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2009年11月30日 (月)

接続不良

 11/26、ネット接続が不可能となった。同じ症状は、一月前にも遭遇したけど、その際は短時間故に気にしなかったけど、この度は偉く長い時間である。

 最初は末端の自分のPCが原因?と考えて、ルーター接続された他のPCから確認してもダメ、、、、ルーターを外してケーブルモデムダイレクトでもダメ、、、、

 同軸線の接続し直し、ケーブルモデムの再起動でもダメ、、、、

 で、夜間サービス電話に掛けると、、、、通じない。

 翌朝みると、、、

http://www.hicat.ne.jp/maintenance/20091126.html

 である。つまり、上流側機器の問題だったようだ。別に文句を言うつもりはないけど、信頼性が低いのは宜しくない。

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ガラスのアスリート

 最近思うのが、栄養補給とかケアとか、そういうやつ。栄養補給材とか、そういうのを耳にするようになったのは、ダイエットでのサプリが一般化し始めた時期と重なる。

 サプリでコントロール、専用の補給剤で栄養補給、運動後のクリームでケアとか、或いは、筋肉の形状に合わせたランニング専用のウェアとか、ソックスとか、自転車のウェアとか、何が1mm狂ったとか、、、、

 或る意味、凄いなぁ!って関心するんだが、其処まで必要か?って思う懐疑心の方が自分の場合は多い。そもそも、俺ってプロでも何でもないから、そんなレベルが必要とは正直思えない。
 有り得ないのは、自転車に乗るから毛を剃るというのも、、、、正直、プロでも無い限り不要だろ?っていうのが偽らざる感想。

 毒吐くと、ハンガーノックって言葉も今一ピンと来ない。腹減ったら話にならないのであり、そういう問題が出るって言うと、当人は何かの悪とでも闘っているのだろうか?それが不思議。ハンガーノックって症状も判らないし、それに陥った事なんぞ、どんなに思い返しても該当する状況に為った事が無い。

 普通、腹が減ったら食う。喉が渇いたら飲む。それって生存に必要な欲求が湧き上がる訳であり、それに応じた行動をとっていれば問題は起きるはずが無いというのが素直な感想。
 補給食も別に凝ったモノは必要無い。腹へ選ったら食えば良い。甘いモノが欲しいと感じたら氷砂糖でも舐めておけば無問題だ。そんな時に、良く判らない高濃度の補給剤を摂るという思考が良く判らない。運動後のケアでもそうだ。其処まで必要なほどの負荷を掛けているの?って思うと、普通に風呂入って寝ればリセットされるだろうに、、、というのが体験に基づく感想だ。それでは有り得ない負荷を掛け続けるプロのような人ならいざ知らず、、、

 思うのは、人間の身体って、最近見掛ける凄い謳い文句の補給食やケアが必要な程脆いの?って事。そんなもの、必要ないだろう、、、、っていうか、それが必要なレベルには誰も達していないのでは?という思いばかりが残る。

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2009年11月29日 (日)

シューの留め方

 ただのつぶやき。
 今、スポルティーフが欲しいと思っている。シルクのR2ロードをそれっぽく仕上げるつもりなんだが、それとは別に、本物のスポルティーフを作りたいと思っている。今の小林フレームのスポルティーフにしろ、シルクのR2にしろ、元はロードだ。泥除け付けても、所詮はロードだ。

 さて、スポルティーフを作るとなると、フレームスケルトンから工作、パーツ迄、自分の考えているスポルティーフの定義に従いたい。
 その中で譲れないのがブレーキ型式。絶対にセンタープルキャリパーでないとダメだ。センタープルでも直付けが望ましい。

 さて、そんなセンタープルキャリパーだが現行品では吉貝の復刻品しか入手不可能。チョット良い品は入手するには中古品しか選べない。それも時代的には相当に昔のモノばかり、、、、そんな状態である。

 そんな昔のブレーキを使う訳だが、そんなブレーキはシューを固定する方法が2通りある。一つは、現代の挟み角度が調整可能なシューが取り付けれるようなシュー自体をネジで直接キャリパーアームを締め上げて固定するタイプと、昔のカンティブレーキのようなギロチンナットでシューから出たロッドを締め上げて固定するタイプだ。

 スポルティーフでセンタープルというと、ニューグランコンペとかマファックといったものが定番で、シューの固定はギロチンナットで固定するのが多いけど、これだとシューの挟み角が調整するのが難しい。締め付け時にリムとシューの間に何かを挟んで調整したり、ギロチンナットのワッシャ側を工夫したりとあるけれど、こういう方法は恒久的に良いコンディションを維持出来にくいのも確か、、、、
 しかし、当時の一段下のグレード、普通のグランコンペとかダイヤコンペでは、シューの固定はネジでキャリパーアームを締め上げるタイプであり、今の挟み角調整式のシューが利用できる。
 そういうことを考えると、今の時点でスポルティーフに拘ってパーツを選ぶとすると、定番的なマファック、ニューグランコンペとは異なるグレードの方が良さそうだ。

 これから、そういう部品を少しずつ集めて現代に普通に乗れるスポルティーフを作ってみたいと思う。

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11/22~11/28の週の検索ワードピックアップ

★速くなりたい?
 相変わらず、そういうのが多い。正直、自転車を一般公道で乗る限りでは負荷と持続的に作り出す事は出来ない。心肺機能を高めたい?、、、ならば、ガンガン休まず泳ぎ続けてみれば良い。数年も続ければ見違える筈だ。加速力、到達速度を高めたい?、、、ならば、筋肉が必要。絶対的な速度というものは出力だ。出力とは力×伝達頻度、つまり筋肉だ。頻度を高めるには、動力伝達する回数を増やす。つまり漕ぎ方だ。大きな力で高回転を回すのが高出力。力無くして速度は生まれない。負荷が掛かるような運動すれば良いだけだ。漕ぎ方は、回すように漕ぐなんて事を言っても一生回らないだろう。そもそも脚は往復するものだ。それを回すように漕ぐ!って解説をよく見るけど、抽象的過ぎて意味が見えない。意味が見えないどころか、意味がない。そう言う事ではない筈だ。理詰めで考えたら答えは一発だが、その道理を実践して、結果的に回るというのが正しい考え方。結果的に回るためには、何が必要か?それを考えない限り、一生回らない。

★コンパクトクランク?
 未だ調べる人が多いみたい。定義としてはコンパクトなクランク。小さなPCDのクランクということ。何が違うか?っていうと、インナーが小さい≒コンパクトを以てコンパクトクランクという。
 コンパクトが悪いか?というと、悪くない。ただ、コンパクトだろうがスタンダードだろうが、歯数差(歯数比)は最大でも14T(1.4倍)以下に留めるのが理想。ホントは10T(1.3倍)以下が理想だろう。

★広島中央森林公園のタイム?
 人次第だろうなぁ、、、、、実業団レベルなら20分は楽勝で切るだろう。18分台はどうか?っていうと、それはチョット想像つかない。20分台なら学生時代に運動を競技として取り組んできた人なら楽勝だろう。機材の差は影響ないと思われる。フルサイズのロードで走った事は無いけど、折り畳み自転車でも20分台は出る。
 最近の健康運動ブームで自転車を選んだ人っていうのは、恐らく、慣れ親しんだスポーツが無いから健康ブームで自転車を選んでいると思われる。普通に運動経験があれば高価な車体が必要な自転車にのめり込むとは考えにくいからだ。それ故に、今の舶来ブランドが最初の一台って人の99%は文化系の学生時代を過ごした人だろう。
 そういう場合どうか?っていうと、25分が一つの壁では無いだろうか?
 ショップで出掛けてタイム計測なんかして、他人のタイム、自分のタイム色々みると、、、、自転車競技経験者は20分の壁の先が現実かな?って印象。少年期に競技系運動経験を有する人が20~25分、競技系運動経験を有さない人が25~30分かな?って印象。文化系でインドア系なら30分かな?

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運動後の運動で

 今、健康管理?目的の運動に何を行っているか?っていうと、次の三種類である。

1.水泳(基本は3kmを55~60分で無休で泳ぐ)
2.筋トレ(ダンベルを用いたプレス、フライ、スクワット、腹筋、背筋を合計45分)
3.自転車(実走、ローラー台共に60分単位)

 現状、三種類なんだが、順番としては、3→2→3、3→1→2→3というパターンが多い。その時に、次の運動に移る時に疲労感、運動を終えた時の疲労感をどのように感じるか?というと、水泳を行う時は、泳ぎ始めにどんな運動をしていようとも疲労感は皆無であり、水泳後は、どんな運動をしようとも、身体を動かす事が相当にキツイ感覚がある。

 つまり、自分が行っている三種類の運動では、水泳が最も高負荷、高い運動強度という事なんだろうか?今週も水泳を行った後の筋トレ、ローラー台は、身体が重い事、重い事、、、、少々では身体が動かないし、何時もは楽勝の片手で25kgダンベルを用いたフライやプレスが相当にハードに感じたのである。勿論、フライやプレスに限らず、ダンベルを抱えたスクワットでも太股~脹ら脛に感じる負荷も泳がない時とは較べものにならない感覚なのだ。

 運動強度×時間が実質的な運動となるのだろうけど、自分の場合、水泳っていうのが最もエネルギーを消費する運動なようだ。

 正直、水泳後は横になると即睡魔が訪れるし、翌朝の目覚めでは身体が全体的に重い。更には、翌午前中においても怠さが残っている。

 単発で運動していたら判らないけど、何種類かの運動の組合せで順番を変えてみると、どの運動が一番ハードか?っていうのが顕著に明らかになる。自分の場合、水泳が最もハードな運動のように感じる。

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2009年11月28日 (土)

赤血球数値

 身近なところで、赤血球数値が高い人が多い。そんな方との話や、自転車好きな奴が赤血球が多いのは単純に良い事だ!という訳のわからない事を言っていたので、赤血球数値が多いという意味を記事にする事にした。

 一般に、赤血球上昇には2パターンある。一つは、ストレス性赤血球増化症で、もう一つは、多血症だ。

 前者のストレス性赤血球増化症は、ストレスや喫煙が原因となるものだ。対策としては、ストレスをできるだけ避けるように心がけることとなる。一般に、中高年男性に多くみられる病気で、一般には管理職、喫煙者、アルコール多飲者が多いといわれている。
 そのために、喫煙歴、生活習慣病をもっていることが多く、血栓症とか循環器系の合併症をおこしやすい。

 今回、相談を受けたのは隣席の方だが、この方のように、高血圧があり、血中コレステロールが高い方は、低コレステロール食、運動不足解消、禁煙や過労の抑制等の健康管理に注意をすることが大事である。特に、喫煙は肺疾患を誘発し、血液中の酸素が十分に行き渡らなくなる場合がある。更に同時に、喫煙により発生する一酸化炭素とヘモグロビンが結合して、酸素が運べなくなり、それを補うために赤血球が必要以上に増加するというパラドックスを招いている場合が多い。

 後者の多血症では、ストレス性のものと違い、全赤血球の容積が増加していき、血液粘度が増大し、血液の循環が悪くなる。
 結果、頭痛や目まい、視力障害、耳鳴り等に見舞われ、脳、心臓から脚の動脈、静脈、微小血管などで血栓症を発症しがちとなる。
多血症は、区分すると、真性赤血球増加症と二次性赤血球増加症あるが、前者の真性赤血球増加症では、赤血球数以外にも、白血球や血小板も増える。そして、高血圧、出血などの症状、肝・脾腫による腹部の膨満感も出たりする。後者の二次性のものは高地滞在、心臓病、肺疾患、肺胞換気障害、喫煙、ヘモグロビンの異常などによる血液の酸素不足への適応症状の一つであり、多くの赤血球が骨髄で作られた結果である。

 何れにせよ、多血症の場合、血液粘度が高くなっており、こまめな水分補給で脱水症にならないようにすることが大事である。

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円高の波、再び!

 円高が急速に進んでいる。当ブログでコレを取り上げたのが一年前だ。2008/12の頃に円高ネタを記事にして、一ドル80円台っていうのは、それ程変な事か?そういうレベルに行くのではないか?って事を予測していたけど、現実にそうなりつつあるように見える。

 サブプライム問題表面化以前の日本の景気というのは、欧米への輸出特需に支えられたモノであり、現在のアジア各国の景気持ち直しによる需要が日本に向かうか?というと、為替の問題、経済格差の問題から考えると、単純にそうはならないというのが素直な感想だ。実際、世界の地域別収入を見ると、景気回復している地域の収入は、日本の1/2~1/5であり、これが人件費、即ち、製品コストに効いてくる。この人件費格差がある限り、日本に需要が向かわない。
 高コストであっても売れるモノでなければ、外貨を得る方法は有り得ないというのが、シロウト考えかもしれないが、素直な感想である。

 人件費で数倍以上の開きがある国々と似たような製品を作って輸出市場で勝負するのは非常に困難である。少なくとも、同じレベルの製品を作る状態、レベルの高い低いは技術の素地でなく、消費者側が望むレベルの高低だが、そういう商品展開では、輸出産業で外貨を得るのは不可能だろう。
 市場が望むレベルが低人件費の国々では満たす事が出来ないジャンルの製品を作って初めて性能に掛けた投資を回収できる価格転嫁が可能となる。

 望まれないレベルの技術開発で開発者の自己満足ではダメで、市場が望みながら、実現するには困難を伴うレベルの技術を価格決定の武器にするような考え方が必要なのは明白だ。そういう産業風土の変換するには、一度、超円高で、対応力の無い企業は全てリセットするような変革が必要というのは空論かもしれないが、対処的な方法だけでは、今の問題からは永遠に逃れる事が出来ないように思う。

 円高だから規制する。緩和する、、、、そんな処置では、作る側の本質が変わるのには相当な時間を要し、永遠に同じ対応を執らざるを得ないだろう。今回の円高を契機に、少し産業構造というか、外貨を得る方法を根本的に見直すような機運が高まればと思う。そのためには、繰り返しになるけど競争力、創造力の無い企業、組織は淘汰されなければならないだろう。

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健康診断結果の利用法

 健康診断の結果数値で、色んな所で色んな話、心配が飛び交っている。
 数値が高いから心配っていうのが多いけど、以前も記事にしたように、低いから良いというものでもない。低すぎてもダメだ。

 例えば、LDLコレステロールを慣例的に悪玉コレステロールといったりする。悪玉という表現から、無ければ良いという先入観を覚えやすいが、実は違う。そもそも、不要なモノが存在する筈が無い訳であり、そこに存在するのは理由があるから。それは、全てについて言える筈と考えるのが自然なのだ。

 低すぎるLDLコレステロール、、、、これは、近年は免疫力の低下、貧血、癌発生リスクアップとかも言われている。HDLコレステロールだってそうだ。近年は多すぎる弊害を疑い、それを明らかにするという研究も行われている。赤血球、ヘモグロビン等々もそうだ。これが多いと心肺機能が優れる!って話もあるけど、それは適応を計った結果であり、逆は必ずしも真ならずなのである。只多いっていうのは、血液粘度が高く、脳梗塞等のリスクに繋がるという場合もあるのだ。
 なんだって、適量、程々っていうのがある。大事なのはバランスだ。

 ところで、人間の身体というのは非常に敏感に制御されて数値がバランスしているようだ。年に1~2回程度の健康診断結果を最新の値が判る度に、並べてみるようにしているが、毎年、数値が確実に変動している。毎年、自分の生活がどうかというのは、健康診断毎に振り返っているけど、毎年、食生活、間食の嗜好、運動の量というのが変化しているのだが、数値の変動っていうのは、生活パターン(ライフスタイル、食生活)の変化に起因している訳だが、どの数値が、どんな生活からもたらされたか?っていうのが、割と簡単に見えてくるモノだ。

 これも、一年ごとに数値変化を見る習慣あってのものだが、そういう観察力を養う事ができれば、異常に対して中長期的にライフスタイルを見直し、その結果がどうなるかを常に判定することで、自分の身体の癖を見抜く精度も上げられる訳だ。

 今回の健康診断では、運動後、入浴後、就寝前のチョットした間食ライフ+飲酒が数値に影響しているのが伺える訳で、その余暇タイムをカットすることで、昨年の結果に戻れるか?を試してみようと思ったのである。

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2009年11月27日 (金)

大人の科学

 先日、ショッピングセンターで面白いモノを見つけた。
 それは、『大人の科学』ってモノ。Vol.25号で特集内容は二眼レフカメラ?ってモノ。

http://otonanokagaku.net/magazine/vol25/index.html

 である。今迄も、子供の科学と学習を買う時に目に付いていたのだが、買うまでは到らなかった。しかし、今回は、カメラネタ、二眼レフ、レトロな表紙、、、、そういう事で、衝動的に買ってしまった。

 まぁ、買ってはみたけど、未だ開封はしていないのであるが、余暇の楽しみ方には、こういうムック本も面白いものだ。デジカメも最新のコンパクトデジカメも嫌いではないけど、自分は古いデジカメの方が好きだし、使用頻度が高い。

 そういえば、そういう趣味はカメラに限らない。パソコンも最新マシンの良さは認めるけど、自分で使うには自分が不満に思わない範囲であれば古いのが好きだ。自転車なんかも良い例。フルカーボンとか、流行のロードバイクとか、、、そういうのは無関心。鋼管系フレーム、ツアラー系が好き。単車も然り、自動車も然り。

 ところが、古さが度を過ぎると、これまた違うのである。古いというよりも、自分がジャンルに関心を持った頃の主流が好きという感じなのだ。

 そうやってみると、自転車は自転車趣味スタートの1970年代後半が好みだし、単車は趣味の方向性が定まったレプリカ時代がそうだ。パソコンは改造・自作ブームでPC-98~PentiumIII時代、デジカメは30万画素~300万画素時代だ。古いのでなく、影響を受けた時期のモノが好み、、、、

 これって、現代の復刻CDで良く聞く80年代音楽が人気というものと相通ずる部分があるようだ。

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公道で集団で走るには?

 サイクリングに出掛けて思った。
 複数台で走る時、正直連なって走るのは、歩道では歩行者に、車道では車両に対して迷惑な存在だ。歩道では速い移動体がまとまって走るのは、通学時間帯で集団暴走する通学チャリと同じだ。車道でも狭い間隔で複数台が走行すると、それこそ渋滞の元。追い抜く方にも気を遣わせる。

 理想は、車道でも歩道でも、間隔は最低でも5m、出来れば10m以上離れて走るべきだと思う。連なって走るから、信号無視を助長したり、途切れたら車列が交差点先で停車し、それもやっぱりウザイ。途切れたら途切れたままでOKだ。離れる事を前提で走る方が遙かに安全。

 併走が許されるのは、2~3台迄だろう。四台以上の連結走行は、迷惑かな?っていうのが正直偽らざる感想だ。

 サイクリングで複数台で出掛ける。コースの分岐とか休憩ポイントを先頭車両にルールとして伝え、十数キロ毎に止まれるエリアで休憩とか、判りにくい分岐点で休憩といったルールで良いのでは無いだろうか?それ以外は連なって走る必要は何処にもない。

 自身、単車でも自転車でも、複数台で出掛けても、殆どが単独走行。そして、節目で集団で休憩というパターン。そういうものでは無いだろうか?

 一部では、集団走行での変なローカルルールで手信号みたいなのあるけど、あれって、右左折以外はローカルルールばかりだし、接続走行前提のルールみたいなもの。バラバラだったら不要だし、バラバラだから後続車両は視界が確保されているので、逆に前走車なんて見ずに自分で判断出来る。引っ付いて走るから視界が無い、それ故、変な合図がまかり通りのである。

 公道で集団で走る、、、、、それは、大人数がばらけた状態、単独×台数といった走り方こそ正義では無いだろうか?

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2009年11月26日 (木)

2009年度健康診断結果

測定順は、
2005/11→2006/07→2006/11→2007/11→2008/10→2009/10
である。
1.血液一般
1).赤血球:標準値が400~550万/mm3
    581 →    → 518 → 508 → 491 → 503 
2).白血球:標準値が3000~9000/mm3
   8910 →    → 6110 → 5980 → 5600 → 5900
3).ヘモグロビン:標準値が13~17g/dl
    17.2 →    → 15.7 → 15.6 → 14.7 → 15.0
4).ヘマトクリット:標準値が40~54%
    51.3      47.3  45.8  44.5  46.0

2.肝機能
1).GOT:標準値が8~40IU/l
    34  19  22  23  21  21
2).GPT:標準値が5~35IU/l
    63 → 17 → 16 → 15 → 14 → 12
3).ALP:標準値が105~340IU/l
    284  216  206  185  181  167
4).γ-GTP:標準値が0~70IU/l
    86 → 16 → 20 → 22 → 21 → 19

3.脂質
1).総コレステロール:標準値が130~220mg/dl
    207  178  171  201  189  186
2).中性脂肪:標準値が30~170mg/dl
    468 → 112 →  97 →  172 →  131 →  63
3).HDLコレステロール:標準値が35~85mg/dl
     34 →     →  53 →  61 →  61 →  70
4).LDLコレステロール:標準値が70~139mg/dl
         →     →      →        →  102 →  104

4.腎機能
1).尿酸:標準値が2.0~7.0mg/dl
    9.1 → 7.5 → 6.7 → 6.8 → 6.8 → 7.1
2).クレアチン:標準値が0.5~1.3mg/dl
    1.07 0.94  0.95  0.98  1.00  1.06

5.糖尿病
1).空腹時血糖値:標準値が70~110mg/dl
    88  86  77  87  82  91

6.メタボリックシンドローム判定
 測定胴囲は69cm、当然、『非該当』である。これは心配していない。

 気になるところでは尿酸値が正常値から微妙に外れたのが残念だが、取り敢えず、胃部、胸部のレントゲンに異常は無いのが安心。他の数値は大きな変化が無いものの、敢えて変化を見出すとすると、中性脂肪値が半減したのが大きなところだ。今回の尿酸値は、前週にビールを飲む機会が多かったのが原因だろうから、取り敢えずは気に病むポイントは無い。

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オレワンの激坂

 フジテレビの深夜番組、オレワンで小島よしおさんが提案された激坂へのママチャリで何メートル上がれるか?って競技、ママチャリ坂上りオレワンが結構面白い。

 この坂は、最大斜度が26%と言われる坂。初回放送では提案者の小島よしおさんが146.6mでトップだったけど、11月の放送ではペナルティーのワッキーさんが159.9mで記録更新。自転車芸人を自負する安田大サーカスの団長さんは当初の自信とは裏腹に130.1mで惨敗。

 この番組で紹介された激坂は結構楽しそうだ。26%っていうと、近場で思い付くのは、広島市東区牛田東二丁目の広電バス停から女学院大学バス停に向かう区間で、牛田東二丁目バス停から40m程進んだ場所を左折して望む坂を思い付く。坂の下には桜ヶ丘団地の表示があるのだが、ここは40mの標高を100m足らずで上るアホみたいな坂である。未だピストでチャレンジした事は無い。この界隈の団地は結構な急坂があるけど、この桜ヶ丘団地の坂を上回る坂ではない。他の団地の坂は乗って上がれるけど、この坂だけは上ろう!って気が起きない。単車でも古い原付では途中止まると再発進は不可能っぽいのである。

 自分の知る限り、色んな場所を出歩いたけど、この桜ヶ丘団地の坂以上の斜度を誇る坂は無い。今度、上れるかどうか?取り敢えず、DAHON辺りでアタックして見よう。広島在住の人でチャレンジする人が居れば、是非感想を聞かせて貰いたいものだ。

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2009年11月25日 (水)

概要表示変更!

 ココログのトップページの見え方が変わった。
 概要表示が可能となっている。以前は、設定を変えても全文表示から変更できなかったけど、この度の改良で可能となったようだ。

 トップページ自体が重くなっていたのでイイ具合だ。出来れば、全ての表示が指定しない限りは概要表示に留める方が更に有り難い。

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最終兵器に向けて

 今、シルクのR2-4ロードをベースにした自転車を作成している。それはさておき、最後の最後は、やっぱり自分のためだけの自転車が欲しいと思ったりする。

 自分のためだけの自転車となると、それはオーダーメイドだ。オーダーメイドというと、所謂オーダーフレームを作ると言う事。フレームオーダーっていうのは、相当に難しい。判らない事だらけだが、それでも作ってみないと判らない。作るからには正常なモノが欲しいけど、知らないからといって、リスクを避けてジェネラルに決めると、それは変わり映えのしないものになる。

 昔の自転車ブームでは、頂点にオーダー、次がセミオーダー、その次がマスプロ高級ブランドという流れだったけど、オーダー、セミオーダーの境目は案外希薄だ。色、仕上げ、工作レベルでオーダーと呼ぶか?セミオーダーと呼ぶか?は微妙なところである。
 有名なサイズ指定でトップ長、シートパイプ長云々があるけど、そのレベルの指定でオーダーと言うべきか?も微妙である。

 オーダーという言葉の裏には個人に誂えるということ。それは、好みの工作に対してもそうだが、好みの特性に対しても言えること。工作に対してのオーダーは誰でも出来るし、何処でも受け付けてくれる。しかし、特性に対してのオーダーは難しい。乗り手の体格、癖、体型、選んだ車型に望む特徴付け、それらを満足する形を数値で表すとどうか?を、要求する側、受ける側の経験に則った話の中で確定していかなければならない。

 そう考えると、最終兵器とは、正に最終であり、次が無いということ。つまり、自分の好み、使い方で最高の機能を提供してくれる理想像を描き、それを数値で示すとどうなるか?そして、どうなった!という事で決められたモノである。そういう最終兵器を一台企画して、その企画をベースにオーダーを受け付けてくれるビルダーを捜して製作に漕ぎ着ければ理想である。

 まぁ、実際は、市販車であっても、大方のポジションベースから自分の乗り方に合わせた調整で90%以上のモノになるのだが、それでも、用途に併せて考えたら、モアベターな選択が少々残るのも確かだ。今保有するバイク全てに言える事。それでも、ロード系バイクの場合は、メジャー故に理想に近いものが多いのも確かだが、ツアラー系バイクの場合は、マイナー故に、入手可能なモノが理想に近いか?或いは、それの作り手が何処まで理解しているか?に一抹の不安があるのも確か。ロードバイクのスケルトンそのままでツアラーっていうのも違う。ロードならロードで求める機能、それを満足する構成があるけど、ツアラーでも同じ。ツアラーに求める機能があって、その機能を満たす構成が特徴的にある。そういうのが理想だ。自分にとっての最終兵器は、ツアラー系のバイクであり、ツアラーユースに特化した最適性を得られるように考えてみようと思う。

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ツーリングバイク

 この三連休は、中日の天気の悪い日にショップサイクリングに出かけた。
 出撃させたのは小林製作所でレイノルズ531SLで組んだロードフレームに、基本はロードコンポだけど、ツーリング適性を高めるべくキャリアとフェンダーを纏ったバイクである。見た目は、スポルティーフ的ではあるけれど、見た目的に超タイトなバイクだ。それでも、乗り心地を除き、使い勝手的にはスポルティーフそのもののバイクだ。

 サイクリングには、このバイクに犬印鞄製作所によるフロントバッグを装備し、此れまでの近場向けのシルバンプロムナードペダルを止めて、シルバントラック+トークリップ+ストラップに交換して臨んだ。なお、ギア比的には変更なしで、前が46-38-30T、後ろが14-25Tという構成だ。

 これで、ドライ路面では、フルカーボンのロードをはじめとした数台のロードと対等以上に走ることも出来るし、踏んだ時の加速から到達速度に至るまで、自分の持つ他のロードバイクと同等に走る事も確認出来た。これは、まぁ、当然の結果で驚くに値しないが、良かったと実感したのは、何といっても雨中走行だ。
 雨中走行では、他のバイクに乗った人は殆ど全て悲惨な状況でずぶ濡れとなりホントビチャビチャになっていたのだが、フェンダー装備の我がマシンでは靴も表面こそ湿るけど靴下はダメージなし、下半身のジャージも僅かに湿る程度、上着はウインドブレーカー二枚重ねで殆どダメージなしという状態。フェンダーの威力は強烈である。

 そういえば、昔のサイクリングでは雨中、雪中、吹雪中、、、、いろんな状況でサイクリングに挑んだけど、その結果として当時選んだバイクがスポルティーフとなったのを思い出した。
 更には、フェンダーといっても付いていれば良いというものでなく、フェンダーがフェンダーたる機能を持つのは本所のフェンダーのみというのが当時の結論だったけど、今回も、結局はその構成であり、やはり自転車は最終的にはスポルティーフに行きつくという思いを強くしたところ。そして、装備は犬印のバッグがベストなのだ。雨中でも型崩れしない。この絶妙のサイズ、形状が35km/h走行において下半身の防水エアロカプセルのような効果を生み出す。下半身は雨中を走ったとは思えない程の状況なのだ。

 本所のフェンダー+犬印のフロントバッグ、これがツーリングバイクの方程式の解だと自分は考えている。フェンダーは如何にタイヤトレッドをクリアランスを詰めて配置できるか?これが大事。隙間が多いと水漏れする。このタイトさには意味がある。タイトに配置するには、干渉させない精度が大事。耐震性も大事なのだ。

 一方で熟成不足も明らかになった。今回のツーリングではフロント側の耐震性不足が露呈した。路面からの振動でフェンダーが触れてタイヤとの接触が実に不愉快である。そういえば、昔のスポルティーフのキャリアといえば、TAとかVIVAとかが出していたけど、殆どがキャリアの前側でフェンダーと固定する構造だった、、、、そう、クリアランスを詰めている状態ながら振動でフェンダーとタイヤの干渉を防止するために剛性を確保する処置が施されていたのである。
 それを思い出して、帰宅早々に、小林スポルティーフモドキにもフェンダー前方をキャリアから支柱を出して固定させてみた。

 良い具合である。がっちり固定されており、路面からの振動で干渉音が発生することもなさそう。

 乗るなら、スポルティーフに限るなぁ、、、、、ドライ路面オンリーならロードバイクもあるかもしれないが、サイクリングの楽しさは悪いコンディションの時程味わえるもの。そういうコンディションに遭遇した時に、想定内!といえるようなバイクが良い。

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2009年11月24日 (火)

何故にマスプロ車を選ぶか?

