« 自分でする。 | トップページ | ジャンク?志向、、、 »

2009年11月17日 (火)

ゆ・と・り・・・・・

 日曜か、月曜か忘れたけど、テレビの番組でコメンテーターが話ししていた内容が、『ゆとり世代は、判断して行う事が出来ない。指示にしか従えない、、、、』って話だが、これは最近特に多く聞くし、最近、身の回りでも思いっ切り沢山目に付く事。

 頻繁に記事にするのも如何なものか?とも思うのだが、ニュースや新聞、雑誌でも、そういう論調を特に頻繁に目にするのは気のせいか?

 そもそも、ゆとり教育とは、日教組の提言で問題提起が始まったモノ。昭和52年から昭和55年に掛けて学習指導要領の改正が始まったのが起点。実施としては、昭和55年度から実施。

 つまり、ゆとり教育を受けたゆとり世代というのは通説による1987年生まれ以降というのは誤りで、昭和55年に15歳だった世代がゆとり色を受けた起点ということで、昭和40年生まれ世代、正確には昭和40年度世代がゆとり開始点でもある。

 つまり、1987年以降が突然にゆとり世代になったのでなく、1965年生まれ以降からゆとり教育の影響が色濃くなっていったと考えるべきなのだ。1965年生まれというと、2009年時点で44歳以下の若年層にユトリズムの影響を受けた人が一寸ずつ増えているんだと言える。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2009/04/post-6008.html

に教育制度の変遷についての戯言をアップしているが、そういう事だ。

 タダ言えるのは、ゆとり教育がダメと言っているのではない。ゆとり教育で、教育内容の多少がバカの多少に直結するような論調が多いけど、そうではなくて、ゆとり教育というよりも、物事の判断を自分で行う癖が身に付いているか否か?が問題なのである。

 実際、ゆとり教育に変換した昭和55年といえば、昭和54年頃迄の問題の受験戦争、詰め込み教育と、それからの脱落者による校内暴力、家庭内暴力が紙面を賑わした時代だが、結果の暗記の無意味さが、ゆとりある教育への転換になったのも事実であり、本来の『ゆとり』って意味は、暗記でなく、原理を考える時間を与えるのが理念であり、ゆとり教育の理念自体は間違いでは無かったはずである。

 誤りは、原理を考える時間を与えるという言葉を、原理を考える=個性を尊重する!迄は良かったモノの、個性=好き勝手と解釈を間違えたのが大きな失敗なのである。原理に基づいた、理念に従った上でアプローチに個性を発揮させる筈が、全てを放任するというアホな教育を行ったのが過ちなのだ。それが、今の知識も判断力も無い状態を作り出しているだけなのだろう。

|

« 自分でする。 | トップページ | ジャンク?志向、、、 »

コメント

 受け売りが氾濫した世の中で、自分の言葉を発信している人は少ないように思います。

 今の若者は、、、、って言葉は、正に自分の事を棚に上げた言葉で、そういう人は、昔は言われていた立場だったろうと思います。

投稿: 壱源 | 2009年11月17日 (火) 08時01分

コメンテーターや何とか研究所が今の若者(新入社員)がどうのこうの毎年言ってますが、実際に接して言ってるのか疑問です。
人から聞いた話や想像だけで言ってるとしたら、お前のほうが心配だ、と言いたくなります。

「今の若者は・・」は紀元前からある老人病?みたいですね。

投稿: yama | 2009年11月17日 (火) 05時40分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ゆ・と・り・・・・・:

« 自分でする。 | トップページ | ジャンク?志向、、、 »