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2009年7月31日 (金)

OSって、、、、カルチャーショック

 NHK教育のITWBって番組、そこでOSとは?を解説していた。
 それによると、OSはパソコンのメモリー管理でプログラムの運用がスムーズに行えたり、プログラムの使用頻度に併せてメモリーと仮想メモリーの調整を行ったりするもの、、、、とか、或いは、CPU、メモリ、IOの調停を図るのがOSとか、、、或いは、たくさんのソフトを調停するのがOSなんだそうだ。

 へ~っ、そうなんだ、、、、

 OSって印象、OperatingSystemであり、印象的には、、、、パソコンの操作命令をハードが動く形に翻訳するためのソフトウェアって印象なんだが、ちょっと今の常識から同じとは言い切れないみたい。

 そもそも、PCのハードの根幹であるCPUに働かせるためにはCPU専用の言葉で指示することが必要。しかし、そのマシン語で願った形を伝える事は出来ない。本来、プログラムがダイレクトにマシンと対話しても良いのだが、プログラムを構成する関数のレベルが低級関数、高級関数とあって、その低級部分、つまりハードに近い部分を共用することで、ユーザーに近い高級関数の集まりだけでソフトウェアを作るというのが分担となり、その低級関数の集まり、すなわちソフトウェアからの高級コマンドをマシンに伝えるプラットフォームの事をOSっていう風に理解していたのだが、今日のNHKの説明っていうのは違和感を感じる。

 時代の進歩とともに、ハードが仮想的なハードを生むことが出来るようになり、それがタスクスイッチ、マルチタスクにつながる。仮想的なハードということで、複数のプロセスを同時実行できるようになると、本来一つの資源をマネジメントする必要が出てきて、複数のソフトの要求に応えてハードとの調停を行うのは、ハードの進化によって求められたOSの必然性であり、それが出来ないものでも当然OSと呼べるものは存在するわけであり、番組の説明は現代のOSの一機能の紹介に過ぎないといえる。
 といっても、いまの時代、CPMとかMS-DOSを知る人はいないだろうし、MINIXベースにマルチタスクを走らせるカーネルを記述できる人もいないだろうけど、シングルタスクのシステムでもOSってものはあるのだ。

 OSっていうのは、結局、ハードに併せてハードの機能をユーザーが指示できる形に翻訳するものにすぎないのだ。メモリ管理も何も、ハードの機能をユーザーに使わせるために行う仕組みにすぎないのだ。

 本来、CPUとRAM、HDDの間のやり取りの調停って説明は、違和感アリアリっていうのは、OSが違っても、CPUとRAM、HDDのやり取りは同じ動きをしている。たとえば、NT系OSであれ、Win9X系OS、MS-DOS、UNIXでは、ドライバの運用ではソフト表現は異なるが、低級レベルでのハード間の交信は同じ動作である。
 つまり、ハードの根幹の調停っていうのは、OS以前のBIOSの役割ではないのだろうか?

 OSとは、プラットフォームと捉えれば複数のソフトの土台である一方で、ソフトに下した命令をハードに伝えるのが本来の役割。マルチタスクOSの場合は、必然的にリソースの切り分けを機能としてもつのが当然であるのだ。大きく言えば、ハードを簡単に動かすための土台というのがOSでは無いだろうか?

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シューマッハが帰ってくる!

 期間限定だけど、8/23のGPから戻ってくるそうだ。
 ハンガリーGPでクラッシュして手術を受けたマッサの代役である。

 あのミハエルも40歳である。シューマッハといえば、セナ、プロスト時代に登場しベネトンで活躍していたのが印象的。ベネトンのシューマッハの活躍が印象的だが、それでもセナ時代のようなライバル不在感が否めない。フェラーリに移籍してからは完全にライバル不在の圧倒的な存在であり、セナ等と比較するとドラマ性に欠ける印象を持つ人も多い存在。

 そんなシューマッハが40歳でF1に帰ってくる。

 この構図、、、、、7連覇して引退し、今年、復帰参戦して3位に入った人、、、、そう、ツール・ド・フランスとランス・アームストロング選手のような印象。

 ツールではランスは凄いな!って思いながら、開幕当初から応援していたのは、コンタドール選手であり、それが勝って嬉しかったし、ランス選手は、気持ち的には2位、3位に入賞するような事を期待していて、その通りになって嬉しかったのだが、、、、

 今回のシューマッハ選手の復帰でも残りのGPでは、フェラーリの優勝は今年は難しそうだが、それでも表彰台3位程度は少し期待してしまうのである。
 残り7戦、その中でも日本GPは鈴鹿である。シューマッハの奇跡の走りを期待する。そんな感じ。

 最近は、MotoGPもF1もテレビ観戦することも少ないが、今年はシューマッハが出場するなら見てみたい、、、、

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適応現象

 先日、スイムで心肺機能を鍛えるには、楽々レベルではダメとか、ダンベル体操の負荷選びでも無負荷状態での体操ではダメで、動作に応じて10~20回で疲労を感じる様な負荷ダンベル荷重を選ばないとダメって話を書いた。

 これって、身体の機能を高める上で、新しい適応状態に移行する時に必要な原則なのだ。
 身体が変化するっていうのは、変化の必要性を身体が感じるから。その必要性の程度は、本来の機能では負荷が僅かに高めという状態が理想的なのである。そこで、アホみたいな過負荷はオーバーロード、オーバートレーニングとなる。特に、睡眠後に回復出来ない様な負荷は、筋肉痛というよりも、下手すると故障痛にも繋がりかねないので注意が必要。

 ただ、この適応現象の範囲っていうか上限が、ある程度人によって決まっているとも言える。

 それは、人の代謝システムというと、血管系、筋肉細胞数といった成長過程で得た到達結果だが、大事なのは、これを如何に高い稼働率で運用するか?ということ。

 つまり、個体として成長が停止した状態では、成長期において到達した上限が実質的なマキシマムと考えるべきで、成長期のピークから衰退した身体というのは、機能を休眠させる適応生活(怠惰な生活)の結果であり、それを戻すというのは成長期のピーク値に老化による差分を修正した所に戻るという意味だ。

 一般の成長期における成長っていうのは、成長に効く刺激=トレーニングになり、オッサンのトレーニングとは得るモノも、得る量も、変化する割合も全く意味が異なるモノ。 

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スイムで得られる事は?

 スイムで得られるのは何?
 まず、時間に比例して得られるのは、全身を使った運動、有酸素運動であり、そのために必要な循環機能、筋肉が鍛えられるかどうかは別として、取り敢えず、運動する事によってエネルギーを消費しているのは事実である。つまり、ダイエットに大きな効果として現れる脂肪の燃焼というのは、時間が長ければ、それに応じて効果があるのは間違い無い。
 しかし、泳ぎに慣れた人が長時間泳ぐ場合、その泳ぎ方は、超省エネモードであり、実質的に消費するエネルギーは少ないのは当然である。

 ところで、水泳ってうと、多くの人が心肺機能が鍛えられる!って思っているようだけど、心肺機能が鍛えられるには、相応の負荷が必要で、楽に泳いでいる状況では、心肺機能的に余裕ある範囲でしか使っていない訳で、そういう状況では、心肺機能が高い状態に移行するっていのは有り得ないのである。

 ここでも同様に、健康のためには良いけれど、鍛錬とか鍛えるという意味では、超省エネモードで、その人にとっての低負荷では大した効果は得られないのは当然だ。つまり、一定以上の負荷が無い限り、如何にスイムが効果的といっても、相応のダイエット効果とか心肺強化には結び付かないのでは無いだろうか?鍛えるって事は、運動の種目に拘わらず、相応の運動強度というか、しんどさがセットで無ければ意味が無いだろう。高い運動強度を与える事で、それに慣れるように適応する事が鍛えられるって意味であり、負担を感じないというのは、新しい適応に向かう必要性が無いという事。

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2009年7月30日 (木)

危機

 今の経済状況は回復傾向とは言われているが、それでも良い状況とは言えない。
 一方で、一寸前の経済状況を好景気といってみたり、バブル時代の反映を懐かしむ声も少なくない。

 思うのは、景気の善し悪しが、どうやら誰しもが、周りの状況のみで決まるとでも思っているのだろうか?

 確かに、景気という経済環境が社会や企業、家計に与える経済効果は少ないが、その経済環境がローカルな経済指標に直結するか?っていうと、必ずしもそうではない筈だが、そんな意識を持つ人は案外少ない。

 言いたい事が見えにくいかも知れないが、例えば、経済活動が活発となり受注が増えたとしよう。その増えた受注で利益が上げれるのは何故か?経済活動を活発にして利益が上がったのは、全て経済環境の恩恵か?というと必ずしもそうではないのである。
 勿論、経済環境が悪化して、連動して収益が悪化するのも、全て経済環境のためか?というとそうではないのである。

 その理由っていうのは、経済環境っていうのは、要は消費マインドであり、そのマインドの変化は物理的な資本の量とは連動していないのが現代社会である。消費マインドが増大すると需要が増大し、逆なら冷える。そんなもんだが、消費マインド自体は、いろんな要因で変化する。そして、その変化っていうのは短期的、急激に訪れるものである。

 そんな経済環境で良好な収益を挙げ続けるには何が一番重要か?っていうと、実際の生産活動を担う資本(設備、人材)の変化と消費マインドの連動性である。
 つまり、マインドの変化に資本の変化が対応できれば一番理想的なのだ。

 仮に、マインドが増大して、受注が増大しても、市場の要求に応える事の出来る体制、つまり資本構造が作れなければ失注して、シェアを落とすのである。或いは、納期遅延で信用喪失となるのだ。増大する受注に資本能力を追随させる事が出来れば、繁栄を受けて、無理ならば受けれない。そんなもんなのだ。
 逆に、マインドが縮小しても、それに応じた資本体制に変化出来ればダメージは最小限になる。

 しかし、その資本変動の緩衝領域である派遣社員の扱いを巡り、資本変動による対応が難しくなりつつある現代においては、資本圧縮せずに組織や社会を保つための危機対応を生めるか否かが、今後の繁栄可否を占うのである。

 現代の景気状況は必ず好転すると言われているが、ここ二十年における世界の経済秩序は大きく変貌を遂げているし、ここ数年の景気変動では、地域の役割は大きく変化している。新しい、経済秩序の中で組織、国家の担うポジションをしっかり確保しなければ、今の状況から全ての産業が好転するという事には繋がらない筈だ。

 インドのタタ社のナノって車を見たけど、これから世界の景気を引っ張る消費ニーズに応える製品っていうのは、あのクラスなんだろう。必要なのはニーズに相応しい性能、コストである。車に限らず、産業機械、家電等々の商品はニーズに合ったモノであることが重要であり、そのようなモノを生み出す力は、そのニーズを持つ地域で既に獲得しているのが、これからの地域間の経済秩序再構成に大きな影響を持っているだろう。

 車、家電、産業機械、、、、そんなモノは、地域で賄えるような産業振興を国策で地域が行っており、そこで生まれたモノが他国の要求に見合うかどうか?を考えた時、車の場合は、ナノって車は他国のニーズを満たせないかも知れないが、韓国で作る家電、中国、韓国で作る自動車、台湾、韓国、ブラジルで作る二輪車、韓国、中国で作る大型産業機械は、既に世界で大きなシェアを獲得するだけの製品競争力を身に付けている。

 日本の産業を見た時に、そのような経済成長の著しい国家の製品と競わざるを得ない企業が、過去の景気を支えてきたのは明らかであり、これから、新しい経済秩序で生き残るための取り組みが必要であろう。
 或いは、欧米が、大衆車、記憶デバイス、大型産業機械から撤退して別の価値観で経済活動を活発にしたように、新しい価値観を持って経済秩序の中で役割を担えるか?が鍵となる。

 これから景気が回復するから、みんな幸せになる?っていうのは、間違いであり、その先に潜む危機に対応する力、人材がいれば、危機は訪れないし、景気に任せて大丈夫という慢心していれば、危機が訪れる。そんな気がする。

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ステンレスフレームで、まず妄想

 昨晩は、梱包を解いてサッと見ただけだが、一日置いて考える。

 その前に、ネットでステンレスフレーム&ロードバイクで検索してみる。結果、出てこない。出てくるのはQ&Aばかり、質問者の多くはステンレスフレームってどうよ?で、回答者はステンレスフレームは脆く?ダメとか、、、、第一印象は、みんな乗った事あるの?って感心したのだが、良く読むと、チョット違うみたい。どっかの物性値とか、聞いた話的な部分が多い様子。
 まぁ、材質だけで質問する方も、それだけで解答するのも基本ナンセンス。とある素材が在ったとして、これを完成させる時に、どのような性質を与えてやるか?が重要。つまり、素材を生かした料理法で味は大きく変わってくるのである。
 そう、自分の関心はステンレス素材をフレームに利用した人は、その素材を如何に活かしたか?が興味なのだ。その味っていうのは、素材の何かに大きく依存するものならば、それは、素材ならではの特徴となる筈。
 そう考えた時に、ステンレスフレームが生み出す結果としての味はどうか?が関心の的で、これから完成車に仕上がるまでは、眺めて感想、見て感想、部品選びで妄想、、、、という楽しい思考の迷路状態となるのだ。

 そこで、第一弾、取り敢えず見だだけの段階で、妄想してみた。

 このフレーム、非磁性であり光沢から判断するとオーステナイト系、恐らくSUS304材である。フレーム肉厚は端部1mm(ノギス測定)、中央部0.5~0.6mm(超音波測定)のバテッド管である。フレームの接合はラグレスで、溶接ビードが無いもの。特にビードを研磨か切削が出来ないよう部位でもビードが見えないのでロウ付けか?と思えるモノ。ロウの部位は経験上銀ロウに近い見た目。特筆すべきは、パイプ同士、パイプとクラウン、パイプとエンド、パイプとポストクランプといった異材接合部位の接合境界面が目視では見えない程に滑らかに仕上げ加工されている。パイプ外径は標準のクロモリフレーム系の自転車と同じ。

 興味深いのは、ブレーキワイヤーアウタートンネル、Rメカワイヤーのアウターカップ、レバー台座、前後エンド部品、フォーククラウンの全てがステンレス製となっている事。そして、全てのパイプが自転車フレームに見合った(標準部品が組み付けれるサイズと絞り等々)形状となっている。つまり、このフレームの生まれた時期には、ステンレス材でフレームを作るための材料の供給体制が在ったということ。

 因みに、ステンレスの物性は?っていうと、比重は鉄系が7.8~7.9に対して8.0程度、乗り心地に効いてくるであろうヤング率は、クロモリが200~207[GPa]に対して197~200[GPa]ていうもの。因みにジュラルミンで70~[GPa]、Ti合金で100[GPa]程度、CFRPは100~200[GPa]でモノ次第。
 大きく違うのは、降伏強さ、引張強さ、伸びという部分である。これを順に挙げると、SUSの場合は、205[MPa]、520[MPa]、40%という数値に対して、クロモリの場合は833[MPa]、980[MPa]、12%となっている。降伏強さ、引張強さが弱いように見えてもジュラルミンが195[MPa]、355[MPa]、鉄が240[MPa]、450[MPa]、21%である事を考えると、決して弱い材料でも無いし、強度が必要としても肉厚でどうにか為る範囲である。
 但し、注意が必要なのは伸びの大きな材料とそうでない材料は応力歪み曲線は違うタイプであり、そこで応力限界の降伏強さとかの数値は永久歪みεの数値が違うので同列には比較できない。クロモリではε=0.2%をだろうけど、SUS304の場合はε=0.1%であり伸びやすい材料故に歪みが小さい場合でも絶対値が大きくなるからと言える扱いが為されているからだ。仮に、ε=0.2%とすれば、みなし応力限界値は更に近づく。まぁ、伸びのある材料では材料の強度評価にはオフセット耐力を用いるのは常識であり、応力限界値で材料の優劣評価を行うのは、本来過ちとも言う。伸びとか応力限界値は、負荷上限に効いてくるモノであり、大事なのは負荷上限を満たした形状にした時の弾性特性である。

 ところで、構造体の弾性特性は、構造体のメッシュサイズ、構造体のパイプ外形、パイプ肉厚で計算できる。弾性率が同じなら、外形を増やし、肉厚を増やせば弾性が高まる。
 そう、大事なのは、このように強度に併せて設計した時の弾性特性はどう?っていう事。構造体のバネ定数の大元となるのがヤング率。クロモリを基準とした時に、応力限界、ヤング率から弾性を見繕うと、チタンフレームは同じ強度を維持する形状ならばヤング率は半分であり相対弾性は0.5って事になる。
 反対にアルミフレームっていうのは疲労が進行するという原則で、変形させない頑丈さで作られる場合が多い。相対的な弾性で言う事も可能だが、弾性材料でなく確実に疲労が進行する類の材料であり、原則として弾性に従って変形するようには作られていないだろう。
 クロモリフレームを基準に考えると抽象的かもしれないが、チタンはしなりやすく、アルミは堅いという事である。

 余談だが、CFRPはいったい?っていうと、物性的には実は大したこと無いのだ。弾性率は鉄の1/2程度であり、超高級でクロモリと同等というレベルである。CFRPのメリットは?っていうと、軽さと断面形状の自由度であり、実質的にクロモリ以上の構造体弾性を確保し、アルミ程堅くないというところを軽さを保って狙える存在と言える。

 弾性という尺度でいうならば、

チタン合金(0.5)<クロモリ(1)<CFRP(設計次第)<<<<アルミ合金(∞)

 因みに、今回のステンレスフレームの場合、肉厚は1mmであり1.4倍、そうやって必要強度を確保していると考えられる。そして、弾性率が同じ材料であり、肉厚が1.4倍ということは間違い無く構造体弾性自体は薄肉クロモリを上回っている。つまり、序列的には、薄肉クロモリより高弾性でアルミ合金には到らないというもの。まぁ、冷静に考えれば厚肉クロモリでも同じ様な性能が出せるとも言うが、、、、敢えて言うと伸びが違うけど、それはフレームの特性にどう影響するかが微妙なところ。
 最大のメリットは何と言っても耐候性だろうか?錆びないっていうのは屋外使用前提の機材としては大きなメリットである。あとは、靱性、耐衝撃に対して割れない強さっていうのはサスペンション構造を有しない自転車のフレームとしては耐久性の面でメリットは大きい。
 言ってみれば、割れない錆びない高弾性材料とでも言おうか?そんな特徴かもしれない。

 今回のフレームでは強度を揃えている?結果、重くなるのを極力排除するために、ラグを用いていないのかもしれない。結果、そこそこの軽さに仕上がっているが、その軽さの結果論として、フレーム自体の作られている方向性を伺うと、トップ長C-Cで530mm、シートパイプ長C-Tで520mmであり、小林のマンガンモリブデンパイプ、BSのクロモリパイプのフレームに較べると同じトップ長ながらダイヤモンドはコンパクトとなっており、剛体としては高強度、高弾性方向となっている。シートステー、チェーンステーも一回り太めで、シートステーの結び方は巻きステーのような横留めと違い、集合ステータイプであり、パイプの接合部強度は高めの構造。
 つまり、パイプの継ぎ手工作、ダイヤモンドサイズ等々から見ると、全体的に高弾性方向を目指して作られている事が想像できる。構造体としても高弾性方向、そして、材料の肉厚から見てパイプレベルでも高弾性方向である様な印象である。

 関心は、自分の持っている他のフレームと違いが感じれる?って所。多分、ハッキリとした違いを断定的に言う事は出来ないだろうし、違いを感じたとしても材料に起因するものでなく、形状に起因するものだろうけど、このような想像をして、その想像という予備知識から実際の違いが感じ取れれば楽しいなぁ!っていうのが期待である。

 面白いのは、見た目クロモリホリゾンタルのような細めのフレームだが、実際は相当に弾くフレームっぽいというミスマッチ感。見た目の繊細な感じをコンポでどう表現するか?という部分。何をどうする?っていうのは決めていないけど、質量感の薄い繊細なデザインのコンポで仕上げるのが自分の美的センス?かも。タダ言えるのは、広い面が強調されるデザインは今一似合わないかな?って印象。カーボン部品も目立つようには使いたくない。他には、シマノのホローテックデザインなんかは似合わない印象。更に言えば、独特の金属光沢を活かすという意味では、マテリアル的には、アルミ系、鉄系が理想、それで居てなるべく最新ということで、、、、、、カンパのアテネ11S辺りがリーズナブルで悪くない印象だ。

 後は、余談だけど、ステンレスポリッシュっていうのは独特の光沢である。他の金属のポリッシュっていうのは表面粗度次第であり、擦り傷等で光沢は一気に失われる質のもの。表面の反射が純粋に材料表面の平滑度に依存するようなモノ。これはメッキの類でも言えるもの。
 しかし、ステンレスの光沢っていうのは表面粗度というよりも不動態被膜下の金属光沢が透過して鈍くしっかり光る感じ。内部から反射するような深みのある光沢である。だから擦り傷が付いても、傷自体の表面自体が反射するというもので光沢は傷が付いても失われない質のモノ。これがメッキ、他の金属との大きな違いである。
 実際、調理器具でアルミ鍋は古くなると曇って反射しないけど、ステンレスの手つき鍋は焦げても、汚れても、凹んでも光沢は失われない。そんな違いだ。この独特な光沢っていうのは、それだけで何だか嬉しくなる。

 パッと見ただけで質感が違う。そして細身ながらも弾くようなフレームと言う事。早く乗ってみたい気もする。

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○○なりに、、、、

 この記事は、健康を維持する上で、環境なり、年齢なりに無理せず、自分なりに自然体で過ごすのが一番大事って記事を書きながら思い付いた記事。

 結局、何事も、無理してはダメである。背伸びは禁物、背伸びするから破綻する。格好付けるから体裁を取り繕う。見栄を張るから嘘を付く、、、、そんなモンである。

 考えてみれば、どんな世界の事も分不相応な事が破綻に繋がるのである。この分相応っていうのが実は難しい。ってういのは、社会にしろ、国家にしろ、何でもだが、構成要素は個人であり、個人の意識事態が分相応という頃合い以外で取り組む人が多いから、色んな無理や事故、事件が起こるのである。

 企業を見渡してもそうだ。自動車会社のクレーム隠しもあれば、機械製造業なんかでは組織ぐるみで成績数値の改竄が行われているのは至る所で見て取れる。このような企業姿勢も結局は、顧客や社会に対して優秀さを過度にアピールしたがために迫られる行為に過ぎない。本来、有ってはならない事だが、これが日常的になっているのが現実なのだ。本来、品証部門等は、その正当性チェックが役割だが、現実は如何に嘘を隠すか?のギミック追求が役割となっており、いつの間にか、顧客や社会に向けて宣言通りのモノを納めるという本質が、納める時に如何に喜ばせる(騙す)かに変わっているのが実状だ。

 このような風潮が何処彼処で見られるっていうのは、やはり良い格好をしたいがために迫られた結果である。つまり、分不相応な事を望んだがために迫れる事。勿論、構想段階では優れた性能を求めた取り組みを行っているのだろうが、結果として、理想を追いきれないっていうのは、組織として組織の分不相応が読めない結果と言える。

 大事なのは、最終的には個人が自己及び周辺を見て、冷静に自分のレベルを認識することで、客観的に自分が見れるかどうかなのである。自分を外から見れる客観性、一寸前の記事に『鳥瞰』って記事を書いたけど、正しく、そういうことなのだ。

 そして、どんなに背伸びしても、どんなに取り繕っても、最終的には無理は通せないのが世の常なのだ。結局は、行ってきた行動の結果が現実の解として現れる。そういうモンなんだろう。或る意味、どんな結果であれ、結果は過去の行動の因果から生まれたモノなのである。

 丁度、一ヶ月後に衆議院の総選挙がある。巷では、政権選択選挙といっているけど、自分的には以前の郵政解散のような選挙とは異なって、どうでも良いかな?って思うのが正直なところ。
 どんな結果であれ、その結果は、ここ数年の日本社会の歩んできた流れで定められた結果になるのであり、そういう状況がどうなるかは知らないが、そうなった時に、それに応じて考えればよいという程度の関心だ。

 気分としては、今の問題の全ては自民党政治の責任であるのは100%間違いない。勿論、今の繁栄もそうだ。その相殺の結果が良いか悪いかは人の判断だが、その総合の結果全てが自民党政治の責任というのは、間違いない。

 政治が変われば社会が変わる。価値観が変わるのは事実だろう。その事実が、今より良いか悪いか?は今の状況を良いと判断する人から見ると嫌だろうし、今に不満を持つ人から見ると期待を抱くだろう。
 言えるのは価値観の異なる政治が始まれば、その時代なりの利点、欠点が新たに見えてくるだけなのだ。今思うのは、日本を取り巻く環境が激変し、国際的な地域の役割も大きく変わっている。そういう変化に対しては、変化する方が良いかな?という思いがあるのは事実だ。

 しかし、その新しい体制も恐らくは相当に不安定な体制だと想像できる。自民党が過半数を取ることも考えれないが、民主党が単独過半数を取る想像も出来ない。ただ、ここ数年の政治状況、経済状況に応じた体制が生まれるのは確かだろう。それが必然なんだろうが、その不安定な体制は暫く続く筈。これからの数年間が新しい価値観に移行する時期なのかもしれない。その不安定な時代の中では、従来の体制で辛うじて背伸びや虚構が通用してきた企業を大きな洗礼を受けるのでは無いだろうか?

 何にしろ、過去の積み重ねが現代、そして未来となる。心地よい未来っていうのは、現在進行形で自然体で取り組む事のように思う今日この頃。

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自然体

 最近の記事で、不自然への拒絶ということで、サプリとか外科的施術による減量に否定的な意見を掲載したり、昼休みの過ごし方で思うところを記事にしたりした。

 そこで、考えたのは、人間、自然体が一番ではないか?ということ。勿論、自然体=自堕落な生活ではない。自然体っていうのは、生物としての生活環の中で、状況に応じた生活ということ。

 不老不死を望む。これは基本OKだが、果たして、不老不死=若い時期のパフォーマンスを維持する事か?というと、これはチョット違う筈である。絶対的に加齢という不可逆な変化を伴っている訳であり、その加齢変化に応じた過ごし方と獲得(維持)すべき能力っていうのがあるのではないか?ってこと。

 誕生して成長して老化して、、、っていう輪廻が掟のようなものであり、その過程毎の自然体っていうのが一番重要な気もする。確かに、発揮しうる機能の低下は緩やかかも知れないが、低下しているのは紛れもない事実。それ故に、過去と同じ事が、今、将来に実現出来るか?というと、実質不可能と考えるべき。
 出来る事は?っていうと、段階に応じてベストを生み出す組み合わせを変えるというようなモノであり、例えばプロ野球の投手が速球派から技巧派に変えるようなモノ。速球派に拘り、そのための強引な取り組みを続けたとしても、望むモノは手に入れれないようなモノ。

 結局、時代なり、レベルなり、自分なり、老いの程度なりに、自然体で過ごすのが一番ではないか?ということ。
 コレを更に広義に言えば、生活環境なり、経済力なり、、、、そういう風にも言える。そして、自然体っていうのは、生活する上で行う行動の何かに無理を強いないっていうこと。つまり、億劫にならない範囲で、緩く過ごすのが一番良いのでは?とも言える。

 あまりにも不自然で、一時的で、外的な力で健康や減量を実現するなど以ての外だが、如何に、運動と食生活だけと言っても、未来永劫持続的に行えないようなカリキュラムも続く筈無い訳で、続けれない方法で一時的な結果を得たとしても、それも或る意味不自然な結果といえる。
 一番重要なのは、気が付けば減量、いつの間にか健康っていう風に、意識する事無く無意識の内にそれを得るというのが一番大事なのではないだろうか?

 無意識、自然にっていうのは、結局は価値観を変える事であり、価値観が変われば欲求の優先順位が変わる。そうすれば、自然と変化していくのではないだろうか?
 自分に置き換えてみると、今やっている事は、少なからず無理があるなぁと考えている。つまり、そんな無理強い感が消えるようなリズム、或いは、その無理強い感が無くなるような考え方を見出す事が長続きの秘訣かな?と考えている。

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2009年7月29日 (水)

サイクリングバイク(スポルティーフ)、着々!

 小林のロードをスポルティーフにするぜ!ってことで、春頃に注文していた部品等がやっと全部そろった。

 最初に来たのがNITTOのCrMoのパイプキャリアである。これはフロントキャリアでキャリアダボの無いバイクに付けれるバンド止めで固定可能なものだが、最初にこれを装着した。
 次いで、3か月待ちで、本所工作所のテスタッチロードフェンダーが届いたのが先々週の事。これをクリアランス激少で装着していた。

 そして、本日、ついに最終兵器、東京浅草の犬印鞄製作所に発注していたフロントバッグが届いた。サイクリングと言えばフロントバッグ、フロントバッグと言えば犬印である。大昔に、ダイヤモンドのDF-7110改のスポルティーフにも犬印のフロントバッグを使っていたが、今回も同じである。

 さすがに30年前とは異なる製品だが、しっかり感は昔のまま、、、、、自転車にはフロントバッグっていうのは、単車のフロントバッグと同じようなもの。旅の必須アイテムだ。

 これで、小林ロードは小林スポルティーフとなる。鞄もバックオーダーで2か月待ちだが、待った甲斐のある一品だ。今の他メーカー品と比べれば割高かもしれないが、そんな価格を超越して、使いやすく頑丈なのが犬印である。

 今日は、二つも物が届いて、超満足である。

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来たぜ!未知のフレーム

 先日から記事にしていたモノ、そう、ステンレス?フレームと言われているものが、ついにやってきた。

 結論から言うと、支払った金額以上の満足度である。ハッキリ言って、こういうものが過去に存在していたのか!と、驚くばかりである。

 このフレームがやってくる前は、売り手の説明からアルミフレームとは違うだろうが、もしかして鉄フレーム?って思いがあったのも確か。或いは、フェイントで世間的には間違えていたらラッキー?と思うかもしれない(自分にとっては残念!って思うだろうが、、、)チタンフレームか?とも思ったり、今日一日はそんな事ばかり考えてすごしていたのだが、、、、

 やってきたのは、まぎれもなくステンレスフレームであり、非磁性、オーステナイト系ステンレス、おそらくSUS304だと思えるフレームである。フォーククラウンからコラムパイプ、エンド、すべてステンレスである。ステンレスラグが存在しないであろうからか、パイプ組はラグレスである。ラグレスでロウ付けというパターンだ。ロウは完全に研磨してフレームと滑らかな境目が見えないような磨きあげがなされている。
 チェーンステーはハンガーに結ぶまでにブリッジは無しである。リアセンターは相当に詰まっている。シートステーは集合ステータイプだ。そしてワイヤーリードはハンガー裏で止める方法で、Rメカのアウターカップはチェーンステーの下側、ボトル台座はアンダーパイプ側一か所、ブレーキアウターはワイヤートンネルタイプ、Wレバー台座はカンパタイプというところ。エンドはステンレス製のロードエンドでショートタイプとなっている。ブレーキ留めは沈頭タイプで今の部品が使える。

 特筆すべきは重量でヘッド小物、BBが付いた状態でも2.1kgと相当に軽量。実際、フレームパイプを指で押すと凹む感じであり、相当に薄肉のパイプの様子。

 はたして、ビルダーはどこか?さっぱりわからない。何の刻印も記号も無い。ただ言えるのは各部の工作、ロウの処理は結構手の込んだ仕事がしてある。おそらくオーダーフレームだろうが、発注者は製作者にしっかりと意志を伝えて作らせた品物のように見える。

 パイプ自体は肉厚で端部側が0.8mm、中央部で0.5mm程度のバテッドチューブだろう。国産JIS規格にはこのような汎用パイプはない。この手のパイプは航空機用等の特殊なパイプセットだろう。そんな印象。

 パッと見て、ラグレス、集合ステー、直線的なパイプワーク、シンプルな工作と細身なパイプで非常に繊細な印象。ステンレス独特の鈍い光沢が何とも言えない。これに会うコンポは?っていうと、こりゃ、シマノ部品はあり得ない。カンパのキャリパーデザインなんかが似合いそう。コツコツコースで11速仕様の今風なレーシング盆栽バイクでも作ってみようか?って印象だ。それにしても、素晴らしい一品である。

 とっても満足。

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昼休みの過ごし方

 勤務先では昼休みが1時間ある。飯食っても30分程度は時間がある。

 この時間、何をしているか?っていうと、距離にして14km程のポタリングである。実質走行時間は測った様に30~35分であり、平均速度では24~28km/hである。道のりも市内東部を徘徊というもので飽きない楽しいもの。

 しかし、、、、

 チョット距離的に多すぎるのかもしれない。帰社すると昼の掛かりの放送がなり始める事もしばしば、、、、

 こんなポタリングは、勿論、晴天時のみの事。

 雨が降ると、、、、、飯食ったら席に座って時間を潰す。すると、この時間は結構長いのだ。

 そんな長い時間の過ごし方、、、、、殆ど、昼寝みたいなもの。

 天候によって過ごし方に大きなギャップがあるのである。どっちの過ごし方が健康か?っていうと、一寸前は時間を使って徘徊するって方が絶対に良い!って思っていたけど、最近は、折角の昼休み故に、ノンビリ過ごす方が健全化?とも思う事が多い。

 それって、健全の定義をどうするか?で変わってくる。

 人間として自然体が健全というと、休むべき時は休む!という考え方であり、それならば昼寝の方が健全だ。
 しかし、身体を動かして、、、っていうと、逆の答えとなる。

 自然を健全ととるか、不自然でも健康を重視した方を健全ととるか、、、、定義的には難しいなぁ!と思う。
 恐らく、究極的な健康っていうのは、年齢に応じた自然体で健康を維持するって事。年齢不相応を求めるから不自然で無理というのが理屈なんだろう。
 別に怠けよう!って事ではないが、年齢相応の自然体でコンディションを維持する方法というのが本当の意味での長寿、健康の秘訣だと言える。

 これからは、年齢不相応な活動度で体力を維持するという考え方よりも、年齢相応な自然体でコンディションを保つ方法を見つける方向に軸足を移そうかな?とも考えているところだ。

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うんちとおなら

 うんち、おならっていうのは身体の内部から定期的に現れるモノで、体内を見てきた生き証人?とも言える存在だ。
 それ故に、うんち、おならに注意していれば身体の内部が或る程度推測できると言われている。

 特に、うんちの場合、堅さ、色合い、太さで体内疾病が或る程度予測ができると言われている。出が悪く、細いウンチの場合は、大腸での腫瘍、ポリープが疑われたり、血が混じっていると、その性状によって出血部位が推測されたり、、、、様々だ。

 おならの場合も基本は無臭って言われている。しかし、臭い匂いも存在する。そして、臭いのは、腸内細菌に悪玉菌が多い事も疑われるそうだ。勿論、臭いから腸に疾病を抱えているとは限らず、食べ物、食材によってインドールとかスカトールといった匂いのガスを出す場合もあるそうだ。インドールとかスカトールがどんな匂いか知らないが、肉、ネギ、ニンニク、ニラが成分として考えられるという。

 今現在、コンディションで異常を感じる事は少ない。健康を意識し始めて、更には、虫垂炎を患って以来特に神経質。
 ウンチの堅さ、太さ、排便の回数に異常は感じないが、ウンチ、おならの匂いは無臭とは言えず、正直、臭いと思う。

 ただ、その匂いが、結局どう?っていうのは判らない。悪玉菌によるモノなのか?或いは、肉、ネギの摂取生活に依るモノなのかは、今のところ不明だが、毎日、ネギを大量に入れた納豆を食っている生活習慣からすると、内臓関連の疾病による臭いというよりも、摂取食材の種類に依るモノと考えた方が自然かもしれない。

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2009年7月28日 (火)

ワクワク代金、堪能中である。

ネットで見かけ衝動買いしたステンレス?フレーム、今晩到着予定。
ホントにステンレス?
壊れていない?凹んでいない?割れていない?
材質は、構造材用?配管用?航空機用?アホみたいに重くない?
パイプ径はピラーとかメカとか付けれる汎用サイズ?

と、懸案を挙げればキリがない。

でも、それが楽しい。その楽しみ代金が購入金額。
ダメで元々、よけりゃラッキーって程度のノリだ。

画像からアジャスター付きロードエンドが使われているので、少なくともアルミフレームではない。エンドは普通に考えたらスチールかな?とも思える。まぁ、ステンレスはスチールと溶接する事が可能だが、アルミとスチールを溶接っていうのは焼結等の特別な方法以外不可能。因みに、肌は画像から見る限りはヘアーライン仕上げであり、装飾兼構造用ステンレス?って想像される。

そんな訳で、少なくともアルミでは無さそう、細工から普通のクロモリっぽいけど、LCD画像越しの金属光沢からはスチールとは違いそう、、、、一体、これは何ものだろうか?

っていうか、ステンレスだろうなぁ、、、と想像するのだが、仮にステンレスの場合、どんなパイプ使ってるの?っていうのが気になると言えば気になる。配管用の場合、相当に肉厚となるので、それなら戦車みたいな自転車が出来上がる(笑)。

スケルトンの詰まり具合から完全に競技志向のロードっぽい。それ故に、アホみたいに重い材料で手間掛けて作られたとも思い辛い。全く想像出来ないが、この妄想が明らかになるのは今晩迄。残すところ6時間チョットだけど、6時間しっかりと妄想で楽しもう。妄想代金、ワクワク代金が商品代金である。

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クロモリロードも安いのがあるなぁ!

 A.N.Design-worksってブランド、思ったより面白そ、、、、。

http://www.and-style.com/index.html

 のサイトだけど、印象としては安物自転車だったけど、今見ると悪くない印象。ビックリしたのがクロモリフレームのモデルはレイノルズのパイプを使っているそうだ。まぁ、レイノルズの520がどうよ?っていうと、今、普及価格帯のクロモリモデルにこぞって採用が進むパイプで、普通にダブルバテッドのチューブのようだ。
 このパイプを作ってラグで結んで、ラグはメッキ磨き出し仕上げ、、、、渋いじゃないか、、、

 そして、価格も相当にお買い得。

http://store.shopping.yahoo.co.jp/nextbike/search.html?p=%A5%E9%A5%B0%A5%D5%A5%EC%A1%BC%A5%E0&x=0&y=0

 である。メッキ仕上げのロードモデルでも8万円以下、シングルスピードからだと6万円以下から選べる。別に、ここの回し者ではないが、安く作れるもんだと感心するばかりである。
 ところで、このロードモデルのCPタイプ

http://store.shopping.yahoo.co.jp/nextbike/and-lr530cp.html

なんだが、ルイガノのクロモリモデルであるLGS-LCR

http://www.louisgarneausports.com/bike/09lgs_06-lcr.html

によく似ている。ラグ等の細かい形状、ボトル台座の数、レバー台座の部分は確かに異なっているけど、よく見なければ判らないレベルだ。コンポのグレード差はあるけど、価格は3倍以上の違い、、、でも、コンポの値段を積算したらフレームは似たような価格にもなりそう。
案外、フレームの作っている場所は同じだったりして、、、、。

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好奇心スイッチ、ON!

