらいなら泳ぎ続けれる。3kmを75分ペースで5時間くらい。3km限定なら50~55分が良いペース。

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2009年6月13日 (土)

プルが効き始めた感じ

 前にも紹介したけど、今はブレストストロークで3kmを50分ピッチを目安で泳いでいる。
 最低気温が20℃以下、最高気温が30℃以下なんで、未だに温水プールで泳いでおり短水路故にタイムに意味はないけど、それでも25mを6ストロークで泳げるようになってきた。
 チョイ前が7~8ストロークだったから、1ストロークで進む距離が伸びたのは間違い無い。
 因みに泳ぎは、昔はストレート泳法だったけど今はウェイブ泳法である。キックもプルも変わったし、そもそも、昔の昭和泳ぎから今の平成泳ぎに変更しているので、随分と泳ぎ方が変化している。

 但し、ジュニア時代に水泳部は昔泳ぎであり、2ストローク1ブレス、ストレート泳法で、今は全く違う泳ぎなんだが、癖を抜くのが超大変。更に、癖が抜けきれないのが難点。キックこそどうにかなったけど、プルが難儀である。

 現代の1ストローク1ブレス、ウェイブ泳法では、プルで上体が半身は水面に浮上し、そこから大きく入水してキックで伸びて推進し、ある深度から浮力の勢いも借りてプルで上体を持ち上げるのだが、上体を持ち上げる程のプルのパワーが確保出来ないのが難点だった。

 しかし、ダンベル体操でリストスナップの強化をメニューに取り入れて以来、手で水を捉えている感覚が随分と判るようになってきた。実際、スナップに疲労を感じる程である。
 その効果か、金曜のスイムでは上体半身が相当に浮上してプルで随分と前進しているのがコースロープの後ろへの流れ具合からも判るようになってきた。
 かなり満足である。上体での推進が大きくなった分、キックで入水する時に初速が在るせいか、伸びでの進みも進化した感じ。

 そんな泳法では疲労度は少ないままに3000mを50分チョットでペースを落とすことなく泳げる感じ。この感覚は忘れたくないモノ。
 因みに、今日のスイムでは近いレーンで泳ぐ他の自由形、平泳ぎの方と比較しても、或る意味、圧倒的な速力をずっと維持出来ていたのが見て取れたけど、これこそ自分の理想としていたブレストストロークだ。

 夢は大らかなブレストで、ワンストロークを伸びやかに泳ぎながら、並の自由形よりも速く泳ぐこと。少なくとも自分の泳ぐ自由形より速く泳げる事。これが目標だ。

 そして、リストの強化がプルに大きな影響を与えるっていうのは、遠い過去を思い出すと、小学校の水泳部時代にインストラクトを受けた事があるオリンピックメダリストの田口選手の言葉。そう、プルでは手首の力が重要で身体の下で後方に水の抵抗にぶれずに手の平で水を捉えて後方に押し出すって話。そして、田口選手が握力自慢だったって話。

 ダンベル筋トレでは、リストのスナップの強化メニューを増量してみようと思う。

 泳力を強化すれば、局部疲労無しで更に速く長く泳げるようになる訳だ。因みに、ブレストではブレスの回数はストローク数に依存するけど、身体の動かし方と呼吸のリズムが心肺を高めるのに効果的でもある。更に、推進を得るキックでの力の出すリズムというか波長は、自分の理想とする自転車のペダリングにも通ずるところがある。特に、推力の大多数を下半身の筋力で生み出すという点が自由形以上に自転車に近い有酸素運動なのだ。

 そういう意味で、ブレストの匠を磨くっていうのは、大きな呼吸で心肺を効率的に強化できるのも事実。こうやって老いと闘いながら、現役時代のスイムとバイクのトレーニング時代を回想しているのである。

 それにしても、今日のプルは良かったもんだ。スイムで久々に満足が得られた。

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自転車との付き合い方

 基本は自転車は健康確保のツールとしての付き合いだが、それ以上に趣味的な側面があるのも、また事実なりだ。

 で、自転車を趣味のモノとして見たとき、どんな嗜好か?っていうと、今の流行のロードレーサーに乗ってロードレーサーの如く走りたいって願望は全く皆無だったりする。
 好きなのは、、、、、ロードレーサーという小さな括りとは違って、大きな意味での自転車という部分で好きなのだ。

 この考え方は、自分にとって第一の趣味として自転車に接していた1970年代~1980年代半ばの頃の考え方と変わっていない。

 偶然、自転車ブームの時代に自転車に回帰している事実はあるけれど、今の流行としての自転車の在り方には、むしろ違和感を感じるというか、世界観が違うと思っている。
 今がロードバイクブームなのは判る。しかし、そのブームの実態は、そのブームのムーブメントに身を置いていないので正確には判らず、空想的な話をすると、、、、

 ロードバイクの流行でよく見る光景は、カッコイイロードバイク+レーパン、レーシャツで軽快に走る。恐らく目線の先には、ツール・ド・フランスのような光景が在るのだろうか?多くの人が戦闘的に一生懸命漕いでいる。中には、ホビーレースで成績を求めたり、三十路過ぎてストイックに能力向上のトレーニングに勤しんだり、、、、或いは、そのようなスタイルでイベントに参加したり、朝練ゴッコしたり、ショップイベントで100km以上を群走したり、、、
 理想としても、格好良く走る、ヒルクライムが云々、ケイデンスがどうだ、機材が何だ、カーボンがウータラ、引き脚が、体幹が、、、、、そんな所を追求したり、そんな雑誌、そんなサイトで情報を求めまくっている様に感じる。

 確かにカッコイイし、目立つし、エコだし、健康に良いし、頑張ってるし、、、

 でも、何か違うように感じるのは臍曲がりなのか?或いは、70年代小僧なためだろうか?
 今の雰囲気は何やら七五三のような感じ。集団で走る。集団に属すっていうのは、自分で行動の意志決定を行わない。イベントツーリングでもコース選定は人任せ、サポートカーが存在するっていうのは、何かあっても対処しない、論理を探すっていうのは自分で見出さない、、、、そんな印象。

 確かに、ロードバイク=ロードレース、それ故に、ストイックに追求するというのでは、今のような付き合い方はアリだろうけど、ロードレースに関心が無く、自転車という広義な付き合いの場合、修理も出来るようになりたければ、1日で400km級を計画するなら、それで必要なのは何?技量は?体力は?準備は?を全部発案しないとダメだが、その発案自体がサイクリングの始まりと考えると、その楽しさは外せない。

 ロードレース好きでなく自転車探検好きな自分としては、コースは自分で決めたい。スケジュールも自分で決めたい。何かあったら、人に頼らず自分で解決したい。探検サイクリングなら二人。トレーニングで走るなら絶対一人。そんな感じ。
 テクニカルに言うなら、ケイデンスがどうの、引き脚がどうだは、どうでも良い。敢えて言うならば、長距離を走る前提で、如何に疲れず、効率的に、速く走れるか?を乗り方、機材、扱い方を含めて考えるけど、それは全て自分の身体を守るために自分で考えた結果ばかりなりなのだ。

 過去の競技経験でも、基本は自転車好きな考え方で通してきた。決して、今のブーム的なロード競技の方程式でなく、ジェネラルな自転車好きの考えの延長で、ロードもトラックも行ってきたのだが、その辺がやはり今のブームの雰囲気とギャップを感じる。

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エコポイント

 何だか政府主導で表題の制度が運用されているらしい。
 仕組みは知らないが、環境負荷の少ない電化製品を買うと、エコポイントが付く。そして、それが貯まると何かと交換されるらしい。

 因みに、エコポイントでは、エアコン、テレビ、冷蔵庫で還元されるポイントらしい。

 これって、定額給付金みたい。

 何が?

 それは、必要性に応じて消費を刺激するのでなく、安いという金額的側面で消費を刺激している点においてだ。

 ニーズなくして、安いよ!買うとお得だよ!って価値観で消費を活発化させる愚策にしか見えないというと言い過ぎか?まぁ、それでも福袋が飛ぶように売れる日本では通用する景気刺激策かもしれないが、こういう事ばかりやると、逆に、こういう事をしないと消費が刺激出来ないというか、そういう印象だ。

 車でいうエコ替えとか、、、、環境負荷の高い車を廃車にするという前提が無い制度では、車の中古ユーザーによって車の使用期間が延長される分、エコとは言い切れないというジレンマを無視した制度であり、エコ替えなんて言うならば、使用過程車を完全廃車で再登録不可にした上での話でないと有り得ないが、そうなっていない。

 安いから買え!って考え方は、ニーズがあるから売れるって摂理から見ると全く違う価値観だ。

 必要性に応じて買って、買う時の比較に環境性能や省エネ性を考慮に入れるのは判るけど、今の制度は、エコ減税、エコポイントっていうのは、政府による製造業の支援制度に過ぎない。
 果たして、この制度で景気浮揚が適うか?制度に乗って買う人が幸せになるか?っていうのが興味深いところ。

 因みに、我が家的にはエコポイントでテレビもエアコンも冷蔵庫も買わない。買うのは、寿命を迎えた時。その時に、製品仕様を各社で比較して決める。

 勿論、定額給付金で何か買ったか?っていうと、何にも意識していない。普通通りに消費している。振り込まれた金額は、最初から其処に在ったかのような扱い。それで贅沢とか、それで消費とか、、、、それは無い。

 価格という額面で消費を刺激する政策は、非常に危険とも言う。多用し過ぎると、そういう政策が無い限り、誰も買わない事になりかねない。
 結果、消費者を損を被るとも言える。正月恒例の福袋なんて、定価積算すると高額になるかも知れないが、在庫期間等々を引っくるめて、処分したいモノを一括売却するための仕組みであり、金額の積算のみで考えれば得かもしれないが、その中に本当に必要なモノがあって、そのモノが幾らか?を冷静に見れば、案外、無駄なモノに投資して終わったという結果になりかねないが、十分使える消費財や車をポイント還元で得という観点で買ったとしても、先に買ったモノの減価償却が為されていない状態で新たに買い換えるのであれば、残った寿命に払った当初の対価は一生回収出来無いともいう。

 消費行動っていうのは、やはり金額が安いから買うのでなく、必要だから買うというのが原則であり、買う際の選択に金額的要件があるというのが本来の姿。
 つまり、福袋、エコポイント・・・・っていうのは消費行動から考えると本末転倒しているとしか思えないのが自分の感想だ。

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2009年6月12日 (金)

アイデンティティとコミュニケーション

 最近思う事。

 仕事でも、趣味でも何でもだが、敢えて、己で気付いた事っていうのは公開せんでも良いかな?って事。再認識する事というか、そういうのは、結果は同じであっても考え方は様々であり、それ自体は他人にとっては殆ど無意味な場合が多いかも?って印象。本当に同じ境遇で困っている人とか、必要としている人には出来る限りの協力はしたいけど、その境遇が同じでなければ何の価値もない訳であり、それが同じかどうか?っていうのは、価値観や経験が同じでない限りは多分役に立たないのである。それ故に、自分の目線で見つけた事、理解した事を嬉しげに触れ回るのも変な話。

 自分で発見って思っていても、他人からは常識と思える事もあるだろうし、逆も当然ある。そして同じ事柄、同じ結果でも、それに到る過程は人それぞれであり、それが個性な訳である。結果は言えても、過程に正誤は無いものである。正に人それぞれなのである。その過程に個性を発揮することこそが、人のアイデンティティでありオリジナリティである。その部分っていうのは、どんな分野でもだが、殆どオープンになっていない。

 色んな問題、色んな課題に対して、様々な過程、解法が存在する。その方法論を見出す部分が本当は一番重要なんだが、その部分っていうのは殆ど公になっていない事が多い。

 情報の公開の度合というのを考えると、基本的に簡単に手に入る情報っていうのは、言ってみれば価値の無い情報。そんなもんである。本当に欲しい情報とか、価値ある情報っていうのは、殆どの場合、公になっておらず、簡単には手に入らない。そんなモンである。
 ネットの情報っていうのは、量も質も様々であり、そこから真実のみをピックアップするのは非常に難しいもの。その感じ方は様々であり、簡単に表現できないのも事実。それを何とか判らそうとうする親切なサイトもあるけれど、読む程に難しいというか、書き手にしか理解出来ない、、、、そんな印象だ。

 でも、それは虚偽でなく、書き手にとっての真実であり、アイデンティティである。アイデンティティって名の通り、他人の掴んだコツっていうのは、同一人物でない限り、あんまり役に立たないもの。そんなもんである。それ故に、各人が掴んだコツは、各人だけのためのコツであり、他人には通用しないもの。そんなモンだろう。

 そんなコツを他人に伝える事程、難儀な事は無い。正確に真意を伝えるのは至難の業。それを表面的に伝えようとする事は言ってみれば間違いだし、そういう気持ちで中途半端に公に情報を開示するのも混乱を与えるだけのようなもの。

 そういう情報の開示は、本当の意味でコミュニケーションが採れなければ伝える事は不可能だし、伝える事自体が大きな負担、労力を費やすのである。費やすってことは、或る意味、タダでは無いと言う事。
 判りやすく言えば、見つけた勘所とか、或いは発見っていうのは、その境遇に置かれた人が、その人の経験や知識の上で初めて見つかった事であり、その事柄っていうのは、結果に到る前提となった問題の見方等々が同じでない限りは無意味な事。それ故に、そこで見つけた事を伝える上で一番大事なのは、その結果に到る前提条件とか境遇とかであり、そこが共有出来ない限りは結果を伝える価値が無いのである。その結果に到る条件を伝えるという部分が最大の難題なのである。

 思い起こせば、過去の経験では、例えば、自分が経営者で運営していた塾では、テキストから指導要綱迄完全オリジナルだったけど、対価として月謝を得ていた事もあり、殆ど教えられる事は全て教えていたし、教える事自体を喜びに感じていたのは事実だ。因みに、1990年当時で中学生の月謝が27,000円という金額。考えてみれば、べらぼうに高額かもしれないし、家庭教師では、時間制限無しで進度保証で月額100,000円という金額を通していた時代もある。
 当時、塾の生徒は2教室で総勢で140人程、請負家庭教師では個人指導の生徒で同時並行最多で6人という時代もあったが、内容と対価で納得していたせいか、当然、出し惜しみ無しで接してきたように思う。

 自分でコツを掴んだという自負、アイデンティティを確立したという自負は、それを伝えるのには本気で取り組まないと伝えれないということにも繋がる。それを行うには大きな労力と負担が生まれる。それを承知で人にコツを伝授するには、自分の分身を作る行為であり、それはやはりタダでは、そういうモチベーションを保つ事が出来ないのだ。

 それ故に、塾という商売が成り立つんだろう。

 趣味に限らず、仕事でも、自分で掴んだアイデンティティを広めるという状況が訪れて、それに注力するかどうか?は、やはり、それに見合ったモノを感じられるかどうか?がとても大きな要素である。

 そんな訳であり、敢えてオリジナリティとかアイデンティティを人や組織に還元しよう!って気持ちにはなれない感じである。そのためには、問題に対する意識、それに取り組む姿勢、そこに必要な知識等々で等身大の聞き手が居てこその話なのだ。そして、自分と同じ目線の人っていうのは、誰にとっても皆無みたいなもの。それ故に、伝える側は相手に対して自分と同じ目線が持てるような取り組みが必要であり、それが一番の難儀なのだ。そのような行為を行うかどうか?を考えると、そこまで他人に奉仕というか、そうする義務も無いように思うのである。コミュニケーションとは一方通行ではダメだ。ギブとテイクが在って成り立つモノ。話すばかりではダメ。聞くのも大事。それは全てに言える事だ。

 書いてる事は、モロにチラシの裏みたいなモンだが、剰りにも奇抜なアイデアは結果だけの公開は有り得ないし、剰りにも突拍子も無いと見える発想も組織に公開する事は有り得ない。
 出し惜しみっていうのとは違い、奇抜とか突拍子も無い発想というのは、そこに着目できる素地を聞き手に伝えるという事自体を行うべきか?というと、それは違うように思うからだ。
 奇抜とか突拍子も無いというと変人的かもしれないが、個人には個性があり、その個性から思い付くアイデアとか得た知見というのは個人毎に皆違うモノ。各個人は皆、そういうモノを得ている筈なのだ。そう考えると、一方的に何か出し続けるのが自分だけであるという必然は感じないし、寧ろ、皆が出すような雰囲気こそ大事かなと思い始めたのである。

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ライダーの必須アイテム、ウエストバッグ!?