 先の記事でスポルティーフが欲しい話を記述した。
 普通なら、手に入らなければオーダー!って話になるんだけど、オーダーっていうのは、これまた難しいものだ。特にスポルティーフのオーダーっていうのは難しそう。

 そもそもスポルティーフとは何か?緩やかな定義に当て嵌めると、今の小林ロード改のスポルティーフ、シルクR2ロードベースのスポルティーフも然りかも知れないが、やはりサイドプルはNGだし、直付けで無いセンタープルでも完成形ではない。この辺の自転車はインチキスポルティーフみたいなもの。

 自分にとってのスポルティーフとは、先ず見た目的にはどうか?っていうと、直付けセンタープル+完全にホリゾンタルなクロモリフレームだ。そして、エンドはロードエンドに非ずで鍛造のストレートドロップエンド、勿論、フェンダーステー用ダボも完備というのは当然だ。この段階で現代売られているモノを見渡すと、そういう自転車は、今のラインナップでは見つける事が出来ない。似たようなモデルなら沢山ある。しかし、自分的にはサイドプルを使うとロードのフェンダー付きだし、カンティとなるとディアゴナールで、やはり自分の思うスポルティーフとは異なるものだ。
 そして、見た目以上大事なのは、スポルティーフたる所以となる本質だ。本質とは、フレームの使い勝手、フレームのスケルトンという部分、そしてフレーム自体が目的に沿った使い方で快適性を提供してくれるというのが大事なところなのだ。単純に軽いとか、ロードバイク的な乗り方で速いとか、そういうのでは無いのである。ロードとスポルティーフの違いに応じて違いが明らかに主張されたものでないとダメなのだ。

 もう少し、自分にスポルティーフとは?を満足させるような知識があればフルオーダー!って手もあるのだろうけど、スポルティーフならではのスケルトンとか工作とかを指定仕切れる知識も能力も無いし、色んなビルダーから自分でベストを選ぶ判断基準や判断材料も持ち合わせていない。ビルダーは数多くあるけど、競輪競技向けピストバイクから発祥したロード、それをベースとしたモノっていうのはチョット違うように思う。スポルティーフっていうのは競技機材とは違うのである。長い期間、ユーザーの普段着のような存在なのである。つまり、ユーザーの声をフィードバックできるような環境で無ければ熟成されたモノが生まれないのである。そういう声がスポルティーフの骨格を高い完成度に導くのである。
 つまり、自分が理想のスポルティーフを作る知識が無ければ、ビルダーに期待する訳だが、先述のようにピスト発祥のビルダーの思うスポルティーフはチョット違うように思うのである。その実績を多く持つビルダーとなると、ランドナー、スポルティーフを多く手がけた実績が無いとダメだ。そんな車型が成立していた時代に存在するビルダーでないとダメであり、そう考えると、1970年代~1980年代初頭のサイクリングブームにおいてビルダーとして確立していたような所に限られてくるのである。

 そういう考えでビルダーを絞っていくと、、、、、自分の知識で思い付く既存のビルダーは?っていうと、東叡社しか有り得ないのである。

 そこで、ふと自分のレベルを考えてみた。スポルティーフが欲しいといっても、25年前はファーストライディングモデルのフレームをベースにしたスポルティーフで途切れ、今は?っていうと、バリバリのロードフレームをベースにしたインチキスポルティーフなのである。
 そう、ジェネラルな意味でのスポルティーフを経験していないのである。つまり、スポルティーフとして実績のある企画から生まれたモノを知らないのだ。そんな人間が最高峰と思える東叡社のバイクを調達するのは、チョット烏滸がましいというのが偽らざる心境である。

 自転車人生のファイナルでは東叡社でオーダーが理想だが、その前に、自転車のプロがスポルティーフとして企画したスタンダードに乗るというのは悪くないと思うのである。つまり、それはマスプロメーカーの高級クラスになるのだ。これが、マスプロ車を先ず乗ってみようって理由なのだ。単車の排気量クラスもそうだが、自転車でもそうだ。何事もステップアップすることで、上級車の有り難みが見えるのである。途中は省略したくない、、、そういう気持ちがあるのだ。

ならば、その辺を公約数的に取り入れたマスプロメーカーの上級グレードが間違い無いと言える。

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ドラフティング

 自転車で縦に連なって走ると後続車両が楽珍となる。これは先頭が風を受けるから。二台で走る時は、絶対に後が楽である。
 では、三台以上の場合はどうだろうか?

 昔、バイクに風防を付けて小雨の中を走っていると、真後ろから前方に向かって雨粒が飛んでいたけど、アレは、風を巻き込んで背中を押すように風が巻き込んでくる。言ってみれば、背中を押すような風だ。
 速度域にも寄るけど、巻き込み風は速度が高いほど強くなる。巻き込みで背中を押される最後尾と、縦列進行の真ん中で前からの風は無いけど、後からの巻き込みも無い中段はどちらが楽なのであろうか?
 そういえば、一人で走る時と他人を牽く時で楽なのは一人で走る時だ。この違いを、巻き込み風によるアシストがあるか無いかの違いと考えると、縦列走行では最後尾が一番楽なのかも知れない。

 そういえば、一人で走っていて向かい風に遭遇しても、思ったほど疲れというか限界を感じる事は多くない。風の強さの割りには楽かな?と感じる事が多いけど、これは、風を受ける事即ち、後から押されているからなのかもしれない。
 一人で単独なら40km/hオーバーで10km以上を持続するのは難しくないけど、誰かを牽くと40km/hオーバーはコンディション次第となる。現実的には37~38km/h辺りとなる。

 因みに、平地走行時における所要出力の内、空気抵抗に消費される割合はいくらか?というと、20km/hが32Wで60%(総出力50W)、30km/hが110Wで80%(総出力140W)、40km/hが260Wで90%(総出力300W)に迫る。だから、ドラフティングすれば40km/hで走行している後に入れば、空気抵抗は260W分の出力は不要であり楽に速度を確保出来る訳だ。
 こういう事を考えれば、速い人の後で追走出来た!って事で得た満足は何の役にも立たない事も判る。一方で、単独で50km/h迄引っ張っても空気抵抗動力は500W、所要動力は560Wだし55km/hでも670W/740Wと言う事になる。後続が空気抵抗ゼロにはならないけど、牽き回すだけでは千切る事も出来ない。進路変更で空気の壁を与えるにしても、進路変更をした瞬間は前側も失速するし、ハンドル操作だけで反応されるから実質千切る事は不可能だ。後続を嫌うならば、不意を付いた急激な加速で背後に空気の壁を作る事しか出来ない。つまり、35km/h辺りで走行していて背後を嫌うならば、爆発的に45km/h程度迄牽いて、背中に10m程度の空気の壁を入れる事が出来るか否かに掛かりそうだ。

 緩やかに加速してという方法では話にならない訳だ。疲れるのを嫌う場合の心掛けとしては、抜く時は大外から大きな速度差で一気に抜く!これが大事である。そして、大きな速度差というのは持続可能な速度の範囲であるというのが大事だ。仮に、不意に付かれて嫌がるならば、35km/h程度から50km/h程度迄を如何に短時間で加速できるか?が大事だろう。

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2009年11月23日 (月)

昔自転車のカテゴリー

 アトランティスのスポルティーフが欲しいって記事を書いたけど、当時の自転車の分類に対する思い込みを整理してみる。

1.ピスト
 バンク専用の固定シングルスピードのバイク。ブレーキは無し。

2.ロードレーサー
 ロード競技用のバイク。基本はチューブラー。
 フレームの特徴は、フェンダーを通すクリアランスは、クラウン下、アンダーパイプ下、シートパイプ後等には存在しない。エンドはロードエンドでダボは無し。
 パーツの特徴は、フロントダブル、リア多段って構成が一般的で、ブレーキはサイドプルキャリパー。

3.ファーストライディング
 ロード競技の練習用公道向けバイク。700CのWOタイヤを使う。700×23Cが一般的。
 フレームの特徴は、ロードバイクに準ずるけどフェンダーを入れる隙間は確保されており、エンドはストレートドロップエンドが多い。キャリアの使用は必須ではない。
 パーツの特徴は、ロードレーサーに準ずる。ブレーキもサイドプルキャリパーだ。
 現代のカテゴライズでは、普通にロードバイクと呼ばれている様子。

4.スポルティーフ
 綺麗な舗装路面の公道でハイスピードツーリングするバイク。最長でも一泊程度の小旅行は対応する。700CのWOタイヤを使う。700C普及以前は27インチのタイヤだ。700Cならば25C~28C程度の幅である。
 フレームの特徴は、フェンダー、キャリアを取り付けるのはデフォルト。エンドもストレートドロップエンドだ。各種工作も多く趣味性が強い。
 パーツの特徴は、ロードレーサーに準ずる。クロウスレシオだけど少々ローギヤード気味。当時的にはフロントはダブルが基本だ。一部の人がトリプル化していたがマスプロ車は漏れなくダブルだ。ブレーキはセンタープルキャリパーが標準で上級グレードでは台座直付けタイプ。

5.ディアゴナール
 スポルティーフに準ずるが、走る路面の幅を広く、速度域を低めとして快適性を重視したバイク。700CのWOタイヤを使う。幅は28C~32Cである。
 フレームの特徴は、フェンダー、キャリアを取り付けるのはデフォルト。エンドもストレートドロップエンド。
 パーツの特徴は、後述するランドナーに準ずる。ワイドレシオでローギヤードな構成。フロントはトリプルを選ぶ事が多い。ブレーキはカンティブレーキがデフォルト。
 今の認識では、ディアゴナールもスポルティーフも一緒くただが、ロード、ファーストライディングに近いのがスポルティーフ、ランドナーに近いのがディアゴナールのような分類だろう。

6.ランドナー
 悪路を含んだ長距離を快適に走る自転車。1-3/8の26インチタイヤを使っていた。フェンダー、キャリアは当然、エンドはストレートドロップエンド。
 パーツの特徴は、ワイドレシオでローギヤード。安価なモデルに限りフロントダブルだが、基本はトリプル。ブレーキはカンティブレーキ。

7.キャンピング
 ランドナーに荷物積載性を強化したモデル。1-1/2タイヤで前後に振り分けバッグを積めるキャンピングキャリアを装備。シートステーはクロスステーとなり、強度アップを図っている。
 パーツの特徴はワイドレシオ、ローギヤード、フロントトリプルがデフォルト。安価グレードには存在しない車型。ブレーキはカンティブレーキ。

 見渡すと、結局、タイヤの太さで分かれる。タイヤの太さ=フレームクリアランスであり、そのためのブレーキキャリパーの選択が特徴といえる。
 サイドプルブレーキ+700C/チューブラーはロード~ファーストライディングモデル、センタープル+700Cの場合がスポルティーフ、カンティ+700Cがディアゴナール、カンティ+26インチがランドナー、ランドナー+キャンピングキャリアがキャンピングという分類だ。
 他には、フェンダーレスモデルはロードエンド、フェンダー装着を考慮すればストレートドロップエンドとなっているのが判る。

 整理して判る事。それは、、、自分の小林ロード改スポルティーフって呼んでいるのは、フェンダー付きのロード。せいぜい、ファーストライディングって言うモノ。間違ってもスポルティーフでは無いのである。インチキスポルティーフ、スポルティーフモドキみたいなものなのだ。
 リアルにスポルティーフというには、センタープル+フェンダー+キャリアでも余裕あるフレームスケルトンという事。果たして、シルクR2ロード改はスポルティーフに近付けるか?

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リアルなスポルティーフが欲しい

 自転車が増える度に、これが最後と思う。先の記事の原点回帰思想ではないが、原点+αのモノを以て完結させたいという思いが高まってきた。

 当時、DF-7110ってBSのダイヤモンドのスポルティーフ系モデルに乗っていたけど、当時にして6年落ちのモデル。その時、他にロード、ピスト、パスハンター等々も持っていたけど基本はDF-7110だった。そして、DF-7110の次を考えていながら、自転車ライフは脚の骨折で終わったのである。DF-7110をベースとしたスポルティーフに行き着いたのは、サイクリングが好き、でも楽に速く走るのが好き、主に1泊2日程度の旅が好きという使い方故の結果である。DF-7110を手に入れた時、スポルティーフは何ぞや?とい知識は無かったけど、当時の用途に併せたモディファイを繰り返すとスポルティーフ風に仕上がったというのが正直なところなのだ。

 それ故に、そのDF-7110で次に何が欲しいか?っていうと、当時確立したスポルティーフの方程式に則ったモデルだったのである。

 当時の感覚でモデルの特徴は?っていうと、異論はあるかもしれないが、当時の思想では、ランドナーは26インチ(3/8程度)+カンティブレーキ、スポルティーフは27インチ(1/4、1/8程度)か700C(25C~28C)+センタープルブレーキで高級車がセンタープルでも直付け台座仕様、ファーストライディングが700C(23C)+サイドプルブレーキ、ロードがチューブラー+サイドプルブレーキという大雑把な分け方だった筈。

 そして、好みがスポルティーフでありながら、DF-7110はスポルティーフの奔りであり、どちらかというとファーストライディングモデルであり、ロード色の強いモデルだったのだが、その後、BSもスポルティーフは完成されていったのを羨ましく思っていた。そんな新型車の登場を見て、当時の自分は、何が欲しいか?っていうと、直付けセンタープルで700Cとなった図式的に完成した系統で、ユーラシア・グランのスポルティーフか、アトランティスのスポルティーフだ。
 当時、BSではユーラシアとダイヤモンドのブランドだったけど、その価格帯には大きな開きがあった。そこで、その間を生めるべく登場したのがユーラシア・グランってモデルだ。これはマテリアル的にはユーラシア、工作的にはダイヤモンドという構成、センタープルが直付け台座仕様になったり、エンドがプレスエンドから鍛造エンドになったりしている。ダイヤモンドに対してユーラシア・グランは27インチから700Cになったのが大きな違い。名前はユーラシアを引き継ぐけど、内容的には殆どダイヤモンドと同じような仕様であり、その序列からダイヤモンドを明確にユーラシア・グランの上級と位置付けて登場したのがアトランティスってブランドである。

 その時の自分は、700Cホイール+ショートアーチの直付けセンタープルという構成を憧れの構成と見ていた。そんな訳で、今でも無性にユーラシア・グランかアトランティスのスポルティーフが欲しいと思っている。現代も直付けセンタープルのスポルティーフは存在する。それはテスタッチのディアブロってモデルだが、アーチが長いタイプで間延びして見えるデザインとスローピング風デザインが許せない。

 25年前に事故で自転車から離れて、3年前に復活した。
 当初は家族と徘徊ということで置き場の事も考慮して折り畳み小径を選んだ。次が、置き場+機能という事で折り畳み小径車の改造で遊んだ。そして、思いの外体力が戻っている事に気付き固定シングルを選んだ。次が当時のDF-7110と似たような経緯(バイト先で超安価で貰ったファーストライディングをベースに)で、ニシダサイクルさんで貰ったロードフレームベースにスポルティーフっぽいモデルを作った。その後は、フィットネス志向で作ったり、或いは、現代の最新コンポでロードを組んだり、はたまた、ビンテージ的なモデルを再生したりしたけど、やっぱり何かが違う。かまう程に何かが違うような感じなのだ。
 小径から始まり、シングルスピード、ビンテージロード、クロモリロード、現代コンポによるロード、そして、ビンテージロード、ピストと変遷して、最後は、当時考えていた過去の次期愛車に行きつく、、、、なんだか、凄く回り道したけど、結局、色々乗っても考え自体は25年前から変わっていないのである。変わっていない自分が判ったというのが今回の一番の収穫かな?って思うのである。

 ということで、錯覚かも知れないが、25年前の自分が次買うとしたら?と思いながら未だ手に入れていないのが、リアルに本物なスポルティーフだ。そんな訳で、長期計画でユーラシア・グラン、アトランティスのスポルティーフを気長に探そう!って考えている。理想は、アトランティスのスポルティーフだけど、見掛ける事はあるのだろうか?

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2009年11月22日 (日)

11/15~11/21の週の検索ワードピックアップ

★先行待機型ポンプとは
 最近は自転車、単車ネタは同じ検索ばかり。そういうワードを外すと、先行待機って言葉が上位にくる。
 これ、読んで字の如くである。定格運転の前に先行して待機するポンプの事。つまり、ポンプの一般常識は、吸い込み側に水が在って起動が前提だが、その前提に先行しての事。つまり、サクション側に水が無い状態で起動するポンプの事。
 全ての羽根車式ポンプでは回転体を支えるベアリングがある。このベアリングの潤滑を荷揚げ液体に任せるポンプでは、サクション側に水が無い状態は、無潤滑運転が強いられるのだ。ドライ摺動=摩擦発熱=破壊という方程式があるために、無潤滑に耐える事が出来る事が先行待機運転の必須条件となる。
 即ち、先行待機型ポンプとは、軸受ベアリング部が無潤滑運転に耐える事が出来るというのが仕様となる。因みに、その無潤滑運転の負荷は、定格回転数×60分とされている。なお、軸受に掛かる荷重因子に水力学的なラジアル荷重を検討には入れない。何故ならば、水がないので、そういう力が発生しないから。計算するのは、回転体のアンバランス要素。共振周波数での振動負荷は一般には考慮に入れない。それは本体の設計段階で回避してあるから。

★カプレオの組み換え
 カプレオカセットは、歯数構成が9-10-11-13-15-17-20-23-26Tという構成。クランク側にもよるけど、11~15Tの跳び具合が使いにくい。
 で、組み換えするのが良い。13T以降はカシメてあるけど、このピンを飛ばせば9速カセットの歯が使える。
 自分が作って良かったのは、9-10-11-12-13-14-15-17-20Tだ。調達したのは12Tと14Tである。14TはTIAGRA用で問題ない。12Tが問題。このままではSTIで変速しない。ギアの変速ポイントがTIAGRAの12Tとカプレオの11Tがマッチしていないから。そこで、変速パターンをTIAGRA12Tに彫り込んでやればOKだ。これは案外簡単である。
 実際に作ってみると快適変速仕様となる。
 しかし、今はカプレオは使っていない。普通にTIAGRAのハブで組み直した。そしてDURAの9速カセットを使っている。これは、11-12-13-14-15-16-17-19-21Tだ。9T、10Tの使用頻度よりも16Tが有効で、20Tを19Tと21Tに分けた方が使いやすいからだ。他にもカプレオでは10T以下で踏みまくると歯飛びを起こす事があるのが難点である。

★ニシダサイクル
 これで検索する人が居るのにビックリ。行き着けのショップである。因みに、自転車趣味を復活する前は中学校に近い○ツナガサイクルズさんに出入りしていた。復活時にニシダサイクルさんを選んだのは、家族の自転車全部を任せるには、家に近い方が便利だからだ。自分がニシダサイクルさんと付き合っていたのは中学入学時迄と今だ。スポーク組を教えて貰ったのは、先代の社長さんからだったりする。ショップ的にはMTBが多いけど、最近はロードバイクも多い。プロショップを自認するショップと較べるとフレンドリーで入りやすい印象。ビンテージロードが陳列してある。デローザ、コルナゴ等だ。一時期、自分のステンレスロード、シルクR1ピストも展示してあった。
 ロードバイクであっても競技機材としてや、ロードに乗る事を鍛錬と捉えるショップとは異なり、安全に楽しく健康管理という面を重視しているのが自分好みである。
 世の中、格好から入るショップと、実から入るショップがあるけど、明らかに後者のショップだ。

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煙草を再考してみる。

 最後の煙草を吸ってから随分と経った。丸二年以上経過して、三年目突入である。煙草をやめるのは最初の一週間が難しい!ってテレビCM等で流れているけど、思えば、丸一年以上経ってからの方が難しいのかな?って思う。

 断って直ぐは意志の力が働くもの。しかし、時間が経つ程に、禁煙!って意識は薄れ、どっちでも良いかな?って気持ちが起こるのも現実。煙草も酒も常習性があるけど、その常習性の本当のところは、年数が経った時に現れるモノなのかな?って最近は思う。
 元々、習慣の無い人は関係無いけど、嗜好品として嗜んでいた人自体には、モノに対する拒絶反応は無い訳であり、禁煙という意志が無くなれば、再び関心が湧いて手が伸びないとは言い切れないものである。

 煙草を止めてなんか変わった事あったか?を振り返ると、、、、正直、何も変わらないというのが正直な感想。

 一般的な禁煙(最後の一本からの経過時間)の効果は?っていうと、

1.20分
 血圧、脈が正常に戻る。手先、脚先の血流が戻り冷えが改善する。
2.8時間
 血液中の二酸化炭素値が正常値に戻る。
 血中酸素分圧が正常値まで戻り、運動能力が改善する。
3.24時間
 心臓発作のリスクが減る
4.48時間
 末端神経の感覚が 正常に戻る
 味覚、臭覚が正常に戻る
 歩行が楽になる。
5.1週間
 睡眠のリズムが正常に戻る。
6.2週間~3週間
 新陳代謝が活発になる。
 ウォーキングなどが楽になる。
 肺機能が30%アップする。
7.4週間
 禁煙による離脱症状軽減、ストレス減少
8.3ヶ月
 食欲が回復する。(体重増加の原因か?)
9.1~9ヶ月
 全身の活力が増加する。
 タバコによる慢性的な症状(咳、鼻詰まり、疲労感、息切れなど)が減る。
 腸の野船も活動が正常に戻る。それによって、体の粘液や、気道を浄化する
 能力が高まり、呼吸器の感染の危険を減らす事が出来る。
10.1年
 血栓症や心臓発作のリスクが半減する。
11.5年
 肺ガン死の可能性(一日に一箱吸っていた人で)がおおよそ50%減少する。
 口腔がんの可能性も喫煙者に比べ半減する。
12.10年
 肺ガン死の確率が非喫煙者と同程度になる。
 前癌状態の細胞が正常細胞と置き換わる。
 発作の確率が顕著に下がり、ほぼ非喫煙者と同程度になる。
 喉頭癌、口腔癌、食道癌、膀胱癌、肝臓癌、すい臓癌になるリスクが減少する。
 寿命が数年延びる。
13.15年
 血栓症による心臓病になる確率が非喫煙者と同程度になる。

 とされている。これを見ると、短期的には体感しやすい効果、長期的になるほど自覚するのが難しい効果と見える。大雑把にいって禁煙1年で体感出来る部分、禁煙1年以上でリスクが減るという部分に大別出来そうだ。

 それを前提に、断煙3年の自分が振り返ってみる。自分の場合、喫煙習慣とは関係無しで水泳、筋トレ、自転車という運動を行っている。この中で特に水泳と自転車は、肺の機能が影響しそうなモノだが、それでも正直何かが変わったか?というと、改善したと自信を持って宣言出来る程では無いのである。

 一番大きな変化は?っていうと、起床時における口というか歯の乾きが無くなった事。口の中の気持ち悪さが無くなった事。歯にヤニが付かなくなった事である。そんな具合だから、煙草に対して正直ネガティブなイメージは今でも持っていない。実際、煙草を吸っている自分の姿は悪くないと思うし、単車でツーリング、峠で一服って絵柄は寧ろ好きなのである。今は一寸した一時はどうしている?っていうと、只単に、ボーッとしているようなモノ。飴も違う。ガムも違う、ジュースも菓子も違う、、、、なんか、その一瞬と停まった時間に意味を与えるモノとして煙草っていうのは、今でも悪くないと思うのである。