 自転車で楽しいところはパフォーマンスどうのこうのっていう部分以上に、試したいモノを試す上での制約が少ない部分。

 そんな自転車をモノとして捉えた時に、好奇心がアリアリなモノが相変わらず存在している。
 それは、、、、フレームマテリアル。どんなマテリアル?っていうと、身近なようで身近でないもの。そう、ステンレスフレームである。

 ステンレス鋼管っていうと一般機械では実にスタンダードなものだけど、自転車のフレームでは聞き慣れない。
 自転車フレームというと、古くはクロモリ鋼、ハイテンシル鋼、チョイ前からアルミ合金、最近ならカーボン系、、、、っていうのがスタンダード。チョット高級路線行くとチタン合金もある。

 一応、この辺のフレームは全部乗っては見たけど、その範囲では、一般的な金属材料が好みという事が今の結論。クロモリ、ハイテン、アルミって所が好きで、材料としては魅力的なチタン合金は構造体としては克服すべき欠点が非常に多く残っているし、複合材料であるカーボン系もずっと所有するモノとして考えると一生モノとしては欲しくないのが結論。

 勿論、チタン合金、カーボン系のフレームが素晴らしい性能(軽さと乗り心地、剛性)を持っているのは理解できるけど、単車趣味、或いは、業務的に行って来た特殊装置の製作経験から言うと、チタン合金の溶接等の難しさは、今なおやはり信用仕切れない。カーボン繊維強化プラスチックでも元繊維を開繊して、編み込んでシートを作って焼き上げて、それを固めて、、、ってプロセスを考えると、基本は脆い材料を複合化する事で見かけ上の弾性を得ている状況は、長期仕様は微視的な材料破壊を伴っているように感じるし、何よりも、表面の樹脂層の環境による負荷に対する弱さを考えても今一つ一生モノとしては考えれないのである。

 モノを所有するっていうのは、非常に長きに渡り生活を共にするということで、簡単に劣化したり疲労したりするのはチョット気分的に苦手なのだ。実際、単車のγ号は1986年からずっと所有しているが、そんなスパンで楽しみたいのだ。

 そんな思いで構造材料に他は何がある?って考えると、、、、、そう、ステンレス鋼があるのだ。ステンレス鋼っていっても様々であり、中には構造材料として適切なモノも存在しているだろうから、ステンレス鋼=柔らかく使えないという結論にはならない。
 更にはステンレス鋼というと、溶接から銀ロウ付けに到るまで工作方法は相当に熟成されているし、鋼材で行われつつあるハイドロフォーミングにしても、ステンレス鋼では深絞り等々で加工技術は相当に進化しているのも事実。ステンレス鋼の銀ロウ付けっていうと自分も配管装置の製作で相当行ってきたけど、慣れれば悪くない方法だとも思う。自身、銀ロウ使いの魔術師と自分で思っていたくらいだが、銀ロウ付けは面白い。

 調べてみると、チネリのフレームでもXcrってモデルが588,000円で売ってる。モールトンでもAM-GTがステンレスフレームで800,000円で売ってるのだ。つまり、自転車として成立しうるってこと。

 チネリのXcrがこれで、

http://www.cinelli.it/scripts/prodotti.php?Id=1&lang=EN&IdBici=239

 モールトンのAM GTがこれ。

http://www.dynavector.co.jp/moulton/mframe/amgt.html

 そんなフレームは未だかつて乗った事の無いモノ。果たして、どんなノリ味なのか?物凄く興味があるのは事実。何時になるか知らないけれど、是非一度は乗ってみたい。そんな気がする。

PS この記事書いたのは、掲載の10日程前の事、、、、、こんな記事を書いたのは、記事中のチネリのXcrを見付けたから。
 そんな中でネットオークションで見付けたのがステンレスカスタムフレーム、、、、、予算三万円以下ということで試しに買ってみた。
 近々やってくるだろう。さて、どんなモノが来るのだろうか?半分遊びなんで程度は期待しないけど、見るだけでも金払って良いかな?っていう好奇心に節制の理性が負けちゃった、、、、、。

 勿論、表題がステンレスって書いてあるだけの品であり、実際にそれがステンレスかどうかは知らない。
 商品説明的には写真、工作、スケルトン程度での判断だが、少なくとも無塗装の梨地であり色目で或る程度は判断出来る。工作的にエンド形状、直付け形状、工作から年代的に1990年代初頭のフレーム、スケルトンからはリアセンターが相当詰めて(BSロードよりタイト、小林フレームより数mm広いだけか?)あり、基本はかなりレーシーなフレームというのは判る。少なくとも、街乗り遊び系のフレームでは無さそう。ということで、仮にステンレスで無くても遊べるか?という言い訳がついたし、経験上、見た事、聞いた事無いので、勉強代も兼ねて買ってみたのだ。
 オーステナイト系の非磁性ステンレスなら磁石に付かないだろうから判りやすいけど、磁石に付いても磁性ステンレスなら判らない。そうなると、ステンレスかどうか?を確かめる術は無いけど、それでも興味というか好奇心が自制を上回ったのだ。

 アホな病が炸裂中、、、、クロモリ+ラグなBSロード、マンガンモリブデン+ラグな小林スポルティーフ、アルミにカーボンフォークをTIG溶接したラングスター、クロモリ+ラグレスなシルクピストとやって来て、関心アリアリなステンレスロード、、、、、チタン、カーボンは自分が使う実用自転車として不合格故に関心無いからスルーするとして、関心あるモノを較べ乗りして感覚に刻み込めるか?自分がどう感じるか?が凄く楽しみ。

 フレームのモノを見ないと判らないけど、取り敢えず、クラック、曲がりが無ければ組んでみる予定。そして、軽く、レーシーでステンレス製って事が確信できたら、現代の最高峰に近いパーツで盆栽を仕上げてみる予定。大したもので無ければ、適当に街乗り自転車として作ってみるつもり。
 願いとしては、無駄遣い大王になってしまうが、自分の納得できるフレームが届いて欲しい。そうすれば、今なら電動コンポか、11速のレーシングコンポで組んで、フレームはピカールでもポリッシュ仕上げにしてみたいのだ。

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環境保護に濃度規制って意味あるの?

 今朝、経営者に相談を持ちかけられた。
 案件、微生物の存在する海水の微生物の殺菌処理に用いる薬剤について、、、っていうか、その薬剤に依存する処理方法はどうよ?って問い。

 一言で、結論から言うと、、、、

 『多分、ダメでしょう』

 って結論。これは、数年前に相談を受けた時から変わらない言葉。理由は、薬剤を用いる場合は、薬剤が普遍性を持ったモノかどうかが重要。薬剤処理は賛成だが、薬剤が特殊な場合は賛成出来ないという理由だ。

 賛成できる薬剤は?ってうと、水産業、つまり漁船で魚の鮮度を保つのにバクテリア殺菌に使う系統の薬剤とか、プール、水道水の殺菌薬剤等。

 賛成出来かねる薬剤は?っていうと、主に、医療機関で手術用具を殺菌したりする薬剤。確かに性能は良いけど、後処理が面倒。特に、その薬剤の70%以上が酢酸系統、、、、酢酸系統の無害化は生物処理がホントは必要。生物殺す薬剤の処理に生物処理が必要っていうのが矛盾しているというか、、、、それでいて、これはBOD規制とか、COD規制に掛かりかねないモノ。つまり、絶対量が少量だから医療機関が固定的な処理プラントを自前で持つという前提で成り立つシステムなのだ。

 これを港湾で排水する。そこで問題となっているのが無害化されるまでの時間。

 笑ったのが、生物処理に対する手法が薬剤殺菌+物理殺菌の場合と、薬剤殺菌のみの場合がある。前者が大量の水処理が行われる場合、後者が少量の水処理の場合、、、そして、前者の場合は使用薬剤が低濃度だから規制に合格するだろう?と、、、、そして、後者が高濃度だから難しいと、、、、

 チョット待て、、、、、それは船舶のサイズで水の多い、少ないを言っているけど、そこに含まれる薬剤混合液を港湾に排水する時の事を考えたら、環境負荷は、港湾に対する薬剤の絶対値の筈。

 港湾の生態系に対しては、港湾に対する薬液濃度を低レベルに保つ必要がある。

 で、薬剤低濃度×大量の要処理水と、薬剤高濃度×少量の要処理水を較べて、どっちが絶対量で影響が大きいの?って事。低濃度だから大量の処理水を排水しても良い!って理屈には、多分、規制側は認めないのでは?って印象。
 話が脱線するけど、環境の規制に濃度規制は無意味、、、、必要なのは絶対値規制、地域の総量規制。それしかない。

 仮に認められるなら、こんな規制、不要だろ?っていうのが正直な感想。

 但し、実際に頑張っている人が居るので、否定するのもNGだから、、、今のパターンでは成功は難しい。でも、成功させる方法は或ると思う。実際、案は有る。勿論、薬剤を使っても、今の薬剤を使ってもの話。成功するかどうか?商品化出来るかどうか?それは、やはり市場に出す場合のパターンというか、ストーリー作りが必要。そのストーリーを如何に作るか?これが成否の鍵を握っている。

 言えるのは、薬剤を使うからとかがダメな理由でないってこと。今の思想での薬剤使用のパターンが成功には結び付かないと言う、自分の判断だ。

 取り合えず、、、、頑張れ。

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意味無いけど、モノを選ぶ時のイメージ

 自転車、単車等々の機械が好きだ。
 機械好きとしては、機械がどうよ?って部分で見る。で、どうよ?っていう最初はどこ見るか?っていうと、自分の得意分野が最近は材料関連故に、モノの材料について色んな思いを馳せるのだ。

 材料というと、、、、有機、無機、金属、鉄系、非鉄、セラミックス、サーメット、、、、色んな言葉がある。そして、材料の作り方も然り、、、、鋳造、焼結、合成、、、、接合も溶接、ロウ付け、接着、、、、色々だ。

 勿論、全てのスペシャリストという訳で無い。

 材料関連で経験のある分野は?っていうと、、、、、、昔は、有機材料関連に携わり、その後、有機材料を処理する無機物質関連、その後は、セラミックスを代表とする無機材料の開発、その後、サーメット類の開発、もちろん、製造設備の設計からプロセスデザインも行い、途中は、無機物質と有機物質を結合させるための物質(例えばシロキサン結合を持つ高分子材料)の選定や処理プロセスの確立、各種物質の物性推算プログラムの開発を経て、最近は、炭素繊維と炭素の複合材料の開発、評価、C/C材をマトリックスとした新たな材料の開発と評価試験等を行った経験からの思い込みだが、、、、

 結論から言うと、、、、、材料としては金属が一番好き。金属材料でも、加工、成型、接合等のプロセスが枯れた技術によるモノが一番好きである。材料の優劣は、新素材には魅力的な物性を持つモノが多いけど、最終的に使い手が使う時は、何よりも加工成型技術が確立しているかが一番大切。優れたモノでも加工出来なければ、ただのゴミである。
 そう、加工に繊細さが必要なものは、今一つ好みで無い。材料の破壊は、材料内の組成、形態、結晶等々の界面から進行する。組成や形態の界面は、プロセスの熱付加、材料の成分、構成成分の物性差(膨脹係数、弾性等々の不整合)から生まれるもの。破壊は界面における破壊の残留要素(残留応力等)によってもたらされる。

 つまり、複雑な材料程信用できないって事。複雑な材料とは、製造上神経質な環境が必要なモノや、多数の工程を踏むモノに多く、異なる材料を組み合わせたもの程、そういう要素が増えるモノ。
 例えば、合金、金属間化合物もそう。融点の違い、構成元素から生まれる化合物の生成し易さ等々、構成元素自体の反応性がプロセスに大きな影響を与える。どんなに優れた材料でも、プロセスの難易度が高いと現実的に得るのは非常に難しい。
 チタンの合金もそうだ。それが構成元素の融点差、反応性の差、結晶の成長度合が物性に大きな影響を及ぼすために製造法は非常に限られる。そんなモノは切削加工で利用するならいざ知らず、溶接作業を施すと、素材は間違いなく理想状態から懸け離れる。現実、チタンの溶接は困難を極め、出来たところで割れの原因や破壊の基点と為りやすい。実際、そうやって壊れたチタン構造物は嫌になる程目にしてきた。これは、趣味関連の部品から業務上コスト度外視で作ったパーツに到るまで、壊れる時は継ぎ目から、、、、って状態がデフォルトだ。
 一般的と言われているアルミと銅の合金(ALBC)も然り。鋳物的に製造することは可能だが、これを溶接補修するのは難易度が超高いのだ。といっても、ALBCを高品質に作れる鋳物メーカーは国内では殆ど無いのが実情。

 そんな訳で、仮にチタン合金を代表とする製造が困難な合金とか金属間化合物等を使うなら、切削加工で部品が得られるモノ。時計とか、出来たモノが一体部品の組み付けで成立したモノくらい。

 それでも、溶接できるものなら、取り敢えず母材同士の接合は辛うじて可能だが、溶け合わない材料は問題が更に深刻。
 今流行のCFRP(炭素繊維強化プラスチック)なんかもそうだ。素材自体が複合材料で無機炭素繊維である。これを有機樹脂で硬化したものだが、これを接合する場合、そのままでは母材間に繊維が横断しないので使えない。そのために、一体成型で作らざるを得ない。それがモノコックって奴だ。でも、所詮、炭素繊維と樹脂の混合形態。無加工の剛体としての強度は保てても、材料を接合した局部ではタダの接着とかリベット留めに過ぎない。そこにはアルミ等の金属を組み付ける。その接合は基本は接着剤である。接着剤は、金属の金属結合、セラミックスの共有結合とは異なる炭素-水素結合の力で非常に脆いモノ。更に、耐久性も期待できないもの。更に、接着剤、炭素繊維、金属の物性は大きく異なっており、使用過程において異種材料界面は確実に剥離していくもの。そういう本質を抱えている。
 仮に最先端の炭素繊維系であるならば、炭素と炭素繊維の複合材料、C/C材(C-Cコンポジット)位。自身、CFRPは無視して、C/C材の材料開発、これを出発材料とした複合材料を開発している。しかし、それを無処理のままは使えない。コーティングするとなるとやはり有機被膜。耐候性が永遠か?というと、それは有り得ないのだ。

 このように、材料を道具として成立させるには様々な加工が必要で、そんな技術が普遍的な方法程、完成度が高く、安定した性能が得られるともいう。

 ということで、組合せ構造材として考えると、やっぱり金属だ。金属に勝るモノは有り得ないというのが持論。
 金属なら何?っていうと、アルミ系、鉄系であろう。で、アルミと鉄はどう作るのが良い?っていうと、、、、、

 金属の接合方法は二通りである。母材自体も溶かして接合する溶接法、母材自体は溶かさず母材間の隙間を低融点金属で埋めたロウ付け法だ。どっちの素材にもどっちの方法も適用できるだろうが、自然に、普通に考えたら、溶接強度=溶接面積、溶接距離という考え方、さらには剛体の強度確保というと肉厚変動の少なさというと、溶接するといっても肉盛りを過大に取る事はナンセンス。使用過程における応力集中の起点になるからだ。
 となると、溶接とは、肉盛りせずに溶接面積が確保出来る、、、つまり、一定以上の肉厚が必要、、、、、すると、アルミ合金は溶接向きと言える。

 逆に、母材肉厚が薄いために溶接面積が確保出来ないもの、、、、そういのは、重ね合わせ面積を確保する工夫、、、、これって、鉄系はロウ付け向きって事。

 そうなると、自身が選ぶ構造物は、、、、

・チタン合金
 一体構造物、アッセンブル部品の単体レベルの使用

・CFRP
 一体成型で完結したもの。組み付け部品が多いモノには選ばない

・アルミ合金
 元来厚肉なんで、構造物なら溶接構造で組まれたモノ

・鉄系合金
 薄肉なモノの場合、構造物ならロウ付けで組まれたモノ。厚肉モノなら溶接もOKか?

 となる。そんな工法の中でいつも関心するのは、ロウ付けって伝統的な方法。
 これは低温ロウを溶融させて母材を接合する。母材間の隙間にロウ合金を埋めて接合する。ロウと母材の間に合金層が存在するが、あくまでもロウ材主体の合金。母材を壊さないのが美点、接合強度確保に必要な接着距離の確保も自由自在、母材の隙間にロウ材を入れるのは、濡れ性、表面張力、毛細管現象といった摂理的な方法に従うところが渋い。これって、最初に発明した人は、モノの現象、真理を突き詰めた人でなければ判らないレベル。濡れを改善したりするのにフラックスなんて発想は素晴らしいモノだ。

 予想外かもしれないが、最強(硬度と強度を両立するという意味で)の硬質材料である超硬合金は超高融点の炭化物WCを低融点金属CoやNiをバインダー(ロウ材として固めたような)で固めた合金とも言える。WCを溶かさずとも界面でCo、Ni相との合金をつくって固体化しているのだが、その強靭さは尋常でない世界。
 自身、そのスマートさに驚愕して、WCを固める上で必須といわれるNiやCo以外のロウ材となるような第三物質を発見して特許申請したが、超高融点で高硬度な材料を低温で一発で接合するって発想が素晴らしいと思う。

 そんなこともあって、自転車フレームで言うと、ロウ付けで作られた金属材料っていうのが一番好きだったりする。ロウ付けする金属というと、スチール(ハイテン、クロモリ、マンガンモリブデン)とかステンレス、、、
 そして、自転車フレームとして許せると言える範囲のモノが厚肉であるアルミを溶接したもの。このあたりが好みな構造物だったりする。

 勿論、自分の好み。マニア心って部分だ。だから自分のフレーム見て、そういう部分でニヤニヤしているのだ。

・BSのテーラーメイドのフレーム
 クロモリ+ラグでロウ付け
・小林のレイノルズ531のフレーム
 マンガンモリブデン+ラグでロウ付け
・シルクのR1ピスト
 クロモリ+ラグレスのロウ付け
・スペシャのラングスター
 アルミ+溶接

 である。

 逆に言うと、カーボンとかチタンとか、、、、そういうのは、今ひとつ好きになれないし、むしろ、嫌いだったりする。

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2009年7月27日 (月)

入手形態と愛着度

 自転車、単車に限った事でなく、デジカメでも、パソコンでも言える事。別に物欲しそうにしている訳ではないが、結構、モノを貰う事が多い。

 ただ、何でもかんでも貰うって事は無く、断る事も多い。貰う場合は、自分でOKサインが心の中で発令されないと有り得ないのだ。ただ、心の中で発令されたとしても、実際、自分で金銭という対価を払って手に入れたかどうか?で、自分の中でのモノの位置は異なっている様に思う。

 まぁ、よく言う表現では、苦労して手に入れたモノには愛着を感じるって誰もが言うような感じで、労せずして手に入れたモノは、扱いが荒くなるって感じにも通じるように思う。

 ただ、自分としては、貰ったモノでも、その物が欲しい!って意志が無いと貰わないけど、貰ったというだけでは、どうしても前述の扱いの荒さが出かねないと思い、そのモノに時間、手間、経費を敢えて掛ける場合が少なくないのである。掛けるモノを物理的な表現で、時間、手間、経費というだけで、実際は、それに対する気持ちを入れるという事だ。

 気持ちを入れて愛着を持てる状態にすることで、その物が自分のモノに変貌する、、、、そんな考えである。それ故に、自分のモノに変貌したものは、ずっと持っておきたいという事になるのだ。
 だから、人によっては、行っている事に????って人も居る。例えば、シルクのピストに塗装だけで数万円以上を掛ける、、、、、それなら、今のフレーム買う方が高性能で安上がり?って言う人も居るけど、そうでないのだ。貰うと決断した段階で、損得とは別に、そのモノの背景というか歴史を含めて決断する訳で、その背景が引き受ける決断になっており、そこにはコスト的な計算は含まれない。それ故に、結果的に割高になったりするのである。
 こんな考えは、趣味全般に言える。欲しいから手に入れる。手を掛ける。そこに計算は無いのだ。理由は、趣味だから。趣味に損得勘定入れたら楽しく無くなる、、、、そんな考えなのだ。

 但し、こういう考えは少数派かな?とも思う。実際、モノの評価、購入判断に大きく影響するのは、価格であったりするし、取り敢えず、用途が合えば、貰えるモノは貰って済ませるって考えの人も多い。
 チョット違うかも知れないが、何かを買う場合でも、何が良いか?買うべきか?の判断を自分で下さず、他人の意見、メディアの情報で判断する人も多い。

 そういう人達は、モノを選ぶ段階で、自分の強い意志というものが見えない。選んだモノに必然性があるか?っていうと、そうでなく、それでも良いから使おう!ってパターンだろう。
 過去のブームの隆盛衰退を見ると、衰退する理由っていうのは、ブームを作る人にホントの所で意志が無いから、、、、そう思えるのである。

 まぁ、人の事はどうでも良いのだが、自分でモノを決める時、自分が所有することで喜びが感じられる何かが見抜けるかどうか?を考えているのが常だ。そして、その判断に一番影響の大きいのは、自分がモノを使う状況で、ものが十分かどうか?そして、そのモノの作り手の考えが何となく読めたと感じる事なのである。

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不自然

 不自然とか、無理とか、、、そういうのは、どんなジャンルであれ、一時の効果は得られても持続的な効果っていう意味では効果が薄いのではないだろうか?
 極当然の事だが、何かに頼って行動を起こしても、その頼るモノが無くなった時にどうなるか?を考えると、そのような呪文というか何かに頼って目的を達成した人にとっては、その頼るモノこそが重要であり、一種の依存症になるのでは?と思う。

 サプリ摂取で体内環境を示す数値が健全化されるとすれば、その人にとっては健康を維持するためにサプリが必須という方程式が固定化されるのでは無いだろうか?

 本来、人間の生活には、自然なもの、不自然なものが入り乱れている。しかし、言えるのは、自然なものだけで、物事のバランスは必ずや整えられている筈なのだ。
 つまり、不自然を採用するって事は、本来、自然なバランスを得るために働く要素が不自然な行為によって機能を衰えさせられたり、失われたりするのでは?と考える事が多い。

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紫煙って言葉

 表題の言葉、最近良く見る。っていうか、Mr.Bikeの今月号に2ストロークレッドブックって特集に紫煙って書いてある。

 でも、紫煙って言葉は2ストロークの煙に喩えた表現を用いたのは、私のメインサイトが多分初めてではないだろうか?メインサイトのサブタイトルを考える時、愛煙家である自分の印象で、煙草の煙用語で2ストロークと連想出来そうな単語を探して選んだ言葉が、『紫煙』なのだ。

 紫煙とは、Blue Smokeであり、煙草の煙の事。つまり2ストロークの排ガスでは無いのだ。それを承知で書いたのだが、今、単車関連で2ストロークの煙を紫煙って表現しているサイトやメディアは、それを把握していないのでは?と思うのである。

 ただ、メインサイトもブログもアクセスは相当に増加しており、メインサイトは時期に10万アクセス、ブログは30万アクセスと快調に増えており、その分、多くの人に文言が脳裏に刻まれているっていうのは興味深いというか、チョット楽しい事だ。

 メインサイトでは『紫煙崇拝』で検索される方も多い。ブログでは『Theっ学』で検索される方が案外多い。そんなサブタイトルが頭に残るっていうのは、悪くない気分だ。

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2009年7月26日 (日)

高齢者は働くしか能が無いそうだ。

 麻生太郎ちゃん、どうも言葉の選び方が下手くそである。

 高齢者は働くしか能が無い、、、、今更、遊びが覚えれる筈が無い、、、、、チョット、悪ふざけ過ぎである。

 ただ、この言葉の揚げ足を取るマスコミも如何なモノか?

 文言自体はギャグのつもりなんだろうが、そんな事はどうでも良い感じ。
 一番の問題は、高齢者を働かせて納税者にしろ!って部分。

 言葉の言い回しを批判するつもりはないが、高齢者になってまで働かせて税金を納めさせる?っていうのが、気に入らない。
 多くの企業では年功序列である。定年延長すると、上が詰まる。高給取りが増える。これが人件費を圧迫しているのに、、、、、上が出ないから、下を入れない。若い世代が入らない。それで就職難とちゃうの?人件費高騰で競争力無い原因の一つはオッサンが大杉だからだろう。

 企業で採用面接なんかしてたら、モロ思う。少なくとも企業活動は新陳代謝が必要。それが思想の停滞防止、実質人件費の高騰防止になる。新しい時代に合わせた発想で、発想を生んだモノが対価として賃金を得る、、、、そういう構造が就職率を高め、人件費を抑制し、結局は税収増加にも繋がるのではないだろうか?

 定年延長なんて大反対。60歳定年を65歳定年とかにするでなく、55歳定年とか、50歳定年にするほうが良いのでは?というのが持論。早く退いて貰って十分退職金を払って、悠々自適な暮らしが出来るようにするのが大事ではないだろうか?
 行政も、企業支援するなら退職金を公的に支給するような施策の方が多分、社会として元気になるように思う。

 元気な内に十分な生活保障を貰い、第二の人生を国家、社会のためでなく、自分のために過ごす。それが見えれば多分、次世代は国家を信用するのでは無いだろうか?そうすることで、若い世代を積極的に雇用する。そして昇進、昇級を50歳迄目指し、そこで一線から退く、、、、こういう考えは間違いなんだろうか?

 リタイヤした世代が楽しく過ごす社会があれば、若い世代も社会貢献に参加する意欲が芽生えるように考えるのは甘過ぎだろうか?

 理想は、本田宗一郎的な組織への関わり方と、組織の運営の仕方。

 本田宗一郎氏はやっぱり一番尊敬できる存在。あんな人が国家の舵取りをすべきと思う。
 今の政治家は、どうも違うような気がするし、経団連のエライ人達もチョット違う。選挙迄の時間が長いから、政治ネタは記事にしたくないのだけど、それでも雇用に関しては今回一言記事にしたくなった。

 今の状況で絶対に言える事。それは、、、、自民党には投票しないって事。これだけは確実。勿論、その連立相手も論外。ただ、民主党に入れるかどうかは、決めかねている。小沢さんを党首としてまとまるような政党だったならば、投票したかもしれないが、、、、、

 さて、何処入れようかなぁ、、、、、、何処応援しようかなぁ、、、、但し、支持はしない。応援したとしても、それは今回だけで、次の選挙で同じところ投票するとは限らないから、、、。

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ギア比の不思議

 最近、コンパクトクランクが関心高い様子。コンパクトクランクっていうと、インナーが特にチッコイのが特徴的。これ、ロードバイクのヒルクライムクランクと理解しているけど、最近思うのは、スポルティーフ等にもアウターが48T、インナーが26TとかのようなフロントWで極端にインナーがチッコイ自転車を見掛ける。そういう仕様はロードバイクの改造車でも見掛ける。

 思うのが、あんなにギアの歯数を離して快適なの?って印象。

 軽いギア比が必要で、インナーを小さくするなら、アウターも小さいのが普通だし、アウターに一定の大きさを確保したいなら、素直にトリプルにするのが普通では?って思うのは間違いだろうか?

 カセットセットではクロウスレシオ、1T刻みに拘る人多いけど、それに較べると、前の歯数については、そんな人は少数派みたい。個人的には、歯数の絶対差よりも、クランクセットの歯数比率は一定の範囲にすべきって思うのだが、、、、その理由は、リアの多段は全段使用はイレギュラーで、アウターロー、インナートップって近辺の使い方は原則行わないと考えている。それ故に、前アウター、インナーで構成ギア比は、オーバーラップさせるべきと思う。
 つまり、後のカセットがクロウスしている程に、前の歯数組合せ比率は近接していないと有り得ない。後のカセットがワイドなら、それに応じて前の比率が離れていてもOKだろうが、そういうのが自分の思い込みなんだが、今の多くのカスタム自転車は、そういう形になっていないようだ。

 大体、前2枚、3枚、×後10段で20段、30段っていっても、使うのは限られ所。そうなると、オーバーラップを無くすため?で、仮に、前の歯数比を大きく取るのは現実的でない気がする。

 レシオがナローかワイドかは人それぞれだろうが、レシオの刻み巾は、走る人のケイデンス領域で決まる筈。高回転志向なら近接ギア比だろう。
 ギア比で議論するのは、使い方(ペダルの回し方)次第であり、レシオの絶対値でなくレシオの繋がりで議論すべきという印象、、、、もっと言えば、絶対値志向の人って、ホントに乗ってるの?って思うのは言い過ぎだろうか?

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その後は、どうなった?

 相変わらず、ダイエットとか美容整形の番組は高い視聴率を獲得出来るみたい。
 これらの番組では、番組で行った施術、プログラムの前後で、どのように変化したか?を映像的に比較することで視聴者に効果の程を大きなインパクトで与えている。

 ダイエット前後での風貌の変化が大きければ大きいほど注目が高いというのも頷ける。そして、これらの症例は、番組の編成上、短期的な効果での変化を紹介しているモノが殆どである。長くても半年程度、半年前と今とで、これだけ変わったよ?って話ばかりである。

 しかし、興味があるのは、ダイエット後、その後どうなった?という部分である。

 番組の取材対象としての取り組みでは、それ自体がモチベーションとなるけど、放送後は、番組からのサポートも何も一切無くなるのだ。方法論的にも、様々な方法がある。運動メインの方法、物理的外科的施術による方法、、、、様々だが、放送後は、運動を行ってきた環境の全てが失われる。外科的手法も一度きりのモノ。そのような状況で、取材対象となった人々のその後はどうなっているのだろうか?

 最近の記事では、ダイエットは簡単だが、その究極的目標とは、ダイエットが不要なコンディションを平常状態として保つ生活の改変であり、そこに無理があれば続けれないということを掲載しているが、ダイエットを変化として捉えれば番組での取り上げは悪くないけど、その後の安定度、新しい平衡状態への移行を以てダイエット完了と捉えれば、変化の過程を中継するだけのダイエットっていうのは、決して良い事とは言えない。変化を保てtずに、元に戻るリバウンドが在るとすれば、その変化自体が、モルモット的な取材対象には、肉体的、精神的に大きな負担を強いているのは間違い無いのである。

 視聴率を取るために番組を製作するのは悪くないが、視聴者にとっても本当に知りたいのは、何年か前の取材対象の人達のその後では無いだろうか?

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7/19~7/25の週の検索ワードピックアップ

★レ・マイヨW
 今更だけど、検索されまくってる。多分、フロントW、カプレオのクロウス、、、、、そんな事を望む人が多いのだろう。
 フロントWは、折り畳みレバーは半分に切断すれば簡単に出来る。難しい事を考えずにそうするのが吉。自分がやったようなセットバックでステーを作ってやるのは、通常では不可能。非常に難しい。削りだしのパーツでの製作は不可能に近い。それでも!って場合は、、、、ステンレス板で板金加工で作るしかない。
 後、出来そうな事は?っていうと、MTBのハンガー部マウントのFメカを利用する事くらいか?その場合、トップ歯数があまり大きくは出来ない。

★小径車のロールアウト
 ホイールサイズを451にして、でっかいチェーンリングとか、カプレオ改でクロウスレシオを望む人いるけど、あまりお奨めしない。
 自分のオ・モイヨWW号は、チェーンリングは48T、カセットは11-21Tである。トップでのロールアウトは7mチョット。この程度でもトップギアを回しきる事は殆ど皆無に近いし、超追い風に乗れば、このギアでも55km/hオーバー、中央森林公園等の下り区間では60km/h程度迄出る。これ以上のギア比は、小径車という特質上不要かな?とも思う。
 集団で逃げ?なんて有り得ないし、、、、、仮に、クランク側を52Tとかにするなら、カセットのトップは12Tで十分とも言える。
 因みに、オ・モイヨWW号は、カンパのミラージュコンパクトで48-34Tを使ってる。チョット離れすぎだけど、良い案配だ。追い風基調では48×13T(約6m程)、超向かい風で48×17T(約4.5m)ってところ。常用は5.5m位である。

★デジタル放送のアナログ録画
 放送コンテンツの取り扱いでは業界の取り組みが二転三転している。その昔、デジタル放送が無い時代、或いは、デジタル放送がコピーワンスに定まっていた時代。原則、ダビングは出来なかった。勿論、更に遡ればダビングし放題って時代があったのも確かだが、最近では、原則としてダビングは出来なかった。
 但し、それではデジタル機器の普及の足かせになるという事で、ダビング10の規格制定後はアナログ録画の制限は無くなった。
 但し、ダビング10制定前の機種ではコピーワンスに従うのでアナログ録画でも制限がある。
 因みに、デジタル放送のアナログ録画での制限はCGMS-Aというコピーガードであり、S端子出力にコピーガード信号を入れて出力している。
 純粋にダビング10対応でアナログ出力を録画する場合は、制限は無いが、そうでない場合は、コピーガードの制限を受ける。巷では、アナログ出力のS端子の途中に特殊な機器を接続することでCGMS-A信号を(意図的、結果的の2パターンあるが、)消し去るものもある。そうすれば、アナログ出力の取り扱いに制限は無くなるとされている。

★水泳3000m
 これでタイム調べる人居るみたい。でも、多分、参考になりません。3000mのスイムは年輩デビューでダイエット目的なんかの人では、続けて泳ぐこと自体しんどいでしょう。
 流して2時間って人が殆どではないでしょうか?チョット速いかな?って人で80~90分くらいかと思います。60分っていうと相当に速い筈です。
 自分の場合、ブレストで短水路60往復で46分程度、長水路30往復で52分程度ですが、3000m限定で追い込めば一割程度は詰めれます。このリズムは5000mでも変わらないペースです。さすがに10000m越えでリズムを作るともっとスローになります。しかし、プールで3000m以上を淡々と連続して泳ぐ人は学生の水泳部員以外では見たことありません。
 今、現役世代と勝負しても勝てるはずありませんが、メタボの三十路とか不惑が相手なら自分より速い人、少ないと思います。勿論、クロールにすると更に一割程度は短縮できるでしょう。
 スイム3000mというのは、速度狙いでなくゆっくりとフォームを崩さずに大きな呼吸で、1ストローク毎に伸びやかに泳ぐという遠泳の基準です。遠泳ではなく競泳モードなら自由形で35分を切らないと話にならないですが、オープンスイムモード、ブレストで45分、長水路で50分というのは多分悪くないタイムだと思います。
 ただ残念なのは、子持ち、所帯持ち、、、、で時間が取れない事ですね。結婚前は会社帰りに5000m、土日は10000~12000m泳いでましたが、今は残業をしないで、残業時間分しか泳げません。なんたって、子供を風呂に入れる時間が決まっているので、物理的に1時間以上スポーツセンターに留まる事は実質不可能。着替えの時間等入れれば、泳ぐ時間は50分も無いのが現実、それ故に、泣く泣く3000mで我慢しているのが実際。
 因みに、検索キーワードは『自転車&心肺機能&水泳』って人が多いけど、スイム上がりの心肺機能が欲しければ、そういう時期に最低3000m/hourで毎日泳ぐとかしていないと無理。逆に、そういう経験が無ければ、それ上がりには多分敵わないでしょう。

★ジャーナル軸受の設計
 なんと、FAQカテゴリーで軸受設計についての検索が掛かった。
 まぁ、基本はトライボロジーの本に全部書いてある。この概念を数式に置き換えれば簡単に計算できる。
 軸受計算の勘所は、形成される水膜厚さを計算出来るか否か次第。水膜厚さに影響のあるファクターは、荷重、周速、流体粘度、軸受隙間等である。細かい方法論は省略するけど、ゾンマーフェルト数、偏芯率から最少水膜厚さを求める。最小水膜厚さが軸受けの経時変化に従って変化するチャートを作れば一目瞭然。水膜厚さの形成が軸受け隙間に連動して増加傾向にある。その増加傾向が鈍り、形成水膜厚さがピークになるところが、軸受けの馴染み状態と定義出来る。軸受け隙間が更に増加する(摩耗する)と、形成水膜は減少し、振れ回り振動を誘発する。となるのだ。 実際には、上記で計算された軸受け形状が、流体潤滑を保つための条件が入ってくる。一般には軸受定数が有名だが、その数値がどうか?その数値を具現するための必要条件、例えば、合成表面粗さと運転時の油膜厚さの関係が条件を満たすかどうかを判定する。
 ここで、重要なのは、その定義された状態における発熱量をしっかり計算すること。発熱を奪う冷却をどうするか?が鍵。それによって温度上昇がどうなるか?何処でサチルか?が変わってくる。それが設計者のセンスで決まる。そのような計算から摩擦係数も求まる。そうすると発熱量が決まる。なお、此処までは工学図書を読めば簡単なプログラミングで計算可能(でも、関連機械の設計者の多くが、そのプログラミングの仕方さえ知らないみたい。多くの人と話したけど、計算できる人が殆ど居ない現実に驚愕した、、、)。
 実際には、工学図書の理想仮定モデルと実際の製品には異なる部分がある。それを如何に反映するか?がノウハウ。方法としては、実在モデル補正を数式に入れる事。或いは、理想モデルとなるような製品構造を作る事がある。
 何れにせよ、実在モデルの理想モデルからの変奇を論理的に行った上で実際の軸受けの隙間、サイズ、熱計算が行われる。そこで見出される限界に対して、特許となりうる技術が発想出来るというもの。
 但し、世間一般、所詮機械メーカー、ポンプメーカーで此処までする人は研究者、開発者と話した限り、皆無に近い。トップメーカー、大手メーカーでさえ、エィヤァ!で決める。その数値は?っていうと、軸径の1/1000が隙間。粘度が高いと1/500って事。これはハンドブックに書いてある事だが、これではNG。ただし、NGの意味が判らない人の方が多い。実際、議論したら悲しくなる。しかし、上述のプログラムを無償で使わせるつもりは毛頭無い。自分の必要に応じて駆使するだけだ。

★ピストでツーリング
 山走らないなら可能でしょ。慣れたら、脚が停めれないっていうのは大した問題でないでしょう。平地基調なら問題なし。ただ、起伏の多い地形では不向きなのは間違いない。
 経験では100km/2時間50分しか無いけど、その範囲では距離なりの疲労しか感じなかった。よって、興味があればやってみれば良いのでは?
 ピストでツーリングっていうのは、変速無しでツーリングって意味と同義である。

★SV650Sの癖?
 珍しい検索だ。SV650の癖、、、、ハッキリ言って無い。乗りやすい。大きなVTみたいなバイクである。
 癖が無いのは扱いやすい。変なトルクリミッターもない。思い通りに扱えるし、公道速度域でセコ、サードでパワーバンド近辺で楽しめる。アクセル開度に応じて必要なパワーが即得られる。そういう意味で自在に扱う上では最高の乗り物。敢えて言えば、大きなバックトルク、軽い車重、長いホイールベースで下りコーナーではリア荷重が抜け気味、、、、それ故に、エンジンブレーキでリアタイヤのグリップを失って揺らぐくらいか?この辺の挙動は、CX改より顕著。
 癖っていうのが扱いにくさの表現なら、SVには癖が無い。しかし、マルチエンジンを低トルク領域で使うかったるさを乗りやすさと定義するならば、SVは癖だらけ。マルチエンジンでギクシャクするっていうと、低いギアで高い回転域でのアクセル操作だが、ミドル以上のツインは、ギクシャク感は高いギアで低い回転域でのアクセル操作でも出てくる。勿論、低いギアで高い回転域での脈動も結構激しい。そういう意味で単車が乗り手の粗さをカバーしてくれない部分は、速く走ろうとする時程顕著に現れる。アクセルの開け方一つでもそうだ。マルチでは適当にぼやけるアクセル操作、オープン時、クローズ時共に言える事だが、そのような操作もリズムを外せば非常に乗りにくいのがミドル以上のツインの特徴。しかし、それは素直さの裏返し。アクセルの開け方、絞り方、その辺りを全て意識して操作することで思い通りに扱える。逆に言えば、乗り手次第で思い通り感が得られる。乗り手のスキル次第で乗り易くも、乗り難くも感じられる。リッターツインとか、ハイコンプツイン、ハイコンプシングルでは更に顕著。そういう意味で2スト的。それ故に、自分は2ストとミドルツインが好きなのだ。
 言えるのは2ストの味を急激な吹け上がり!って言ってる奴には判らないだろう。

 余談だが、2ストの面白さはパワーバンド内で走っている時の事で、パワーバンド前後での違いは関係無い。そう、2ストでパワーバンドを外しているって状況が無いからだ。2ストの美点はパワーバンド内でのアクセルとパワー感の直結度に尽きる。自在にパワーを瞬間的に炸裂出来るのが2ストの最大の美点。

 そう、ミドルツインの付きの良さと、2ストのパワーバンドでのレスポンスは同質なのだ。

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2009年7月25日 (土)

フルカーボン、63万円の、、、

 電動アシスト自転車登場だ。
 BSのリアルストリーム、パナソニックのジェッターとは違い、両輪駆動+カーボンフレームの自転車が登場した。電源バッテリーは車体中央部だが、駆動モーターは前輪ハブ部であり、後輪はシンプルなまま、後輪は従来通りの自転車の駆動と同じで、前輪でパワーアシストするタイプである。

http://jp.sanyo.com/news/2009/07/24-1.html

にリリースされているけど、これまた興味深い一品だ。ホイールサイズは700C、変速は内装8段である。他メーカーの製品と対して一番大きな違いは、、、、そう、サンヨー独自のエネルギーの回生充電する点だ。これは魅力的。
ただ、改造して遊ぶって部分では、リアのエンド形状が独特。正爪をひっくり返したような見たこともない形。通常の外装変速化するには少々知恵を絞る必要がありそう。もちろん、内装変速という点ではBSの製品も同じであり、改造して遊ぶって点では、パナソニックのモデルが一番夢がありそう。

 それでも、ついに電動アシスト自転車もAWDでカーボンコンポジットフレーム採用というレベルに到達した訳だ、、、、凄いものだ。

 でも、この記事とは別に自分の関心は、今は別のところにある。それは、、、、、また今度の機会に、、、、。

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電動バイク?

