目的は一つ、方法は沢山
当たり前の事だが、何かする時の話で、何かが、学問であったり開発であったり、或いは、競技だったりのように体系だって構築された世界では、その価値観において優劣というか目指す方向っていうのは決まっている。
この目指す方向が決まっているが故に、競技が行われたり、優劣が生まれるのだが、その目指す方向で到達する領域っていうのは、同じ領域であっても方法は様々である。
これって、凄く当然の事なのだが、あんまり通じていないみたい。
そして、目的に到達するための方法論っていうのは、人次第なんだが、何を選ぶか?が自由のようで、実は自由で無いのである。選ぶのは自由だが、最も近道に答えに近づくための選択というのは、やはり一つなのだ。そして、その一つっていうのは、誰にとっても共通でなく、実は、選択する人の能力、知識、技量によって選ばれる唯一つなのである。
つまり、何するにしても、しようとする人にとっての最適手法は、その人にオリエンテッドなモノであり、それを見つけるのは自分自身しかないのである。それ故に、模倣とか、真似を永遠に続ける行為は、本人にとっては永遠にゴールに到達出来ないのである。
誰彼が、何買ったから、俺も買えば上手くなる!とか、人がやっているから、自分もやろう!っていうのは、やっぱり最初だけのもの。そんな気がする。
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