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2009年8月12日 (水)

判断は誰のため?

 世の中、色んなモノが存在する。論理、主義から趣味、性能、学力、、、、色々だ。
 生きていく上では、その色んなジャンル、ジャンル毎の色んなモノから自分で選択するって場面が実に多いのである。選択とは判断である。

 客観的に選択対象がどうだ?って情報は色んな所(ネット、雑誌、他人の伝聞)から仕入れる事が出来る。しかし、それらの選択対象から何を選ぶか?っていうので、選択後には大きな影響を及ぼすもの。

 物事を判断するって事は、選択する事、出来る事に通ずる。客観的事実から自分で判断する。勿論、コマーシャル的な一方の作り手から他方を揶揄する表現を見て、一方を凄い!と判断するレベルではダメで、一方からみた他方への判断は、客観的な判断であるとか、双方からみた相手に対する論評とか、そういう公平性を持って判断しなければならないのは言うまでもないが、理想としては、第三者の判断同士を見て、挙げられた項目の数で判断するのでなく、第三者の判断が何に起因するか?を理解した上でなければ何の意味もない。
 結局、他人の判断であれ、自分の判断であれ、判断すべきターゲットにおいて自分の意志で重要な項目に順位を付けて、その順位に従って、内容毎に基本的に懸案する問題や目的が自分の考えに従って優位かどうかを見た判断でなければ、全く意味を為さないのは言うまでもない。

 この極端な例が、値段によって高価=高性能という期待から、多くの投資をしているから優れているとか、使い方における出力特性でなく、スペック上の最高出力仕様値を見て選ぶと思っている勘違いとかである。

 勿論、値段が高いモノが欲しいとか、スペック上の最高性能数値が欲しいというのが純粋に選択者の目的であれば、それはそれで良いのだろうけど、知る限り、全ての人は、高い価格を選ぶ人の意志というのは、最高の性能が欲しいけど判断材料が無いから値段だけを見て選ぶって人と一致している。
 同様に、スペック上に優れた値を選ぶのは、やはりスペックの数値でしか、モノの実態が見えない人故の習性と言える。

 話が逸れるかも知れないが、昔からベテランライダーに好まれるのが中間排気量って言われているが、中間排気量の地味さっていうのは、決して地味ではなく、そこに潜む本当の意味が理解出来ない人には見えないから地味っていうだけで、それが見える人から見ると、そこにしか存在しないから選ぶ訳であり、それは或る意味派手とも言えるのだ。
 そして、中間排気量が人気が無いって事実は、多くの人がモノの本質に気付いていない結果と言えるのである。

 これは、いろんな世界で言える事である。自転車なんかでも然りである。重量とか素材名称だけで判断して、新素材とか華やかな横文字が無いと性能が悪いという判断を下す人も多いし、ギア比なら単純に絶対値だけを揃えて満足って人も多い。

 そのような見た目、判りやすい数値しか見てない人っていうんは、それしか見えないという事。見えないっていうのは、気付かないって事。気付かないっていうのは、状況の想定が現実的でなく、現実的でないから、その瞬間で考えるべき必要な事、知識、求める機能っていうのが曖昧になる事の証明と言える。

 どんな行動であれ、そこには絶対に目的が存在する。目的って事は、実行者には理想的な形をイメージしている筈。理想的っていうのは、事例を分解して、単位毎に正しい論理の展開が出来ているはず。自身の目的を達成するには、何と何が絶対という優先順位を付けて、その優先順位毎に正しい理屈で判断する事が大事なのだ。
 もっと言えば、判断できるようになるために、成人に至る過程を過ごしている筈であり、逆に言えば、判断が出来ないとか、判断をスペックとか額面でしか出来ないというのは、成人に至る過程で身に付けている筈の方法が欠落しているのかな?と思う事が多い。

 口は悪いが、行動を自分で選べない人が剰りにも多く、此処まで言う必要があるか?とは色んな場面で思う事が多い。

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コメント

確かに御指摘の通りだと思います。
当サイトも結構辛口批評が多いので注意したいと思います。
持論としては、存在するモノには意義がある!っていう考えですから、どんなモノも基本はOKだと思います。
モノに対する自身の範疇での評価はアリですが、それを他人に押し付けるのは活けません。ただ、yamaさんがおっしゃる様に、持論を展開するに見合った裏付けと説明があれば、批評は批判はアリだとも思います。
実際、当サイトでは、重たすぎるギアへの警鐘は鳴らしていますが、一応、それに対する裏付け的な説明もセットで掲載しているつもりだったりします。

投稿: 壱源 | 2009年8月12日 (水) 09時33分

あと理由をろくに書かずに特定のメカ等をけなすのもブログとしてはどうかな?と思います。

あるブログに「グリップシフトは嫌いだ」とあったので、「安物に使われてるからですか?」とコメントしたら「操作性が嫌い」とのこと。(具体性に欠けますが)

好きならば別に理由はいらないですが、嫌いな場合はきちんと理由を書いてほしいです、気にいって使ってる人もいますから。

投稿: yama | 2009年8月12日 (水) 09時22分

そうですね、価値観は様々ですから、自分の目的に適わせるのが一番ですよね。ですから、最高価格製品を求める人にとっては、価格が高い事が目的故に問題ないですが、その考えの人は、目的を満たす最低価格の製品を目指す人を批評するなんて可笑しいのは当然です。

要は、目的次第ですから、目的=価値観次第ということですね。

取り敢えず自分の場合は、目的を果たす最も安価な構成で選ぶ事が多いですが、モノを機材として捉えなければ、つまり盆栽として捉えれば、そのブランドで選ぶ事もあり得ます。
良い例が、小径車、ラングスターといった実用品でのパーツチョイスと、その対極が小林スポルティーフとかBSトライバイクで、選ぶ事が出来る部品であれば、取り敢えずDURAにしようとか、、、そんな傾向があります。

投稿: 壱源 | 2009年8月12日 (水) 08時38分

これまでにも書いてますが、本人がどういう考えにせよ高価なものを選ぶのはまったく問題ないのですが、ネットその他で値段以外の要素をほとんど書かずひとに薦める、安物(世間的には高価な場合有り)を不当に貶めるに至っては人格を疑います。

光学製品にもその傾向があり、値段以外の製品表現は非科学的と思われることが多い印象です。

投稿: yama | 2009年8月12日 (水) 06時27分

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