世界糖尿病デー
いろんなデーがあるものだ。11/11がポッキーの日だったけど、11/14は国連が定める「世界糖尿病デー」だという。
がそのページだが、これを自覚したのは、地元新聞での記事での紹介が切っ掛けだ。この日に中国地方5県の名所や建物計14カ所が、一斉にシンボルカラーの青い光で照らし出される。一部の会場では健康相談などもあるとの事。
糖尿病デーとライトアップがどう?っていうのは、判らないが、糖尿病デーがある!っていうのを告知するイベントとしては判らないではない。
最近思うのは、糖尿病っていうのを糖尿病という病として捉えるのは自然なのか?という気持ちだ。糖尿病っていうのは、身体環境のバランスの崩れた状態を、ある視点から見た結果の診断に過ぎないような感じ。糖尿病との診断基準が何か?は定義出来ないけど、血糖値の高値状態をそれと定義するならば、血糖値高値となっている人は、尿酸値、中性脂肪、コレステロール、γ-GTP等々の数値も全てが連動して崩れている筈である。
金曜日に、自分の健康記録データを見て、赤血球の数値が減っているのは悪い?というニュアンスの質問を受けたけど、其奴の話によると、血液ドーピングで赤血球を増やす方法があるのだから、赤血球は多ければ多いほど、心肺機能が高い!?って理屈なようだったけど、その真意は、ある機能を高めるのにドーピングがあるのなら、ドーピング結果と同じだったらGOODという論理に基づくモノ。
そんな話を思い浮かべながら、糖尿病や高血圧の治療で、血糖値を下げる薬とか、血圧を下げる薬の服用を治療と定義して、それが浸透している常識を考えると、ドーピングも治療も、見た目の数値指標のみをターゲットとした対策しか講じていないというか、それが正攻法とするような印象だ。
ドーピングする前に、体内環境の健全性というのは、パラメータ単体の数値判断でなく、その数値に落ち着いている体内環境こそが重要であり、その数値が出ているのは、他の要素とのバランスでの結果、自律的に平衡しているという考えを持てば、数値単独の高低で何かを判断することの愚かさに気付くはずだ。
同じように、糖尿病等の治療でも、その不具合の症例は、その数値となるべく体内環境が原因であり、悪しき環境で自律的に変化している数値を、外的な手法(薬等)で強引に変化させるのは、生体内の自律性を失わせるだけのように見える。全ては、なるべくしてなっている筈であり、その要因に併せた対応、即ち、対処療法でなく、根絶療法で接しなければ根本的な解決には結びつかない筈だ。
糖尿病というのは、個体特有の生体環境から生まれたアウトプットに過ぎず、逆に言えば、悪しき生態環境でも個体を生存させるべく、自律性から生まれた状態とも言えるのである。
つまり、自律性があるかどうか?を判断すると、糖尿病というのは身体を保つための自律機能が働いているとも言えるのである。本当に怖いのは、糖尿病という症例のなるはずの生体環境に晒しているにも拘わらず発症していない状況であり、それが、機能の高い自律性によるものならば良いが、機能不全によって発症していない場合は、それこそ深刻なのかもしれない。
糖尿病というのは、本来的には糖尿病になった人には自律性がある筈であり、その自律性を機能させて疾病を克服するというのが一番大事であろう。
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