メーター
この度のステンレスロードにはメーターは付けないでおこうか?と思っている。更には、小林スポルティーフもシルクピストが稼働状態になったらメーターは外そうか?とも思っているし、ルイガノMVF改も同じく外そうか?と思っている。
理由は、大した理由は無いけれど、昔の自転車趣味の時代にはメーターなんか付けていなかった事と、今売っているからといって、付けて見る必要性が無いかな?と思うからだ。メーターで数値が必要なのは、ターゲットとしては、想定速度を保つ様な場合とか、或いは、エアロビクス運動での運動状態をモニターする場合くらいであり、それ以外はどうかな?と思うからだ。
なんか、メーターを付ける事で、見えなくなる事が増える、、、、そんな気がするし、目指すベクトルが違う様な、そんな気がする。目に見えるモノで判断する。今の状態を見るというのは確かに有意義かも知れないが、それしか見えなくなってしまうのは決してよいことでは無いような気がするのだ。
走るという行為が時間との競争的な意味合いが在る場合は、その目安を見るのには便利だけど、時間との競争という感覚が無い場合、果たして、それは必要か?とも考える事が出来る。目標とした時間に揃えるとか、間に合わせるという軸もあれば、時間よりも感じる事を重視するという付き合い方も在って良い。そういう考えだ。
そこに数字が浮かび上がると、それしか見えなくなるような気がするし、そこに数字があるだけで、無意識に数字を意識した乗り方になるのは、乗り方自体も忙しなくなり、視野の狭い乗り方に為りかねない。
思えば、そういう数字を気にする方向性とは異なる付き合い方があるのだ。
長距離走行を目的にすれば、距離計程度は全行程のどの辺り?を知るのには有意義だが、それ以上の情報は不要だ。
限られた時間で走るとか、想定した速度を保つ事を目的とする場合は、情報は有意義だが、そのような時間の縛りを解くと、必要性も失われる。つまり、走るコースが既知のコースで、使い方が限られる場合、在っても使うのは腕時計の時刻のみ。家族とサイクリングなルイガノMVFとか、或いは、単独で知っている道を走るロードバイクにはメーターの必要性は無いかな?と考える事も出来る。
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