 どうでも良い事。
 でも、自分のライフスタイルには必要なこと。自分は、通勤と家族移動以外は100%二輪車を利用している。その際の必須装備は何か?っていうと、ウエストバッグである。これは便利である。勿論、車で移動する際も置き忘れって危険性の無いウエストバッグというのはとても便利なのである。動きに邪魔にならない巨大ポケットのようなもの。大きさと形状次第では、折り畳み傘も入る。札入れ、小銭入れ、カード入れ、キーケース、携帯電話・・・・何でも入る。これは結構重宝しているのだが、なかなか自分の意に合うモノに巡り会わない。
 二輪車でウエストバッグを使う場合、自転車と単車では違うモノを利用しているが、今回の話は単車用での話。

 ウエストバッグの使い心地の良さは、

1.十分な大きさ
2.収納力に取り出しやすいポケットの区分
3.丸っこい形状より細長い形状で腰回りから出っ張りすぎない形状
4.食い込んで痛みを招かない35mm以上のベルトの太さ
5.フィットさせやすく緩みにくいバックル構造(緩んで垂れると腰痛の元)
 +オマケとして
6.ベルト部にデジカメポーチ等の装着しやすさ。

 最近迄使っていたのは、市内の手芸屋さんで売っていた1000円のバッグ。これは羊革でオールブラック。容量的にもまずまずだったけど、さすがにくたびれてきた。使い込んだ結果判明した欠点は?っていうと、ベルトの幅が30mmってところ。装着時の面圧が高いせいかチョットしんどい感じ。但し、メリットとしてはデジカメポーチのバンド通しにバンドが用意に通せるという点(38mmバンドではバックルが大きくベルト通しに通らない。)である。

 しかし、このお気に入り品は、ファスナーの不調、表面の皮革の破れ、損傷等々もあり引退させることにした。

 で、再び、その手芸屋さんに出掛けたのだが、同じ品は無し。でも、価格は1000円、、、、ということで、もう少し容量が大きく、バッグ本体以外にポケットが三つ付いたモノを選んでみた。このポケットは、携帯電話、キーケースにジャストサイズで悪くないデザイン。そして、ベルト幅は38mm。難点は、、、、ベルト幅38mmということはバックルも38mm対応、それ故に、デジカメポーチのベルト通し(38mm)を通せない事。そして実際に使ってみると、、、ベルトが長すぎな事。目一杯絞ってもそれでも25cmはベルトが余る。

 でも、愛用のポーチがさすがに傷みが激しく仕方なく新しいポーチを徐々に使い始めたのだが、ベルトを目一杯絞っても25cmも剰るので、どうしても装着時に垂れ加減、、、結果、腰への負担が大きい感じ。目一杯絞って剰った25cmをクリップで留めても直ぐ緩むのもNGポイント。デジカメポーチがベルトに付かないので、デジカメ自体をポーチにいれると、モノが煩雑に入って使いにくいというデメリットも、、、、
 それでも、我慢して使っていたのだが、剰ったベルトが作業時にコンクリート壁等に擦ってベルトが摩滅というか繊維が毛羽立って千切れそう、、、、、

 ということで決断した。その決断は、千切れそうなベルトは思い切って短くしよう!ってこと。そうすると、少なくとも使っている上での嫌な感じは無くなるだろう!ただ、ベルトを切って詰めるだけでは芸がない。どうせならデジカメポーチを通せる構造が望ましいし、単にベルトを切って詰めるのではベルトに継ぎ目が出来ることになり、それ自体が不細工で元々の長さ調整代が大幅に失われる。

 そこで考えた。

 そう、詰めるでなく、カットした部分をなるべく嵩張らないジョイントに置き換える事。それが出来るモノを手芸屋で調達しようと決心した。しかし、この38cm幅のベルトを脱着できるモノが売ってない。手芸屋を見ても無い。

 それで諦め掛けていたのだが、100円ショップで使えそうなものを見繕っていたところ、、、、、見つけました!

 何を?

 それは、トラベル用品のバッグ背負い用のバンドである。これが幅38mmのバンド、その長さ調整は38mmバンド用の金属製バックルで無段階に行える構造。これ、使えそうだ!

 早速、100円ショップでバンドを買って帰って、解体して調整バックルをウエストポーチに移植!完璧である。そのバックルでポーチのバンド調整が更に行えるようになり、バックルからバンドを抜く事でデジカメポーチのバンド通しにベルトも通せる。そしてバックルで長さ調整すると腰にピッタリ!

 イイじゃないか!1000円のポーチに100円のバンドバックル、合計1100円で、長さ調整可能でデジカメポーチも付けれて、、、、
 結果、ポケットが三個(小ポケット二個、大ポケット一個)ついたウエストバッグにデジカメポーチを装着。バッグの小ポケットには携帯電話、キーケースを各々入れる。大ポケットにキーの束等ばらつくモノ、本体に札入れ、小銭入れ、カードケース、デジカメは別付けのポーチに入れる。これで完璧だ。

 金額でなく、こういう工夫でオンリーワンなモノになる。これが愛着になるわけだ。

 そういえば、自転車でも単車でも、、、、何でもだが、自分で少し手を入れるだけで愛着倍増である。

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2009年6月11日 (木)

太り気味を持ち上げるな。

 チョット話題になった記事が、↓の記事。

http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/kyousei_news/20090610-OYT8T00634.htm

 40歳時点の体格で余命に差が生まれ、太り気味が長命という調査結果を得たそうだ。但し、この統計結果を表に出す報道の在り方自体には疑問がある。

 なんたって、体格の統計ではBMIという体重と身長の相関から算出した値を体型として用いている点も大雑把だし、この研究では、肥っている人ほど、医療費負担が多く、40歳以降の医療費は痩せている人の1.3倍が必要という結果もある。

 人間の活力とは新陳代謝の活発さであり、それに最も影響するのは筋肉である。体型というよりも、筋肉の絶対量こそが寿命とか健康に大きな相関を保っている筈だ。
 今回の報道では、痩せている人ほど感染症にかかりやすいとい説が述べられているが、ガリガリの脂肪が無ければ筋肉も無い人っていうのは、新陳代謝が活発でないために、治癒力も快復力も劣るというのが道理だろう。

 BMI的に数値が大きくとも、そこに脂肪と併せて筋肉があれば、脂肪も筋肉も無いガリガリよりは遙かに代謝という側面から見れば上回るように思う。

 健康の統計では、BMIを基準に用いてデータを解析する事自体が難しいだろう。健康のキーワードは、新陳代謝、筋肉、快復力、自然治癒力、、、、この辺の考え方であり、この辺りの生きる力を最大限に高めるには、本来の機能をフルに活用し、備わっている機能を休ませないという意識に基づいた生活習慣の構築であると言える。

 薬剤、特保食品、サプリ、、、、こういうモノに頼るのは、現在は唱われていないが、自然な摂取形態でないのは事実であり、その弊害は将来絶対に出てくると思う。

 加工、合成摂取品の特徴は、自然界では有り得ない濃度だったり、異性体を含んだり、摂取に伴う活動を省略させたり(物理消化の省略)している。これらの違いは、高度な機能のバランスを間違いなく破壊している。生体の高度な平衡性が科学で解明されていると思いこむ程に愚かな考えは無いのである。

 この辺は、昨日のお客さんのコメントではないが、表面に露出した数値のみでしか物事を判断出来ない人は考えない事のようにも思う。

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定額給付金は何処行った?

 そういえば先月に定額給付金が振り込まれたって連絡があった。
 で、我が家は何か買ったか?とういと、、、、、別段、その給付金を意識する事無く、、、、今も意識には殆ど無い。

 高速道路の休日1000円もどうか?っていうと、実は休日に高速道路を使っていないから恩恵に与っていないのが現実。そりゃぁ、みんなが貰えるモノは、貰わなきゃ可笑しいっていうのは、納税者の権利みたいなモノで、貰えない事が異常であり、貰って普通って認識。それ故に、何か敢えて買う!って消費行動には結びつかないのが正直な感想。

 先日も記事にしたけど、今が不景気?っていうこと事態、実感が湧かないのが正直な感想。
 確かに、モノの生産っていう部分からみれば、活動の活発さは失われているというのは否定しないが、モノを大量に製造する時代が来るか?っていうと、なんとも言えないのが正直な印象。

 そもそも、今、モノが無いか?っていうと、一通りのモノは全て揃っているし、欲しいモノ自体が思い浮かばないというのが正直な感想。敢えて、というと、それは飽食のような印象である。
 景気浮揚が製造したモノが国内外に問わず売れるという話であり、日本で売れずとも海外で売れるならば、確かに潤うけど、日本で作ったモノが海外で売れる!ってモノ自体も思い浮かばない。

 10年前ならBRICsの国々の消費を満たし、欲望を叶えるモノは日本発!っていうのも理解できなくないけど、既に、そのような国々の旺盛な需要は、その国々で賄える状況にもみえる。そこで高額な日本製品も売れづらい、、、、そういう印象だ。

 いくら金をばらまかれても欲しいモノが思い浮かばない状況では景気刺激に対する効果は大きくない、、、、そんな印象だ。

 以前は地域振興券みたいな商品券のバラマキがあったり、この度は定額給付金、次がエコポイント、、、、、なんだかバカバカしいっていうのは言い過ぎか?

 人間の心理に御得感を植え付け、消費行動に結び付けるのに必要な殺し文句、、、、それは、

 『あなただけ!』

ってものだ。みんなが等しくって状況では、有り難みも何も無いのでは?というのが素直な感想。逆に、自分だけラッキーという状況が、元々無かったモノだからという概念に結びつき財布の紐を緩ませる。そういうモノだろう。

 景気刺激には、金をばらまくでなく、みんなが欲しくなるようなニーズを創出する事。マーケティングこそ重要な筈。国内の消費を刺激したければ、国内のニーズを作る事が大事。国内の景気を浮揚し外貨を得るのを目的とするならば、海外市場のニーズに合致し競争力のあるモノを作る事しかない。結局はニーズ、価値観が大事ってことだろう。

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再びブラウン管、、、、

 寝室のテレビの更新だが、液晶も含めて検討した結果、再びブラウン管とした。
 今度はオークションで入手である。モデルは東芝の28DX100ってモデル。

 28型のブラウン管はブラウン管でも開発が早めに終了しており高年式、最終技術ってモデルが少ないモノ。最終モデル的には2003年発表のモデルが殆どで、2004年モデルがファイナルかもって状況。2005年以降はモデル的にはコストダウンモデルが多いのが32型以上との違い。細かい調査結果?は、下のページに記載の通り。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2009/06/post-257c.html

なんだが、この度入手したのは、少しでも小さくということで東芝の28DX100ってモデルだ。ホント言えば、ハイビジョンに拘らず、サンヨーのC-28DT2とかで良かったのだが、目に留まったのがたまたま東芝のモデルだったから決めたのである。

 で、やってきたのが28インチのブラウン管。これが結構大きいのだが、これ以上、チョットでも大きかったら、相当にウザイ印象。

 リモコン等の完成度の比較といってもパナソニックの製品としか比べれないが、東芝の方が使いやすい印象だし、テレビのオペレーションメニューも東芝の方が近代的である。
 難点は?というと、我が家の殆どがAV機器がパナソニック製故に、機器との親和性でチョット心配と言えば心配ということろ。
 因みに、東芝のハイビジョンブラウン管とパナソニックのそれを比較すると、、、、パナソニックのは、フラットブラウン管で一般には偽ハイビジョンと言われるモノ。これだけ見ていると十分綺麗だったのだが、東芝のブラウン管の方が一歩以上上手である。見比べて初めて判る違い。

 そして、視覚的に感じる一番の違いは、ハイビジョン時でなく、低解像度画像を表示した時のクリアさである。こんな項目は普通の家庭では無いのだろうが、我が家の場合は、CATVでパススルーの地デジ+パラボラ受信したBS/CSデジタルに加え、CATVで入力されるアナログCATVコンテンツをテレビの入力1でも視聴し、韓国製安物デッキ(VTR+再生DVD)を入力2でも視聴している。つまり、デジタル放送コンテンツをHDで見るだけでなく、旧来のコンテンツをSDでも見る事が多い。
 こういう状況では、圧倒的に東芝のモデルの方が綺麗である。勿論、パナソニックのそれも見れる範囲で、我が家で並べて置いてある液晶ハイビジョンモニターの比ではないのだが、それでも東芝のブラウン管は綺麗だ。
 現在の状況は、放送コンテンツの解像度もバラバラであり、そういう状況ではやはり固定解像度という概念の無いブラウン管が一番良いというのが私感である。

 しかし、将来は?というと、ブラウン管は既に入手困難。次のテレビは間違い無く薄型テレビになりそう。でも、液晶とかプラズマって選択肢は無い。個人的にはFEDテレビ、SEDテレビに期待したいけど望み薄、本命の有機ELは結構有望だけど、普及の度合から考えるとLEDテレビか、、、そういうモノに変わりそうだ。

 ところで、夏のボーナスで買いたいナンバー1は、大画面の薄型テレビなんだそうだ。
 確かに大画面の薄型テレビっていうと、昔でいうとプロジェクターのようなノリなんだろうか?壁一面に迫力ある映像を映し出すという面では魅力的。100インチに迫る大画面っていうのは、なかなかの迫力だろう。
 しかし、我が家では家屋のレイアウト的にも、それを買う購買力的にも見合わないのが寂しいところ。せいぜい36~42インチクラスでテレビ台の上に置くという使い方の呪縛から逃れない現状では何も変えれない。
 仮に、同族運営している事業が成功して大豪邸でも建てる機会が在れば、24畳以上のリビングに壁一面に100インチクラスの薄型テレビを取り付ける前提で夢を見たいモノだ。

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2009年6月10日 (水)

カプレオは?