 そういえば、大昔に薬用煙草、ネオシーダーっていうのを買った記憶がある。服用方法は煙草と全く同じだが、効能は咳や痰の除去である。しかし、これとてタール・ニコチンを含有している訳であり、これの中毒患者も居るという。実際、学生時代に興味本位で買った事があるけど、不味くて吸えたモノではない記憶がある。
 ところで、煙草の吸い方も色々だ。最もオーソドックスなのは『吸い込む』ということ。次が『ふかす』という吸い方。これも言葉通りに考えれば、吸い込むというのは肺の奥迄取り込む吸い方で、ふかすのは、吹かすということで口腔内に煙りを貯めて吹き出す方法、、、つまり、全く違う吸い方である。この違いによっても肺へのダメージも中毒性も異なってくるだろう。

 多分、今の時点でこのような記事を書く事自体が、何とか吸う方法というか言い訳を探しているようにも見える訳であり、禁煙が完全に完了しているとは言い難いように思う。

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2009年11月21日 (土)

おしゃれ工房

 11/18の放送が、『買い物や通勤に使っている自転車で気軽にエクササイズを始めましょう!“きれい”を磨く!自転車ですいすいエクササイズ 平日編~買い物・通勤でシェイプアップ~ 』だった。

 夜の9時半に目に留まったので見てみた。出演者は講師の中村博司さん、ゲストがシンクロ選手だった奥野史子さん、番組進行のアナウンサーという構成

 講師の方がロードバイク、二名の女性が軽快車である。番組自体が女性向け教育番組であり、講師の方がロードバイクというのは違和感を感じたけど、自転車博物館の館長さんで、元ロード競技の選手、ツール・ド・フランスでもメカニックで出場した経験もあるそうだ。

 番組の中ではありきたりだが、サドルの高さ調整が重要だという話、乗り方、降り方、登坂の仕方の説明が在ったけど、目を見張ったのは、奥野さんのママチャリでの走行シーンだ。リラックスして車体もぶれないし安定している。アナウンサーがやらせかどうかしらないが、登坂出来ない上り坂も笑いながら話ながら、頭がぶれることなく、車体もぶれることなく淡々と登坂する。登坂直後でも呼吸の乱れは全く無いのが凄いなぁって印象。講師の方がロードで前インナー、後センターだから39×19位、ロールアウトで4.3m程、ママチャリでも同じくらいの筈だが、重量が倍、基本は下半身主体で漕ぐ自転車だからハンディは相当にあるんだろうけど、そのハンディを感じさせない程の走行シーンだ。

 そういえば、シンクロナイズドスイミングの元日本代表選手である。コレぐらいでは息が上がる筈も無い訳だ。普通に泳ぐ以上にトレーニングを積まないと、あんな動きは不可能。スイマーが自転車に乗ると楽勝パターンが多いが、スイマーの遙か上を行くのがシンクロの選手だろう。

 あんな方にママチャリ乗せてすいすいエクササイズって言っても、普通のオバチャンにはゼェゼェエクササイズだろうなぁ、、、

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記憶

 記憶について、記憶力の低下は老化に非ず、好奇の度合次第という持論を展開したけれど、一般論から持論を誘導してみる。

 記憶っていうのは、二種類に分類され、一つは短期記憶、一つは長期記憶と分類されている。一般に、短期記憶は小容量で揮発性、長期記憶は大容量で定着性があるとされている。

 しかし、人から見て入ってくる情報に差異は無い訳で、最初は体験として入ってくるだけであり、それが短期記憶か長期記憶かに選別されるのであろう。そして、どちらにしろ、記憶というのは情報を記録する訳であり、その量には限界があるのも事実であり、言ってみれば、長期であれ、短期であれ、記憶が代謝して入れ替わっているのが実際のところだろう。

 イイ脳っていうのは、必要な事はしっかり留め、不要な事は綺麗にクリアする。そして、長期短期の選別が社会における重要度とシンクロした選別機能を持っている事。そういう事なんだろう。

 体験を記憶として留めておく有効期限が記憶の代謝のようなもの。そして、記憶の有効期限を定めるのが長期、短期記憶の選別機能である。有効な選別機能とは、生きる上で重要度の高い知識を長期記憶に留める事の出来る機能であり、それが無いと、大事な事が判らないというようなバカな個体になるんだろう。そして、記憶に有効期限を適切に定められなければ、柵にくよくよするような人生になったりするんだろう。

 言えるのは、入ってくる情報にランク付けする力こそが、記憶力の個体差になっていると言える。情報にランク付け出来る力とは何か?それは、情報の価値を社会常識を始めとした様々な価値観から定める事であり、較べる尺度的な情報を如何に有するか?が鍵となっている筈である。
 更に、突き詰めると、情報を如何に有するか?というのは、行動判断の前例となるデータを蓄積すること、、、、人の行動をシステム的に言うと、エキスパートシステムの中でデータベースを系統立てて作り出す事と同じであり、いわば、体験と学習によって得た知見の差が行動判断材料の差となっていると言える。

 情報の収集結果の違いが記憶の選別機能の差となって現れている。情報の収集結果は、どこで違いが出るか?というと、生物の特徴である、好奇心を考えると、好奇心こそが生きる力、本能であり、その本能に従った探求活動に制約を受けたか否かこそが、情報の収集力の差を生んで、収集した結果の差になっていると言える。

 このように考えると、生まれた時は本能的に探求心に溢れているが、環境によって探求活動に制約を受け、それが将来の行動判断、記憶の選別判断に重要な役割を担う知識量の差を生む。この差が、情報を選別して記憶を振り分ける力の差になる。この知識の蓄積に従って、個体毎に情報の取捨選択を行うようになる一方で、知識の蓄積が無ければ、記憶の選別機能も低レベルなままとなり記憶が苦手となる。
 一般に物覚えの悪さを老化の責任にするよりも、情報の選別能力の無い状態を作ってきた生活への適応現象のためと捉えれば合点がいく。

 そんな事を考えれば、人格形成を含め、知識の集積等様々な面で、如何に幼少期における好奇心溢れる探求活動が重要か?というのが判る。生きる力=好奇心による探求活動によって得た情報量=環境価値観に合った判断力であり、やはり、原点における生活が一番大事なように感じる。
 この人格形成では育児による性格の遺伝が最大のポイントであり、実は、遺伝っていうのは、育児による性格の伝達の事なのかな?とも思ったりする。

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自律性にビックリ、、、、でも、、、

 ここ最近は急激に気温が低下している。
 11月になって実質的に衣替えを行ったけど、今週は一気に冬仕様である。

 それに併せてビックリなのは、収縮期血圧が120mmHgとなり、心拍数が40台前半になっている事。
 気温に連動して血圧が上昇し、心拍数が減少する。純粋に気温で血管が収縮しているから圧力が上昇気味故に、心拍数が下がっているのだけど、傾向が物凄く顕著に現れる。

 で、思ったのは、血圧数値に対して脈圧が非常に広くなってきているのがどうなの?って感じ。
 先日から拍動性とか拍動負荷を計算しているけど、拍動性数値が0.65を越えるような状況だ。拍動性とは、血圧変動率とでも言える無次元数。血圧の変動が平均値に占める割合の事であるが、これが多いと心疾患リスクが高まるとも言われている数字だ。高齢者の場合を例に挙げると、下が90mmHg、上が180mmHgの場合、脈圧が90mmHg、平均が120mmHgだから拍動性は0.75となる。普通に健康な場合、下が80mmHg、上が120mmHg、平均が106mmHg、脈圧が40mmHgで拍動性は0.37だ。よって、0.7近辺の数字は結構ヤバイと言われているのだ。

 現実問題として、血管内の圧力変動率は非常に大きいのは事実だ。ただ、血管負荷と考えて頻度を乗ずると減るのは拍動負荷云々を記事にしたとおり。

 自律性にビックリというのは、気温(体温)に対して加圧側の機能は凄く自律的に働いているのだが、逆に、負圧側の下の血圧数値は変わらないというのが興味深いところ。

 血圧、気温、心拍数から身体の状態を推し量るパラメータに何が適切か?は、もう少し考えてみると面白いかも知れない。

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2009年11月20日 (金)

インテグラルヘッドって名前は格好いいけどねぇ

 我が家には年式違いのDAHONのSPEEDがある。一台は2002年モデルのオーバーサイズスレッドステム構造のモデルで西DAHONって言ってるモデル。もう一台はフルモデルチェンジした2005年モデルでアヘッドデザインでインテグラルヘッド搭載って呼ばれてるモデルでスピママって言ってるモデル。2005年以降のモデルの基本構造は不変で、折り畳みの蝶番部の固定方法が少々変わっている程度で、基本は同じ。一時期、SRAMの変なRメカ用のエンドを持つモノも居たけど、今は普通のエンドデザインが主流のようだ。

 何と言ってもDAHONの一番大きな違いは2004年以前と2005年以降のヘッドデザインの違いだろう。で、どっちがよいか?って部分での感想。

 シンプルで軽量、整備状態の剛性を比較すると、新しい方が良いのかもしれないが、二台乗って思うのは、ヘッドの緩みが定期的に発生するのはインテグラルヘッドのモデルの方だ。スレッドステムデザインのモデルでは、そういう事は起こらない。二台乗って思うのは、どちらかというと古いモデルの方が頑丈かな?という気がする。
 勿論、乗っている距離が違うから、自分の二台だけでの比較では?ということで、同じくスレッドステムデザインのモデルでパナソニックブランドでOEM供給されているビーンズハウスってモデルがあるが、これに通勤で毎日使っている人の状態を確認してもガタは発生していない。
 確かに、インテグラルヘッドデザインはシンプルで整備性も優れるだろうが、伝統的な構造の方が何となく好みだ。

 そういえば、ラングスターのアヘッドなステムは頻繁に整備するけど、他のスレッドステムのバイクはステム周りにガタを感じて整備した覚えがない。果たして、どっちが優れるか?ハンドルハイトを低くするならばアヘッドステムは必須だろうが、そうでなければスレッドステムも捨てがたい。スレッド構造のクイルステムといえば、ハンドル交換がレバー類を全て外すのが面倒というのがあったけど、最近のクイルステムは日東のUI-2のようにオープンクランプもあるし、PAZZAZのRAS05のようなアルミのオープンクランプもある。
 そんな訳で、小径、フルサイズに限らず、自分としては普通のスレッドステムの方が好みである。

 まぁ、頭の中が25年間が基準だから仕方ない。アヘッドなんて無かったし、コンパクトクランクなんて呼び名も無かった。
 他にもデュアルピポットブレーキなんて品が無いから嫌いだ。ロードなんて制動性でなく速度の調整が重視だから軽いシングルピポットのサイドプルで十分。制動力がそれでも必要ならば、直付けのセンタープルだろう。レバー比が違うVブレーキなんぞも嫌い。カンティで十分だ。
 更に言えば、ハンガー下のワイヤートンネルも嫌い。泥を一番受けやすいところに配置する意味が見えない。ハンガー上の方が好み。

 あぁ、、、頭がドンドン時代と逆行しているようだ。何が良いかは宣伝の仕方と受け取り方次第だよなぁ、、、、優れた制動力を発揮出来るレバー比が実現できるデュアルピポット・・・と言えば、それが良い!って人も増えるだろうけど、必要十分な速度調整機能を最軽量で提供するシングルピポットサイドプル・・・・って言えば、それが良い!って人も間違いなく出てくる筈。殆どが言われるがままに、なびくのだろう。客観的に見て考えて判断していくと、必ずしもコマーシャルトークに誘導されないのである。誘導されて、不具合が発生したら、それが普通と受け入れる性格だったら違う感想なんだろうなぁ、、、、

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基礎疾患

 ここ最近よく聞く言葉だ。新型インフルエンザのワクチン接種の順位の中で、基礎疾患を有する人が優先されるって辺りから聞き出した言葉。

 その基礎疾患って何よ?っていうと、その人が元々もっている慢性的な病気、いわゆる持病のことなんだそうだ。ぜんそくなどの慢性呼吸器疾患や慢性心疾患、慢性腎疾患、糖尿病などが該当し、病気の元となっている他の病気の事を指す事があるそうだ。例えば、白内障を引き起こす糖尿病や、脳卒中や心筋梗塞を引き起こす高血圧なども基礎疾患に該当するとの事。

 しかし、このような疾病の修飾語に基礎って言葉が使われるのは一寸違和感がある。本来は、物事や論理の土台の事を示す訳であり、『いしずえ』という意味からすると、解りづらい。

 医学関連でいうと、『基礎』って言葉からは、基礎体温、基礎代謝といった言葉があるけど、それらと基礎疾患で用いる基礎って言葉は同じに見えにくいモノ。

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サイクリングはどうしようか?

 この週末、ニシダサイクルさんのイベントサイクリングが開催される。行き先は、広島~呉~広~仁方~蒲刈~豊島というコースで、所謂、とびしま海道サイクリングだ。

 基本は、宇品港で集合して呉までフェリー、そして仁方迄走行して島に渡るパターン。

 メンバーは?っていうと、殆どがロードバイクだ。ロードバイクが男性数名、マウンテンバイクが男性二名、女性二名って感じだ。基本はフェリー利用だけど、自走も居る。

 さて、自分はどうするか?問題は小学一年生の娘が大丈夫か?と言う事。まず、自走は有り得ない。自走が無いならどうするか?最長でも呉港からの発着である。そこで、呉港からの距離を測ってみた。

 まずは、呉の本州側が、

呉~5.5km~阿賀~2.5km~広町~3.0km~仁方~2.2km~川尻(積算で13.2km)

 となる。片道で13.2km、往復で27kmというと、、、、こりゃぁ限界に近そうだ。
 次が、とびしま海道部分

川尻~5km~蒲刈~9km~豊島(積算で14km)

 となる。片道で14km、往復で28kmだ。全行程を走ると56km、、、、こりゃぁ、一寸厳しい。小学一年生となると往復で40kmくらいか?というのが親の見た感想。往路は兎も角、復路で呉港からのフェリーに乗り遅れると厳しい。大人なら攻め込んで走れば時間を短縮出来るけど、それは小学一年生には厳しい。
 となると、車で広町、仁方、川尻辺り迄連れて行って、そこから合流して走って帰るというパターンかもしれない。

 フェリーに乗るのを楽しみにしているみたいだから、取り敢えず宇品港から呉港迄は自転車を積んだ状態で車でフェリーに乗り込むべきか?いろんなパターンが頭を巡る。

 取り敢えず決まっているのは、娘を連れて行く、自走は無理、呉~川尻迄のコースを考えると休山トンネルとか危なっかしいので、どんなに走らせても広駅より向こうからだろう。
 ということで、エリオに娘のMTBを載せるというと、自分は折り畳み自転車って事となる。オ・モイヨWWか西DAHONという事だ。久々に西DAHONが出撃となりそうだ。

 ところで、とびしま海道に限らず、しまなみ海道、瀬戸大橋等々の橋による島の接続が行われて住民にとっての利便性が高まっているのは理解できるが、自動車等の交通手段を持たない人にとっては諸手を上げて喜べないのかな?って気もする。
 今回も、広島から蒲刈、豊島経由で今治を結ぶ航路が廃止されており、結果、呉迄しか行く事が出来なくなっている。

 生活道路としての整備と考えれば、島で接続する区間の航路の廃止は理解出来なくもないけど、観光資源としてかんがえると交通が制限されるのは有り難くない。

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2009年11月19日 (木)

インフルエンザ接近中!?

 先日、インフルエンザ蔓延中って記事をアップした。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2009/11/post-cfdd.html

 である。あれから一週間が経った。で、どう変わったか?っていうと、職場で家族(主にお子さん)が感染して休業する人が飛躍的に増えている。そして、娘の小学校のクラスでは、女子生徒二人を残して全員がインフルエンザに感染して休んでいるとの事。その最期の二人になっている状況だが、もう時間の問題のように感じる。学校の仲良し女の子も皆感染して休んでいるとの事だし、半ば諦め気味。そんな小学校のインフルエンザは、10/24に強行開催された運動会を起点として校内感染が拡大したようだ。その後、学級閉鎖が相次いで、11/14のオープンスクール+父兄参観、11/17の極寒で雨天にも拘わらず強行された動物園への遠足が感染拡大を加速しているように見えるのだが、、、

 因みに、今回の新型インフルエンザの累積感染者は738万人、死者は64人との事。累積感染者というのは、取り敢えず確認された人の数ということ。そして、今回のインフルエンザは感染しても無症状な人も相当に多く、発症する人自体が1/3との説もあり、逆に言えば3倍程度の感染数になっている可能性があると言う事。
 つまり、800万人×3=2400万人の感染が疑われるとの事。2400万人というと人口の1/5だ。800万人でも1/15という事。しかし、見る限り、15人に一人の割合で感染者というか発症者が居るようにも見えない。重症化する率は極めて低いのが現実だし、確率的に言えば、感染しても発症せずに気付かない方が多いという事になるのでは無いだろうか?

 そんな事を考えると、数的にも、状況的にも確実にインフルエンザが迫ってきているようだ。もしかしたら、既に感染しているのかな?とも考えてしまう。

 ところで、我が家のインフルエンザ対策は?っていうと、敢えて混雑した場所へのお出掛けは控える事と、各部屋に配置した加湿器、手洗いうがいの励行、そして、プラズマクラスター空気清浄機というパターン。そして、起床時、入浴前の二度の検温である。そして、今のところ異常は無い。子供二人は体温が36.5~36.8[℃]、自分が35.9~36.5[℃]という状況。後は元気を保つべく運動を欠かさない生活習慣であろうか?
 思い返してみると、我が家の子供二人は、生まれて今まで、休日診療、夜間診療に行った事が無い。病院は?っていうと、定期健診、予防接種と、切った、打ったの外傷での治療ばかり、自分は?っていうと、少なくとも記憶の遡れる小学校低学年以降では発熱で休んだという記憶は無い。発熱自体未経験。当然、季節性のインフルエンザでも発症した覚えは無い。体調が悪い?時は、何故だか泳ぎに行かされた記憶しか無かったりする。

 一番望ましいのは、実は感染していたけど、誰も発症しなかったというパターンだが、なかなか、そんな好都合に物事は運ばないだろう。

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つながり

 健康診断の結果がもうじき帰ってくる。
 例年、その結果を見て一喜一憂しているけど、その結果数値には健全域という事で、或る程度の幅を持って正常か否かを判断する。幅というからには、上限下限があるのだ。

 更に、いろんな検査項目があるけど、そこには善玉とか悪玉という風に如何にも問題となる悪い因子となる物質が含まれているかのような表現もある。しかし、善悪の表現を付けたのは人間であり、化学物質名的には善悪は区別していないし、悪と言われるモノであれ、存在するには理由があるのも間違い無いのだ。どんな物質でも存在するからには、その理由があるし、健全域という言葉が定義されているならば、多すぎても、少なすぎてもダメというのは間違い無いのである。

 そして、これらの物質の生む、量の多少というのは、生物個体のシステムの平衡性の中で分配された状況であり、現代の技術で解明されているかどうかは別として、すべての数値は何らかの関連性があると考えるべきものである。そう、数値的な分配状況というのは、システムが平衡性を維持している状態を示すパラメータであり、その数値単独での評価は殆ど意味を為さないものである。

 昨今、様々な治療薬、サプリメントというのは、平衡性を示すパラメータの数値単体に着目して、数値を健全域に戻す事を目的としたモノであり、結果に対する対処的なモノばかりである。パラメータの示す非健全性を健全な分配に戻し、健全な平衡状態に移すための方法というのは、案外、疎かになっている、、、そんな感じである。

 ユーザーというか個人自体も、数値の以上が示されれば、その数値のみに固執し、薬剤による治療に頼ったり、或いは、或る数値を見て、その数値だけで身体の状態を推し量ろうとしたり、その数値を外部的に強引に変える事に留意しすぎてドーピング等に走ったりしている。

 大事なのは、数値単体ではなく、数値を作り出した平衡状態を改善する事であり、健康とか強い身体というのは、個体の過ごす環境から生まれ、その状態の一部が、パラメータ数値として表現されているだけであり、そのパラメータ数値は、単純に、或る部分だけが高いとか低いとなっているのではなく、数値的に新しいバランスとなっている筈である。
 更に、これらの数値のバランスで最適バランスが何か?っていうのは、完全に解明されていない方が遙かに多く、数値の健全域の何処がピンポイント的に最適か?というのも明確に断言する事は難しい。

 最近、色んな事の判断をデジタル的に判断する人が多いけど、本当は何事もアナログ的に判断すべきであり、その連続性は項目横断的(水平的)にも見て、時系列的(垂直的)にも見るべきである。バランスで考えるとか、範囲で考えるというのは正しくアナログ的なモノの見方なのだ。

 つながりというのは、アナログ的な思考がありきであり、そこから判断した代表値がデジタル的な数値であったり見方であったりする。とある数値単体を見る時は、その数値のつながりを考え見る事。これが健康を保つ時に、すべき事を発想するのに大いに役立つのでは無いだろうか?

 話だ脱線するけど、結果項目の数値の良否判定のみで健康管理等を行おうとする人っていうのは、先の話ではないが、自分で結果を判断するのでなく、他人の判断に当て嵌めるだけの人とも繋がる。そう、自分で考えない奴ほど、CMや宣伝に翻弄されて、サプリや新しい薬剤に走る、、、まぁ、売る側もそれを狙って商売しているのは間違い無いし、うがった見方をすれば、そういう扇動でコントロールできる民衆程、市場コントロールがしやすいので、そういう教育を施したのが国策だったのかな?なんて毒舌評価する事もできそうだ。

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老化の定義は?

 このところの記事を書きながら、気になり始めた事がある。
 それは、老化って言葉の定義だ。普通には、老いるって事だが、老いる事で機能が衰える。衰える理由を老化のためと片付けるのが普通なんだが、どこまでが老化?って考えると、明確な答えには行き着かない。

 老化の対義語としては成長があるが、成長というのは理解できる。しかし、成長点に到達したら老化というのは一寸イメージ出来ない。

 自分の感覚としては、成長→平衡(適応)→老衰という印象。成長とは読んで字の如く、個体が生物としての完成形に到る過程の変化を表し、老衰というのは完成形からの機能喪失を表す。生物の機能が完成形で保たれている期間というのは、種によって異なるだろうが、子孫を残し、習性として育てるという行為が在るモノについては、すくなくとも、その期間は成体の機能は維持されているのでは?と思うのである。具体的にいうと、生殖機能が整って、それが失われるまでの期間は少なくとも成体の機能は保持されているはずであり、更には、機能を失っても、その後の子の育てる期間は衰えが顕著となるのは理に適わないと思うのである。

 他にも、人体の寿命に関する説では、色んな話が飛び交っている。例えば、根拠が何か?が不明だが120~150年で各臓器が寿命を迎えるという話もあるし、テロメアに細胞分裂の回数が記録されており、それが上限に達した時に細胞分裂が行われなくなり死滅するという話もある。
 このテロメアって話は近年発見された成果だが、テロメアによって細胞分裂の上限が決められてもなお、個体による寿命に大きな差があるのは、単に、細胞分裂を必要とする、つまり、細胞更新の必要に迫られる期間が個体によって差があるのが理由だろう。細胞更新の必要性とは、つまり、細胞の損傷負荷に対する耐性次第であり、細胞自体を守る機能の個体差、細胞の曝されている環境の個体差によってもたらされると考えられる。

 つまり、テロメアという細胞分裂の回数券を減らさない?という事は、長持ちさせる事であり、少々の負荷には負けない強い細胞と、過剰な負荷を与えない生活が鍵なのは明らかである。
 このような機能的な限界は、個体差というよりも種毎に定義されていると考えるべきであり、種毎に定義されている物理的限界こそが、本当の意味での老化の定義に当て嵌まるのでは無いだろうか?少なくとも、個体の努力というか過ごし方で維持出来る機能というのは、それ以前に他の個体が機能を失っても、それは老化のためと言うには安直すぎるのは間違い無い。

 老化という言葉を簡単に口にするのは、多分、個体にとっての気持ち的に一番楽だからだろうと言える。

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2009年11月18日 (水)

脚の変化

 小林のスポルティーフからシルクR1ピストにローラー台機材を変更してしばらくが経過した。

 最近は、イイ感じで違和感無く、恐さもなく、快適に乗れている。ローラー台からの飛び出しも無いし、ペダルキャッチも問題無い。スポルティーフのフラペからトークリップ+ストラップに変更したけど全然OKだ。

 実際、最高ケイデンス状態でも従来の上限220rpm程度が250rpm程度迄アップしており、機材自体がペダリングしやすいという特徴も実感しているが、それ以上に自分自身も慣れてきたというか、余裕が出てきた感じなのだ。

 そんな風に、余裕が出てきたので姿見サイズの鏡を隣に置いてフォームチェックも行っている。

 で、気付いた事、、、、それはスネの前側にも明らかに筋肉が付いてきた感じなのだ。勿論、脹ら脛側のヒラメ筋もしっかり見えるけど、スネの前側も隆起がしっかり確認出来る状態。勿論、腱様筋、半膜様筋、大腿二頭筋も太くなってきたし、大腿四頭筋も相変わらずだけど、ここ一年で一番変化したのは、下肢前面の筋肉だ。脹ら脛の周長は現在44cmである。二年前から+2cm、太股は63cmだから+1cm、ダイエット完了後の2006/12(脹ら脛39cm、太股59cm)から丁度3年経過するけど、脹ら脛が5cm、太股が4cm周長が大きくなっている。元々の太さから言うと、脹ら脛の肥大率が特に目立っているようだ。
 実際、脚の太さ=筋力、即ち、自転車でいうと加速力と到達速度に違いが出るんだろうけど、自転車を復活した頃は?っていうと限界が50km/h程度だったけど、今では、どの自転車に乗っても50km/hって数字は簡単に出せるし、限界は?っていうと55km/h以上だろうと思う。条件が違うから一概には言えないけど、速度で1割り増し、抵抗でいうと1.1の二乗だから2割り増しだ。それに相当する筋力と回転力は向上したかな?とは自分でも納得できる範囲だ。

 しかし、大きな姿見をローラー台の横において観察しながら乗ると脚の筋肉のどの部位が、どの瞬間に働いているのか?が一目瞭然であり、それを見ながらテーマを決めて、意識を変えてトライできるのは結構イイ感じ。勿論、それで吹っ飛んで落車すると酷い事になるけど、それ以上に色んな事が判るからイイ感じだ。

 これ見て、乗り方変えて、その時に、どの部位にどんな時に不足感を感じるか?が把握できれば、ダンベルを用いたストレッチ、筋トレでメニューの変更、意識の変更することにも判断材料として役立つ訳だ。観察して考える。観察する時には、今はどう?を常に意識してるけど、思いと現実のギャップを見抜くには、思いが叶えばどうなっている?って理想を持っていないと判らない。

 やっぱり、漠然として運動していてもダメだなぁ、、、と改めて思う。何がどうだから、何処をどうしたい?を常に意識する事が大事なんだろう。
 これって、当たり前の事だけど、多分、そういう意識で乗っている人っていうのは、ローラー台の真横にデカイ鏡でも置いてる人も少なく無さそうだ。

