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2009年7月27日 (月)

入手形態と愛着度

 自転車、単車に限った事でなく、デジカメでも、パソコンでも言える事。別に物欲しそうにしている訳ではないが、結構、モノを貰う事が多い。

 ただ、何でもかんでも貰うって事は無く、断る事も多い。貰う場合は、自分でOKサインが心の中で発令されないと有り得ないのだ。ただ、心の中で発令されたとしても、実際、自分で金銭という対価を払って手に入れたかどうか?で、自分の中でのモノの位置は異なっている様に思う。

 まぁ、よく言う表現では、苦労して手に入れたモノには愛着を感じるって誰もが言うような感じで、労せずして手に入れたモノは、扱いが荒くなるって感じにも通じるように思う。

 ただ、自分としては、貰ったモノでも、その物が欲しい!って意志が無いと貰わないけど、貰ったというだけでは、どうしても前述の扱いの荒さが出かねないと思い、そのモノに時間、手間、経費を敢えて掛ける場合が少なくないのである。掛けるモノを物理的な表現で、時間、手間、経費というだけで、実際は、それに対する気持ちを入れるという事だ。

 気持ちを入れて愛着を持てる状態にすることで、その物が自分のモノに変貌する、、、、そんな考えである。それ故に、自分のモノに変貌したものは、ずっと持っておきたいという事になるのだ。
 だから、人によっては、行っている事に????って人も居る。例えば、シルクのピストに塗装だけで数万円以上を掛ける、、、、、それなら、今のフレーム買う方が高性能で安上がり?って言う人も居るけど、そうでないのだ。貰うと決断した段階で、損得とは別に、そのモノの背景というか歴史を含めて決断する訳で、その背景が引き受ける決断になっており、そこにはコスト的な計算は含まれない。それ故に、結果的に割高になったりするのである。
 こんな考えは、趣味全般に言える。欲しいから手に入れる。手を掛ける。そこに計算は無いのだ。理由は、趣味だから。趣味に損得勘定入れたら楽しく無くなる、、、、そんな考えなのだ。

 但し、こういう考えは少数派かな?とも思う。実際、モノの評価、購入判断に大きく影響するのは、価格であったりするし、取り敢えず、用途が合えば、貰えるモノは貰って済ませるって考えの人も多い。
 チョット違うかも知れないが、何かを買う場合でも、何が良いか?買うべきか?の判断を自分で下さず、他人の意見、メディアの情報で判断する人も多い。

 そういう人達は、モノを選ぶ段階で、自分の強い意志というものが見えない。選んだモノに必然性があるか?っていうと、そうでなく、それでも良いから使おう!ってパターンだろう。
 過去のブームの隆盛衰退を見ると、衰退する理由っていうのは、ブームを作る人にホントの所で意志が無いから、、、、そう思えるのである。

 まぁ、人の事はどうでも良いのだが、自分でモノを決める時、自分が所有することで喜びが感じられる何かが見抜けるかどうか?を考えているのが常だ。そして、その判断に一番影響の大きいのは、自分がモノを使う状況で、ものが十分かどうか?そして、そのモノの作り手の考えが何となく読めたと感じる事なのである。

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