 日曜日、オ・モイヨWWのRメカを交換した。カプレオから105のショート、RD5600SSへ交換だ。理由は、、、、、カプレオのRメカは駆動力が抜け切らない状態で変速すると歯飛びが気になっていたから。ケイデンスは高くとも大した駆動力ではないのに、そうなるのが不愉快だからだ。

 その理由を考えてみた。

 当初、カプレオのRメカを選んだ理由は、、、、、リアハブにカプレオを使っていたから。このカプレオのCSの歯数構成は、9-10-11-13-15-17-20-23-26という仕様。その時は気にならなかったのだが、これを歯数組み換えして9-10-11-12-13-14-15-17-20にしてから気になり始め、標準ハブに11-12-13-14-15-16-17-19-21にしてから更に気になりだしたのだ。

 理由を推測すると、、、、やはりカセットのプロフィール、トップ歯数の大きさとRメカのスラント角等の不一致かな?というところ。

 それでもカプレオクロウスのホイールの事を考えてカプレオRメカを付けていたのだが、多分、カプレオクロウスのホイールは使わないので標準ロード系CSに合わせてメカも普通が良いかという判断で交換したのだ。

 カプレオRメカは、スラント角、トップ歯数の関係で他のシリーズとは異なる特殊構成。トップ9Tで普通のRメカは上プーリーとトップ歯数の位置が遠すぎで、トップ時のチェーンの掛かり角度が少ない。しかしカプレオRメカにトップ11Tではプーリーとトップ歯数が近すぎとなる。案外難しいしシビアなもの。

 仮に、カプレオ改のホイールを使う場合は、Rメカ毎入れ換えて使えば良いか?という判断だし、使用頻度から言うとRメカはやはり標準ロード用のRメカが良いか?という結論。

 因みに、オ・モイヨWW号は9速のカセットで11-21Tを使っている。Rメカは10速用の105だが、Fメカは9速用のTIAGRA、FD4500である。Fメカに10速用を使うと、プレート幅が狭くなり、ガイドとチェーンの干渉リスクが高まるそうだ。そういう意味で9速ならFD4500止まりに留めておく方が良いみたい。

 カンパの新型は11速とのことだが、10速の必要性もあんまり感じない。9速で十分だ。

※因みに、カプレオ改クロウスを作る時、ロード用の12T歯に変速パターンを彫り込めば変速性能は悪化することなく作れる。案外簡単。

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ビンテージピスト、レストア開始

 ニシダサイクルさんで頂いた片倉シルクのピスト、レストア開始である。
 このピスト、下地がメッキのラグレス仕様のフレーム、赤白ツートンだが、塗装は終わっているので塗装は剥がし塗り替える。メッキをやり換えるかどうかは思案中。サイズは縦管が530mm、横管も530mmでバッチリだ。

 他のパーツをチェックすると、、、、といっても殆ど全てが頂き物だが、、、、

・ホイール
 これは、サンシンの両切りのハブ。OLD=110mmだから、そのまま使う。しかしチューブラーからクリンチャー仕様に変更するので、リムはオーダー。レトロでカッコイイのは?ということで、ARAYAのRC-540で決定。これは、小林ロードと同じリム。スポークはプレーンスポークで普通に調達。なお、長距離使用等は考えていないのでハブのクイック化等は行わない。普通にナット留め。

・駆動系
 スーパーマイティのシングルで48T仕様。ペダルは極東のPRO-ACE、コグは取り敢えず17Tと18Tの予定。ギア比的には重いけど、平地+3本ローラー専用機なのでOK。
 それでも、チェーンリングは46Tくらいに変えるかも知れない。チェーンも調達するけど、これは、ラングスターTT号同様にブルーチェーンの予定。

・インターフェイス
 ハンドルはピストハンドルで幅は狭い350mm、ステムは日東の天返しで80mm、ピラーはサカエロイヤル、サドルはフジタシームレス、基本はクリーンアップのみで使用。

・制動系
 前は普通に今のダイヤコンペのピスト用ブレーキの予定。後は現車についていたプレートを利用して同じくダイヤコンペのブレーキを使う。レバーは一番シンプルなタイプ。

 取り敢えず、フレームのクリーンアップを行う必要がある。リムは発注済み。完成は間近だ。

 このマシンがトレーナーマシンになり、小林ロードがサイクリングマシンになる。楽しみである。

 それにしても、貰いすぎである。繰り返しになるけど、スーパーライトの赤ラベルのレイノルズ531ロードフレーム~片倉ピスト、、、、、、その内、恩返ししないと、、、、、。

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ネットは便利だけれども

 最近はインターネット検索って行為がデフォルトだ。インターネット検索で引っ掛かる情報は、真偽の程は極めて怪しい。しかし、画面表示された活字情報は、それだけで正しいかの様に見えたりする。そして、その情報は、情報源となるサイトが根情報とは限らず、いわば、論文における孫文献みたいなもの。

 因みに、学位論文、学会論文において、最も恥ずべき行為、最もやっては為らない事は、孫文献を用いた論文構成。孫文献以前に、自分の必要とした情報に辿り着く過程を含めて論文の紹介が必要なんだが、孫文献の場合は、掲載元論文の影響を大きくうけており、論文自体にオリジナリティの無い模倣文献に過ぎないという事が多いからである。

 そういう意味で、ネット検索で全てを済ませるっていうのは、実は非常に愚かな行為なのだ。特に、判断基準がネット情報に影響される例が少なくないけれど、そういう行為は、物事の本質には永遠に、一生辿り着けないモノなのだ。

 ネットが普及するのは便利だけど、少なくとも、その論評や感想にはオリジナリティが必要であり、全てが他人の論評を転載するだけなのであれば、ネットという公共リソースを無駄に費やしているのに過ぎないのだ。
 更に、そのような情報のみに翻弄されるのも、利用側自体が、自己の意識を眠らせる行為に繋がりかねず、ネットで調べ、ネットに翻弄されるという人を周りにも少なくないけれど、これでは、何も無くなった時に、自分で判断出来ないのでは?と御節介ながら心配してしまうのだ。
 ネットの情報に惑わされ、翻弄されて、正誤の判断を誤る。やはり、ネットの情報に翻弄されるのは、孫文献とか受け売りとか、、、そういうモノに通ずる印象。

 必要なモノは何か?それを自分で調べ、自分で判断し、自己責任において行動する。こういう事が案外少ない世の中なのかな?というのは、自分のサイト、ブログに辿り着く検索ワードからも感じられるし、それ以外の技術開発におけるエンジニアとの会話でも感じられる事が多い。

 勿論、ネットは便利だし、頻繁に使うけど、ネットで利用すべき情報とそうでない情報っていうのは分けて考える方が望ましい。特にブログなんぞは日記、感想、、、、そういうモノが殆どであり、書き手にとっての真実かも知れないが、ジェネラルに真実とは限らない。逆に、絶対的な数値、例えば、車の全長とか、車重とか、価格とか、単車のキャブの口径とか、、、そういうモノは正しい情報が迅速に得られる。こういうのはネットならではの情報検索性であり、そういう方面で利用するのは無駄が無く有用とも言える。

 先日もブログに影響を受けまくる人と話をしたのだが、ブログに書いてあるのは真実であり虚偽である。繰り返しになるが、真実っていうのは、書き手にとっての真実というか、素直な意見の筈。しかし、読み手から見て真実とは限らないという話。ましてや、ブログの内容を批評して、納得出来るとか、出来ないとかは少なくとも他人にすべきでないって話し。批評で納得できるとか、出来ないとかっていうのは、読み手の勝手な上から目線であり、その感想を任意の第三者にする事自体、ナンセンスってこと。
 良く判らない語句をブログで知って使うっていうのも、チョイと変な話。そんなもんだ。

 ネットは便利だが、ネットはあくまでも利用するもの。ネットの情報に踊る、踊らされる事の無いように過ごしたいモノである。

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2009年6月 9日 (火)

固定ギア、幻想かも

 最近はピストブームらしい。ピストブーム=固定ギアとは限らないが、固定ギアを崇拝する論調も少なくない。

 シングルでもフリー付きなら普通のママチャリと一緒。なら固定はどうか?っていう事を今一つ考えてみた。

 その違いは?

1.シングルスピードの場合チェーンサイズが太く頑丈である。
2.フリーが付いてないので構造上シンプルである。
3.クランクを後に回せば車輪は逆回転する。
4.走っている限りはクランクは停めれない。
5.曲がる時には内側と地面の干渉のリスクがある。
6.自転車を押す時はクランクが回るのでウザイ。

 ってところだろうか?

 中には、固定ギアならば重いギアが踏めるとか、自転車が電動自転車のように加速してスピードが出るとか、、、色んな説が語られている。

 でも、その部分は今一つ理解できない。

 急な登坂を同じロールアウトで上がろうとすると、、、、違いは殆ど皆無。電動自転車のように加速するという感じも受けない。あくまでも同じ。

 敢えて感じる違いは?っていうと、今は感じないが、固定シングル復活当初は、相当の高速走行でケイデンス的に180rpmを越える状況では、速度に脈動を感じる感覚。感覚というよりも自転車の等速運動を行おうとする力と脚の回りの斑が速度の脈動を生んでいるもの。ところが、今は感じない。
 低速走行時に不意というか咄嗟、反射的な脚回転の停止によって、自転車によって前方に飛ばされそうになる。これは進んでいる限りはクランクが回ろうとしているけど、クランク上昇に対して脚を畳まないと身体が押し上げられる理屈通りの現象。走っている時に無意識で脚を回し続ける人で無い限り、危険な乗り物なのは間違いない。

 言えるのは、脚の滑らかな回転が無ければ速度に脈動を生んだり、走行時のクランク上昇トルクが身体の抑えを越えた時には弾かれるのは間違い無い事実。

 世間で言われている重いギアが踏めるという部分は、今一つ理解不能。ギアを踏むという行為は、踏む=抵抗に打ち勝つという意味。それは、登坂時か加速時に顕著。
 走行慣性で大きい力で踏めるというのは、やっぱり判らない。

 一見、走行時はクランクが回ろうとしてい慣性力があるから、それにペダリング力を加える事でより高速走行が出来るとか言われているらしいが、クランクが回ろうが回るまいが、走行中に慣性があるのは事実であり、フリーであっても自転車自体は慣性で進んでいる。ペダルを踏むという行為は、ペダルが固定ギアで回っていても回っていなくても負荷を感じる以上に回して初めて駆動力となるもの。負荷を感じる瞬間には、慣性が働いていたら重いギアが踏めるのは、下り坂で重いギアが普通の自転車で踏めるのと同じ理屈。
 即ち、固定ギアだから慣性力で大きな力が踏めるって理屈は納得出来ない。

 言えるのは、固定ギアだから常にクランクは回っている。フリー付きの場合はペダリングに疲れたら脚を停めれる。脚を停めても速度は維持される。それ故に、いつの間にか速度が落ちてしまう。しかし、固定ギアの場合は、脚は停めれない。脚を休ませようとすると、クランクによって脚の回転が強要される。つまり、脚は休憩欲望に対し急かされるのである。
 つまり、登坂時には、脚が留まろうとした瞬間に速度慣性を持っていたら脚が回される様な錯覚を受ける。これで漕ぎ続けるというもの。それが、自転車に押されるという印象なんだろう。しかし、実際には慣性で動こうとする力に脚がエンジンブレーキとして作用している事に違い無い筈。ただ、回されるということで気持ちが萎えないのがアシストされているという印象に変わるんだろう。

 固定ギアが崇拝されているけど、乗っていて言うのも何だが、やっぱり安全というか、そういう乗り物ではない。

 少なくとも、回転し続けるペダルに対して、クリップ、ストラップ、ビンディングで瞬時にペダルキャッチ出来るレベルでないと危ない。

 なぜなら、フラペで乗るのは、走行中に足が離れたら、ペダルで脚を負傷しかねない。固定ギアで回り付けるペダルは、ぶら下がった脚には怖い凶器以外の何物でもない。
 スターティングで戻るクランクに一発でペダルキャッチ、、、、これが固定ギアに乗る最低限の資格かもしれない。勝手に回り続けるクランクっていうのは、昔の単車のキックスターターのケッチンみたいなもの。

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レベル高いなぁ、、、、

 自分が判らないからと言って、人が判らないとは言いきれない。
 自分が判らない事を知っている人、判っている人の方が多いのは理解できる。

 さて、そういう前提で多くの愛好家の話を聞くと、みんな凄いなぁ!って事を思う事が多い。殆ど全ての案件に対して素晴らしい。

 ベアリングの玉の違いで回り心地とか、ホイール、リムの違いで生まれるパフォーマンスの違いとか、俺には多分一生判らない。
 フレームでも然りだ。クロモリフレーム、アルミフレーム、カーボンフレーム、、、、判る違いは見た目から判断出来るマテリアルの違い程度しか判らない。どっちが硬く、後から押される様なとか、、、、、さっぱり判らない。そんな調子だから、コンポの違いの性能差もどうよ?っていうと、正直、判別不能だ。

 サドルの高さ、前後位置で5mm単位のズレは何となく感じる違和感の有無で判断できるけど、1mm単位とか、ビンディングのクリート位置の1mm以下単位の違いは絶対判らない。 色んな言葉がある。ホローテックの踏み心地?クロモリ製フロントフォークの振動吸収特性、チタンフレームのバネ感、アルミフレームの硬さ、、、、どれもこれもさっぱりだ。

 鈍感なのか、未熟なのか判らないけれど、超シビアな違いは、体力、機材を含めて理解不能だ。
 自分のセンサーで判るのは、ギア比の違い、ポジションでの5mm以上の狂い、タイヤの空気圧、、、そんな程度だ。
 他には、そうだなぁ、、、、相当に高めの回転数で走っている時限定で強烈に斜めなチェーンラインのカリカリ感、走り込んで緩んできたスポークテンションとか、駆動時に現れるキシミ箇所の類推と調整、整備状態から狂ってきた部位の類推程度である。どれも、完璧な整備状態から崩れた状況なら判るという程度である。

 どうやったら、高級ホイールの回り心地とか、メカの良さ、フレームの特徴、ビンディングの位置等々を超シビアに体感できるのだろうか?
 少なくとも、整備仕上げされた状態で、様々なパーツ、グレードの差異は分かんない。みんな同じに感じるというのが正直な所。
 真っ新の状態での違いを感知出来るようになりたいとは思わないが、それが出来る感覚の鋭さは驚嘆に値する。

 まぁ、それ系のストイックな人みたいにビンディングを使った片足ペダリングみたいな事は、自分自身ペダルを引き上げてパワーを使い切るなんて芸当は死んでも出来ないので最初からやる気は全くないけど、そういう事を目指す次元の人には、カーボンとかアルミとか、、、そういうのは目を瞑って乗るだけで一発で判るのかも知れない。

 そうだとすれば、やっぱり、凄いなぁ!

