ビッグスリー、破綻、でも、
クライスラーが破綻した。破綻して資産を売却したのだが、新会社は旧クライスラーから営業資産を譲り受けて自動車の生産を継続するという。新生クライスラーはイタリアのフィアットと提携して再生に向けた動きが始まったという。
そして、今度はGMが破産法申請という。勿論、破産しても無くなるという訳でなく、有料ブランドは国有化してでも残し、不採算ブランドは整理するという。
このような事態で、当事者の方々は生活に大きな影響を被るのは事実だが、それでも全員が路頭に迷うことはなく、GMの場合は、店舗網6000店から3600店に削減、工場従業員を6万1千人を四万人に減らす程度?に留まっているのが現実だ。
今の時代、破産したからといって、全て水泡に帰すというものでなく、経営責任者が追放されても、大きな枠組みを保ったままというのが普通のようだ。
バブル崩壊後の日本の大企業の破綻においても、基本は、社名を変更し、当然、経営のスリム化を計るものの、枠組みは維持っていうのが普通のようだ。
思うのは、大企業は経済への影響が大きいために、何とか守るというスタイルなんだろうが、それに比べると、中小零細企業の破綻に際しては殆ど救済の手が差し伸べられない現実に今更ながらギャップを感じるところである。
こんな幼稚な事を記事にするのもバカげているかもしれないが、今回のビッグスリーの内二社が破綻する事態において感じるのは、実際に職を失う人と、前回、議会に支援要請にやってきた幹部の危機感の無さのギャップである。
職を失う人には多分、明日の生活費さえも苦労する人がいるだろうと思う反面、諸悪の根元となった幹部は、どんなに経営責任を追及されたとしても、その生活が最下層に落ちるような事態は何重ものセーフティネットを自身を保護しているのだろうということ。
企業の破綻でも中小零細は切り捨てられ、仮に枠組みが維持される大企業でも切り捨てられる側とそうでない側は明確に分かれているだろうという事実。
このような構造自体が、市場の活性化を阻害し、閉塞性を助長しているようにも見える。
実際、どの視点で見るかによって政策は様々であり、ベストの視点というのは定めようもないが、日本に限らず、世界的に価値観の行き詰まりを感じるというのは言い過ぎだろうか?
更に思うのは、このような市場に影響が大きいという事で枠組みが残されるっていうのは、結局どうよ?って疑念が拭えない。市場経済で破綻ということは、或る意味、存在が否定される訳であり、そこに、どんな資金を投入して、その際の経済指標を支えても、それは実体に添った経済指標に為りうるか?というと、やはり疑問だ。このような介入というか数字合わせが、実体経済と経済指標の乖離を生む要因の一つになると思うのは自分だけだろうか?
市場経済が弱肉強食の原理で、中小零細が切り捨てられるならば、本来ならば影響の有無以前に、相応の報いとういか、そういうモノを受けなければ市場自体は反応しないようにも思う。
自分の勤務する企業の業種、業界は舶用関連だが、昨年迄の空前の好景気。今年、来年も取り敢えず仕事量は確保しているのだが、それでも昨年迄の右肩上がりに比べると随分と雰囲気が変わった。
なんというか、バブル景気以後、やればやる程、業績が上がる。利益が上がる。そんな状態でイケイケムードだったのは否定できない。
所謂、自転車で坂道を一生懸命漕いで駆け下りて、その勢いを保ちながら景気の底を通過して、次の景気の山頂に向けて一生懸命漕いでいたような感じ。そして、ふと気が付くと、景気の山頂に向けての上り坂が足下から消えたような印象。
確かに、上昇機運だが、漕いでも漕いでも空回りで空虚な感じ。そして、駆動力が伝わらない分、初速を徐々に失っている感じ。今、その浮遊状態を想像しているところ。
ここ数年で狂騒的な景気拡大で殆ど全ての企業が業績を拡大してきて、その拡大戦略をデフォルトとして過剰な投資で利益拡大を目指してきた。そして、昨年の金融危機で景気の坂を転げ落ちるのは同じだが、それまでの余力で多くの企業は次の景気の山に向けて助走しているような印象だが、その助走している道が途切れている。そんな印象が強く感じられる。
足下の道が無いっていうのは、企業戦略が空回りしているような錯覚の喩えである。企業戦略が空回りっていうのは、ニーズを掴み切れていない、ニーズを生みだしていない、今のニーズに応え切れていない感じ。GMならば強引に助走を付けて押しているのだが、足下が見えない、戦略で、どの山を目指すか?目指すに見合う根拠となる戦略が具体性を持って見えるか?というと、見えない。
多くの企業が、戦略を見定め切れていないような印象だ。
飽食の時代では、必要なモノは一通り存在するのが現実であり、誰でも作れる既存製品の製造のままでは多くの企業はジリ貧に陥る。そんな雰囲気だ。
今回の景気後退は、今が底でなく、今が入り口、、、そんな気がするのは考えすぎだろうか?
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