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2009年7月 3日 (金)

悪魔を飼っていると言われる理由は?

 峠で遊んでいる時代から、ツーリングで峠モードで走っている時から言われた言葉、後走ると転けるとか、恐いとか、、、何故に?って考えてみた。別の人の言葉では、背中が誘っている様に見えるからとも見えるらしい。

 何故だろうか?ツーリングの際にはツアラーバイクを使う。峠を走っていた時も、時代の最先端とは異なるモデルを選んでいた事が多い。装備的には抜かりはないが、決してレプリカツナギなんかは着ない。
 後は、、、、そういえば、『○○さん、ブレーキランプが壊れているよ!』って言われる事も多いが、実は、ブレーキランプを付けない様に走っているだけで、停止時には壊れていない事を見せる事も多い。

 その理由、、、、、そう、先頭を走る事が多いけど、万が一を想定して自分的には余裕十分で走っているつもり、何があっても対処出来るをモットーに走っている。つまり、背中には自分なりの余裕が現れているのも事実。
 それ故に、後続車は付いていけると思うのも解らないではない、、、、、

 自転車でも然り、ロードバイクで走る人が多いコースにロードバイクで走る事はまず無い。基本は小径車、或いは、怪しいピストだが、基本は普段着である。普段の靴に普段着という出で立ち。勿論、抜く時には笑顔をセットで吐く息を乱す事もない。信号で停まって肩で息することもない。何よりも安全第一、余裕の確保が大前提である。

 自転車でも単車でも、兎に角余裕が重要。そして、それは傍目にも通じる筈。余裕というのは、第三者にペースを乱されないということ。速い物体に遭遇しても放置する。逆に、遅い物体を見ても対応は変えない。周りがどうでアレ、第三者が視界に入ってきても、自分のペースは一切不変である。徐々に近づく前走車も居れば、アッという間に近づくモノも居る。関係無いのだ。

 ペースを変えないし、態度も変えない。影響されないのだ。これはどうか?っていうと、背中に表情があるとすれば、速い遅いの尺度とは別の自分にとって一番快適な楽な状態を維持しているが故に、余裕が無い様には見えないだろう。

 多分だが、そういうのが癪に障るというか、生意気に見えるというか、誘っている様に言われる理由かな?とも思うのである。その余裕が人によっては悪魔に見えるのかも知れない。基本はクールな笑顔で息を乱さない。熱くならないのが公道での安全確保の必須条件だ。

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