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2009年6月 8日 (月)

動力源が電池なのは、、、、

 先々月はインサイトが売り上げトップ、先月がプリウス、そして、今、三菱のアイミーブが生産開始、、、、

 そう、これらは電気を動力源として使う自動車だ。ハイブリッド自動車、電気自動車、、、、確かに、エコ?かもしれないが、、、、どうも、自分的にはピンと来ないというのが正直な感想。

 最大の違和感は、、、、滅茶苦茶重たい電池である。アイミーブのバッテリーは200kgにも及ぶという。インサイトの二次電池は比較的軽く20kgである。

 自動車っていうのは、本来速度可変で走る乗り物。しかし、内燃機っていうのは等速運転が最も効率が良いモノ。それ故に、燃費が変動するのだが、、、とか言って、エンジンを等速発電で使用し、走行はモーターでっていうのは現実的か?という話。

 今の電気を動力源とする自動車は基本は、モーター走行領域を拡げる考え方。

 そこで、思うのはやっぱり、モーター走行領域を拡大するにつれて電池という大きな重量を背負う必要性が出てくる事。
 今のハイブリッド思想の究極がフル電気自動車ならアイミーブの200kgの電池が今のレベルでの重量ということだ。

 そういえば、トヨタのハイブリッド車は何れも重量が相当に思い。

 この重さっていうのは、ホントに移動体してどうか?というと、単車等では特に気に掛ける軽さ志向の自分からは拭いきれない違和感として残る。

 電動が悪いのでなく、パワーサプライとしての電池の重さが気になるのだ。

 そして、内燃機関のエンジンとしての燃費の悪さは、変動運転時のこと。等速運転では結構燃費が良いもの。

 重さを増やさず、変動運転時における負担をモーターで取り除く構造が一番スマートか?って思いがやはり強いのである。

 そもそも電池っていうのが、家電関連から含めてどうしても寿命が短く劣化するとういイメージが強いのが曲者だが、そういう無知な先入観を含めて、変動運転で減速回生し、加速する時に動力補助するという構造に割り切る方法の方が、少なくとも電池の重量を軽減し、エンジンの低燃費領域を減らすという意味で悪くないのでは?という印象だ。

 やはり、動力を使って走るモノっていうのは、重さは全てに対して致命的な気がするのである。結果的に燃費が良いっていうのは効率が良いことの裏返しだろうけど、それでも重さは長期的には大きな負担を機械に強いるのは事実だ。
 重たい車はブレーキも負担が大きい、タイヤも速く減る、当然、運動性能も劣る。短時間で大きな電気の出し入れを行うシステム、例えば、キャパシターのようなモノの方がモーターアシストで抱える重量ネガが少ない様にも思う。
 実用車に使う場合にも大量使用で場所の占有の激しい電池よりは車としての実用性確保にも有意に働くように考えるのだ。

 アクセル開度に応答した加速時のパワーアシスト限定のシステム、減速時は回生充電して短時間での出し入れの得意なウルトラキャパシターに電気を蓄える。こういうシンプルな発想の方が好みだ。

 どんな世界でもエネルギーは変換する毎に変換率でロスしていくモノ。そういう大前提でみれば、ハイブリッドシステムの充電した電気を使って走るという行為にはエネルギーの変換行程が普通の車以上に複雑になっており、重量を抱える事、長期的には確実に負担を増しているロスを含めて、本当に効率がシンプルシステムを上回るか?という部分が、最後の最後の部分で納得できなかったりする。
 キャパシターを推奨する理由は、あくまでも熱と音で消却するエネルギーを回生して、負担増大時の負担を軽減するという考え方で、変換効率による損失は随分と少ない。そんな気がするのである。

 内燃機関として効率を追求する結果がCVTのようなギア比による速度コントロール、それを更に進めて、発進時という最も燃費が悪くなる瞬間を捨てていたエネルギーでアシストするというのがスマートだと思うのは自分だけだろうか?

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泳ぐ場所を変えるタイミングは?

 6月に入ると、衣替え、正しく季節は夏に変わる。
 そんな夏を迎える中で自分にとって一番大きな変化は、泳ぐ場所が変わる事だ。サマーシーズン以外は、区のスポーツセンターのプールを利用するが、これは25mで短水路と呼ばれるプール。ところが、サマーシーズンに突入すると50mで長水路である。このプールは深さも2m以上であり、泳ぐ際に波も穏やかで非常に泳ぎやすいのが特徴。

 長水路のプールは既に利用可能だが、このプールは温水プールではないので今の気温では寒いのだ。

 長水路のプールを利用して風邪引いては意味無いので、そうならない時期を選ぶ。
 最低気温が20[℃]以上、最高気温が25[℃]以上が自分の中での目安だが、恐らく、来週か、再来週からが今シーズンの長水路デビューとなりそう。

 今シーズンは長水路でタイムがどれ程変化したか?これを見るのが結構楽しみだ。

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寝室用のテレビも地デジ化を検討中

 表題の希望で第一候補はハイビジョンブラウン管だ。
 ハイビジョンブラウン管というと、、、、、最終モデルでも2006年以前のモノ。殆どが2005年には製造を終了しており、最新式でも2004~2005年登場のモデルばかりだ。

 この時期のテレビの画面サイズは?っていうと、28型、32型、36型というラインナップで何れも大きなテレビばかりだ。因みに、この辺りのテレビの重量は下から順に、40kg、70kg、100kgという感じ。36型ともなると相当に巨大な代物である。

 我が家のリビングには32型のテレビが置いてあるのだが、寝室のテレビもいよいよ不調となってきており交換の時期である。このテレビはアナログテレビで製造年式は1993年モデルだから16年前の古いテレビだ。

 この度、寝室用テレビの更新も検討中だが、候補は、19インチクラスの液晶テレビ、或いは、28インチのブラウン管テレビである。前者は当然新品、後者は勿論中古となる。

 そんな状況で28インチの地上デジタル放送対応のテレビを色々と調べてみた。

 すると、28インチクラスっていうと、当時の32インチ以上のモデルとは若干毛色が異なるようだ。
 具体的にいうと、当時の32インチ以上は時代毎に進化したブラウン管を装備し、28インチはワンランク下のブラウン管を装備する場合が多く、モデルチェンジサイクルもチョット異なるようである。

 ブラウン管マニアによると、走査線の数が720本以上でないとハイビジョンで無いという定義があるらしく、それに合致したブラウン管の殆どが32インチ以上ということらしい。28インチでマニア的ハイビジョンの定義に合致するもでるは?っていうと、案外少ないそうだ。PanasonicならTH-28D50迄、D55、D65は違うそうだ。因みにD60ってモデルは32インチ以上のモデル向けであり実質はTH-28D50(2003年登場)が最終モデルだ。東芝ならば28D4000、28DX100が該当し、28DZ100は違うんだそうだ。但し、DX100シリーズでも32インチ以上のモノは更に進化したブラウン管(PanasonicのD60シリーズと同じモノ)という。

 ただ、実際見てどうか?の違いは、ハイビジョン管と言われていない擬きブラウン管でも十二分以上に見れるというのが自分の眼での判断。我が家の32インチブラウン管はTH-32D55相当の日立の32CL-DH550ってモデル。

 我が家の寝室ユースでは、テレビの地デジ化は当然だが、なるべく小さなテレビを希望ということ。28インチのテレビを見渡すと、、、、

PanasonicならばTH-28D50/D55/D65、SonyならばKD-28HR500/HR500B、東芝ならば28D4000/DX100/DZ100が候補。出来れば2004年以降製造品が希望だったりする。

この中で手持ちの機器との親和性を考えるとPanasonic製品が理想だが、同じ画面サイズとは言っても筐体の大きさで拘ると、Sonyが80.4cm×53.8cm×51.9cmってサイズ、Panasonicが73.1cm×54.5cm×50.0cm、東芝が68.0cm×50.7cm×49.1cmってサイズだ。コレを見ると、Sonyは定評が在っても没。Panasonicか東芝、大きさなら東芝かな?って事となる。因みに、東芝のDX100ってモデルは実家が32DX100だから何となくイメージ出来るところ。幅で5cm狭いのは画面の縁の枠が2.5cmずつ狭いってこと。これって結構重要な印象もあったりする。

 テレビを中古で調達するというと、スペックの僅かな差よりも、製造年度の新しさ、使用頻度、積算視聴時間の少なさが重要。スペック的にはサイズが最大の検討事項でもある。

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2009年6月 7日 (日)

スポルティーフのためのパーツ収集

 ベース車両をBSのTTバイクにするか、小林ロードにするか?を悩んでいたのだが、最初の思いとは異なる小林のロードでスポルティーフを作る事にした。

 この小林フレームはフロントセンター、リアセンター共に超タイト、シート角も76°とかなり戦闘的なバイク。フレームの縦管は自分には大きなサイズでCTでも555mmもある。但し横管はCCで530mmだから乗る限りでは問題無い。

 このバイク、基本はビンテージパーツだが、駆動系は今のモノ。9速仕様でフロントは46-38-30Tのトリプルにリアは14-25Tのジュニアカセットだ。ハブはSORAという仕様。
 それ以外は当時モノ的なパーツ、キャリパーは前後7200DURA、F/Rメカも同じ、ブレーキレバーはクイックリリースが付いたシマノ600、ステムは日東UIステム、Wレバーは緩みやすいシマノのフリクションとは異なるサンツアーのスプリント、ラチェット内蔵のパワーシフターだ。
 因みに、ペダルはシルバンプロムナードでクリップレス。サドルはBROOKSのB17ナロー、ピラーはサカエのラプラードである。ヘッドライトは玉のみをLEDに交換したナショナルの探検ライトをヤジロベーにマウント、リフレクターは大昔のCATEYEのメッキボディで横がオレンジリフレクターが付いたタイプ。

 これをサイクリング車のベースにすると決断したのは、やはりDHバー装備なBSロードは荷物の積載がサドル後方に限られるのが微妙な難点、大体、ツーリングモデルにはフロントバッグの上面のクリアケースの下に国土地理院発行の1/25,000の地形図を忍ばせるのが常識だからだ。更には、ニシダサイクルさんで当時モノのVIVAのアルミ製フックキャリアを頂いたから。このキャリアはDHバーには合わせれない。となると、必然的に小林ロードとなる。
 で、勢い?余って、ホンジョウの泥よけもオーダーした。モノはアルミバフ掛けのテスタッチフェンダーで700Cで19~23対応のモノ。このフェンダーをクリアランスを超タイトで組んだら相当に格好良さげである。

 我ながら、カッコイイと思うというか、自画自賛である。

 なお、テスタッチフェンダーのフェンダーステーマウントはクイック芯棒で共締めだが、格好悪いのでなるべくシンプルで飾りっけの無いステンレスバンドを作ってフォークブレーズ、シートステーから抱かせて装着する予定。

 過去の愛車であるダイヤモンドファーストランディングのDF7110を今風に仕上げる。これが目標。

 そんな案配で色々漁っていたのだが、半ば衝動で、犬印鞄製作所でフロントバッグをオーダーしてしまった。受注生産で納期は二ヶ月、価格は送料込みで14000円程。高いと言えば高いけど、昔買った犬印のバッグが確か9000円はしたと思うので、こんなモンだろう。
 こうなってくると、VIVAのフックキャリアでは載せれない、、、、、ということで、更に無謀な買い物、、、、NITTOのフロントキャリアもオーダーだ。クロモリ丸パイプ製でフォークとはバンド留めなんで生粋のロードフレームの小林号にもOKだ。難点はキャリア如きが8000円程、、、高額だ。

 パーツは一通りオーダー済み、ホンジョウのフェンダー、NITTOのキャリア、犬印のバッグ、、、、70年代ツーリング車の方程式通り。これを700Cで組む。これこそ、スポルティーフである。楽しみ楽しみ!

 ところで、そういえば、小林ロードはローラー台でも使っていたのだが、この度、シルクのピストも仕上げるので、ピストをローラー台専用モデルにしよう!小林ロードはこれからは実走メインのモデルとして役割変更だ!

 最終的には、クランクはスギノのプロダイ、PXあたりにTAの歯を合わせたいところだ。

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画像を減らした理由

 先日、最近お越し下さるお客さんから、サイトの内容が具体的という有り難いお言葉を頂いた。
 その一方で、写真が小さいとか、判る方向から写していないとか、、、、そういう感想も一方で聞くことがある。

 写真をアップしない、図面をアップしない、実は、意図的なのである。
 その話は、お褒め頂いた記事のコメントの返答でも記載したのだが、敢えてそうしているのだ。

 ホント言えば、イイでしょ、コレ!ってノリで見せたい部分は確かにある。しかし、場所によっては結構難しい、リスクを背負う工作も少なくないのだ。
 単車のカスタムでは、例えば足回りのスワップ等で、普通に三つ又辺りのツリーの打ち換えもあれば、スイングアーム周りではピポットの構造の作り換えも場合によっては必要。そういうのは、材料の選定、工作、、、、見よう見まねの改造では何が起こるか判らない。
 自転車でも然りだ、単純なパーツ交換で済むことは大した意味は無いけれど、作成する場合は、素材の選定、パーツの作り方、役割、、、、抱える不具合等々で色んな留意点が必要なのだ。

 自作したモノを自分で使い、自分でリスクを含め背負い込むっていうのはOKだが、自分の発案をネット画像のみをヒントに模倣して万が一、危険な目に遭わせる。こういう事が無いとは言えない。
 更に言えば、このような改造で、サイトのトップに多く書かれている事、自己責任で利用して下さいって呪文がそれだが、その呪文を唱えれば全てオープンで責任は無いか?というと、そうとも思えないのが正直な意見なのだ。

 勿論、そうは言っても、必要としている人には何とか情報を伝えてあげたいという気持ちもある。

 そういう気持ちの板挟みで考えついた事は、自作する部分についての情報を文章だけで表現するということ。これが非常に難しいのだが、その部分を本当に作ろうとすれば、文章表現だけでも、そこを頭で映像を組み上げる事が出来るだろうという判断である。
 逆に、その部分に具体的なイメージを持たない人からみれば、何が何だかさっぱりだろうけど、具体的なイメージを持たず、そのままトレースって人は、殆どの場合、記載表現以上の配慮は行わない事が多く、敢えて、そういう人には判らなくても良いかな?という判断なのだ。

