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2009年6月24日 (水)

時間で得られる結果は皆一緒

 人間、誰しも同じである。自身の意見の根底には、それが有る。
 同じ取り組みを、同じ時期に、同じ期間取り組んだら、、、、結果には僅かな差異しかないだろう。それが、誰しも同じって根拠。これは、別に自転車に限った事でなく、水泳でも、学問でも、何でも言える事。
 そんな話は、動物の類型的な特徴が収束する話を何度かしているが、それにも通ずる事である。

 だから、どんなに自信を持っても、その収束範囲から飛び出した成果なんて有り得ないというのが俺の考えだ。

 そして、世の中での分野毎の差異は何か?っていうと、取り組み方が違う。時期が違う。期間が違う。と言う事に起因しているに過ぎないのだ。
 因みに、取り組み方っていうと、精通度、知識、それに割ける時間の配分による訳であり、ぶっちゃけた話、自転車で同じ時間帯に同じような格好で過ごす他人は、実は、似たようなライフサイクル故に、取り組み方やイデオロギーに殆ど差異は無いと言い切れるのである。

 だから、変な対向意識とか、僅か二三年で得た満足感なんて、言ってみれば屁のツッパリにもならないのだ。二三年で得た自信なんぞ、誰にでも二三年過ごせば勝手に身に付くモノ。それが現実であり、意識を対向したところで、違いなんか無いし、仮に、仲間内で上から目線で見下すような二三年の経験者が居たとしても、実は、殆ど同じな場合が多いのだ。

 これを言っちゃ、身も蓋もないかも知れないが、順位とかコンマ一秒に全てを掛ける世界の外では、その違いは誤差みたいなものなのだ。

 時間で得られる結果が同じっていう前提で、他人より深いモノを得ようとすれば、それに相応した時間の取り組みが必要であり、自負を持つならば、相応の年数の取り組みが必須なのだ。経験する年数が長く、経験した時期が早い程、得られる結果に差異が生まれる。ただ、同じ時期に同じ年数の経験を積んだもの同士では差異は無い。そういうものなのである。

 つまり、素人が一足飛びで経験者に並ぶ事は未来永劫有り得ない。

 しかし、どんな事柄、どんな分野でも、同じ年数や努力に応じて普遍的な結果が得られる段階と、その方法論次第で個性が生まれるものである。その個性が僅かな差になる。その差は大局的には小さなモノだが、優劣とは異なる違いとして存在するモノである。そして、その終局的には、年数と取り組みを如何に増やしても、その到達域はあるレベルに収束するものでもある。勿論、その収束域には、時期の違い、年数の違いの差はあるが、それ以上に、取り組み方の違い、才能の違いによる影響はあるけど、その違いが僅かな条件で逆転する範囲に収まるのも事実である。

 そういう状態っていうのが、各自なりに満足感が得られる状態ではないだろうか?

 逆に、そういう状況からほど遠い段階では、得られる結果は皆同じ。そして、結果は、年数と時期次第。そんなもんだろう。

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コメント

コメント有り難う御座います。
他の記事でも紹介していますが、その頂点の僅かな差は確実に存在するのは理解していますし、そうだと思います。

ここでいう結果が同じというのは、その突出した極限の僅かな差を差としては定義していません。

大雑把に言えば、そうですね、陸上競技を志し、その世界で取り組めば誰でも12秒/100mの世界には辿り着くでしょうって意味です。
もっと言えば、例えば、動物のチーターの速度がありますが、個体差は在っても概ね100km/h前後迄加速できますよ!って意味です。

世界レベルの選手とは、個体差による適性と種目の持つ適性が大きな割合で一致し、その適性を伸ばすような環境(生活習慣や練習、指導)に恵まれて、さらに、個人の嗜好が種目に合致した賜物だと言えます。
早くから人材や才能を発掘し、専門のトレーニングを行わせる事でトップレベルの選手を育成するというのは、そういう事です。

ここで言うのは、個体の普遍性の話であり、普通の人が同じような時期に同じ様な訓練をすれば、一分一秒を競う世界以外では似た様な結果を得られるよ!って話です。

但し、現実的には、同じ才能、同じ積み重ねは有り得ない訳であり、そこに違いが在るのは厳然たる事実です。それ故に、競技が面白い訳ですね。そして、競技の世界では、その違いをひっくり返す事が当然可能だと言えますが、そういうシビアな話ではなく、大雑把にみんな頑張ればそれなりの結果は得られるよ!って事です。

投稿: 壱源 | 2009年6月24日 (水) 11時30分

「結果」が皆同じ、というのは御幣があると思います。 人間、生まれ持った素質というものがありますから(人種・性別・遺伝など)、誰でも頑張ればボルトのように100mを9秒6で走れるようになるかというと、それは絶対に無いですから。

時間で得られる「伸び幅」が皆同じ、というのであれば、それは正しいと思いますが、たどり着くところは人それぞれではないでしょうか。

>素人が一足飛びで経験者に並ぶ事
これはあると思います。 特にスポーツの分野では、先に申し上げたような先天的要因により、誰かが何年もの練習、経験を積んでたどり着いたところに、1年もせずにたどり着くというような事はよくあります。そして、この後者が練習・経験を積んで初めて、世界レベルの選手が生まれるのではないでしょうか?

投稿: k | 2009年6月24日 (水) 11時03分

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