 木曜日、ツール・ド・フランスのTTを見ようか?と思っていたのだが、BS-TBSのブルース・リーの懐かしい映画の方を見た。その映画のCMで見たのが表題の製品。

 これは、電動アシストバイクである。バイクといっても自転車でなく、電動で動くクランクセットで脚を強制的に動かすダイエット商品で、元マラソンランナーの千葉真子さんも愛用?の商品らしい。

でも、これって効果あるの?っていうのが正直な疑問。電動で動かされるっていうのは、脚の筋肉が外的刺激によって動かされるもの。似た様なモノで、振動を与えるベルトみたいなモノだろうか?

 ただ、これって逆に膝を痛めるのでは?という気もする。

 何故に、そんな事を思うのか?っていうと、自転車愛好家の合い言葉的な膝の痛みがあるけど、膝の痛みの理由は、大きな負荷を膝で伝えるから。大きな負荷っていうのは、結局、必要な瞬間に必要な力を無駄なく伝えれないのが原因。つまり、不要な時も含めて力を伝え続ける事で生まれる不具合だ。そんな時、身体の芯がずれる。結果、膝も真っ直ぐになっていない。結局、適切でない膝の角度に大きな力が掛かり軟骨にダメージが、、、、って痛みの原因もある。つまり、変な角度で力を伝える事が原因だったりする。
 他にも、ビンディングをいきなり!って人も結構膝の痛みを訴える人が多い。これって、漕ぐ足で反対の脚が回されているから。回されるっていうのは、稼働部分である膝が適切にフリーに出来ない人にとっては、常に無理が掛かっているってこと。それも痛みの理由になりうる話。

 そんな事を考えると、寝そべってとか、ソファーで出来る。この危惧は、脚の回転にとって具合が良い姿勢以外でも無理矢理回されるってこと。確かに、大腿部の筋肉は動かされるが、関節やそれ以外の筋肉には要らぬ負荷を与えて当然ともいう。
 更には、結構ペダルスパンが広いので、がに股を作り出しかねない。がに股野郎は膝痛野郎って事が多く、そう考えると、これは筋肉を動かしながら、関節を痛めつける危険性が無いのだろうか?と人事ながら心配してしまう。

 チョット宣伝に対して否定的なんで、商品名の記載は行わないけど、しらべると一発で判る。みんなどう思っているんだろうか?

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リバウンドの恐怖

 過去にもダイエットというか減量を目的に運動量を増やしたりした事がある。
 減量した後どうなるか?、、、、何故か、元に戻るのである。減った体重は元に戻る。不思議なモノである。

 今どうか?っていうと、幸い、体重は維持された状態だ。でも、不思議に思う事がある。ここ最近だが、運動している量はずっと一定。そして食事量もずっと一定。食事が増えたとも思えないし、運動が減ったとも思えない。

 それでも、体重は不変、、、、、っていうことは、今の運動を辞めたら、体重は増加に転じるのだろうか?っていうよりも、間違い無く増加に転じる様な印象。

 更に言えば、食事量、運動量は不変、、、、そして、最初の半年未満が体重減少、その後は、、、、運動量は増えているのだが、体重は一定か、やや増加傾向って事。

 摂取したエネルギーはどうなってるのだろうか?食べる量、運動量が不変でありながら、体重の変化のパターンが変わる。その理由は、何だろうか?

 考えられる理由は、良い解釈をすれば体組成が変化しているということ。

 余分なエネルギー過剰では、エネルギー消費がメインで体重減少、余剰エネルギーが無くなれば、消費と平行して筋肉肥大で、体重が微増傾向で、体脂肪率減少、骨格筋率増加という事なのだろうか?

 しかし、今の運動量を減らして、食事量がそのままだったとすれば、間違いなく脂肪増加となる筈。

 それは結構、恐い事だ。仮に、そうしてリバウンドした時には、果たしても元に戻すにはどうすべきか?というのが想像出来ない。そういう恐怖心が日々の運動のモチベーションの一つになっているのも確か。

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プリウスの客層の変異

 プリウスがバカ売れしている。プリウスっていうのは、世界で初めてと言って良い程のメカニズムを搭載して登場した画期的な車であるのは間違い無い。

 そんなプリウスについて考えてみた。

 初代プリウスっていうのは、車格に対して割高なモデル。二台目も然り。実用性という観点からみると、非常に高価なモノだし、メーカーとしても利益率は優れない車だったはず。

 それを今の時代迄続けれてきたっていうのは、マーケットが在ったから。

 そのマーケットを支えていたのは、当時、価格でなく、コンセプトに賛同した人々である。値段でなく、存在に価値を見出してプリウスを選んでいた様な気がする。

 今はどうか?

 減税、ガソリン価格高騰、、、、、経済性で選ぶ人が多いように思う。

 果たして、プリウスを最初に選んだ人は、今もプリウスを選ぶのであろうか?

 プリウスを選ぶ事がライフスタイルの主張であったならば、多分、違う選択肢をするような気がする。

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2009年7月24日 (金)

スポルティーフって?

 表題の言葉を具現化した形、これって人によって随分と違う印象だ。他の車型、ランドナーとか、キャンピング、ロードレーサーっていうのは、人によって異なるって要素は案外少ないもの。
 まぁ、キャンピングっていうのはランドナーとの違いを述べよ!っていうと、人によっては同じとも言える程度のもの。自分としては、前後に振り分けバッグが搭載可能なキャリアが付いているとか、タイヤがチョット太めとか、或いは、シートステーがクロスステーとなっているとか、、、そんな印象だが、、、、

 それらに較べると、スポルティーフってタイプは、人によって具現化させると、形が随分と変化しそう。

 言えるのは、ホイールサイズが27インチ、700Cサイズでフェンダーが付いている。って事くらいかもしれない。それ以外のパーツ構成はどうか?っていうと、案外、曖昧な気もする。

 昔流に言うと、スポルティーフっていうとセンタープルブレーキ。センタープルブレーキっていうと、アーチが大きめでフェンダーが通せるっていうのも一つの理由だったと思う。今はどうかしらないけど、自分の80年頃の印象では、表題のホイール、フェンダーに加え、センタープルブレーキって印象だ。
 後は、、、、ロードレーサーというとイタリアンパーツで構成、スポルティーフっていうとフランス製部品、例えば、ユーレーとか、CLBとか、そういうパーツで構成って印象だった。

 昔の構成を思い出してみると、タイヤは27インチのWOで1-1/8程度のサイズが定番、ギア構成は殆どロードレーサー並で、フロントトリプルっていうのはオーナーカスタムで通常はロードバイク並のダブルのクランクセットだった様な記憶がある。

 当時のスポルティーフがそんな印象だが、そういえば、ロードとスポルティーフの間の車型が存在していた。それが、自分の車歴で強い印象を持つ、ダイヤモンドって自転車。これはブリヂストンのバイクでレイノルズ531フレームで組まれたモデル。型式ではDF-7110ってモデルなんだが、、、、これ、今調べ直すと、、、、スポルティーフでは無いようだ。
 当時、これをスポルティーフ的に使っていたのは確かだが、DF-7110ってシリーズはファーストライディングモデル。

http://comics.sakura.ne.jp/cycle/brg203.jpg

 である。これを当時、スポルティーフって認識していたのだが、ダイヤモンドの後継であるアトランティスではカタログにファーストライディングとは別のスポルティーフって紹介で機種がラインナップされていた。

http://cyclotourist.web.fc2.com/special_39.html

 である。これは正しくスポルティーフと言える。自身のDF-7110は、このアトランティスのスポルティーフ調にロングフェンダー等をアッセンブルしていた記憶がある。それ故に、当時的にも自分のモデルをファーストライディングとは認識していなかった。

 こんな風に記憶が混乱している理由は、ダイヤモンド(アトランティス)シリーズの下のクラスでユーラシア・グランってシリーズが存在していたからかもしれない。このユーラシアにはスポルティーフとファーストライディングが別個にラインナップされていた。

http://cyclotourist.web.fc2.com/special_49.html

コレ見ると、ブリヂストンで例を挙げると、ロードレーサーがチューブラー車であり、それにクリンチャーを履かせたのがファーストライディング、但し、そのファーストライディングって呼び名が一般的でなく、車型的にも特異的な存在だった。そして、初期の頃はスポルティーフの定義自体が曖昧であり、その定義が固まったのがユーラシア・グランとかアトランティスの時代のモデルだったのだろうか?

 自分の先入観としては、ロードモデル改ファーストライディング車をスポルティーフと捉えている傾向があり、それ故に、現代のスポルティーフモデルがチョット自分の印象とは違和感を感じるのかもしれない。定義的にスポルティーフという言葉がカタログに載ってからは、ファーストライディングというよりもランドナーに700Cホイールという印象が強い。

 現代のスポルティーフに通ずるマスプロダクションモデルというと、、、、そうそう、ユーラシアの末期にディアゴナールってモデルが在った筈。これは700Cホイールにカンティブレーキという以外は殆どスポルティーフと同じだが、メカ構成的にはフロントトリプルか小さなインナーギアを装備していたのが印象的。ただ、ディアゴナールって車型は一般的とは言い難く、ブリヂストンの中のラインナップと捉えた方が自然。これって、現代のスポルティーフってモデルそのものの構成だ。
 現行で新品調達が可能なスポルティーフっていうと、アラヤ・ラーレーのCLSってモデルだが、そっくりである。現代のスポルティーフをディアゴナールと呼ぶ人も居れば、呼ばない人もいる。

http://www.raleigh.jp/catlog07/07CLS_top.htm

や、TOEIでユーザーが製作されたスポルティーフモデルが多い。

http://xjmarin.seesaa.net/image/cycling_TOEI.htm

http://www.h7.dion.ne.jp/~ciclin/sub3-5.htm

http://www.h7.dion.ne.jp/~ciclin/sub3-6.htm

で、最近はカンティブレーキで構成されている様子。
キャリパーブレーキ仕様は?って探すと、、、、ノートンのモデルが、

http://www.nortonbike.co.jp/minivelo/supo/supo-m.html

である。

 いってみれば、スポルティーフっていうのは700Cツーリングの総称で、クラブモデルとかディアゴナール的なモデルからファーストライディング的なモデル迄実に幅広いようだ。そして、どちらの型をスポルティーフっていうかは、人の生い立ち次第ってところだろうか?

 現代のスポルティーフは前述の定義が固まって以降の形態で、初期のファーストライディングとは異なる、軽快ツーリングモデルという色彩が強い。

 ロード色が薄くランドナー色が濃い。タイヤも太め、クリアランスも広め、ブレーキもキャリパーならロングアーチ、更にはカンティとか、、、、クランクの歯数組み合わせを見ると、歯数比が相当に離れた例が多い。46-28Tとかで組んだ人が多いのが象徴的。
 トリプルとかダブルという区別よりも、自身は、隣接歯数比率、ロードなら1.3倍、ランドナーで1.4倍とかの比率で見てしまう癖から言うと、ワイドな構成が最近のスポルティーフユーザーの定番っぽい。

 自分の印象では、ロードバイク+クリンチャー+フェンダーという構成がスポルティーフであり、ブレーキにカンティを使うのは、印象的にスポルティーフというよりも、700Cランドナーというか、今風に言うとシクロクロスというか、そんな印象である。

 イメージでスポルティーフというのは、悪路走行は考えていないので、泥よけが通せるギリギリのクリアランスで構成したロードレーサーという印象なのである。そういえば、選ぶタイヤも自分の印象と世間の定義は微妙に違う。自分の印象、今、スポルティーフというと19C~23Cというサイズだろうけど、世間は25C~28Cというサイズ。つまり、世間のスポルティーフの方がツアー車っぽいのは間違い無いようだ。

 自分の言うスポルティーフとは、世間のそれとは違う。言ってみれば間違いみたいなもの。
 自分の望むのは、基本はロードバイクのスケルトン、クリアランスに超タイトにフェンダー、キャリアを装着して300km/day以上の走行で快適な革サドル、キャリア上のバッグが無理なく乗せれるフーテッドレバー+Wレバーという構成の自転車。

 これって何?って考えると、、、、これ、単独での長距離公道走行用ロードレーサーって事。そもそもロードレーサーは荷物は無しでサポート付きで走るものだが、サポート無しで長距離走るなら、万が一の不測の事態で対応出来ないとNGだから。その対応を一人で何とかするためのロードレーサーが自分の望む自転車の様だ。これは、スポルティーフというよりも、エンデュランスレーサーとかファーストライディングと言った方が適切かも知れない。
 話がそれるけど、1980年前後の頃、ロードレーサーっていうと殆ど街で見掛けなかった。見たのはランドナーが殆ど、稀にスポルティーフってノリ。ロード=競技車両で、サイクリングには使わないってパターンだったと思う。理由は、やっぱりチューブラータイヤだろう。つまり、当時の高速自転車というと、ファーストライディング的なスポルティーフだったと思う。

 当時のBSの車型序列で言うと、
1.ロードレーサー(チューブラータイヤ装備)
2.ファーストライディング(700Cクリンチャー装備)
3.スポルティーフ(2.+泥よけ+センタープルB+Fキャリア+700×25~28C)
4.ディアゴナール(3.+カンティB+700×28~32C)
5.ランドナー(4.+26×1-3/8)
 であり、2.或いは3.~4.を当時的にいうとスポルティーフって表現で、今の時代は、2.も完全にロードバイク扱いで、スポルティーフっていうと3.よりも4.気味な印象である。

 チョット、殴り書き過ぎて文章に為っていないけど、まぁ、いいや、、、、。

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使われているOS

 アクセス解析で来訪者のOSを見た。
 すると、Windows系で見ると、圧倒的に多いのがXpである。その3割程度がVista、更にVistaの1/4がWindows2000となっている。WindowsMeとかWindows98は、共にWindows2000の1/10以下である。Windows95も存在しているけど、それは微量と言ってよい程の少なさである。

 こうしてみるとWindows9Xは完全に終了しているようだ。自分のメイン環境であるWindows2000でさえ、完全に過去の遺物状態。

 それにしても興味深いのは、Xpの多さだ。Vistaの次、Windows7のリリース日が間近に迫っているのだが、量的には圧倒的にXpがリードしている。

 分析は四ヶ月スパンで見ているけど、Vistaが2000と並んだのが、2008/1~4の集計である。丁度、一年半前の事。その時でも、Xpの割合は圧倒的。傾向的には、Xpの割合はずっと一定で、2000の減少分がVistaになっているという状態。

 時代的には自作PCは少数派であり、既製品ユーザーが多数派。つまり、XpマシンからVistaマシンへの買い換えよりもWindows2000マシンユーザーがVistaマシンに買い換えて来たという事か?逆に言えば、XpユーザーからみてもVistaが魅力的に見えなかったと言う事なのだろうか?というよりも、世代的にOS一世代ではマシンの買い換えを見送る人が多いって事なんだろう。
 すると、Xpが二世代前のOSとなるWindows7の登場では、XpマシンからWindows7マシンへの買い換えが多いか?とも言える。
 但し、Xpが最新OSであった時代が他のOSと較べると圧倒的に長かった分、これまでの傾向が当て嵌まるか?というと難しいところ。

 今後の予測は不明だが、取り敢えずWindows7の前評判は上々で、キャンペーンの特売販売は瞬間で終了した様子。それでも、PCで行う事はあんまり変わっていないのも事実であり、それ故に、未だにWindows2000ユーザーも存在している。果たして、Windowsの時代はこれからも続くのだろうか?

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一番壊れやすいのは、、、、

 ここ数年でパソコン部品で一番壊れた状態を経験したモノ。
 それは、、、、ハードディスクではないのだ。

 勤務先、自宅、、、、オーバーオールで一番は、電源なのだ。

 電源の経たると、、、、最初はOSの起動失敗が生じる様になり、次が、スイッチを入れてもLEDが点灯しても進まなかったり、、、、そんな症状。OSの起動失敗の場合は、何度かスイッチをON/OFFすれば起動出来る事もあるけど、そういうのはHDDも痛めかねないのでサッサと電源交換するのが吉。

 特にPCにパーツを沢山実装していると電源的には相当な負担が掛かっている模様。

 電源の品質っていうと、案外見落とされやすいのも注意が必要。DUAL構成のマシンでも電源がサラでもCPUを高クロック品に交換しただけで起動出来なくなる場合もある。原因は?っていうと、結局は電源だった。定格で100W程大きな電源に換えて問題解決なんて事もザラ。
 今の時代の品では、大容量電源は不要かもしれないが、それでも電源が経たると起動出来なくなる場合は当然考えられる。

 その一方で、HDDはホント壊れにくくなったのが印象的。一桁GB時代は結構クラッシュしていたような記憶があるけど、数十GB以上の時代以降では壊れない。

 他に壊れる部品は?っていうと、ファン、スイッチ、、、、そんな所。

 集積度の高い部品程壊れにくくなり、大雑把な部品程壊れやすい。結局、集積度の高い部品は技術革新の進行と共に信頼性も上がっているって事か?そして、集積度の低い部品っていうのは、コストダウン優先で雑な作りになってきたって事か?

 少なくともPC-98時代の構成では、壊れるところ=HDDって印象。貧相な電源がアウトになるって経験は実に少なかったりする。

 時代と共に、信頼性レベルが部品相互で入れ替わるようだ。

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2009年7月23日 (木)

金魚すくい

 先週末、地元商店街主催の夏祭りがあった。
 毎年恒例で、家族で出掛けるのだが、そこでの夜店っていうと、毎年同じだが、子供は毎年同じ事をやっている。まぁ、それはそれでよい。で、何やるか?っていうと、くじ、ヨーヨーすくい、スーパーボールすくい、、、、それから綿菓子、かき氷、、、、変わったところでは、地元の商店街ということで、デコネイルってマニキュアサービスみたいなもの。金魚すくいもあるけれど、基本はパスである。去年もパスしたのが金魚すくい。

 金魚すくいについては、一昨年は金魚すくいを行ったのが最後。その時は全部で3匹ゲットだったけど、その夜の内に一匹死んで、翌日に更に一匹、その後数日で最後の一匹も死んだのだが、そんな事もあって昨年は金魚すくいはパス、今年もパスの予定だった。

 そもそも、生き物を飼うっていうのは、自分的には反対だ。犬も猫も、、、、どんな動物も飼うのは反対なのだ。

 生き物を飼うっていうのは、命を預かるってことだから、瞬間的な感情で可愛いから!って理由だけではダメだ。いつ何時も、どんな事があっても、細心の注意を払って飼う事が出来ないと認めれない。それが出来ないと許せないのが自分の考え。

 昨年、カブトムシを娘のリクエストに従って飼育したけど、結構簡単に死なせてしまったのだが、それも結局は飼育するに見合わない世話しか出来なかったから。
 命を奪うような飼い方しか出来ない奴は、飼う資格無しである。犬の世話でも然り。犬は散歩が大好きで、散歩に毎日連れて行き、排泄物の世話もしっかり出来ない奴は買う資格無いのだ。実際、散歩に連れて行かない人も居るし、散歩に連れて行っても排泄物を放置するバカがあまりにも多いが、その辺の世話が全て行える人間以外、飼う資格は無いのである。

 自身、自分の子が世話が出来るかどうか?っていうのは、日常生活で最低でも一つは決めた事が毎日さぼらず続けれるか?で判断するのだが、その辺が曖昧では認めれない。
 自身、幼少の頃から、ひよこから鶏迄成長させた飼育経験、ジュウシマツを大繁殖させて寿命で無くなる迄飼育したり、昆虫、亀、、、、色々と飼育したけど、そういう飼育が出来るかどうかは、飼う側の資質が大事なのだ。そういう訳で、取り敢えず、小学一年生に金魚を飼わせる気は全く無かったのだが、息子の世話をしている時、嫁と娘、娘の同級生でどさくさに紛れて金魚すくいで金魚を三匹ゲットした様子。

 その後、金魚を袋にいれて持って、デコネイルの行列を待っている最中にはしゃいで袋が破れ、水が漏れ始めた、、、、それで、水が無くなっては金魚が死ぬから!って事で、デコネイルを諦めて帰ろう!っていうと、金魚は死んでも良い!なんて言うから、ブチ切れ、、無く子を強引に連れて帰ったのだ。それで、どうにか水が無くなる前に帰宅して、どうにか容器に入れて事なきを得た。帰宅した時には、既に金魚に関心が薄くなっているのが腹立たしいところ、、、、しかし、そこに金魚が居る限り、金魚にとって十分な環境を必要か?ということで、僅か100円の金魚に、水槽、敷石、エアーポンプ等々で飼育セットを準備して飼育が始まった。金魚の水槽の配置はどうしようか?と考えた結果、夜は暗くして、昼は明るい、、、っていうか自然のリズムに近いのがベストということで、玄関先に設置を決定。玄関先にはエアポンプ用のコンセントが無い、、、ということで、脱衣所のコンセントから延長コードを用い、床下配線して下駄箱迄引き出して、そこに接続、、、、そのための屋内配線工事を行って、水槽設置して完了。勿論、敷石は洗浄し、水槽の水もカルキ抜きして準備。この段階から作業はずっと一人、、、、水槽、敷石、水シダ等セット完了しても金魚を水槽に入れた瞬間には関心が有ったようだが、それも1日も経つと誰も世話しない、、、、、結局、自分がやっているのが腑に落ちないところ。

 一昨年、金魚が直ぐ死んだのは、やはり飼育環境の水量の少なさ、、、水が少ないと直ぐに濁って、汚れて、酸欠になって、、、、ということ。実際、適当な容器で飼育していたのだが、今回は割とマトモな15L級の水槽。金魚の数を増やさない限りは大丈夫。

 今回、金魚は普通の金魚で三匹しか居ない。取り敢えず、病気に為らないように大きく育てるつもり。

 そして、今回の夏祭りが夏休み初日だったわけで、その入手の経緯、飼育環境の準備を含め、娘の夏休みの自由研究の一つにしようかな?と思っている。

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これで十分、、、、って感じ

 なんでも必要にして十分って感じが大事。
 例えば、食生活、、、、これだけ食えば十分っていうのは、まぁ、腹八分目って事。苦しくなるまで食わないで良いってこと。それさえ守れば、基本はダイエットの必要性に迫られない。

 他にも、自分の趣味で当て嵌めると、、、、

 例えば、デジカメ、、、、これは、出力はL判印刷、ハガキ印刷迄。ハガキ印刷の場合、全面印刷は有り得ない。L判の場合、127mm×89mmである。5インチ×3.5インチである。プリンタの解像度(ノズルピッチとは違う)はせいぜい240DPIレベル。5×3.5×240×240=1,008,000ドット、つまり100万画素レベル。そういう訳で100万画素もあれば十分。トリミングを考えて云々って人も居るけど、実際、トリミングしてから出力するなんて操作を行った事が無いので不要。敢えて言えば、ディスプレーの解像度で全面表示する事があるので、最大でも1920×1200=2,304,000ドット、230万画素で十分。
 その範囲で簡単操作なモノで十分って思ってしまう。

 パソコンもそうだ。普通に使うにはネットブラウズ&電子メールだけ。他には写真の出力操作程度、、、、、Windows2000で全て賄える。ならば、Windows2000が快適に使えるハードで十分ということ。敢えて言うと、、、、230万画素のデジカメデータを保存していく時にディスク容量が100GBは欲しいってくらい。VistaもWindows7も必要か?ってういうと、実は差し迫られてはいない。
実際、我が家のVistaマシンは地デジ録画のためだけ。キャプチャーカードの仕様と、保存データサイズから今世代のマシンに為った結果であり、それ以外のマシンは超旧式。

 バイクも然り、一般道の峠道でシフト操作で回転域をたしなむ、、、、つまり2速~3速でパワーバンド未満で峠が遊べるクラスの選択。そう、ミドルツインで十分って意識だし、自転車でも然り。乗る場所が河川土手沿い限定ならギアなんて一枚で十分だし、ロードバイクでも自分で必要な機能だけ盛り込めば十分って構成。

 なんでもだが、ホントに必要なのは、どの程度?って考えると、案外、最新鋭、最強の構成で無い場合が殆どなのだ。

 思い起こせば、小学校、中学校時代に、免許も無いくせに、単車の定地テストとか、カタログスペックで馬力最高のコレが欲しいとか、最高速度が1km/h速いコレが欲しいとか言って居たけど、今、そんな事言ったらアホだ。
 これで十分って言える所が決めれること。これが人生経験というか、趣味の部分における経験の度合の結果なのかな?と思う。

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鳥瞰できる理由

 鳥瞰っていうのは、『BirdEye』って事。上空から見た遠近法を取り入れた構図というか視界の事。
 メインサイトには度々記載している事だが、単車に乗って見知らぬ土地のワインディングを快調に走っている時、脳内に記憶されている映像っていうのは、上空から客観的に自分を見下ろして走っている感じ。それ故に、何故だか、ブラインドコーナーの先が読めるという錯覚を持っている。勿論、対向車、路面状況、、、、そんな事が高い確率で予測出来て対処できている。それ故に、先がどうなっているか?が映像的に記憶されている。
 勿論、外的状況判断に限らず、外から自分を見ている訳であり、自分のライディングフォームがどうで、何をどうしているか?何がまずいか?も映像的な記憶で残っている。

 勿論、上空から見ている訳ではないので、記憶上の話。

 何故に、記憶の上であっても、上空から見たような状況になるか、、、、、なお、この感覚は自分が先頭で走っているか?或いは、自分が単独で走っている時しか得られない映像的な記憶だが、その理由は何か?

 それは、目で見える情報や気配、時系列的な風景の変化、音の情報、路面の変化、対向車との離合頻度、、、、、そんな空気を全て処理して、何時、どのタイミングで何が現れるという確定をしたり、状況的には最悪の場合、何が起こるか?を予測した上で行動しているからに他ならないのだ。つまり、見えないモノを五感から感じるモノを合成して未来映像的な情報として、つまり映像情報として頭の中で合成しているのである。

 つまり、鳥瞰状態、特に、客観性を持った直近の未来映像というのは、見えていない情報を頭の中で再合成して直感的に判断できる形に整えた映像情報なのである。

 映像情報故に、直感的に対処が出来る。直感的な対処というよりも、その起こりうる事態を予測して事態に挑んでおり、準備して心を整えているからパニクらないのである。これが大事なのだ。つまり、先の記事でも書いたけど、当てが外れないってことなのだ。

 このような考え方、っていうのは、見えない情報から予測する訳であり、実は、単車のワインディングライディングに限らず、何かの研究開発、技術開発、自転車の乗り方、改造の仕方、、、、いろんな場面でも当て嵌まるのである。

 つまり、目的とする理想を描き、理想を獲得するのに必要な合成要素には何があるか?を見極める事と全く同義なのだ。
 剰りにも目線を問題に近付けすぎると、周りが見えなくなる。周りが見えないから、因果関係が見えない。そんなもんである。周りが見えるということは、全体が見えなければならない。

 以前、コスプレ自転車乗りが人の背後にぴた付けする例で、後に付く事の危険性を説いて、自分は人とは距離を置くって話しを記事にしたけど、それは、視界が前走者に占有されると、周囲が見えなくなるからである。周りが見えないと、状況判断も出来ないばかりか、自分の乗り方、フォームの問題点迄を見る機会迄失ってしまうからだ。

 脳内で視界を再合成するっていうのは、一歩引いて全体を見るということ。物事を大局的に捉えること。因果を見抜く事なのだ。

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2009年7月22日 (水)

日食

 日食が辛うじて観察できるコンディション。薄曇りである。
 ということで、現場でのサンプル収集用デジカメ、オリンパスのC-120で撮影してみた。機種はパンフォーカス、単焦点、210万画素という超シンプルなカメラ。基本は、現場での素材欠陥収集とか、メモ用途のカメラだ。平成14年製だから、7年前だ。

090722

 デジカメをデジタル二倍ズームの上、トリミングして掲載してある。レンズの前には、IRフィルターを二枚重ねて撮影。取り敢えず、太陽が欠けている様子だけは通じるのではないだろうか?

090722b

090722c

 ハッキリ言って、1000円クラスのデジカメじゃ厳しい。でも、その場で何とか撮影したような臨場感は伝わるのでは無いだろうか?

 曇り空故に撮影できたとも言う。フィルター無しではハレーションで撮れないだろう。

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ダイエットの本当の苦労は?

 ダイエットっていうか、減量っていうのは、案外簡単なモノ。
 何故ならば、それは体重計の数値とか、体脂肪計の体脂肪率とか、数値的にターゲットが定めやすいから。

 でも、数値が達成された後が大変。

 なぜならば、数値目標が定めれない。それ故に、維持するためには、何をどの程度やるべきか?何処まで手を抜けるか?が判りづらいから。

 それ故に、ダイエット後っていうと、定番的にリバウンドが生まれるのである。

 ダイエットの本当の意味は、変化を達成する事でなく、新しい平衡状態を保つ生活の安定を作る事。どんな生活が理想を維持できるか?それを習慣化させる事が、本当の意味でのダイエットなんだろう。

 運動生活、お菓子制限生活、、、、なんでも良いけど、日頃の生活行動、意図的な行動を、無意識習慣とする考え方を身に付ける事が重要みたい。
 当然の事だけど、減量するのでなく、新しい状態を維持する状態を作り出す事。これが大事である。

 何故にこんな判りきった事を書くか?っていうと、、、、それは、今の生活は安定化しているけど、日常の運動が2時間以上/dayっていうのは、やはり異常とも言える。運動を減らすべきだろうけど、何をどうバランスさせれば時間が生めるか?がこれからの課題だから。

 やはり、所帯持ち、子持ち、勤め人、多趣味、、、ってなっても使える時間は24時間/dayは変わらない。これが問題。運動に2時間半も割くのは、他の生活に弊害を及ぼしかねない生活リズムだ。

 ダイエットとは、生活環境を周辺環境と調和させて、どこにも負担を掛けない、不満を漏らさせない、そんなバランスが保てて初めて持続できるものとも言う。
 今の状態は、確かにパフォーマンス維持を目的とすれば十分だが、他の趣味に割く時間も、育児の時間も、自身の寝る時間も削られている。こういうのは多分、長続きしないだろうと危惧している。

 これから、自分の時間、自分の身体を、いろんな状況でバランスさせながらコンディションを保つ方法を見出していく事が大事かな?考えている。

 ダイエットというのは苦労を伴うが、究極的には、その行動を他の行動と調和させる事。

 今、そんな風に考えているのだ。

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オイラは鑑定団

 自転車を絵画とか、壺とかと同列に考える傾向がある。
 オタク?、、、、マニア?、、、、チョット違うような、昔でいう盆栽好きな爺さんみたいな感覚だろうか?骨董趣味とでも言おうか?骨董品収集家、何でも鑑定団的なノリである。

 性能云々というよりも、歴史とか、作り手とか、そんなモノの背景から併せて触手が伸びる様なところ。

 例えば、フレームなら(と言っても、その違いは判らないけど)、レイノルズ531のマンガンモリブデン鋼だったり、或いは、引き抜き感に非ず、電包管で国産初のクロモリダブルバテッドの海野のD2×D2(デーバイデー)とか、、、、ボカマのラグとか、カンパのエンド、ゼウスのエンド、、、、、をメイド・イン・ジャパンでってモノが好みと拘ったり、、、そんな部分。

 そういう訳で、機能、性能を超越した所で、小林フレームとか、シルクのフレーム、BSのオーダーフレームが好きだったりする。

 特に、この骨董趣味的な部分では、材質、要素よりも何よりも、一案重要なのは、何処で作られたか?どのレベルの目的で作られたか?という部分。それが感じられるような要素が在るかどうか?これが関心を持てるか否かの大きな分かれ目である。

 なんでこんな事を書いたか?っていうと、、、、、最近は自転車ブーム、特に、ロードバイクブーム、ピストトレンドで、そんな傾向のモノを見掛ける事が多いのだが、自分の70年頃のシルクフレーム、80年頃の小林フレーム、90年頃のBSフレームは何れも良い!って思うのだが、似た様なフレームでも全く関心の湧かないフレームも多い。

 一番手は、最近流行というか最先端?のカーボンモノコック系のフレーム。確かに軽いし、見た目レーシーで速そうなのは理解できるけど、この系統のフレームは自転車ならでは!の感覚が持てないのが頑固オヤジ的にはNGだ。
 自転車ならでは!って感覚とは、一台ずつ乗り手に併せるオーダーメイド感覚とでも言おうか?少なくとも、人種への適合度は重要という意味で考えると、世界市場を見たカーボンモノコックフレームは、その成形型の段階で日本人向きに作られているとは言い難いという部分で、関心が一歩遠のくのである。要素、構成、素材、、、そんな数値的には抜群なのは否定しないけど、それが使える構成か?理解できるか?という部分でチョイ退きとなるのだ。
 鑑定団的には、収集の対象は工芸品であって、大量生産品では無いのだ。

 二番手は、小さな工房等で手作りされたスチール製品でも、それが作られる段階の意志というか考えがコストダウン一本槍なモノ。値段が高すぎるのも今一だが、安すぎるのはもっと今一。安いって言っても限度がある。限度を超えた安さは、、、、モノの作られる目的に価格破壊が第一となるのは、犠牲としているモノが多すぎるのでは?と思ってしまう。仮に、機能的に十分であっても、作り手の想定する乗り手があまりにも懸け離れるのは、正直、機能的に相当に関心が引きつけられる何かが無い限りは厳しい。
 例えば、最近はシングルスピードバイクが流行である。2006年当時っていうと選択肢は限られていたが、今や選び放題。選び放題になると価格的にも相当に幅がある。そんな幅で見掛けたのが、『踏力』ってブランドのシングルスピードバイク。現車を見たのだが、どうも欲しい!っては思えない。そんな印象。悪いところがある訳でない。見た目貧相な作りが自分にとって不足とは言い切れないのだが、販売の段階で安さを前面に売り出しているという段階で、それ以外が考えられていないのかな?って判断してしまうのだ。

 骨董品収集オヤジ的には、モノを買う時、モノ自体というよりも、モノを作り出す人、メーカーの意志が感じられるモノに拘っているとでも言おうか?モノを通して、作り手と考え方が共有できるような、そんなモノを所有したい。それが骨董品収集家的に、工芸品が好きな印象に繋がっているのでは?と考えている。

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電動アシスト自転車の進化を見て、、、、

 木曜日のBS日テレの財部ビジネス研究所て番組で取り上げられていたのが、最近の電動アシスト自転車の状況について、、、、

 自転車がママチャリタイプ以外にも展開されて売上好調ってこと。そして、普及の原動力が技術の進歩にあり、技術の進歩=バッテリーの進歩って説明。

 肝心のバッテリーは電動アシスト自転車初期の鉛バッテリーから、ニッカドを経て、ニッケル水素、リチウムイオンと進化し、重量が1/5、充電時間も1/5となったのが今って話。

 そこで、個人的に興味が沸いたのがリアルストリームってBSの電動アシスト自転車である。

http://www.bscycle.co.jp/realstream/

 がサイトだが、かなりスポーティな感じ。
 この車体では無理っぽいけど、もうチョットクリアランスが取れそうなフレームなら700Cのホイールに履き替えて、フォークも普通のカーボンフォークか何かに交換して前後700C、そして、ドロップバーって仕様にしたらチョット面白そうな感じ。

 YAMAHAには競輪PASってモデルがあるけど、それに似た様な感じで、スポルティーフPASなんて作ったらどうなるだろう?

