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2009年10月13日 (火)

見た目の格好良さは何処?

 見た目の格好良さとは何か?それは、モノに宿るオーラがあるかどうか?である。オーラって何?オーラって佇まい、、、、そんな抽象的なもの?

 実は違うのだ。

 オーラとは、作り手の気持ちなのだ。今時点の乗り手の気持ちでなく、作り手の気持ち、作り手に依頼した依頼元の気持ちなのである。その気持ちが形に表れるのである。気持ちが純粋な程に作り手の心に強い気持ちを込めるのである。

 作り手の気持ちに強い意志が宿るとどうなるか?それは、モノに現れるのだ。どのように現れるか?

 それは、モノを見れば判るのである。モノがモノとして存在している形を見れば判るのである。モノがモノとして存在するにしても、どんな風にでも存在出来るのだが、作り手に気持ちがあれば、どんな小さな部分でも丹精込められた造作となっている。その造作は、目に見えない所にでも行き届くのである。その細部に渡る手抜き無さの感じが全体の雰囲気を作り出しているのだ。
 これは手作り品に限らないのだ。機械的な工業製品だって然りだ。各部を見た時に、その部分の成り立ちを見れば判るのである。その成り立ちが、スペックを飾るための形なのか、或いは、必然を伴って苦労を乗り越えて具現された形なのかは、モノを見れば簡単に判るのだ。

 いや、工芸品であれ、工業製品であれ、その苦労というか工数を読めなければ、実は、そのモノを使う資格というか、それを作り手の目的を果たすような使い方で活用など出来ないのだ。

 モノのオーラが判るというのは、作り手の気持ちが見える事。見えるには、その大変さが判るから、その気持ちが読めるのだ。その大変さが判るということは、そんな犠牲をはらって迄、モノが得たい機能は何か?が判ると言う事なのである。つまり、モノのオーラが読める奴でなければ、モノが発揮するオーラを使って、モノに課せられた宿命を形としては具現化出来ないのだ。

 そう、モノに対する知見(目的、目的を得るための難易度、そして、その拘り)が無い奴には、決して、そのモノの固有の特徴、性能を発揮する事など出来ないのである。

 一般に、最初は誰でも、そんな知識や知見を持たない人だ。それ故に、ブームとなっているとき、そのブームを支えるのは、そんな人ばかり故に、そんな理解するのにハードルが高いモノは商売にならず、売りやすい、数値表で云々出来るゴミばかり溢れるのである。

 ブームの去った後は、本物が吹き飛ばされてゴミで溢れる荒野のようなジャンルになる事が多いが、それは、或る意味仕方ない事なのである。

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