品定め
二輪車に乗っていると、幸か不幸か知らないけれど、挑発を受ける事がある。
挑発を受けて、それに乗るかどうか?は時と場合によるけれど、少なくとも、挑発を受けた時には、100%、相手を伺っている。
それは、実際の様を見て、それがどうか?どのレベルか?を見ているのである。
判断基準は、自分の価値観や方法論で、自分以上の能力かどうか?を判断しているのである。相手の能力が、自分主体の方法論で見てから、必要な資源(スキル、体力)が相手に備わっているか?を判断するのである。
その判断の尺度は、あくまでも自分の物差しだが、自分の物差しで相手を測って判断するのだ。
勿論、方法論には色々で、自分の物差しが正解とは限らないが、状況的に挑発を受けた場合には、自分の物差しで相手を自分で分析するのは極当然の事だ。
自分から見て、相手が速いか遅いか?上手いか下手か?は、自分の尺度で必要な要素のレベルが高いかどうかで判断している。そして、自分の目で見て、オーラというか雰囲気を感じる人っていうのは、自分の判断基準で見て、凄いな!って思う人って言う事なんだが、最近の傾向では、挑発してくる人っていうのは、殆どの場合で、『コイツ、無理してんなぁ、、、』って見下す事の方が多い。勿論、その判断は自分の物差しであり、絶対的に正しいモノとは限らないのは当然だ。
一寸前にも、自転車や単車で上手い人は、見た瞬間に判る!って記事を書いた事があるけど、見た瞬間に判るっていうのは、風貌や機材に見合ったリソースがスキル的、体型的にあるか?を瞬間的に判断しているということなのだ。
感じ悪い話かもしれないが、品定めみたいなもの。
挑発に対する場合の、応答の判断も同じ様なモノ。これって、鮫が獲物を襲うかどうか?を判断するのに獲物の回りを回って泳ぐのと似た様なモノなのだ。
そういえば、単車にしろ自転車にしろ、挑発を受ける場合と受けない場合がある。受ける場合は、殆どが低レベルで遅遅な人ばかり、受けない場合は、こっちから見ても雰囲気のあるサイクリストとかライダーとかの場合が多いような気もする。
そういう雰囲気をお互いに感じれれば、無用な挑発は生まれない。しかし、そういう雰囲気が読めない奴は、判らないから挑むという行為に出るのかな?とも思う。
結論、、、、品定めしてしまうターゲットっていうのは、挑発してくる奴。そういう奴は、挑発することで、多分、自分のレベルを判断しようとする奴ばかり。自分のレベルの判断を自分で出来ないから他人で判断する。自分のレベルが判断出来ない奴は、自分の資源が見えない奴。そんな奴に優れた奴なんて多分居ない。
最終結論、挑発するやつ、直ぐ挑む奴、、、、、そういう奴は下手くそばかりだろう。
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