 実際、我が家にはアシスタスーパーリチウムが嫁用にあるけど、子供乗せに子供を乗せて走ると、二人乗りでも10%級の勾配が楽勝なのだ。電動アシストって偉大である。

 今、我が家の下駄はAV50よりもスピママGTR号が大活躍だが、チョット足伸ばしたい時、市内だけど町外、区外って状況では、SVとかCXを使う事が多い。そんな時にリアルストリームっていうのは十分代役を果たしてくれそう。リアルストリームの形自体が好きでないので、これをシンプルに出来たら楽しそう。電動アシストしてくれるなら、アシスト元は極力低抵抗で作ってみたい。

 そんな事考えていたら、既に似た様なのがあった。

http://cycle.panasonic.jp/products/electric/enhc/index.html

 フォーク変えて、ハンドル換えて、ブレーキ変えて、、、、ハイでき上がりってなりそう。これ欲しいね。外装8速なら、MTB用の9速カセットでも入れて、シフター変えて、スラント角併せでMTB用のRメカにでも換えてしまえば相当面白そう。元が13-26Tなら、11-32T辺りで十分かな?ギア比の変更さえ必要無いかも知れないけど、手に入れたら、取り敢えず何か改造したくなるし、この手のオモチャならやはり、この手の心臓部で遊んでみたい気もする。

 法的には25km/hでアシストが切れるってことは、何処かで速度を検出している筈だし、踏む力の二倍をアシストするっていうのはトルクセンサーも付いているんだろう。トルクセンサー自体はどうって事無いけど、速度によってアシスト比が変化するので、仮にギア比を換えても合法的に25km/h以下でアシストが切れる様な方法に検出をコンバートする部分が面倒臭いかもしれない。

 電動アシスト自転車の仕組みを理解して遊ぶ教材には値段的にも手頃で、この価格帯のロードバイクを買うくらいなら随分楽しそう。

 シルクのピストのレストア中だけど、これも欲しい。22C程度のタイヤ、ドロップバー、ギア比変更、キャリパー、シフター変更、、、、興味湧いてきた。

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マナー悪いか?

 木曜日のサプライズって番組で、自転車のマナーが悪い!って取り上げられていた。
 普通に言えばそうかもしれないが、別に自転車のマナーが悪いとは思えないというのが本音。

 適格に言い換えれば、マナーの悪い人の乗った自転車が多いということ。歩行者だってマナーは褒められたものではないし、自動車だってそうだ。自転車マナーの悪さが問題になっているけど、歩行者も凄い。まず、90%は前見ずに歩いてる。信号無視はザラ、並んで歩くのは悪いとは言わないが、集団で前見ずに歩くっていうと、第三者から見ると非常に面倒臭い存在。犬の散歩なんて最悪に近いのが多い。実際、川土手の遊歩道の芝生エリアでは犬の糞が1m間隔で見つけれる。何時か、パンク修理して停まった時に見て驚いたくらい。
 最近は自動車も凄い。駐車違反なんてザラ。携帯電話操作での運転なんて常識状態だ。身近に、契約駐車場に見知らぬ自動車が停まっていて困ったって話聞くけど、スポーツセンター、パチンコ、スーパーの駐車場に、施設利用目的外の人が平気に停めている実態を見ると、それが常識化している。駐車禁止標識が無い=道路を駐車場で利用可能って思ってるバカも居る。

 結局、車両がどうこうでなく、車両を利用するバカが多いだけだろう。そう、利用者のマナーが悪いだけだ。

 百歩譲って、自転車=歩行者=遵法義務=取り締まられない!と錯覚している人が多く、それゆえに、違法行為に無意識に走る人って言えなくもないけど、マナーって部分は、それとは別の部分の事を言っているのではないだろうか?
 それと、自転車という基本は突起物だらけの乗り物が、車道でも歩道でも大きな速度差で走らざるを得ないのに、万が一の時に、民事的な問題に対処する準備無しに放置されている事も問題をややこしくしているかもしれない。

 それでも、そんな状況を嘆いてばかりいても仕方ない。行政の環境整備がNGって話はあるけど、それでも一応は安全と維持するためのルールがあるのは誰もが知っていること。ならば、環境が不十分なりにルールを守るのが道路利用者の最低限度のモラルだ。
 それが出来ないっていうのは、いわば、利用者というか人間のモラル、マナーが単純に低下しているって事に過ぎないのだ。

 結局、マナーの悪い日本人が増えたってことのように思う。それだけではないだろうか?

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2009年7月21日 (火)

80年代スポーツ車の美点?

 小林のロードにホンジョのテスタッチフェンダーを装着した。キャリアはNITTOのフロントキャリア、灯火はヤジロベーにナショナル探検ライト、、、、、サドルはブルックスのB17、メカは7200DURA、ブレーキキャリパーも7200DURA、ブレーキレバーはリリースの付いたシマノ600のフーテッドレバー、ヘッド小物はカンパ、ペダルはシルバンプロムナード、、、、、亜種?っていうと、Wレバーでサンツアースプリントのパワーシフター、

 現代のパーツは?っていうとは、クランクが前SORAのトリプルクランク、ハブがSORAのハブで9速って部分。

 見る程に愛着が湧くし、フーテッドレバーのワイヤーの取り回しがドロップバーの間に空間を作る。その空間の台座にパイプキャリア、其処にフロントバッグである。フロントバッグは、犬印だが、当時は何処のフロントバッグでもフロントキャリア上が定番。フロントバッグをキャリアに固定すると、手前側にはヘッドパイプの左右にポケットがある。ポケットには長距離補給で定番の氷砂糖なんかを入れたりする時便利。他方は、今ならデジカメなんかが良いかも知れない。そしてフロントバッグの上面はマップケースとなっており走る場所を直ぐ確認できるのである。このマップケースには国土地理院発行の1/25000の地図を入れるのが定番。広島なら本通り近くの中央書店で調達していたっけ、、、、

 旅行と言うことを考えると、やはり、湧き水、溜まり水を横断する事もある。そんな時、フェンダーは必須だ。荷物も目の前にあるのが便利。即座に荷物の出し入れが可能だし、目の前に荷物がある安心感とでも言おうか、、、、

 こんな80年代のエッセンスを持つ旅行車は今の時代、見ることが出来ないが、自転車を使って探検、旅行するっていうのなら、このスタイルが一番である。完成されていると言える。本気で長距離ならペダルはクイルペダルにストラップだが、今の使い方では、その辺走って旅気分ってところ。両面プロムナードで十分だ。

 こういう自転車で、ペースを気にせずノンビリサイクリング、、、こういうのが良いなぁ、、、、火になって漕ぎまくったり、タイマーの表示と競争したり、心拍数を揃えるような走りをしたり、、、悪くはないけど、違う価値観でフッと走って何処かに消えてしまいたい。そんな感じだ。

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皆既日食

 7/22、これは日本領土で皆既日食が見える日だ。
 見える場所は?っていうと、トカラ列島とか、硫黄島とか、、、だけど、広島でも結構な日食が見えるそうだ。
 時刻にしてAM9:30頃~正午過ぎくらいの間。最大の食分は0.857で時刻がAM10:59ってこと。

 今回、娘の誕生日プレゼントの一つに日食観察用眼鏡も買ったんで、これを使わせて見てみたいと思うのである。

 この次の皆既日食は2035年とか、、、結構貴重な体験なようで、子供、特に娘には見せてやりたいと思うのだ。

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小径ウエイト調達しました。

 ダンベルを用いた各種運動を行っている。
 筋肥大系の10RM×3の運動や、持久系の20RM×5の運動に対しては、運動パターンに併せてダンベルの重量、サイズを変えて準備している。

 ところが、調整可能なダンベルではシャフト径が32mm程度、調整ウエイトが最少で1.25kg、次が1.5kg、そして2.5kgというサイズ。2.5kgウエイトでは直径が15cm以上の大きさ、1.25kgでも10cm程度の大きさである。これは結構大きいのだ。

 勿論、身体から腕を放した運動ではダンベルの形状、特に大きさは気にならないが、ダンベルを身体に密着して行う運動では、大きなサイズっていうのは、密着させた時に密着仕切れない事、直径の大きさが鬱陶しい事が欠点である。

 身体に密着させる運動とは、腹筋、背筋台を使った腹筋と背筋だが、腹筋ではダンベルを胸元に抱えて行う。背筋では首の上に載せて行う。そうすると、大径ウエイトは凄く邪魔なのだ。

 そういう訳で、その運動には他のダンベルと互換性の無いもの。具体的にはシャフト径が28mmでウエイトが0.5kgのモノを使っている。このダンベルはグリップ部が硬質ウレタンであり、首に乗せた時にも金属剥き出しよりは優しい仕様なのだ。
 因みに、このバーは1.5kgと重く無い。このバーに0.5kgウエイトを4個ずつで合計8個で合計5.5kgのダンベルにしていたのだが、負荷があまりに不足気味ということで、この度、0.5kgウエイトを10個、合計で5kg分程調達してみた。

 これで、最大で合計10.5kgのダンベルが出来るのだ。

 チョイ前の記事にダンベルの選び方で、使うパターン毎にダンベルを準備した方がベターって事を書いたけど、今日は、ダンベルは使い方によって同じ重量でも大きさを気にして準備した方が更に快適に運動できるよ!って話。

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2009年7月20日 (月)

 日曜日の午後、オ・モイヨWW号でホームコースを走った。コンディション的にはゴルフ場の旗が千切れそうな程の強風、、、、、

 追い風区間では、59km/hに迫る速度で走る事も可能、50km/hも暫く維持が可能な程、、、、、一方で向かい風の復路では30km/hが限界、普通に25km/hペース、、、、、、負荷的には35~40km/hペースと変わらないキツサ、、、、

 つまり、風の影響が13km/hに相当すると考えると、追い風も向かい風も説明出来る。

 13km/hっていうのは、風速でいうと、3.6m/secって事。この風っていうのは、自転車で走ると相当に強い風のようだ。
 しかし、この程度の風っていうと、軟風程度、、、、つまり、葉っぱと小枝が揺れる程度。確かに、周囲の風景はそんな感じ。

 以前、強風で平地で立ちこぎが必要な事があった。その時は、モノレール型遊具が脱線って事故も報じられた事がある。風としては疾強風、風速で20m/sec級である。

 そうして考えると、自転車っていうのは、大した風でないのに強い風と感じる乗り物なんだなぁ、、、、って気がついたところ。
 自転車乗っているときは凄い突風!って思ったけど、実際は軟風ってこと。笑っちまうぜ。

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超繊細!

 本日、オ・モイヨWWで強風の中、最高速度で追い風だけど59km/hに迫る速度で走って帰還中、携帯電話のコール、、、、なんだ?すると、ニシダサイクルの店長さんからの電話、、、『ホンジョのテスタッチ・ロードフェンダーが入荷したよ!』とのこと。

 バックオーダーで発注して二ヶ月待ちだが、遂に入荷である。早速、ニシダサイクルさんに引き取りに出掛け、持って帰って装着である。

 アルミのフェンダー、定価で一万円程だから、今の常識から言うと相当に高価な泥よけである。モノは手作り感溢れるアルミのバフ仕上げフェンダーだ。これにアルミステー、だるまネジで装着するもの。このフェンダーは23C以下の700Cホイール用で、スモールアーチに装着可能というのが売りのフェンダーだが、これを、元々超タイトな小林ロードフレームに装着する。
 如何に、ロードフェンダーとは言っても、こんなフェンダーはカーボンフレームには似合わない。似合うのはホリゾンタルのスチールフレームに限る。

 しかし、この細身のフェンダーは、似合うフレームが相当に限られるモノ。それで選んだのが、小林フレームだが、このフレーム、フロントホイールとアンダーチューブのクリアランスは15mmも無い。13mmってところ。リアホイールとシートパイプの隙間も似たようなモノである。これにフェンダーを付けるのだ。

 実際に合わせてみると、、、、フロントフェンダーは非常に厳しい。フォーククラウンの下に隙間はあるけど、フェンダーステーがブレーキピポットと距離が合わない。フェンダーの想定以上にフレーム側がタイトである。それで、フォーククラウン下のフェンダーは凹ませて対処。そして、フェンダーのハンガーステーをシムを噛まして調整して装着。かなり難易度の高いフェンダー装着だ。
 しかし、その甲斐あってか、タイヤトレッドエッジとフェンダーエッジの隙間は5~6mmという超タイト。そして、フロントフェンダーとアンダーパイプの隙間は5mmである。ウルトラタイトだ。

 次、リアフェンダー、こちらはフロントほどの難易度は無い。しかし、ロードエンドの調整範囲で、ホイールを相当に前方に寄せないと厳しい。前方に寄せるというよりも、下方にずらすという意味である。そうしないと、リアブレーキ下でフェンダーとタイヤが干渉する。
 タイヤトレッドエッジとフェンダーエッジの隙間はこのままでは3mm以下、走ると間違いなく干渉しそう。
 それで、こちらもフェンダーハンガーのステーの取り付け角度を変更して、ホイールを限界迄下で固定してタイヤトレッドエッジとフェンダーエッジの最小間隔を5mmとして装着。結果、、、、ウルトラタイトである。

 この隙間というかクリアランスで組み上げる。超・繊細である。これぞ、趣味の一品、スポルティーフである。
 これにNITTOのクロモリ薄肉パイプキャリアをフロントマウント、灯火はヤジロベーにナショナルの探検ライトである。1980年頃の軽快旅行車そのものだ。格好良すぎ。
 今のインダストリアルロードレーサーには、こんな風合いは絶対に出せない。全く異なるベクトルの上での存在だ。

 最後の仕上げは、犬印鞄製作所にオーダーしているフロントバッグだ。これが届くと完璧だ。

 我が家のスチール三兄弟?、長兄はレイノルズ531パイプで組まれた小林ロードをベースとしたスポルティーフ、、、ただ、そのスケルトンは相当にハードでTT系バイクに近いモノ。羊を被った狼的なビンテージバイク。最高である。

 次男はミドルレンジのBSテーラーメイドのロードフレームをベースに組んだTTロード、末弟は海野D2×D2パイプに1973年式、ユーテクティック法で組まれた片倉シルクR1のピスト、、、、三車とも異なる構成。自己満足、最高潮である。

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生き残れるか?

 前記事では、新型インフルエンザに対する心構えを記事にしてみた。

 今度は、今の不景気の後の世界に生き残れるか?を考えてみた。

 生き残れる?っていうのは、生活できるか?っていう意味。生活できる?っていうと、会社が残る?って意味だったり、転職可能?って意味だったりする。転職可能?っていうのは、可能は可能だが、転職先たる企業が国内に存在するか?って意味で、個人が大丈夫?って話よりも、社会として大丈夫?って話。

 日本の置かれた状況、、、、政権も変革しそう。不景気というか景気の変動の影響も大きそう。それがどう変わるか?は予測出来ないが、政権担当政党の変化如何に関わらず、国内状況の価値観の打破、社会の高齢化、派遣社員問題を考えると、企業主体の政治から民衆主体の政治に変わる筈。つまりは、利益誘導型ではなく生活保障型に近い政権運営に変わらざるを得ないだろう。小泉さんの方向からは180°転換する方向になるのは大方間違いの無い方向だろう。
 経済事情も然り、、、、、これまでの繁栄というのは、日本の技術が世界で役割を担ってきたから得られた繁栄であり、日本の役割が世界で一定の地位を占めていたのが理由。
 つまり、電化製品、機械製品、自動車等々は日本が世界の工場として世界から認められていたから。
 今回の不景気の後に、過去と同様の景気があるか?っていうと、それは、未来の日本が過去の日本と同様の役割を世界から任されるか否か次第ともいう。

 世界で任される役割っていうのは、地域の発展度の応じた製品の価格競争力によってもたらされるモノ。つまり、戦後日本が今の状況を作れたのは、戦勝国の持つ技術的先進度より低い部分で価格競争力によって市場を席巻出来たから。本当の意味で言い値の通る技術的先進度の分野、軍需、電子、半導体関連では日本は第一線とは言い難いのが今の状況。
そんな中、価格競争で勝負すべき技術水準の上昇速度と陳腐化は急速に拡大しており、日本の得意分野が得意と言える状況は極僅かなのが実情である。

 自動車産業は今後とも世界市場で勝負するだけの能力を持っているとは思うが、果たして家電関連、ハイテク携帯機器関連にそのような技術的アドバンテージがあるか?というと極めて怪しい。
 更には、僅かな大企業とは別の、殆どの製造業を占める中堅企業以下にそのような技術的アドバンテージがあるか?というと、かなり悲観的な気もする。

 戦後日本の製造業というと、戦後からリスタートした所が多く、戦後60年以上では、三代目経営者の同族経営とかが非常の多い。製造業たるモノ、何を作るか?何が作れるか?を見なければならないが、今の時代、見る対象は世界視野が必要。更に、製造業で自分の会社が何が出来て、何が出来ない。市場における需要に、どんな技術が適応出来るか?を判断出来るような技術的な常識を持ち合わせてないと厳しい。
そういう視野を自分で持つか、自分の回りに配置するか、そういう組織を生めるか?そういう組織を定着させる事ができるか?、、、、、そんな資質が必要だと思うのだが、戦後から現代の中堅企業以下の物作りの方針としては、技術的な正当性とは異なる部分で商品を売ってきた企業が多い。例えば、値段、保守、保障、、、そんな所。
 しかし、日本が世界で担う役割は、過去と未来では既に異なっている。
 今迄、日本が担ってきた分野、自動車、家電、造船、機械・・・・そんな分野は、これからは中国、韓国、インド、ベトナム、ブラジル、、、、といった新興諸国が担うべき地域となりつつある。そうすると、アメリカが半導体産業で記憶デバイスに見切りを付けて、演算装置の開発に軸足を移した様に、日本の中堅以下の企業は、従来製品からは見切りを付けた技術的難易度の高い世界で、新興諸国との価格競争に乗らない世界で役割を担っていかなければ厳しいのである。

 政情的に不安定だが、その収束した社会は、高齢化社会では標準的な高コストな社会になるのは当然の流れ。そんな社会を支えるには、高収益産業が必要だが、価格競争型の市場競争への参入では、社会を支える事が出来ない時代になっている。今回の不景気の後は、過去の好景気でなく、新しい国際的な経済秩序に従った役割分担を担うのであり、その形というのは、新興諸国以上、先進国らしい産業の育成と展開が必要と言える。

 仮に、中堅以下の企業の狙う市場、有する技術レベルが現状からの進歩が無ければ、今の状況が永遠に続き、徐々に衰退する構図を想像してしまう。つまり、今が不景気でなく、今が標準の景気状況となるような感覚である。

 結論、今の状況では、今の暮らしは支える事が難しいかも、、、ってこと。企業内でもそう感じるし、多分、他の会社もそう、、、、だれもが自由に転職っていかない時代になりそうだ。

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新型インフルエンザの今後、、、、

 表題の新型インフルエンザの診療体制が変わった。
 今は、普通の病気と同じで、掛かり付けの医療機関で受診するのが原則となっている。この新型インフルエンザは、第一波の段階では、非常に神経質でマスクが売り切れたりと、一寸したパニック状況でもあったようだが、今はみんな気にしていない。

 リスクは何も変わっていないが、何故だかみんな気にしていない。

 理由は、、、、、マスコミが騒がなくなったから。それと、危険で無いという認識が浸透したから。

 でも、恐いのはこれから、、、、

 新しいインフルエンザは変異しやすいもの。今、安心している段階でも、ドンドン変異しているだろう。
 そうやっている内に、高温多湿な夏を過ぎて、秋が訪れる、、、、、恐いのはその時。

 秋以降に人が密集する環境で爆発的に変異が進行した新型インフルエンザの第二波が訪れるかも知れない。

 そんな気がする。

 我が家には、二歳児、七歳児がいる。こいつらが危ない。嫁も決して病原菌耐性が強い方ではない。自分以外の3人は結構、ウイルス性のカゼやら、何やらで病院に通う場合が多い。

 自分が感染する事は今のところ無いけど、それでも新型の変成ウイルスにも抵抗力ある!なんては言い切れない。それ故に、今後の活動は、人の居ない環境に特化して過ごしたい。

 無意味な出張、旅行、学会、、、、、そんなのはオールキャンセルである。

 何はともあれ、大事なのは我が身の健康。

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2009年7月19日 (日)

会話は記憶の引き出しだ。

 土曜日、いつもの週末と同じく、いつものコースを普通に走っていた。
 その際に、高瀬堰の信号待ちで会話。会話の相手は折り返し地点でお会いした方。

 こちらから「おはようございます。暑いですね。先行って良いですか?」
 あちらから「どうぞ、ところで、それ心拍計ですか?」
 こちら「ええ、そうですよ。基本は150~160bpmで走ってます。」
 あちら「そんなスピードだと200rpmくらいになってしまいます。」
 こちら「200rpmでは長持ちしません。短時間で50km/hを超えて60km/hに迫るときくらいでしょうか、、、」

 ってそんな感じ。
 この方はTREK乗りな方で、同じくTREKに乗られた方を走られていた。

 そこで、改めて夜になって記憶をさかのぼると、、、、そういえば、今日、多くを会話された方でなく、連れの方とは、去年、今年と何度かお話したことがあるような感じ。その時は、自分はオ・モイヨWW号に乗っていたような記憶、、、、その際の記憶を辿ると、この連れのTREKに乗られていた方、かなりの方だったような、、、、そんな気がする。

 多分、その方の記憶にも自分の事は残っているような感じ。

 今日のコミュニケーションでは、そんな感じを受けた。

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好きな形

 今、シルクのピストを再生中である。といっても、フレームのメッキ、塗装、デカールの再生はショップ任せで、人任せ的に進行中で、結構な費用がかかるのだが、それでも楽しみ。

 楽しみの理由っていうのは、自転車自体が好きな形の自転車だから。

 完全に趣味の世界の話だが、自分の好きなフルサイズのバイクの形、、、、それは、メインサイトにも書いてあるけど、隙間の少ない形。タイトな形が好きなのだ。

 具体的には、、、、クラウンとタイヤの隙間、シートステーのブリッジとタイヤの隙間、前タイヤとアンダーパイプの隙間、後タイヤとシートパイプの隙間である。この隙間、理想は指一本。指二本以上開くとチョット格好悪く見えてしまう。そんな印象なのだ。

 シルクというとピストの他にロードもある。でもピストのフレームは表題の隙間が超タイトなのだ。これはラングスターなんかと較べ物にならない程。

 因みに、小林のロードも超タイトである。BSのレイダック系のフレームは超とは言えないが、まぁ、タイトって状態。

 このタイト感がフルサイズのスポーツバイクを選ぶ時の格好良さの基準だ。この隙間が広い程、なんか実用車というか、ハンドルに一升瓶を入れる袋をぶら下げて走る自転車のような印象なのだ。特に、フロントタイヤとアンダーパイプの隙間が指一本って自転車は最高だ。そういうのが好み。

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品定め

 二輪車に乗っていると、幸か不幸か知らないけれど、挑発を受ける事がある。
 挑発を受けて、それに乗るかどうか?は時と場合によるけれど、少なくとも、挑発を受けた時には、100%、相手を伺っている。

 それは、実際の様を見て、それがどうか?どのレベルか?を見ているのである。
 判断基準は、自分の価値観や方法論で、自分以上の能力かどうか?を判断しているのである。相手の能力が、自分主体の方法論で見てから、必要な資源(スキル、体力)が相手に備わっているか?を判断するのである。

 その判断の尺度は、あくまでも自分の物差しだが、自分の物差しで相手を測って判断するのだ。
 勿論、方法論には色々で、自分の物差しが正解とは限らないが、状況的に挑発を受けた場合には、自分の物差しで相手を自分で分析するのは極当然の事だ。

 自分から見て、相手が速いか遅いか?上手いか下手か?は、自分の尺度で必要な要素のレベルが高いかどうかで判断している。そして、自分の目で見て、オーラというか雰囲気を感じる人っていうのは、自分の判断基準で見て、凄いな!って思う人って言う事なんだが、最近の傾向では、挑発してくる人っていうのは、殆どの場合で、『コイツ、無理してんなぁ、、、』って見下す事の方が多い。勿論、その判断は自分の物差しであり、絶対的に正しいモノとは限らないのは当然だ。

 一寸前にも、自転車や単車で上手い人は、見た瞬間に判る!って記事を書いた事があるけど、見た瞬間に判るっていうのは、風貌や機材に見合ったリソースがスキル的、体型的にあるか?を瞬間的に判断しているということなのだ。

 感じ悪い話かもしれないが、品定めみたいなもの。

 挑発に対する場合の、応答の判断も同じ様なモノ。これって、鮫が獲物を襲うかどうか?を判断するのに獲物の回りを回って泳ぐのと似た様なモノなのだ。

 そういえば、単車にしろ自転車にしろ、挑発を受ける場合と受けない場合がある。受ける場合は、殆どが低レベルで遅遅な人ばかり、受けない場合は、こっちから見ても雰囲気のあるサイクリストとかライダーとかの場合が多いような気もする。

 そういう雰囲気をお互いに感じれれば、無用な挑発は生まれない。しかし、そういう雰囲気が読めない奴は、判らないから挑むという行為に出るのかな?とも思う。

 結論、、、、品定めしてしまうターゲットっていうのは、挑発してくる奴。そういう奴は、挑発することで、多分、自分のレベルを判断しようとする奴ばかり。自分のレベルの判断を自分で出来ないから他人で判断する。自分のレベルが判断出来ない奴は、自分の資源が見えない奴。そんな奴に優れた奴なんて多分居ない。
 最終結論、挑発するやつ、直ぐ挑む奴、、、、、そういう奴は下手くそばかりだろう。

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7/12~7/18の週の検索ワードピックアップ

★DAHONのなんちゃってアヘッド化
 この検索が多い。物理的に可能は可能だが、乗れたモノでないのでお奨めしない。
 元々、DAHONは突き出しゼロのステム構造がデフォルト、コンバータ付けてステムを付けるとリーチが長大になる。ハンドルが遠すぎるように感じるかも。そのためにはサドルを相当に前出しする必要もあるし、相対的にハンガーが後気味になるので、相当に強い前傾姿勢になる。DAHONらしからぬ乗り物になる。
 ステムを付けると、折り畳み時も分解が必須となる。
 ハンドルバー回りは、バーエンド装着か、ブルホーンに留めるのが吉。

★雇用契約の抜け道
 派遣法の改正でどうするか?これが悩みの種なんだろう。思い付く方法論としては、請負契約にするとかでは無いだろうか?抜け道という言葉は適切でないかも知れないが、請負契約や委託契約は、請負った人や委託された人が自分の責任・管理のもとで仕事の完成、処理を行なう「事業主」「個人事業主」と見なされている。
 そのために、雇用契約に基づく労働者としてみなされない。つまり、労働関係の法律が適用されない。結果、雇用保険の被保険者とならないほか、年金や健康保険の扱いも変わる。

★シルク号のレストア
 何を目指すか?次第。取り敢えず、腐食の侵攻防止には自分で出来るけど、モノの格を重視するならば、、、、お奨めは絹自転車工業にレストアをお願いする事。
 自分も、そのように手配した。メッキ再施工、再塗装、再生デカール貼り付け、、、

★スポルティーフ
 本来のスポルティーフはロードとは絶対的にフレームが異なっている。エンドの形、クリアランス関係、、、、昔のスポルティーフというとセンタープルブレーキが多かった。
 さて、そんな事を無視してスポルティーフという用途に併せて作るには、、、、、フェンダー、フロントキャリア、フロントバッグくらいは欲しい。700Cの細めのWOタイヤでOKだろう。フロントバッグ、キャリアの取り付けから考えると、今のSTIでは不細工になる。Wレバー、フーテッドレバーが欲しい。
 なお、カンティブレーキではチョット格好悪い感じ。何故ならば、ランドナーっぽ過ぎるから。デュアルピポットのブレーキの方がマシ。

★最高ケイデンス
 負荷によって変わる。軽過ぎても、重すぎても変わる。瞬間で200rpm程度なら誰でも出来るのでは無いだろうか?純粋に最高狙いで行けそうなのは250rpm辺りではないだろうか?自身、最近トライしての最高回転数は240rpm弱ってところ。
 瞬間のケイデンスよりも通常時どうか?の方が問題。人に寄るけど、常用は100~120rpm程度、実走で最高速度狙いの場合でも170rpm程度のモノ。

★テレビとパソコン
 PCでデジタル放送を視聴する。これには、チューナーカードを付ける事。そして、チューナーカードにはアンテナ線を繋ぐ事。これで基本は完成だ。
 ただ、簡単予約を含め普通に使う状況ではPCよりもテレビやデッキで受信して見るのが簡単。実際、視聴のメインはテレビ系統。
 テレビでは、STBで受信して、それを見る。録画する。録画する時は、STB内のHDD、IR接続したDVD/HDD/VHSデッキ、i-link接続したDVD/HDD/VHSデッキにも録画出来る。録画の基本はデジタル録画である。ところで、デジタル放送ではアナログ出力はコピー制限が掛からない。そこで、STBとi-link接続されたDVD/HDD/VHSデッキのD3出力は、モニターとPCのキャプチャーカードに二分配している。
 これによって、デッキのD3出力はPCでアナログキャプチャリング出来るのだ。
 そう、PCでは、チューナーでデジタル録画した映像のハンドリングの他に、DVDデッキからの高解像度出力をアナログキャプチャーして映像のハンドリングも可能となっている。

 なお、STBの出力の一つ、D3出力は普通にブラウン管に送られているけど、HDMI出力はPCの液晶モニターに接続されている。

 近い将来?IR接続しているアナログチューナーのみの旧タイプのDVD/HDD/VHSデッキは寝室のテレビと接続するために移動する予定。

 因みに、デジタルチューナーはテレビで一台、STBで二台、DVDデッキで一台、PCで二台、、、、録画は最大で同時5台稼働、5番組の録画が可能で、視聴オンリーを入れると一部屋で6番組網羅出来る。意味無いけど、、、、三番組同時録画迄は使った事がある。

 余談だが、CATV視聴している家庭は、BS/CSパラボラアンテナを絶対に混合して共聴ラインに乗せるのがお奨め。今後、BSデジタルの局数は増えてくるのは明らかであり、そうなると、STB設置の部屋に限られるBS視聴が全ての部屋で見えるようになるし、上述のようなマルチチューナー体制でも同時録画可能な局数が増える。
 今時点で、CATVの独自コンテンツ(CATV供給されるCSコンテンツ)のみSTBでの視聴録画というだけで、それ以外の局は自由自在なのだ。

★小学校~中学生時期の持久トレーニング効果の高い理由
 って検索が目に付いた。
 ありきたりの回答でいうと、スキャモン成長曲線では循環器系が完成するのが14歳迄、発達し始めるのが8歳~、完成に至る仮定で刺激が有効に作用する年齢が8~12歳、、、、つまり、小学二年~中学一年、遅くとも中学三年迄ってこと。
 この時期に筋肉を付けすぎると骨格の成長に良くない。筋トレは高校生以降が良さそう。中学生時期は、身長体重が飛躍的に増加する。体型的に子供体型から大人体型に変化する。体型の完成が細胞数、機能の完成。筋肉の細胞とか、毛細血管とか、或いは横隔膜であるとか、身体の基本構造が決まる時期が中学生迄。そこで受ける刺激が組織形成に大きな役割を果たすのが理由だろう。
 中学生迄の持久運動経験が成人以降の循環器系能力の差違に大きな影響。

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2009年7月18日 (土)

今日の定例走行は、ホームコース二周回。
気温30℃くらい、湿度60%以上、往路追い風、復路向かい風、風は相当に強い状況。

そんな状況だが壺にはまった感じ。

年に何度か、そういう壺にはまった感じがある。

往路が17分30秒、復路が19分、、、、、これって、いつもより往路、復路ともに2分程度速いのである。

実際、走行中の速度指示は40km/h近辺、追い風では50km/hオーバーを何度か記録する程。それで、追い風時の心拍数は140bpm程で低め、向かい風でも160bpm程度、全くキツイ感じは無し。

一周目は何時も通りのペースだが、二周目は身体、超軽い感じで、走行感覚的に言ってみれば、楽勝の鼻歌モードである。時々、こういう感覚を得る事がある。

 それにしても、同じ人間、同じ機材、同じ場所なんだが、コンディション等々で、余裕で2~3分程度は変動する。こうなってくると、何が絶対値に一番影響度が大きいのか、さっぱり判らない。

 今日は、ネコモトさんのお客さんと会釈+会話は和み系で良かったけど、二周回目往路で対岸で同時北上していた西部地域で活動されてるショップジャージを着たローディが居たけど、折り返し地点で撮影+コーヒータイムの後に南下している最中にすれ違った。
 その時、ジャージィローディは前走するGIOSに追いすがっていたのだが、GIOSさんとは軽く会釈を交わせたが、ジャージィさんには睨み付けられてしまった。恐い恐い。

 ただ、復路の超向かい風区間で40km/h近辺で踏んでいても、そういう様子が見れる程に余裕があって、自分でも驚き。

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妄想は楽しい。

 あんまり意味無い事。

 今年もボーナスはまずまずだった。そして、今年は結婚して節目の年数を迎える年。因みに、結婚記念日は9月であり、そんな事もあって、初めて多めのボーナス小遣いを得る事となった。

 使い道、、、、、考えていなかったけど、

 丁度、何とかしたい事があったのだが、その費用にボーナス小遣いを使う事にしたのだ。

 その何とかしたい事っていうのが、度々、記事にしていた、片倉シルクのピストのフレームレストア費用だ。

 フレームのレストアでは、下地メッキの掛け直し、再塗装、再生デカール(KATAKURA SILKとEUTECTIC)の貼り付けであるが、仕上がりが今から楽しみである。

 フレームが出来たら、何をどうして、こうして、あれして、、、、、、そんな事を考えるだけで楽しいのである。
 実際、出来たら出来たで、置き場所云々で頭を悩ますのだろうけど、、、、それでも楽しいのだ。

 今、並行して予備部品でCoppermineのPentiumIIIのデュアル機を作っている最中だが、この製作途中っていうのが実は一番楽しいのである。出来て動くのを確認して運用状態となると、、、チョット気持ちが余所を向くのだ。

 やりかけっていうのは、決して褒められたモノではないが、何か次やる事が控えているっていうのは、日常生活に張りを与えてくれるモノ。

 単車のカスタム関連は一段落しているが、今、パソコン、ピスト、スポルティーフ化途中のロード、それから、ゲットしただけで、ほったらかしのデジカメ、DX3215Zoomで遊ぶっていうのが、楽しみの元である。

 まぁ、妄想が楽しいというか、遊び事で次から次へとアイテムが転がっている状態っていうのは結構ワクワクである。

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想定内です。

 総選挙である。総選挙といえば、小泉郵政劇場、そこでの象徴がホリエモン、ホリエモンの放った言葉で印象的なのが、表題の『想定内』って言葉。

 想定内、、、、これは、大事な事である。何かを考える時に自分の立場、リソースを踏まえた予測、未来が的中するということ。自身、これが物事を進める上での楽しさの原動力ではないか?と考えている。

 振り返ってみると、自分で続けているモノ。行ってきたモノっていうのは、表題の想定内なモノばかりである。予測が的中するから面白い。楽しさの理由は、思い通りに物事が運ぶからである。

 例えば、ダイエット、、、、、三ヶ月で20kgの減量を目標に掲げた。理由は、出来ると踏んだから。一ヶ月で7kg減量でOKなのだ。一週間で2kg程度、2kgというと14000kcalのエネルギー消費って事。つまり一日で2000kcal消費でOKなのだ。そこで組んだメニューがスイムで毎日1000kcal、サーキット筋トレ+筋トレで1000kcalというメニュー。そして、実践した。
 すると、計算通りに減量できた。それ故に、面白い、、、完璧なのだ。

 そういえば、材料開発でもそうだ。これとこれを混ぜて加熱する。すると生成自由エネルギーから出来るモノ、出来ないモノは何?って大方予想が付く。それで、定めたモノが出来たら嬉しい、、出来なかったら悲しい。そして出来たモノを特許にする。そんな感じ。
 最近は、先行待機ポンプ用の摺動システムの開発も特許申請したけど、これとて同じである。破壊のメカニズムを解明し、それに対する対応策を脳内シミュレート、それで試作、検証、予定通り、、、これが完璧となる。

 単車ツーリングで先頭走る理由も然り。飛び込んでくる情報を処理して、自分の走りのイメージができる。それが視界の中に仮想的な前走者として自分が浮かび上がる。それに実態を重ね合わせる感覚。それが出来る事で喜びを感じる。
単車のカスタムでも然りだ。つまりは、狙いをイメージしてデザインする。そしてデザイン通りに具現化出来た時、喜びに繋がるのだ。

 最近なら自転車も然り、効率よく走る、楽して走る。或いは、自分なりの限界で走る。これは全て、自分のリソース、自分の機材、自分の居るステージ、それを考慮して、これなら出来るってイメージが湧き上がる。これを具現化出来るかどうか?が楽しいかどうか?の分かれ目。今、自転車の技量的な部分、或いは、走行能力的なアウトプットの部分で楽しいと感じているのは、自分の想定通りに事が運ぶからである。

 やってみなければ分からない、、、、そういう世界は嫌い。そして、他人をターゲットに掲げるのも嫌い。エライとかバカというのは、自分の読みに対して勝る時に自分はエライなぁ!と喜んだり、自分の読みに届かなかった時に情けないと感じるだけ。勿論、単車や自転車で速いとか遅いとかの議論も然り。速い!って思うのは、自分のリソース、機材から想定以上となったときに自己満足的に速いという判定するだけなのだ。

 他にもパソコンのトラブル解決でも同じ。問題が見抜けるから楽しいし、プログラミングでもそう。デバッグ行為なんてモロそんな感じ。スイムで3000mを50分も然りだ。1mを1秒、50mを50秒、1ストロークを4秒、12~13ストロークで50m狙い、そうすると50mを50秒で進む。1ストロークで4秒、そして4メートル進むには、プルで幾ら?キックで幾ら?を想定しながら泳いでいる。それを実践して狙いのタイムが出るから楽しいのである。

 楽しさの理由、、、それは、イマジネーションを具現化出来るかどうか?次第なのだ。イマジネーションとは、自分の具現化できる理想である。つまり、実現可能な理想が描ける分野に楽しさを求めているのだ。それが想定内!って事になるのである。

 以前、記事で他人見て遅!って揶揄した事があるけど、それは、絡んできた人に対する分析の結果である。分析というのは自分の価値観(方法論)で、自分に見合う能力を出すには、何がどれだけ必要?っていうのは、当然理解している。それがターゲットに備わっているか?を見て判断するのである。その判断の結果、『オマエ、無駄だから辞めておけ、、、、』って判定になるのだ。そういう時に揶揄する感情を持つに過ぎないのである。
 これは、仕事や研究でも一緒。あるレベルを実現するに必要なスキルや経験、実力は当然あるはずだが、仮に誰かが挑んできた時には、レベルに必要な資源が相手にあるか?を冷静に分析するだけなのである。

 思うに、他人の模倣とか、他人の追走ばかりする人、或いは、挑発的な行為に進む人っていうのは、己のリソースから具体的な事象を作り出す事の出来ない人かな?って思う事が多い。自分の判断に自分の物差しを持たない人。こういう人は、案外、脆く、弱く、長続きしない。そんな気もする。

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ダンベル選び

 ダンベルを用いたダイエットプログラムというか筋トレは結構効果的である。
 ダンベルを用いる理由は、鍛えたい部位に負荷を与えたいからである。負荷を与えて何を得るか?によって、ダンベルの負荷、使い方は変わってくる。筋力強化ならば10RMな負荷を三セット行うというパターンになるし、筋持久力強化ならば20RMなんて話になる。

 この辺りは、専門のサイトの方が詳しいから放っておくとして、ダンベル選びで言われているのは、調整式ダンベルが良いって言われている。調整式なら鍛え方に併せてウエイトを調節できる。そして、ウエイトの脱落防止、脱着性からスクリュー式が良いなんても言われている。

 確かに、理屈の上ではそうだけど、実際使うとどうか?っていうと、こういう話を掲載しているサイトの多くは、もしかしたら、記事の執筆者はダンベルでトレーニングしていないのでは?と思う事が多い。

 まず、ダンベルで体操を行うとなると、使い方様々で、使う場所に応じて負荷が違うのは当然と言えば当然。

 そこで、使う場所に応じて負荷を調節するか?を考えると、実際行っていれば判ると思うけど、ウエイトの調節自体が面倒臭いのである。

 更に、ウエイトの固定であるスクリューナットは実は結構緩みやすいのだ。カールとかプレスとか行うと、バーを中心にウエイトが回転する方向に慣性が付く。すると、ナットの一方が緩みがち、、、これが不快なのである。

 で、結論はどうか?っていうと、調整式自体はOKだけど、日々のメニューで付け替え調整は行わない。調整は筋力の変化に併せて行うモノ。そして、部位によって異なるウエイトのダンベルを別個に準備するのが吉と言える。
 調整範囲の広いモノはバーが長くなる。すると、身体の近くで行う運動ではダンベルの容積自体が邪魔なのだ。プッシュアウェイとかフレンチプレスでは特に顕著だし、背筋、腹筋で用いる追加負荷としてのダンベルの場合、ウエイトの直径自体が使いにくさを招く。

 結局、軽負荷用ダンベル、重負荷用ダンベルと分けるべき。軽負荷用ダンベルはバー長は短く、基本ウエイトも1.25kg~1.5kgのウエイトを組み合わせて作る方が持ちやすく、扱いやすい。重負荷用ダンベルではバー長を長くして、基本ウエイトは2.5kg~5kgのウエイトを組み合わせて作る方が使いやすい。
 一番の理想は、固定ダンベルで1~5kg刻みで5kg~30kgまで揃えれば良いけど、そうもいかない。

 そして、緩みやすいスクリューナットでは、ネジ部にビニールテープを蒔いて緩み止めの処置を施している。これがないと直ぐ緩むのだ。

 因みに、我が家で準備しているダンベルを紹介すると、、、

1.軽負荷密着使用タイプ
 身体に密接させて腹筋、背筋時に首に乗せて使う。グリップがプラスチックコーティング、0.5kgウエイトを両端に4枚ずつ計8枚+バーで合計5kgである。一個のみ。

2.軽負荷用
 立ちでのダンベルプレス、カール、サイドレイズ、フレンチプレス、スクワット時の肩上負荷等で、両手に一個ずつ持って行う時に使う。1.25kgウエイトを両端に1枚ずつ計2枚+ショートバー2.5kgで合計5kgである。二個を一組で使用。実際に使うときは、片手に5kgずつで合計10kgで運用。

3.軽負荷用、その2
 片手で行うプッシュアウェイ、バック、サイドベントで使用。片手毎に行う時に使う。2.5kgウエイトを両端に1枚ずつ計2枚+ショートバー2.5kgで合計7.5kgである。一個のみ。

4.中負荷用
 片手で行う。リストの強化用。リストのスナップと捻りのために、慣性による負荷を考慮している。1.5kgのウエイトを両端に4枚ずつ計8枚+ロングバー3.5kgで15.5kgである。一個のみ。

5.重負荷用
 両手で持って行う。10~20RM×3で寝そべって行う。ダンベルベンチプレス、ダンベルフライで使用。2.5kgのウエイトを両端に4枚ずつ計8枚と1.5kgのウエイトを1枚ずつ計2枚+ロングバー3.5kgで26.5kgである。二個を一組で使用。片手に26.5kgずつ、つまり両手で合計53kgで運用。

 となっている。つまり8本のダンベルが転がっているのである。やっぱり、必要な本数分準備するのが一番なのである。

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2009年7月17日 (金)

願望、希望、無謀?

