多分、芸能人は凄いぞ
先日、片山右京さんがジロ・デ・イタリアのコースを走るテレビを見た人から話しかけられた。
なんでも、あの人がそんな事ができるなんて!って事らしいけど、自分の感想としては、そのテレビ放送自体は見ていないけど、片山右京さんのような方なら、ビックリするはなしでは無いだろうって感想だ。
そもそも、元々、頂点カテゴリーに上り詰めた一流のアスリートである。F1に限らず、MotoGPでも肉体の鍛え方は半端で無いのだ。更には、自転車好きで自身のブランドでリーズナブルな商品を売る事を認める程の人である。更に遡れば、元々は、陸上部長距離選手であり、更に遡れば、自転車好きで色んな所に旅する事が好きな少年だったのだ。
片山選手というと1963年生まれ、、、そう、自分と同じ時代に幼少を過ごしている。我々の幼少期は大サイクリングブームで、サイクリングが花盛りな世代である。
そんな自転車大好きな少年が、学生時代に運動部で陸上競技に取り組んだ後に、カテゴリーのトップに上り詰めたのだ。運動能力的にも、経験的にも、運動を専門的に取り組むための手順も全てを兼ね備えており、ハッキリ言って、その辺のブームに乗ったアンチャンが対等に見れるレベルではないのは明白なのだ。
因みに、F1というと佐藤琢磨選手も自転車競技で、インターハイ、学生選手権を総ナメにする程の実力である。
そんな話の流れで、自分の考えを彼に話したのだが、そんな一流の選手でなくとも、サイクリストで著名な人の殆どは、その辺の無名なアンチャンとは別の次元のレベルで自転車と取り組んでいるだろ?って話をしたのである。
仮に、同じ年齢で同じ時期から始めたとしても、その辺のブーム系ニワカアンチャンと著名人では全く違う次元になっているだろう。その理由を聞かれたので一寸挙げたのが次の通り、、、
・そもそも、著名な人は、自立心、競争心が強い。
・一芸に秀でる人が多いのは、物事を進める壺を心得ているだろう。
・時間の制約という言い訳をしない。
・財力が違う。
・取り組む場合に築ける環境が違う。
ってところだろうか?一芸に秀でるから、公の面前で活躍できる世界で生き残れるのは、その手順を本能的、或いは、環境的に身に付けているだろう。それに自信というか賭ける思いがあるのは、自立、継続、競争の面で大きな武器となるだろうし、生活のマネージメントを組織に強く縛られるという言い訳をしないだろうし、著名故に、思いを具現化する上でのタイムロス、モチベーションロスとなりうる金銭面の問題も少ないだろう。更に大きいのは、ゼロから始めるにしても、著名故に、その世界の専門家との縁を築く面で有利とも言える。
そんな事を思えば、金無い、時間無い、センス無いようなアンチャンが著名な方に太刀打ち出来ない方が可能性は高いのでは?と思うのが正直な感想だったりする。著名な方に対するネガティブな意見の殆どは、ひがみ、妬みが背景にあるんだろう。
物事の上達で一番大切なのは、環境と時間だ。環境とは、物事を進める上で正しい道に導いてくれる先導者がいるか?ということで、そういう環境を作るのは並大抵ではない。こういう環境は、どんな分野でも構わないけど、そういう環境を経験する事が、別の取り組みを行う上でも大きな武器となるのは確かであり、一般の人にとって、そういう環境に接する事が出来るチャンスっていうのは、実は学生時代迄の部活だったり習い事だったりするのだ。
好きな事が遊びで終わるか?その先に進めるか?の大きな違いは、誰でも実は知っていることだが、要は、部活や習い事、スクールといった環境で導かれたかどうかで決まる。それ程に環境は重要なのだ。
今、数多くの著名人が自転車に嵌っているようだけど、多分、どの方も、その辺のアンチャンが思っているレベルを遙かに超えた次元だと言えよう。そんな方々を揶揄する表現も耳にするけど、それが出来るレベルにあるのは?っていうと、同等の環境を持っている(持っていた)だけでは追いつかず、同じような時間密度で過ごせても対等というレベル止まりであり、それよりってなると、それは、運動というモノ全てに当て嵌まるけど、成長期の身体機能の発達時期に上手い具合に各部を鍛えるような運動に取り組んだ経験のある人という過去の条件が必要だろう。
そう考えると、著名な方々のレベルっていうのは、素直に凄いなぁ!って思うのが一番なのがよく判るだろう。
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