 フォームチェックの意味も兼ねて、こういうのは役立つもんだ。

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ジャンク?志向、、、

 自転車の改造というかレストアを行っていて、最近思う事がある。
 単車とか自動車と違い、自転車っていうのは、とってもリーズナブル、、、、一言でいうと安価、安いのである。

 完成車なら単車で言うと250ccクラスの値段で殆ど全てのラインナップが狙える。リッターバイクを買うつもりなら自転車を選ぶ上で値段的な制約は皆無となる。それ故に、コンポ、パーツ、消耗品レベルでは尚更である。普通の大人にとっては、自転車程度なら大人買いでザックリゲットできるのである。

 しかし、、、、

 何故だか、そういうのは好みで無いのである。金が無いというか、使いたくないという訳ではないのだが、、、、、何だか、廉価志向というか、ジャンク志向というか、そういう方向にときめいてしまうのである。

 例えばだが、今、スポルティーフに関心がある。手持ちの小林ロードもスポルティーフ的に変更しているし、シルクのR2ロードもスポルティーフっぽく考えている。スポルティーフっていうと、センタープルキャリパーなんだが、普通はセンタープルならマファック、ユニバーサルってところなんだろうが、何故だか、国産品が良いなぁ、、、って思うのである。この辺が、今50代以上のマニアと自分の違うところ。個人的には、マファックとかユニバーサル、ワインマンっていうのは、70年代以前のマニアのためのロードレーサーという印象の方が強く、70年代後半~80年代初頭で自分の原点であるマスプロダクション製スポルティーフっていうと、国産品という印象なのである。
 昔はそれでも、一寸上級なGRAN-COMPEとかに関心があったけど、今は、どちらかというとチープなレア物志向だったりする。普及品で十分だが、更にレアなCHERRYとか、アライブレーキとか、そういう際物の方にグッとくるのである。

 性格なんだろう、、、、、何故か、トップレンジより普及価格帯、更に言えば際物の方が好きなんである。

 今、手持ちのセンタープルキャリパーは何がある?っていうと、マファックのレーサー、CHERRYのアルミキャリパー、アライの鉄キャリパーがある。気分としては、CHERRYとアライのどちらかを使おうと思っている。どちらか?をR2ロードに使うつもりだ。ホントを言えば、7200系DURA-ACE EXのサイドプルが使ってある小林スポルティーフにもセンタープルキャリパーと行きたいところ。やっぱり、泥よけが付いているとスポルティーフ、スポルティーフならサイドプルは邪道!?って思う部分があるので、真剣に考えてしまうのである。

 ただ、センタープルにすると手持ちのパーツを見るとTAの超小型のキャリアになる。すると犬印のカバンが載せられない。更には、フレーム自体が一級のロードフレームでフェンダーステー用のダボも無い代物でアダプターでステーを支えている。そういうことを考えると、やはり基本はロードながらツーリングも可能というレベルに留める現状(ロード構成+フェンダー)がベストかな?とも思ったりするのである。そんな風に迷うくらいなら、定番的にセンタープルならマファック!って意見もあるけど、マファックっていうのは、昔の印象では、高級ロードレーサーの定番という印象が強く、嫌いではないけど、積極的には選べない!?って気持ちが強い。
 機能的にも気になる点があるが、その一つが、シューがギロチンナット留めである事。見るだけならシューは何でも良いけど、ブレーキは効きが命。効きはシュー次第。シューの材質、トー角が大事。そういう視点でみるとシューは現代の商品が使いたい、、、、となると、マファックのギロチンナット留めよりも、当時の廉価品の留め方が好み、、、、他にも、牽きのアーチワイヤーが特殊で入手に手間取ったりするのも懸案だ。そんな風に、廉価志向+変な機能への拘りという事で、やっぱり国産普及系が理想だったりする。

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2009年11月17日 (火)

ゆ・と・り・・・・・

 日曜か、月曜か忘れたけど、テレビの番組でコメンテーターが話ししていた内容が、『ゆとり世代は、判断して行う事が出来ない。指示にしか従えない、、、、』って話だが、これは最近特に多く聞くし、最近、身の回りでも思いっ切り沢山目に付く事。

 頻繁に記事にするのも如何なものか?とも思うのだが、ニュースや新聞、雑誌でも、そういう論調を特に頻繁に目にするのは気のせいか?

 そもそも、ゆとり教育とは、日教組の提言で問題提起が始まったモノ。昭和52年から昭和55年に掛けて学習指導要領の改正が始まったのが起点。実施としては、昭和55年度から実施。

 つまり、ゆとり教育を受けたゆとり世代というのは通説による1987年生まれ以降というのは誤りで、昭和55年に15歳だった世代がゆとり色を受けた起点ということで、昭和40年生まれ世代、正確には昭和40年度世代がゆとり開始点でもある。

 つまり、1987年以降が突然にゆとり世代になったのでなく、1965年生まれ以降からゆとり教育の影響が色濃くなっていったと考えるべきなのだ。1965年生まれというと、2009年時点で44歳以下の若年層にユトリズムの影響を受けた人が一寸ずつ増えているんだと言える。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2009/04/post-6008.html

に教育制度の変遷についての戯言をアップしているが、そういう事だ。

 タダ言えるのは、ゆとり教育がダメと言っているのではない。ゆとり教育で、教育内容の多少がバカの多少に直結するような論調が多いけど、そうではなくて、ゆとり教育というよりも、物事の判断を自分で行う癖が身に付いているか否か?が問題なのである。

 実際、ゆとり教育に変換した昭和55年といえば、昭和54年頃迄の問題の受験戦争、詰め込み教育と、それからの脱落者による校内暴力、家庭内暴力が紙面を賑わした時代だが、結果の暗記の無意味さが、ゆとりある教育への転換になったのも事実であり、本来の『ゆとり』って意味は、暗記でなく、原理を考える時間を与えるのが理念であり、ゆとり教育の理念自体は間違いでは無かったはずである。

 誤りは、原理を考える時間を与えるという言葉を、原理を考える=個性を尊重する!迄は良かったモノの、個性=好き勝手と解釈を間違えたのが大きな失敗なのである。原理に基づいた、理念に従った上でアプローチに個性を発揮させる筈が、全てを放任するというアホな教育を行ったのが過ちなのだ。それが、今の知識も判断力も無い状態を作り出しているだけなのだろう。

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覚える力が衰えるのは脳の老化?

 辛口コラム連発中である。このところ、アクセス数は300アクセス以上、多い時では600アクセスに迫っているから、あまりに偏屈的な記事は如何なモノ?って思うのだが、受け売りと違って自分の意見だし、その意見は私見だから問題ない。だから、いいんだ、、、、

 さて、今までの流れでは、自分で考えて行動出来ない奴はダメだとか、学ぶ事は記憶して当て嵌める訓練をする事でなく、知識を組み立てて新しい概念を生み出す事が新しい知識を身に付ける事で、それが学ぶ事だとか、散々好きな事というか、塾講師の指導方針に近い事をベラベラと述べてきたけど。もう一つ。

 それは、覚える事について。

 一般に、小さな子供、或いは低学年程に、色んな事を素早く吸収して理解して記憶に留めるって言われている。確かにそうだ。小さな子供程、新しい情報を素早く吸収する。そうなんだ。

 そして、歳を取る程に、一発で覚えれなくなる。記憶に留まらなくなる。ってみんな思っている。

 自分もそう思っていた事がある。

 しかし、今はそうは思わない。事実、未だに大好きな事、、、例えば、感心ある単車のパーツの仕様とか、使い方とか、趣味のモノの情報は、自分の場合、未だに一目見ただけで、殆ど完璧に記憶に焼き付ける事が出来る。その感覚は幼少の頃となんら違いは無いのだ。

 そこで辿り着いた結論、、、、、それは、モノを見た時に吸収する力が発揮できるかどうか?が記憶力に差を与えるのである。
 全く、無な状態で好奇心に溢れているのが子供だ。子供は積極的に情報を仕入れようとする。だから、覚える事が出来るのだ。
 同じように、オッサンの自分も上達したい分野の事は、自分のふがいなさ、レベルの低さを自覚しているから、目にした情報は純粋に驚愕に価する訳であり、それに対する好奇心の強さは、子供のそれと差違は無いのだ。だから、覚える事が出来るのだ。

 でも、年取って覚えられない、、、って言う人は何が違う?って言うと、、、、それは、周りの部下、同僚、上司を見て気が付いた。口は悪いけど、こいつらは、立場に応じた知識を自分の体験で組み立てた知識として持っていないのである。単なる伝聞、人の話、、、、そういう模倣的な手法で暗記しているだけなのだ。
 つまり、このような人達っていうのは、身に付けた情報を自分の創造性で生み出したのでなく、与えられたから暗記したというレベルで知っているに過ぎないにも拘わらず、何故だか、自分の知識と錯覚しているから、自分が目にする情報への知ったか感というか、見栄で、初体験を感動できないようになっているのである。

 前の記事で、自分で考える。自分で判断する。って事の重要性の戯言を書いたけど、自分で昇華して知識を生み出す力の源泉が好奇心であり、好奇心が各人なりの知識を生み出すのである。それを本能的に望むから、知らない事を理解しようと脳の奥深くで経験と対比して理解しようと働くから脳に記憶として残るのである。
 だから、人の話とか、公式覚えとか、他人の判断でしか行動出来ない奴は、自分で理解しようと脳の奥深くを働かす事が出来ず、更には、簡単な事に対しては自分の知識でないにも拘わらず、自分の知識として錯覚して物事を見ようとするから、表面的な理解しか出来ないのである。表面的な理解に留まらせる程度で、新しい事を見るから、当然記憶できないのだ。

 つまり、歳を取って物事の記憶が鈍くなったというのは、それは、脳の使い方が出来なくなったということ。それは、自分で物事を進める癖というか習性を失ったという事なのだ。年齢的な老化でなく、何も知らない癖に、知ったと錯覚して人生を重ねた結果、自分で物事を考える力を喪失した結果が、脳の働きを阻害しているのである。

 脳が老化したのでなく、使わない脳を有する生命体としての適応現象の結果として、個体自体が、覚える事の必要性が無いと判断して覚えられない形態に変化しただけの話なのだ。

 これは、他の記事で、全てを老化で片付けるのは違うという持論を展開した事があるが、それは、老化条件に見合った別の個体が老化と片付ける事が出来ない力を発揮している例があるならば、出来なくなった事は老化でなく適応現象だという考え方と相通ずるものなのである。因みに、その記事はコレだ。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2009/10/post-d1f7.html

詰まるところ、筋力であろうが、循環器系能力だろうが、血液検査の数値だろうが、更には、記憶力だろうが、全部、老化と片付けて避けられない変化というのは、単なる言い訳なんだろう。殆どが、堕落して怠惰な生活を繰り返した結果の、退化という状態の適応現象にすぎないのだ。30代、40代如きで、体力が云々とか、記憶力がどうのとか、、、、そういうのは有り得ない。それを言い訳にする時点で、考え方自体が終わっている。

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2009年11月16日 (月)

自分でする。

 自分で考える事は大切だ。
 人と話して叱る時に頻繁に聞く言葉、、、、『考えています!』、、、、でも、いつも思う、、、それは、『ホントか?』という事。

 思い付きで、収拾の付かない戯言だが、先日のクローズアップ現代で取り上げられていた理科離れのニュースとか、身近に居る真似大好きオヤジとか、或るは、エライ人が集まって方針は話し合う会議とか、そういう場に居ると同じ事を考えてしまう。

 結局、色んな人が議論を交わしたり、学習したりするのは、何のためか?っていうと、自分に降りかかる問題に対する対処を決めるためである。降りかかる問題は、当人にとって未知故に問題であり、問題となるのは、当人固有の問題であり、対処方も人それぞれなのである。見えるモノは事実だけ。これは万人にとって共通なモノ。ただ、それに問題を感じるかどうかは、見る人次第なのだ。そして、解決策も人次第な筈。

 ネットや文書、雑誌から仕入れるべきは事実という事だけであり、策を仕入れる事自体に違和感を感じるのが自分の感覚。

 理科離れで『ゆとり世代』の知識不足が特集になっていたけど、ゆとり云々、習っている量が教える技量不足になっているのではなく、ゆとり世代に限らず、教える方法、学ぶ方法、目指す方向性が間違っているから教えられないだけという意見を以前述べたが、これに通ずる感覚だ。
 理科に限らず、知識を学ぶというのは、学ぶべき知識が未経験であっても、その知識を学ぶ前段の延長線上から新しい知識を脳内で構築し理解するのが大事であって、知識自体を字面的に暗記して、その法則を適応して理解度を判断するという考え方自体が過ちなのだ。

 知識といっても教育課程で高まる知識というのは、世間的には既知の内容である。その既知の内容を暗記的に詰め込む方法だけでは、詰め込まれた方は、詰め込む事しか教えられないし、詰め込まれた事の説明しか出来ない。もっと言えば、既知でなく、未知の問題には対処出来ないのである。
 大事なのは、学ぶ側にとって初めて目にする知識を、学ぶ側にとって既知の知識や常識を駆使してあぶり出させる事が大事なのだ。そのための手法が、知識の連動、相似性からルールを類推するというプロセスであり、その部分から新しい知識を体系として理解する事が新しい知識を学ぶという事だと考えている。
 つまり、知識として詰め込む量の問題でなく、知識を消化する方法論こそが重要なのである。

 既知の知識から未知の知識を理解するプロセスで、連想や類推という思考のネットワークが脳内に育まれるのである。連想や類推があるから、当人にとっての問題のあぶり出しと、当人にとっての対策が生まれるのである。それが、将来遭遇するであろう様々な事態での対応力や判断力になるのである。その結果の対応とか判断は、単純な事実を見た人が、固有の経験と知識から類推して生んだものであり、その判断を生む力こそが重要なのである。

 全ての学問、科目は、そのようなストーリーで成り立っている。大事なのは、事実から自分なりの判断を生み出す力である。人の判断や方法論に感想を述べたり賛同したりするだけの奴は、決して、自分の判断を生み出す事は出来ない。0(ゼロ)から1を生み出す力と、1を2にする力は別個のモノだ。人の真似、人の意見に右往左往する奴は、客観的な事実から答えを決定する事が出来ないのだが、それが、理科離れで教える事が出来ない教師であったり、他人の真似しか出来ない奴、人の意見への賛同を自分の考えと勘違いする奴では無いだろうか?

 情報過多の時代において、ネットでの交流も盛んだし、色んな文章を目にする事も出来る。でも、この利便性というのは、事実を集める点のみであり、弊害の方が多いとも言える。それは、情報の精度保証が何処にもない、嘘に溢れている、更には、ネットで配信されている個人の発進情報の多くは、書き手が事実から感じた感想を発信する場合もすくなくないけど、その発信された情報を読んで感想ばかり述べる奴が増える事だ。そういう奴は、本当に事実から自分の考えを生み出すチャンスを自覚出来ない内に失っており、結局、自分では何も出来ないドツボに自然と陥っていると言える。結果的には、接する情報は人の伝聞ばかりの筈なのだが、さぞ当人が知識を持っているかのような錯覚をしている耳年増になっており質の悪い出来損ないとなるしかない。

 まぁ、そうは言っても色んな人がいるのが社会だし、何が良いか?どうすべきか?は、一人一人が思う方向、出来る方向で過ごすのが一番であり、皆が皆同じ思想で生きる事も変な話しなのだ。誰もが、思うがままに過ごせば良い。

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ベルリンの壁崩壊から20年

 最近のニュースで特集されているのがベルリンの壁崩壊から20年という話。20年前というと民主化というか、社会主義国家の体制が揺らぐ事件が多発した年だ。1989年というと、天安門事件も、ベルリンの壁も崩壊した年、、、、国内でのバブル経済の沸騰が象徴的なように、資本主義経済が景気を凄い速度で膨張させていた年だ。その状況が社会主義経済で暮らす人に幻想を与え、体制崩壊等の事件が起こり始めたというのが一つの見方としても成り立つ。

 さて、それでどうなった?っていうと、資本主義経済という理念自体が変質したのが、この二十年だったような印象だ。

 それまでの資本主義経済っていうのは、価値創造の対象が実態のあるモノで、モノを主体として、コレを扱うに必要な二次的なモノとして資金というか資本に価値を転嫁していたような経済に見えるが、1989年以降の日本のバブル景気、或いは、今回のリーマンショック前の幻想的な景気、一部ではマネー資本主義とか言われる形態は、チョット変質的な資本主義に見える。価値の対象が価値観という実態の伴わないモノが主となり、モノというのは副産物的、或いは、二次的な印象が強い。形の無い価値観に値段が付く。形が無いが故に、その変動は凄まじく大きい、それ故に、景気を作用する資本の変動が非常に不安定となっており、モノという実態と遠く離れていても、価値観を支配する事が出来れば、大きな財を得る事が出来る反面、流れを掴み損ねればどん底に落ちるリスクもあるような、そんな印象だ。

 社会の安定度という面でみると、社会主義>1989年以前の資本主義>現代のマネー経済主義という印象だ。逆に、一攫千金的に言えば、その順位は逆となる。

 現代の社会の不安要因の多くは、現代の経済システム、政治システムに起因している側面も否定出来ない。そういう意味では、20年前とは逆の流れが生まれても決して不思議でない空気を様々なニュースから感じる事が出来る。

 恐らく、資本主義か?社会主義か?という択一的な思想が間違いであり、中国の統制経済の中に市場原理を取り入れる方向と、破綻した資本主義国家が公的支援等を含む政府介入していく方向というのは、同じ結果に収束していくのだろう。

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2009年11月15日 (日)

谷垣総裁、こける

 多忙な日曜日のニュースで谷垣総裁が自転車で転けたというのを見た。

 そのニュース自体、どうでも良いのだけど、そのニュースを紹介する際に、この人がサイクリングが好き!という事を伝えるためだろうけど、自転車に乗っている姿を放送していた。それが、思いっきり都会の歩道を紅白のレーパンレーシャツ+メットでロードバイクを走っている姿、、、、なんだか、超違和感を感じる。

 やっぱり、都会の雑踏の中に、バリバリコスチュームのスタイルで、歩道をロードレーサーで走るのは、凄く変だ。

 今回の事故は多摩川のサイクリングコース?だったらしいから、別にそういう違和感も無いのだろうけど、紹介映像のド歩道での映像は違うような気がする。

 大昔の学生時代、単車のレプリカ時代に街中をレプリカツナギ+レプリカバイクで買い物に来ているアンチャンを沢山見て、何だかなぁ?って違和感を感じた事があるけど、やっぱり違和感があった。

 今回、谷垣さんは全国行脚に競技用自転車で!ってニュースも有ったけど、それも違うだろう。競技用自転車は、競技か、競技に類するというか、そういう使い方こそ道理だろうけど、演説で自分がそれに乗っているよ!ってアピールするのは、ブームに乗って始めた世代に仲間意識を植え付けるような宣伝ありきって姿勢が見え見えだ。

 道具は、用途に合わせて選ぶべし!っていうのは、政治家に一番求められるもので、宣伝というかパフォーマンスの道具に選ぶのは、政治家でなく商売人のやる事だろう。

 転けるのは、自転車だけにしておいて、政策や理念でこけないようにして貰いたいものだ。

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 重大な病として生活習慣病を起因とする重大疾病とか、それとの因果関係の疑われる癌とかに注意が行きがちだけど、別の意味で深刻な病というか、機能欠損に、歯の問題がある。

 自分は残念ながら奥歯は殆どが詰め物入り状態だ。原因はモロ、虫歯。虫歯は大学入学前は奥歯の一箇所のみだったけど、大学生活、下宿生活、寝床が点々とするような不規則な生活で出来たモノ。徹夜が多かったり、喫煙習慣、夜食生活、自分のアパートだけでなく、友人の下宿、研究室等々と寝る場所が一定でないような生活で、歯磨き等も疎かになったのが原因だろう。取り敢えず、奥歯はアウトだ。なんとか神経は全て健在だが、歯だけは悲惨な状態とも言える。

 そして、歯の詰め物っていうと、パラジウム系合金だが、これは確実に何年か毎に外れてしまう。外れる理由は、詰め物の下での虫歯の発生とか、或いは、老化に伴う歯の形の変形とか、いろんな事情があるんだろう。

 沢山詰め物をしていると、そうだなぁ、、、、大体1年半に一回は歯医者に通院するような状況である。

 生活習慣病は生活習慣の改善で健康を取り戻す事も出来る。癌はどうか?っていうと、やはりリスクを低減し、仮に病に見舞われても数年の後に快復する事が可能だ。
 しかし、進行した虫歯は、現状の現実的な技術では二度と元の状態に戻らない。

 病の重要度を健康への可逆性という意味で考えると、失われた健全性は不可逆な変化と言える虫歯っていうのは、実は重大な健康機能の喪失とも言える。

 この虫歯っていうのは、我ながら情けないっていうか、そういう感じだ。

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11/8~11/14の週の検索ワードピックアップ

★ダイエットで耳鳴り
 自分の理解としては急激なダイエットによって、耳の奥と鼻の奥をつないでいる「耳管」の周囲の脂肪が無くなって、常に開きっぱなしになる病気の症状。通常、鼻と耳の鼓膜の内側をつなぐ「耳管」は、鼓膜の外側と内側の圧力を調整する「弁」の役割をしているが、ダイエットによる体重減少などが原因で耳管の脂肪が落ちてしまうと、閉じていた耳管が
常に開いた状態となる。
 その結果、耳管開放症となり、放っておくと集中力の低下、不眠が続き、さらに、難聴になる可能性があるという。因みに、この症例は患者の75%がダイエットが原因とのことだ。

★レ・マイヨW
 唯一といって良い、WO20インチ、451サイズの横折り式折り畳みでドロップハンドルを装備した自転車。横折り式のメリットは超コンパクトにはならないが、折り畳みが最も簡単であり、一番合理的な自転車でもある。
 他の折り畳み自転車と較べて最も大きな違いは、コラムが長くステムが短い事。他の自転車はコラムが短く、ステムが長い。長いステムでも折り畳む。この点が大きな違い。
 デメリットはコンパクトにならない事だが、メリットはハンドル周りが極めて頑丈に出来るし、乗った感じは通常の自転車に近い。
 このポイントが唯一で最大の特徴だ。

★CATV・BS/CSブースター
 今なら、マスプロの『7BCB28』がベストだ。アパート等の分配数が多い場合は別だが、家庭単位で6分配程度迄なら、これが一番。利得の大きすぎるモノは、チューナー側から見てもお奨めできない。このブースターなら、混合+増幅が屋外で一纏めで出来る。混合後は一本の線で屋根裏に入れる事が可能で、屋根裏で分離設置した電源部で電源供給するので非常にシンプル。
 今、家屋内でのアンテナレベルは、デジタルテレビ内のレベルゲージで地デジ(CATVでのUHFレベル)が丁度65%程度の数値を示している。BSデジタルで55%、110°CSで50%レベルだ。

★451サイズの乗り心地
 406と較べた時、ホイールのサイズ差による違いは僅か。それより選ぶタイヤの影響の方が大きい。
 実際、406サイズのステルビオを付けていた西DAHONと451サイズのロードライトEXを付けていたオ・モイヨWWで較べると、451サイズが凄く快適!って思っていたけど、オ・モイヨWWを451サイズのステルビオに変えると、乗り心地が酷く悪くなったのに驚いて、西DAHONの足周りをスピママ号に移植し、タイヤをマラソンレーサーに変えると、偉く快適!ってなった。少なくとも406サイズのマラソンレーサーの方が、451サイズのステルビオ、ロードライトEXよりは快適。
 ホイールサイズ差は影響するだろうけど、それ以上にタイヤの銘柄の影響の方が大きいだろう。

★ロードバイクの軽量化
 クロモリだろうが、なんだろうが、フレームの重量と完組ホイールの利用が最も影響が大きい。フレームなら鋼管系でも2kgを切るモノもある。一方で3kgオーバーもある。フレームで1kgという差は結構なモノ。ホイールも然りだ。フレームとホイールの選び方で最大で2kg程度は差が付く。これは、10kgの自転車が8kgになるという事。細々したパーツも無視出来ないけど、それよりも、フレームの選定、ホイールの選定がクソだと全く無意味だ。
 でも、2kgくらい重くっても普通に乗るには関係無いとの思いの方が強いのが正直な気持ち。

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2009年11月14日 (土)

世界糖尿病デー

 いろんなデーがあるものだ。11/11がポッキーの日だったけど、11/14は国連が定める「世界糖尿病デー」だという。

http://www.wddj.jp/

がそのページだが、これを自覚したのは、地元新聞での記事での紹介が切っ掛けだ。この日に中国地方5県の名所や建物計14カ所が、一斉にシンボルカラーの青い光で照らし出される。一部の会場では健康相談などもあるとの事。

 糖尿病デーとライトアップがどう?っていうのは、判らないが、糖尿病デーがある!っていうのを告知するイベントとしては判らないではない。

 最近思うのは、糖尿病っていうのを糖尿病という病として捉えるのは自然なのか?という気持ちだ。糖尿病っていうのは、身体環境のバランスの崩れた状態を、ある視点から見た結果の診断に過ぎないような感じ。糖尿病との診断基準が何か?は定義出来ないけど、血糖値の高値状態をそれと定義するならば、血糖値高値となっている人は、尿酸値、中性脂肪、コレステロール、γ-GTP等々の数値も全てが連動して崩れている筈である。

 金曜日に、自分の健康記録データを見て、赤血球の数値が減っているのは悪い?というニュアンスの質問を受けたけど、其奴の話によると、血液ドーピングで赤血球を増やす方法があるのだから、赤血球は多ければ多いほど、心肺機能が高い!?って理屈なようだったけど、その真意は、ある機能を高めるのにドーピングがあるのなら、ドーピング結果と同じだったらGOODという論理に基づくモノ。

 そんな話を思い浮かべながら、糖尿病や高血圧の治療で、血糖値を下げる薬とか、血圧を下げる薬の服用を治療と定義して、それが浸透している常識を考えると、ドーピングも治療も、見た目の数値指標のみをターゲットとした対策しか講じていないというか、それが正攻法とするような印象だ。

 ドーピングする前に、体内環境の健全性というのは、パラメータ単体の数値判断でなく、その数値に落ち着いている体内環境こそが重要であり、その数値が出ているのは、他の要素とのバランスでの結果、自律的に平衡しているという考えを持てば、数値単独の高低で何かを判断することの愚かさに気付くはずだ。
 同じように、糖尿病等の治療でも、その不具合の症例は、その数値となるべく体内環境が原因であり、悪しき環境で自律的に変化している数値を、外的な手法(薬等)で強引に変化させるのは、生体内の自律性を失わせるだけのように見える。全ては、なるべくしてなっている筈であり、その要因に併せた対応、即ち、対処療法でなく、根絶療法で接しなければ根本的な解決には結びつかない筈だ。

 糖尿病というのは、個体特有の生体環境から生まれたアウトプットに過ぎず、逆に言えば、悪しき生態環境でも個体を生存させるべく、自律性から生まれた状態とも言えるのである。
 つまり、自律性があるかどうか?を判断すると、糖尿病というのは身体を保つための自律機能が働いているとも言えるのである。本当に怖いのは、糖尿病という症例のなるはずの生体環境に晒しているにも拘わらず発症していない状況であり、それが、機能の高い自律性によるものならば良いが、機能不全によって発症していない場合は、それこそ深刻なのかもしれない。

 糖尿病というのは、本来的には糖尿病になった人には自律性がある筈であり、その自律性を機能させて疾病を克服するというのが一番大事であろう。

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血圧等から健康状態を予測するには?