 それ故に、表現が回りくどく感じる方もいらっしゃるだろうが、御承知頂きたいのである。

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5/31~6/6の週の検索ワードピックアップ

★本職さんの脚力、筋力
 週の中の記事にも書いたけど、脚力=筋力、筋力=筋断面、筋断面=脚の太さで間違い無い。筋断面っていうのはエンジンでいうと排気量に相当する。つまり、筋断面=発生トルクだ。
 因みに、競輪選手のS級S班の選手の脚の太さを眺めると、、、太股は57cm~74cm、平均では63cm程。脹ら脛は40~43cmで平均は42cm程だ。
 ところが、日本人の30歳未満で肥満傾向に無い男性の平均はどうよ?っていうと、太股で周長51.5cm、脹ら脛が35.6cm程だ。
 実際、周長=筋肉ではなく、脂肪、骨格等々も含まれているが、荒っぽく計算するとどうか?断面積比は周長比の二乗に相当する。つまり、大腿部では63/51.5の二乗で1.49倍、脹ら脛でどうか?っていうと42/35.6の二乗で1.39倍である。実際は、アスリートは脂肪断面も僅かだから、その倍率は更に広がるのが現実だ。
 筋力というと体幹云々って言う人もいらっしゃるけど、アスリートは脚が太ければ、体幹の筋肉も最低でも同じ比率以上に強化されていると考えるのが普通だ。
 この筋断面比=発生トルク比、発生トルク比=ロールアウト比と考えて差し支えない。
 ママチャリ、一般車のロールアウトが4~5mと言われているが、この1.5倍は6~7.5mである。これは何を意味するか?っていうと、700Cでのギア比が3~3.6っていう事。正しく、ピストレーサーのギア比に一致する。納得できるのだ。
 つまり、本職さんは1.5倍のギアを軽々と踏める。1.5倍のギアを踏めるということは、抵抗で1.5倍の抵抗を受けても大丈夫ということ。1.5倍の抵抗というと、速度の場合は速度の二乗に抵抗は比例するので、1.22倍の速度が同じキツサで出せるということ。
 素人が50km/hを頑張って出せれば、同じ体感で60km/h以上を具現化できるということ。正にスーパーマンである。
 逆に、どんなに偉そうな事を言っても、露出する脚に備わった筋肉を見れば、そのパフォーマンスも類推されるといのも紛れもない事実なのだ。

★速くなる?
 速くなるなんて希望は願っても叶わないのが現実。そう思うなら、サッサと諦めるのが吉だ。或いは、今の自分を速いと思いこむのも大事。
 理屈に従うと、前項の筋肉を増やす、持久力を増やす、イイ機材を揃える。そうなるんだろう。
 でも、鍛える事は一朝一夕に為らずだ。筋肉なんて、そんなに簡単に増えない。持久力も当然だ。つまり、諦めるしかない。
 それでも、なんとかしたい、、、、となると、如何に楽して走るか?に見方を変えるのが大事だろう。楽して走るのは、無駄な力は入れない。最小限度の力で同じ速度を得る。これが重要。
 速くなるには、ありのままの自分の身体で出来る事を無駄なく行う事。これしかないだろう。それが出来れば、自分なりに速いという実感が得られる。
 無駄が無ければ、無理もない。そうすると痛みも無い。良い事づくしだ。

★コンパクトクランク
 興味があれば付ければ良い。それまでだ。
 只言えるのは、アウターインナーの歯数差が広く、ギアのレンジ比率が拡大すること。つまり、アウターとインナーで重複するギアが減るということで、アウターロー~インナートップという範囲を含めて遣う事が前提のギアとも言う。それで生まれる(ラインの捻れ、ユルユルテンションでの踊り等の)ロスが気にならない走り方は?っていうと、実は回転数が高くないと言う事を暗示もしている。回転数がアホみたいに高くない。そして絶対的にインナー掛けではローギヤード、つまり、完全なヒルクライム用のギアだ。決して、初心者用のギアではない。この手合いのアウターインナー比1.47とかのクランクは峠越え自転車向けとして昔から普通のギア。どんな自転車に使われていたか?っていうと、70~80年代的には安価なランドナーだ。高級モデルはトリプルだった。安価なランドナーの狙うのは峠。今風に言えば正にヒルクライムである。
 多分、正統派ロードバイク向けとしてのコンパクトクランクは廃れるのでは無いだろうか?普通にジュニアカセットを選ぶのが本当の初心者向けの正攻法。

★Z200
 Z200で検索する人というか回数が多い。これ、キャブはVM18だ。フロートチャンバーはネジ留めでなくクリップで固定するタイプ。何故に、このキャブレターのネタを覚えているか?というと、実は、、、、、これ、CB125JXに200ピストンで175cc化するときにジャストなキャブレターだからだ。Z200のキャブで完璧にセッティング、出ます。インシュレーターもそのまま小加工で使える。
 なお、Z200の特徴は、前のディスクがワイヤー駆動。この系統は、KH125の初期型とか、同じ構造ならば大昔のCB50/125JX、CB125Tなんかもそうだ。このブレーキは効かない。
 Z200の逸話というと、古くなると?荒く使うと?シリンダーの中でスリーブが踊り出す事。これはビックリである。
 生まれはコミューターだけど、カワサキZを名乗る最小のバイク、最小の4stZなのは変わらない。KSR110はZと違うし、AV50もZで無い。Zを名乗るミニマムバイクなのだ。なお、初期型は小豆色のタンク、後期型ではガンメタに白/緑の細いラインが入った型。

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2009年6月 6日 (土)

飲み会が在るときほど!

 今週は木、金と飲み会に参加である。
 飲み会では、基本は何も考えずに、飲む、食う、、、、、そういうノリだ。勧められた酒は残さず飲む、出た料理は本能のままに食う。そして、飲み会は通常の食事の数倍の時間を掛けて飲んで、食ってで過ごす。下手すると?二次会、三次会となる訳だ。

 すると、夕方以降、結構遅い時間帯迄、エネルギーをせっせと摂取するのである。

 でも、気を付けていることがある。

 それは、、、、、食ったら、使う。食った日に、その分消費する。

 そう、飲んで酔っぱらって帰っても、普通に運動するのである。その日の都合で週のスイムが出来なくなるならば、曜日を換えてでもメニューの週3kmスイムは欠かせないのだ。

 で、木曜日も時間を作って3kmスイムは行えたし、普通に筋トレ、普通にダンベルエクササイズ、普通にローラー台を行った。
 金曜日も然りだ。

 結果、寝る前には汗を大量に掻いて、アルコールっ気は全く皆無。

 飲み会があると、言えるのは寝る時間が強烈に遅くなる。殆ど明け方だ。それが辛いのである。考えてみれば、アホである。

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最近の食生活の傾向

 元々、肉類大好き、揚げ物大好きなのであるが、歳を取ったせいか、若干好みの傾向が変わった様子。

 揚げ物大好きなのは変わらないが、トンカツよりもメンタイフライ、キスゴの開きのフライが好きだったりする。肉というと、、、、ハンバーグ、鶏の唐揚げくらいである。鶏の唐揚げをする時は皮は剥がして肉のみで唐揚げを作る。

 他によく食うものは何か?を思い返してみると、サンマは週に二匹は食う。鯖も週に一切れは食う。後は、朝飯だけど、ウルメイワシを大量に食っている。サンマ、鯖、ウルメイワシが食べる魚の70%を締めている。残りの20%を先のメンタイ、キスゴ、最後の10%が、鮭、カレイ、鱈、鰤、メバル、、、、そういう系統だ。

 他はどうか?というと、野菜は結構大量に食う方だ。生野菜、キャベツ、レタス、サラダ菜、グリーンリーフ、トマト、キュウリあたりは毎日山盛り食う感じ。野菜炒めがあろうと、他に野菜が在ってもサラダは欠かせない。調理野菜である肉じゃが、筑前煮、ソテー、野菜炒め、八宝菜、、、、って系統は概ね1日おきのインターバルである。

 欠かさない食事というと、朝食、夕食での納豆生活。納豆は日曜日を除いて毎日2パック、そうそう、ヨーグルトは朝昼に二食、、、、、、後は、植物乳酸菌のキムチを毎日200gずつは欠かせない。

 麺類は決まった曜日で、日曜夕食がお好み焼き、日曜昼間がうどん、ソーメン、ラーメンの何かで、麺類はそれ以外では殆ど食わない。

 これが現在の食生活。

 ざっと見ると、特に健康を意識している訳ではないが、サプリはとっていないものの、自然食で必要と言われているモノは概ねとっている。

 DHA、食物繊維、納豆菌、イソフラボン、植物乳酸菌、動物乳酸菌って具合だ。

 因みに、食事量制限は特に設けていない。

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チーム『ひとり』

 単車、自転車で出掛ける事。これはツーリング、サイクリングである。
 でも、どんな走り方をするか?これは、人それぞれである。人によって違うのは、人によって楽しみ方が違うから。そうなると、ホントの事を言えば、集団で楽しいって状況はホントは有り得ないのだ。

 自分の場合を思い浮かべてみる。単車のツーリング、、、ツーリングとは名ばかりで、出発地点から、兎に角ワインディングロードを繋げ、息つく間もなく曲がりながら進んでいくノリなのだ。ツーリングで目的地で何かする!ってものよりも、その過程で操縦を楽しむというのがいつものパターンなのだ。それ故に、停まるタイミングというのは原則無しで、休憩というのは車列がバラバラになるから、、、って状態。
 そんな調子だから、つい、ソロツーリングとか、同じ価値観のライダーとばかりのツーリングになる。
 自転車でもやっぱり同じ。サイクリングといっても、気持ちよい状態で、ドンドン遠くに行きたくなる。休憩したいという気持ちは殆ど皆無で、兎に角、一気に遠くに行きたいというのが価値観。それ故に、途中で停まるって行為自体が自分が休憩したいから停まるというのでなく、これまた後続を待つために停まるという状態。
 それ故に、サイクリングを頻繁に行っていた時代は、基本は二人。場合によってはソロで出掛ける事もあるという状態。

 単車も自転車も基本は一人で乗るモノ。それ故に、ペースや走り方は自分の好き勝手でOKなモノ。しかし、人数が増える程に、待ったり、待たせたり、過剰に休んだり、或いは、人のペースで走ったり、人にペースを乱されたり、、、そんな印象。

 ツーリングで楽しいのは、峠を道路だけ見て走る時。後の事なんか気にしない時。そういう時が一番楽しい。でも、後続車を意識外において単独走行になった後に気兼ねして停まる瞬間が自分的には一番寂しい。そして、追いついてくる後続車のライダーはやっぱりつまらなそう。逆に、バックミラーを見ながら、バックミラーに後続車を確認しながら走る場合は、自分はストレスが溜まる。そんな走行の後の後続車のライダーは休憩時において満足そう、、、、
 自転車でも似た感じ。同時にスタートする。フィットネスコースで健康管理のために踏んでいる時は、同行する人は、目的地で待たない限り出会えない。目的地で待つ。待ちくたびれて身体が冷える。そうすると、自分の気分は盛り下がる。勿論、追いついてくる人もしんどい感じで楽しそうでない。
 しかし、同行する人のペースに併せて走ると、その人は結構楽しそう。でも、自分はフラストレーションが溜まる。そんな感じ。

 思うのは、レプリカ時代でのツーリング、今の健康ブームでのサイクリングでもだが、多くの人は誰かを視界に捉えて集団走行する事で陶酔を感じて楽しむという状況を満足しているようにも見える。逆に、単独で走らせたら楽しそうに無いのが象徴的。
 この状況が正しく、ブームって事を示しているようだ。

 集団での陶酔、レプリカとかロードレーサーでは、集団走行でレース気分で陶酔っていうのが、楽しさの一つとして多くのユーザーの心にあるようだ。

 でも、やっぱりホントに楽しいのは、人の事なんぞ考えず、自分の欲求のままに楽しみを実感して過ごすスタイルでは無いだろうか?
 俺的には、ツーリングで後が見えないという理由で停車するのは凄く苛つくし、サイクリングやフィットネスで、大した距離でない範囲で身体が冷え切ってしまうような停車はやっぱり不満が募るモノ。
 やはり、己のペースで己の勝手に走り回る。こういうのが一番楽しい。台数が増える程に何だか悲しい。

 サイクリング、ツーリングに出掛ける時は、そんな集団陶酔に嵌る人の居ない集団で、のんびり走れるようなのが理想。サイクリングでロードバイクが参加したり、ツーリングでスポーツバイクが参加したりの集まりよりは、みんながマウンテンとか、みんながツアラーという寄り合いが楽しい。
 猫も杓子もロード軍団とか、初心者からリッターSSというようなのは絶対嫌だ。

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2009年6月 5日 (金)

ゴミデジ、懲りずに増殖中

 今更30万画素っていうと、ゴミなデジタルカメラだ。
 しかし、何故だかハートにグッと来る。ところが、何でも良いか?というと、そうでもない。

 価格的に安価故に、未だジワジワと増殖中だ。未だ一段落していない。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2009/02/post-7ff3.html

 から、更にジワジワと、、、、

そこで、今一つ、気になる項目を羅列してみる。

1.単四電池3本以上単三電池4本未満仕様(単三4本は重い、単四2本は直ぐ減る)
2.パンフォーカス(オートフォーカスはNG)、出来れば単焦点機
3.レア(生産終了品)であること。

以上が必須条件

4.CCDタイプが好み
5.リムーバルメディア対応
6.USB接続対応
7.出来ればF3以下の明るいレンズ
8.出来れば35mm以下の広い画角

最後が重要な、

★ワンポイントのグッとポイントの有無

と、そんな感じ。

我が家に転がっている30万画素機を見ると、項目1.2.3.4.....の順に、

・フジフィルムのClip-it DS-10S
 ○○○・○○××○・スケルトンブルー
・Intel Pocket PC Camera CS630
 ○○○・○×○??・インテルブランド
・日立マクセルWS30/Largan Chameleon 0.3
 ○○○・××○×○・評判
・日立マクセルWS30Slim
 ×○○・××○××・無し
・AGFA e-phot CL18
 ○○○・××○○×・アグファブランド
・カシオ LV-20
 ○○○・××○○×・無し
・日立リビングサプライ iNC100
 ○○○・×○○○×・液晶ビューファインダー&CF対応
・バンダイ C@Mail F38
 ○○○・×○○○○・スケルトンブルー&CF対応
・コニカ e-mini M
 ○○○・×○○○×・多機能&CF対応

 基本、WS30以外は結構明るいレンズな機種ばかりなんだが、やはりこの時代のカメラは写り具合という面で見ると、CCDカメラが一歩抜きん出ている。そう言う意味で、DS-10、CS630はサイトネタ収集用カメラとしては実用的。
 ただ、このクラスに性能を語るのが間抜けなんで、笑えるカメラも面白いし、通っぽいのも捨てがたい。WS30とかアグファのCL18は、それだけでチョット渋い印象。少なくともカシオよりはカッコイイ印象。面白いのは、有り得ない機種。
 そう考えると、iNC100なんか面白い。デカイ、格好悪いけど、CF対応、液晶ビューファインダー付き、露出調整可能、、、、写りも悪くないし、超レア。
 F38もそう。ハード的には10万画素でソフト拡張30万画素出力、ハッキリ言って映りは最悪だが、無意味にCF対応、レトロなスケルトンボディ、それだけで何だか面白い。e-miniも似たようなモノ。何故だかMP3、録音も可能、無意味に多機能、期待を裏切る綺麗な写り。