 何だか知らないが、サイトの検索ワードで多いのが、自転車で速くなりたいとか、心肺機能を高めたいとか、、、、上手いペダリングがしたいとか、、、、そんな検索ワードが多いようだ。

 それをネットで探している人が多い様子。

 そういえば、身の回りの自転車好きな奴にも、そんな事を言う人が多いし、、、、。

 話はずれるけど、単車でも峠を上手く乗る!的な雑誌のライテクのハウツー本がライスポ誌を中心に特集されているけど、自転車雑誌でも、ヒルクライムがどうだ、、、、巡航速度がどうした?って本が多い。
 この辺の、本、ネット等々で共通している事。それは、、、、、オーバーオールで形から指示している事。殆どが形である。

 見た目や格好、言葉も大事だが、そんなもん、おぼえても何にも為らないと言える。

 なんだか、大昔に中学、高校生が、参考書を買い揃える事で勉強した安心感を得る世界と同じ印象。そういえば、中高生の勉強が公式暗記に傾注している実態とそっくり。

 公式暗記しても、役に立たないのは、人生経験で判っているだろうに、趣味でも同じ事しているのが笑える。

 基本、本とかネットとか他人の伝聞とか、、、特に、一方通行の情報源の場合、他人に当て嵌まる事が、悩みを抱える本人に当て嵌まるというのは、極めて稀である。特に、定型的、直視的に判る様な答えに問題の本質が見えているって事は無いだろう。

 他人が出来る事が、自分に出来る筈という論理自体が成り立たないし、目に見た一瞬で、他人が自分と同レベルと判断する事も不可能。その人が、どう過ごしてきたか?そんな生い立ち、考え方っていうのは千差万別であり、殆ど見た目のトレースも役に立たないし、他人を仮想敵とか目標に据える事自体も無意味。

 どんな分野でも、潜在的な能力的限界の差異は確実に存在する。しかし、その能力的な限界の差異が個々の差の主要因ではない。人によっては、個々の差を能力、特に、遺伝的能力の差と言う人もいるけど、潜在的な能力的限界迄個々の能力を高めた人っていうのは極めて稀。そうして、能力的限界の差異は存在しても、実は、その差は僅かである。これが、常日頃言っている、動物の種が同じだったら能力なんて似た様なモノって言う理由にも該当する。
 生まれ持っての能力の差が僅かであっても、結果的に個々の能力は大きな差を生んでいるのも事実だが、その大きな差の主要因というのは、生まれ持っての能力の潜在性を具現化出来た割合の差によるもの。潜在性を能力として獲得するには、然るべき時期に、然るべき方法で、潜在性が機能として身に付くようなトレーニングすることが必須なのだ。このトレーニングというのが潜在性を具現化(機能を獲得)する上で重要な刺激に該当するのだ。このような時期に同じ様にトレーニングして得た能力の差っていうのが、遺伝的要因かもしれないが、その遺伝的要因による差異よりも、成長に際して必要な刺激を与えたかどうかによる差異の方が圧倒的に大きいのである。

 この原則に従えば、個々の今の実態というのは、個々の潜在性+個々が過去に歩んできた生き方(つまりは潜在性を具現化するに与えてきた刺激の量、トレーニングの質)によってもたらされたモノであり、その実態に到る背景は皆違うのである。
 それ故に、自分の実態に即した分析と、結果を得るに必要なモノっていうのは、一意的には与えれない。

 笑い話だが、成長段階の青少年期に運動経験の無い人が、老化モードにある三十路過ぎで、本来の潜在能力が眠ったままの筈だから、トレーニングしたら備わった潜在性を具現化できる!って話していたが、時期を逃して獲得しそびれた能力は、タイムマシンでも無い限りは絶対に取り返す事は出来ない。勿論、目的に併せた取り組みに応じて、緩やかな進化はするだろうけど、然るべきに行ったとして画く理想の自分には絶対に到達しないのだ。

 そういう事は理想というよりも願望でも希望でもなく、行う事自体が無謀とも言えるのだ。

 結局、今の自分というのは、オリエンテッドなものであり、その自分を高めるにはどうするか?と言う部分では、自分の不満と持つ問題を列記し、その問題の何が能力を律しているか?を見極め、その制約を取り除いたら何が得られるか?を定めた上で、制約となっている部分を解消するという行為が必要であり、そういう思考の手順が無い限り、表題の希望っていうのは、叶えられないのではないだろうか?

 色んな環境で、講師、インストラクターの経験があるけど、伸びる奴っていうのは、やはり定型性に重きを置かず、問題認識がハッキリしており、因果に基づいて解を求めるタイプであり、公式、技法の暗記に重きを置くタイプは、ツボに嵌った時だけ点数的な数値に良い結果を出すだけで、少し捻ると壊滅的な結果になる人が多かったけど、多分、似た様なもんだろう。

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いきなりロード!

 自分の考え、というより1980年代的サイクリストとしては、スポーツサイクルの一台目にロードレーサーっていうのは凄く違和感がある。
 当時のスタンダードはランドナーであり、軽快走行が好きな人はスポルティーフって棲み分けが普通だった。

 メーカー完成車のラインナップでも廉価シリーズでは汎用スポーツ~、ミドルレンジでランドナー~スポルティーフ、上級シリーズでロードが選択可能って印象。

 つまり、スポーツサイクルの一台目にロードは選ばないっていうのが暗黙の了解であったように思う。

 しかし、、、、

 今の時代、軽やかにスピードが出ますよ!って宣伝文句と共に、雑紙も、ショップも、Webもだが、ロードバイクを勧める事が普通となっている。

 ロードバイクっていうのは、そんなに最初に乗るモノか?っていうのが、どうしても、違和感アリアリなのが自分の本音だ。
 年寄りの一台目にロードとか、、、、どう考えても理解できない。そして、ロードを買ったら、ビンディング推奨!っていうのも、スポーツサイクルビギナーに勧めて良いか?という危惧が拭えない。
 ロードっていうのは、ロードの使い方、ロードを乗るに見合った脚力+経験が必須という考えは古くさいのだろうか?

 そんな考えは、通勤、通学で市街地を走るロードを見る程に、強い違和感を持ってしまう感覚の根底にあるものだ。
 確かに、ロードは軽くスピードが出るモノだが、それ故に、汎用性を相当に犠牲にしているのだ。つまり、特化した場所で最高の快適を与えてくれるものであり、その条件に見合わなかったら、乗りにくく、扱いにくく、場合によっては、ギアが重すぎるような感覚を感じたり、、、、そんなネガを感じるのでは無いだろうか?

 言い過ぎかも知れないが、汎用のロードバイクを買ってギア比に違和感を感じる時点で、本来は乗るに見合っていないのかも?って言える程なのだ。
 高価格帯のロードバイクというと、競技機材そのものである。つまり、利用者が競技に精通していて初めて使えるモノ。ならば、道具に見合った使い手かどうか?が大事。見合ったとは?それは、言ってみれば、あらかじめセットされた状態が使える筋力とか持久力があるか?が大事。仮に、使い手のレベルに合わせたとしても、使い手が、機材の利用法を実践出来る基礎体型、基礎体力を持っているか?或いは、自転車のような単調な運動を行う機材として見合った身体の癖が抜けているか?が大事である。乗る前に、最低限度、O脚とか、猫背とか、X脚とか、、、、そんな歪んだ骨格は矯正されていなければ有り得ない。

 週末のホームコース走行では中年女性がロードバイクに乗って走られていたけど、どうにも厳しそうな印象。また、見るからに、初めて乗りました的な人がロードバイクに乗っていたけど、それも快適というよりも苦痛との闘いの方が前面で出ていた様に思えた。

 ロードでなく、『女郎ド』とか『素人゙』って感じ。大きなお世話かも知れないが、レーサーレプリカブームの末期に苦痛と闘うレプリカ乗りと重なって見えた。

 しかし、いきなりロードを選ぶっていうのは、多分、彼らに情報を提供する側が、良かれと思ってロードバイクを勧めるんだろう。それ故に、いきなりロードって組合せが生まれるんだろう。
 何も判らない人に、いきなり高価なロードバイクを勧める構図があるとすれば、それはチョット間違っているというか、ユーザーの事を考えているとは言い難い気がする。

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今更DUAL、今更Xp

 我が家のストック品の多くはsocket370世代品ばかりである。
 寝かしていても、使えるOSのサポートがドンドン終了していくので、使う事にした。

 因みに、自分のメインマシンは、CUV4X-DでPentiumIII1BGHzのDUAL+4GBのRAM、OSはWindows2000である。
 そして、娘のぱそこんキッズキーマシンは、GA-6VXD7でPentiumIII1BGHzのDUAL+1GBのRAM、OSはWindowsXpのProfessionalだ。
 なお、嫁メールマシンはXeonのDUALをXpプロで、、リビングのビデオ編集機はcore i7のP6TをVistaで運用中だ。

 そんな状況でも使わないパーツがわんさか転がっている。

 で、最近は遊びでジャンクで入手したPentiumIII-S 1.4GHzを、予備機としてPentiumIII-S 1.13GHzをDUALでセットアップされたGA-6VTXD、RAMは1.3GB、Windows2000にCPU換装したところ。
 それでも、自分のメイン機の予備部品が余っていたのだが、Windows2000の終了がカウントダウン状態の中、予備のCUV4X-DにPentiumIIIの1BGHzをDUALで組み込んで、RAMを2GBで運用することにした。使い道は、無線LAN接続で寝室で使う程度のモノだ。

 古いDUAL機でDUAL構成が使える最後のOSは、WindowsXpのProfessionalだ。Vista以降ではDUAL運用はOSも割高、OSの要求仕様を満たすのが厳しいので実質諦めるべき。
 そう考えると、Xp自体が入手困難な時期となりつつあり、Xpのサポート終了が旧世代DUAL機の使用限界かな?と思うのである。
 勿論、Windows2000でも現状使用可能であるが、既に完全なるサポート終了迄秒読み段階だし、既に入手不可能なOS。

 今になって思うのは、自分の行う事はWindows2000レベルで十分。OSもハードも最新鋭は不要。今のPentiumIII世代のマシンを処分する時には、今ならAtom的なマシンに移行していくのが一番良いかな?と考えている。

 ただ、何となくCoppermineってCPUは好き。思い起こせば、、、、1999年頃、アスロンに押されていたインテルの切り札で登場したのがコイツ。1GHzを目指す時代で、組立CPUが一時代を築いていた時代。
 更に遡れば、一般に組立PC、ショップブランドPCが市民権を得たのは、Socket7時代ではなく、Slot1時代。確か、Windows98がSEになるかどうか?って時代で、1998年頃の話。Celeron300AをOCで450MHzで動かしてPentium2以上とかが流行りの時代。その時代の最終期がCoppermine時代。Pentium4時代になると組立PCよりもメーカー製PCが注目度が高かった様に思う。(まぁ、Pentium4時代には組立に関心が無かった。Pentium4の初期はCoppermineに劣るという風評の影響もあったかも、、、)
 実際、10年前と今の使い方が変わっていない以上、当時のハードが今でも十分なのは或る意味当然であり、思い入れ+必要十分な機能で、未だに現役となるのである。

 そんなCoppermine世代が未だに好きだったりする。

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2009年7月16日 (木)

血管が浮きすぎ

 血管が太くなると静脈瘤って話もあるけど、そういうのと違い、体表面から見える血管の太さは一定で、全体が太い感じのようだ。

 自身、自分の身体を見て、そんなもんだと思っていたのだが、先日知り合いと話しをしていたら、『血管、太いですよね!』って話。ふと、思い返してみると、他人と較べると、身体、特に四肢の血管が異様に太く浮き出ているようだ。

 そこで、思った、そういえば冬場の血管が収縮している時は心拍数が上がりづらく、血圧は高め、、、、夏場の血管が膨張している時は、心拍数が上がりやすく、血圧は低め、、、

 今の血圧状況、心拍数状況っていうのは、気温で左右される血管の太さに影響を受ける数値だが、血管の太さが太いっていうのは、何を意味するのだろうか?

 自身、医学の専門家ではないが、血液は心臓から大動脈を経て身体の各部に運ばれる。分岐の先は毛細血管である。その毛細血管は細胞の近傍を通過し、大静脈に合流し心臓に戻る。戻った血液は、肺動脈を通って肺に運ばれて、ガス交換した後に肺静脈で心臓に戻る。

 そして、血管というのは、それ自体を目的に鍛える事は出来ない。しかし、成長と共に完成されていく器官の一つなのは間違い無い。

 では、その太さとは如何に決まるのだろうか?

 この循環システムを単純に考えたら、心臓をポンプとした配管、配管の分岐、分岐後、再合流、、、、ということ。つまり、心臓の能力とは、扱う血液量によって完成形が決まる。人間自体、構成されている細胞は皆殆ど一緒だろう。つまり赤血球の酸素運搬能力なんぞは、それ程大きな差異は無い。となると、沢山の酸素が必要な身体の場合は、大量の血液が循環するシステムになる筈。大量の血液が流れて分岐していくのだが、分岐前の流量と分岐後の流量の総和は絶対に同じ筈。理科的に言えば、キルヒホッフの第一法則と同じ考えが適用出来るはず。つまり、血管が太いっていうのは、分岐された毛細血管が沢山あるって事の裏返しでもある。何故に分岐しているか?っていうと、分岐先の細胞との酸素受け渡しポイントが沢山在るって事。当然、合流すると静脈のサイズも太い筈。更には、肺でガス交換するならば、大量のガス交換を行わないとダメだから、肺活量というか肺胞の総面積も大きい筈。

 そう、血管の太さについて御都合解釈すると、それは、毛細血管が発達している。つまり稼働筋肉細胞が沢山あると言う事。そして、そのガス交換を担う肺活量も大きい事。そして、そのような回路に十分血液を行き渡らせるように、心臓の最大血液吐出能力も大きいってこと。

 そういう理屈は、強ち間違いでは無さそうである。

 サイトにお越し下さるお客様の検索ワードには、心肺機能を高めるとか、、、そういうのが多いけど、心肺機能という非常に広義の能力を高めるには、上述の理屈で当て嵌めれば、やはり、筋肉を使う運動を続けるしかないし、筋肉を肥大させるしか無いと言える。
 個人によって筋肉中の速筋、遅筋の比率が違うと言われているが、その比率に応じて局所トレーニングを行えば、結果として循環器系能力は高まると言えよう。

 有酸素運動型、無酸素運動型に限らず、スポーツに精通すれば間違い無く血管は太くなるはず。特に男性は皮下脂肪が付きにくいので血管が浮きやすくなるだろう。

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住宅ローン破綻急増か?

 表題のニュースが日曜日の地方新聞に掲載されていた。元ネタは、これ↓。

http://www.j-cast.com/2009/06/11042853.html

 である。

 このニュースの中の一例では、1999年に住宅金融公庫でローンを組んだ人が景気後退で収入が減って、消費者金融等で自転車操業しながらも破綻して住宅を手放すって話。
 政府は景気の底を打ったって宣言をしたけれど、実態はどうだか、、、、少なくとも、今の製作は需要の先食いで、この先の方が心配って状況。

 1999年と言えば、我が家の住宅ローンの開始年でもある。当時を振り返ると、それまでのゆとり返済による弊害が指摘された後の話であり、多くの人が公的金融機関での資金調達に走っていた時代。
 当時は?っていうと、バブル崩壊後の話で金利も低め誘導な時代。実際、当初十年間の普通融資金利が2.0%、特別融資が3.0%って事が話題になった。ただ、この金利は当初10年の話で、11年目からは4.0%になる。よって、支払い金額が今年から増える人が結構多い。
その後、金利は上昇するぞ!って言われながら低金利のまま10年が過ぎたのだ。

 さて、そんな10年目以降の金利上昇と昨今の不景気による給与所得減少が当時住宅を購入した今の40代の生活を直撃するのである。

 今回の景気後退は次に快復&好景気が来る様な景気後退とは異なり、世界の地域毎の役割が大きく変わる地殻変動に到る過程のように思え、新しい価値観、新しい経済格差が生まれる過程の序章のように見える。

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2009年7月15日 (水)

政局

 遂に麻生さん、衆議院の解散権を行使した。
 どうでも良いけど、ただ一言。コイツ、すこしは状況考えれ!なぜならば、伝統ある24時間テレビと被せて選挙してどうなる?アホちゃうか?

 自民党のゴタゴタ、、、、終わっている。民主党も献金ネダでフラフラ、、、、そのまんま東、あいつは何だ?知事としての活動よりも知事という肩書でテレビ出てるだけだろ?図に乗りすぎ。そんな、そのまんま東と接触する自民党も終わっている。民主党も世論どうこう関係無しに後ろめたさが無いならば、党を割ってでも小沢さんがやるべきだったと思うが、その後の鳩山さん、あの調子なら小沢さんのままの方が随分マシ。

 どいつもこいつも、最悪だ。自民も民主も五十歩百歩だが、投票日が8/30でイモトさんが走るマラソンを楽しみにしている俺からすると、麻生は最悪だ。

 8/30に関して言えば、選挙よりもテレビの方が大事。

 そんな夏休み最終イベントをぶちこわす麻生は、民衆の関心が見えていない馬鹿野郎以外の何物でもない。

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鈴木正成先生とチョン・ダヨンさん

 鈴木正成先生のダンベル体操のビデオはダンベル体操の参考にしている。

 ところで、嫁はチョン・ダヨンのフィギュアロビクスってDVDを買ったのだが、そのDVDにはダンベルを用いた体操がある。

 みると、、、、サイドレイズ、プッシュアウェイ、カール、ベンチプレス等々で同じ様な動きが多い。

 ダンベルを用いた体操っていうと、狙った効果を得るには結果的に同じ様な運動をする事になる様だ。

 チョン・ダヨンのダンベル体操は30分でリズミカル。鈴木先生のは10分で粛々と、、、、。

 で、自分は鈴木先生の方法だ。これで十分。

 因みに、チョン・ダヨンさんのパッケージに付いたダンベルの重量は700g、嫁は片側1kgでやっている。
 鈴木先生のは女性で1.5kg、男性で3kg程度を推奨している様子だが、選び方は片手で垂直状態でダンベルのダンベルベンチプレス的な上げ下げで負担の無い重さを推奨とのこと。
 自分は、両手でダンベルを持つメニューでは片側5kg、片手だけでダンベルを持つメニューでは8kgでセットしている。

 なお、ダンベル体操で無いダンベル筋トレでは、リスト関係では15kg、プレス、フライ関係では25kgでセットしている。

 色んな方法を見てきたが、ダンベル体操関連が一番効率的でマトモな印象だ。

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クロモリホリゾンタルHistory in Japan

 大した意味はないけれど、偶然入手したフレームを見て思った。

 一番新しく手にしたフレームが一番古いフレーム、それは、ユーテクティック工法で組まれたシルクのラグレスフレームだ。ラグレスだが、普通のロー付けでもなく、TIG溶接でもない。更にフォークの肩は二枚肩というもの。遡れば45年前の東京オリンピックの時代に生まれた工法によるフレームである。
 性能は?っていうと、当時の最先端かもしれないが、今、最先端でないのは確か。でも当時のアスリートが満足する品であり、当然、自分には勿体無いほどの性能を持っているのも確か。そんなフレームだ。

 次が、復活自転車ライフで最初に手に入れたフルサイズのロードフレーム。これは1980年代初頭のフレーム。ボカマのラグ、レイノルズ531パイプ、ゼウスエンドとクラウンという30年前ロードフレームの作法に従った高級フレーム。製作者は東叡に籍を置いて一時独立されていた小林氏によるフレーム。小林氏というと、フレームはTTとかスプリントに強いフレームを製作されることで有名な方。当時の1000mTTの日本記録も作った程の名品。1980年代、国産ロードフレームの或る意味最高峰とも言えるフレームだ。当然、当時のアスリートが満足できる品であり、今の自分には勿体な過ぎなのは言うまでもない。

 最後が15年ほど前と思われるブリヂストンのフレーム。ラグ工法による最終期のフレームである。高級品ではないが、一時代を築いたクロモリフレームの集大成的なフレーム。さすがに新しいだけあって、細部は今の部品が普通に使える構成。時代的には、アルミもカーボンも生まれた後のクロモリフレームであり、クロモリフレームが最先端を目指していた時代とは異なる、クロモリフレームらしさを模索していたであろう時代のフレーム。
 その性能的な方向性が乗ってどうか?は自分レベルで感じれる事はないけど、そういう時代背景は理解できる。
 敢えて、製作者の意図等を考えれば、先の二本のフレームは自分とは似つかわしいとは言えないが、このBSのフレームならOKか?とも取れる。そんなフレームだ。古いけど最近のフレーム。最近の最新フレームが前二本の小林フレームとかシルクフレームに相当するもので、今のカーボンモノコックなんぞは、やはり自分には勿体ないのは言うまでもない。

 そんな印象の3本の鋼管フレームだが、生まれた時代の違いから色んな事が考えれる。それだけで楽しい。まるで、年表のようだ。

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2009年7月14日 (火)

勝手な想像

 単車とか自転車に限らないのだが、特に単車や自転車の世界では、自分の妄想で、製品に対して作り手の思いを都合の良い解釈している。
 そう、作り手の思い=製品の思いという考えなんだが、使い方、用途に合わせてモノを選ぶとき、モノに対して失礼の無いような気分を自分で得られるかどうか?を重要視して、モノ選び、グレード選びを行っている。

 例えば、レーシンググレードのパーツは、ふさわしい使い方が為される場所にしか使わないという風な事。
 金の有無でなく、モノに相応しいか否かが大事なのである。それは、モノに対する配慮、即ち、勝手な解釈だが、造り手に対する配慮みたいなものである。

 昔、車のカタログではRX-7のカタログでポール・フレール氏のインプレ雑誌風にスピリッツが語られていたけど、造り手は、乗り手にそういう事が分かる人であって欲しいという意図があったと思っている。
 単車ではRZ350Rのカタログでは、「エンスージアストに捧ぐ」ってフレーズが忘れられない。

 そんな文言を見て思ったのは、乗りたいけど乗れないという遠慮が働いた時期があったのは確かだし、購入する時は、自分なりに経験を積んだという自負の上で判断したものである。

 それゆえに、今の単車や自転車で選ぶ部品にしても、たとえば、街乗り、娘とサイクリングメインなルイガノMVFでは、オールSORAで構成しているのだが、間違っても、オールDURAは考えられないし、仮に、そうすると却って格好悪い気がする。DAHON系の改造車も然りだ。レ・マイヨWもそうだ。オ・モイヨWWなんて言ってるのは、自分自身、半分ギャグで遊んでいるのであり、そんなオモチャ、トイにDURAなんてオコガマシイのだ。機能を満たせる最低限度で十二分!って意識が強い。そうなると、やはりコンフォート系となるし、どんなに良くても105以下かな?という判断が働く。
 一方でしっかり踏むようなピスト系の場合は、相応な部品ということで、やはりDURA系を中心に選ぶのである。

 この考えは、モノの作り手に対してだけでなく、モノを託してくれた人に対しても思う事。
 例えば、ショップで頂いたレイノルズ531の小林ロードフレームは、やはり、フレームに相応しい使い方、それに見合ったパーツ構成で、くれた人が託して良かった!って思って頂けるようにしたいと考えている。
 実際、今回レストア中のシルクピストでも、自転車の作り手、自転車をくれた人、それを仲介してくれたショップの皆さんが、自分のところに行って良かったと思えるような処置を施して生き返らせて使いたいと思うのである。

 勿論、自分がモノを見て、それをどうするか?を決めるかどうかは、自分の趣味、嗜好次第なのは言うまでもない。

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回想してみた

 昔、1980年代半ば、オートバイのレーサーレプリカブームがあった。
 その時代、あこがれの頂点は世界GPであり、鈴鹿8耐であった。そこで走るライダーがヒーローで、それに憧れる人が凄く沢山居た。

 そのころ、確かにレプリカヘルメットが多く売れたのは確かだが、思えば、峠、サーキットには、レプリカメットを被った人は少数派だったように思う。レプリカつなぎ、そう、スペンサーとか、シュワンツとか、平とか、ローソン、ガードナーとかのつなぎも売っていたけど、よく見たのは街中であって、峠、サーキットと実際の走る場所に近づくほど、レプリカ品は少なかったように思う。
 そう、レプリカブームの時代、すべてをレプリカした人っていうのは、走りの世界では少数派、フルレプリカが多かったのは、免許取立て組、女性ライダーが中心で、見かける場所も市街地にピッカピカのつなぎってパターンだったように思う。

 峠のベテランというと、普通に白いラパイド、普通のセパレートつなぎって人が多かったように思う。あるいは、ブーツ、グラブはありでも服装はジーンズ+ジャケットってパターンが多かったのである。

 思うのは、実際の走りと格好は、反比例の関係だったように思う。

 今、21世紀、自転車のロードレーサーレプリカブームである。
 今の時代、あこがれの頂点は、ツールであったり、ジロであったりする。そこで走るサイクリストがヒーローで、それに憧れる人が沢山居る。

 今、ヒーローが乗るバイクと同じシリーズのバイクが大量に売れている。それに併せて瓜二つな、つなぎ、、、違った、レーパン、レーシャツが売れている。

 1980年代、他人がどのレベルか?はネットも無い時代でさっぱりだが、今の時代は、非常にレベルの高い議論がなされている!?
 当時と今の違いは、走りのメッカで過ごす本格派な方々は、レプリカブームと違い、見た目もバッチリ決めている。

 今の時代、昔の格好と走りが反比例していたのとは違い、正比例の関係なのだろうか?

 ただ、昔のレプリカブーム、1980年代末期のF1ブームでは、完全レプリカな人は極めて少数派であり、完全レプリカな人は、当時のブームでは、レプリカに非ずで、格好だけの仮装プレイな人が多かったのが印象的である。

 自分の知る限り、分野毎のヒーローに忠実な世界は、思いつく所では、一寸前のテレビで見掛けた電車男的な世界の文化系的な世界の方が多いだけに、ロード競技を志すアスリートっていうのは、特殊な例の様に感じる。

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鈍感

 自分は、結構自転車の経験は豊富だと思うし、自分ではショップ勤務経験も含めて考えたりすると、機材の知識も初心者レベル以上だと思う。

 でも、最近の雑誌、ネットで言われていることは、正直、何にもわからないというか、感じれないのだ。
 例をあげると、、、、

・引き足で足を戻すとき推進力を得る感覚
・尻、腰、膝、手首、首に痛みが来る理由
・ハムストリングスの使い方
・重いギアで鍛える意味
・異様に軽いギアで回す意味
・Qファクターが膝に与える不具合
・フレーム材質での振動吸収特性、言葉の意味も判らない。
・ホイールのまわり心地

 他にも沢山あるけれど、ほとんど、何を言っているのかさっぱり解らないのが正直な感想なのだ。

 自分なりに拘るポイント、選び方、鍛え方、乗り方は持論としてあるけれど、そういう部分でも試行錯誤の世界。自分で体感できる部分は、みんなの言う小さな違いとは異なる、非常に分かりやすい世界の話。

 そんな訳で、最近のサイクリストはみんな凄い細やかな神経と感覚を持って、凄いレベルなんだなぁ!と思う。まぁ、自分が鈍感すぎるのかもしれない。もしかしたら、痛みを感じているのだが、鈍感故に痛みが分からないのかなぁ?と思ったりする。案外、既に膝が壊れていたりして、、、、

 そう言えば、肩がこるって経験も皆無だし、疲労痛を翌日迄持ち越す事もほとんど無い。疲労をためて翌日の行動でやる気がなくなる事はあるけど、やる気のなさを疲労に押し付けているような気がしないでもない。
 自転車でハードに乗ったら攣ったとか、膝に痛みとか言われているけど、一度体験してみたい気もする。スポーツで堪えるというと、6000mスイムを長水路で110分目標で泳いだ時にプールから出た時に、体重が支えれずに、ふらついた事がある。3000mなら50分以内で泳いだ時も近い感覚があるけど、自転車では経験無い。

 疲労にしろ、痛みにしろ、機材の高性能な感覚にしろ、どうやったら感じられるのだろうか?或いは、その感覚ってのは、如何にして身に付けるのだろうか?

