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2009年8月 2日 (日)

選択

 昔、単車で競技をする時に乗っていた車種は、どうやって選んだか?を振り返ってみた。最初は、価格的に手頃って部分が大きく、その後年数を重ねると、、、、、巷の評判とかよりも、自分の意志で選んだ好きなモノって方向に移ったように思う。

 自分の選んだ物っていうのは、自分の考えに合うか否かの話。或いは、相性のようなものだったりする。結局、モノに対して信用できるか?信頼できるか?という事で、信用出来るには、モノがどうか?が重要だったと思う。

 信用できるかどうか?は、自分の視点でモノの様が納得できるかどうか?であり、それは人それぞれであり、視点に差異は在っても優劣は無いモノである。

 自分の場合、モノの整備したのは誰か?何処の誰が作ったか?どんな目的で企画されたか?というような点を重視しており、モノの様から、それに携わった人の気持ちを想像(妄想)して、その印象を自分なりに大事にしているのだ。

 単車の整備では、自分が納得した人以外には触らせたくないし、単車のカスタムでは自分の認めた?ショップ以外には行わせない。勿論、メンテやカスタムのレベル次第だが、そのレベルに応じて、誰なら何処まで任せるって部分が或る。
 自転車でも同じだ。自分しか出来ない部分は自分でやるし、自分が任せれると認めた所には、その範囲でお願いするが、自分から見て、コイツは信用出来ないと思えば、一寸した事でも任せたくないのである。

 物選びでも然りなのは、再々記事にしているとおりだが、モノの機能を生い立ちから、何のために(何処で、どの様に使われる事が想定されたか?)存在するかを考えた上で、その想定が自分の用途に合うか否かが重要なのである。

 いわば、モノの格っていうのは、携わった人の考えというか格次第という頭があるのだ。

 そのように、人によって考えは様々だが、その思想が一致した時に、モノに対して愛着が生まれ、モノを信じれる状態となる。単車でコースを走る。そこで攻めれるっていうのは、モノとの信頼関係が重要だと思うのだ。
 他にも、競い破れた場合でも、モノを信じた自分が前提なら、納得出来ない結果は自分の至らなさと判断する方向に向かうものである。

 趣味としてモノと付き合う場合、やはり大事なのはモノに対する執着心というか、モノとの信頼関係であり、それを築くには、何はともあれ、自分の考えでモノを選んで、モノを扱うという事かな?と思う今日この頃である。

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