 最近は体温も毎日測っている。勿論、血圧もそうだ。
 すると、体温が低め、拡張期血圧も相変わらず低めである。拡張期血圧とは、最低血圧とも呼び、体の中をめぐって戻ってきた血液を、心臓が拡張することで受け取るのだが、その際に血液を溜め込むと血管壁に圧力がかかる。この圧力のことを、下といわれる拡張期血圧というものなのなのだ。一般的には、若い程、この数値は低くなるものだが、理由は、血管が太いために圧力が吸収され、力を必要としないからである。

 つまり、体調に問題がなければ、心臓に負担をかけない健康な体となる。しかし、拡張期血圧が低いためにめまいがしたりふらついたり、朝起きられないなどの症状を伴う場合もあるそうだ。対策としては、睡眠時間をしっかりとり、夜更かしをしないこと、食事はバランスよくとり、適度な運動をすることなどが上げられる。拡張期血圧の数値の目安は、世界保健機構では79以下が望ましいとされており、今の段階では、低くてもあまり心配する必要はないとのこと。

 以前は、血圧を下げすぎると脳梗塞、心筋梗塞による死亡率が上昇するというJカーブ現象が懸念されていたそうだが、その後の臨床試験の結果、少なくとも拡張期血圧は低ければ低いほど、脳卒中、冠動脈疾患のリスクが低下することが明らかになったそうだ。

 但し、何事もバランスというか条件があるのは当然であり、拡張期血圧について懸念するならば、当然、収縮期血圧との兼ね合いも考えるのは当然だ。拡張期血圧、収縮期血圧の両方が低すぎるのも問題。そもそも血圧=圧力であり、循環血液量×末梢血管抵抗であり、循環血液量が少なくても血圧は下がる。つまり、拡張期、収縮期の両方が低いのは、心臓を含む循環器系の能力が不足しているって事。

 色々検索掛けて傾向的に判った事は、
1.血圧の高さが問題となる場合
 収縮期血圧が高い場合、拡張期血圧が高い場合の両方とも問題を抱えている可能性がある。血液を血管に送り出した時、心臓が収縮した時の圧力であり。血管の弾力性が失われた状態、血管の硬化が強く疑われる。勿論、血管自体が細くなる事も同様に疑われる。

2.血圧の低さが問題となる場合
 収縮期血圧が低い場合が問題を抱えている可能性が高い。心臓が拡張した時に血管から血液を送り返した時の残圧。残圧が高いというのは、心臓の拡張という負圧によって血液が戻りきらないのだろうか?だとすれば、血液の戻りを阻害する要因が特に聞いてくる筈、レイノルズ数等で考えると、毛細血管が詰まり内径が収縮気味、血液粘度が上昇気味というのが疑われる。

 血圧数値の正常度、つまり圧力値というのは生体組織の材料物性値によって決められていると考えるのが自然であり、個人差、年齢差に影響されるものでなく、健全であれば材料物性に応じた圧力状態となっている筈である。そういう意味で至適血圧とか、正常血圧範囲に数値が留まっている事を確認する生活習慣は非常に重要なものである。血圧、体温というような状態を示す数値の継続監視が健康状態の把握に最も有効であろう。この数値から健康状態を正確に予測するには、拡張期血圧、収縮期血圧のみに囚われず、脈圧、平均血圧、心拍数でトータルで判断する必要があるのだろう。この数値的な関連を示しどうか?を判定する指標が判れば、健康管理に一段と役立つように思う。

 昨今では脈圧、平均血圧への注目が高くなっている。因みに、脈圧は最高血圧と最高血圧の差、平均血圧は最低血圧+脈圧/3の数値となっている。脈圧は兎も角、平均血圧の求め方は、想像だが、正弦波での実効値で√2で割る事で実効平均値を求めたりするけど、心拍の場合は、心拍による圧力変動波形から実効(積分)平均値を求める方法を便宜的に定めたのだろう。ただ、この方法でも平均血圧だけ、脈圧だけから正常か否かの判断は難しく、結局は二つの数値を見る必要がある。この二つの数値を無次元化したパラメータも存在する。

http://www.lifescience.jp/ebm/sa/2008/0810/0.html

がそうだ。これによると、拍動性の増大が、心血管疾患発症の強力な予測因子となるとのこと。
 この拍動性を考えると、平均血圧も脈圧も単位は圧力のモノ、mmHgとかである。心臓っていうのは往復動挙動をするモノだ。平均血圧というのはマクロ的な数値、脈圧は差だから動的な数値、つまり、レベルに対する変化の割合ということで、拍動性と読んでいるようだ。

 血圧の区分から判る事は、拡張期血圧より収縮期血圧の方が変化の幅が広く、拍動性が大きい事は、脈圧が高い事、脈圧が高い事は収縮期血圧が高い事を意味する。拍動性が小さい事は、脈圧が小さく、平均血圧が高い事であり拡張期血圧が高い事を意味する。
 しかし、血圧による症例分類では至適血圧の範囲が非常に幅広いために、この拍動性で評価するのは若干無理があるかもしれない。例えば、収縮期110mmHg、拡張期60mmHgって人が居たとする。すると、平均は87mmHg、脈圧が50mmHgだから拍動性は0.57となる。高血圧分類となる人で180~110mmHgな人は、平均が133mmhg、脈圧が70mmHgで拍動性0.53だから数値が逆転するのが矛盾を招くようだ。

 これを修正するには何が有効か?と考えてみる。すると、拍動性は無次元数だが、血管に対する圧力変動負荷の程度を表すモノ。負担というのは、本来は負荷の積分値と考えるのが自然だから、一回当たりの変動負荷の程度を積算数に直すには、変動の頻度を乗ずれば良い訳だ。

 そこで、拍動性×心拍数を用いれば、負荷の積算値になりうる。一般に心疾患は血栓等が物理的に剥離して別の箇所で詰まる訳であり、物理的な剥離の要因は剥離の力、つまり圧力変動の頻度が大きな要素となると言えるのであり、拍動性×心拍数という考え方は有効では無いだろうか?この新指標は、度合×頻度だから負荷そのものとなる。拍動負荷とでも呼べそうだ。現実、機械設計においては管内圧力の拍動負荷試験というのも存在する。配管の疲労や故障は、拍動負荷による場合が多く、血管とて同じものと考えるのは至って自然な考え方である。繰り返しになるが、心疾患による重度疾病は、血管内堆積物の剥離による管路閉塞が原因であり、拍動負荷という概念を用いる事で、多くの矛盾を解決できるだろう。

 先の拍動性の理屈で言えば、至適血圧の下限領域でも拍動性数値は高まるけど、そういう人は、若いか循環器機能が鍛えられた状態で、血管が太く弾力に富んでいるので、心拍数は相当に低くなる。逆に、高血圧領域の人は、狭い血管に頑張って心臓が仕事をする状況故に、心拍数は高くなる。そうすると、拍動性数値が同じでも、心拍数を乗ずれば明確な差違となりうる。

 自分的には、心疾患リスク指標としては、拍動性×心拍数、つまり拍動負荷で考えるのが今の段階ではベターな考えている。正常な例を挙げると、

1.至適血圧下限値で低心拍数
血圧:100mmHg/60mmHg、心拍数:40bpmとすると
脈圧:40mmHg、平均血圧:73mmHg、拍動性:0.55、拍動負荷:22

2.至適血圧でスポーツマン
血圧:110mmHg/70mmHg、心拍数:45bpmとすると
脈圧:40mmHg、平均血圧:83mmHg、拍動性:0.48、拍動負荷:21.6

3.正常血圧で正常心拍数
血圧:120mmHg/80mmHg、心拍数:55bpmとすると
脈圧:40mmHg、平均血圧:93mmHg、拍動性:0.43、拍動負荷:23.65

4.正常高値血圧で頻脈気味
血圧:140mmHg/90mmHg、心拍数:70bpmとすると
脈圧:50mmHg、平均血圧:107mmHg、拍動性:0.47、拍動負荷:32.9

逆に不健康な例を考えると
5.収縮期高血圧(or 高齢者に多い数値)
血圧:180mmHg/90mmHg、心拍数:80bpmとすると
脈圧:90mmHg、平均血圧:120mmHg、拍動性:0.75、拍動負荷:60

6.軽症高血圧
血圧:160mmHg/100mmHg、心拍数:75bpmとすると
脈圧:60mmHg、平均血圧:120mmHg、拍動性:0.50、拍動負荷:37.5

7.中等症高血圧
血圧:180mmHg/110mmHg、心拍数:80bpmとすると
脈圧:70mmHg、平均血圧:133mmHg、拍動性:0.53、拍動負荷:42.4

のようになる。一般に本態性高血圧症は、血圧と心拍数の反射機能が崩れている事も大きな原因であり、そのような事を考えれば、上の新指標で30未満を保つ事が重要な事かもしれない。自分で決めるならば、

拍動負荷(=拍動性×心拍数)で、
1.機能低下症・・・・・・・~20
2.健康体・・・・・・・・・・・20~30
3.心疾患予備軍・・・・・30~33
4.心疾患前段症状・・・33~36
5.軽度心疾患患者・・・36~40

6.重度心疾患患者・・・40~

と決めるのが良いのでは無いだろうか?

 以前、肥満の尺度で胴囲85cmとかBMIで22とかに対して、身体の中央部の太さはあくまでも身長に対する比率という観点から、胴囲/身長=腹囲率、扁平率を提案した事がある。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/08/thr_2f68.html

 これが、そうだ。
 医学の世界では知らないが、工学の世界では、モノの判定には無次元数を用いたり、疲労の度合では積算値と相似なパラメータを用いるけど、健康や医学でも同じでは無いだろうか?

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2009年11月13日 (金)

理科離れ?

 木曜日のクローズアップ現代ネタだ。

 そのネタで問題となっているのは、子供たちの理科離れ対策に理科の指導時間を大幅に増やすカリキュラムが今年度から施行されている事で明らかになった問題で、何でも、教える側が教える事が満足にできないという事だそうだ。
 そして、その問題は教える側が『ゆとり教育』で育ったから?だとか、、、、

 番組の流れでは、理科離れ対策の先生がしっかり教えられるようにするために、いろんな取組があるよ!って話。

 でも、、、、見ていて違和感、、、、、ゆとり先生に教える側の理科の内容が、省かれた知識を知識として教えるというモノ、、、、、、

 それは、違うだろう?っていうのが、正直な感想。

 理科に限らず、教える側に必要なのは定型的な知識ではないのである。それが抜けているのが番組に対する不満だ。

 もちろん、知識は必要だが、最初に知識ありきで知識を前提とした問題を解明するのではないのだ。もちろん、ここでいう知識は新たに習う知識のこと。知識でも習得した知識は必要なのは当然で、知識は増えるものだが、増やし方の問題だ。

 ゆとり教育如何に関わらず、現代日本の教育の崩壊は、新しい分野を解くための手法、知識、公式を最初に伝えて、それを利用できるかどうかで評価するスタイルがNGなのだ。
 新しい知識というのは、古い知識を組み合わせて見えてくるモノであり、古い知識の連動性、相似性を理解して新しく生み出した考え方を知識として体系立てて身につけるのが教育のスタイルであるべきだ。

 つまり、先の記事にも書いたけど、理科を学ぶというのは、目に見る新しい問題を自分で判断できる素地を得る事であり、それは、既知の知識を連動させ、相似性を見抜き、問題を解決して判断する能力を身につける事。つまり、自分の知識を構築する能力が大事ではないだろうか?

 電気回路で流れの話をしていたけど、そんなのは、普通に川の流れ、道の混雑さという身近な場面に置き換えて連動性を気づかせるような教育こそ必要なのではないだろうか?
 そもそも、理科というターゲットに絞られた問題提起の番組構成というか、文部科学省の提言が間違いだ。理科だろうが国語だろうが数学だろうが歴史等々、、、全部、おんなじである。学ぶという手順に科目の違いは無い。学ぶという事で問題を解決して未知を推論する手順を身につけるのが共通の目的であり、それに気付けば、科目の違いなんぞ些細な事だ。それに気付いた教える側こそが必要ではないだろうか?

 自分を振り返ると、未だ知らないことだらけだが、理解している範囲では、工学系科目の考え方に限らず、受験科目の全てが同じ構成のように見える。

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何処まで、何時まで教えるべきだろうか?

 愚痴でも何でも無いのだが、最近思うことがある。
 それは、仕事でも、趣味でも、遊びでも、、、色んな分野において、何かするに付け、コレどう?次はどうする?コレ何?コレはOK?って聞く人が剰りにも多いって事。

 コレ何?アレ何?って聞いてきて、笑顔で教えてやる奴というか、そういう環境っていうのは何?っていうと、聞き手にとって初めての経験や初めて見たモノに対する指南を行う時に限るのである。具体的に言うと、自分の子供、例えば二歳児の何?何?攻撃に対する対処である。繰り返しの質問に対して、同じ解答を繰り返し行うっていうのは、そういう状況しか有り得ないのだ。たとえ自分の子供であっても、言葉が通じて理解出来るような年齢、具体的には小学生以上のレベルであれば、二度目以降は同じ答えをする場合は、正直、腹が立つ事が多い。勿論、初めての質問に対する回答では、理解する迄、説明するけど、一度理解したならば、同じ事を何度も話す気にはならない。

 これは、塾講師という立場であっても同じ。授業で説明を行う。説明に際しては、原則、聞き手が理解する迄、徹底的に教えるが、理解したと聞き手側を答えた以降に同じ質問をされると、正直、ムカツク事が少なくない。勿論、聞き手が理解出来たと判断出来ず、本人も理解していないと訴える場合は、なんとか理解のレベルに到達する迄、試行錯誤で理解する方法を伝え続けるのは言うまでもないが、、、、

 こういう前提なのだ。

 こういう前提で通常の生活ではどうか?っていうと、、、、、通常の生活における関係っていうのは、基本は師弟関係、親子関係ではない。基本は対等な関係なのだ。それは、趣味でも仕事でも言えること。

 趣味においては、実践は自分のためであり、自分の理解を他人に伝える必要も無ければ、方向性に正誤は無い訳であり、それぞれが好き勝手すれば良いので、どうでも良いけど、業務においてはその限りではない。

 業務というと、基本は行動の全ては、労働と、それに対する対価で給料を得るというのが、全ての人にとって言える事。そして、給料っていうのは、基本は、いろんな条件で決められている。そこでは、業務を委託する側は、そこでの事案に責任を負わせる事で対価としての給与を払っている訳であり、責任を負うって事は、担当する側は色々な判断が委ねられていると言う事でもある。判断が委ねられると言う事は、判断するに見合った経験と経歴を有しているという前提な訳だ。その判断は、やはり担当者が行うべきで、それを正確に行えるという要件が報酬に直結している訳であり、判断するに必要な知識が欠損していたり、判断を自分で行わない、行えないというのは、辛口で言えば、報酬を得る要件を満たしているとは言えないと思うのである。それ故に、其処まで指南すべきか?というと、これは違うだろう(其処まで掘り下げて説明する意味は無いだろう)って思う事が、上司、部下に限らず思う事が多い。

 人は最終的には自分で生きていく訳だ。生きていくっていうのは、遭遇する事案に決断を繰り返すということ。つまり、判断の繰り返しが人生を決めるのだ。そして、教育っていうのは、自分で自分の進む道を決める判断する能力や知識を身に付ける事なのだ。教育とか指南を受けるというか、受ける事が許されるのは、本当は社会に出るまでの話。それ以降、何かの不足に気付いたならば、その時点で自分で行うべきだと私は思う。逆説的に言えば、判断できないのに社会に出るというのは、辛口で言えば、或る意味ナンセンスとも言えるのではないだろうか?

 まぁ、たわいのない独り言だ。

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減らない体重

 何回か記事にしているけど、運動しても体重は減らない、、、、どちらかというと増える傾向と言える。体脂肪率は不変か低下傾向、、、、

 一般的に言うならば筋肉が付いている!って言えるのだろうけど、そうとも言いきれないという意識が強い。何故ならば、、、、ダイエット開始時と較べて摂取カロリーと運動メニューがどう?って較べると、カロリーは不変、運動メニューは明らかに増えている。しかし、脂肪であれ、筋肉であれ、結果として増量中なのだ。増えていると言う事は、蓄積されているのである。つまり、摂取カロリー>消費カロリーとなっている訳だ。運動メニューは増量しているにも拘わらず、減っていた体重が増える方向に変化したと言う事は、純粋に消費カロリーが減少しているって訳だ。

 確かに、同じ運動を続けていると、運動効率が上がり、メニューが不変でも消費エネルギーは減るのだろうけど、、、、、体感的に、負荷によって負担が減じたとも感じない。っていうか、メニューは明らかに増やしている。

 週に泳ぐ距離は同じ、泳ぐ速度は10%アップ、、、、毎日の有酸素運動と言えば、ステッパー15~30分を負荷付きローラー台60分+昼ポタ30分に、筋トレを兼ねた体操というと3分程度の運動からダンベルを用いた1時間以上の筋持久系サーキットトレーニングに、更に、ダンベルを用いた10~15RMの運動を追加して、週末は自転車で100~120kmを確実に毎週走っている。

 明らかに運動量が増大している筈。食生活を振り返ると、朝食、昼食、夕食共に不変だ。一時的に間食が増えた時期もあるけど短期間。

 それでも体重は減らない、、、、純粋に増量しているのだ。これって、停滞期という質のモノでもない。見た目がどうか?っていうと、確かに、筋肉が増えているのは判るんだが、それでも体重が増えるっていうのは、、、、、、

 考えられるっていうと、運動メニューに慣れて消費カロリーは思ったより高くない。増やしたメニューの中の筋トレによる効果で、摂取カロリー-減少した消費カロリーが筋肉増加分に回っている、、、、とでも考えるべきなのだろうか?それ以外に、収支式が成立しないと思っている。
 筋トレ+有酸素運動+筋持久トレと考えた時、重量が増える要素としては、有酸素運動の消費系運動とは違う筋トレである。筋トレによる筋肥大が重量増加を招いているのだろう。但し、それには減量となるエネルギーを摂取しているという前提が必須であり、エネルギーが足らないと、逆に筋力低下で体重減少という糖新生モードとなる筈だから、筋トレで筋力がアップしているという現状を考えると、摂取エネルギーが足らないという訳でも無さそう。摂取エネルギーが一定ながら、筋肥大にエネルギーが回されるという状況は、有酸素運度による消費エネルギーが減った事を意味し、減ったエネルギーでも従来以上の運動メニューがこなせるというのは、エネルギーから結果を出す割合、即ち、運動効率が変化したと言う事なんだろう。

 ただ言えるのは、現状でも体脂肪率は11~12%であり、運動のエネルギー源として体脂肪迄を必要としていない状態で平衡しているということ。体脂肪率を減らし、、体重を落とす、、、、という事を望めば、今の筋トレ+有酸素運動+筋持久トレの内、体脂肪削減に効果的な有酸素運動の量を加減して見て傾向を把握するのが大切なようだ。

 理想は、筋肉は増やし体脂肪を減らす、そして体重自体も減らす、、、、これって案外難しい。体脂肪は微減、筋肉は増加、、、結果、体重は増えた、、、こういう事になる。このバランスポイントを定めるのが難儀だ。

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2009年11月12日 (木)

原点回帰

 ダイエット完了後から家族と徘徊のために折り畳み自転車を入手して以来、昔の趣味故に趣味が再加熱するのはとても早く、ロード、ピスト等々様々な自転車を作っては乗って遊んでいる。

 そして、最近は、乗る機会の有無に関わらず、ある方向性に向かっているような気がする。勿論、ロード、ピスト、折り畳み、小径、、、、アルミ、カーボン、最新のコンポ、、、、そういうのは悪くないと思うけど、一寸、違和感というか、ジャストフィット感が得られないという感じである。

 今、一番、心が和むのは何か?っていうと、保っている自転車で言えば小林531スポルティーフと名付けたバイクだ。勿論、これとて自分の意識で完璧にベストというモノではない。敢えて言えばという選択でベターという判断なのだ。

 そして、今は片倉のR2-4?ロードを再生すべくパーツ選定というか、パーツ収集を進めているのだが、その進め方を自分で見ると興味深い傾向がある。

 例えば、クランクセットは5ピン留めのTAシクロツーリスト系のデザイン。しかし、TAでもストロングライトでも無い、、、国産でもプロダイでは無い、、、、スギノのPXってモノ。
 メカは?っていうと、DURAでもシュパーブでも当然無い。サイクロンでも無い。ユーレーのジュビリー、ドッパーでも無い、、、、何故だかサンツアーのセブンというグレードだ。
 面白いのがブレーキだ。デュアルピポットは当然だが、昔のサイドプルも今一、、、、センタープルキャリパーが必須、更に、センタープルでもマファック、ユニバーサル、ワイマンではない、国産でもグランコンペとも違う、、、ダイヤコンペレベルがしっくりくる。

 この傾向、方向性としては明らかにスポルティーフ、そして構成は、最高級ではなく中の上クラス、廉価グレード、普及グレード的な志向なのだ。

 この作り方は?っていうと、モロに中学高学年~高校入り立ての頃の自分の選択である。
 当時、流行していたのがランドナー、ユーラシアのランドナーが定番だったけど、自分的にはランドナーは必要無いと思っていた。当時、ロードレーサーがカッコイイというのは判っていたけど、其処まで必要無いと考えていた。当時、日帰り~一泊程度のサイクリングが殆どであり、そのためのベストは?という自分の判断でスポルティーフをベストと考えていた。当時、スポルティーフは少数派で、どちらかというと不人気タイプだったけど、自分はコレが好きだった。スポルティーフでも最高級というよりも、自分の要求を満たす最廉価という構成がパーツ選択の基本で、何から何までハイエンドという意識は無かったのを思い出す。基本はスポルティーフだけど、構成は機能を満たす最廉価という構成+一品豪華主義というのが自分の性格というか、原点的な嗜好だったように思う。

 最高級ではないが、自分の欲しい機能は満たす。欲しい機能が或る範囲で最廉価という纏め方、、、そして、気持ちが萎えない拘りの根元としては、簡単には入手出来ないレア度とか、グレードとか、気持ちの入り具合というか、そういう運命的な巡り会い感を得るようなモノが基本にあるという感じなのだ。

 小学生の頃、ロードマンを買った時は、生産中止で在庫のみとなった白色が購入の切っ掛けとなったけど、スポルティーフに開眼したのは、バイト先で店外放置で解体寸前だったダイヤモンドDF-7110のレイノルズ531仕様を店主から譲り受けたのが発端だ。当時の段階で数年落ちで、見た目的にはパーツの痛みは激しかったけど、メッキ磨きだしのラグ、パールグリーンの配色、店主から聞いたレイノルズ531だぜ!って印象が、これだ!って思う切っ掛けになったのだが、そういう感覚が何よりも大事なのである。この自転車、今になってネットで調べると、↓に掲載してある。

http://comics.sakura.ne.jp/cycle/brg203.jpg

もろにコレだ。見ると、年式で昭和49年式、、、、当時、手に入れたのが昭和55年であり、実際に5~6年落ちだった訳だ。このDF-7110を得た事が、その後の車両の作り方というのが、間違いなく、自転車趣味生活の原点になったのは間違い無いが、今、何となく進んでいる自転車趣味生活で向かっている方向というのは、当時作っていたDF-7110ベースのスポルティーフに向かっているようだ。

 当時、印象的なのはトリプルクランクでワイドキャパシティーが欲しいがために、フロントメカをサンツアーサイクロン+キャパシティーアップ用アダプターでインナー28Tを組んだ事。何故だか、コッタードクランクに魅力を感じ、プロダイのコッタードクランクを中古自転車屋で見つけ交渉の末入手した事、ニシダサイクルさんの先代社長さんと何度も交渉し日東ジャガーというステムを入手した事、同じく先代社長さんには、プロダイクランクにルネパターンのリングを取り付けるアダプターを用いながらインナーギアに28Tを組み付けるための特殊なミドルリングをワンオフで製作して貰った事、○ツナガサイクルズさんで無理言って入手してもらったCLBセンタープルのフルセットを購入した事を思い出す。

 兎に角、自分の欲しい機能を当時の常識的な制約を気にせずに実現していたのが懐かしい訳だ。

 結局、今進んでいる方向というのは、当時乗っていたDF-7110のようなエッセンスのバイクを生み出すという方向であり、表題の如く、原点回帰に進んでいるようだ。

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インフルエンザ蔓延中

 新型インフルエンザが蔓延している。娘の通う小学校では、10月末の運動会を境に、学級閉鎖が相次ぎ感染者が増えている様子。実際、娘のクラスでも数名以上が新型インフルエンザに感染して学級閉鎖一歩手前の状態のようだ。

 それはさておき、インフルエンザに感染すると発熱、重症化するっていう印象を多く持っている人が多いようだ。これは、厚生労働省の春先からの対応、マスコミの報道で、非常に恐いという先入観を保つ人が多いからでもある。
 でもでもでもである。インフルエンザに感染すると必ず、マスコミで取り上げるような状況に陥るかのような報道が皆の意識を支配している部分が多いように思うのだ。
 今回の新型インフルエンザでは、軽症例も多く、典型的な高熱が出るのが1/3、風邪程度が1/3、無症状が1/3、、、更には、全く症状がでないのが1/2という報告もある程だそうだ。

 インフルエンザという言葉とセットで出てくる言葉が、ワクチンだが、他にも、タミフルリレンザという言葉も聞く、、、、しかし、このタミフル、リレンザっていうのも実は最近の薬であり昔は無かったモノだ。

 ところで、新型インフルエンザが怖い!って印象の理由は、マスコミで死亡例が頻繁に取り上げられているからであるが、情報の表面だけを判断すると非常に恐ろしい印象がある。
 果たして、恐ろしさというものが死亡数というよりも死亡率から見るとどうなのか?というと、実は、それ程でも無いというのが実情だったりする。

チョット古いデータでは、

https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/special/pandemic/topics/200910/512782.html

に示されているように、累計患者数が240万人、死亡者数が26人、確率的には1/10万人という割合だ。率でいうと0.001%程度ということ。

http://www.pref.kagawa.jp/kenkosomu/hw-net/flu/pdf/infect_091105.pdf

が最新のデータ元だが、ここでも死亡者数42人(基礎疾患アリが29人、無しが13人)、入院患者数が5072人となっている。

この数値から想像されるのは、ワクチン接種が進んでいない状況での感染の進行の割りには死亡率が低いような印象。季節性インフルエンザでは予防体制が整っている状況で、死亡率が0.05~0.1%という。

 つまり、予防体制が整っていない新型インフルエンザは、予防体制が整った季節性のモノに較べて1/50~1/100と低い死亡率になっているのが特徴的である。

 ただ言えるのは、新型故に多くの人は免疫を全く持っていないという点では、感染力が強い方向に作用するのは事実。そして、感染後の死亡率が低くても感染者数という分母が大きくなれば絶対値としての死亡者数は増える点では注意が必要だ。

 冷静に考えれば、感染してしまうリスクというのは集団生活をしていれば避けられないもの。そして感染は?っていうと、飛沫感染、接触感染というものであり、その感染に起因する症状である咳等が見られれば、感染抑止という意味で行動を制限するというのが、二次的な感染拡大を防止するのに最も有効であり、風邪に似た症状が出れば感染源とならぬ配慮を持つ事が大事なんだろう。

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2009年11月11日 (水)

ケイデンス?

