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2009年8月31日 (月)

誰がどうした!

 良く聞く言葉、それは、誰がどうしたから、俺も、、、、ってフレーズ。此処で言う誰っていうのは、競技の世界なら有名な選手だったり、或いは、ネットの管理人であったり様々だが、誰がどうしたの誰っていうのは、案外定まっていないもの。

 誰がどうした、、、そういう情報は有用なモノもあるかもしれないが、誰がどうしたから、自分もどうするってなると、それは、確定的に結果が得られるの?って思うと、疑念の方が大きいのが現実。

 でも、殆どの人が誰がどうした!に惑わされている。

 ランスが90回転だから、おいらも90回転!とか、誰々がコレ付けて優勝したから、オイラも付けるぜ!とか、、、、そういうのが目茶多い。

 笑っちまう。

 誰がどうした!って部分で多くの人がトレースするのは、誰が何つかったとか、どんな事したとかの、表面的な部分だけだ。表面をトレースして同じ結果を得られると思う奴が居るとすれば、チャンチャラ可笑しい。有り得ない。

 真似する奴は、憧れの対象である『誰』と、同じモノ、同じ経歴、資質を持っているとでも思っているのだろうか?それとも、真似たり、装備を揃えただけで望む結果が得られるとでも思っているのだろうか?絶対に有り得ない。

 形から入るっていうのは否定しないが、形から入るばかりで、結果が得られないと、別の形を求めるっていうのは、思考の流浪である。
 形から入るのは普通だ。でも、形から入っても望む結果に得られないのに気付くのが普通。そして、普通の人は、そこで形の意味を考えるのだが、そういう考えのパラドックスの深さに嵌る人が趣味人となって長く世界に留まるのだろう。
 しかし、形から入って結果を得られないのを繰り返す人は、繰り返す程に結果が得られない事への苛立ちが蓄積し、いつしか世界から離れるものだろう。

 最近思うのは、形から入って過ごすという過ごし方を繰り返す人っていうのが、考えて奥に進む人より増えたのかな?って印象。これは、単車でも、自転車でも、或いは、研究とか開発といった業務でも感じる事。トレース志向が強い人がとても多いように感じる。でも、トレース志向では、トレースするモノが見出せなくなったら、行動の行き先を失うモノ。すると、結果、その世界から離れていく。

 最初の一発目こそ何事でもトレースするのは大事だが、トレースするのが目的でなく、トレースすることで、トレースしたモノが何を目的に見出されたモノか?を見抜くことが目的なのを本能的に気付いている人は少ないようだ。

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