自然体
最近の記事で、不自然への拒絶ということで、サプリとか外科的施術による減量に否定的な意見を掲載したり、昼休みの過ごし方で思うところを記事にしたりした。
そこで、考えたのは、人間、自然体が一番ではないか?ということ。勿論、自然体=自堕落な生活ではない。自然体っていうのは、生物としての生活環の中で、状況に応じた生活ということ。
不老不死を望む。これは基本OKだが、果たして、不老不死=若い時期のパフォーマンスを維持する事か?というと、これはチョット違う筈である。絶対的に加齢という不可逆な変化を伴っている訳であり、その加齢変化に応じた過ごし方と獲得(維持)すべき能力っていうのがあるのではないか?ってこと。
誕生して成長して老化して、、、っていう輪廻が掟のようなものであり、その過程毎の自然体っていうのが一番重要な気もする。確かに、発揮しうる機能の低下は緩やかかも知れないが、低下しているのは紛れもない事実。それ故に、過去と同じ事が、今、将来に実現出来るか?というと、実質不可能と考えるべき。
出来る事は?っていうと、段階に応じてベストを生み出す組み合わせを変えるというようなモノであり、例えばプロ野球の投手が速球派から技巧派に変えるようなモノ。速球派に拘り、そのための強引な取り組みを続けたとしても、望むモノは手に入れれないようなモノ。
結局、時代なり、レベルなり、自分なり、老いの程度なりに、自然体で過ごすのが一番ではないか?ということ。
コレを更に広義に言えば、生活環境なり、経済力なり、、、、そういう風にも言える。そして、自然体っていうのは、生活する上で行う行動の何かに無理を強いないっていうこと。つまり、億劫にならない範囲で、緩く過ごすのが一番良いのでは?とも言える。
あまりにも不自然で、一時的で、外的な力で健康や減量を実現するなど以ての外だが、如何に、運動と食生活だけと言っても、未来永劫持続的に行えないようなカリキュラムも続く筈無い訳で、続けれない方法で一時的な結果を得たとしても、それも或る意味不自然な結果といえる。
一番重要なのは、気が付けば減量、いつの間にか健康っていう風に、意識する事無く無意識の内にそれを得るというのが一番大事なのではないだろうか?
無意識、自然にっていうのは、結局は価値観を変える事であり、価値観が変われば欲求の優先順位が変わる。そうすれば、自然と変化していくのではないだろうか?
自分に置き換えてみると、今やっている事は、少なからず無理があるなぁと考えている。つまり、そんな無理強い感が消えるようなリズム、或いは、その無理強い感が無くなるような考え方を見出す事が長続きの秘訣かな?と考えている。
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