聞いても、読んでも、、、、
面白い、可笑しい、興味持てない?フレーズが雑誌に踊ってる。
例えば、読んだだけで、単車で峠の下りのワインディングが速くなる特集とか、、、Riders Club誌なんかで結構多いし、今なら、自転車で読んだだけで、35km/hで楽に走れるとか、ヒルクライムが速くなるとか、、、、そういう、読んだだけでとか、見ただけで!ってフレーズが凄く多い。
これって、思い起こせば、中高生時代に沢山習う公式みたいなモンだ。
公式に当て嵌めれば答えが出る。兎に角、公式さえ覚えれば答えに辿り着くって話である。さらに、最近の状況を見渡せば、、、、、今こうです!どうしましょう?とか、こうなりました!どうしたらよいですか?とか、壊れました!・・・・
って状況に繋がる。そう、手順が在れば従える。逆に言えば、手順が無ければ進めない。ってのによく似てる。
何がどうした?って時系列的な流れが結果を生むというのが大原則だが、時系列の流れの中に何がどのように生じて、それをどうする?って要素を一つ一つ考える事が、物事の因果を見抜く目を養う事であり、因果が見えてくるから、今の状況から望む未来への手順が浮かぶのだと思うのだが、どうも、過去の積み重ねを疎かにして、機械的に未来をんぞむ人が多いような印象だ。機械的に未来を得る行為が、他人が他人の価値観で見出した手法や公式で、いわば他人にとっての過去だが、これを、そのまま自分にとっての未来を導き出す手段として模倣する事に一生懸命な空気が漂っている。
普通に考えれば、参考書を沢山買って、公式覚えれば凄いか?っていうと、全然ダメだし、ずぶの素人が、GPライダーのライディング書を読んだだけでGPライダー級になれるか?っていうと、有り得ない。
しかし、それでも公式とか、指導とか、そういうのを求める人が居る。
でも、求めても、見ても本当の事は100%判っていないんだろうなぁ、、、と思ったりする。何故ならば、大事なのは手法を体系立てる思考の手順であり、何故、それを思い付いたか?という抽象的な概念こそが重要で、その概念は、そのような書物には一切載っていないからだ。掲載してあるのは、書き手の言葉と仮定して、その書き手が知識と経験から判った事だけだ。ただ、その判った事を利用する場合の、前提条件、その実現度の評価の尺度といった部分を理解する事は、恐らく不可能だ。
公式でも伝聞でもだが、それが当て嵌まる状況とか、前提とか、判定とか、そのような付随要因が全て瞬間的に出来るようになっていなければ、机上の空論に過ぎないのだ。
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コメント
そうですね、公式好きは、結果の知りたがり屋さん、そういう人は、経過は無視してます。
一番役立つ回り道を無駄としか見られない人ですね。
人間、失敗と行き詰まりで初めて真理を選ぶ際の判断を見出すのですが、そこに価値を見付けられない人は、何事も自分で判断が出来なくなっている人が多いですね。
結局、そういう人は、公式の一面性だけの理解に留まっており、僅かな視点の違いが見抜けずに、公式の真理を理解していれば間違わない誤りに戸惑う人が多かったりします。
投稿: 壱源 | 2009年9月 9日 (水) 13時55分
おはようございます。
私は昔から公式の丸覚えとかが大嫌いで、「手法を体系立てる思考の手順」が自分の腑に落ちるまで納得がいかない性質でした。
思えば、自分が納得するまで「なぜ」を連発していたような気がしますね。
小中高では必然的に教える立場になることが多かったわけですが、公式とか解き方だけを教えてほしいと寄ってくる人には正直困惑しました。 教えるほうとしても、公式を教えるのではなく、なぜその公式なのか、その公式にたどり着くまでの考え方、というところが出来ていないと、本当に理解したことにならないですからね。
投稿: k | 2009年9月 9日 (水) 08時33分