 性能だけでなく、なんというか、笑いの壺に嵌るようなモノがオモチャとしては秀逸。

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ダイエット~筋力強化で判った事

 ダイエットで体重、体脂肪、胴囲を-20kg、-20%、-20cmと順調に減らす事が出来た。結果、体重は64kg、基礎代謝で1570kcalという状況迄落ちたけど、その後は筋力増強を目的に運動形態を変更した。筋トレメインで、今の体重が67kg、基礎代謝で1640kcalというところ。概ね順調だ。

 因みに、体重のピークが2005年の8月頃だ。で、それ以前を振り返ると、、、、、最後に単車でサーキットを走ったのが1998年であり、その前の第一段階の肥満傾向であった1994年頃で75kg(それでも胴囲は76cm程度)、それをツナギの着れる体型を戻すということで1998年に68kg、しかし、1999年に結婚して、仕事も多忙になって、育児も重なって、、、、、いつの間にかというか6年で+18kgの86kg迄増えたのである。
 振り返ると、体重は増えても何故か、筋トレ、水泳は続けていたのが今思えば不幸中の幸い。

 体重の変動の歴史は運動量の変化の歴史だ。今も続いている筋トレは1995年頃からの話、水泳は大学時代を除く学生時代全般と、社会人2年目の1993年以降今までずっと行っているのだが、公私とも多忙になったのが1999年頃からで、その多忙さで運動していた時間が他の用に奪われたのである。結局体重が増えたのは、不摂生、睡眠不足+間食が不変であるにも拘わらず、水泳、筋トレに掛ける時間が減ったのが最大の原因。

 その運動量減少で剰ったエネルギーが贅肉、脂肪として身体に付いたのが事実だが、良かったのは、持久力と筋力はそれ程衰えていなかった事だろう。毎日行っていた筋トレと水泳が、週1のペースに減ったとは言っても、そういう運動を継続的に行っていたから、筋肉が痩せ細る事無く持ち堪えてきたのだろう。それ故に、三ヶ月で急激な減量が比較的楽に出来たのだろう。
 前記事で書いたように、単純に毎日3kmずつ泳げば減量できる!って理屈は、最低限、毎日3km泳ぐための、泳力、心肺、疲労回復力が無いと出来ない話。1時間で3km泳ぐという速度を稼ぐ筋力が無いと出来ない話なのだ。逆に言えば、そういう動力源である筋肉があればこその話である。運動経験の無い人には無理な話とも言う。

 思うに、メタボにも2パターンある。運動経験のあるメタボとそうでないメタボ。筋肉+脂肪なメタボと脂肪だけのメタボだ。本当の意味でダイエットが難しいのは、運動の燃料である脂肪を消費するためのエンジン、即ち、筋肉が付いていないモノ。

 体重が落とせるかどうか?それは、筋肉があるかないか?である。

 兎に角、体重の中の脂肪を除く事を目標に取り組んだのが、軽量化日記、その後が筋力強化日記、今が生活習慣記録だが、軽量化日記の後の筋力強化では、ダイエットが僅か3ヶ月で行えたのに対して、地道で長い筋トレを行っても一年如きでは、明確な変化を感じ取りにくい成果しか生まれない。
 それほどに、脂肪を減らす事に対して、筋肉を付ける事は難しいのである。考えれば当然だ。人間の身体において脂肪が過剰っていうのは異常な状態であり、異常状態からの回復は生体自体が正常化しようとする力と同じ方向を向いている。
 しかし、成人で完成された身体では、筋肉を増やそうとしても、逆に変化を好まない方向に身体は安定性を保とうとしたり、加齢による衰えで筋肉は減ろうとする。つまり、狙いと摂理が逆の方向なのだ。

 今思うのは、ダイエットより大変なのは、筋肉を付けること。筋肉さえ在れば、少々の脂肪はどうにかなる。しかし、そう思えるには筋肉が必要だし、肥りにくい身体の代名詞であるのが、やはり筋肉。しかし、その筋肉を増強することが一番難しい。少々の運動では筋肉は付かない。

 世で言うダイエットで最大の難しさは、加齢と共に衰える身体を維持し、ダイエットが不要なシステムを完成させる事。つまり、加齢とともに減ろうとする筋肉を減らさずに、寧ろ増やすような生活習慣を維持すること。そう、体重を減らすのは簡単だが、減らした体重を増やさずに大量に沢山の食物を食べる事を容認する身体を作る事、つまり筋肉を増やす事が最も難しいのだ。

 今、ダイエットを終えて、筋肉増加に取り組んでいる。

 それでも、筋肉量は簡単には増えない。

 ダイエットの終着点は、筋肉量の増加へのシフトを意味するが、其処までを視野に捉えないと、ダイエットが成功したなんては言えないもの。何故に成功したと言えないか?というと、リバウンドのリスクを抱えたままっていうのは、ダイエットが完成したとは言えないのだ。リバウンドのリスクを抱えた減量の主たるものが、食事制限、絶食、サプリ、外科手術等だが、それは、人間の本能、機能を制限して得た一時の姿。本来の機能を制限するのは長続き出来ない。一生、変なサプリや制限食ばかりで生活出来る訳がないのだ。つまり、必然としてリバウンドするのである。そういうのは、やはりダイエットの完成形では無いのだ。ダイエットの完成形とは、人間の本来の欲望に従った生活をおくってもリバウンドしない生体システムの構築、即ち、従来の食生活でも肥らないような筋肉を身に付けるということなのだ。

 ダイエットの秘訣、それは筋肉、話は変わるけど、人間が身体を使った運動を行う上でも大事なのは筋肉だ。腰痛防止、それも筋肉、自転車のパフォーマンス、それも筋肉、基礎代謝アップでも筋肉、体年齢も筋肉、何から何まで大事なのは筋肉。因みに、心肺機能云々でも、心肺機能とは酸素摂取能力で、酸素が沢山いるのは、沢山の筋肉があるから。全ての生体活動の根元は筋肉に向かう。極端だが、最近はそう思う事が多い。

 そして、筋肉は一日にしてならずなのだ。ダイエットでの脂肪除去は3ヶ月、しかし筋肉を2kg付ける、基礎代謝を100kcal近く高めるのは1年以上の年月を要してしまった、、、、

 ダイエットで判った事、、、、鍵は筋肉なのだ。

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ビッグスリー、破綻、でも、

 クライスラーが破綻した。破綻して資産を売却したのだが、新会社は旧クライスラーから営業資産を譲り受けて自動車の生産を継続するという。新生クライスラーはイタリアのフィアットと提携して再生に向けた動きが始まったという。

 そして、今度はGMが破産法申請という。勿論、破産しても無くなるという訳でなく、有料ブランドは国有化してでも残し、不採算ブランドは整理するという。

 このような事態で、当事者の方々は生活に大きな影響を被るのは事実だが、それでも全員が路頭に迷うことはなく、GMの場合は、店舗網6000店から3600店に削減、工場従業員を6万1千人を四万人に減らす程度?に留まっているのが現実だ。

 今の時代、破産したからといって、全て水泡に帰すというものでなく、経営責任者が追放されても、大きな枠組みを保ったままというのが普通のようだ。
 バブル崩壊後の日本の大企業の破綻においても、基本は、社名を変更し、当然、経営のスリム化を計るものの、枠組みは維持っていうのが普通のようだ。

 思うのは、大企業は経済への影響が大きいために、何とか守るというスタイルなんだろうが、それに比べると、中小零細企業の破綻に際しては殆ど救済の手が差し伸べられない現実に今更ながらギャップを感じるところである。

 こんな幼稚な事を記事にするのもバカげているかもしれないが、今回のビッグスリーの内二社が破綻する事態において感じるのは、実際に職を失う人と、前回、議会に支援要請にやってきた幹部の危機感の無さのギャップである。
 職を失う人には多分、明日の生活費さえも苦労する人がいるだろうと思う反面、諸悪の根元となった幹部は、どんなに経営責任を追及されたとしても、その生活が最下層に落ちるような事態は何重ものセーフティネットを自身を保護しているのだろうということ。

 企業の破綻でも中小零細は切り捨てられ、仮に枠組みが維持される大企業でも切り捨てられる側とそうでない側は明確に分かれているだろうという事実。

 このような構造自体が、市場の活性化を阻害し、閉塞性を助長しているようにも見える。

 実際、どの視点で見るかによって政策は様々であり、ベストの視点というのは定めようもないが、日本に限らず、世界的に価値観の行き詰まりを感じるというのは言い過ぎだろうか?

 更に思うのは、このような市場に影響が大きいという事で枠組みが残されるっていうのは、結局どうよ?って疑念が拭えない。市場経済で破綻ということは、或る意味、存在が否定される訳であり、そこに、どんな資金を投入して、その際の経済指標を支えても、それは実体に添った経済指標に為りうるか?というと、やはり疑問だ。このような介入というか数字合わせが、実体経済と経済指標の乖離を生む要因の一つになると思うのは自分だけだろうか?

 市場経済が弱肉強食の原理で、中小零細が切り捨てられるならば、本来ならば影響の有無以前に、相応の報いとういか、そういうモノを受けなければ市場自体は反応しないようにも思う。

 自分の勤務する企業の業種、業界は舶用関連だが、昨年迄の空前の好景気。今年、来年も取り敢えず仕事量は確保しているのだが、それでも昨年迄の右肩上がりに比べると随分と雰囲気が変わった。
 なんというか、バブル景気以後、やればやる程、業績が上がる。利益が上がる。そんな状態でイケイケムードだったのは否定できない。
 所謂、自転車で坂道を一生懸命漕いで駆け下りて、その勢いを保ちながら景気の底を通過して、次の景気の山頂に向けて一生懸命漕いでいたような感じ。そして、ふと気が付くと、景気の山頂に向けての上り坂が足下から消えたような印象。
 確かに、上昇機運だが、漕いでも漕いでも空回りで空虚な感じ。そして、駆動力が伝わらない分、初速を徐々に失っている感じ。今、その浮遊状態を想像しているところ。

 ここ数年で狂騒的な景気拡大で殆ど全ての企業が業績を拡大してきて、その拡大戦略をデフォルトとして過剰な投資で利益拡大を目指してきた。そして、昨年の金融危機で景気の坂を転げ落ちるのは同じだが、それまでの余力で多くの企業は次の景気の山に向けて助走しているような印象だが、その助走している道が途切れている。そんな印象が強く感じられる。

 足下の道が無いっていうのは、企業戦略が空回りしているような錯覚の喩えである。企業戦略が空回りっていうのは、ニーズを掴み切れていない、ニーズを生みだしていない、今のニーズに応え切れていない感じ。GMならば強引に助走を付けて押しているのだが、足下が見えない、戦略で、どの山を目指すか?目指すに見合う根拠となる戦略が具体性を持って見えるか?というと、見えない。
 多くの企業が、戦略を見定め切れていないような印象だ。

 飽食の時代では、必要なモノは一通り存在するのが現実であり、誰でも作れる既存製品の製造のままでは多くの企業はジリ貧に陥る。そんな雰囲気だ。

 今回の景気後退は、今が底でなく、今が入り口、、、そんな気がするのは考えすぎだろうか?

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薬とか

 最近、テレビの通販案内で良く見るのが薬のような食品、サプリメント類である。
 薬とは異なり、栄養補助食品扱いなんだろうけど、謳う効能等を見ると市販の薬みたいにも見える。

 この薬のような食品は、注意書きであくまでも食品であることを謳い、体験者の体験談の中の字幕には、商品の効果を示したモノではなく、あくまでも、個人の感想を放送しているという説明をテロップで流している。
 しかし、字幕には血圧がどのくらい下がったとか、、、、そういう話も出ている。

 この放送構成を見ると、あたかも、サプリで効果的に減量したとか、、、、そういう連想を普通にさせかねない構成だ。

 100歩譲って、そのサプリ、薬で効果があったとして、その効果がサプリ、薬による効果の場合、それは、人間的に幸せか?っていうと、チョット怪しい印象だ。
 その愛用者にとっては、その薬剤に全面的な信頼を置いている人も当然居るだろうが、その場合、その人にとっては、多分、薬や薬剤無しで健康が保てないだろう。

 そもそも体調不良は薬でもたらされたモノでなく、何らかの原因があるはずで、その原因が疾病の前段を引き起こし、重症化するというのが通説だ 。
 つまり、サプリを使っている人の不具合は、以前の自然の行いによってもたらされたモノなのだ。そんなセオリーに従えば、身体の抱える不具合は原因を除去した生活を行うだけで事足りるのだが、どうも、そういうのは流行りでないらしい。

 昨今のソフト路線な薬、サプリの斡旋というか通信販売でのCMを見ていると、依存症、中毒患者の養成番組のように見えるといったら言い過ぎだろうか?

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2009年6月 4日 (木)

10年前のデジカメ

 相変わらず、表題の如くのゴミが好きだ。
 ゴミでもゴミなりの拘りがある。何でもかんでも好きという訳でない。

 カメラとして好きなのは、フジフィルムのClip-it DS-10が一番好き。次がIntel Pocket PC Camera CS630ってモデル。何れも30万画素機。当然、液晶はない。DS-10はいにしえのスマートメディアに記録する。CS630はドライバーでUSB接続のカメラ。
 データの記憶方法が何たるかは、どうでも良い。言えるのは、どっちも普通に撮影した映像を普通にメインサイトのネタに使え、欲しい機能は完全に満たしているということ。それだけで素晴らしい。特に、両機種とも室内で薄暗いところでストロボ無しで綺麗に空気感を撮せる事。まぁ、CS630にはストロボ未装備だけど、、、それ程に、イイ感じ。

 カメラで大事なのは、ストロボ無しで何処まで綺麗に撮せるか?光量が足らない所でどうか?その場の空気、照明、照度の雰囲気が捉える事が出来るか?が重要だと思う。

 明るい場所で撮せるのは普通のカメラ。室内等でストロボ炊いて撮れるのも普通のカメラ。今欲しいのは、ストロボ炊かずに室内で雰囲気セットで撮れるカメラ。そういう見方で見ると、CS630、DS-10っていうのは良いカメラだ。

 共に10年以上前の製品故に、見掛ける毎にサルベージしているが、結構お気に入り。

 照度不足で普通に撮れるっていうのは、フォーカス云々を意識しないカメラでないと駄目。そういう点で、この時代の入門機は単焦点、固定焦点、、、、悪くないのだ。オモチャレンズでもレンズは明るめ、DS-10では絞りがマニュアルで選べるのも良い。

 他には、WS30系統も悪くない。面白いのは遅いけどiNC100も楽しい。写りは最悪?だけど、トイデジの類はその馬鹿さ加減が面白い。

 画素数が増える毎に、そういう馬鹿さ加減が許せなくなるのは不思議な感覚。130万画素ともなると、或る程度、マトモに写って貰わないと困る。不思議な感覚だ。

 因みに、100万画素級ならFinepix A101が好き。これは暗いところでは今一だが、屋外の昼間なら相当にお奨め。200万画素級ならピントが甘いけど扱いやすいのがオリンパスのC-120、暗さに弱く、近景にも弱いけど便利なのがリコーのRR211、300万画素機なら固定焦点が見当たらないが、それでも画角が広くレンズも明るいのがオリンパスのC-160だ。これは遅い以外は写真品質的にいは写ルンですレベルは確保しているのでお気に入り。画素数的には自分の要求では300万画素以上は不要。それ故に、どんなカメラもそれ以下の画素数だが、今のところ不満は無い。

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ダイエットは難しいか?