 いろんな自転車に乗って、同じ場所を走る。結果、どうか?っていうと、平均速度、到達速度、最高速度、、、、殆ど同じ。違いは誤差の範囲。乗っての違いは多少は感じるが、優劣は付けれない。実際、絶対的に差異が無い。重い折り畳みに乗っても重さが影響しているか?というと、軽い自転車に乗っても変わらない現実を見ると、重さが能力差に顕著な影響を示している、、、なんて決して言えないのである。

 それで自分なりに導きだした結論、、、、それは、不惑なオッサンレベルの体力では、少なくとも自分が持っている自転車の限界を使いこなしているのではなく、どの自転車の限界にも達していないと理解している。それ故に、どんなに高級なバイクを見かけても、或いは、周囲の人がいきなり凄いバイクを買っても、羨ましいなんて感覚が湧かないのである。
 少しは、トレンドの高級品を欲しい!って思ってみたいのだが、心の奥底で、自分がそんなもん買っても、使えないから良いや!って自己完結しているのが実際である。

 一度でも、このホイールの回り心地とか、後から押されているような感覚とか、、、そういうのを体験してみたい。乗っても判らない。あっそ!の世界。

 ただ、バイクに関しては、これ欲しい!ってモノが少なくない。2ストならチャンバーは欲しいし、たいていのバイクは前後のスプリングかダンパーを変えている。ポジションにも結構ウルサイ方である。あっ、バイクでもチャンバーと前後サスくらいしか拘り無いのか?俺は、、、、、

 改めて思う。鈍感だなぁ、、、、

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2009年7月13日 (月)

大画面でスライドショー

 リビングに設置したパソコン、そう、P6T+大画面モニターのマシンだが、これは無線LANで他のマシンと接続されている。このマシンは、地デジ、BS/CSデジタル放送受信を目的としたマシンで放送コンテンツの録画、再生、編集等々を主たる目的なんだが、デジカメで撮り貯めたデータのストレージデバイスでもあるのだ。

 我が家には色んな所に色んなデジカメが転がっており、気軽に育児記録を取っているのだが、これをVJ16MXF1027でメモリーカードから読み込んで、全てP6Tに送っている。

 結果、P6Tではスライドショーで、デジカメ写真を紙芝居的に大画面で確認する事が出来るのだ。これは、ある意味、撮影動画以上にイイ感じなのだ。大画面故に、皆で見れる。ストレス無くスライド表示される。実に好都合である。

 因みに、この中から気に入った写真は、別のPCからP6Tのフォルダー中のデータを指定して写真出力させる。すると、スライドショーを見ながら写真が出来上がるのだ。

 データを送る中継PC(VJ16MXF1027)、保存してスライドショー表示させるPC(P6T)、保存データから選択した画像を印刷するPC(Evo W6000 or VJ16MXF1027)、、、全て別のPCである。ショー表示させながら、データを送りながら、それを邪魔せずに印刷作業も出来るのである。

 まぁ、一台で事足りることだが、分業させることで更に快適なのである。複数のPCでも基本はWOL等で遠隔起動、終了が可能であり電源操作に走り回る必要も無い。便利な世の中に為ったものだ。

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過保護と過期待

 大雨洪水警報が発令されると、小学校は自宅待機になるんだそうだ。
 今の時代、連絡網が携帯Eメールでやってくる。

 それによると、警報が発令されると自宅待機、そして午前11時時点で解除されたら午後から授業、解除されなかったら休みとなる。

 こんな事、昔は無かったけど、、、、凄いモンである。

 これを過保護と言ってはいけないのだろうが、違和感を感じる。確かに、大雨で行方不明なんてなれば洒落にならないけど、其処まですべきか?というのは、、、、大雨洪水警報でも冠水のリスクの無い経路を選べば済むような気もする。

 昔を思い出すと、大雨で側溝を水が凄い勢いで流れている時は、色んなモノを流しながら、それを追っかけて学校に通っていた記憶もあるし、大雨とはどんな状況?を肌身で感じながら過ごしてきたようにも思う。

 それは、そうと、我が家の娘は1年生だが、同級生は凄い多くの習い事をしているらしい。で、我が家は?っていうと、まともな習い事は一切無し。少なくとも、塾系の教育は皆無である。公文、そろばん、いろいろと有るけれど、どうだって良い。特に学習塾関連は、通わせない方が良いかな?と思うのが正直な意見である。

 大体、受験とか学習とか、それで行う事っていうのは、通常のカリキュラムに先行するだけの教育も少なくない。別に、早い時期教える必要があるの?という気もする。
 暗算、計算が速い、、、、それにしても違和感を感じる。何故ならば、確立された手順を覚える事でトレースするだけの話。言ってみれば、慣れやすい時期にやれば慣れるだけの話。慣れた結果が計算の速さかもしれないが、それが何に役立つか?というと、正直どうでも良いように思うのである。
 塾関連での印象は、結局はテストで高得点、受験で有利というのがターゲットであり、そこに価値観が持てるかどうか?なんだろうが、表面的、点数的に高い点数がエライか?というと、どうでも良いのである。

 自分の意見としては、例えば、計算にしてもだが、人に聞いたやり方を高速トレースして答えを出す事よりも、そういう事を知らないでも、子供のレベルなりに自分の出来る方法を駆使して速く計算できる方法を探り実践する能力の方が遙かに重要と思うのである。

 トレースは、何処まで言ってもトレースであり、独自発想とは異なるモノ。大事なのは、成長毎に身に付けた知識を組み合わせて生む発想力であり、それは、自発的な体験を積み重ねさせる生活を如何に与えるか?が重要な筈である。

 親から子への遺伝とは、親の日常行動を子に見せる事。そこには親の工夫が有るはずだが、それを無意識に見るのが子への伝承だと考えている。
 何でも、人任せな親を見る子は、そんな大人になるだけだ。色んな工夫で対応する親をみれば、そういう方法もアリか!を自覚して、自身がそういうトライを行うようにモノを見るのが子供の成長だと考えている。

 結局は、親が子供に期待を掛けすぎるのは、自分の過去の後悔から期待を子供に託すということで、一族の伝承という面では、過期待以外の何ものでもないのだ。

 期待せずに自分のありのままを見せて、後は子供次第でほったらかす。これが良いように思うのである。

 小さいから刃物を遠ざける、、、なんて事はしない。1歳でもハサミを持ちたければ持たせる。今や、危険な遊びも笑いながらやっている。6歳児と2歳児が家の中で二人乗りしてバランシングバイクで暴走するのである。自分的には理想なのだ。

 仮に塾に通わせるとすると、少なくとも点数重視の塾はどうでも良い。科目に潜む本質、科目の存在理由をそれと無しに伝える事が出来る塾にしたい。
 自分の眼で見た限り、そういう塾は存在しない。敢えて言えば、自分で起業して経営していた塾程度かな?というのが偽らざる感想。それ故に、将来は塾を初めても良いかな?と思う今日この頃である。

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進化

 一般論として思うこと。特に工業製品について。

 それは、新しく、グレードが高い物程、優れているということ。反論も多いだろうけど、多くの人が携わって世に出す物。その物の生まれた経緯を考えても、やはり、新しい物程優れている。物が性能を求めて進化する限りに置いては、退化したものは世に出ない。それ故に、新しい物が絶対的に優れている。

 そんなもんである。

 自身、ラグドフレームが好きとか、レイノルズ531が好きとか、シルクのユーテクティック工法に感心するとか、、、、或いは、ビッグ2ストロークが好きとか言ってるけど、何だかんだ言って、同じ価値観にある現代の物と比較したら、絶対的に勝る部分なんて何一つ有り得ないと断言できる。

 過去に名声を得たモノとか、過去の名品と呼ばれる物は、生まれた時点において他の追随を許さないモノだったかもしれないが、それが現在迄他の追随を許さないか?というと、絶対に有り得ない。
 単純に機能や性能を追い求めるならば、過去の遺物なんて選ばない。機能や性能といった数値、仕様で判断するならば、進化の過程で消えた物は生存競争に敗れた物であり、そういう意味では価値は無いと言える。

 同じクラス(グレード、シリーズ)のモノならば最新程機能的には優れている。但し、クラスが異なるモノに及んで、新しいモノの機能が優れているかどうかは言い切れない。それでも、世代が大幅に違えば、最新の廉価と20年前の最上級では最新の廉価の方が機能的に勝る可能性は大いにある。

 ただ、それでもガンマの500とか200とか、、、或いは、レイノルズ531で組まれたフレームとか、小林のロードとか、BSのロード、シルクのピストに乗ろうっていうのは、選ぶ尺度が性能や機能という部分に無いからだ。パソコンでも然りだ。デジカメでも同じである。

 そりゃぁ、性能的に優れた機能を提供してくれる物の方が良いのはあるけど、自分自身、本職プログラマーでも、写真家でも、モーターサイクルでレース活動したり、自転車競技に命を掛けている訳でもないのだ。それ故に、性能や機能に究極なんて求めていない。性能なんて二の次なのだ。必要なのは、物の使い方に見合った物であると同時に、選んだ物の機能や特色が、その時代の必然性とか作り手の思想が見えて、それを具現化しようという、その時代における作り手の拘りが感じられるモノを所有したいというのが、物選びで大きなウエイトを占めている。シルクのフレームのユーテクティックって工法に掛けるメーカーの思いに惹かれるが故に所有したくなったり、ガンマであれば当時のスクエア4が生まれる時代背景から含めて、そのレプリカが欲しいと思ったりするのだ。

 自分の場合、実用色(工作自体に楽しみを見出したり、街乗り)を優先する場合は、求める要素に満足できる機能であれば、それで良しという選択をする事が多いし、趣味性(所有欲、思い出覚醒マシン)が強い場合は、求める要素はモノの機能以前にモノの生い立ちや歴史、勝手に想像する作り手の意識で共鳴出来るモノを要素に選択する事が多い。
 単車ならば、ガンマ500、CX、グースは趣味性で所有しているし、ガンマ200、SV650S、その他原付類は実用色優先で選択している。自転車ならばシルクピスト、小林ロードは趣味性で選んでいるが、他のバイクは用途に応じた実用色優先で組んでいる。
 勿論、どれがどっち!って白黒的な分け方でなく、それぞれのモノの各部毎に、或る意味どっち?的要素でモノ選びを行っているのは言うまでもない。

 小林ロードなんて良い例。目に付きやすい所はビンテージパーツ、しかし、実際に使う部分(クランク、ハブ、リム)は、風合いが昔風の今のパーツで構成というパターンである。

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2009年7月12日 (日)

アホピスト

 日曜の午前中、娘の誕生日プレゼントをおじいちゃんが買ってくれると言うことで、宇品のトイザラスに出掛けた。トイザラスは、集合テナントの二階部分なんだが、そこで目を疑う光景、、、、

 何故だか、小汚い固定シングルノーブレーキのエアロ系ピストを押している人、、、、みれば、如何にもヒョロヒョロ、色白のオタクっぽいモヤシ小僧が自転車を大事そうに押してトイザラスの店内を徘徊、、、、

 ピストで買い物も頭腐ってそうだが、それを人がごった返すオモチャテナント、それも二階に迄持ち込むなんて、、、、、二階ということはエレベーターに持ち込んだのか?と思うと、更に呆れる。使い方も可笑しいし、大事だからといって店内に自転車持ち込むなんて、、、、完全に脳が腐っているとしか思えない。

 買い物に使うのもファッションスタイルなら否定はしないけど、少なくとも店内に持ち込むようなのは、常識があるとは言えない。一度死んで、教育というか道徳を身に付け直さないと駄目だろう。

 それにしても、ガードマンも店員も注意しないのも不思議ちゃんである。

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エコVSマッスル

http://www.webcg.net/WEBCG/carscope/2009/c0000021403.html

である。なんでも、GMのカマロが今秋から納車開始なんだそうだ。

 今の御時世、ハイブリッドカーを筆頭としたエコカーが持て囃されているけど、ハッキリ言って、エコカーでデート?みんなエコカー、隣もエコカー、右向けばハイブリッド、、、、そんな状況では、初期のプリウスが持っていた、高価だけど環境に投資しているという特別感は全く喪失した状況、そんな、振り向けばプリウス的な時代にエコカー乗って楽しいか?と思う事が多い。

 ぶっちゃけ、車は楽して楽しむもの。特に車=走りの象徴、ならば、問答無用でV8遊び的なマッスルカーの方がはるかにかっこいい気がする。

 車でエコを言うなら、ちょっとしたことで横着するような車なんぞ乗らないのが一番。健康のことも考えたら、エコ気どりしてまでハイブリッドカーに買い替えて乗るのは、、、、

 そんな事よりも、特別な日にV8で遊んで、普段は歩く、チャリ、公共交通機関って割り切りの方が結果、エコだし車乗っているときもかっこいい気がする。

 割り切りできる大人の買い物と考えると、カマロのようなのも正しい選択と言える。

 カマロというとZ28、ムスタングならコブラ、コルベットならZR、、、、そんな特別な一張羅的な車はエコカーよりも遥かに健全だ。

 日産のGT-Rも然り、、、、NSXも復活すべき、RX-7もそうだ。貧乏くさい、無理して乗るような車よりも、一瞬の特別な時に極めて乗る、、、、そんな、スペシャリティーを乗りこなす生き方の方がカッコイイ。

 自分の考え方では、一瞬のための2スト500を乗る気持ちと、カマロに乗るっていうのは、同じように思うのである。

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通勤途上災害

 エコとは関係無しだろうが、殆どが燃料代節約だろうが、そのために単車通勤に切り換えたり、+αとして健康目的で自転車通勤に切り換えた人が多い。

 それと共に増えているのが、二輪車の通勤途上災害だ。

 災害が発生すると、災害対策を行うのが企業の常、、、、その内容は、物的原因がどうだ、人的原因がどうだ、、、、と原因対策を行っている。それで原因の究明、再発防止の方法を話し合っている。

 でも、、、

 そんな災害はハッキリ言って減らない。

 減らないと言うよりも、事故を起こす奴は、何乗っても事故起こすし、何しても注意力欠如、理解力不足で、失敗を起こす奴が多い。

 だから、よく起きる事故のパターンがあって、絵に描いたような事故が無くならないのだ。

 そもそも、日常行動の中でパターンが定形化されている事は無い。似ているようで常に変化している。そんな中で定型的な対策が話し合われたとおりに実践されるか?というと有り得ない。

 事故を起こす奴、事故の被害に遭う奴が決まっているのは、起こすような行動パターン、視界の範囲、危険の察知能力によるものなのだ。その範囲でしか見えないから、対応出来ない。

 以前、背中に悪魔・・・・って記事を書いたけど、同じだ。安全確保に考えるべき要素が足らない。即ち、簡単に予想外になる。それで、事故に突き進む。当然の結末だろう。

 事故、災害対策にしろ、研究開発、運動の練習にしろだが、言えるのは、定型的な対応で済めば誰も苦労しない。定型性を求める奴は即時対応が出来ない。そんなものなのだ。

 だから、事故対策が全くの無意味とは言わないが、その対策の内容が過去のトレースと事故の起こる根元を探るような議論が行われなければ全くの無意味なのだ。つまり、危険を感じる予知能力というか、そういうモノを養うには何が必要か?を議論しなければ、多分事故は無くならないだろう。

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わらび餅

 夏になるとスーパーで安売りされるモノがある。それは、、、わらび餅である。
 1パックが68円である。となると、、、、ついつい3パック程度買ってしまう。

 わらび餅は、きな粉と餅で出来ている。ちなみに、わらび餅っていうのは、原料に蕨のでんぷん粉を用いているから。このでんぷんに水、砂糖を加えて作ったのがわらび餅。この最終レシピがきな粉と言う事である。

 つまり、でんぷんを大豆粉であるきな粉を付けて食っているのだ。

 そんなモノを食っていると、嫁が目新しいものを調達してきた。

 それは、、、、

 『わらび餅風コンニャク』

 である。これは、でんぷんであるわらび餅を栄養価の低いコンニャクに置き換えたモノ。さすがに、この時期のわらび餅の特売価格には敵わないが、栄養価を気にする人にはお勧めかも知れない。

 きな粉っていうのは大豆粉であり、大豆による健康効果が期待できる。そう、糖尿病抑制とかである。そういう意味でヘルシーな食べ物。それに満腹感+低カロリーでコンニャクを組み合わせる。なかなかではないか!と思うところ。

 ただ、栄養価が無いのは、あくまでもデザートだ。食事しても食欲が満たされない時に食べる程度に留めるべきだ。よくあるダイエットで、コンニャクで腹を満たしたから本来の食事を抜くっていうのは、ダイエットというよりも減量というよりも、飢餓にちかいもの。

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7/5~7/11の週の検索ワードピックアップ

★ピスト(固定シングルを含む)について
 検索する人多い。お奨めギア比は?巡航速度は?走れる距離は?等々だが、コレばっかりは人次第が結論。
 敢えて言うならば、ギア比的にはオーソドックスに42×16、走れる距離は100kmなら実証済み、巡航速度はギア比と走る場所次第だが、30~40km/hは楽勝だろう。
 乗るコツは?っていうと、ストラップが必須だから、発進後のペダルキャッチかな?後は下りる時のリリース、咄嗟の時にも脚を回す癖が大事。
 高速時は、脚が滞ると振られるので意識を立て直す時間があるけど、低速時はペダルに身体を持ち上げられて前方に吹っ飛ぶかも知れない。
 言えるのは、街中では使うべきでない。曲がりでもペダルが擦りそうになるので、真っ直ぐ基本の郊外オンリーと決めるべき。
 未経験者が乗るのはお奨めしない。しかる場所で乗る練習してからが無難。勿論、ブレーキ装着は必須だ。

 それと、素人の乗るピストは絶対的にロードより遅いし疲れる。ロードはピストを虐める事が多いので覚悟も必要。ローディはピストを目の敵にしている節がある。実際、よく絡まれる。勿論、承知で乗っているけど、、、、、

 でも、ピストは面白い。ロードより断然面白いと思う。自転車は大きく分けると二つだ。そう、ピストとそれ以外。固定ギアかフリーギアか?の違い。ロードも小径も折り畳みも、みんな一緒。その違いは僅か。ホイールの径とか、重量とか、その程度。でもピストとロードは絶対に違う。ピストというか、固定シングルに乗るとロードが如何に怠け者のバイクか?って思う程。ピスト慣れしてると、ロードで長距離走ると、こんなに楽で良いの?って思う程。

 どっちが速い?って議論では、絶対ロードが速い。ピストが速い場合は限られた時だけだろう。でも、その限られた瞬間はピストならではの世界があるのも事実。

 今のラングスターTTは固定シングルロードでピストに非ず。でもシルクのピストはピストである。ワクワク楽しみである。

★PIX-DT090-PE0
 ピクセラの地デジチューナーキャプチャーボードである。この不具合について、、、、これは、NHKのBS1、BS2、BSHが綺麗に映らないと言う件。
 一般的に言われている対策には、直刺しAC電源供給とか、電源供給にコンデンサを追加するとか言われている。
 で、OKか?というと、必ずしも大丈夫ではない。コンデンサ追加で解決したのはBSH、BS1とBS2は無理だった。それで、直刺しAC電源で試したが、、、、それでも変化無し、、、多分、外部からの供給電源品質が全てを解決してくれる訳では無さそう。
 受信レベルを確認する範囲では65以上のレベル故に、レベル不足が受信不良を来している訳でも無さそう。

 或る意味、クレーム的なモノとも言えるけど、それでも人によっては問題が解決されている人も居る。外付け電源でもないとなると、、、、PCIeバスのライン電源から乗るノイズが悪さでもしているのだろうか?

 電源関連で考えれる対応としては、玄人指向のNO-PCI(-Express)あたりしか思い浮かばない。

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2009年7月11日 (土)

Windowsへの期待は?

 Windows7、内部コードWindows NT 6.1が、10/22に発売されるという。Vistaが2007/1/20の発売だから二年半でのバージョンアップである。

 今回、販促キャンペーンで7,777円で1パッケージをゲット済みだが、世間ではWindows7がOKっぽく、Vistaがダメダメだったという風評を耳にするが、果たしてそうか?

 実際、Vistaを運用しているが、速度的にも安定性的にも文句ないのがVistaだと思う。何が、どう遅い?という印象。

 Windowsの進化を見るとWindows2000がNT5.0、XpがNT5.1、VistaがNT6.0、7がNT6.1という仕様である。つまり2000とXpは同系OS、Vistaと7も同系OSである。

 過去からOSを見ると、OSの世代毎にハードに何を要求するか?と考えると、、、、OSの世代とはカーネルの大きさ、カーネルが要求するのはメモリ容量である。つまりWindows2000~Xpでは最大でも512MBもメモリがあれば快適であるのだ。しかし、VistaではビデオRAMで512MB以上、メインメモリでは2GB以上が要求されており、Xpとはハードに要求する仕様が剰りにも高く為っているのが特徴である。

 Vistaの登場である2007年を振り返ると、メインメモリに2GBとか、ビデオメモリに512MBは一般的でなく、Xp世代のPCには剰りにも負担が多かったのが伺える。そして、Vistaの特徴を表現するのにAeroを前面に出したために、その所要能力ばかりが目立ったのが今の風評の元だといえる。
 実際、VistaのHomeBasicでは1GBメモリー、シングルコア1.4GHzでも十分快適であり、VistaがダメというよりもOSの進化に付いていけるハードが普及していなかったのが大きな理由のように言える。

 今回、Windows7が評価されているが、その殆どがVistaに対応したマシン、、、、ならば当然、快適に動いて当然である。2000とXpを比較すると、運用時こそ2000が快適だが、起動時等、ユーザーが気になる部分ではXpが進んでおり、そのような工夫が7でも為されていると想像できる。そうすると、印象的に7は凄いOSだ!という期待感が先行するのも頷けるのだ。

 ただ言えるのは、少々の速さとかよりも、市場でユーザーに揉まれる事で洗練される事が一番重要であり、そのためにはサービスパックが何度か当てられた後かな?という気がするのである。

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シルク、勉強中、、、、

 シルクのピストをレストア実行中である。
 フレーム以外は目処が付いてきた。フレームについても、錆を落とした上で自家塗装で対処しようと考えていたのだが、自家塗装の難点もある。それは、、、、

1.メッキ部分が再生不能。錆びた部分は塗色に変える必要がある。
2.オリジナルのステッカー類が失われる。

 の2点である。

 どちらも、機能上は問題無い話だが、それでも、これらを諦めて失ってからは取り戻せないので、チョット調べてみた。

 問題は2.の部分。

 デカールの再生、、、、これは、カッティングシート等で或る程度は復元できるのだが、一番気になるのが、『EUTECTIC』のステッカー、、、

 調べてみると、

http://www.silkcycle.com/diary/%E4%BD%8E%E6%B8%A9%E6%BA%B6%E6%8E%A5.jpg

 である。なんでも、超低温強力溶接法とのことで、このラベルが使えるのはシルクのみだということ。なんでも、ユーテクティックNo.16のローを使うことで、低温ながら母材強度を上回る合金で接合する事を売りにしていうるという。

 シルクが他のフレームと異なる所以の最大のポイントが、ラグレスシルクフレームであり、それをユーテクティックで接合しているという事。

  ラグレスフレームの老舗には、京都のビゴーレがある。そこでは、ラグレスフレームへの拘りが紹介されている。

http://www.vigore.co.jp/road/crmoracer.html

 これだ。

 確かに、言わんとしている事は判る。ラグレスフレームの利点に拘る部分がある。しかし、一方でラグドフレームに拘るのもありだ。一長一短あるのである。

 ただ、言えるのは、そのような拘りを工法に求めるモノっていうのは、どんな方法でも信念があるのは間違いない。

 個人的には、フレームに限らず、製造者として工法や技術に拘って、その象徴となるような製品というのは嫌いでないのだ。
 例えば、PCなら独自アーキテクチャーのNECのPC-98シリーズとか、マツダのロータリーエンジン、ホンダの4サイクルエンジンの考え方、日立のPAM制御、ソニーのトリニトロン、、、、優劣でなく拘りというモノを大事にしているメーカーと製品というのはマニア的、オタク的に好きなのだ。

 そう思うと、シルクの象徴であるユーテクティックで接合されたラグレスフレームと、アライメントと剛性を高いレベルでバランスさせた二枚肩は、それを生んだ当時の状況を考えると、そんなモノを持つ事自体が嬉しくなるのである。そして、そういうモノは、そのモノの背景や歴史がモノを見て判るような状態で保ちたいという気分にもなるのである。

 ということで、結果は不明だが、シルクブランドを復活させた絹自転車工業さんに、フレームの再生(再メッキ、再塗装、復刻デカール)の見積を御願いしてみた。
 ブッチャケ、片手万円程度ならば作業発注しようと考えている。

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旧式ルイガノMVF

 ルイガノのMVFは娘や家族とのサイクリング専用機だが、このモデルは既に旧式型遅れで今はまるっきり違う自転車が同じMVFの名前を名乗っている。

 現行のMVF/MVRは、IF-Reachの横折れ式のモデルで、自転車としての使い勝手は更に向上しているようだが、なぜか、旧モデルの方が好みである。

 自転車の機能は、折れ曲がり方がどうであれ、普通に整備していれば普通に使えるっていうのは間違い無いのが持論だけど、なんていうか、現行の横折れモデルで前後サス付きっていうのは機能的に必然性が見えにくいというのが印象なのである。
 確かに、横折れながらも独特の機構で、畳んだ時の可搬性も素晴らしいモノもあるのだが、そういう進化よりも、旧式の使い憎いかもしれないが合理的な思想が好みだったりする。

 自転車にサスペンションが必要か否かの議論は置いておくし、折り畳み機構が必要かどうかの議論も置いておくが、少なくとも、サスペンション構造とか、折り畳み構造と機能を加えるほどに複雑化するのは宿命的なモノ。

 確かに、折り畳みは小さく運べる意味で有用だし、サスペンションはマイルドな乗り心地が素敵っていうのもある。それは否定しないが、そうすることで複雑になったり、重くなったりというのがトレードオフな関係なのだ。

 そんなトレードオフに挑んだのが初期のルイガノMVF/MVRでは?と思うのである。
 初期のモデルは、サスペンション構造によるピポット部分の自由度を利用してフレームをコンパクトにするというのがコンセプトであり、サスペンション構造を付ける事で、付随的にコンパクトさも手に入れるという点で非常に合理的というか効率的に見えるのだ。
 そういう意味で、この愛機であるルイガノMVFはお気に入りなのである。

 何でもない事だが、なんかそういうのに惹かれるのである。余談だが、ホンダインサイトのIMAシステムはアシストモーターを装備したから、それを利用してセルモーターレス、、、そんな感じ。

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2009年7月10日 (金)

サンマの初競り?

 釧路でサンマの初競り!

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200907090164.html

 サンマというと秋の味覚、それが夏本番前にして早くも、、、、って。

 そんなサンマはDHAが豊富な魚。ウルメイワシとか、鯖とかと並んでDHAが豊富に含まれている。老化防止、認知症防止、血液サラサラとか、知能を高めるとか、、、、

 そんな理由は別として、自分は昔から青魚が大好きだ。ウルメイワシ、ししゃも、鯖、サンマは週に一度以上は確実に食べ続けている。特に、ここ十数年は年から年中、、、、、??????????

 サンマっていうと秋の味覚の筈だが、最近は年中調達可能である。それも安い。1尾最安で49円、高い時でも78円程度、、、、それ故に、衝動的に買っている。

 最近はサンマの保存技術が進んで年中サンマが供給されるのである。特に春から夏にかけては塩サンマが大量に市場に出回っている。それを盛んに食っているのだが、そんなサンマに新物がやってくる。すると、保存の塩サンマが更に安くなる。

 サンマは美味い。真ん中の骨以外、何も気にせず食いまくれる。前述の効果があるっていうのを認識したのは最近だが、そんな話関係無しにサンマは美味い。ウルメも美味い。

そんなサンマ等の青い魚だが、DHAが豊富ということで注目される。頭が良くなるから注目される。しかし、話題が目新しくなくなるとみんなそっぽを向く。DHAが効果的という点だけで着目してサプリでDHA摂取に走る人も居る。

 いろんな情報がでると、一斉に走り、話題が旬を過ぎると、潮が引く様に皆消える。

 ○○が良い、、っていうのは、持続的な習慣から傾向が現れるという程度だろうし、○○が良いの○○が良い理由は、果たしして高純度のサプリで摂取して同じ効果か?というと、其処までの検証はしていないだろう。
 しかし、それでもネットや雑紙の表面だけの情報を見て、全てを理解したかの如くに人は一斉に同じような行動に走る。

 思うのは、そんな理屈、それも他人の意見、論評だけで行動する事は、結果はどうであれ、楽しいのだろうか?

 多分、サンマのDHAにそんな効果があったとしても、表面的な宣伝で扇動されて動き、いつの間にか止める様な人には、サンマの有り難い効果は得る事が出来ない様な気がする。

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ふ~ん、、、、

 最近は家族で総合ショッピングセンターに出掛ける事が多い。
 家族はみんなショッピング、、、、暇なんで、何処行くか?っていうと、お決まりのコースは、、、、、そう、本屋さんである。広島ならばフタバ図書だ。

 一応、関心が単車、自転車ということで、それ系の雑紙のコーナーに出向く。

 で、思う。

 最近は自転車の雑紙が凄く増えたんだなぁ、、、、、雑紙の陳列コーナーの大きな区画を自転車雑紙だけで占有するほどの勢い。
 雑紙の表紙が判る様に並べてある。煌めく文言、、、、、ロードバイクインプレッション、速くなる、ヒルクライムテクニック、、、、、

 同様に単車の雑紙のコーナーでも然り、カスタムバイク特集、それからライダーズクラブを中心にしてライディングテクニックの虎の巻的な文言、、、、

 そういう言葉を見た瞬間に何を思うか?

 そう、立ち読みというか、表紙を捲る気力さえ失せる。見る気もなくなる。そんな感じ。

 そういえば、最近買った、二輪関連の本は?っていうと、、、、RG-ガンマヒストリーというもので、歴代ワークスガンマの写真集。チョイ前はNSR500を例に取ったハイパー2ストロークエンジンの探求って読み物。自転車は?っていうと、思い返すと、、、、、、NHKの趣味悠々のサイクリング企画のテキストブック、それから最初にDAHONを買う際に調達した折り畳み自転車のオールカタログくらいである。

 何時の頃からだろうか?単車、自転車の雑紙やムックに関心が無くなったのは、、、、、昔は、間違い無く読んでいた記憶がある。色んな雑紙、色んな情報をワクワクしながら読んでいた記憶がある。しかし、いつの間にか、どうでも良くなっている。

 極論すれば、自転車、単車で乗り方の方法論は、他人の意見に過ぎない。そんなモノ、なんの価値も無いと思う事が多い。過去に読んでいて、読まなくなった理由、それは、毎年同じ内容っていう以前に、読んでも得るモノが全く無いという結論とも言える。

 チョイ前の記事に脳科学おばあちゃんの育児教室が人気って記事を書いて、その育児教室に殺到する親の子には効果ないだろ?って言ったけど、これも同じ印象。自分で考える事が出来ず、頼りたい気持ちは判るけど、雑紙如きの情報に翻弄される、ライダー、サイクリストには多分、何ももたらされない。そんな印象。

 もっと言えば、選手的に実績があったとしても、実績を得た方法論は選手の固有論であり、固有論の模倣は全く意味が無い。よく、有名な選手を持ち出して、誰選手が何して、何できるから、頑張れば出来るでしょ?って問いも聞くけど、そんな固有論持ち出されても、少なくとも、選手と聞き手は別物であり、持ち出す意味が無い。原則に基づいた論理と適性に合わせた手法組合せのバリエーションが個人に固有なもので、それを提供してくれるような正統な指導体制でなければ、本人の糧には為り得ないと言える。

 つまり、万人向けの記事ネタには、本質が見えにくいもの。そこにあるのは、きらびやかな未来とカッコイイ言葉ばかりである。そんな意味が判らない人が、そういう知識だけ取り入れると、変な『知ってるぞ意識』が身に付いて、百害あって一利無し状態となる。
 読むなら、論理に基づいた小難しい本の方がお奨め、、、、そんな気がする。

 まぁ、雑紙の情報もいい加減だが、ネットに氾濫する情報もいい加減。誰でも手に入る情報は、正しいモノも在れば、そうでないモノも多い。その取捨選択が出来ないならば見ない方がよっぽどマシ。そんなもんだろう。

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Tour of 昼休み Ver.2

 昼ポタのコースをチョットアレンジしてみた。
 新大州橋をスタート地点とすると、八幡川沿いにマツダ体育館前を通り、猿候川沿いを広島駅方面に北上。
 広島駅方面への北上では、駅前大橋手前の荒神橋を渡り、的場町から稲荷町、松川町、比治山町で比治山通りに出る。
 その後、比治山下交番の所から比治山を登り、現代美術館を左手に眺め、喫茶グリーンハウスの角を右折して段原に降りる。
 その後段原日出町を横断し、平和橋南詰めに出たら、猿候川を南下、東雲シケインを通過、広島高速二号線高架下を潜り仁保橋を渡り青崎町に出る。
 青崎町からマツダ本社前を広島駅方面に走行し、茂陰トンネルを潜る様に右折する。
 茂陰トンネルを潜ると、そのまま府中町役場前を通過し、八幡川沿いを府中町観光事務所迄北上する。事務所前の橋を渡り、八幡川の対岸を南下して府中大橋を目指す。

 以上のようなコースで14km程だが、最初の猿候川北上は平地のTT的な区間、市街地は程々に、比治山は山岳ポイントっぽい区間、比治山降りて暫くして猿候川沿いで仁保橋迄もTT的な区間、仁保橋渡って大州街道も相当に速度が乗る。茂陰トンネルは下り勾配を利用すると50~55km/hの速度になる。その速度で通過すると、府中町役場迄の信号は全てオールブルー、オールクリアーである。みくまり峡入り口の観光事務所前の橋で対岸に移ってクールダウンしながらマツダ体育館前を目指すパターンである。

 速度の乗る区間は信号少ないし、直線的で川沿い故にTT的に走れるし、比治山っていう山岳ゴッコも出来る。

 これ、所要時間で25分程度だが、距離的にも13~14km級で市内で徘徊して気分転換するには良いコースだ。

 ところで、こんな市街地コースを走るのは、良くない舗装等路面条件から言うと細すぎないタイヤの自転車の方が快適って印象なのを再確認したところ。

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地域の催し

 先週末は、青少年育成会議かなんかのパレード参加を行った。これは娘の小学校のPTAで保護者は年間行事のどれかに出席しなければならない!という決まりに従って、自宅から最も近く、家族で参加できるという行事を選んだ結果のもの。

 この行事では、9時15分集合、9時30分から来賓等の挨拶、電報紹介、、、、で40分程話を聞いて、その後パレードして、パレードの終点で再度、挨拶、催しを見て昼前に終了というパターン、、、、
 正直、やる意味あるの?っていうのが、素直な感想。

 そういえば、今週末はクリーン太田川が開催される。つまり、太田川河川敷ではゴミ拾いが行われる。悪くない行事だが、行事の前後の来賓の挨拶とか、、、、そういうのは必要か?とも思う。

 思えば、地域町内会で、子供に昭和の遊びを教える?催しとか、地元の交流を深める?意味かどうかしらないが、簡易ビアガーデンを集会所で行うとか、、、、

 地域の結びつき、世代間の交流を高めるという大義は判るんだが、その催しの型式ばった部分で、名士を気取りたい人のアピールに割く時間が長すぎるのが、今一な部分。

 実際、違和感感じたのは、パレードで青少年育成、、、、理解できなくもない。しかし、散会して参加者が帰宅する途中では、歩道を大挙占拠で歩く。占拠して歩く中で気ままな立ち止まり等々で流れ悪くなる、、、、挙げ句の果てには、信号赤でも『みんなで歩けば恐くない!』って声を実際に聞いたけど、笑いながら信号無視。

 何が、青少年育成だ?って思う程。地元の交流会で集会所で寄り合いするにしても、そのために乗ってきた車を長時間駐車するとか、、、名士でないだろ?って思う行動を目にすると、なんだか違うのでは?と思う事が極めて多い。

 世の中、本音、建前があるのは判るし、他人に無礼は気になるけど、自分のに気付かない例も多いけど、チョット違うのでは?という気持ちが残るのである。

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2009年7月 9日 (木)

マコモ

 表題のモノはなんぞや?っていうと、イネ科の植物で、これを粉末にしたものが漢方薬として売られている。そんなに安くないけど、場合によっては飲んだり、或いは、塗ったりして使うモノ。

 ハッキリ言って、この辺の漢方は信じていなかったのだが、このマコモだけは別だ。

 自身、薬に頼るという生活はしてこなかったけど、このマコモによる外傷の治癒の速さだけには相当に驚いたもの。擦り傷がその日の内に治癒するといっても良いほどの速さ、、、、これはビックリである。

 色んな治療が世間にはあるけど、自身、体験上凄い!って実感したのは、このマコモの粉である。
 他には、火傷に対してだが、深海鮫の肝油である。これは、指先を火傷して刺すような痛みを伴っていて、色んな軟膏を塗っても効果なかったのだが、肝油を付けると、、、、あら不思議!痛み消えて無くなるというモノ。これもビックリした。

 世の中、いろんな漢方、サプリが出回っているけど、効果凄いぜ!っていうのには、なかなか出会わない。しかし、マコモと肝油は、少なくとも、その瞬間に驚いたのは確か、、、、

 ただ、今現在、愛用しているか?っていうと、、、、実は、長らく見ていないというのが正直なところ。

 今は、怪我しても水で流して後は放置状態。それでも案外早く治るし、化膿した記憶が無いのでOK。火傷関連で肝油は?っていうと、軽い火傷しても、それ程気になることが無いというのが正直なところ。暫くすれば火傷した箇所の皮が自然とめくれて終了である。
 もしかしたら、マコモとか肝油のパワーでなく、自分の治癒力の効果だったのかな?と今は思う事もある。でも、その時にマコモとか肝油が凄い!って思ったのは紛れもない事実。

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プリウス、バカ売れ中!

 プリウスがバカ売れしているらしい。
 何でも、ワゴンRを抜いてオーバーオールでナンバー1と言う事。凄いじゃないか!台数は22000台オーバーで、それ自体は凄い記録だ。

 個人的には前記事で言った様にインサイト型の方が好みだが、どっちにしろ、低燃費目的の車に関心は無いのが正直なところ。反社会的かも知れないが、低燃費、低公害、減税、、、、どうでも良い。

 今、車がハイブリッドカーを中心に売れているそうだ。補助制度、エコの風潮に乗って売れ行きが伸びている。そして、下取りされる車は?っていうと、13年オチの車も多いけど、案外多いのが高年式のモデル。それがハイブリッドカーに変わっているのが特徴。

 つまり、本来、購入者が購入した段階の意志より早めて車を買い換えているとういこと。その推進力がエコ、低燃費、補助金、、、、なんだそうだ。

 でも、ホントのエコっていうのは車なんぞ使わない事。近場は徒歩、公共交通機関、自転車って事。多分、購入者の多くはエコってイメージよりも、実は低燃費で財布に優しい!っていうのを相当に入れ込んでいるんだろうと言える。

 でも、ハイブリッドカーっていうのは、車格に対して割高なのは事実。その割高なコストが低燃費で回収出来るか?というのが必要な判断である。逆に言えば、悪い燃費が家計を圧迫していなければ効果が薄いとも言う。

 低燃費による家計への負担軽減は、何と言っても走行距離が問題である。月に500km走る人、これ、自分だが、500kmで燃費が20km/Lなら、ガソリンは25L必要である。レギュラーが115円/Lとすると、月のガソリン代は、、、、115×25=2875円である。
 そんな自分のエリオ号、今の燃費が13km/L程度である。ガソリンで38Lである。ガソリン代は115×38=4370円、差額は1500円弱である。年間で、、、、18,000円である。これが大きいか小さいか?、、、、、微妙である。

 仮に新車を買う場合、年間の出費額が18,000円の差だとして、10年のって180,000円、5年では90,000円の差額である。新車購入時の金額差の目安がこの数字となるわけだ。

 勿論、人気、不人気での下取り時の値落ち率もあるだろうけど、すくなくとも、同じメーカーで同じ実用性を持つ車両で選ぶ場合、その初期の価格差は無視できない差である。
 金額差が多くてもOKとなるには、相応の走行距離を稼ぐ人でないと難しいかな?というのが正直な印象である。

 車を道具として考えると、こういう計算で選ぶことになるが、少なくとも道具的に考えた時に自分の選択肢では燃費という観点でハイブリッドカーを選ぶ事は無さそう。
 ハイブリッドカーを選ぶとしたら電動アシスト機能付き自動車という意味、名称としては間違いだが、電動ターボ的なハイブリッドカーとしてなら有り得るかもって結論。

 前記事でインサイトの方が、、、っていうのは、少ないパワーを電動で補って苦手な加速を一枚上手で発揮するという面に気持ちが揺れたから。
 燃費という銭勘定ではハイブリッドに魅力というか必要性を感じないのが正直な気分だ。

 エコって事は大切かも知れないが、日頃の自動車利用を限りなく減らしているけど、その理由を敢えて言うならば、80年代の2ストロークバイクに乗っているからか?まぁ、これは冗談。

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KODAK DX3215 Zoom

 アホ?だから、古いデジカメが好きだ。
 そんな古いデジカメで兼ねてから関心があったのが表題の機種。

 この機種は、広角+パンフォーカス+2倍ズームというもので、他に例を見ないモノ。勿論、古いカメラ故に画素数少ないし、大きいし、遅いし、、、イイトコ無しかも知れないけど、何だかそそられる。

 この系統かどうか知らないけど、KodakのDC210A Zoom、DC215 Zoomが、DX3215って機種の祖先のようだ。見た目、大きさは随分と変化しているが、内容的には殆ど変わっていない。

 何故に、こんなカメラが好きか?っていうと、ピント合わせ不要なパンフォーカスが好きだから。勿論、オートフォーカスのようなズバリ、シャープって写真は撮れないけど、全体的に見れる範囲で映るのが良い。撮って失敗が少ない。暗くても映る。というのが気兼ねなくてよいのだ。

 自分の選ぶカメラでのキーワードは、、、、

1.パンフォーカス
2.広角気味
3.単三電池4本未満で長持ち
4.簡単操作
5.小型
6.明るめレンズ

 ってところ。勿論、望遠気味は駄目か?っていうとそうでもない。思う要素の何点かを満たせばOKである。

 そんな中、最後?かどうか知らないけど、もし見つけたら絶対手に入れよう!って思っていたのが表題の機種だ。
 動きは遅い、デカイ、格好悪い、映りも今一、、、でも、何か好き、、、、、この怪しさというか、とても魅力的なのだ。
 前身のDC215Zoomならネットで見かけるけど、カメラ選びのキーワードの中で、気になる難点が複数あって、後継機種が実際に存在するという点で購入には到らなかったのだ。そんなDC215Zoomからみると、電池が4本から2本に減るというのは自分にとっては大きな理由。
 勿論、映りはそれなりで、今更買う機種では無いかも知れないが、、、、

 世間的には評判悪いけどC@Mail F38とか、そういうのも好き。何故だか憎めないというか、独特の写真がイイ感じなのだ。

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2009年7月 8日 (水)

第4ステージ チームTT

 ツールで一番楽しみにしていたチームTTだが、実に面白いレースだった。
 コースレイアウトの非常にテクニカルで、出走順で優位、不利が見方によって様々に変わるレース。そんなコースで、カンチェラーラとランスのタイム争いが実にスリリング、、、、

 結果は40秒差で3位のランスが同タイムに並んだという結果。総合一位は入れ替わらなかったが、同タイムという結果。それにしても、こんな展開があるんだというのが驚きだ。

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レバレッジプレス、バージョンアップ!

