大事なのは?
趣味に限らず、仕事でも何でもだが、感じる事、、、、、、
それは、他人の作業や行動を見て思う事だが、物事の進め方を見ていると、何故に、その手順?と思う事、しばしばである。
どんな作業や仕事でも、手順、段取り、優先順位、作業の占有される時間、、、、そんなモノがある。そして、その作業っていうのは、基本的に単独でシーケンシャルに行われるモノでなく、殆どの場合、平衡してパラレルに行われる。それ故に、その組合せ、その進捗にロスを生まないようにするには、それぞれの進みに配慮すべきである。
無駄を省くのに重要なのは、手掛けた行動で物事が進む。進み始めたら、その作業が完全に全く初めての作業で無い限りは、その作業の段階毎に、どの程度の時間が掛かり、進捗に応じて何がどう変わる?を類推しながら進めるものである。その進捗の結果が一つの作業であり、これは、機械の操作、段取りから、プロジェクトの取り纏めから進行、会議の進め方に到るまで全てに言える事なのだ。
つまり、行っている、携わっている作業や操作には、必ずや見通しがあり、その見通しに対して実際が上手く追随しているか?が重要なのだ。
この追随性に気付くには、各プロセスにおける進み具合、これの類推と実際の不適合を見抜く事であり、それこそが異常の早期探知なのだ。これは、趣味でも言えること。先の記事で自転車の異常に付いても記載したけど、単車でも一緒。操作における応答に違和感を感じる力なのだ。これこそが、物事の進み具合を律する重要なファクターなのである。
この異常というのは、想定と実際の不適合であり、それが機材の場合は破壊的なダメージに繋がったり、峠走行での大クラッシュに結びついたり、或いは、労働での重度災害に繋がったり、作業の要領の悪さ、危険予知できない鈍感さに繋がったりするのである。
作業にはプライオリティーがある。それを把握して、業務や行動を組み立てる。そうして同時並行的に注意を配る。注意を配るポイントは、それぞれのプロセスの想定と実際の適合性の認識である。想定できて類推できるか?は、経験の積み重ねと知識の蓄積が重要で、それを用いた決断と判断を行ってきたか?が大事なのだ。これを得るために人は多くの経験を積み重ねるのでは無いだろうか?
一寸、訳のわからない戯言になったけど、なんていうか、剰りにも漠然と動く人が多すぎるというか、、、行動に目的を持って動いて欲しいというか、そんな思いが募ったからだ。
| 固定リンク
コメント