 自転車のギア比、痛みネタは、どうも反応が過剰のようだ。
 ならば、もっとジェネラルなダイエットネタで辛口の反応はどうだろうか?

 と言う事で、ダイエットネタ。ダイエットというよりもメタボリズムの正常化、メタボリックシンドローム、つまり代謝異常からの回復ネタ。

 いろんな方法があるけど、敢えて言う。

 サプリ、偏食、絶食、外科手術、、、、すべてダメだ。

 何故ならば、代謝回復には結び付かないから。

 代謝とは、しっかり摂取、しっかり消費が大原則。つまり、食って動くのみ。これ以外無いのだ。

 そして、体重の落とし方、これまた単純だ。脂肪1kgが7000kcalの運動の燃料となる。ならば、1kg減らしたければ、食うのは、生活に必要(基礎代謝+活動分)なエネルギー補給に留めて、余分に7000kcalの運動すれば終了。滅茶苦茶単純だ。

 速く痩せるというか、脂肪を落とす、、、、これなら、単位時間あたりの消費量の大きな運動をすれば最も効率が良い。小学生の算数の世界の話。

 こんな単純な事だ。もっと言えば、ダイエットで必要なのは取り組みを信じる心、信念、意志である。

 つまり、行っている事で結果を信じれるか?が勝負。つまり、怪しいダイエットほど疑念が拭えない。結果、結果が出る前に挫折する。これが失敗のパターン。

 その点、上述の考え方に論理の破綻は有り得ない。絶対答えが出る。だから続けれる。それだけだ。

 因みに、三ヶ月でトリプルTwenty、、、、効率最大を狙うなら、時間あたりの消費カロリーの大きな運動を選べば最速ダイエットの完成だ。思い付く範囲で最大消費っていうと水泳である。単純に毎日1000kcalの水泳を一週間続ければ、一週間で1kg減るのだ。1000kcalの水泳っていうと、結構なペースで1時間泳げば楽勝だ。多分、3km程だろう。簡単だろ?

 停滞期等々あるけど、この算数の理屈に従えば必ず結果は訪れる。要は、それが信じて行えるか?続ける事が出来るか?それが大事。望む結果を得るための信じれる論理を自分の中で保てるか?これこそが、ダイエットの秘訣と言える。

 まとめると、『信ずるモノは救われる!?』ってか?信じれる理屈を見付けること。これが重要。

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昔の常識

 なんか知らないが、痛みネタが熱い。ということで、どうせなら昔の話を一つ。

 大昔、中学生の頃だ。地元の自転車屋さんに出入りしてサイクリングで尻が痛いという話をした記憶がある。そこで勧められたのが、硬い硬いプラサドル、或いは、硬くて厚い皮サドルだった。中学生の小遣いで買えるのは、BROOKSの皮サドルはNGであり、当時はイデアルのプラサドルを買って帰ったのを思い出す。

 このサドル、とても硬いもの。ジュニアスポーツ車のスポンジ入りサドルに比べると雲泥の差の硬さである。そして、装着して感じたのは、何て硬いサドルだ!って事だが、サドルの装着、ハンドル、サドルの位置調整、そして、サイクリングに向けての漕ぎ方を店主に教えて貰って、それを実践すると、思った程、どこも痛くなかったのを思い出す。

 結果、日帰りで300kmの走行、行き先での海水浴という無謀なサイクリングでも全身の疲労感こそあれど、尻が痛いとか、腰が痛いとか、そういうのは感じなかった。

 その後、高校生の頃にはバイトでBROOKSのサドルを買ったのを思い出すが、これも非常に硬いサドルだが、そのサドルでは硬さを感じるよりも快適性を感じる事の方が多かった。

 勿論、当時のスタイルではジェルカバー、レーパンなんぞ無い時代。自転車に乗ると言えば、ジャージとか短パンとか、そういう時代だ。当時の常識は、痛いのは自分次第。何故ならば、同じものを使って痛みを感じない人が居るのは、痛みを感じる人に問題があるから!って理屈だ。
 当時、最初は有り得ないと反発していたが、その内、そういう考え方が正しいと思う様になったのは、やはり、いつの間にか痛みを感じなくなったからだろう。

 今の時代も基本は同じ。なにも変わっていないのである。

 しかし、昔の常識と今の常識は同じでない。ブームの形も違う。どっちの時代のブームが好みか?っていうと、自分は昔のブームの方が好み。速度よりも距離、集団より少数、機材より熟練、全てが異なるのが昔のブーム。昔の人間故に、今のブームの形には付いていけないというのが正直な感想だ。

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2009年6月 3日 (水)

膝が痛い、腰が痛い

 のは、何だ?
 先日、ぎっくり腰の記事を書いたが、結構、読まれる事が多かった。
 昨日深夜の記事は自転車での膝痛等の記事だが、これもアクセス少なくない。ということで、明日アップ予定のコメント記事を繰り上げて掲載してみる。

 ここからは一般論。

 ぎっくり腰の原因は、筋力低下、体重増加で骨に無駄な力が掛かるから。そして、無駄な力は無理な姿勢、無理な姿勢は、支える力の低下と支える重さの増大が原因である。

 ところで、膝の痛みを解説した記事の中には、老化とともに筋力低下、体重増加が原因という内容が良く記載されている。この中で、膝に掛かる負担の一例、歩行時には体重の重さが膝に掛かり、階段の上りでは体重の二倍、階段の下りでは体重の三倍の重さが膝に掛かり、これに耐えきれず階段の昇降が困難になるという話も見れる。

 ただ、言えるのは、老化すれば全ての人が膝痛、腰痛に悩むか?自転車愛好家の全てが膝痛、腰痛に悩むか?というと、そうでないのが現実だ。

 どんな事柄にも因果関係がある。そして、痛みが宿命的に全員に訪れるもので無いという現実があるならば、その痛みには必ず原因がある。そんなもんである。

 元気な年寄りが腰痛、膝痛をモノともせず、、、、これは、膝痛の大きな割合を占める変形膝関節症が重症化していないということ。
 変形膝関節症っていうのは、加齢、生活習慣云々で軟骨のダメージが蓄積したもの。やはり、原因が在る訳だ。

 この原因を取り除けば、何にしろ痛みから逃れられるのである。

 まぁ、仮に自転車乗りの膝痛が物凄いアスリートレベルの酷使によるもので生じる痛みなのであれば、それは酷使を辞めれば痛みから開放されるのだろう。その辺は、各個人が重々承知の事だろうから、痛みとの付き合い方、対処法は、As you likeだ。

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自転車のエンジン

 自転車で速くなりたい!ってモロな語句で検索する人、結構多い。
 機材云々、乗り手云々、、、、色んな説がある。

 その前に、自転車の動力源について考えてみた。(これはメインサイトのとあるページに既に記載済みの文章)

・自転車の動力源は何か?
 それは殆ど脚である。
・速さとは何か?
 それは、速さ=出力=踏む力×踏む回数
・踏む力とは何か?
 加速中なら加速度を生むのに必要な力であり、巡航中なら負荷抵抗(風とか勾配とか)に打ち勝つ力である。
・踏む力の源は何か?
 身体(脚と体幹)の筋肉の合計
・踏む力と回転数の関係は?
 車のエンジンと同様に回転数に連動せず殆ど踏む力は一定
・速くなるには?
 出力アップ、即ち、筋力強化か回転数アップが必要
・筋力強化には?
 筋断面のアップには、10RM程度の筋トレが有効
・回転数アップには?
 適切なポジションで、適切な踏み方に尽きる

 それだけである。この状況を長時間維持し続けるとなると、それは筋肉の緊張状態を持続させない事。断続的な入力にすること。不要な力を抜く事。同じ出力ならば回転数が高い程、力は少なくて済むので、勝手に脚が回る乗り方を会得する事。

 こういう事を書きながら、これって全くオートバイのエンジンと同じ様な感じである。

 自転車に熱い人の日記やブログを見て思うのは、筋力強化っていうのは自転車で叶うか?という疑問と、回転練習と名打った軽負荷高速回転のペダリングの練習が有効か?という疑問だ。

 筋力強化は自転車の世界以外、筋トレ等の世界では1RMの運動でなく、10RMの運動を断続的に行うのがセオリーとされている。自転車で言うと、10回漕いで終わりという状況が想像できない。結局、重いギアでヒルクライムとかいうのは、筋力強化よりも根性というか山を登った達成感の方が大きい筈。
 筋力の尺度に脚の太さがある。脚の太さには骨の断面積、脂肪率等々あるけれど、大雑把にいうとどうなっているか?を例に示すと、、、、

・日本人の平均的な太股の太さは51.5cm
・日本人の平均的な脹ら脛太さは35.6cm

である。これに対し、

・S級S班の本職さんの太股の太さは63cm
・S級S班の本職さんの脹ら脛太さは42cm

この断面比は、(63/51.5)^2=1.49倍、(42/35.6)^2=1.39倍である。
恐らく、体幹の筋肉比率も似た様なモノだし、体脂肪率を考慮に入れると、更に大きく異なる筈。筋肉断面積こそ筋力に直結するもの。筋力=踏めるペダルの重さになる。即ち、ロールアウトになるのだ。
実用自転車のロールアウトが4~5m程度で、本職さんのピストバイクが6~7.5mっていうのは、セオリー通りとも言う。
 脚の細い奴、即ち、筋肉の無い奴が大きなロールアウトを踏むというのは、踏み方的に長時間、大きな力を掛け続けること。その間、クランクは回り続け、常に関節の角度が変わっている。それでも大きな力を入れ続ける。それで痛くなる。至って当然の事実だ。
 各自が脚の太さを計って、筋断面が標準に対して如何ほどか?を冷静に受け入れギアを選択することが大事だろう。瞬間的に大きな力が出せないが故に、クランクの作動角度の広い範囲で力を入れ続ける。それでも動力を最大に利用出来る瞬間は一瞬、つまり、その一瞬以外は入れる力は無駄な力となる。無駄な力が無理な力になると痛くなる。そんなもんだ。
 時間あたりの出力を上げるのは、力を伝える時間を長くする。それは、作動角を拡げるのでなく、作動点を通過する回数を増やす事。そして、伝えるのは、その瞬間。つまり、回転数を上げる事が動力を上げる秘訣だ。

 回転練習で尻が跳ねるとか、、、、そういう話は聞くけれど、回転練習とは高回転を回せるか?無理矢理、回せるか?を試すものとは違う筈。回転練習とは、駆動時において踏み外さず、最大の力を踏むべき瞬間に加える事と、それ以外においてペダル回転の負荷となるような接触を限りなくゼロにする練習の筈。踏むべき瞬間以外に力を加える意識自体が、反対側の踏むべき瞬間への妨害になるし、戻す時にペダルの存在を足の裏に感じる事自体が、ペダルが戻る力を邪魔しているのが事実。
 そもそも尻が跳ねるのは、クランクの戻る際にペダルで足が持ち上げられているから。
 つまり、乗り方不良の何物でもないのだ。つまり、クランク軌跡と足の軌跡を同調させ、踏む瞬間を意識することこそが、ロスの無いペダリングを生む事で、それが出来れば無意識の高回転ペダリングに繋がる筈。引き脚というのは、ペダルを引くのでなく、脚を戻す事。つまり、回転練習とは回転アップをひたすら頑張るでなく、そういう意識でペダルを踏む練習の事。少なくとも、俺はそう習ってきた。

 無駄や無理を省く事が、出力アップへの近道である。更に言えば、自転車に乗って、肩、首、腕、腰、背中、股、脹ら脛、膝、尻が痛いのは、要は無駄な動きや無駄な力が身体に無理を強いているから。痛いのを当然と考える考え方自体が間違い。素人レベルで痛みを訴える人は多分、、、、いや、絶対に乗り方が変。

 更に辛口に言えば、ジェルサドル、レーパン、、、、で快適性を追求する理由が、痛み軽減と思う人が居たとすれば、それは、痛み=無理を放置している事に他ならない。

 無駄を無くし、無理を強いないようにするには、無駄や無理の信号である痛みを感じない様な乗り方、踏み方を工夫するのが重要。

 やはり、一日200km程度の走行如きで、どっかに違和感を感じる事自体、ナンセンスだ。

 自転車ブームの原動力の一つに健康というのがある。そうならば、それで身体を壊し、痛みを抱えるなんて、チャンチャラ可笑しい馬鹿げた事だ。

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違和感

 その昔、レプリカブーム全盛の頃だが、大学の駐輪場にはレプリカバイクが大量に駐輪してあった。当時、多くの学生はレプリカバイクに荷物を積んで普段着で通学にレプリカバイクを使っていた。
 まぁ、時代的に、それ系のバイクがブームであり、バイクといえばレプリカバイクって風潮が強かったからだ。

 昨今、ロードバイクがブームの全盛を迎えつつある。そして、通勤途上の風景で頻繁に見る光景が、通勤にディバッグを背負ってロードレーサーって呼ばれるジャンルの自転車で市街地を信号無視しながら疾走する風景。
 これもまた、ロードバイクがブームであり、趣味と健康、通勤という実益を兼ねた選択でロードバイクが選ばれた結果の景色のようだ。

 自分の考えが全てで正しいとは思わないが、80年代と言えば、どんな使い方をしていたか?を振り返ってみる。

 ある時期の体制を例に挙げると、峠に出掛ける時は、ガンマ、、、、サーキットに出向く時はRZ-R、ツーリングに出掛ける時はXZ400D、バイトと通学の下駄には、CB125JX改、、、、そんな感じである。
 で、今の自転車は?っていうと、川沿いの土手限定で固定シングルのラングスター、娘と徘徊ではルイガノMVF、長距離サイクリングは西DAHON、市街地走行ではSPEED改である。