 最近はケイデンス90rpmっていうのがセオリーのようだ。一方で、ケイデンス高め崇拝な人には250rpmとか320rpmとか、そんな数値も飛び交っているようだ。

 自分の場合、正直、実走でのケイデンスは幾ら?っていうと、、、、、常用が110~120rpm、全力加速でも180rpmくらいが限界。ローラー台で、回転数を上げるだけが目的ならば、200rpmは楽勝だし、好調?な時なら240rpm辺りには到達できるけど、それって意味有るか?っていうと、取り敢えず、自分の自転車ライフにおいては不要だと判断している。

 ケイデンスを上げる意識は全く無いけど、ケイデンスによらず基本は踏む力は一定というのがペダルを漕ぐ時の意識だ。踏む力というよりも、踏める力と言った方が適切かもしれない。大きな力で踏むと回転数が上がるし、小さな力だと回転数が上がらない、、、そんな感じだ。速度を上げるには、普通は重いギアで大きな力を加えるほどに高まるのだろうけど、意識としては、ペダルを踏む力を増やすのは間違い無いけれど、ペダルを踏んだ後に戻る時間を短縮させるために踏む力を増やすような感覚だ。エネルギーとして考えた時に、踏み続ける時間を長くするのでは無いのである。

 イメージとしては、踏む力を増やすのは最低限度に保ち、踏む回数を増やす事で速度を高めるという感覚。踏む回数を増やす事で、トルクの変動周波数が高くなり、動力を与えていない時に失われる速度を最低限度に保つという感覚である。
 そういう感覚で、自分が快適に速度を保てる回転数は?っていうと、110~120rpmである。この回転数が維持出来るギアをコンディションで選ぶっていうのが基本だ。

 因みに、シングルスピードの場合、平地無風で5.5±0.1mが基本であり、35~40km/h辺りが丁度良い領域となる。実走で、このギアでの最高回転数は180rpmであり60km/hというのがマキシマムという認識だ。10%超勾配登坂では、このギアで50rpmの16km/hというおのが基本である。

 ケイデンスが高いのがエライのでなく、自分の身体のリズムで一番負担なく想定する速度を保てる条件が、どんな回転数か?っていうのが大事なんだろう。実際、想定速度を35~40km/hを上述なような条件で維持するのが自分には楽だけど、人によっては、より大きなロールアウト×低い回転数の人もいるだろうし、小さなロールアウト×高い回転数の人も居る。

 ギア比も大切だが、循環器系の代謝機能が平衡して保てるような周波数?で、一番長持ちする回転数が幾らか?というような意識からマイケイデンスを探すのが大切なように思う。少なくとも、自分の場合、90rpm以下よりも130rpm以上よりも110~120rpmが快適と感じる。そう考えると、別に200rpmオーバーを回して喜ぶ必要も無いかも知れない。

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お好み焼きと焼きそば

 我が家は、サラリーマン家庭である。しかし、定期的?に自分が料理を作る事がある。月に6~7回程度の夕食の調理である。因みに、調理メニューは決まっている。日曜夕食には、お好み焼きか焼きそばを、そして10日に一回のペースでフライドチキン、唐揚げ、竜田揚げの鶏の揚げ物である。日曜日にお好み焼きを作るか?焼きそばを作るか?は気分次第だし、平日の鶏の揚げ物でも何をメインに作るか?も気分次第だ。

 基本的に自分は料理が好きである。学生時代には料理店でバイト勤めしていた事もあるし、学生時代の内の5年間は自炊による下宿生活をしていた。得意?なジャンルは、中華料理、鉄板系料理関連、揚げ物というところ。因みに、大学、大学院の研究室配属時代には、毎週火曜日を定例会の日と定め、毎晩10時から研究室配属の学生で集まって料理して夜通し酒飲んで騒いでいたりして、基本的に料理は好きなのだ。

 そんな流れで、結婚してから十年以上の月日が経ったけど、未だに、料理を習慣的に行っている。

 鶏の揚げ物関連は、何を作るか?によって香辛料の組み合わせを変えて一晩漬け込むという作業から行うが、最近、家族で好評なのは竜田揚げ関連だ。そんな事はさておき、お好み焼きと焼きそばの話。

 広島なら家庭でお好み焼きを作るのは普通かどうかは知らないが、我が家では普通のイベントだ。ただ、我が家では一寸変わっている。

 それは、ホットプレートも、鋳物鉄板も、フライパンも使わない。何を使うか?っていうと、特注鉄板を使用する。

 この鉄板は1999年の広島県立西部工業技術センターの技術展・実習展で呉高専の学生が作った鉄板を入札で落札して得たモノ。技術展に自分の開発した素材を展示してアテンダントで出掛けていた時に他の出品物を見回って見つけたものだ。これは通常の3口ガスコンロの上面を完全に覆うサイズの鉄板で厚みが7mm程度の鉄板を材料に作られたモノ。これを使ってお好み焼きを焼いている。お好み焼きには、当初こそ、いろんな具材を入れていたけど、今はシンプルに皮、天かす、削り粉、キャベツ、もやし、豚肉、そば、卵という構成だ。

 最初に皮を薄く作り、削り粉、天かすを載せる。そして、キャベツ、もやし、豚肉と載せて、上にとき汁を掛けてひっくり返す。ひっくり返しても抑える事は無しだ。熱でキャベツの水分が蒸発して程良く蒸らされて自然と厚さが薄くなってくる。最初の1/2以下の厚さとなったときに過剰な水分を押し出す程度でウエイト(コレも鋳物で作られた一品モノ)を載せて水分量を調節する。それと同時、軽くそばをソースで炒め、最初の具材を載せる。そして、卵を割って、卵に味の素を少々かけてそばの上に具材の乗ったモノを重ねる。その後、程良い時間の後に反転して出来上がりなのだ。

 因みに、焼きそばは普通に作るのだが、焼きそばとお好み焼きの大きな違いは何か?っていうと、中に入れる野菜の状態である。焼きそばはお好みソースでの野菜炒め状態で、一寸しなっているが、お好み焼きは蒸し焼き状態でソースの絡みが少なく野菜の甘みがしっかり残り、繊維の食感も残っているのが違う。

 その違いなんだが、野菜のエキス、肉のエキスが残り、食感的にも具材の特徴が残るお好み焼きっていうのは、個人的には焼きそばよりも好きだ。
 なお、そういう食感を残しながらも水っぽくならないのは、厚い鉄板でのお好み焼きならではの出来映えだ。自分がフライパンとかホットプレートで作ると同じには出来ないので、自分の意識では、美味しいお好み焼きは厚い鉄板が必須だと思っている。この鉄板が無ければお好み焼きも焼きそばも差違は無いように思うところだ。

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2009年11月10日 (火)

温度管理

 この週末は異様に暑かった。
 暑かったのだが、11月ということでウインドブレーカーを着て走ったために気付いた事がある。

 それが、表題の温度管理ネタだ。

 どう感じたか?っていうと、同じコースを二周回したのだが、一周目、、、、思い通りにペースが上がらない、、、、いつものペース、、、そう、40km/h巡航が厳しい感じなのである。35km/h程度が快適に走れる限界、、、、、

 一周目を走って腕を見る、、、、すると、ウインドブレーカーの下で汗が滲んで表面迄、、、、やはり暑すぎ、サウナ状態だ!で、二周目の往路でウインドブレーカーを脱いでノースリーブ状態で走る。

 すると、、、、40km/h巡航は何時も通りに楽勝、、、、向かい風でも35km/hオーバーも楽勝、、、、一周目とはエライ違いである。

 気温に合わせて温度管理をすることで、パフォーマンスには非常に大きな差が出るようだ。

 そう言えば、冬場は薄着気味で走るんだが、一周目は身体が冷えていて、やっぱりペースが上がらない事が多かったのを思い出す。二周目で身体が温まってからは、ガンガンにペースが刻める事に気付いたのが前回の冬の事。

 冷えていて暖まっていないのもダメ、暑すぎてオーバーヒート気味でもダメ、要は適温管理を行う事が大事って事。

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サイクルモードにカツマー?

 今年のサイクルモードのメインキャラにカツマーこと勝間和代さんが選ばれて、サイクルモード宣言というのを謳うらしい。CS放送を見ていたら、何処かで見たようなオバサンが微妙な笑顔でメット被って自転車漕いでいる映像がバァンと出てきてビックリして、ずっと見ていると、何でもサイクルモードのCMだった訳だ。

 勝間和代さんがブレークして暫く経つけど、ブレークした時には、時間を節約しよう!有効に使おう!って事を前面に出して、全てを効率論で語る評論家って印象だ。
 その時、どんな私生活を送っている?って話で、スポーツサイクルを利用してイヤホンというか、それで色んな情報を収集、或いは、学習しながら自転車を利用しているって事が紹介されていたような記憶がある。

 その時点でオレ的にはアウトな印象だったけど、それがメインキャラ?って聞いて、少しビックリである。

 イヤホン聞いてロードレーサーの運転っていうのも、仕事の脚という実用道具目的でロードレーサーというものを選ぶっていうのも、俺的には有り得ないのだが、多分、彼女的には、その方が効率が良いのかも知れない。

 そもそも、ながら運転というのは操作の集中力が途切れるからNGっていうのは、車の携帯電話運転と同じ事ではないか?という疑念を抱いたのだが、そんな疑念以上に、アラフォーでバリバリ働く勝ち組的なキャラが自転車ブームの先導にマッチしていると業界が判断したんだろう。

 こういうトレンドリーダー的、エリート的なイメージをカッコイイイメージとして受け入れる事がブームにはあるのかも知れないが、以前のなだぎ武さんの方が親しみを持てる印象を持つのは俺だけだろうか?

 純粋に楽しい!を前面に出すキャラの方がサイクルモードには合っているように思う。このような評論家をあてがうと、好き嫌いが激しいのではないだろうか?まぁ、受け入れる土壌があると採用側は読んだ結果だろうが、なんか違和感が否めない。
 そもそも、自転車に経済評論家よりも、遊びの提案、楽しさの提案、そういう本能を刺激する方が良い筈だ。

 確かに時代の要求にマッチして、一世を風靡しているような感じもするし、紹介されている情報からは『かっこいい』という事なんだろうけど、効率第一、年収第一というか、その肩肘張った生き方自体をカッコイイと思う人ばかりでは無いはずであり、特に、遊びという要素では、考え方に幅があるのが自然だとも言える。
 カツマー的生き方が正義となる価値観を持つ世界と、趣味の世界は相容れない、、、、そう考えると、サイクルモードでのキャラが彼女っていうのは、何とも言えない気持ちになる。

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2009年11月 9日 (月)

ソローディVSシロウド

 日曜は亥の子祭り!朝8時45分集合、、、、ということで、いつもより30分繰り上げてホームコースを走行した。朝の気温は15℃程度と快適なコンディション、往路は向かい風、復路は追い風という条件だ。

 時間帯を変えて走ると、見掛ける人も違う、チョット新鮮。往路の向かい風区間ではスタートでは33km/h程度からスタートして徐々に上げていき、安芸大橋地点からは35~38km/hで巡航だ。

 すると、牛田新町界隈で先行するピンク色のレーシャツを着たローディを普段着っぽいロードが猛追している様子を確認、安芸大橋の信号では二台が同時に信号待ちしているようで、その後は連なって走っている。走行している内に、安芸大橋から500mも走らない内に追い付いた、、、、、背後から観察すると、決して知り合いの二人では無いようで、何やら敵対状態にあるようだ。前がレーパンレーシャツ+ビンディング、メットという所謂ローディだ。そして、後ろはフルカーボンのジャイアントのロードだけど、ペダルはフラットペダルという人、印象的なのは背中に荷物を背負っている、勿論、格好は普段着だ。

 そう、これは、後ろを走るシロウドがソローディを追っかけていた様子で、ソローディはそれを嫌ってペースを33km/h程度迄上げて振り切ろうとしていたようなのだ。

 向かい風で連結の前は相当にハンディがあるのは判るけど、33km/h程度なら風よけの条件ならばシロウドでも付けるだろうなぁって感想だ。

 勿論、観察は程々に、躊躇無くパスするのだが、追い抜き様にシロウドさんとローディさんに挨拶したところ、シロウドさんは歯を食いしばって限界状態、ローディさんは少々きつそうだったけど会釈を返してくれた。

 こうしてみると、ターゲットを見付けてガンバルオッサン、シロウドっていうのは、最新のロードバイクでチョット体力自慢でローディを見ると追走するんだろうなぁって感じだ。
 この二台を抜いた時の速度は38km/h程であり、もしかして背後に付いてくるか?って思ったけど、どうやらそれは無い様子。

 経験上、シロウドさんの均衡速度は35km/hには達しない感じ。ソロで走っている人は40km/hでも付いてくるっていうのは昨日の記事に紹介したところだが、この辺りが、シロウドとソローディのしきい値のようだ。

 まぁ、個人的にはソローディに付かれて千切る事が出来る速度が40km/h以上というのは体験上認識しているけど、やはり最低でも均衡速度で40km/hはキープできるようにしたいとの思いを再認識した朝の走行だった。

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肥満とガン

 先日、痛風の遺伝子解明のニュースに対するコメント記事を書いた。
 結論としては、痛風や生活習慣病を起因とする重大疾病は怖いけれど予防可能という意味で、恐さは半減するけど、本当に怖いのは、予防が難しい種類の死因に襲われる事って書いた。

 具体的には何か?っていうと、怪我、事故、そして、、、、癌だ。

 怪我、事故っていうのは或る意味は不可避だが、リスクを下げる事は意識次第で可能であり、それ故に、恐さを自覚する事は少ないが、何よりも恐さを感じるのは、悪性腫瘍、癌、、、そういう類だ。

 癌というと、例えば肺癌なら煙草とか、肝癌なら多量のアルコール摂取とか、、因果関係の明確なモノもあるけれど、そうでない癌も少なくない。ただ、最近言われているのは、癌と生活習慣病も関連性があるかもしれないって話。

 其処までは一般常識の範囲だが、その一般常識を科学的に証明した訳ではないが、統計的に関連性のある傾向が認められるって分析結果が報じられていた。

 この報告によると、

『肥満で誘発された「がん」を発症する患者が年間10万人を超えているとの研究報告を、米国がん研究財団(AICR)の研究者が5日、発表した。肥満とがん患者の数を具体的に調査した研究は初めて。

研究者は肥満と関係が深い7種類のがんを調べ、肥満によって引き起こされたと考えられる実際の症例数を計算した。

その結果、子宮内膜がんの49%が、脂肪過多によって引き起こされていた。このほか食道がんの35%、脾臓(ひぞう)がんの28%、腎臓がんの24%、胆のうがんの21%、乳がんの17%、大腸がんの9%が、それぞれ肥満が原因だと見られるという。

過多の脂肪がなぜ、がんリスクを高めるかという理由は、科学的には解明されていない。しかし、脂肪組織が作る女性ホルモン「エストロゲン」量の増加や、脂肪が増加することにより活性酸素で酸化性ストレスが生じることが原因ではないかとされている。』

 との事。これは、従来から知られている男性ホルモンである「アンドレゲン」が脂肪細胞によって「エストロゲン」に変える効果がガンに影響するという説に沿った結論だ。
 仮に、肥満と癌の因果関係が明らかになれば、死への恐怖というか死の回避のために、自分を含め多くの人がコンディションの維持に気を配る健康志向が今以上に強まるんだろう。

 まぁ、自分としては、癌っていうのは正常細胞の変異によって生じるモノ。癌を新生物というように、癌は健康な身体とは別の意志を持っているように見える。何故ならば、本体が死滅すれば癌は生存出来ない筈だが、それでも癌は人を死に追いやる、、、、これは凄く不思議な気がするのだが、個体の生存という狭い視野で見た時の感想だ。しかし、人という種を健全に繋ぐという観点から見ると、案外、癌というモノは大きな意志で別の目的があるのかな?と考える事もある。
 特に、肥満≒生活習慣病という症状は、その大きな意志によって癌が生まれる土壌に適した状態とも考える事が出来なくもない。

 あくまでも一つの推論だが、そう考えると、統計的な関連性しか明らかになっていないが、傾向が現れるには理由が存在するのは間違いない訳であり、それに対する対策としては、リスク回避に健康維持、生活習慣病や肥満からの回避を意識する生活っていうのは、悪くないだろう。

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痛い理由

 サドルチョイスの記事にも書いたけど、自転車乗りの悩みである痛みについて考えてみた。

 痛いというと、、、、膝、腰、尻っていうのが三大痛い箇所では無いだろうか?他にも、手首、首、背中・・・あるけれど、それよりも膝、腰、尻って言う方が実際よく聞く箇所だ。

 膝の痛みというのは、脚力に見合わない負荷が原因。大きな負荷程、膝関節に与える負担が大きくなる。詳細の解説は省くけどギア比選定ミスが膝痛の原因なのは間違い無い。
 腰の痛みっていうのは、身体を支えながらペダリングを行う場合に、脚の軌跡を自然に生む事が出来る骨盤~背中の位置関係が保てないから。トルクを掛けるに見合わない姿勢である。これも詳細の解説は省くけど、ポジションが出ていないのが原因なのは間違い無い。
 尻の痛みっていうのは、サドル選定記事にも一部解説したけれど、乗り方による疲労箇所の変化を考慮に入れたサドルの選定を行っていないのが原因。そしてサンデーサイクリストレベルの走行距離ならば乗り方だけで対処できるもの。つまり、これまた詳細の解説は省くけど、乗り方自体が車型に見合っていないのが原因なのは間違い無い。

 つまり、普通に考えて、道具の能力を引き出すには何がベスト?と言う事に対処していれば、そういう痛みとは無縁とも言える。こういう考え方は、皆が探しているペダリング論でも当て嵌まる事。よく言われている『回すように漕ぐ』って具体的にどうする事?が解釈によって様々な抽象性に溢れた理屈よりも、ペダリングでは何が目的で、目的を外したらどう感じる?目的を適えたら狙える領域は何処迄行ける?がハッキリしたような方が使い見やすい。
 だから、膝痛にならないギア比の選定では、どういう乗り方で望む結果は何?を決めて選定擦る訳であり、腰の痛みにしても幾何的に必要な位置関係は何?で決めるモノ。尻の痛みでも然りで、欲しいモノを得るには問題が何で、目的は何か?それを得るための根拠は何で、それが出来たか出来ないかは何で判断するか?を自分の中に生み出す事が一番大事だったりする。そういうのを自分で見つけて会得する事が、どんな世界においても上達という表現で表される事なんだと言える。

 定型的に、これはこうするとか、誰がどうしたから自分も真似るとか、、、読めば判るとか、そういうのでは答えには辿り着かないのでは無いだろうか?目的は多分一つだが、目的を得る方法論は、各々の備えた要素が違うので、目的を得るための要素の組み合わせや加減は千差万別だ。目的に応じたオンリーワンな方法を見出す事が何よりも大事であり、そういう見方が出来れば、問題となっている痛みから逃げる事が出来るのでは無いだろうか?

 最近思うのは、色んな所でポジションの重要性云々とかが語られているけど、ポジションだけでなくギア比の作り方、本来的な乗り方を誰でも納得出来るような系統だった説明迄行われている所っていうのは、案外少ないなぁ、、、って事。

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2009年11月 8日 (日)

同じ場所走ると、、、

 定期的に同じ場所を走っていると、名前を知らずとも面識が出来る。
 今日は、往路で以前であったデローザの彼に追い付いた。最初は対岸を速いペースで走るロードを確認していたのだが、橋を渡って同じ土手を走っていると、程なくして追い付いた。確認できる所まで近付くと、先日、遭遇したデローザの彼だった。追い抜き様に挨拶するとビックリされたようだ。その後、折り返し地点でしばし会話をして、当サイトにも来られた旨を聞いて別れた。

 一往復目の復路では高瀬堰の信号待ち中に背後に気配を感じて振り向くと、以前何度か併走した事のあるTREK乗りの方。挨拶して走り始め、安佐大橋の信号で再度会話、、、その場では、付かせて貰って良いですか?との事で、OKして牽いて復路を走行した。ペース的には35km/h+αレベルだ。
 信号待ちのタイミングでは、この方の出入りのショップのお客さん?で、兼ねてから気になる人が居られるので、チョット、確認する意味で聞いてみた。因みに、気になる人っていうのは、以前から記事にしていた女性のようだけど、走りのパフォーマンスは、このコースを走っている人でもトップレベルのスマートさと速さが印象的な人の事だ。何故気になるか?っていうと、明らかに女性だけど、走りは違う、、、で、どっちなんだ?というのが、ずっと引っ掛かって居たのである。
 すると、この方は案の定、TREK代理店のお客さんだそうで、連んで走る事は少ないけれども、よく走られる方、更には、なんでも実業団で競技をされている方らしく、女性ながら男性顔負けの方が居るらしいとの事で、納得できたのが良かった。

 人と走る事は基本的には無いけど、偶然のタイミングで会話するっていうのも悪くないモノだ。

 因みに、今日会話出来た方はお二方ともに結構乗られているような方。そして会話で尋ねた方も一線級の方。いずれの方も、ソロで走られているのをよく見掛ける訳だが、皆さん、結構な速さを発揮されている様子で感心するばかりである。

 ソロ同士で走っていると、こういう風に会話が生まれ、面識を持つようになるモノ。こういうのは最初から知り合いというレベルよりも、会話のレベルが一致しやすいように思う。

 思い起こせば、サーキットのスポーツ走行で出来る馴染みの顔とか、峠の常連仲間とか、そういう交流にも通ずるモノである。学友とか、同僚といった交友関係で何かを一緒に始めるという中での交流よりも、目的とする世界の中で活動中において生み出される交流の方が、その世界における会話や交流において、より深い感覚を得られるので、こういう人間関係の方が貴重なように思う。

 連んで何かを始めるというと、その最初の円に閉じこもりがちとなる。しかし、ソロで行って、その世界で生まれる交流というのは、自分のレベルに合わせて交流も変化していく。そういう交流の方が多分大事なんだろう。

 ところで、今日は会話だけだったけど、前回、40km/h巡航で後ろから離れず付いてきたデローザの彼、そして、今日は35km/h走行だったけど、前回は40km/h走行で最後迄付いてこられたTREKの彼、正直、速いなぁ!って思う。自分としては10km程の距離を40km/hで走りきるっていうと結構キツイのだが、風の抵抗が無いとは言え、後ろから離れず付いて来られてしまうっていうのは、自分で自分のレベルはまだまだだと思う程。理想を言えば、10kmの距離なら45km/hオーバーで走りきれる程の余力が自分に欲しい所だ。40km/hで10kmの距離を走ってつらさを感じるパートは、やはり心肺系だ。筋力的には問題無い。一時的に50km/h級迄上げる事は可能だが、燃料が切れた時にキツイ。
 今日、TREKの彼と話ししたんだけど、自分の限界は?っていうと、安佐大橋~安芸大橋の車道で信号無しの区間、3km程だが、そこを無風~追い風というコンディションで50km/hを維持するっていうのが限界。その状態では心拍数は190~210bpmとなる。この状態を10km維持するのは困難だが、45km/h程度なら現実的な数字だ。45km/h走行時は心拍数は170bpm程度、40km/hでは140bpm程度、165bpmなら運動強度で75~80%程だからどうにかなりそう、、、、。チョット気合い入れてスイムに取り組んでみるかな?

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11/1~11/7の週の検索ワードピックアップ

★AR125、GPZ305
 少数派だけど、表題の二語をフレーズとして検索された方が居る。思い起こせば、、、、それは1983年3月の月刊オートバイで同時に発表されたのを思い出すが、既に25年も昔の話なんだ、、、、、AR125は、ロータリーバルブ吸気の水冷2ストロークマシンで、クラス初のサーモスタット付きラジエターを装備というのが売りだったようなマシン。大柄な車体でも軽量で馬力は自主規制値一杯の22PSというモデル。このクラスの先駆けはRZ125だが、そのライバルとして登場した時はプロダクションレースで持て囃されたが、その後MBX125Fの登場を経てRZ125S、YPVS装備のRZ125、TZR125とヤマハのモデルの先鋭化に付いていけず、いつの間にかヘンテコリンな分割フルカウル装備のAR125Sとなってからは、意味不明なバイクとなり存在感が埋没したもの。
 GPZ305は国内ではZ250FTをルーツとしたGPZ250beltdriveの輸出モデル。これは180°クランクのSOHCツインで1970年代的には優れたエンジンだったけど、1980年代的には厳しいモノ。このエンジン、高回転の連続運転に弱く、オイル漏れの多発、クランクベアリングの耐久性不足でスポーツ走行には向かないもの。この傾向は、後のGPZ250R、GPX250Rにも見られるモノ。なお、馬力的にはZ250FTが27PS、GPZ250が33PS、GPZ305は非公表だった。
 自分はZ250FT、GPZ250改305に乗っていたが何れも半年以内にエンジンが謳って廃却した。その後、GPZ250R、GPX250RⅡでも同じ経験をして、それ以来乗っていない。
 この二車は2スト、4ストコミューターながら、当時のトップレンジのGPZ1100ラインのデザインを取り入れていたが、デザイン的には4発GPZの格好良さは無かった。

★CATV(770MHz)とBS/CSの混合
 以前、保安器から出てきたCATV線にBS/CSアンテナからの線を混合させて引き込んで、屋内(屋根裏)でU・V/BS/CSのブースターに入れた後に分配するという話を記事にした。但し、このブースターは一般に中古で安価に出回っているのは高出力でレベルが高すぎるのが難点で、レベルを絞って使っても、受信機側からみるとレベルが高すぎる状態に為りがちである。まぁ、それでも使用可能なのは確かだが、、、
 ところが、最近、我が家のテレビ視聴が不調となり、色々と原因究明に明け暮れた。本線、保安器、混合機、ブースター、アンテナの結栓、、、、で、結局判ったのがブースターの結栓部の接触不良、、、、それも内部側、、、、視聴出来る局と出来ない局に分かれているような状況であり、これでは面白くない、、、不調となってからは、古いCATVオンリーのブースターで賄っていたのだが、原因を究明したということで、配線系統を交換する事にした。
 前回は初めて故に知らない部分も少なくなかったのだが、今度は少しの知識があるということで、色々考えた。それで採用したのがマスプロのCATV/BS/CSブースターの7BCB28って機種だ。利得で28dBと戸建て使用では丁度良い機種。これは、電源部とブースター部が話して使う事が出来る機種。混合自体はブースター側で行う構造で、屋外で混合、増幅を行い、屋内側から電源供給するタイプだ。従来が、屋外は混合のみで、屋内で電源供給と増幅を行っていたのだが、それとの違いは、増幅が屋外側となる点である。
 この7BCB28って機種は定価で26,000円程、実売は10,000円前後と安価。それでいて、混合器も不要で結構お奨めだ。

★レ・マイヨW
 何故だかレ・マイヨWでの検索が多い。既に廃盤の自転車故に流通在庫しか新車を入手する手立ては無いが、それも廃止から時間が経っているので難しいだろう。パナソニックの自転車は今はDAHONのOEMがビーンズハウスというモノがあるけど、実はコレも廃盤の予定だ。今のとkろ、折り畳み20インチクラスで残るといえば、ライトウイングくらいだろうか?
 ところで、レ・マイヨWというと、ドロップバー、20インチWOサイズというレアな構成の自転車で、フライデーと似た構成ともいうが、大きな違いは重量級の横折り式折り畳みということ。折っても小さくならないが、折るのが簡単というのが最大のメリットかもしれない。重さに不満を感じる事は担ぐ時くらいで、それ以外は気にならない。
 改造好きな人にとっては、フロントをWにするのが難しいといえば難しいかも知れない点だが、それでも折り畳みレバーを切断して対処すれば、セットバックの問題は残るけど、縦パイプにクランプすることで取り敢えずはFメカの装着は可能だ。

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尻の痛みと無縁なサドルは?