 スプリングテンション負荷式に改造したベンチプレスだが、負荷が不足気味である。
 そんな負荷を補うのに、ラバーエクステンダーを取り付けて負荷増量をしているが、このところ負荷が抜け気味、、、、調べてみると、元々付いていたテンションラバーが断裂しつつある様子。
 そう、ラバーが千切れているのだ。ラバーは4枚あるけど、二枚がそんな状態。それが原因なのだ。今の負荷の殆どは、シャックル+引きバネで自作したテンションスプリングによって生み出されているということ。

 ならば、、、、と言う事で、更に、もう1セットのシャックル+引きバネを調達した。

 今回の引きバネは別のホームセンターで調達したので、前回より安価に調達できた。価格的には1/3である。これを4本調達して、2本で1セットとして作った。バネの両端にシャックルを付ける。バネは並列二本で一組とする。と言う構造だ。この1セットが片側のテンションスプリングユニットだ。既に、1セットずつ使っているので、今度はこれが2セットずつになるのである。片側でバネが4本並列繋ぎされているのだ。

 それにしても、テンション式のプレスはイイ感じである。25kg×2=50kgのダンベルフライ、ダンベルベンチプレスも行っているが、この場合は、フルレンジで負荷一定だのだが、テンション式はストローク量に比例して負荷が増大する訳で、動作開始段階では負荷ゼロなのだ。それがストロークに従って増大する訳で、そういう動きを求めるプレス操作では一番合理的である。これは、油圧ダンパー式で加速度応答式、つまりダンパーオイルの移動速度で圧損を負荷として利用するタイプとは正反対なのだ。

 横軸に時間、縦軸に力をとって仕事を求めると、フルレンジで負荷が掛かるフリーウエイトだけど、動作の応じて負荷を増やし、狙ったところでMAXで溜めるような動作ならテンション式の方が良い。ダンパー式の場合は人間の怠け心が作用して、初っ端のインパクトを緩めるほどに負荷が生まれなくなるので今一である。

 最近の心配は、テンションを上げたせいか、筐体フレームの歪みと変形が顕著となってきたこと。溶接箇所の破断とか、フレームの挫屈変形とかが心配。

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銀輪の風

 月曜日のBS-TBSの番組、銀輪の風では第98期生を通して競輪学校を紹介していた。

 今、競輪学校では年齢制限が撤廃されて、さらに適性枠での入学も可能になって入りやすくなっているという、、、、、でも、条件からいうと自転車経験が無いといっても、相応以上の成績を持つアスリートである必要から、絶対的に普通の人がどうこう言うレベルの世界では無いのは確か。

 紹介された内容は極一部だけど、やっぱり、トレーニングの基本はウエートトレーニング+ランニング、そして機材の知識ということ。この辺は、スポーツ全体に言えること。

 不思議と自転車の世界では、筋トレを馬鹿にする風潮も強いし、無暗な筋トレでは脚力が付くとでも思う勘違いもある。しかし、競輪学校という伝統と厳しさのある世界では、意味のある筋トレをしっかり行って素地を作り上げるという正攻法の上にパフォーマンスが成り立っているっていうのが垣間見れるような気がした。

 ただ言えるのは、素地となる体力と技量は、然るべき時期に、然るべき指導を受けて初めて身に付くもの。時期を外しても、適切な指導を外しても、合理的かつ効果的には手に入らないのは事実。
 実際、番組の中では18歳の生徒と28歳の生徒では、伸び具合が全く違うようなコメントも入れられており、その何気ないコメントの裏には、然るべき時期に行うことの重要性が暗に言われているのが、本当の厳しさを伺わせる内容だった。

 体力(神経系、筋力、持久力)では、スキャモン成長曲線に従うと、神経系は小学校低学年、持久力では小学校から中学前半、筋力は高校時代以降が効率的って事で、その効率的に素地を高める時期を外してからは、同じ事をやっても手に入れるのは不可能に近いといえるのだろうが、実は、技量、知識、経験というのは、それ以上にあとから手に入れるのは不可能に近いともいえる。

 テクニックが云々とか講釈いう人もいるけど、口で言うほど簡単に技量が身に付くなんてありえない。技量は知識と体験が無いとダメダメであり、体験には前述の肉体的素地が必須なのである。技量については、体験を得るに必要な肉体的素地が作られている場合に限り、助言と指導によって身に付けることも可能か?っていうのが、この番組から伺えた内容だった。

 自転車ブームの今、なぜか自転車は手軽にパフォーマンスが得られるというような風潮が蔓延しているようだが、競輪にせよ、本格的なロードレースであれ、その背景の厳しさを紹介するような情報提供がもう少しあってもよいような気がする。

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話題の育児

 脳科学おばあちゃんの育児が話題である。
 テレビで取り上げられて視聴率も相当なモノ。そして、その実績とキャラから注目も高い様子。

 確かに、おばあちゃんの経歴も、だんなさんの経歴も申し分なく、お子さんの実績も完璧で、天才は作れる!って事も確かかも知れない。

 ただ、これに集中する親の心理だけは、今一つピンと来ないというか、教室に通っても同じ成果には到らないのでは?というのが正直な感想。
 天才子供の紹介番組は歴史上色々みたけど、その行く末がどうよ?っていうと、必ずしも、天才に見合った成長を遂げたか?も知らない。

 子供の成長において知識の吸収速度が速く、早い段階での学力習得が出来たとしても、到達したところが同じなら、別にイイのでは?というのが自分の考えである。早い成長には回り道させない事が道理かも知れないが、回り道故に、それが回り道と自覚する回路を生むかどうか?は、回り道しなければ判らないのも事実。

 遅くても、回り道しても、何でも良いから、結局は、意志を発揮するのが大事だと思うと、育児には子供なりにほったらかしが一番か?とも思うのである。ほったらかし+疑問に応える事だけで十分では無いだろうか?

 言えるのは、育児において、己の生活環境や経歴から、脳科学という分野に育児の方法論を見つけ、それを実践しようという発想に到った事実自体であり、その方法論を発想したがために、育児で遭遇する様々な対応を、自分なりの判断で行動した結果が今のおばあちゃんの意識の筈である。
 つまり、自分で閃いて実践したから得た成果とも言う。

 この成功体験は、その経歴や経験から生みだした自発性に最大の成功理由があり、それなくして、伝聞や指導だけでは、日々遭遇する予測出来ない対応でおばあちゃん通りの対応が出来る筈が無いのである。言わせれば、経歴や経験、知識が全て異なって、それに依存したいという依存心が最初に来る様な親には、同じ結果が得られるか?というと、それはチョット違うだろうという思いが強い。

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電動アシスト自動車

 チョット旬とは外れるけど、プリウスとインサイトを較べてみた。装備、値段、デザイン等々はあらゆるサイトに多くそういう事とは別の視点からの感想。あくまでも個人の感想。

 プリウスの特徴は、如何にエンジンを休ませてモーターで動力を賄うか?に力点を置いた様な制御。実際、動力に占めるモーターの比率が大きいのが特徴である。これ見ると、プリウスはモーターがエンジンに取って代わる事を目指す様な構成なのが良く判る。実際に乗った印象では、電源的にエネルギーが十分な場合は、モーターが主体で、モーターで不足した時にエンジンが手伝うような印象。エンジンの手伝いが不要になるとエンジンは使わないのが基本路線であり、アクセルのオンオフがあると、速度を保つための動力の切り替わりとトルクの立ち上がりにタイムラグを感じる印象。

 インサイトは?っていうと、これ、車のクラスの違い以上にコンセプトの違いが明らか。そもそもエンジンを休ませるという発想が無いのがインサイトの特徴である。制御がそうなっているかどうか?は怪しいけど、印象的には、アクセルを踏む、踏み加減を察知する、エンジンで足らない部分をモーターで継ぎ足すような印象。つまり、主体はエンジンにある。そんな感じ。速度を保った状態でのアクセルのオンオフでは、エンジンに減速方向の制御は掛かっていないかのような印象。アシストの入り切りはあっても、動力源としてのエンジンは回転状態は不変のような印象。エンジンの動かすのが基本、小さな変動への対応をモーターで行うような印象だ。

 つまり、微妙な制御でエンジンの寝かせる事に傾注するプリウス、モーターのスイッチングを行うのがインサイトという印象。この制御っていうのは電気回路で行われ、制御対象が駆動機なのは共通だが、駆動機の調整に伝わる伝達経路を考えると、質量を伴った伝達で遅れが生まれるのがプリウス、回路的な伝達で質量を伴った遅れが最小限なのがインサイトという印象。

 結論的、この二車は優劣を比較するモノでなく、全く異なる乗り物ということ。

 エンジンを発電機として多く捉えるプリウスの考え方も将来の電気自動車へのステップとして見ると正しいし、エンジンで走る事を前提にエンジンで燃費が悪化する瞬間、リッチサイドとなる瞬間をモーター補助で混合気をリーンサイドに保つインサイトは内燃機関の弱点を補いながら内燃機関であることを主張する方法としては正しいと思う。
 制御の仕方でも、定常運転以外駄目なエンジンはなるべく停めてしまえ的なプリウスに対して、エンジンの効率が悪くなるのが加速時と同様に減速時におけるロスも無視できないので、回っているエンジンでなくモーターの出力調整でエンジンの不要なスロットル絞り動作を減らすっていうのがインサイトなのかな?って印象だ。
 トヨタ的には、多分、エンジンは無くす方向の未来を見て、ホンダ的にはエンジンで生きながらえる的な未来を見ているように感じる。

 スペックだけをみると、搭載モーターの出力はプリウスが圧倒しているが、考えてみれば、ターボ車におけるターボの有無で生まれる出力差もビックリするほど大きくないけど、乗った時の差は歴然なように、インサイトレベルのモーターで小さな補助動力であっても、乗ると大きく違うのは当然といえば当然。実際、モーター直結型のインサイトでの出力効率の高い回転数は1000~1500rpmであり、エンジンの弱点である起動時を補ってエンジンがリッチサイドな運転状態となるのを防ぐというのが想像できる。

 個人的な好みでいうと、内燃機関で車を動かす可能性を探るという意味は、内燃機関では必須の変速機が絶対という事でもあるので、やはりインサイト型の方が望みである。

 今、CR-Zって呼ばれるスポーツモデルが計画されており、噂によるとハイブリッド+MTという構成も有り得るという話。先代のインサイトでもMTが存在した事を考えると、車の運転の楽しさであるMTが出てくるかも?って期待を併せて、インサイトが好みである。

 次のホンダハイブリッドはフィットの追加車種とCR-Zとのこと。基本はインサイトのIMAであり、補助するのは低速域での加速度の大きな領域でのエンジン負担の肩代わりである。それならば、CR-Zのスポーツ路線ではないが、フィットは低燃費一辺倒でなく、フィットのTypeR的に電動ターボ的パフォーマンス路線で登場したら面白そうだ。

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2009年7月 7日 (火)

別府選手も凄い!

 折角、生中継みているので一言。
 第三ステージでは、最後の逃げが決まった先頭集団に別府選手が残り、見事8位入賞!

 昨日の新城選手に続き快挙である。

 それと、その先頭集団にランス・アームストロング選手も入っており、総合で40秒遅れの三位迄上昇!これも、凄い。

 持論だが、素地で得た筋肉は失われない。よってパフォーマンスも簡単には落ちない。もちろん、その逆もいえるのだろうが、アームストロング選手がブランクがあってもトップレベルのパフォーマンスを持つ事からも、相当な素地を持っているんだなぁ!と素直に感心しているところ。

 終わる時間が午前1時レベルなら、最後の1時間ずつはしっかり観戦するのも良いかもしれない。

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やっぱりパワーの根元は、、、

 ツールが開幕して、第一ステージのTTはランス選手の走行シーン、第二ステージはゴール前40kmからの大詰めのシーンだけ観戦した。最初はTTを録画しようか?とも思ったけど、番組予定では6時間の長丁場故にパスしたので、見逃したシーンは見れないけど、今のところ割と良く見ている。

 今回のレースでは何に目が行くか?っていうと、やはりTTでの個人の能力の限界が幾らで、その限界の根元は何処よ?って関心、ステージレースで関心があるのが大体ゴール前10km程度からの競り合い~ゴールスプリントだが、それはやっぱり、個人が肉体の限界で勝負しているシーンだからだ。

 勿論、序盤、中盤の逃げとか追走とかも面白いけど、そこでの中継映像での面白さは、風景の綺麗さとか、そんな感じで、仮に観戦していても、途中は他の事やったり、風呂入ったりと集中してみるという見方でない。

 でも目が離せないのは、ゴール直前のスプリントとかTTだ。

 そんなシーンでは常人離れした数値もそうだが、その数値の根拠が問答無用に発達した選手の脚の筋肉である。こればっかりは驚く他無い。

 今回、ランス選手のTTでのゴールシーン、第二ステージの新城選手のゴールシーンが印象的だったけど、実はそれ以上に驚いたシーンがある。

 それは、、、、、

 第二ステージのゴール直前での落車である。落車後、選手が自転車を担いでゴールラインを歩いて向かっている映像である。
 この歩いている映像は正面から捉えられているのだが、このシーンでは、その太股、脹ら脛の太さは尋常で無いのが良く判るのだ。走行シーンでも判るけど、その際は、他の映像情報に意識が分散して脚がどう?って部分は見えにくくなるのだが、歩いているシーンはモロに体型が判る。

 なんだかんだ言って、大きなロールアウトを踏むにはパワーが必要。筋肉無くして速度は得れない。それが改めて判ったのだ。
 自転車マニアには、自転車筋がどうのこうのとか、いろいろ言ってるけど、ぶっちゃけパワーが無いと話にならない。パワーがあるから運動強度もセーブできて長持ちがする。スケート選手が自転車楽勝なのからみても明らか。無目的な筋トレは意味無いけど、意味を想定した筋トレ等は絶対必要だが、それを否定するような自転車乗りが多いのも不思議なものだが、そんなこざかしい話よりも、今回の中継映像では、強烈な筋肉が改めて目に焼き付いて、それが見れただけでも良かったと思う。

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今更、傘さし運転、、、それより代案紹介しろよ。

 月曜のめざましの特集では、今更ながらって感じの傘を使った運転についての危険性を示す特集だった。

 片手運転のブレーキ制動力、操作性の低下、固定具でも傘を車体に固定することで、突起物、幅、車高で車両法の制限に触れる話の紹介、、、、こんな事は随分前から言われていた事だが、便利さが規則を超越して不法状態が常識となっている現状を紹介しただけとも言う。

 それを言っちゃ、フェンダーレス自転車の公道使用禁止にも繋がるか?って思うし、ドロップハンドル、ビンディングも禁止?って方向になるようにも、、、、

 ただ、そんな事を言う資格、自分には無いなぁっていうのが正直な感想。
 今でもDH装備の固定シングル乗るし、スピママ号とテスタッチフェンダー入荷次第装着予定の小林ロード以外は泥よけ付いていないし、もっと言えば、学生時代の傘さし運転は殆ど日常だったし、酷い時は、手首骨折で右手だけで普通に通学って事もやっていたのは事実。

 自転車が持てはやされているけど、最大の弱点は降雨。雨降りで合羽着るのは蒸れる、暑い、面倒臭い、、、、単車と違って脚を動かすので股は生地の縫い目の防水が痛みやすく濡れやすい。更に、ペダリングで足が前後に移動するということで、前輪の泥はね等で靴自体も濡れやすい。単車とちがってブーツカバーで対処とか、カウルで水はねを軽減するなんてことも難しい。

 そんな自転車の雨具で最強は何か?っていうと、、、、知っている人居るかどうか知らないけど、、、、

『(サイクル)ポンチョ』

である。上半身は合羽同様だが、合羽と言うより大型てるてる坊主のような外套である。上半身から自転車全体を覆う様なフリースのような構造。

 でも、これでもホイール剥き出し自転車では危ないかな?とも言えるけど、このポンチョの防水性、耐蒸れ性は優れものだ。難点は、水はねによる足の濡れくらい。後は、風が強いと厳しいかな?って事。昔のロングツーリングではフロントバッグ迄被せる事が出来るサイクルポンチョは重宝したものだ。

 傘が危ないのは承知、普通の合羽が煩わしいのも承知、、、、情報番組で必要なのは、ベストな対案ではないだろうか?

 そういう点で、上記『ポンチョ』はお奨めだ。

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シルクのピスト、続報

 シルクのピスト、ちょっとずつ部品がそろってきた。
 今日は、VELOのプラサドルを貰ったので、藤田シームレスとどっち使おうか?って新たな悩み、、、、

 さて、今どうか?っていうと、とりあえず、ホイールが完了。アラヤのRC-540の36Hで8本組、ハブは当時物のサンシン、両切りである。元のコグは何と15T、クランクはマイティコンペで長さ168mm、歯数は48T、、、、48×15っていうと、3.2、、、、ロールアウトで6.7m級のようだ。踏めるはず無い。

 ところで、ショップの方のお話だと、元のオーナーは若かりし頃にプロを目指していたらしい。そんな方の了解を得て頂いたマシンだが、こんなギアは踏めない。とりあえず、コグには17Tと18Tを入れて乗る予定。常用は18Tになるのは間違い無い。それでも5.58mだから今よりチョイ重である。ただ、ローラー専用機、平地オンリーなら大丈夫かな?っても思える。

 今、フレームの錆びはペーパー掛けで除去できた。今度、サーフェーサーを買ったときに剥離掛けて下地迄仕上げたいところ。

 ブレーキは以前も紹介したDIA-COMPEのピスト用アタッチメントを用いた前後のセットである。全体はクラッシックなんだが、ブレーキはキャリパーは今時なデュアルピポット仕様、、、まぁ、付いていればOKだから拘り無用だ。

 記事にするほどでも無いけど、ホイールが仕上がると随分自転車らしくなる。ロードと違って、フレームとホイールで終了だからなぁ、、、、

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2009年7月 6日 (月)

新城選手、凄い!

 昨日はランス選手の走行シーンだけ見て寝た。朝起きたら40秒遅れで10位ということで、それでも凄いな!って思っていたのだが、二日目の第二ステージでは新城選手が凄かった。ゴールスプリントの瞬間の映像を生で見ていて鳥肌立つようなモノ。解説の方の言うとおり、風を受けて飛び出して5位、それも僅差、今後の展開を期待してしまう程である。

 とりあえず、ゴール時間が12時台なら展開次第では観戦し続けても良いかな?って思わせる程の驚きだ。

 J-Sportsは全局契約しているけど、自転車ロードレースを逃さず見るというモノでなく、TTとかを録画して見る程度のものだったけど、今回の新城選手の結果を見ると、これからの長丁場でも何かが起こるか?って思うもの。こういう映像は国内初放映で見て価値があるという気もする。とりあえず、暫く、展開をチェックしながらゴールシーンだけはしっかり見てみよう。

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減税特需?

 エコカー減税で、ハイブリッドカーの売れ行き好調のニュースが報じられている。
 その一方で、エコカー減税の恩恵の少ないモデルは販売が低迷しているとも言われているが、自動車販売自体は、ここ数ヶ月の減少幅拡大傾向からの改善が見られているのも確かである。

 しかし、個人にとっての自動車の買い換え行為を考えると、エコカー減税による一時的な持ち直しというのは、結局は自動車ライフサイクルから考えると、需要の先食いにしか過ぎないのでは?というのが正直な感想である。

 これは、エコ家電についても言えること。地デジのテレビの売れ方というのは、そうでなければ受信出来ないと言う別の理由があるから売れ行きを支えているが、エアコン、冷蔵庫等々は、製品ライフサイクルと目的から考えると、単なる需要の先食いにしか過ぎないだろう。

 これは、個人消費向きの製品の売れ行きに限らず、ここ数年の工作機械の売れ行き、建設機械、造船業における売れ行き全てに当て嵌まる事。

 個人消費では、エコ減税が需要の先食いを生んだが、一寸前の好景気においては、実需要以上の製品が製造されたのが実際で、その製品の寿命を考えると、当分の間は新たに需要が盛り上がる事は考えにくいのである。そして、世界景気の減速で、余った建設機械、船舶が使われることなく放置されていたりするのが実際で、サブプライム問題云々の実態は、実は需要の先食いによるものと考えた方が自然とも言える。特に不幸なのは、需要を先食いしているつもりが無く、新たな需要が生まれたと勘違いしたのがリーマンショックの発端であり、結果、供給したモノは、将来の需要の先食いになってしまったのが不景気からの脱却を遅らせているのである。

 個人諸費におけるエコ減税っていうのは、確信犯的な需要の先食いであり、おそらくは、このような施策の反動は、来年以降確実に日本経済の足を引っ張るのでは?と思うのである。

 そもそも、需要っていうのは、消費者が目的を持って買う訳であり、そう考えると、安いから!っていうのは、目的か?というとピンと来ないのが正直なところでもある。

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はぁ?

 先日の昼ポタでの出来事。比治山下近辺、比治山通りを南下走行中、歩道は狭く歩道内には自転車通行区分が無い所で、車道を走っていたら、歩道を走るお巡りさんから一言、、、、

『自転車は歩道を走って下さい!』

そこで、たてつく気も無いし、反論して時間を費やす気もないので、基本は従ってスルーしたけど、、、法律の文言がどうであれ、自転車=歩道がお巡りさんの認識なんだと再認識、、、、

暇でも、はぁ?てめぇ!っていう態度は取らない。ハイハイ、、、って適当に従うけど、これでは、何時まで経っても自転車を巡る環境は変わらないなぁ、、、、っていうのが正直な感想である。

 正直、自転車が車道を通るべきか?歩道を通るべきか?っていうのは、個人的にどっち派っては言い切れないのが本音だ。

 車道を走るべき、、、その主張も判るけど、車道だけと限定すると危ないし、走りづらいのも事実。歩道を走るべきって主張でも同様。

 ホントは、車道と歩道を常識的に臨機応変って現状が実は一番、整備状況に見合っているとも言える。走るべきはどちらか?を謳うならば、それに見合った整備が必要だろう。そして、現状の整備状況、、、、通行帯が車道にあったり、歩道にあったりという現状は、結局は、どっちを走ってもOKって主張が変わっていない事でもある。
 このどっちつかずの状況は果たして解決する時期が来るのであろうか?

 個人的には例外無きルールを適用するのが一番だろうと思う。つまり、車両として車道を通行する事。そして、車道を通行するには、他の車両同様に、回転体露出禁止、突起物禁止、危険回避阻害要素の排除といった安全基準に合致させるべき、具体的にはドロップバーもDHバーも、ブルホンも、ビンディングも全部禁止だと思う。自身の趣味からいうと反対したいところだけど、全体のルールというと、やはり個人の趣味的欲望よりも社会性を優先すべきと思う。

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Windows7 発注しました。

 先日、マイクロソフトがWindows7のアップグレード版を激安販売するキャンペーンを開催するってニュースが報じられた。

 で、行った行動、、、、、そう、取り敢えず、一本確保したのである。HomePremium版で7,777円である。入れる予定?としては、P6Tしか思い浮かばないので、取り敢えず一本である。現実には、キャンペーン告知一日に満たない範囲で完売となったのだが、、、、

 取り敢えず一本確保したのだが、今思えば、もう一本くらい確保していても良かったかな?という状況。

 ただ、先日のP6TのBIOS更新以来、調子は抜群で、ハング、ブルースクリーンは皆無。速度に不満もない。全然OKだ。こうなってくると、アップグレードの必要性も無いかなぁ?というのが素直な感想。

 思えば、昔は新しいソフト、OSが登場する度にUPGしていたけど、今は無い。今回もWindows7を発売と同時にゲットできる。しかし、入れるのは相当に後になりそう。WindowsXpも初回購入パッケージをインストールしたのは、実は今年の話、、、、7年も寝かせていたのである。

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2009年7月 5日 (日)

ツール開幕記念!?100kmTTゴッコで遊んでみた。

 今日は7/4、ツール・ド・フランスが始まる日。初日は個人TTということで?TTゴッコをやってみた。

 ちなみに、今大会のツールの最大の目玉というか、ニュースは復活したランス・アームストロング選手だが、彼は18番目の出走で、タイムは15.5kmのコースを20分12秒で平均速度はナント驚きの46km/h!、、、、びっくりである。ゴールシーンではランス選手の強烈に発達した脚の筋肉が印象的である。アベレージで46km/hとは、下り区間で70km/hオーバーとのことで、、、、

 さて、そんな世界はおいておいて、今朝は9時半からホームコース四周回で100km弱の連続走行を行ってみた。
 終わった(ショップに到着した)時間が12時半だから実質3時間未満の高負荷走行である。走行モードは、

1周回目の往路着でジュース+写真撮影で5分程度の停止
1周回目の折り返しから2周回目の折り返し迄連続走行で同じく写真撮影等で5分停止
2周回目の折り返しから3周回目の折り返し迄連続走行で同じく写真撮影等で5分停止
3周回目の折り返しから4周回目の折り返し迄連続走行で同じく写真撮影等で5分停止
4周回目の折り返しから出発点に戻った後はショップへ直行

というパターン。
時間計測すると、
1周目往路が19分、復路22分
2周目往路が19分、復路21分
3周目往路が18分、復路21分
4周目往路が20分、復路24分
で、合計が164分である。往復で24km×4=96kmだ。
35.1km/hが走行時平均速度ということである。

因みにコンディションは往路は結構な追い風で40~45km/hを挟んだ走行、復路は向かい風で35~40km/h程度の走行である(1~3周目)。

しかし、4周目の往路で相当の失速である。一気に落ちた。

でも、ホームコースへの往復と、帰路でのヒルクライム二本で合計で100kmオーバーの距離を半日で走れたのはまずまずだ。 

先日の加計サイクリングが同じく100kmの距離で朝出発で夕方帰宅だが、走ろうと思えば、100kmなら3時間あればお釣りが来る訳だ。でも200kmの走行は6時間は無理っぽいなぁ、、、、200kmの走行は7時間は不要だが、6.5時間程度は掛かりそう。

でも、生活環境的に家を一人で半日以上消えるのは不可能だ。半日抜けでも4周回の全力走行は終わった後の体力の消耗の度合いが激しすぎである。後の家事、育児をやる気が湧かないのはダメダメである。

 35km/hオーバーでの連続走行は三周回が限界かも知れない。距離で70kmチョットが良いところだろう。100kmを伺う走りは不惑過ぎの自分的にはリミットだ。
 ただ、走り終えた時の疲労の度合いは?っていうと、全力で二時間泳いだ時の方がキツイというのが正直な感想だ。実際、今日の走行中の心拍数は最高でも160bpm以下に抑えられており、心肺的には、それほど追い込んだ印象ではない。

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6/29~7/4の週の検索ワードピックアップ

★レ・マイヨW
 今週のエポックは、レ・マイヨWの検索、、、、何故に今更?とも思える程に複数(と言っても4名様)の検索でお越し頂いた。
 レ・マイヨW、、、、貴重な451WOサイズの折り畳み自転車である。折り畳みで451サイズ?っていうと、BikeFridayが思い浮かぶけど、他は少ないレアな車両。
 難点は、重いということと、フロントのW化が困難ということ。それと、レアな存在で生産中止故に入手性が悪いということ。
 それでも、折り畳み固定バーを半分以下に短くすれば、普通にメカは搭載可能。
 この自転車、見た目はH型フレームの折り畳みロードっぽいけど、フレームはMTB風折り畳みのスプリングボックと共用のモノ。更に言えば、電動アシストの初期モデルであるViVi USAと同じフレームである。勿論、クロモリフレームでもない。所謂ハイテン鋼で、パナソニック的にはALEXフレームってモノ。エンドも鍛造で無ければ、鋼でも無い。なまくら鉄エンドである。
 まぁ、ロードっぽい折り畳み自転車という範疇のモノである。使ってある部品も今一なモノ。滅茶苦茶重たいギアクランク、怪しいステム、全く効かないテクトロ?のロングアーチのキャリパーブレーキである。
 スペックから見たら誰も選ばないモノ。唯一というか特徴は?っていうと、ドロップハンドル装備で横折り式折り畳みで451WO仕様のホイールという一点のみだ。
 そんなバイクだが、走らないか?っていうと、これが不思議と良く走るのだ。少なくともオッサンサイクリストが限界の能力を引き出したとしても、自転車の限界の方が上なのだ。

 自転車=趣味のモノとして捉えれば、乗っている人が少ないっていうのは、大きなポイントである。俺自身、BikeFridayでは気取りすぎって遠慮もある。そんな中、パナソニックのロゴで安価だが、それでも人が乗っていないというのは、大きな魅力に感じたのは確か。

 未だに飽きてないし、愛着もある。

★ママチャリ
 前述のレ・マイヨも属するのがママチャリジャンル。ママチャリは改造して速いか?って検索が多い。
 結論からいうと、、、、、十分、速いのに間違い無い。
 重さ、、、、、市街地中心の平地では関係無い。ギア比でいうとロールアウトで5m前後があればロードバイクと変わらないだろう。重要なのは適切なサドルポジション、ハンドルポジション、それだけだ。
 それ故に、ママチャリ乗りを笑う事はないけど、先日笑ったのはママチャリを笑ったのでなく、ママチャリに乗ったオッサン本人を笑っただけ。ママチャリも速度だけ言えば相当に速い筈である。
 平地の速度を決めるのは、ロールアウト、ポジションが同じならば、、、、90%は空気抵抗。タイヤの転がり抵抗をいうならば、太さ、重さよりも、それ以外の要素のみ気になるところ。何か?っていうと、空気圧とパターンである。ある程度の空気圧、スリックに近いタイヤならば転がり抵抗の差なんて無視して構わないだろう。低圧のブロックパターンでは論外だろうけど、それ以外なら大した差はない。
 実際、自分のスピママ号に乗って何時も関心している。何も変わらない。タイヤが太い文、少々の起伏に無頓着で走れる分、メリットが大。
 自転車に乗っていて、何見るか?っていうと、自転車そのものは関係無い。乗り手の体型、乗り手の乗り方、漕ぎ方ってところ。綺麗な人は、何乗っても綺麗。そんな印象。逆に、そうでない人は何乗っても違和感アリアリ。

★ASUS P6TでWOL(Wake On Lan)
 BIOSのアップデートが必須です。最低でも0603以降が必要です。さもなくば、毎日のハングアップ、ブルースクリーンに悩まされます。私もBIOSがリリースされる迄は嫌な思いをしました。それさえ出来れば、快適この上無いでしょう。
 WOL設定での必須事項がSuspend on RAMです。ACPIのS3という奴ですが、古いBIOSでは、こいつが不良動作の根元の要です。

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ベストセレクション?

 自転車の便利なところは何?っていうと、手軽さ、機動性である。そして、不便な所は何?っていうと、天候に左右される事。冷静に考えて、自転車を実用という意味で使う時、自分にとって、場所と車種の選択で良いのは?って考えてみた。

 まず、通勤である。通勤っていうと、実は大事なのは何か?社会人としてであるが、、、、それは、通勤途上における災害等リスクも考えればだが、通勤途上災害っていうのは原則、勤務先に報告義務を負うのは何処でも一緒。つまり、通勤途上に起こりうる災害リスクを考えると、通勤手段を勝手に変更するのは褒められた大人の対応とは言い難いのである。
 仮に、自転車通勤基本で雨が降ると自動車通勤というのは、ホントはナンセンスなのだ。自身、管理職として管理する時に、自転車通勤者がオートバイ通勤に変更した時に鍵って事故を起こすという事例に遭遇したこともあるが、そういう事故報告での教育内容では、勝手に通勤手段を変更しない事!っていうのを厳格に通達した事がある。
 そんな万が一の事を考えて、仮に自転車通勤を!っていうならば、自転車通勤が基本で、それが適わない二番手としては公共の交通手段を利用するという心構えが大人には必要ではないか?と思ったりする。
 それ故に、通勤での自転車通勤では、TPOに応じて単車、原付、四輪という使い分けが勤務形態で許されるかどうか?それを考える事も大人の責任と言える。

 そう考えると、天候リスク等を踏まえれば、自分の場合は四輪を通勤手段として選んでいる。通勤というのは、定刻通りに出社出来るというのが大事であり、天候リスクを踏まえ、定時制が確約し辛い交通手段は選ばないのが自分の考えだ。
 今の通勤距離が5~6kmで信号は数える程しか無いという状況では、自転車も捨てがたいが、天候による変動要素、出社に必要な荷物等を考えると四輪が便利なのである。

 まぁ、それでも場合によっては自転車を選ぶのは人次第であり、その価値観を否定する事は無いが、仮に、自転車を通勤で使うという状況を考えてみた。先にも述べた様に自転車のメリットは機動性であり、それを通勤という移動に当て嵌めると、装備する時間を含めた実質所要時間が他の交通手段に対して優れるかどうか?が鍵のように思う。事実、自分の場合、四輪なら10分、自転車では、、、、45分という状況なのだ。
 自転車の場合、用いる自転車と走るエリアによって時間が大きく変化するのが特徴である。勤務先が市街地にあるか、郊外の工場とか研究設備にあるかによって、これまた大きく選択肢が変わるのもあるだろうが、最近の自転車ブームのせいか知らないが、市街地でサラリーマンのロードバイクでの通勤が非常に目に付く。そこで、市街地が果たしてロードバイク通勤に適しているか?を考えてみた。切っ掛けは、ここ最近、昼休みに市街地を中心にポタリングしてからだが、、、、

 するとどうだろう、、、、市内は異様に信号が多く、歩道に自転車通行域が整備された場所も少なくない。車道自体が自転車通行を考慮されていない場面が非常に多い。
 結果、歩道内の通行帯を走るのだが、、、、歩道は結構起伏が多く、歩道自体がインターロッキング調であり細かい凹凸が多い。更に、横断歩道毎の歩道からの出入りでは10mm程度の段差が付き物なのである。信号の多さ、走行域の凹凸、、、、これでは、自転車にとって快適とは言い難いもの。そんなエリアを快適に走れる自転車は?っていうと、高圧タイヤはNGだし、ストップアンドゴーの連続ではビンディングは有り得ない。太いタイヤにアップライトな姿勢、こういうのが基本になる。
 少なくともロードレーサーは有り得ない。逆に、こういう状況では、走り始めると停まりたくないロードバイクを乗るということは、心情的に交通ルールを超越したくなる気持ちも判らないではない。

 それでも、好意的に解釈して、郊外の団地から市街地に通勤する状況で、河川沿いをロードバイクで時間を稼ぐのに適しているか?と思うのだが、残念な事に、河川沿いの自歩道は、通勤者、通学者の縦横無尽かつ進行方向が雑多乱れ、並進走行も普通に行われるデンジャラスゾーン状態なのだ。当然、こんな状況ではロードバイクが快適に走れる筈なんぞ有り得ないのである。整備された自歩道に対して、利用者が剰りにも多く、無秩序ぶりが極致に達しているのが現状なのだ。

 今、時代はエコ、節約、健康をキーワードで自転車が注目を浴びているが、実態として快適に使える状況か?というと、今一納得出来ない状況が多いのが現実だ。

 今、自転車を日常生活に利用するというと、やはり都市無い移動手段として歩行者と同列に扱われているのが現状であり、そういう状況では、コミュータータイプの自転車こそが使いやすいのかな?というのが正直な感想だ。
 泥よけ、スタンド、鍵は必須。積載能力を重視してカゴ、キャリアも必要か?というのが冷静な意見である。

 今、昼ポタを折り畳みのDAHONのスピママ号で行っているが、同じコースをラングスターとかロードバイクで行えるか?というと、やはり選ばないなぁ!っていうのが正直な意見。

 更に思った事、、、、それは、20インチ、406HE仕様のスピママ号。タイヤはマラソンスリックで1.35幅、ハンドルはフラット、キャリア、泥よけ、スタンド、鍵、マジ軽ライト付きの自転車、総重量は15kgオーバーなんだが、、、、これが結構速い。猿候川沿いの空いた道路では35~40km/hで走り続ける事も出来る。信号のタイミングで絶対に単独走行となるトンネル内では50km/h近くで走る事も出来る。そして、市街地の歩道区間でも太いタイヤで快適、、、、、全然、不足も不満も無い。っていうか、細い高圧タイヤがトレードマークなロードとかピストって必要?って印象なのだ。フロントがシングルでWガードがついているからギアにズボンの裾を噛み込む心配さえ無い。

 街中はDAHONが最高である。

 余談だが、車もバイクもホイールがカバー無しで露出したらアウトである。フォーミュラ(F3000)モドキの公道走行車両もフェンダーが着いている。どうして、自転車はタイヤ剥き出しが許可されるのだろうか?不思議である。
 更に思うのは、走る場所が限定される固定シングルのピストが持てはやされる理由も解らない。ギアが一枚ということは走る場所が限定される。固定ギアってことは基本、曲がらないということ。なのに、市街地で使うのは意味不明だ。

 市街地では、車のトランクからパッと出してコミューター的に使える折り畳み自転車がベストかな?っていうのが個人的な感想でのベストセレクション。

 

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2009年7月 4日 (土)

ベルを鳴らす行為を考える。

 自転車でベルを鳴らす行為は原則NGとされている。特に、歩行者に鳴らすのはNGって言われている。

 そんなベルだけど、ベルを使う時は、やっぱりある。

 どんな時に鳴らすか?

 まず多いのは、並列走行する自転車、これは対向であろうと、追い越し対象であろうと、交錯する前には殆ど確実に鳴らす。並列走行運転者は100%前見てない。横と話している。気持ち的には蹴りを入れたくなる程の対象も居る。

 次、携帯電話操作運転の場合、、、これも前見ていないで蛇行、斜行がセット故に殆どの場合は鳴らす。場合によっては怒鳴る事もある。

 その次、犬の散歩する歩行者で自歩道の両端を犬と飼い主でリードで塞いでいるバカ。こいつらにも鳴らす。

 後は、、、、時折見掛ける後ろ向きジョギングしている人。これが真っ直ぐ走っていないし、前見ずに対向してくるので、存在を知らせるにはベルが有効と判断して鳴らす。

 こんな感じだが、言えるのは、対向してくる存在の進行方向に視線が来ていない人には100%に近い確率で鳴らすのだ。

 追い越す場合は、、、、自転車に限り並列走行車に鳴らす。歩行者の並び歩きには声掛けで対処、、、、そんな感じだ。

 後は、河川敷でフリーマーケットが開催される事が多い。駐車場、駐輪場は、その敷地の併設された駐車場なんだが、どうしても土手を降りるという行為の関係からか、自歩道を埋め尽くす様に駐輪されているのが習慣となっている。これが常識となっているせいか、その自歩道は2/3が塞がれている。そして、駐輪後の持ち主が残った幅で立ち話とかしている場合も多い。そういう状況では、、、、自転車を降りていて歩行者状態なのかもしれないが、そういう利用状態を含めて納得出来ないのが本音であり、そういう本音の気持ちが、ベル鳴らしという行動を取らせる事が多い。

 自転車、歩行者がどうのこうのというよりも、自転車に乗って質の悪い人は、歩行者という立場でも質は悪い。結局、自転車とか歩行者という区別よりも、人次第な訳だ。マナーのある自転車は歩行時もマナーが良いだろうと思うのである。

 でも、そういうモノが雑多に含まれているのが社会な訳で、マナー無き人が多数派になれば、それが常識という区分になるのだろう。そういう状況では、ベルを鳴らすという行為自体が仮に正当性があると思っていても、常識というか多数派から見ると非常識行為と取られかねないもの。その辺を考えると、住みにくい世の中になったなぁと思うのが正直な印象だ。

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流行のトレーニングは誰にとっても正しいの?

