全ては物理か?
そういえば、久米宏さんの番組で哀川翔さんがゲストで登場した回の彼のコメントで、オッ!って思った事がある。
それは、自身、常日頃思っている事だが、どんな事も、物理、化学であり、自然界のルールに従って変化するって事の一部だが、スポーツは物理だ!って意見である。
正しくである。
自身、物事を極めている意識は毛頭無いけれど、最近思うのは、義務教育から高等教育に掛けて、すべての学問、教科には目的があり、実は全教科とも関連があるという認識をもったり、その認識の先は、人がどうなるべきか?を朧気ながらイメージ出来る事が多い。
そして、そのイメージを構成するに到る様々な学問、科目における内容で、例えば、自然界の挙動を解説したような現象は、状態量を表す定義、テクニカルタームこそ固有であれど、すべての現象、相似なルールが適応できるような印象を持っている。
熱移動、物質移動、化学反応、効率の問題、生物の機能、生化学的なサイクル、コンピュータの世界におけるプログラミング、その指向性、或いは、PCの進化、、、、・・・色んなジャンルがあるけれど、皆、似た様な動きに感じる事が多い。
何となくだが、遭遇する新しい分野の事柄も、過去の事例に当て嵌めて考えれば、割合すんなり理解できるような気分を感じる事が多いのである。
実際、自分の業務は二度と同じ分野を繰り返す事無く、3年~4年周期で全く未体験の新分野に携わるのであるが、どれも似た様な感じ、どれも似た様に結果を導く事はそんなに難しく感じない。それ故に、未知の依頼であっても、基本は断らないのだが、その根底は、全てが似た様に感じるという印象を持っているからだ。
最近思うのは、自転車関連、水泳関連、、、、こういうのも、正しく物理、小さな事に着目して考えてみると、なんだか自分なりに消化して、自分の考えというのが人に惑わされることなく持てるのである。
勿論、その考えが正論とは限らないが、少なくとも、自分で納得して、自分で信じれるのでOKだと思っている。
そして、思うのは、ブームっていうのは、殆どが模倣で己の考えが本当に己の考えでは無い人が多いのでは?と思うのである。情報を納得するとか、模倣するというのは、どうも己の考えとは違うように思う。
チョット違うかも知れないが、自分で決断して、人の影響を受けたくないという考えが、自分の場合、自転車や単車で走る時は単独か、先頭でなければ嫌という気持ちに結びついているのか?と考えることも多い。
やっぱり、人の後は、人の背中を見て走るのであり、自分で情報処理していないのが自分の好みには合わない。自分で情報判断して行動するのは、目に入る事を色々の判断する事自体が楽しいから。そこで色んな発見があり、それで知識や経験が増えていくのが判るからだったりする。
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