 言えるのは、基本は走る場所で選んでいるという現実。

 この体制が全てという訳でないが、やはり走る場所、走る速度域に併せて快適というか、そういう選択肢があると思うのだ。

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2009年6月 2日 (火)

並んで走るな、、、、

 学生の通学チャリ、主婦の子供送迎チャリに限らず、スポーツ風味のロード連中、ショップの朝練モドキも何でもだが、最近思うのは、、、、、、車道だろうが、歩道だろうが、遊歩道だろうが、自歩道だろうが、、、、な・ら・ん・で・は・し・る・な!である。

 こいつら、離合、追い越しする時も一列にならず、並列走行での間隔を狭めて走るだけである。二列で走るのは、会話のためだろうが、、、、、二列で並んで走るのは結構危険なのだ。
 学生の通学2列走行も凄い、場合によっては三列四列もある。完全に道路占有である。それで低速蛇行運転だから性質が悪い、前も見ずに携帯操作の並進を見るのが日常茶飯事で注意する気も、腹立てる気も失せる状況。こういう連中に限らない。正統派きどりのショップ練習でもこういう風景はザラ。親子連れで並進もザラ。これが常識なんだろう。
 しかし、そもそも、二列で走って良い場面は皆無。正統派を気取る練習で団体走行の練習などと宣って二列並進し、他の車両が無いから大丈夫!なんて理屈も通用しない筈だ。

 クローズドコースでなく、オープンロード、そこには予期せぬギャップ、溝、障害物が落ちていることも否定できない。並んで走る、詰めて走るのは、その咄嗟の障害を見落とすと後方に甚大な被害を与えかねないのである。そのために合図をしているなんて理屈は屁理屈であり、それは並進走行を許可する良い訳にはならないのだ。

 いつぞやに、自転車部員が公道でモガキの練習をしていたときに、駐車車両に突っ込んだら、直後の自転車も同様に突っ込んで死亡するという痛ましい事故があったけど、やはり、公道では駐車車両もあれば、石ころ、ガラスの破片、、、、色んなものが落ちている。

 並進、車間無しの運転っていうのは、そのようなリスクが無いという前提での自殺行為に見えるのは気のせいだろうか?全てを禁止するという杓子定規な対応っていうのは、実状を反映しているとは言えないし、現実性が薄いとも言えるが、それでも並進っていうのは頂けない。
 特に、自歩道、歩道、車道でも乗用車の離合が難しい道、山間部の道路では、やはり並進はマナー違反だと言える。
 更に、最近多いのは、レーシーな装備のロード乗りが幅員2.5m程の自歩道を喋りながらトロトロ並列して渋滞の元を作っている様をよく見るが、いい歳した大人がする行為としては頂けない。

 別に、公道でロード練習するのは構わないが、乗り手が己を学生チャリとは違う正統派という錯覚を自負しているならば、やはり、団体走行の練習という勝手な思いで並進走行するのは、集団暴走行為に他ならない訳であり、正統派を気取る資格は無いとしか言いようがないのだ。
 こういう行為のツケは何れ払わされる時期がくるものだろう。

 何がどうあっても、対人事故というのは隣接した位置関係が原因の一つである。そういう意味で、並進、車間未確保の運転っていうのは、それだけで事故のリスクを抱えている。

 思うに、先頭後退とか、、、そういう練習は専門のコースでやれば良い事だし、競技の集団走行の練習とはいっても、実際の競技で形成される集団全てが知り合い友人、仲間って事も無いはず。それでも公道で身内だけで十数台以上の集団を形成して走行するっていうのは、正直、意味がよく判らない。
 仲間内で練習という気持ちも判らないではないが、詰めた運転を行うよりも、個人TT的、或いはトライアスロンのドラフティング禁止のように最低でも5m以上の車間を保って走行する方が、同じ時間を遣って走行するならば、己の度合が如何ほどか?が判りやすいし、勝るも劣るも明確に判るのでは無いだろうか?

 十数台以上が2列並進で走行している状況は、対向する際もリスクを感じるし、やはり自歩道を散歩する歩行者から見ても対向集団が凄い勢いで迫る怖さを感じるだろう。逆に、自分のペースが上回っている時に追い越す時は、遅い18輪トレーラーを追い抜くかの如くに緊張する。二列の集団を抜く場合は三列目になる訳で、それ自体恐いモノ。車のドライバーも多分同じ感覚だろう。
 そう思うと、如何に周囲に配慮しているといっても、ルールを逸脱している事実は変わらず、単なる言い訳に過ぎない。そういう言い訳を正と思う人間が居るとすれば、それに対しては疑問を抱かざるには居られないのである。

 一般に二輪車で車列をコンパクトに纏めて走行するという風習があるが、それでも並進は無い。浅い互い違いの千鳥走行だ。千鳥走行の基本は、側方を確保しつつ、前後方向も確保しながら隊列の道路占有をコンパクトにしたもの。二列に見えても二列とは異なる。一列で前後で違いに浅いオフセットされた位置関係となっている。
 責めて、自転車で集団走行するなら、この程度に留めるのがルールというか、マナーの筈だ。

 先日のサイクリングで、スイッチが入った旨の表現を記事にしたけど、ホンネの部分では、実は違う部分があるからだ。身内故に、並んで走るな!なんてキツイ表現で参加者に対してイベントでの気分を害させるのを気の毒と思い、併走できない速度域、或いは、ビタ付け出来ない速度域で引いて車列を分断したかったというのが、スイッチが入った一番の理由。
 勿論、その後にスイッチが入りっぱなしになったのは別の理由だが、、、、、。

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ダンベルダイエットの効果

 ダンベルダイエット体操を始めて随分と経過する。
 ダンベルは鈴木正成先生のダンベル体操の他に、運動の節目に10RM強度狙いのダンベルフライ、ダンベルベンチも行っているし、サーキットトレーニングでのスクワットにもダンベルを用いて行っている。

 因みに、10RMの筋トレでは片手で25kgのダンベル、リストのスナップでは15kg、鈴木正成先生体操では両手で持つ場合は片手が5kg、片手だけの運動の場合は8kgのダンベルを使っている。

 その効果は?っていうと、体重が66~67kgで静定し、基礎代謝が1640kcal近辺、骨格筋率が38%近辺となりチョット筋肉質気味になった感じ。

 そんな数値は置いておいて、一番実感として変わったか?っていうのは、ダンベルが明らかに軽くなった印象。片側25kgのダンベルが軽く感じるのは大分進歩したような印象だ。
 直ちにウエイトを増やすつもりは無いけれど、確実に進化しているようではある。

 ウエイトを増やす前に、ダンベル運動のVTRを何本か購入しているので、メニューを変えるかも知れない。

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昼ポタ新コース完成

 チョコっと話にしていたけど、平日の勤務先での昼休みを使って徘徊しているポタリングコースをチョット見直してみた。

 これまでは、往路、復路というパターンで行った道を帰るというコースだったのだけど、今は往路と復路を変えて周回コース気味に変えてみた。

 広島の三角州の猿候川を回って帰るのだが、途中、新しい道路のトンネルを潜り、山陽新幹線から見て北側周辺も彷徨って帰るパターンである。猿候川を回る際には、南側は比治山界隈迄回って帰るわけで、段原再開発地区を彷徨う感じである。

 休憩時間が限られているので距離を稼ぐのに直線で遠くに出向くコース取りよりも、万が一での帰還に差し支えが生じない様に、勤務先から遠くない範囲で街を徘徊するようなコースである。
 こういうのが街中探検で、所謂ポタリングに為る訳だ。往路、復路の疾走だと、ポタリングよりもトライアル的になるが、曲がって路地に入り込むパターンは走り方が変わってくる。

 それにしても、こういう自転車の使い方なら、やっぱりDAHONのような小径車が良いものだ。

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2009年6月 1日 (月)

世界禁煙デーで禁煙を振り返る。

 5/31は国際デーの一つである世界禁煙デーなんだそうだ。
 既に、最後の煙草を吸ってから二年近くが経過するためか、禁煙とか喫煙に対する意識が殆ど無い状態だけど、日曜日のローカルニュースで、世界禁煙デーの一環で、平和公園での5/31は禁煙という取り組みが紹介されていて、ふと喫煙、禁煙ということを思い出したのである。

 禁煙っていうのは、これまた継続であり、或る意味、ダイエットと同じ取り組みだ。
 ダイエットでの秘訣の一つに、毎日体重計に乗るとか、食べたものを記録するレコーディングって方法が知られているように、禁煙も似たようなモノだ。

 禁煙の場合、一日吸わなかったらという乗りで、過ぎた日を数えていくと、この日が途中でゼロに戻る事自体が嫌になるのである。

 事実、今の自分の方法がそうだが、毎日一日ずつ数えて、666日を経過したところで、仮に吸ったら、これがゼロになると思うと、やっぱり吸えないってものなのだ。

 案外、ダイエットに限らず、禁煙でも何でもだが、日記を付けるという行為は物事を継続させる大きな力になるようだ。

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モダンスポルティーフ化計画、始動!

 この間のサイクリング以来、自転車が楽しいと思い始めている。
 これまでは、ハッキリ言って苦痛の方が多く、楽しむというのは、作る、組み立てるという部分が趣味であり、乗る部分は義務感的に乗っていたのだが、純粋に乗って楽しいな!って風に変わってきた。

 それは、やっぱり日常と離れた見慣れない風景を疾走したからだ。

 疾走しながら思ったのは、自転車で楽しさを感じるのは知らない場所を走り回るところ。

 そこで、愛車であるBSのTTロードを使ったのだが、満足した部分と大いなる不満を感じる部分がある。
 それは、前記事でも書いたけどサイクリング適性の部分だ。

 サイクリングが好き。サイクリングに見合った機材は?っていうと、疲れを感じずに走れるマルチポジション、楽に漕げるワイドレンジ、クロウスレシオのギアセット、修理セット、おみやげ等々の荷物を搭載できる積載性である。
 そういう部分で見ると、TTロードにはNGポイントがある。そのNGポイントとは、やはり積載性、それと悪路走行時の跳ね返り防御が無策な事だ。積載性解消のために樹脂製シートポストラックを装着したが、如何にも間に合わせである。跳ね返りに対してはポストラックにある引き出し式のマッドフラップがあるけど、如何にも間に合わせ。この間に合わせ感がいけない。

 そんな願いを叶えてくれる自転車は何か?っていうと、今の時代は死語となっているが、スポルティーフだ。ランドナーの場合は、ライフスタイルから活用する時間が取れないので、やはり日帰り~一泊程度のスポルティーフがベストだ。自転車一人旅、これが出来る自転車こそが自分の趣味に直球勝負なのである。

 しかし、今、スポルティーフでググルと何故だか、安価な部品でレトロ調な自転車ばかりである。形だけ昔のスポルティーフしか完成車で無いのがふ・し・ぎ。当時のスポルティーフレプリカ?で、フーテッドレバー、Wレバー、、、、、そんなのはどうでも良い。パッと見た印象は、当時のランドナーを700Cで作っただけだろ?って印象。

 スポルティーフといえば1970年代の新ジャンルに近く高速旅行車である。ロードレーサーを基本にマッドガード、場合によってはトリプルのクランクセット、それに小型キャリア、WOタイヤがスポルティーフである。基本はかっ飛ぶ自転車であり、のんびり走る自転車とは違うのである。オッサンが昔を懐かしむ、昔風の自転車がスポルティーフでは無いのだ。まぁ、自分の乗っていたダイヤモンドはDF-7110でありファーストランディングってモデルだが、そういうのが理想なのだ。
 ちなみに、30年以上前では、トリプルクランク装備はロードに非ず、今でいうコンパクトクランクもロードに非ずで、ロード系モデルにトリプルとか今でいうコンパクトを装備したのは、それにフェンダー、キャリアでスポルティーフの特徴というのが常識だったと思う。

 こんな要求を満たすとすれば、どの時代の車体かは関係無く本物のロードバイクをベースにフェンダー、キャリアを付けるということ。造作としては最新のロードでも昔のそれでも構わないのだ。そういう自転車が今は皆無、、、、これは寂しいもの。
 そう思うと、我が家のロードをスポルティーフに組み直したい!って気持ちになる。

 できないか?って考えると、我が家のロードの何れかに、当面はフェンダー付けて、それなりの収納用キャリアを前に装備するだけで良いかな?と思うのだ。
 夏に向けて、自分流のスポルティーフを作ってみよう!

 TTロードにフェンダー+マトモなキャリア+収納バッグも悪くない。でも超レーシーなスケルトンの小林ロードにフェンダー、フックキャリアで小型フロントバッグっていうのも羊の皮を被った狼的に渋い。夢は拡がるが、どちらかをスポルティーフ風味にリデザインしてみよう。

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SDテレビがイイかも知れない。

 寝室のテレビは旧世代アナログテレビである。
 この解像度は昔ながらのSD解像度であるのだが、この画面でみる映像は、どのチャンネルも綺麗。DVD視聴も綺麗。

 特に顕著なのが、低解像度画像を普通に低解像度で見る時の綺麗具合。ケーブル入力なので、NHKハイビジョン放送もアナログ低解像度変換してライン入力で見た映像も綺麗のだ。

 これに対し、リビングのハイビジョンブラウン管の映像、、、、、これは並べて置いてあるハイビジョン液晶よりは遙かに綺麗なんだが、SD解像度(低解像度)の映像を映し出すと、所謂SD解像度テレビに較べると、どうしても輪郭がぼけた感じとなる。

 印象的には30万画素のデジカメ画像を壁紙目一杯に拡大表示したかのような輪郭のボケ具合である。

 当然というか、仕方ないと言えば仕方ないのだが、、、少なくとも昔の29インチの大画面ながら低解像度のテレビの方がいくらか綺麗とも言える。

 そんな事を悶々と考えながら思ったのは、、、、、別にハイビジョンテレビでも、ハイビジョンブラウン管で無くても良いかなぁ?って感想。

 デジタル受信データをデコードできるデジタルテレビで低解像度のブラウン管でも十分以上に機能を果たすような、、、、そんな印象なのだ。
 そして、記憶を紐解いていくと、、、、そうそう、サンヨーのブラウン管最終世代機が低解像度+デジタルチューナーという機種が在ったのを思い出したところ。

 そして、そのテレビ、実は出入りの店のテレビでもあるのだが、これが結構綺麗でハイビジョンもそれなりに綺麗に映っているのである。このテレビは、ハイビジョンだろうが何だろうが、525Pモードに変換して映し出すテレビで、低解像度の範囲で画質に拘ったテレビで、或る意味特異な存在だが、実際、現在のように映像コンテンツの解像度が一定で無い状況でトータルで綺麗に見せるには悪くない選択肢なのだ。

 リアルなハイビジョンブラウン管テレビは中古、オークションとも相場は高止まりだが、概ね、その半値で取り引きされているのが、そんなテレビだが、こういう選択肢も悪く無いなぁ!と最近は思うのである。

 一台、買っちゃおうかな?と、物欲が起動中だったりする。

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