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2009年7月30日 (木)

○○なりに、、、、

 この記事は、健康を維持する上で、環境なり、年齢なりに無理せず、自分なりに自然体で過ごすのが一番大事って記事を書きながら思い付いた記事。

 結局、何事も、無理してはダメである。背伸びは禁物、背伸びするから破綻する。格好付けるから体裁を取り繕う。見栄を張るから嘘を付く、、、、そんなモンである。

 考えてみれば、どんな世界の事も分不相応な事が破綻に繋がるのである。この分相応っていうのが実は難しい。ってういのは、社会にしろ、国家にしろ、何でもだが、構成要素は個人であり、個人の意識事態が分相応という頃合い以外で取り組む人が多いから、色んな無理や事故、事件が起こるのである。

 企業を見渡してもそうだ。自動車会社のクレーム隠しもあれば、機械製造業なんかでは組織ぐるみで成績数値の改竄が行われているのは至る所で見て取れる。このような企業姿勢も結局は、顧客や社会に対して優秀さを過度にアピールしたがために迫られる行為に過ぎない。本来、有ってはならない事だが、これが日常的になっているのが現実なのだ。本来、品証部門等は、その正当性チェックが役割だが、現実は如何に嘘を隠すか?のギミック追求が役割となっており、いつの間にか、顧客や社会に向けて宣言通りのモノを納めるという本質が、納める時に如何に喜ばせる(騙す)かに変わっているのが実状だ。

 このような風潮が何処彼処で見られるっていうのは、やはり良い格好をしたいがために迫られた結果である。つまり、分不相応な事を望んだがために迫れる事。勿論、構想段階では優れた性能を求めた取り組みを行っているのだろうが、結果として、理想を追いきれないっていうのは、組織として組織の分不相応が読めない結果と言える。

 大事なのは、最終的には個人が自己及び周辺を見て、冷静に自分のレベルを認識することで、客観的に自分が見れるかどうかなのである。自分を外から見れる客観性、一寸前の記事に『鳥瞰』って記事を書いたけど、正しく、そういうことなのだ。

 そして、どんなに背伸びしても、どんなに取り繕っても、最終的には無理は通せないのが世の常なのだ。結局は、行ってきた行動の結果が現実の解として現れる。そういうモンなんだろう。或る意味、どんな結果であれ、結果は過去の行動の因果から生まれたモノなのである。

 丁度、一ヶ月後に衆議院の総選挙がある。巷では、政権選択選挙といっているけど、自分的には以前の郵政解散のような選挙とは異なって、どうでも良いかな?って思うのが正直なところ。
 どんな結果であれ、その結果は、ここ数年の日本社会の歩んできた流れで定められた結果になるのであり、そういう状況がどうなるかは知らないが、そうなった時に、それに応じて考えればよいという程度の関心だ。

 気分としては、今の問題の全ては自民党政治の責任であるのは100%間違いない。勿論、今の繁栄もそうだ。その相殺の結果が良いか悪いかは人の判断だが、その総合の結果全てが自民党政治の責任というのは、間違いない。

 政治が変われば社会が変わる。価値観が変わるのは事実だろう。その事実が、今より良いか悪いか?は今の状況を良いと判断する人から見ると嫌だろうし、今に不満を持つ人から見ると期待を抱くだろう。
 言えるのは価値観の異なる政治が始まれば、その時代なりの利点、欠点が新たに見えてくるだけなのだ。今思うのは、日本を取り巻く環境が激変し、国際的な地域の役割も大きく変わっている。そういう変化に対しては、変化する方が良いかな?という思いがあるのは事実だ。

 しかし、その新しい体制も恐らくは相当に不安定な体制だと想像できる。自民党が過半数を取ることも考えれないが、民主党が単独過半数を取る想像も出来ない。ただ、ここ数年の政治状況、経済状況に応じた体制が生まれるのは確かだろう。それが必然なんだろうが、その不安定な体制は暫く続く筈。これからの数年間が新しい価値観に移行する時期なのかもしれない。その不安定な時代の中では、従来の体制で辛うじて背伸びや虚構が通用してきた企業を大きな洗礼を受けるのでは無いだろうか?

 何にしろ、過去の積み重ねが現代、そして未来となる。心地よい未来っていうのは、現在進行形で自然体で取り組む事のように思う今日この頃。

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