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2009年7月13日 (月)

進化

 一般論として思うこと。特に工業製品について。

 それは、新しく、グレードが高い物程、優れているということ。反論も多いだろうけど、多くの人が携わって世に出す物。その物の生まれた経緯を考えても、やはり、新しい物程優れている。物が性能を求めて進化する限りに置いては、退化したものは世に出ない。それ故に、新しい物が絶対的に優れている。

 そんなもんである。

 自身、ラグドフレームが好きとか、レイノルズ531が好きとか、シルクのユーテクティック工法に感心するとか、、、、或いは、ビッグ2ストロークが好きとか言ってるけど、何だかんだ言って、同じ価値観にある現代の物と比較したら、絶対的に勝る部分なんて何一つ有り得ないと断言できる。

 過去に名声を得たモノとか、過去の名品と呼ばれる物は、生まれた時点において他の追随を許さないモノだったかもしれないが、それが現在迄他の追随を許さないか?というと、絶対に有り得ない。
 単純に機能や性能を追い求めるならば、過去の遺物なんて選ばない。機能や性能といった数値、仕様で判断するならば、進化の過程で消えた物は生存競争に敗れた物であり、そういう意味では価値は無いと言える。

 同じクラス(グレード、シリーズ)のモノならば最新程機能的には優れている。但し、クラスが異なるモノに及んで、新しいモノの機能が優れているかどうかは言い切れない。それでも、世代が大幅に違えば、最新の廉価と20年前の最上級では最新の廉価の方が機能的に勝る可能性は大いにある。

 ただ、それでもガンマの500とか200とか、、、或いは、レイノルズ531で組まれたフレームとか、小林のロードとか、BSのロード、シルクのピストに乗ろうっていうのは、選ぶ尺度が性能や機能という部分に無いからだ。パソコンでも然りだ。デジカメでも同じである。

 そりゃぁ、性能的に優れた機能を提供してくれる物の方が良いのはあるけど、自分自身、本職プログラマーでも、写真家でも、モーターサイクルでレース活動したり、自転車競技に命を掛けている訳でもないのだ。それ故に、性能や機能に究極なんて求めていない。性能なんて二の次なのだ。必要なのは、物の使い方に見合った物であると同時に、選んだ物の機能や特色が、その時代の必然性とか作り手の思想が見えて、それを具現化しようという、その時代における作り手の拘りが感じられるモノを所有したいというのが、物選びで大きなウエイトを占めている。シルクのフレームのユーテクティックって工法に掛けるメーカーの思いに惹かれるが故に所有したくなったり、ガンマであれば当時のスクエア4が生まれる時代背景から含めて、そのレプリカが欲しいと思ったりするのだ。

 自分の場合、実用色(工作自体に楽しみを見出したり、街乗り)を優先する場合は、求める要素に満足できる機能であれば、それで良しという選択をする事が多いし、趣味性(所有欲、思い出覚醒マシン)が強い場合は、求める要素はモノの機能以前にモノの生い立ちや歴史、勝手に想像する作り手の意識で共鳴出来るモノを要素に選択する事が多い。
 単車ならば、ガンマ500、CX、グースは趣味性で所有しているし、ガンマ200、SV650S、その他原付類は実用色優先で選択している。自転車ならばシルクピスト、小林ロードは趣味性で選んでいるが、他のバイクは用途に応じた実用色優先で組んでいる。
 勿論、どれがどっち!って白黒的な分け方でなく、それぞれのモノの各部毎に、或る意味どっち?的要素でモノ選びを行っているのは言うまでもない。

 小林ロードなんて良い例。目に付きやすい所はビンテージパーツ、しかし、実際に使う部分(クランク、ハブ、リム)は、風合いが昔風の今のパーツで構成というパターンである。

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