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2009年7月12日 (日)

通勤途上災害

 エコとは関係無しだろうが、殆どが燃料代節約だろうが、そのために単車通勤に切り換えたり、+αとして健康目的で自転車通勤に切り換えた人が多い。

 それと共に増えているのが、二輪車の通勤途上災害だ。

 災害が発生すると、災害対策を行うのが企業の常、、、、その内容は、物的原因がどうだ、人的原因がどうだ、、、、と原因対策を行っている。それで原因の究明、再発防止の方法を話し合っている。

 でも、、、

 そんな災害はハッキリ言って減らない。

 減らないと言うよりも、事故を起こす奴は、何乗っても事故起こすし、何しても注意力欠如、理解力不足で、失敗を起こす奴が多い。

 だから、よく起きる事故のパターンがあって、絵に描いたような事故が無くならないのだ。

 そもそも、日常行動の中でパターンが定形化されている事は無い。似ているようで常に変化している。そんな中で定型的な対策が話し合われたとおりに実践されるか?というと有り得ない。

 事故を起こす奴、事故の被害に遭う奴が決まっているのは、起こすような行動パターン、視界の範囲、危険の察知能力によるものなのだ。その範囲でしか見えないから、対応出来ない。

 以前、背中に悪魔・・・・って記事を書いたけど、同じだ。安全確保に考えるべき要素が足らない。即ち、簡単に予想外になる。それで、事故に突き進む。当然の結末だろう。

 事故、災害対策にしろ、研究開発、運動の練習にしろだが、言えるのは、定型的な対応で済めば誰も苦労しない。定型性を求める奴は即時対応が出来ない。そんなものなのだ。

 だから、事故対策が全くの無意味とは言わないが、その対策の内容が過去のトレースと事故の起こる根元を探るような議論が行われなければ全くの無意味なのだ。つまり、危険を感じる予知能力というか、そういうモノを養うには何が必要か?を議論しなければ、多分事故は無くならないだろう。

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