 自転車が今9台ある。R2ロードが十台目だ。これまでは、ギア比、ポジションについて講釈を記事にしてきたけど、この辺の不具合がどう影響する?っていうと、ギア比なら膝痛、ポジションなら腰痛とでも言おうか、、、、で、自転車乗りの痛みベスト3っていうと、想像だが、尻痛があるのでは無いだろうか?そして、尻痛に影響するのは、そう、サドルの選定だろう。

 自分の場合、サドルは何でも良いのだが、敢えて言えば何が良いか?がある程度纏まったので記事にしてみる。

 因みに使ってみたサドルは、SDGのI-Beam系、BROOKSのB17、藤田の革サドル、BBBのCTLサドル、セラサンマルコのHDPスクアドラ、TIOGAのスパイダー、VELOのゲル入り、VELOのプラサドル等々だ。

 で、結論は堅いサドルほど快適という結論。もっとも楽に感じるのは予想外かもしれないが、VELOのBMX用プラサドル、次がBROOKSのB17ナローというところ。堅いサドルの良いところはペダリングで腰の位置がぶれない事。ポジションが狂わないのは良い。スパイダーサドルも悪くないけど柔らかすぎ。あのデザインでソリッドモデルがあれば良い。
 スパイダーサドルは半年も保たずに破断したし、BBBのCTLって軽量サドルも同じく破断した。真ん中に穴の開いたアナトミックデザインは今一弱い。他には、ゲル入りでVELOのサドルをルイガノMVFに装着しているけど、これも今一。さわり心地は乗り心地良さそうだけど、使うと硬いサドルの方が快適に感じる。

 サドルっていうのを腰掛ける椅子と認識すれば、ゲル入りとか圧迫回避のアナトミックデザインに向くのだろうけど、身体を支える三点の内の一点で、ペダリングというか、脚のクランキングにおける支点で位置を固定すべきものと捉えれば、ぶれないというモノが求める機能の第一順位になる。

 やはり、硬いサドルが一番使いやすい。因みに、硬いサドルで装着するパンツは?っていうと、レーパンは取り敢えず不要。100km/day程度では必要性は感じない。パッド類も不要だ。介在物が増える程、支点保持には邪魔になるからだ。取り敢えず、今の段階では、ソフトなサドル、パッド入りレーパンは自分には不要で、硬いサドル+普通のスポーツ用パンツで十分という認識。

 クイズ的になるけど、身体を支える三点の内の一点という考え方を実践するために必要なのは?っていうと、皆が忘れている盲点がある。その盲点に気付いた乗り方を行えば、尻に掛かる負担はざっくり言って、2/3になるのである。負担が1/3減る訳だから尻に掛かる負担も1/3になる。それ故に、痛くないのである。負担を軽減するために効果的なのが硬いサドルなのである。サドルを柔らかくすれば、乗り方に留意しても負担の軽減率が減るのである。ただ、その乗り方を実践できるか?というと、慣れが必要だが、少々の意識改革で100km程度迄なら誰でも可能だろう。その距離を超えたり、長距離故に乗り方を継続するがために発生する疲労を回避するには、乗り方を変える訳だが、そうする程に、尻への負担率が増える。それに従ってサドルの硬さを下げるというか、緩衝性を追加するという考え方。それが、ロード競技における選択の結果になるものである。

 そういう訳で、ホビーで乗るというか、100km程度の走行の範囲では、乗り方の意識改革さえ出来れば硬いサドルが最も快適という事になる。逆に言えば、サドルは何のためにある?と言う事を考えて、硬いサドルで大丈夫な乗り方を見つける事が、実は尻の痛さからの脱却に結び付くのである。

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2009年11月 7日 (土)

痛風の遺伝子?

 何でも、痛風の発症遺伝子が存在する事を突き止めたそうだ。

 ニュースによると、痛風の主要な原因遺伝子を、防衛医大や東大など11大学・機関の共同研究チームが世界で初めて突き止めたとのこと。この遺伝子の変異によって最大で26倍発症しやすくなるという。研究チームでは、腎臓や小腸で体外へ毒物を排出するポンプとして働く「ABCG2」というたんぱく質に着目。患者と健康な人計1093人について、ABCG2を作る遺伝子の配列を比較した結果、ポンプをつくれない遺伝子変異や、ポンプの数が半分にしかならない遺伝子変異が、患者の8割で見つかった。
 結果、変異遺伝子を両親から受け継いだ場合は最大26倍、どちらか一方だけを受け継いだ場合は3~4倍、痛風を発症しやすくなることもわかったとの事。

 振り返れば、自身のダイエットは健康診断の要注意項目の増大によるもの。そこで深刻度が一番高かったのが尿酸値だ。尿酸値を振り返ると35歳~40歳の間で、9.1~10.8という数値だったのである。当然、自覚症状無しで、こんなモノは個人差だろう!って軽く見ていたのだが、数値が増大するにつれて、血糖値、γーGTP等、コレステロール、中性脂肪の数値が悪化し、最終的に血圧増大(上が138mmHg/下が86mmHg)という結果に到り、ヤバイ!と思ったのである。

 一般に尿酸値というと、ビールの飲み過ぎだろう!って話で笑い話的に終えていたのだが、そうではないと思ったのが2005年の事だ。尿酸値増大の原因はプリン体が増える事、、、プリン体は食生活で影響されるというのが一般認識、その原因は、干物、ビール、レバー、、、、、しかし、自身がそんなにプリン体を大量に摂っている意識が無かったので、生活改善で全てを健全化するために!ということでダイエットを始めたのを思い出す。

 タダ言えるのは、あれ程に高い尿酸値状態に数年以上なっていたにも関わらず、痛風を発症しなかってというのは、痛風の発症が尿酸値だけでなく、その限界が何処にあるか?に個人差があるからだろうと言える。そういう意味で、原因遺伝子というのは同じ生活をしても発症するかどうかの差に影響を与えるというのは尤もな事と言える。

 今の生活習慣病改善では、尿酸値ならそれだけ、血圧でもそれだけ、コレステロールでもそう、、、そんな感じで一部に特化した対処療法だけで成り立っているように見える。しかし、自分の体験上の話で言えば、根元を対処する根絶療法を施せば、尿酸値だけでなく全ての不調を改善出来るのである。自分の過去を示すと、

測定順は、2005/11→2006/07→2006/11→2007/11→2008/10である。
赤字が異常値、青が正常化した数値、黒は元々正常値
1.血液一般
1).赤血球:標準値が400~550万/mm3
    581 →    → 518 → 508 → 491
2).白血球:標準値が3000~9000/mm3
   8910 →    → 6110 → 5980 → 5600
3).ヘモグロビン:標準値が13~17g/dl
    17.2 →    → 15.7 → 15.6 → 14.7
4).ヘマトクリット:標準値が40~54%
    51.3 →    → 47.3 → 45.8 → 44.5

2.肝機能
1).GOT:標準値が8~40IU/l
    34 → 19 → 22 → 23 → 21
2).GPT:標準値が5~35IU/l
    63 → 17 → 16 → 15 → 14
3).ALP:標準値が105~340IU/l
    284 → 216 → 206 → 185 → 181
4).γ-GTP:標準値が0~70IU/l
    86 → 16 → 20 → 22 → 21

3.脂質
1).総コレステロール:標準値が130~220mg/dl
    207 → 178 → 171 → 201 → 189
2).中性脂肪:標準値が30~170mg/dl
    468 → 112 →  97 →  172 →  131
3).HDLコレステロール:標準値が35~85mg/dl
     34 →     →  53 →  61 →  61
4).LDLコレステロール:標準値が70~139mg/dl
         →     →      →        →  102

4.腎機能
1).尿酸:標準値が2.0~7.0mg/dl
    9.1 → 7.5 → 6.7 → 6.8 → 6.8
2).クレアチン:標準値が0.5~1.3mg/dl
    1.07 → 0.94 → 0.95 → 0.98 → 1.00

5.糖尿病
1).空腹時血糖値:標準値が70~110mg/dl
    88 → 86 → 77 → 87 → 82

 このように全ての異常は運動だけで改善出来るのだ。

 健康は自分で保つモノ。一番大事なのが運動と食生活だ。それさえ続ければ、健康を保つのは案外簡単だ。誰でも死は恐い。今の自分が恐さである死を招くと連想させるのは、生活習慣病以外のモノだ。事故とか、別の疾病、難病の方が恐い。

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やっぱり低体温気味だなぁ、、、、

 最近のインフルエンザ騒動の御陰か、自分の健康管理目的で体温測定する事が多い。すると、、、、体温が35.8℃~36.3℃、平均で36.0℃近辺って事が多い。これって、低体温気味である。

 これが低体温症かどうかは別として、一般的には酵素の働きが低下し、新陳代謝も低下、免疫力も低下、、、そして病気しやすくなるという。血行悪化、疲労、アレルギー、更には、婦人科疾患、ガン発生リスクのアップ、、、、いろんな事が言われている。

 因みに、体温というのは摂取食糧をエネルギーとして燃焼した結果であり、それで体温が保たれている。エネルギー源は糖質であり、糖質を燃焼しているか?或いは、燃焼しやすい体内環境にあるか?が大事のようだ。因みに、低体温の原因としてよく知られているのが、次の通りだ。

1.エネルギーを出す筋肉の不足
2.冷暖房などが整っている住環境
3.熱いお湯に短い時間の入浴、又は、シャワーだけ
4.体を締め付ける下着
5.運動不足による新陳代謝の低下
6.過度のストレスによるホルモンのアンバランス
7.朝食抜き、食べ過ぎなどの乱れた食習慣
8.冷たい物や甘い物の食べ過ぎ
9.身体を冷やす野菜や果物の摂取
10.栄養バランスを無視したダイエット

これを自分に当て嵌めると、、、、2.がヤバイ感じ。他は該当しているとは言えないのが正直な感想。

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2009年11月 6日 (金)

同じ二輪でも単車は、衰退っていうか、荒廃っていうか、、、

 水曜日は休暇をとって私用をこなした。それが終わって時間があったからCX怪で小さな雑用も片付けるべく移動しまくった。

 走りながら思ったのは、単車が少ないなぁ、、、、自転車が多いなぁ、、、、、自転車は縦横無尽に走っている、、、、自転車はスポーツ志向、速度志向が多い感じで、狭いフラバーのピスト風バイクがとても多い事にビックリしたり、市街地をレーパンできめて荷物背負ったローディも多かったりで驚いたのだが、反面、単車は少ない、、、、少ない単車で大きな割合を占めているのは、マスク+サングラス+半キャップ+ずらしたズボン+スクーターというパッケージ、、、、これに大音量のカーステレオ、、、、、これって、大昔のハイソカーブームでスウェット上下でクレスタシャコタンを乗っていた雰囲気に被る。そういう思想でチョイガキがビクスクでローダウンってパッケージなんだろうか?同じ二輪車で、自転車はオッサンのスポーツ真似に対して、単車がガキの安楽ツッパリ系って印象。

 どっちも好きでないが、スクーターのガキはわざわざ横に並んで爆音で寄せてくる、、、、まぁ、相手にしないが、ホームコースでローディが反応してくる以上に不愉快な気分になる。少なくとも、オヤジローディよりもガキスクはバカっぽいように見える。煙草をくわえて吸い殻をポイ捨て、中には信号無視して、爆音で音楽掛けてフラフラ走る、、、、見るだけで不愉快な気分になる。S4ガンマで油霧をぶっかけてやろうか?と思うほどだ。

 今、自転車に乗ると、マナー云々は別として、少なくとも世間の目は好意的だろうが、単車に乗ると、マナーの悪さに加えて世間の目は冷たい、、、、、同じ二輪車でも、こうも違うのにビックリだ。

 今年の東京モーターショーではカワサキが出展を取りやめた。国内二輪メーカーは生産拠点の海外移転を進めたり計画したりとの話も聞く、、、、販売台数はバイクブームの1980年代初頭の1/10にも満たないほどに市場は冷え切っている、、、、、単車の面白さは、爆音ツッパリではなく、三次元を駆使した操縦感覚で、この感覚だけは自転車では味わえない世界、、、、勿論、運動神経、反射神経、経験が必要だが、この楽しさは一度知るとやみつきになる世界だと思うんだが、どうして、スポーツ志向の自転車には向かっても単車には向かわないのだろうか?

 スポーツ志向=過激ではないのだが、スポーツ志向に走ると過激な選択肢しか無いラインナップにも責任があるのだろうが、それはマーケットが小さいからという宿命でもあり、メーカー、ユーザーのどちらがどう?って言えないのは確かだが、楽しさを提案する事くらいは出来そうなのに、、、、自転車なんて、スポーツといってもタダ頑張って漕ぐだけだ。漕いで痩せる?のも効果かもしれないが、単車のスポーツというのは、別の要素が加わってくる。筋力、平衡性、俊敏さ、、、そういう楽しさが認められれば少しは変わるのだろうに、、、、って考えてしまう。

 先日のバカスクみて、単車に乗っていて悲しい世界だなぁ、、、としみじみ思うのであった。

 まぁ、世間で冷遇されようと、誰も乗らなくなろうとも、それでも自分はミドルツイン+2ストは降りないけどね、、、、

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シルク

 最近貰ってレストア中なのが、シルクのロードとピストである。
 貰い物なんだが、今、一番気になる自転車でもある。シルクってブランドは知っていたけど、自身の自転車歴の中では聞いた事があっても買うターゲットとはならなかったブランドだ。因みに自転車工業としての操業期間は1954~1997年である。

 自分が自転車で遠出等のサイクリング中心で遊び始めたのが、小学5年の頃、小学生というと少年スポーツが定番で、スポーツ風サイクルというと、中学一年の頃、その時買ったのがBSのロードマンだ。10段変速のロードマン、中学一年というと12~13歳の頃、1976年頃の話、昭和で言うと51~52年だ。中学一年生のロードマンっていうと、確か49,800円くらいでは無かっただろうか?当然、シルクなんて眼中に無い。
 その後、本格的?なスポーツ車に移ったのが高校生の頃、昭和55年、1980年頃だ。ここで入手したのが、バイトで自転車屋務めしていた事もあり、BSダイヤモンドのDF-7110、レイノルズ531仕様のダイヤモンドファーストライディングモデルだ。この頃、カタクラってブランドは知っていたけど、当時の自分の目ではBSのダイヤモンドシリーズ等と較べて凄い!って印象は持っていなかったように思う。

 シルクという名前の印象は、二枚肩+ラグレスでマスプロメーカーでは作れなかったコンペティブなバイクを初めて作り出した、、、、そういう印象を当時から持っているが、その二枚肩+ラグレスなシルクっていうと何時の話か?は、当時の段階でも昔のシルクという知識に留まっていた。その程度であり、シルクというブランドの歴史を深く考えた事は無いのが正直なところだ。少なくとも、1980年代初頭のシルクは、構造的にBS等のトップレンジのバイクとの違いは見出せなかったように思う。そして、1970年代後半の時は、考える自分自身自体が中学低学年故に、考える知識も何も無かったのである。

 正直、シルクというブランドに威厳を感じる世代というのは、自分よりも一世代上の人かな?といえよう。今の段階で50歳以上の人にとっては羨望のブランドだったのだろう。今の50~60歳の自転車好きが購買力+知識を伴った自転車好き少年だった時代は?というと、今から35~45年前の時代、つまり1960年代半ば~1970年代半ばという時代だろうか?

 その時代のシルクはどうよ?っていうと、それが小中学生だった自分に自転車を教えてくれる際に情報として得た、二枚肩+ラグレスという構造が特徴な自転車であることが判る。
 実際、シルクの歴史を調べてみると、従来の海野D2×D2ラグレス・二段肩丸フォークから、石渡022ラグ付き・楕円フォークとなったのが1977年である。因みにロードバイクを見ると、

1974年モデル・・・・・R2-4:プロダイクランク+筆記体ロゴ
1975年モデル・・・・・R2-5:マイティクランク+大判ロゴ、R2-X:ジュラエース仕様
1976年モデル・・・・・R2-R:R2-5と殆ど変更無し、R2-X:前年継続使用
1977年モデル・・・・・R2-K(ラグ式)、P2-XK(シュパーブ仕様)、R2-PK(廉価版)
1978年モデル・・・・・R2-W(ラグ式)、P2-XW(シュパーブ仕様)、R2-PW(廉価版)
1979年モデル・・・・・R2-P(ラグ式)、P2-XPS(シュパーブ)、P2-XPD(ジュラーエース)
1980年モデル・・・・・R2-F(ラグ式)、P2-XF(ジュラーエース仕様)
1981年モデル・・・・・R2-S(ラグ式)、P2-XS(ジュラーエースEX仕様)

 ってなっている。やはり丸フォーク+二枚肩+ラグレスフレームこそシルクというならば、1976年以前のモデルなんだろう。

 色々と情報を求めてみたけど、なかなか古い情報は見当たらない。取り敢えず、自分のR1ピスト、R2ロードともに1974年以前のモデルなのは間違い無い。正確には不明だが、もっと古い時代のようなパーツ構成である。

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2009年11月 5日 (木)

シルク、ロードR2途中経過、、、、

 SILKさんから進捗メールが届いた。塗色が終わったとの事で、デカールについての再確認、更には、胴抜きの赤はどうする?って事、、、、

 胴抜きで行けるのなら、胴抜きにしたい!って気持ちが強いので、御願いする事にした。なんたって、このナショナルカラーを模した配色はカッコイイ!R1ピストで実証済みだ。

 ということで、R2ロードも胴抜きの赤を配色することにした。

 さて、前回更新からの変更点は?っていうと、、、前回の記事が

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2009/10/post-72cb.html

 であり、それから変更したところは、ブレーキをナット留めのサイドプルキャリパーから、ナット留めのセンタープルキャリパーに変更した点が大きい。サイドプルキャリパーはシマノのBR-Z57って普及グレード品だったけど、センタープルキャリパーも同じく廉価品でCHERRYってブランド品だ。ユニバーサルかワイマンのパクリのような品であり、大した品では無いが、取り敢えず古い感じが良い感じとでも言おうか、、、

 後は確定したパーツとしては、メカがサンツアーのセブンってグレードを準備しており、Wレバーはユーレーの肉抜きを選定している。リムはARAYAのRC-540、ハブがTIAGRAの4500シリーズのハブで準備済み、そんな所である。

 今回のR2ロードは基本はチョット力を抜いた感じで仕上げたい。シマノとかカンパのロード部品は極力使わない方向で仕上げる、、、、それが目標だ。

 

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炭素繊維複合材料の話

 先日、表題の話で議論する機会があった。
 そこでの話。炭素繊維複合材料で、マクロ的には複合元の材料の弾性率に比例した物性となるけど、ミクロ的には、構成繊維の大きさ(繊維系)に逆比例した物性になるって話を自信満々にされたけど、これ聞いて会話した内容、、、、それって、粉末冶金材料の物性改善の手法と似ていない?或いは、一般材料でも当て嵌まらない?って話。

 最近は炭素繊維を樹脂、炭素、メタルと複合化した材料開発を行っているけど、一寸前は、複合炭化物とか、セラミックス、サーメットの開発も行っていたのだが、そこでいい材料っていうのは、微細化された材料、、、或いは、超微粉を用いた焼結材料っていうのがある。

 ふと考えたのは、炭素繊維の複合材料の繊維系の物性への影響っていうのは、粉末冶金での焼結材料の粉体粒子径の物性へ与える影響と一緒の部分があるだろ?って話。

 この話、週末のテレビで塩船で海を渡る話で、塩を微細に粉砕して付ける事で強度を上げるなんて話があったけど、多少被る部分がある。

 そう、これって常識の話の一つだが、人によっては、学問に特化しすぎると、似たような事例が他の分野で大量に転がっているのが気付かないのかもしれない。まぁ、自分が気付いたと錯覚しているだけかもしれないが、、、、、

 ところで、炭素繊維複合材料で面白いのは、材料複合化において破壊の方向性というか形態を制御することで強度を保つ考え方、、、、、一般に、材料の複合化では高弾性率材料比率を上げるほど物性は向上するけど、考え方としては、破壊の形態を破壊の視点を高弾性材料から発生するようにデザインすることで、弾性率比率を超えた強度を発揮させる方法もあるという、、、、こういうのは、素直に素晴らしい考え方だと思うけど、更に言えば、壊れる強度で材料を比較するよりも、壊れないで使える範囲の強度が幾らか?が大事であり、そういう点では複合材料の評価は未だ発展途上のようでもある。

 果たして、元来的に複合化する事が難しい炭素繊維と樹脂の複合材料は、従来材料と見立てる時、どのような材料として扱うのがベストなんだろうか?疲労の有無、限界の高低、、、いろんな尺度があるけど、その辺が明らかにはされていないようにも思う。複合材料の場合、弾性率一つとっても、それを通常の弾性材料と等価に考えて良いかどうか?は、その成り立ちや破壊の形態から考えても安直には扱えそうにない。

 そんな事を考えながら見つめると、結構楽しい。

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衣替え!

 11月最初の出勤日を区切りに衣替えを行った。
 天気予報では、寒波襲来とのことで、最高最低気温共に急激に低下するという事。そして、衣替え初日、、、、、、いきなり寒い!昼ポタで出撃中に急激に空は冬の雲、、、、そして、雨、それも、冷たい雨だ。土曜日10/31は、汗ばむほどの陽気だったのに較べると、一気に気温低下している。

 このタイミングが完璧だ。この衣替えのタイミングを逸すると、大風邪をひくのだ。例年、タイミング悪く風邪をひくのだが、今年は新型インフルエンザ等で勘違いされるのも嫌だから、気温の変化には敏感に過ごしている。

 それにしても、もう11月である。11/8は地元町内の亥の子祭り、11/15が七五三、11/22が自転車屋さんでのイベント、それが過ぎると11/29、その次が師走である。季節の巡りの早い事、、、、この前後には年賀状の準備に追われる。12月に入ると町内清掃から何から忙しくなる。10月を過ぎると非常に慌ただしい。

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2009年11月 4日 (水)

固定シングルで10%勾配!

