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2009年9月19日 (土)

あーなって、こーなって、、、、

 色んな事柄についてだけど、殆ど全ての事柄(使い方、道具、、、、)を考える時に必要なのは何か?っていうと、考える対象の持つ意味というか、動作であれば動作の原則だったり、目的だったりするものが、どんな原則に基づいたモノか?を考える事だ。

 複雑な事象を自分の理解できる原則に抽出した上で本当の意味で頭で理解できるか?どうかが複雑な事象を考える上での必要な事ではないだろうか?

 この考えは、流体機械における設計手法というかハンドブック的な公式が、どんな原則から導き出せており、理想的には何をモチーフにすべきか?を見抜く眼だったり、材料製造における各プロセスでのモノの動くべき理想性は何で、そのハンドリングには何を注意すべきか?を見抜く眼力だったりする。

 これは、実社会における事務仕事、設計業務、開発業務、製造業務に留まらず、運転という行為における事故回避、取り締まり回避だったりする。実際、自分はゴールド免許制度が始まって以来、ずっとゴールド免許だ。大判のゴールド、カード型のゴールド、IC式もゴールドだ。
 当然、そういうのは児童、生徒が学ぶ学問においても然りである。例えば、理科の二分野で人体の組織であっても各器官の役割を図解で理解しておけば、各器官における働き、器官を巡る血管中の成分濃度がどうか?なんて、覚える事は必要なしで判るし、天体の動きでも然りである。天体の動き、昼と夜の概念、方位の概念さえ理解していれば、季節、時刻で方位毎に見える天球の正座なんぞ覚える必要は無いのだ。
 更にひけらかすと、小学生であっても平方根、立方根なんて比較的簡単に求める事が出来る。勿論、電卓や、刻み幅を小さくした繰り返し計算ではなく、論理に基づいて一発で求める方法がある。具体的には、平面図形、立体図形の概念と等積変形的な思想だけで対処できる。

 つまり、どんな物事であっても、それを構成する論理を自分の本当の理解できるレベル迄砕けば覚えることは必要無いし、一生忘れることなく呼び起こす事が出来る。勿論、本質云々という学者のような言う事とは違い、あくまでも自分が本当の意味で理解できるレベル迄分解すると言う事が大事で、こういう癖は、ありとあらゆる分野に科目の当て嵌める事が出来るのだ。自身、最近は殆ど全ての事が自分の理解出来るレベル迄分解していくと殆ど同じように見える。極論すれば、国語も算数も、理科も社会も特定の法則に則っていると思う事が多い。

 前振りが長くなったけど、これは、自転車や単車でも言える事なのだ。今の時勢、スペックで云々する奴が多いけど、構成、材料等々が一体何のため?何を叶えるため?を超越して数字だけで判断すると、意味が見えない場合が少なくない。何だか知らないけど、飾り立てられた数値の大小だけでモノを見るのでなく、数値の大小よりも、そのモノが何のために存在するか?各部の違いがどの様に影響するか?どうすれば些細な違いを感じ取れるか?モノの特徴が自分の趣味に合うのはどの部分か?が大事であり、それには、見定める部分が実際に動いたり機能したりしているときに、その動きが頭の中でイメージ出来る事が重要。イメージとは具体化であり、それにはモノの動きが法則に従った動きをすることを知らなければならないのであり、結局は、そんな部分を如何に自分の理解に組み込めるか?は、過去の生い立ち次第なのである。

 だから、色々見ながら、あーなって、こーなって!って言えるのは、見る事で、それが何のために、どんな原則に従ってっていうことが判る。それ故に、その部分を感じるためには、どうすれば判りやすい?とか、どういう状態が使えた状態?というのが決めれるのだ。

 見た目の体裁だけで、あーだ、こーだ言うヤツは、あーなって!こーなって!っていうのとは違う。伝聞や数値、仕様だけで物事の因果を考えない人っていうのは案外多い。

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