 先日、トレーニングとは種目において必要なポイントを抽出して特化して鍛える事に意義があるって記事をアップした。自分の考えとしては、行動には目的を伴うべきという背景が外せない。それ故に、筋肉を鍛えるとか、付けるという行為は何のため?って部分がとても重要だと考えている。無闇に鍛えるとかの行為は果たして得たモノが役に立つか?という前提で、色んな事を考えている。その考えに従った判断で行動を起こすのをモットーとしている。

 例えば、最近のトレーニングで流行の加圧トレーニングとかスロートレーニングっていうのがある。これは、果たして正解か?と言う事も考える事がある。結論から言うと、そうやって仮に筋肉が付いても自分には不要というか使えないという判断から、自分自身が加圧トレーニングとかスロートレーニングという方法を取り入れていない。
 ダイエットにおける効率的な脂肪燃焼と持久力確保に有酸素運動がお奨めという事が言われているが、軽い負荷で鼻歌交じりで行える有酸素運動も自分としては行っていないのである。
 勿論、加圧トレーニングやスロートレーニング、軽負荷の有酸素運動(軽い自転車漕ぎとかウォーキング)が無意味と言っているのでなく、紹介された方法で得る効果が自分にとって求めるモノと違うという判断で行っていないだけである。正誤の判断ではなく、要、不要の判断なのである。

 先の記事にも紹介したけど、自分の日常運動の目的は、バイクとスイムを現役時代のパフォーマンスに何処まで近づけれるか?のみが重要であり、バイクとスイムで劣った部分を取り戻す時に何が必要で、何をどうしたいか?を前提にメニューを考えている訳であり、その身体の使い方、必要な力、感覚というのは、前述のスロートレーニングとか加圧トレーニング、軽い有酸素運動では手に入らないと判断しているからだ。
 本当は、実際にスイムとかバイクに乗り込んで手に入れれば一番良いのだが、多くの種目の競技では、問題となっている部分が問題となるのは一瞬であり、長く乗ったり、泳いだりしていても問題となる部分を鍛えることは難しい。それ故に、目的に合わせて集中的な強化がトレーニングとして有効となるわけだ。
 例えば、スイム、ブレストのプルを強化するためには、泳ぐよりもリストを強化する筋トレが効果的なのである。リストを強化するにも色々あって、プルにおいてはリストを固定する力を最大限発揮するのが重要であり、筋トレでもリストを保持する時に力が入れれるような筋トレを行うということである。一般にどんな種目でも筋トレ、基礎トレは、目的に合わせて特化集中する事が前提なのだ。

 そう考えて、加圧トレ、スロートレでの動作は、バイクとかスイムに関連性が見つけれないので取り入れていないのである。
 本来、加圧トレーニング、スロートレーニングというのは、介護系から来た方法であり、無い能力を付けるというよりも、使わずに眠ってしまった能力を呼び起こすための手法であり、原則として軽い負荷で身体を保護して効率良くリハビリの助けとしようという発想が根底にある。
 実際、加圧トレーニングでは、血流制限した特異な環境下で行う訳だ。つまり、制限するという行為は、血流の圧力が高まる領域と同時に低下する領域も発生する。高まる領域における効果を唱うサイトは多いが、逆の部分は触れられていない。更に、筋肉が動く大元である心臓を中心とした循環器系自体は血流制限を受けるために全体のパフォーマンス向上に併せて発達すると言う事もないのである。どんなにWHOがどうのこうのと言っても、人体のメカニズムを解明しているとは言えない訳であり、そのような特異な環境が自然な能力向上に結び付くとは言えないのが自分の出した結論である。

 スロートレーニングでも然りだ。フルストロークで力を一定でスローという動作が人間の動きに合致しているか?という一点で、それは無いのである。人間の行う動作、スポーツの種目には絶対的に反動を用いた動きが背景にあり、反動を行う際の溜めと瞬発がパワーなのだ。これは球技、格闘技、スイム、重量上げ等々全てに言える事。パワーとは瞬発力、それには溜めによるエネルギーの蓄積と力の解放のタイミングを外さない事なのだ。つまり、反動系トレーニング(クイックトレーニング)こそが実際の動きに合致していると言える。勿論、反動故に、オーバーロードによって身体を壊すリスクはあるが、それをコントロールするのが本来必要な知識の筈である。正直言うと、最初、スロートレーニングって言葉を聞いた時は、俺と一緒か?って思ったのだが、興味を持って聞いていると違うなぁっていうのが、後から判ったのである。自分の最初の印象っていうのは、ストロークがスローというのとは違って、動作が反動によって反転する時の貯めの時間の蓄え方を長くとることか?って思っていたくらいで、言ってみれば全然違うのである。
 世間で言っているスロートレーニングというのは、低負荷でゆっくりした動作なら行えるように、、、って事、つまり、高齢者のリハビリ手法ならば動作に意味が見出されると言える。

 軽い有酸素運動を続けて必要な持久力が付くか?も違和感を述べるとすれば、流行のロードバイクで速く遠くに走る、、、、それは、高い運動強度を長時間でトレーニングしなければ絶対身に付かないものである。ユルユルで長時間やっても強度を上げると保たないのである。そんなもんである。運動強度20%程で10時間維持できて80%の運動強度を2時間維持できるか?90%で1時間維持出来るか?っていうと、有り得ないのだ。
 例えば日々のローラー台が有酸素運動か?っていうと、実は違うのである。もっと別のモノを確認するために行っている。ペダルを回して負荷を得るのが目的でない。そう、有酸素運動なんぞは、ローラー台程度の負荷で一時間程度やったところで期待なんかしていないのだ。持久力で軽負荷長時間の意味が提唱されているが、自分の望む持久力は、高負荷長時間であり、そのためには例えば、水泳で3000mを50分以下という課題で取り組まなければ駄目という判断である。つまり、ローラー台に乗るのは、有酸素運動の効果もゼロでは無いだろうが、それは付随的な効果に過ぎず、ましてや、ポジションから何から全く違うエアロバイクなんぞでは絶対に得られないモノを感じるために乗っているだけだ。

 筋トレ、筋持久系トレーリングも行っているが、それとて、今で言うスロートレーニングとは大きく違うのが実際である。スイムでの動作、バイクでの動作でパワーを生む、つまり、トルクと回数を稼ぐ事を念頭に置けば、やはりスロートレーニングや加圧トレーニングは自分は受け入れられない。寧ろ、クイック系、反動系トレーニングの方が正解である。それは、パワーを発生する際に作用する骨格の動き、パワーを担う筋肉がどう変化するか?を己で考えれば自身の論理を生み出す事は容易いもの。勿論、身勝手な持論故に、公に公開するつもりは無いが、、、、そんなもんである。

 色んな流行のトレーニング方法が紹介されているが、加圧系、スロー系と、一世を風靡したビリーズブートキャンプとか、チョンダヨンのフィギュアロビクス、コアリズムとかは全く正反対である。一方はゆっくりじっくり、一方はリズミカルで速く、、、、どっちが健常者向けか?っていうと、客観的には後者かな?というのが自分の判断だ。

 取り敢えず、昼ポタ実走の目的は、気分転換と機材とのコミュニケーションが目的だし、3000m/50分スイムが持久力、サーキット筋トレやダンベルエクササイズは溜め+クイックで間合いと筋持久力、ローラー台は機材からの情報感知の繊細さが目的。不惑過ぎのオッサンが今更、心肺機能を高めたり、更に筋肉を付けよう!なんて考えていない。成人迄に身に付けた機能と力を呼び戻そうって程度である。

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餃子の王将

 深いい話での内容。餃子の王将が不景気に拘わらず業績が快調だという。
 そして、その中での経営方針でグッと来た内容がこれだ。

 なんでも、チェーン展開している外食産業ながら、店舗毎の販売マニュアル等の手順書が無いと言う事。店舗運営は店舗毎に任せているということ。

 これは、何か?っていうと、最近ならば品質標準で一般的になったISO9001認証とか環境マニュアルでISO14000とか色々あるし、労災安全関連では、マニュアルがどうだ、不安全行動がどうだ、、、、と何かに付けて手順書、マニュアルの存在を諄い程に説いて回るのと好対照である。

 以前、勤務先でISOの監査を受ける際に違和感アリアリだったのが、業務上、二度と同じ案件に手を付けない上に、直接的に顧客に対する生産活動を請け負う訳では無いにも拘わらず、ISOの手順に従って、開発の手順がどうだ、評価がどうだ、、、、という話が有ってウンザリしていたのだが、定型的な手順で物事が全て賄えるか?というと、個人的には有り得ないとい認識が大きいのがホンネなのだ。

 そもそも、手順とは決まったモノでなく、手順は状況判断で随時変化するものというのが持論だ。手順書に記載される手順は定型的な手順であり、機械的な作業のみ、その認証された作業以外を許さないというのが背景にあり、その思想的な背景には手順の実施者である人間を全く信用していないというのが伺える。
 定型的、認証された作業というのは、新しい方法を原則認めないということでもあり、日々に生まれる工夫による手順のリアルタイムな成長を止める部分もある。

 好意的な解釈をすれば、決まったモノを粛々と生産するには、定型的なマニュアル作業を遂行することがベストかもしれないが、新しいモノを発想したり、状況に応じた弾力運用を目指せば、足かせになるのでは?と言える。

 餃子の王将という外食産業では、顧客という地域性、相手が人間という状況から、一意的な対応よりも状況に応じて対応する事を最大の目的に、マニュアルを設けないとなっているが、これは、新しい価値を生んだり、新しい製品を開発する際にも通ずる考え方のようである。

 ただ、言えるのは、マニュアルという目に見える定型手順が無いだけで、実は、思想的なマニュアルは決まっているのだ。思想的な骨格とは、顧客にとってベストは何か?何が出来るか?何をすべきか?その課題に対して目的に見合った効果を得られるベストな手法を選ぶということ。
 そう、マニュアルで本当に大事なのは、目に見える定型性でなく、作業が目的行動であり、その目的が何か?を見定める思想的な段取りなのである。

 思想的な段取り無しで模倣や、マニュアルの機械的なトレースで行動する事が最も意味のない行動だが、その行動を社会が組織に共用するというのは、組織の管理者自体が、組織や社会に目的行動を実践できる人が居ないと諦めているというのが本当のところだろう。

 それ故に、多くの企業や組織、社会は、目的も無い奴を使うには定型作業を行わせるしか組織運営が出来ないという現状を映しているに過ぎないのだろう。
 そんな使う側の人間が、使われる人間に対して思う期待感は、即ち、使う側の人間の眼力でもあり、それが時代の閉塞性を生んでいるようにも見える。

 使う側の人間の眼力と、人の使い方が、組織をアクティブに動かす力を生み、それが、定型的なマニュアルよりも目的行動を行う重要性と責任感を人に植え付ける。それが整った組織や企業が、社会において強さを発揮する。その一例が、例の餃子の王将のような組織なんだろう。

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2009年7月 3日 (金)

理想と願望

 サイトに訪れてこられるお客さんの検索ワードでは、理想の体型とか、理想のペダリングとか、速くなりたいとか、、、、そういうのが多い。

 ここでいう理想っていうのは、もしかしたら願望とか夢を言っているのでは?という気がする今日この頃である。

 思うに、理想というのは、頭の中ではイメージ出来ており、そのイメージに必要なアイテムが判っている目標で、願望っていうのは、漠然としたイメージで、イメージが抽象的過ぎて具現化に必要なアイテムが特定出来ない状態ではないか?と感じる。

 理想とは、理に適ったモノ。願望というのは、根拠の乏しい夢みたいなモノ。そんな風に区別できるだろう。

 理想は追い求めれば適うけど、願望とは夢で終わる事も少なくない。何事にも関して言える事。夢が叶う人の夢とは理想であり目標に突き進むから適う。夢が叶わない人の夢とは、他人への憧れとか、根拠の無い欲望であり、ただ願うだけだから夢が適わない。

 そんな風に捉える事ができる。

 理想とは、理に適っている事からなる完成形の事。つまり、理想を叶えるには、必要な正しい論理を組み立てる事が大事。論理に必要なのは、基礎知識と問題解決の手法。そういう風に言える。

 体系だった世界で満足を得る。スポーツとか学問では、基礎知識が必須で、問題解決の手法が必須となる。考えてみれば当然である。知識や手法を知らない人、軽んじる人が成果を出せないのは、ある意味、当然なのだ。

 理想の、、、、、を言うならば、願望を語る前に、必要な教養とか知識を身に付けるという原点に立ち返る必要があるのではないだろうか?

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悪魔を飼っていると言われる理由は?

 峠で遊んでいる時代から、ツーリングで峠モードで走っている時から言われた言葉、後走ると転けるとか、恐いとか、、、何故に?って考えてみた。別の人の言葉では、背中が誘っている様に見えるからとも見えるらしい。

 何故だろうか?ツーリングの際にはツアラーバイクを使う。峠を走っていた時も、時代の最先端とは異なるモデルを選んでいた事が多い。装備的には抜かりはないが、決してレプリカツナギなんかは着ない。
 後は、、、、そういえば、『○○さん、ブレーキランプが壊れているよ!』って言われる事も多いが、実は、ブレーキランプを付けない様に走っているだけで、停止時には壊れていない事を見せる事も多い。

 その理由、、、、、そう、先頭を走る事が多いけど、万が一を想定して自分的には余裕十分で走っているつもり、何があっても対処出来るをモットーに走っている。つまり、背中には自分なりの余裕が現れているのも事実。
 それ故に、後続車は付いていけると思うのも解らないではない、、、、、

 自転車でも然り、ロードバイクで走る人が多いコースにロードバイクで走る事はまず無い。基本は小径車、或いは、怪しいピストだが、基本は普段着である。普段の靴に普段着という出で立ち。勿論、抜く時には笑顔をセットで吐く息を乱す事もない。信号で停まって肩で息することもない。何よりも安全第一、余裕の確保が大前提である。

 自転車でも単車でも、兎に角余裕が重要。そして、それは傍目にも通じる筈。余裕というのは、第三者にペースを乱されないということ。速い物体に遭遇しても放置する。逆に、遅い物体を見ても対応は変えない。周りがどうでアレ、第三者が視界に入ってきても、自分のペースは一切不変である。徐々に近づく前走車も居れば、アッという間に近づくモノも居る。関係無いのだ。

 ペースを変えないし、態度も変えない。影響されないのだ。これはどうか?っていうと、背中に表情があるとすれば、速い遅いの尺度とは別の自分にとって一番快適な楽な状態を維持しているが故に、余裕が無い様には見えないだろう。

 多分だが、そういうのが癪に障るというか、生意気に見えるというか、誘っている様に言われる理由かな?とも思うのである。その余裕が人によっては悪魔に見えるのかも知れない。基本はクールな笑顔で息を乱さない。熱くならないのが公道での安全確保の必須条件だ。

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笑った、、、、、

 先日、ランデブー走行でトラブルが起きた翌日の日曜日の事だが、チョット笑ってしまった。

 笑いは日曜の午前中に一発、午後に一発の合計2発である。

 最初の笑いは、午前のホームコース回遊走行時の話、、、復路の向かい風区間でラングスターTT号で35~40km/h走行していた時の話。前方に頑張って走るクロスバイクを発見!徐々に近づいてくる、、、多分、30km/hくらいで頑張って走っているようだ、、、声を掛けて抜く、当然、付いてくるなんて意識は無い。そのまま走行、、、、そして、祇園新橋下のアンダーパスをくぐる、、、、すると、2列あるアンダーパスを歩行者が突然横断してくる、、、、速度を落として、後方確認して進路を変更しようとして見た時にビックリ、、、、後方10mくらいを鬼の形相で迫る。そう、さっきのクロスバイクである。マジか?無理しない方が身のためなのに、、、、アンダーパスは下りがあって、登りがある。当然、登りでは失速されるようで、その後は見えなくなったようだけど、、、、あの後、前方に居た歩行者とは安全に回避できたのだろうか?チョット心配。

 で、午後の笑いは、、、、、ホームコースを走行した後に家路に付く間の話。
 北大橋の歩道を徐行してオ・モイヨWWを走らせていたら、真横を緑のポロシャツを着た30代前後?のオジサンの乗るママチャリにぶち抜かれた。
 勿論、気にしない。自分は北大橋を渡って、ALSOKホール前からALSOKホール横の側道で普通に渡って工兵橋を渡って信号待ちしていたら、さっきのママチャリがまたやって来た。どうやら、ALSOKホール裏の自歩道側を走行して来た模様。
 自身、歩道は15km/h以下走行が原則、車道は出るだけ出せるだけ体力次第、、、つまり、信号待ち後は川沿いの車道を走るので、通常の速度で走るのだが、信号が青になる前に、そのママチャリが猛ダッシュ、、、、競争するつもりも何もないのだが、車道走行では、どうしても抜かざるを得ない。気の毒に思いながらスルーしたのだが、このオッサン、何考えて居るんだろうか?危ないなぁ、、、、っていうか、笑っちゃうのだ。

 先日、知り合いが後で背中に潜む悪魔に見初められたけど、明らかに根性試しで来るような、ママチャリスプリンターとか、クロスモンスターは簡単に悪魔にイタズラされるのだ。気を付けて貰いたいもの。

 因みに、その時に遭遇した他のロードはそんな事無かった。KLEINのロード、赤いスペシャのレーパン、レーシャツを着たグレーのTREKのロード、何れも挨拶したら普通にスルーさせてくれたけど、ロード外のママチャリ、クロスはビックリというか笑わしてくれる、、、、

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2009年7月 2日 (木)

シルクのピストに感心

 只今、頂き物のシルクのピストをレストア中である。
 剣先のメッキは生きているのでメッキは生かしたまま色の塗り替えだ。ところで、所々チッピングで錆が発生しているのだが、これが曲者。

 っていうのは、このフレーム、ラグレスフレームでパイプ肉厚はよく判るのだが、、、、滅茶苦茶薄いのである。ラグが無いとこれ程までにもクロモリパイプは薄いのか!って言う程の薄さである。

 そんな薄いパイプの錆を見る程に、貫通していないよな?って不安が募る訳だ。

 幸いな事に、錆はパイプを貫通することなく除去できたから良かったけど、冷や冷やものだ。

 それにしても、この超薄肉パイプの片倉シルク号、、、、、カッコイイじゃないか!

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目的意識

 先日、コメントを頂いた方と多くの部分で意見が共有できると感じた事。

 それが、表題の『目的意識』である。

 目的意識とは、現状の問題を自己認識しているのである。詰まり、自分の現状把握が出来ているということ。そして、目的が持てるのは、その現状問題の因果関係を類推しているということなのだ。

 つまり、目的意識=現状認識=問題の類推=因果関係の把握という方程式が成り立つのだ。

 これは、真実を追究する世界では共通した考えである。その世界における真実は絶対的に一つなのだ。要するに、競技における一等賞であったり、優勝、世界記録、最もエライとか、ノーベル賞、、、、、というように価値観の方向性は同じ方向に向いて優劣が語られている。

 真実の追究に終わりは無いが、その方向性は一つであり、その優劣を極めるのが競技であり、学問、研究なのだ。

 その優劣を競う上での闘いはどうやって生まれるか?というと、方向性こそは一つだが、その一つの方向性で優れた結果を出すには、それを支える要素に何を選ぶか?が異なってくるからである。
 例えば、数学の問題を代数的に解く人、幾何学的に解く人の違いだったり、自転車でトルク重視で漕ぐ人、回転重視で漕ぐ人の違いだったりするのである。

 その選ぶ要素の組み合わせが人の個性であり、違いなのだ。ただ、どっちが正しいという質のモノとは異なり、違うだけの話なのだ。そして、その違いは個人の目的意識で選んだ要素の組み合わせによって決まるものである。

 ただ、スポーツや学問が自然科学のルールに則ると言われる所以は、結果を得る要素の選択は自由だが、選んだ要素における優劣、真偽は自然科学に則っているという真理があるからだ。
 多くの素人や、横着系の人が、自分の考えとか、自分なりという言葉で好き勝手をやるが、要素の選択に自由度は有っても、その要素毎の考え方が支離滅裂の場合が多く、そういう考えになる時点で、その人なりの上達の可能性は壊滅的にゼロになるとも言える。

 上達というのは、選択の自由、選択したモノの真理に従う。その真理を学ぶという謙虚さと、無知を認識して知識を積み上げるという前提が無ければもたらされないのである。その積み重ねの先が、行動において必要な本当の意味での目的意識を持つ事につながるのである。

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祝!?三人乗り自転車認可、、、、

 正式に幼児二人乗車を含む三人乗り自転車が正式に認可を受けて販売される運びとなった。業界最王手のブリヂストンの場合は、

http://www.angelino.jp/

 である。

 3人乗りの禁止明示では、主婦の猛反発を受けて、3人乗りを前提とした自転車の開発を急がせた結果生まれた車両が、この度登場した車両であり、BSのようなタイプの他に、前二輪のタイプ等々が開発された。

 開発されたニュー自転車の価格は、業界の大手メーカーの開発によるもので、殆どが5万円以上の価格帯である。そして、3人乗りが定義する幼児は2歳以上6歳未満の子供の事である。

 ところで、実際に街を走る自転車はどうよ?っていうと、多くは量販店販売、ホームセンター販売による激安中国ブランドの自転車であることが多い。価格的には1万円未満からであるが、それに前後子供乗せを装着した自転車が多く、一方で団地住まいの主婦の場合、一台が10万円に迫るような電動アシスト自転車に子供乗せを装着して使っている例が少なくないのが現実である。

 現状を考えると、子供二人が2歳以上6歳未満という条件に当て嵌まる世帯が、3人乗りを必要とするというと、年子~5歳差という事。一番長く使う年数でも2歳+3歳という組み合わせが4歳+5歳という組み合わせになるまでだから実質最長で3年な訳だ。
 つまり3年の使用期間で現状なら5~6万円のコストが必要と言う事。これから新たに購入する人にはメリットがあるかもしれないが、従来自転車に子供乗せを2脚装備している人から見ると、殆どメリットは無いのが実際だ。

 現実問題、従来の自転車が普通に三人乗りで使われている現実から、既存車両であっても3人乗りを容認できる仕様も存在するだろうが、今回の法改正に従えば、既存車両は全てNGということ。

 どうせ、三人乗りで開発するなら、年齢制限を緩和した上で高コストを消費者に提案する一方で、既存車両に乗車可能年齢を制限する形でチャイルドシート+ブレーキのようなセットを認可するような施策の法が、消費者のニーズにあった行政ではないか?と思ったりする。

 後部座席用チャイルドシートが2歳以上6歳未満は理解できる。一方で、既存の前部用チャイルドシートで荷重制限を設ける意味で、4歳未満なら3人乗り対応を認めるようなシートを市場に提供するっていうのが本当は大事なように思うのである。

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クロスバイクコンポーネント

 表題のブランドというよりも、街乗り自転車向けとしてはNEXUSとかいったコンフォートバイク系コンポーネントが思い浮かんでいたし、そういうクロスバイク向けというと、パッと思い当たるモノが無かったけど、この度登場したのがDEOREのそれ系のシリーズだ。↓がそう。

http://cycle.shimano.co.jp/publish/content/global_cycle/ja/jp/index/09newproduct/mtb_compo/deore/deore_cross.html

これ、悪くないと思う。クランクが48-36-26T、カセットが11-28Tがある。クランクのインナー26Tが必要か?っていうと、微妙だが、それでも悪くない。ギア比の絶対値、幅、比率、全体的な印象は昔のランドナーにオーバードライブのトップギアが付いているような感じだ。

 過去を遡ってみると、そもそもDEOREっていうのはツーリングコンポーネントだった筈。クランクはプロダイやTAと互換性のある5ピンのクランクでペダルだけ大径スピンドルのDDペダルという仕様。それが、いつの間にかMTBコンポになっているのだが、昔を知っている人から見ると、本来の姿に回帰しつつあるような印象だ。

 ロードバイク、MTB、コンフォートバイクのコンポーネントがあるのだが、普通の旅行車用が無いのが寂しいところ。この新しいDEOREシリーズがその突破口になってくれると有り難い。

 今更思う事だが、ロード、MTBは判るけど、スポルティーフとかランドナーって言葉が無いのが寂しいところ。クロスバイクというのは一体、どんな位置付けなんだろうか?MTBに700Cってことか?ロードにMTBのコンポってことか?未だに自分的には見てこない。用途に合わせた言葉とは違うような印象。クロスっていうのは、ロード×MTBの中間って事なんだろうか?仮にそうなら、構成上の中間という意味にしか見えない。使い方、遊び方を表す言葉の方が選びやすいと思う。

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2009年7月 1日 (水)

日頃の運動の意味

 毎日、運動を続けている。
 見方によっては量的に違和感を感じる人もいるようだが、何故に、続くか?出来るか?っていうと、一言で表現すると、『老いに対する抵抗』って話は、ブログでも再々記載している。

 すると、このブログで紹介している運動の一部をトレースして、目的としても同じように『老いに対する抵抗』って言う人も居る。

 別に良いのだが、老いに対する抵抗が、このブログの内容をトレースする事で、同じ事をする人にもたらされるか?っていうと、チョット怪しい気がする。

 その理由は、、、、抽象的な老いに対する抵抗の意味が、本人にとっても抽象的な場合、もっと言うと、老いに対する抵抗のために、何故に、このメニューを選んだか?が結びつかないと、そのメニューを行うことで、何がどう変わったか?が感じれないのでは?という危惧があるからだ。

 自分にとっての老いに対する抵抗というのは、老いる前の状態と較べる上で、老いる前に何がどの程度出来たか?の基準があって、そこに何処まで戻れるか?で推し量っており、老いる前の状態を作るに到った日常の練習を今に再現しているだけで、その再現メニューが今選んだメニューに相当しているのである。

 つまり、今のメニューっていうのは、当時行っていた練習に近いメニューということなのだ。そして、当時的に言えばメニュー=トレーニングであり、何故にトレーニングを行うか?というと、運動の種目別に必要な能力(力の絶対値とか使い方、使う部位)の内、自分で行うべき要素は何か?を考えて、その種目に応じた使い方を想定した上で、その想定した使い方が出来るように集中的に行う行為の事をトレーニングと呼んでいたのである。つまり、トレーニングとは、行うことで何を獲得したいか?が決めれなければ、種目に応じた能力の獲得には繋がらないである。

 よく自転車で筋トレは無用と言う例がある。これは、或る意味正解で、或る意味不正解なのだ。正解となるのは、自転車に乗る行為の中で、鍛えるべき部位、部位の動かし方に特化した部分で集中的に鍛えるのであれば、そのための筋トレは正解だが、そういう目的意識無しに漠然と筋肉を付けるという筋トレでは、必要で無い部位を鍛えたり、実際の使い方で使えない筋肉を動かす神経回路を作ったりして百害あって一利無しというのもあるのだ。
 つまり、筋トレは有効だが、自転車を例に上げると、パフォーマンスを上げる上で必要な力、使い方を意識した上で、どうすべきか?を考えながらの筋トレで無ければ全くの無意味に終わるということなのである。

 その辺の意識が一番重要であり、自転車に限らず、どんな種目であっても、トレーニングとは種目の実践において発揮すべき能力を発揮できる形態をエミュレートした上で集中的に鍛えるというのが大前提であり、各自が選ぶメニューというのは、各自が種目において納得できる結果を得るのに何を選ぶか?で決まるものなのだ。
 つまり、メニュー自体はオリエンテッドなものであり、抽象的な能力を得るのに、どういう要素で勝負するか次第でメニューが代わり、そうやって獲得した能力の組み合わせ方が個人によって異なるのが本来の姿なのだ。

 だから、目的意識をもった人間であれば、目的が違えば、組み立ても違う。組み立ても違えば、パフォーマンスの得手不得手も違うのだ。そして、それは優劣でなく個性というものなのである。言えるのは、個性という能力を支える各要素の進むべき方向性というのは、種目=科目で在る限りは、絶対的に正しい方向性が存在しているだけなのである。

 人によっては、自分の思い通りにやっているから!っていう人も居るけど、どの要素を組み合わせるか?においては自由な選択があり得るが、選んだ要素において進むべき方向性自体は間違いなく決まっているもの。そして、素人の過ちっていうのは、要素における進むべき方向性の間違いを自分の考え!といって主義を曲げない頑固さなのである。

 話が回りくどくなったけど、要は、トレーニングであれ、練習であれ、そこには目的があり、その目的が何か?を具体的に見定めることがなければ、行っているトレーニングはタダの自己満足に過ぎず、単なる筋肉ダンゴになるだけだったりするのである。トレーニングに限らず、練習っていうのに必要なのは、具体的な目的意識なのだ。

 だから、自分が一言で言う『老いへの抵抗』っていうのは、老いる前に計測した実績のある種目で、その記録に今近付く事を言うのである。そして、それに近付くには、当時行ってきたメニューがベースにあり、そのベースをどうすれば、今の自分のリソースに合わせて当時に近づけるか?を考えてメニューを作っているのである。
 当時がどうか?という基準として、偶然、自転車や水泳が自分の当時を示す数値を持っていただけで、それを得るのにどうしたか?を記憶しているから、それをベースに今を決めているに過ぎないのだ。

 だから、このメニュー自体は、そのような目的が大前提であり、メニューのそれぞれは、単純に模倣するだけの人からみると、その動作における勘所を何処に据えているか?が恐らくは全く想像出来ないものだろうと言える。この何処に据えるか?というのが、実践において足らない物をトレーニングによって集中的に鍛える事に相当するのである。

 一言で言うと、毎日行っているローラー台は、有酸素運動のためではないし、筋トレも単純に筋肉を付ける事を目的にしたような動作は行っていないのである。持久力=有酸素運動は確かだが、そのために行うべき有酸素運動は、どのような負荷でどの位続けるか?次第でメニューは選ぶべきなのだ。時間があるからエアロバイクをコグっていっても何のために行うか?その行為が役に立つか?を考えた上で行わなければ何の意味も無いのである。

 必要なのは具体的な目的意識。その先がどうか?を見据えているから、毎日続くし、日々、行うことが変化しているのである。
 折角、このサイトを見て、同じようにダンベル筋トレとか自転車漕ぎを行っている人もいるようなんで、ただ模倣しても同じ結果にはならないというアドバイスを敢えて記事にしてみたのである。

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通学傘の修理

 娘は小学一年生である。
 家から学校までは結構な距離で、雨が降ると結構悲惨だったりする。そんな雨の通学を楽しくする?ために!という訳ではないが、通学で使う傘や雨具は娘の好みで買い与えている。

 最近の雨具、特に関心するのが傘である。昔と違って随分と軽く作られているのだが、軽い分、脆いのだ。子供の通学時の仕草の特徴ではないが、傘を引きずりながら帰ったりする、、、すると、道路の溝に傘の先端が嵌って豪快に折れる、、、、我が家でも、そんな例に漏れず、通学に買った傘は最初の雨の日に折って帰ってきた。

 サンリオのキャラクターモノ、、、安くないのだが、メインの支柱が豪快に折損する程の壊れ方で、修理も適わなかったのだ。

 さて、そういう事も故意にという訳でないということで、再度、傘を買ってやったのだが、昨日の雨の中の通学では、再び、、、、、傘の骨を折っている。

 そんな傘の修理を!って試みたのだが、最近の傘は支柱がアルミパイプ、骨がファイバー強化プラスチックの棒、、、、軽いのだが脆いのである。FRP棒は折損するとガラス繊維が飛び散って、、、、これが痛痒くなるのだ、、、、前回の修理トライでは思いっ切り痒くなったので、今回は、折れた箇所を瞬間接着剤でガラス繊維の悲惨を抑えた上で修理トライである。
 折れた骨は何カ所があるのだが、修理可能な部分では昔の骨継ぎ金具をあてがって補修、修理不可能な部分は骨を使わなくなった傘の骨と入れ換えて組み直す。長さの違い、固定方法の違いは加工で対処である。

 結果、パッと見には違和感なしで修理完了である。

 それにしても、こういう作業自体面倒臭いのだが、そんな反面、治ると嬉しいというか、そんな不思議な感覚だ。

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NHKスポーツニュース

 日曜日のNHKニュース、珍しく自転車が特集で取り上げられていた。
 まぁ、ネタは新城選手がツール・ド・フランスに出場するという事で、直前の生活に密着取材と言うこと。最近の練習量、筋肉についてのお話が少々と、日曜日に中央森林公園で開催された全日本ロードの結果を併せて紹介というパターンだ。

 そこでは、新城選手の幼少からの取り組み、そして、今は一日200kmの距離を走り込む生活をしていること、そして、腹筋の筋肉を一例として紹介していたけど、全身にバランス良く付いた強靱な筋肉が強さの秘訣という話をされていた。

 丁度、同じ時期だが、クリテリウム・ドゥ・ドーフィネ・リベレが中継録画でCS放送されていたが、そこでTTステージを走る新城選手の映像を見掛けた。やはり、全身の強靱な筋肉の鎧がNHKの放送内容と一致するのが見える。

 今回、13年ぶりのツール・ド・フランス出場を果たした日本人選手であり、初の完走なるか?が大きな関心事となっている。

 今回の全日本では、新城選手自身、日本チャンプの称号を以てツールに望みたいとのコメントをNHKのニュースでも発言されていたが、その願いは叶わず四位という結果になった。
 しかし、そのリベンジ?でツールに挑むと放送されていたが、ツールの本戦では、中継映像に頻繁に捉えられる様なアグレッシブな様子を期待しながら中継を観戦したいと思う。

 話は全く関係ないけれど、全日本ロード選手権が開催された中央森林公園のサイクリングコースのラップタイムが一番速い周回で18分台後半、前半が20分、後半が22分近辺だったようだ。この辺が職業ライダーの速度のようだ。ロード競技者のロード競技者たる所以は、その一発の速度の凄さというよりも、その速度を200km近い長丁場でも維持できるスタミナだろう。

 そして、そのような長丁場でのスタミナっていうのは、NHKニュースで紹介されていた新城選手の毎日200km程度の実走練習によって支えられているってこと。そして、ツール等のグランツールのレースでは毎日200kmを3週間に渡って走りながら競うと言う事。考えてみれば常人離れしているのは当然と言えば、当然だ。

 200km×30日=6000km/月の走行距離、、、、凄いですねぇ、、、、比べちゃいけないけど、自分が1800km/月だから三倍以上の走行距離ですか、、、改めてビックリだ。

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背中に飼っている悪魔

 ふと思った。それは、自分の直後を走っている人のクラッシュとか怪我とか、、、、思い起こすと、コレが少なくない。

 単車なんかでは印象深いのが多い、、、、、山間部のワインディングで谷底に転落、幸い、ライダーは路上だったけど、、、とか、後続車がスリップダウンで先に居た歩行者と接触とか、山肌に激突、、、、或いは、曲がりきれずに納車当日に側溝に嵌って大破とか、或いは、峠に通っていた頃は、後続車がギャラリーコーナーでスリップダウンってのもあった、、、、

 自転車でも然り、昔を思い出すと、ピスト同士で走っていて、先頭側で引きまくっていたら後ろが痙攣して弾かれたり、或いは、見知らぬ人の追走を受けていたらしい時に、ペースを落とさずに走行しながら路面の状況に応じて対応していたら、直後に居た人(自分は後ろに人居る事を認識していなかった)は、路面状況の変化に対応できず落車したり、、、

 そういう経験が実は数え切れない程にある。

 で、思うこと、、、、背中には悪魔が潜んでいる、、、実は、仲間から言われる言葉。

 それ故に、自分は背後に人を付かせない習性がある。

 そして、自分も人の背後には付かない。自分の背中に悪魔が居るかも知れないが、他人の背中にも悪魔は居る。そんな悪魔には見初められない事が大事。悪魔とは、テンションが高くなった時に吸い込まれる視線の事。視線が奪われるのは、ある意味、携帯電話しながらの運転にも通ずるもの。必要なのは前方の視界だが、テンションが高い状態で他人の背後に付くと視界が奪われる。結果、周辺情報の収集が困難になるからだ。だから、前方車両に接近する時は、進路を思いっきりずらして大外から抜く。抜かないにしても、自分の視界を確保するのが最優先なのだ。空気抵抗よりも、人のリズムよりも、何よりも視界を優先するのだ。

 自分の学習機能としては、以前といっても30年近く前の話だ、、、、、単車で峠を走る。速い人に付いて走る、、、すると、速く走れる。これは、前の真似をしているだけなんだが、その時、その速さが自分の実力と勘違いする。その時、前がいきなり消える、、、、すると真似が出来なくなる。結果、リズムが作れず、クラッシュ、、、、そういうもんなのだ。

 これは、素人が掛かりやすい罠である。

 それ以来、やってはならない事かもしれないが、実は、後続車に意図的に恐い目を合わせることも可能だ!って確信を持っている。徐々に引く、徐々に未体験ゾーンに引き込む、そして、その徐々のペースを突然の落差でペースを上げて後続車の視界から消える。すると、後続車は無意識に無理をする。しかし、前にトレース対象が無い、、、すると、、、最悪の事態を招くこともある。そんなもんなのだ。

 そう言えば、自転車競技部の高校生がダブルクラッシュしたニュースがある。前走車はともかく、後続車が同じく突っ込んだのは、、、それは、後続車は前走車の背中しか見ていなかったから、、、、

 そう言う意味で、二輪車で速さに拘りを持つ人程、追っかけた時に前走車の背中に吸い込まれるように何かがおこる。その吸い込まれるようにっていうのは、恐らく、前走車が遠くても近い存在に見えるから、或いは、後続車に見せるから、、、これが背中に潜む悪魔の正体だ。

 俺も人の悪魔は恐い。それ故に、人の背中は見ないし、人の後ろは走らない。それだけだ。

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