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2009年10月22日 (木)

老衰と適応現象

 人の身体の変化について、、、、一般に生まれてから成人となるまでが成長期、発育期というのには、誰も異論は無いだろう。しかし、成人したら、即老化するか?というと、その限りではないのでは無いだろうか。

 人に限らず、他の生物で考えてみる。虫、動物、植物、、そんな他の生き物の生活環を見ると、誕生(発生)後は、発育、成長して成体となる。成体となって身に付ける機能、或いは、成体として必然の機能は何か?
 それは、生き物全てに言える事で、種を次代に繋げる能力、つまり生殖機能である。その機能を有した時が成体と言えるのでは無いだろうか?そして、その機能を有している時というのは、原則、種を繋げる役割を本質的に与えられているとも捉える事が出来る。

 そして、生物が成体としての完成形を保つ期間は如何ほどか?というと、ほ乳類の場合は、誕生後は成体となるまでに育てるという行為が必須であり、次代を生んで、成長するまでは親の世代が衰えるっていうのは、道理的に成り立たないのでは?とも考える事が出来る。

 最近の、健康、ダイエットブームの中では、二十歳を過ぎると、三十路に差し掛かると老化が始まるという説もあるけど、生物として生殖機能がある内は、次代を生んだ後にも育てる行為を含めて考えると、老化して機能が衰退するというのは、にわかには考えづらいのである。
 少なくとも、生殖機能を持っている間は、子の世代を育てるという特徴を踏まえると、機能的な衰えを老化という必然性で説明するのは生命の道理に合わないと思っている。

 自分としては、老化というのは何時から現れ始める症状か?というと、生殖機能を失ってから現れ始める症状と考えている。その機能を失う時期は個人差、個体差があるけれど、個人差が現れるのは個人の個性による生活様式の違いからくる別の要因(後述するけど)によるものだが、生物の種としての、本来的に備わった機能から考えると、どんな生活様式をすれど訪れる生殖機能の喪失時が、種を繋ぐ役割を終える時であり、そこが本当の意味での老化現象(機能を失うという意味で)の始まる時期と考えるのが自然である。

 一説によると、三十路とか不惑の時期は、筋肉が激しく細りとか、生活習慣病の兆候が現れ重大疾病に突き進む、、という話もあるけど、それを老化と片付けるには、前述の理屈から考えると老化とは言えないのでは無いだろうか?
 筋力低下、骨密度低下、生活習慣病の進行というのは、全く老化とは関係無いというのが持論である。少なくとも、生殖機能を一般に保有している時期における筋力等の低下現象は老化とは全く関係無いと考えている。

 このような症状の全ては、成長期を過ぎて成体としての平衡状態に到達した後の、個体の生活様式に応じた機能の取捨選択の結果であり、言ってみれば、生活様式に応じた機能選択による適応現象と考えている。
 三十路になると筋肉を失うのは、生物としての必然性というよりも、生活様式から不要となった筋肉が不要故に省かれる現象に過ぎず、不惑になって現れる重大疾病の数々は、現代的な生活によって蓄積した過多栄養分を処理する身体のバッファー機能が溢れた結果現れる不具合に過ぎないのでは無いだろうか?
 現代的な生活を20年繰り返す事で、機能が失われ、阻害因子を身体が吸収しきれる時期を越えるのが、時間的にいうところの10年とか20年であり、それが三十路、不惑という年齢に一致するのでは無いだろうか?

 思うに、老化とは不可避な症状であり、機能の適応化を望めば誰でも可能な対策が講じれる不具合とは、単なる、現代的な生活様式に併せた適応現象に過ぎないと考えている。

 周りを見回すと、70歳代で、腹筋が割れて、筋肉が隆々とした方も数多く居る。それは特別な事でなく、そういう機能が生活に必要な状況故の結果であり、それが稀な例ではないという事実は、少なくとも、その年齢でも適応現象によって機能を保つ事が出来る訳である。そんな事を含めて、老化とか歳のせいにするのはナンセンスであり、それは機能活用の放棄の結果である。

 まぁ、老化っていうのは機能的なモノ、習慣的なモノとは異なり、自己の機能を活用しようという気持ちを失ったタイミング、つまり、気持ちや考え(知識)によって始まるモノなのかもしれない。

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