バカになってるな
久々に色んな講習とか研修、学会、研究会に出席している。
そこで思う事、全然ダメだなって事だ。異分野ならいざ知らず、関連分野に居るにも関わらず、その道のスペシャリストの話への理解度は滅茶苦茶乏しい状態。少なくとも、その科目に講義で単位が取れるか?っていうと、実に厳しいという採点を付けざるを得ない状況だ。
勿論、そんな専門的な手法が生きる上で絶対必要か?というと、そうではないかもしれないが、その世界でモノを見て、何か気付くか?というと、その世界の知識の基本、知識の奥底を理解していなければ有り得ないのは間違い無い。
基本が理解出来ているから、物事を細分してベーシックに立ち返って、そこで気付くのだ。そこで気付くには、細分しないとダメだ。細分するには、どのような理念で進めるか?は、その世界の知識の基本を理解しないと、仕方自体が見えてこない。
そういう考えに基づくと、新しい事、困った事に対処するには、その世界の基本的な知識に精通していなければダメだ。それがあるから、難しい問題を切り分ける事が出来て、それに一つずつ対処できるのだ。つまり、基本を完璧に抑えなければだめだ。形でなく、理念、概念、思想の基本を理解しないと厳しい。
今、自分を見ると、全然ダメなのがよく判る。これを身に付けるには、どうすべきか?身に付けるという行為を意思を持って行うには、意思を保ち続ける事が出来る環境に身を投じなければダメだろう。自分自身が本当にそういう劣等感を感じる世界、そして、そのレベルに追い付きたいと思える環境に身を置く必要があるのかもしれない。
大学以上の知識、話、、、、色んな集まりで聞く、、、、すると、聞いた事はある、、、、そんなレベル。聞いた事があるというのは、全ての出発点だ。その先は二通りある。一つは、それを理解し人に指導できるレベルになる方向と忘れる方向だ。自分の場合、聞いた事はあるけど、相当に忘れているのが現実。人に教えられるレベルからは程遠い。ダメダメだ。振り返ると、大学受験レベル迄なら大抵の科目は大抵の人に教えられるレベルにはなっているが、その上のレベルはダメだ。
因みに、高校生レベルの知識を自分のモノに変えたのは、大学に入って3年程度の講師経験が必要だった覚えがある。ならば、最低でも3年、老化や時間の制約を考えると、5年は履修仕直す必要があるかもしれない。教える事が出来るレベル迄、理解度を高めたいというのが今の願いだ。
折角知った知識、忘れるのでなく、昇華して身に付ける、、、、当然、それが望ましい。そうするには何がベストか?よ~く考えて時間を使わないといけない。
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