勝手な想像
単車とか自転車に限らないのだが、特に単車や自転車の世界では、自分の妄想で、製品に対して作り手の思いを都合の良い解釈している。
そう、作り手の思い=製品の思いという考えなんだが、使い方、用途に合わせてモノを選ぶとき、モノに対して失礼の無いような気分を自分で得られるかどうか?を重要視して、モノ選び、グレード選びを行っている。
例えば、レーシンググレードのパーツは、ふさわしい使い方が為される場所にしか使わないという風な事。
金の有無でなく、モノに相応しいか否かが大事なのである。それは、モノに対する配慮、即ち、勝手な解釈だが、造り手に対する配慮みたいなものである。
昔、車のカタログではRX-7のカタログでポール・フレール氏のインプレ雑誌風にスピリッツが語られていたけど、造り手は、乗り手にそういう事が分かる人であって欲しいという意図があったと思っている。
単車ではRZ350Rのカタログでは、「エンスージアストに捧ぐ」ってフレーズが忘れられない。
そんな文言を見て思ったのは、乗りたいけど乗れないという遠慮が働いた時期があったのは確かだし、購入する時は、自分なりに経験を積んだという自負の上で判断したものである。
それゆえに、今の単車や自転車で選ぶ部品にしても、たとえば、街乗り、娘とサイクリングメインなルイガノMVFでは、オールSORAで構成しているのだが、間違っても、オールDURAは考えられないし、仮に、そうすると却って格好悪い気がする。DAHON系の改造車も然りだ。レ・マイヨWもそうだ。オ・モイヨWWなんて言ってるのは、自分自身、半分ギャグで遊んでいるのであり、そんなオモチャ、トイにDURAなんてオコガマシイのだ。機能を満たせる最低限度で十二分!って意識が強い。そうなると、やはりコンフォート系となるし、どんなに良くても105以下かな?という判断が働く。
一方でしっかり踏むようなピスト系の場合は、相応な部品ということで、やはりDURA系を中心に選ぶのである。
この考えは、モノの作り手に対してだけでなく、モノを託してくれた人に対しても思う事。
例えば、ショップで頂いたレイノルズ531の小林ロードフレームは、やはり、フレームに相応しい使い方、それに見合ったパーツ構成で、くれた人が託して良かった!って思って頂けるようにしたいと考えている。
実際、今回レストア中のシルクピストでも、自転車の作り手、自転車をくれた人、それを仲介してくれたショップの皆さんが、自分のところに行って良かったと思えるような処置を施して生き返らせて使いたいと思うのである。
勿論、自分がモノを見て、それをどうするか?を決めるかどうかは、自分の趣味、嗜好次第なのは言うまでもない。
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