裁判員裁判
裁判員制度の運用が始まった。
悪くない制度だと思うけど、量刑を決めるのは非常に難しい。量刑を決めるのに、事件の背景が影響するからだろう。
しかし、今の社会、背景が剰りにも複雑な事件が多いような気がする。
先日、母親が惨殺され、娘が拉致された状態で逃亡の果てに沖縄で捕まった事件があった。事実だけ見て、被害状況のみから量刑が決まるのなら問題無いだろうが、その背景が量刑に影響するとすれば、一体どうなる?って考えてしまう。生き残った被害者と加害者の接点、その最初が出会い系サイト、その後、同棲、、、、、そして破綻、破綻後のストーカー行為、、、、これって痴話喧嘩の延長とも言えるし、最初の接点が、そういうリスクを持つ部分で始まっているという現実。これを素人が判断するとすれば非常に難しい。
似た様な事件では、耳かきで月40万円を貢いだ男が押し入った犯行っていうのも、背景を理解するのは非常に難しい。耳かきが商売になるってのも驚きだが、そんな商売での人間関係も普通では見えない世界。そこで何があったか?そんな事は判らない世界故に、その背景を量刑に反映するのは至難の業だ。
事件では突発的、衝動的なモノもあるけど、殆どの場合、被害者と加害者の間には何らかの関係がある。関係の最初が、リスクを含んだものの場合、そのリスクの見積もりを見誤った側が無知だったという訳でもない筈。そんなリスクを承知で関係は始まっている筈だ。このような関係の破綻は、事件に到らなければ、基本的には、双方に非がある場合が殆ど、事件となって被害、加害という関係が生まれると、その双方の非っていうのは言えなくなるのが風潮だ。そんな風潮で量刑を加減するのはホントに適切か?という印象である。
今後、更に社会が複雑になり、人間関係が想像出来ない形が現れ始めると、その量刑を判断するのは、非常に難しいし、裁判員の選定自体、見直さなければならない時期が来るかも知れない。
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