過保護と過期待
大雨洪水警報が発令されると、小学校は自宅待機になるんだそうだ。
今の時代、連絡網が携帯Eメールでやってくる。
それによると、警報が発令されると自宅待機、そして午前11時時点で解除されたら午後から授業、解除されなかったら休みとなる。
こんな事、昔は無かったけど、、、、凄いモンである。
これを過保護と言ってはいけないのだろうが、違和感を感じる。確かに、大雨で行方不明なんてなれば洒落にならないけど、其処まですべきか?というのは、、、、大雨洪水警報でも冠水のリスクの無い経路を選べば済むような気もする。
昔を思い出すと、大雨で側溝を水が凄い勢いで流れている時は、色んなモノを流しながら、それを追っかけて学校に通っていた記憶もあるし、大雨とはどんな状況?を肌身で感じながら過ごしてきたようにも思う。
それは、そうと、我が家の娘は1年生だが、同級生は凄い多くの習い事をしているらしい。で、我が家は?っていうと、まともな習い事は一切無し。少なくとも、塾系の教育は皆無である。公文、そろばん、いろいろと有るけれど、どうだって良い。特に学習塾関連は、通わせない方が良いかな?と思うのが正直な意見である。
大体、受験とか学習とか、それで行う事っていうのは、通常のカリキュラムに先行するだけの教育も少なくない。別に、早い時期教える必要があるの?という気もする。
暗算、計算が速い、、、、それにしても違和感を感じる。何故ならば、確立された手順を覚える事でトレースするだけの話。言ってみれば、慣れやすい時期にやれば慣れるだけの話。慣れた結果が計算の速さかもしれないが、それが何に役立つか?というと、正直どうでも良いように思うのである。
塾関連での印象は、結局はテストで高得点、受験で有利というのがターゲットであり、そこに価値観が持てるかどうか?なんだろうが、表面的、点数的に高い点数がエライか?というと、どうでも良いのである。
自分の意見としては、例えば、計算にしてもだが、人に聞いたやり方を高速トレースして答えを出す事よりも、そういう事を知らないでも、子供のレベルなりに自分の出来る方法を駆使して速く計算できる方法を探り実践する能力の方が遙かに重要と思うのである。
トレースは、何処まで言ってもトレースであり、独自発想とは異なるモノ。大事なのは、成長毎に身に付けた知識を組み合わせて生む発想力であり、それは、自発的な体験を積み重ねさせる生活を如何に与えるか?が重要な筈である。
親から子への遺伝とは、親の日常行動を子に見せる事。そこには親の工夫が有るはずだが、それを無意識に見るのが子への伝承だと考えている。
何でも、人任せな親を見る子は、そんな大人になるだけだ。色んな工夫で対応する親をみれば、そういう方法もアリか!を自覚して、自身がそういうトライを行うようにモノを見るのが子供の成長だと考えている。
結局は、親が子供に期待を掛けすぎるのは、自分の過去の後悔から期待を子供に託すということで、一族の伝承という面では、過期待以外の何ものでもないのだ。
期待せずに自分のありのままを見せて、後は子供次第でほったらかす。これが良いように思うのである。
小さいから刃物を遠ざける、、、なんて事はしない。1歳でもハサミを持ちたければ持たせる。今や、危険な遊びも笑いながらやっている。6歳児と2歳児が家の中で二人乗りしてバランシングバイクで暴走するのである。自分的には理想なのだ。
仮に塾に通わせるとすると、少なくとも点数重視の塾はどうでも良い。科目に潜む本質、科目の存在理由をそれと無しに伝える事が出来る塾にしたい。
自分の眼で見た限り、そういう塾は存在しない。敢えて言えば、自分で起業して経営していた塾程度かな?というのが偽らざる感想。それ故に、将来は塾を初めても良いかな?と思う今日この頃である。
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コメント
びっくりですねぇ、、、、ホント。
昔は大雨の中を通学するのが冒険的で楽しかったような機がしますが、今は警報=休校なんですね。
自然の厳しさを含めて体感し、体験を積み重ねるのが大事だと思いますね。
投稿: 壱源 | 2009年7月14日 (火) 00時11分
今時は、大雨洪水警報で自宅待機とかがあるんですね。ちょっと過保護過ぎのようでおどろきです。
温室野菜みたいな育て方より、雨・風に打たれ、雑草の様にたくましく育てる方が子供の為にはいいような気がします。
投稿: カジバ | 2009年7月13日 (月) 22時06分