 今日も固定シングルのラングスターTT号で最大斜度16%をヒルクライム♪

 当然、ギアは一枚だからロールアウトで5.5m程度、44×17Tでアタックだ。これが最高に面白い。脚漕ぎでは回転慣性が利用できない程に失速する。だから、上半身の筋肉(上腕だけではない)をフルで投入し、重心位置は振られる事無く、しかし車体は振れているかも、、、そんな状態でペダリングするとクランクが静止するような瞬間は消える。そうすると、進行速度が高まる毎に生まれる慣性を利用できるのだが、その慣性で回転が死ぬ前に駆動を掛けるような、そんな感覚でのペダリングである。

 前半の10~12%の斜度を、速度でいうと均衡速度で18km/h程だろうか?イイ感じで駆け上がる事が出来る。この上りでの回転慣性を感じながらのペダリングっていうと、或る程度以上の重たいギアで無いと感じれない。軽いギアで上がる時は、そういう感覚は消える。小径でもフルサイズでもだが、そんなもんだ。そして、小径でも、フルサイズでもだが速度が乗った状態の方が慣性を感じる事が出来る。

 ところで、一般に小径車の方が上り坂が強いと言われている。確かに、低いギア比を得やすいというのもあるけど、自分としては寧ろ大きな車輪の自転車の方が楽に感じる。大きな車輪に重たいギア比っていうのが一番上り坂が楽に感じるのは変だろうか?一番の違いは、大きく安定した車体の方が全身の力を入れても車体が落ち着いているという事と、リズミカルにペダリングして慣性を得ようとすればペダリング回転数の割に速度自体を生まなければならないという感覚を持っているからだ。

 そんな理由から、固定シングルでヒルクライムっていうのは、案外楽に上がれるように感じている。

 実走行では固定シングルに乗る距離が最も長いけど、固定シングルに乗ってから得られたモノっていうのは、平地を走るには低めのギア比故に、それで50km/hオーバーを日常で得るには自ずとケイデンスが上がる。それになれると、何時でも普通に110rpm以上で走るのが普通になる。そういう高いケイデンスに慣れたというのが大きい。最近は200rpm如きでは尻跳ねも無い。
 そして、なによりも勾配を上るには重めのギア比なんだが、そんな重いギアでも10%オーバーが楽に感じるような全身の使い方を得たというのが大きい。軽いギア比があると便利なのは確かだが、無くても何とかなるというか、そういう感じの方が大きい。重たいギア比で勾配を上がる時に初めて慣性ってモノがペダリングに大きな補助動力となっている事が判る。慣性を如何に上手く使うか?を考慮に入れたペダリングっていうのが自分にとっては大きな発見である。

 因みに、平地で高ケイデンス、勾配で慣性ペダリングで共通して言えることは、ペダリングによって生んだ速度を如何に失わないか?と言う事であり、自身では、それこそがペダリングのコツかな?って考えている。生んだ速度を失わないペダリング、、、、世間の人が言う回すペダリングとは別かも知れないが、少なくとも回すペダリングを得るという意識では、生んだ速度を失わないペダリングっていう感覚は得られないように思う。

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踏み、踏み、踏み

 日曜日の夜中にアクセス解析を覗いていたら、フラペで回すとか、中野選手の特集とかの検索でお越しくださる方が多いみたいなのに気付いた。

 フラペとSPDの話で検索される人が多い。SPDというかビンディングというか、そういうのが今のロードバイクの常識で、それを使うと、ひき足が使えるとか、、、、それを使って回すように漕ぐべしとか、、、、中には、クランク下死点で足がペダルが離れず?足首が伸びてもペダルと足がひっついている?とか、、、なんか、意味不明な話迄もが発掘可能だ。

 自分は、ビンディングなんか大嫌いだ。使う気は、全く無い。皆無だ。欲しくもない。

 好きなのは、トラックペダル+トークリップ+ストラップという構成。本気で走る時は革のクリートを打ち付けたシューズを使うけど、普通には、靴底にクリート代わりのスリットを設け、ペダルプレートで噛ませる程度、その次は?っていうと、普通にフラットペダルが好み。それで十分な印象というか、それしかないような感覚だ。もっと言うと、ペダリングの回転数にペダルの種類は関係無いというのが持論。フラペで慣れれば200rpmオーバーは可能だし、実用上、120rpm程度で走り続けるのも問題無い。
 ペダルと足の固定では、踏み外しリスク回避という意味では有効だが、踏み外しの回避には、ハーフクリップ程度で十分。

 ペダリングで気にすべきは、足裏の感覚、接地感というか、それだけ。そのためには、足裏とスピンドルの間の介在物は極力シンプルで単純で密接なのが大事。そういう点で、先の選択がベストって考えている。
 そもそも、人間の脚は回転運動するように出来ていない。上下運動するモノだ。それを回すように意識すること自体がナンセンス。回すように考えたり、慣れたりに拘り過ぎると、明後日の方向に行くのでは?というのが自分の考え。

 上下動を回転に変えるためには?という単純な事を考える方が大事。回転に変えるために積極的に行うべき事(機材のセットアップ、脚の使い方)と、回転を失う要素を極力排除する事(それを感知する感覚を養う事)こそが重要であり、その結果が回るペダリングという結果になるだけと考えている。それを構築するには、持論の上ではビンディングの一般常識は全てが邪魔なモノと自分は判断している。それが何か?を探す事が、自転車に乗る楽しみだと思う。

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シートポストの突き出し

 シートポストの突き出しは、今風の人は滅茶苦茶出している。そして、価値観的には、突き出し量が多い程カッコイイ?らしい。

 ところで、週末には『女競輪王』のDVDをじっくり見た。この映画、非常にスピーディーで面白いというか、見て飽きないというかそんなストーリーだが、その映画の中のシーンには、実際の競輪中継の映像が使われていて、そこの自転車を見るとシートポストの突き出しは極僅か、、、、、そう、支柱の部分で3cmも出ていれば多い方にも見える程である。

 で、遡って昔を考えると、自分が自転車競技を囓っていた頃は?っていうと、使うフレームにもよるし、用途にも寄るけど、3~6cm程であった。どんなに長く出しても8cmは出さないのが普通だったと思う。しかし、最近はスローピングデザインと言う事も有るんだろうけど、突き出し量は15cm以上は普通の世界となっている。

 そもそも、自転車のフレームで大事なのは、シート角とトップ長だ。シートパイプ長の長短に拘わらず、先の2つが決まれば、取り敢えず乗車時のポジションは決まる。シートパイプ長は乗車状態で自転車のダイヤモンドの大きさが変わる訳であり、シートパイプ長が短く、突き出し量が多いとダイヤモンドが小さくなって高剛性なフレームとなるし、シートパイプ長が長く、突き出し量が少ないとダイヤモンドが大きくなって弾性的なフレームとなる。

 つまり、フレームの乗り心地が三角形の大きさを決めて、それがシートパイプの突き出し量に影響するという風に考えていたのだが、最近は、車両タイプに拘わらず、どうやら突き出しが多い事ばっかりになっているのが不思議な感じだ。

 自分の意識としては、短距離系なバイク程、フレーム三角がコンパクトでシートパイプ長が長く、長距離系程、フレームを大きくとってシートパイプ突き出し量が少なくなるという考えだが、そういうのは古いらしい。

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2009年11月 3日 (火)

ピスト、運用開始!

 先日、帰還したピストだけど、ルイガノに付けていたサイコンを移植してローラー台での運用を本格的に開始した。

 このピストは超前傾でサドルは硬いプラサドル、ギア比は48T×18Tである。これで60分程漕いでみた。
 結果、これ、超面白い!ポジションもバッチリ、何処も痛くない。カタカタのプラサドルも快適に感じる程、、、、先日、実走でホームコースを走行した時の乗り心地をランドナーみたい!って表現したけど、ローラー台で乗ってもモロそんな感じ。固定シングル故に、最高ケイデンスアタックはチョット恐いかな?と思いながら、恐る恐るやってみた、、、、、結果は、、、、、全然問題ない。っていうか、531スポルティーフよりも楽な感じ。220rpmオーバー迄引っ張ってみても尻跳ねなんて皆無というよりも、より簡単に回転数を高いところ迄引っ張り上げる事が出来る。正に固定ギアならではの世界だ。ペダリングへの意識は従来通りでOKだ。高回転迄持って上がり、回転を落として減速する過程でも固定ギアである事を意識する事は全く無い。正直、固定とフリーの違いは感じない。多分、外から見ても自分の漕ぎ方から固定を踏んでいるか?フリーを踏んでいるか?は判らないと思う。乗る程に、自転車は固定ギアに限ると思う。
 そう言えば、チョット前にラングスターTTで100kmの距離を所要時間2時間50分で走りきった事があるけど、別に固定ギア故に疲れる?なんて事なかったし、脚を回し続けているなんて意識自体が無いから、それならば変な動力分断であるフリー機構なんぞ無い方がマシって気持ちも少なからずある。

 やっぱり、シンプルな機械を、機械なりに使うと最高に乗り易い。

 ラングスターも気に入っているけど、シルクピストは別格だ。ホント、これ良いわぁ、、、見る程に、惚れ惚れする。これ見る程に、スペシャのラングスターがゴミというか、オモチャっていうか、そんな風に見えてしまう。どっちも愛車だけど、風格というか、オーラというか、全然違う。

 乗る前、貰ってから仕上げる迄の間は、使えるかな?って思っていたけど、出来上がってからは、乗れるかな?って心配に変わり、実際に運用を始めると、、、、これ、最高!ってなっている。

 このシルクのピスト、ポジションがドンピシャリである。下半身の収まり方が最高で全力走行中でも身体がピッタリ嵌り込むかのような感じである。そして、なによりも驚きなのが、何の意識も無しで普通に乗るだけで、他のバイクの一割増しで走れる。同じギアで回転数が一割アップ、、、そう、速度が一割アップするのである。ギア比も何も一緒で、唯一違うのがポジション、、、このポジションだけで、何の苦もなく、実走で、ローラーでも一割アップで均衡するのである。これって、驚異的だと言える。

 やっぱり、自転車はピストが一番だなぁ、、、、ピストが最高である。他の自転車は、まぁ、どうでも良いって気分になる程だ。

 走るために必要最小限度だけど、それが良い。あれも、これもって望みは適わないけど、どんな世界でも最後は妥協が必要。そして潔さが世界感を際立たせるのも事実。潔さは、諦めではない。潔さを受け入れて、出来ない部分は自分が対応するという方向に変わる。そう、機械に期待するでなく、自分をどうにかして、欲しいモノを得ようとする。結果、見えてくるモノが現れる、、、そんな気分だ。

 やはり、人間、不自由が大事だ。不自由故に考える。そう思うと、頼るのが自分という方向に志向が向くような固定シングルギアっていうのは、ホント面白い。

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自転車選ぶ時は?

 先日、ショップで自転車はどう選ぶ?って話題になった。
 自分は、どうするか?

 最初はクランク長を決める。クランク長は脚長で決めるって方法もあるけど、選択としては現実的には165mmか170mmであり、其処までシビアには考えない。ただ、170mmと決めたら、クランクを回す時の90度地点での大腿部の傾斜角度を測る。その数値から重心位置~ペダルスピンドル距離を求め、脚長測定値を求めてシート角を求める。好みのシート角が無くても、脚長が判ればシート角の調整はシート取り付け位置で調節できるからオーダーで無い限りは妥協の範囲に入るかどうか?を確認する。バッチリオーダー出来たフレームならば重心位置~ハンドルクランプはトップ長+ステム長となるけど、既存フレームを使う場合はその限りでない。因みに、ステム長はフォークディメンジョンで決まった値だからリーチの調整にステム長の調節は行わない。つまり、体型で決まったリーチ長からステム長を牽いた数値、本来ならばトップ長が自分の望んだ数値になっているかどうか?をフレームスペックから読み取る。

 敢えて判りにくく書いているけど、その求め方は人それぞれだから明かす必要は無いと考えているからだ。言えるのは、基本はシート角を見て、トップ長を見て決めるのである。シート角を見てサドル取り付け調整巾を考慮してスペックトップ長が実質トップ長とし他時に、自分のリーチが得られるか?これを重要視している。

 こういう見方で数値を見ると、自分に合いそうなフレームっていうのは、国産フレームばっかりである。外国産のフレームは自分が乗るには不自由なフレームが多い。

 でも、自分の体型はコテコテの日本人平均体型、、、、自分と同じ考えの人は、外国産フレームを受け入れないのでは?と思うんだが、実際は、街で見掛けるバイクの95%以上は舶来ブランドばかり、、、、不思議な感じがするけど、自分が変わり者なのかもしれない。

 まぁ、選び方は人それぞれの話、、、、でも、ここ何年か続けているエクササイズ走行では、追い抜くと100%に近い確率で反応される。大抵は、問題外だけど、そういう状況にならされてくると、抜く時に相手を推し量る事が多い。そして、この人凄そ!って思う相手は99%の確率で国産車の事が多い。ZUNOW、NAGASAWA、NAKAGAWA、3RENSHO、BRIDGESTONE、PANASONIC、、、そんなブランドばかり。この辺の自転車を見ると、抜く時、チョット躊躇してしまう事が多い。気のせいかどうかしらないけど、そんな感じだ。

 ところで、正直、最近のカーボンモノコックシャーシの自転車は好きでない。大抵の場合、作り方的には伸び縮みしない炭素繊維のシートを型に張り合わせて厚みを調節しながら立体を作っていく。当然、繊維から生まれたシートを張り合わせる訳であり、その隙間っていうのはボイドのリスクを抱える。形状的に複雑な立体を作るためには、そのボイドを如何に減らすか?が鍵だ。繊維の強度を保ち、繊維間に樹脂を緻密に含浸させるのが大事だが、繊維に対してはサイジングとかカップリングの処置を施し、形状を作る時にはテンションも必要。その全てが繊維自体の強度低下を招く。そんな事を考えると、其処まで、配慮しているか?というと、甚だ疑わしい。勿論、幅広く流通させる訳であり、一定以上の品質の安定性確保はデフォルトであり、そのためには、製造工程の機械化は当然されているだろう。伸び縮みしないシートをなるべく上手く貼り付けるには、シートの裁断、貼り付けの専用機械が大事であり、そこには厳密な寸法管理が為されている。

 そう、高度な品質管理を自動機械で実現するにはターゲットサイズが定められている。サイズのターゲットは何処を見ているか?というと、世界の自転車メーカーから見て最もマーケットの大きな地域に併せているのは当然と言えば当然。つまり、リリースされている外国ブランドのターゲットは、99%以上は欧米圏の体型を標準とした数値となっているだろう。そう考えると、カーボンの物性が云々、製造法が云々という前に、一番大事な数値が日本人向けでは無いのでは?というのが自分の考えだ。

 それ故に、最近のカーボンモノコック系の自転車が好きでないのだ。

 前述したように、自分が決めるのは、パワーの最大値が生まれる状態を計測し、その状態での骨格位置からスケルトンを決めていく。そういう姿勢が作れるかどうか?は、フレームのシート角、トップ長であり、その数値的な条件を満たすか否かが、国産車と舶来車では大きく違うのが現実。自分流に言えば、舶来車に乗ると、どうしても膝と腰に無理が掛かるような印象。それ故に選びたくても選べないのが正直な所。話が脱線するけど、膝が痛いとか、腰が痛いと言っている人は多分、自転車が身体に合っていないっていうのが結構多いのでは無いだろうか?少なくとも、自転車に復活して間もない自分が自転車に乗って、膝、腰、足首、、、、痛みを感じた事、攣ったりした事は皆無だ。

 『カーボン』って言われている材質は様々だが、最もポピュラーなCFRPは、モノによって(繊維の前処理次第、繊維の編み方次第、樹脂の選択次第、固め型次第、、、それって普通はカタログには書いていない。パイプ形状なら古来の組みによって編み上げた形状生成が一番だろうけど、そういうのは繊維目を見る限り自転車用には見られない。一番多いのはシートの積層ばかりだ。)は、確かに高性能な材料で、自転車フレームとしては悪くない選択肢だと思うけど、大事な大事なスケルトンという部分では、受け入れ難いのが現実。

 将来、満足した数値を持つ新素材系フレームが登場すれば、チョット興味があるけど、今の段階では、取り敢えずスルーである。

 話を元に戻すと、自転車を選ぶ時に最も重要視するのは、フレームスケルトンだ。シート角、トップ長、これが全て。なお、ステム長はリーチ調整には変更しない。ステム長は肩幅、フォークのスケルトンで決まった数値という認識だからだ。それ故に、シート角、トップ長を見て、自分の乗車姿勢が作れるかどうか?これを判断して選んでいる。

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多分、芸能人は凄いぞ

 先日、片山右京さんがジロ・デ・イタリアのコースを走るテレビを見た人から話しかけられた。
 なんでも、あの人がそんな事ができるなんて!って事らしいけど、自分の感想としては、そのテレビ放送自体は見ていないけど、片山右京さんのような方なら、ビックリするはなしでは無いだろうって感想だ。

 そもそも、元々、頂点カテゴリーに上り詰めた一流のアスリートである。F1に限らず、MotoGPでも肉体の鍛え方は半端で無いのだ。更には、自転車好きで自身のブランドでリーズナブルな商品を売る事を認める程の人である。更に遡れば、元々は、陸上部長距離選手であり、更に遡れば、自転車好きで色んな所に旅する事が好きな少年だったのだ。
 片山選手というと1963年生まれ、、、そう、自分と同じ時代に幼少を過ごしている。我々の幼少期は大サイクリングブームで、サイクリングが花盛りな世代である。

 そんな自転車大好きな少年が、学生時代に運動部で陸上競技に取り組んだ後に、カテゴリーのトップに上り詰めたのだ。運動能力的にも、経験的にも、運動を専門的に取り組むための手順も全てを兼ね備えており、ハッキリ言って、その辺のブームに乗ったアンチャンが対等に見れるレベルではないのは明白なのだ。

 因みに、F1というと佐藤琢磨選手も自転車競技で、インターハイ、学生選手権を総ナメにする程の実力である。

 そんな話の流れで、自分の考えを彼に話したのだが、そんな一流の選手でなくとも、サイクリストで著名な人の殆どは、その辺の無名なアンチャンとは別の次元のレベルで自転車と取り組んでいるだろ?って話をしたのである。

 仮に、同じ年齢で同じ時期から始めたとしても、その辺のブーム系ニワカアンチャンと著名人では全く違う次元になっているだろう。その理由を聞かれたので一寸挙げたのが次の通り、、、

・そもそも、著名な人は、自立心、競争心が強い。
・一芸に秀でる人が多いのは、物事を進める壺を心得ているだろう。
・時間の制約という言い訳をしない。
・財力が違う。
・取り組む場合に築ける環境が違う。

 ってところだろうか?一芸に秀でるから、公の面前で活躍できる世界で生き残れるのは、その手順を本能的、或いは、環境的に身に付けているだろう。それに自信というか賭ける思いがあるのは、自立、継続、競争の面で大きな武器となるだろうし、生活のマネージメントを組織に強く縛られるという言い訳をしないだろうし、著名故に、思いを具現化する上でのタイムロス、モチベーションロスとなりうる金銭面の問題も少ないだろう。更に大きいのは、ゼロから始めるにしても、著名故に、その世界の専門家との縁を築く面で有利とも言える。

 そんな事を思えば、金無い、時間無い、センス無いようなアンチャンが著名な方に太刀打ち出来ない方が可能性は高いのでは?と思うのが正直な感想だったりする。著名な方に対するネガティブな意見の殆どは、ひがみ、妬みが背景にあるんだろう。

 物事の上達で一番大切なのは、環境と時間だ。環境とは、物事を進める上で正しい道に導いてくれる先導者がいるか?ということで、そういう環境を作るのは並大抵ではない。こういう環境は、どんな分野でも構わないけど、そういう環境を経験する事が、別の取り組みを行う上でも大きな武器となるのは確かであり、一般の人にとって、そういう環境に接する事が出来るチャンスっていうのは、実は学生時代迄の部活だったり習い事だったりするのだ。
 好きな事が遊びで終わるか?その先に進めるか?の大きな違いは、誰でも実は知っていることだが、要は、部活や習い事、スクールといった環境で導かれたかどうかで決まる。それ程に環境は重要なのだ。

 今、数多くの著名人が自転車に嵌っているようだけど、多分、どの方も、その辺のアンチャンが思っているレベルを遙かに超えた次元だと言えよう。そんな方々を揶揄する表現も耳にするけど、それが出来るレベルにあるのは?っていうと、同等の環境を持っている(持っていた)だけでは追いつかず、同じような時間密度で過ごせても対等というレベル止まりであり、それよりってなると、それは、運動というモノ全てに当て嵌まるけど、成長期の身体機能の発達時期に上手い具合に各部を鍛えるような運動に取り組んだ経験のある人という過去の条件が必要だろう。
 そう考えると、著名な方々のレベルっていうのは、素直に凄いなぁ!って思うのが一番なのがよく判るだろう。

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2009年11月 2日 (月)

本屋にて

 この週末、家族でショッピングモールに出掛けた。朝、雨の降る前に30km程走った後、10時前に店についたのだが、そこでは家族が思い思いの店でお買い物、、、、最後は、文具と書籍を扱う巨大本屋で買い物をした。

 そこで、単車、自転車の書籍売り場を少し覗いたけど、凄く多くの人が集まっている。そして、自転車関連は凄く多くの種類の本が並んでいる。結構、一生懸命立ち読みしている人も居る。

 で、サラッと見て、陳列雑誌のタイトルみて、、、、感想は、『ふ~ん、、、』で、終了。売り場に居た時間にして、、、、10秒未満。

 見てどう?って思うことが全く無い。関心が全く沸かない。不思議なモンだ。雑誌類に関心を持って特集記事を本気?で読んでいたのは中学生時代だ。高校時代になるとボチボチ、大学時代は惰性で買う程度で読む事は無し、、、大学時代後半になると、買う事もなくなり、たまに立ち読み程度、、、、で、今は、表紙見た瞬間にパス、、、、そんな感じ。

 多分、雑誌の情報を評価していないから。雑誌如きで得る情報がある筈無いと判断しているから。雑誌の特集で、特に意味無いと思うのが、○○で速くなる!○○で上手くなる!って特集。正しくゴミ以下だ。こんな事を書いている時点で、雑誌自体の評価が下の下で判断してしまうのだ。

 でも、そういう特集が凄く多いみたい、、、チョット笑っちゃう。

 雑誌、ムックの類で関心があるのは、歴史を遡る雑誌とか、イエローブック的なデータベース的な雑誌くらい。それ以外、技量関連の上達本とかインプレッションとか、特につまらない。

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一人の中に2つの人格?

 別に二重人格って話ではない。自転車趣味の話。自転車っていうのは、乗らなくても機械的には劣化するようなモノでもないし、維持費が掛かる訳でもないので、、、、つい、増殖してしまう。

 で、増殖した結果を見ると、、、、先日の記事にも書いたけど、使う自転車と飾る自転車になっている。

 使う自転車は?っていうと、ラングスターTT、オ・モイヨWW、ルイガノMVF、西DAHON、スピママ号ってところ。

 飾る自転車は?っていうと、シルク・ピスト、ステンレスロード、BSトライバイク、小林スポルティーフ、多分、製作中のシルクのロードもそうだ。

 コレ見ると、使う自転車は?っていうと、最近の流行ではないけど、時流に合ったようなモノ。自身も使う前提であり、質実剛健、機能さえ満たせば何でもOK的なモノ。モロ、道具感に溢れている。使うって事だから、用途がある。朝のエクササイズ用、午後のエクササイズ用、実用車、娘サイクリング、ショップサイクリングとなっている。選んだパターン、カスタムの方向性は割と現代的な趣味だと自認している。この趣味性を持つ人(自分の一面)は、平成の自転車ブームで自転車生活している人そのものに見える。

 一方、飾る自転車は?っていうと、基本は正統派700Cのホリゾンタル鋼管系フレームを持つ車両だ。パーツの構成、趣味性、方向性は、1970年代のサイクリストのまんまである。この愛車をネタに話す相手の人は?っていうと、ニシダサイクルさんのお客さんでも50代以上でTOEI車等に乗られている方等々だ。コレ系の思想では、もう現代のブーム系サイクリストとは世界観が違う状態である。

 今、この二面性が自分の中にある。

 ただ言えるのは、基本、スポーツサイクルは好きだが、スポーツサイクルなら昔系のフルサイズバイク志向か、現代なら小径折り畳み系志向となっている。現代のメジャーなカーボンバイクを筆頭とした現代的フルサイズには何故か向かわない状態だ。

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キムチ+納豆=?

 表題の生活を初めて暫く経つ、、、、、納豆を始めた理由は植物性蛋白質とコレステロール値の改善が目的で、弊害としてはプリン体が多めだが、その分、水分をしっかり飲めば良いということで続けている習慣だ。
 キムチは?っていうと、これは健診で胃の陰を正確に健診するために内視鏡を行った時に胃が荒れているという診断で、ピロリ菌が居たのが発端。胃の荒れを直すには、植物乳酸菌ということで選んだのがキムチだ。

 そういう訳で、適量?のキムチ、納豆生活を続けている。キムチは毎日100g以上、納豆は基本が2パックという生活だ。

 その結果どうなった?っていうと、健康の回復以外では、、、、、そう、おならがクサイように思うのだ。
 そこでネットで検索してみた。検索ワードは『納豆&キムチ&おなら』だが、すると出る、、、、クサイって人が他にもいるようだ。

 自分の目的はダイエットに非ずで、まぁ、好きだから食っているというものだが、この組合せがダイエットにも有効という話もあるようで、チョットビックリだ。

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2009年11月 1日 (日)

敢えてコンパクトクランクを選ぶなら、、、、

 先日、クランクトリプルを選ぶなら46-38-30Tがベストって書いた。
 でも、トリプルをデザイン上嫌ったり、踏み巾的に嫌ったりする人はダブル迄しか容認しない、、、、

 そうなると、やっぱりコンパクトクランク?って事を選ぶ人が多い。本来、フロントダブルでロードを組むならギア比の絶対値で軽い!を求めるのもナンセンスであり、重さを定義するには、アウターリングの大きさを基準に考えるべきだと思う。

 ということで、最近のスタンダードクランクのデフォルトであるアウター52T、53Tが大きすぎるが故に使いづらい訳であり、スタンダードクランクでアウターを50T程度に抑えるのがベストだと自分は考えている。必要なギア比はカセット側でどうにかすれば良いという考えだ。だから、ステンレスロードでは50-39T、BSトライバイクでは50-39-30Tを選んでいる。

 でも、それでもヒルクライムが重い!って人が居る。そういう人はインナー34Tに拘りたいそうだ。そういう場合は?っていうと、やはり、オーバーラップ重視でアウターとの歯数差はスタンダードクランクでの最大歯数差53-39=14T以下に留めたいところ。つまり、インナー34Tならばアウターは、34+14=48T以下にしたいところだ。

 ということで、トリプルなら46-38-30Tがベストだが、ロードでスタンダードクランクなら50-39(-30)T、コンパクトクランクなら48-34Tがお気に入りだ。

 但し、スタンダードクランクでフロントダブルの50-39T以外の組み合わせでは、リアのカセットでワイドレシオのセットは選びたくない。理由は、前後のトータル歯数差をカバーするトータルキャパシティでRメカに負担が多くなるし、場合によってはロングケージスタイルとなるから。やはり、ロードバイクならショートケージのRメカが美的感覚的に必須と考えているからだ。よって、許せる(?)のは、、、、

50-39-30T×クロウスレシオカセット(歯数差10T以下)
46-38-30T×クロウスレシオカセット(歯数差13T以下)
50-39T×ワイドレシオカセット(歯数差18T以下)
48-34T×クロウスレシオカセット(歯数差15T以下)

ってところ。まぁ、これは人の好みだが、自分の場合はこの通りだ。

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10/25~10/31の週の検索ワードピックアップ

★先行待機
 このキーワードで頻繁に検索しているドメインは東芝さんだ。先行待機の鍵は、読んで字の如く、水を荷揚げする前から先行して待機運転するポンプということ。ポンプの構造上、縦型長軸斜流ポンプのようなモノで水がないと駆動軸を支えるベアリングが気中運転に曝される。そう、無潤滑摺動となるのだ。そこでの耐性と、水が入ってきた時の急激な温度降下に対する耐熱衝撃性、水に含まれる土砂に対する耐摩耗性が求められる。
 耐摩耗性、無潤滑摺動特性、靱性、、、、そういう物性が求められるのだが、何故?っていうと、無潤滑故の高発熱摺動が原因だからだ。その高発熱を加速する物性を如何に押さえ込むか?発熱の因子となる要素を如何に抑えるか?が鍵。それと、硬くても一気に壊れないという構造を如何に生み出すか?が鍵。コレさえ出来れば、問題は90%解決する。割と簡単である。

★CATVとBS/CSの混合
 CATVは別に特殊でも何でもない。STBとかHT無しでアンテナ線で市販のテレビで受信出来ていれば、テレビから見るとCATVだろうが何だろうが、タダのUHF波で入ってくるのと一緒。つまり、CATVを特殊なモノと考える必要は原則的には不要。通常のU/VとBS/CSの混合機でU/V側にCATVからの同軸線を接続するだけの話だ。
 CATVで気を付けるとすると、CATVでインターネット契約もしている場合。その場合は、家屋内でCATV線がTVとインターネットに分配された後にBS/CSと混合する必要がある。インターネットと分配する前に混合すると不具合が出るという報告もあるので、その位だ。
 一般に、CATVにはBS/CSのチャンネルも変換されて入ってくる。だからSTBで受信するならばBSコンテンツは普通に見れるから、敢えて、BS/CSのアンテナを立てて混合する必要もないが、CATV局によっては契約されていないCS局があったり、複数の部屋にデジタルテレビを設置してSTB無しでテレビ側のチューナーで視聴するならば、パラボラを立てる必要がある。

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