選挙迄一週間だ、、、
この度の選挙は何かと話題が多いのだが、実は、マニフェストとか、党首討論とか、、、そんなのは殆ど見ていないのである。通常では、関心を持って見るのだが、今回ばかりは、実は見る気が起きないのだ。
勿論、関心が無い訳ではない。敢えて言うならば、選挙前アピールを見る事に意味が見出せないからとでも言おうか、、、、、今迄、見ても、その通りになったか?というと、かなり怪しい。見るだけ無意味とでも言おうか、、、、だから見ない。その判断基準は、やはり政府与党だが、与党だけがマニフェストの実行権を持っているが、その権利を行使してマニフェスト通りの社会が出来てきたか?というと、やはりNGとしか言いようが無い。それ故に、マニフェストというのは絵に描いた餅に過ぎず、これは野党についても同じ人間故に同じ事だろうと思うのだ。つまり、マニフェストと言えば聞こえは良いが、それは選挙運動時の演説ストーリーにしか過ぎない印象が強すぎて見る気にならないのがホンネだったりする。
しかし、既に投票行動はどうするか?これは決めている。覆らない。前回選挙から今回選挙の中で、政権与党の政治運営の仕方が根本的に気に入らないので、与党には入れないだけである。そもそも、前回選挙の論点は郵政改革か否か?であり、その目的が達成出来て総裁が替わった時点で本来は選挙が行われるべきだった筈だが、その圧倒的多数で議論が尽くされたとは言い難い状況で、強権的に政治運営された様に、チョット恐怖心を感じたのが理由である。
議会制民主主義において必要なのは、議会であり、議論である。議論が行われない勢力分布というのはナンセンスであり、議論が行われるべき数の再分配が必要と強く感じている。
敢えて言うならば、理想は、政党の連立は認めず、単独過半数を認めないような分配こそが健全か?と思うのである。議題毎に多数を占める党派の賛成で物事を決するような仕組みが一番理想的と言える。
そういう意味で、絶対多数も、安定多数も不要。今回の選挙では与党が過半数を得るのは難しいかも知れないが、野党民主党勢力も過半数を得るとは考えにくい。そういう意味では、議論をもって政策が決定される健全な国会勢力が生まれるか?と期待している。議論無くして、世界の潮流に対応は出来ないだろう。
今の日本の世界における立場は、政治的にも経済的にも大きく変化している。国内の国民性も、一寸前の『バブル世代』と『おゆとり様』ではないが、影響力を持つ層も変化している。そのような変化に対応できる柔軟性が必要であり、柔軟性とは議論から生まれるモノである。議論が尽くされる土壌こそが重要なのだ。
今回の選挙で望むのは、従来体制からの変化である。兎に角、一度、変わるべしっていうのが希望なのだ。それ故に、従来体制の延長線上にあるような政権は望まないという一点が決定事項なのだ。これは、与党を否定するものでなく、特定勢力の圧倒的多数による議論の軽視体質を否定しているのである。記事的に与党を否定しているように見えても、最近の与党政治の数による強権体質を否定しているだけである。
政権がどうなっても構わないが、経済環境、国際環境が変化する中で、国民の意識が政権を変化させる事ができるかどうか?それに関心がある。そんな感じだ。
キーワードは、、、、、『変化』である。変化とは知識や意見の集約からもたらされるのである。そのために重要なのは、議論だと思うのだ。議論されない体制でなく、議論が必須となる体制への変化を望むばかりである。多数決の論理であっても、野党、少数意見というものが存在するのが現実、その少数意見を如何に反映させるか?が本来の与党の甲斐性な訳で、それが無かったのが今迄の政権運営形態であり、その運営の在り方からの変化を望むのである。
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