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2009年7月22日 (水)

オイラは鑑定団

 自転車を絵画とか、壺とかと同列に考える傾向がある。
 オタク?、、、、マニア?、、、、チョット違うような、昔でいう盆栽好きな爺さんみたいな感覚だろうか?骨董趣味とでも言おうか?骨董品収集家、何でも鑑定団的なノリである。

 性能云々というよりも、歴史とか、作り手とか、そんなモノの背景から併せて触手が伸びる様なところ。

 例えば、フレームなら(と言っても、その違いは判らないけど)、レイノルズ531のマンガンモリブデン鋼だったり、或いは、引き抜き感に非ず、電包管で国産初のクロモリダブルバテッドの海野のD2×D2(デーバイデー)とか、、、、ボカマのラグとか、カンパのエンド、ゼウスのエンド、、、、、をメイド・イン・ジャパンでってモノが好みと拘ったり、、、そんな部分。

 そういう訳で、機能、性能を超越した所で、小林フレームとか、シルクのフレーム、BSのオーダーフレームが好きだったりする。

 特に、この骨董趣味的な部分では、材質、要素よりも何よりも、一案重要なのは、何処で作られたか?どのレベルの目的で作られたか?という部分。それが感じられるような要素が在るかどうか?これが関心を持てるか否かの大きな分かれ目である。

 なんでこんな事を書いたか?っていうと、、、、、最近は自転車ブーム、特に、ロードバイクブーム、ピストトレンドで、そんな傾向のモノを見掛ける事が多いのだが、自分の70年頃のシルクフレーム、80年頃の小林フレーム、90年頃のBSフレームは何れも良い!って思うのだが、似た様なフレームでも全く関心の湧かないフレームも多い。

 一番手は、最近流行というか最先端?のカーボンモノコック系のフレーム。確かに軽いし、見た目レーシーで速そうなのは理解できるけど、この系統のフレームは自転車ならでは!の感覚が持てないのが頑固オヤジ的にはNGだ。
 自転車ならでは!って感覚とは、一台ずつ乗り手に併せるオーダーメイド感覚とでも言おうか?少なくとも、人種への適合度は重要という意味で考えると、世界市場を見たカーボンモノコックフレームは、その成形型の段階で日本人向きに作られているとは言い難いという部分で、関心が一歩遠のくのである。要素、構成、素材、、、そんな数値的には抜群なのは否定しないけど、それが使える構成か?理解できるか?という部分でチョイ退きとなるのだ。
 鑑定団的には、収集の対象は工芸品であって、大量生産品では無いのだ。

 二番手は、小さな工房等で手作りされたスチール製品でも、それが作られる段階の意志というか考えがコストダウン一本槍なモノ。値段が高すぎるのも今一だが、安すぎるのはもっと今一。安いって言っても限度がある。限度を超えた安さは、、、、モノの作られる目的に価格破壊が第一となるのは、犠牲としているモノが多すぎるのでは?と思ってしまう。仮に、機能的に十分であっても、作り手の想定する乗り手があまりにも懸け離れるのは、正直、機能的に相当に関心が引きつけられる何かが無い限りは厳しい。
 例えば、最近はシングルスピードバイクが流行である。2006年当時っていうと選択肢は限られていたが、今や選び放題。選び放題になると価格的にも相当に幅がある。そんな幅で見掛けたのが、『踏力』ってブランドのシングルスピードバイク。現車を見たのだが、どうも欲しい!っては思えない。そんな印象。悪いところがある訳でない。見た目貧相な作りが自分にとって不足とは言い切れないのだが、販売の段階で安さを前面に売り出しているという段階で、それ以外が考えられていないのかな?って判断してしまうのだ。

 骨董品収集オヤジ的には、モノを買う時、モノ自体というよりも、モノを作り出す人、メーカーの意志が感じられるモノに拘っているとでも言おうか?モノを通して、作り手と考え方が共有できるような、そんなモノを所有したい。それが骨董品収集家的に、工芸品が好きな印象に繋がっているのでは?と考えている。

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