痛い理由
サドルチョイスの記事にも書いたけど、自転車乗りの悩みである痛みについて考えてみた。
痛いというと、、、、膝、腰、尻っていうのが三大痛い箇所では無いだろうか?他にも、手首、首、背中・・・あるけれど、それよりも膝、腰、尻って言う方が実際よく聞く箇所だ。
膝の痛みというのは、脚力に見合わない負荷が原因。大きな負荷程、膝関節に与える負担が大きくなる。詳細の解説は省くけどギア比選定ミスが膝痛の原因なのは間違い無い。
腰の痛みっていうのは、身体を支えながらペダリングを行う場合に、脚の軌跡を自然に生む事が出来る骨盤~背中の位置関係が保てないから。トルクを掛けるに見合わない姿勢である。これも詳細の解説は省くけど、ポジションが出ていないのが原因なのは間違い無い。
尻の痛みっていうのは、サドル選定記事にも一部解説したけれど、乗り方による疲労箇所の変化を考慮に入れたサドルの選定を行っていないのが原因。そしてサンデーサイクリストレベルの走行距離ならば乗り方だけで対処できるもの。つまり、これまた詳細の解説は省くけど、乗り方自体が車型に見合っていないのが原因なのは間違い無い。
つまり、普通に考えて、道具の能力を引き出すには何がベスト?と言う事に対処していれば、そういう痛みとは無縁とも言える。こういう考え方は、皆が探しているペダリング論でも当て嵌まる事。よく言われている『回すように漕ぐ』って具体的にどうする事?が解釈によって様々な抽象性に溢れた理屈よりも、ペダリングでは何が目的で、目的を外したらどう感じる?目的を適えたら狙える領域は何処迄行ける?がハッキリしたような方が使い見やすい。
だから、膝痛にならないギア比の選定では、どういう乗り方で望む結果は何?を決めて選定擦る訳であり、腰の痛みにしても幾何的に必要な位置関係は何?で決めるモノ。尻の痛みでも然りで、欲しいモノを得るには問題が何で、目的は何か?それを得るための根拠は何で、それが出来たか出来ないかは何で判断するか?を自分の中に生み出す事が一番大事だったりする。そういうのを自分で見つけて会得する事が、どんな世界においても上達という表現で表される事なんだと言える。
定型的に、これはこうするとか、誰がどうしたから自分も真似るとか、、、読めば判るとか、そういうのでは答えには辿り着かないのでは無いだろうか?目的は多分一つだが、目的を得る方法論は、各々の備えた要素が違うので、目的を得るための要素の組み合わせや加減は千差万別だ。目的に応じたオンリーワンな方法を見出す事が何よりも大事であり、そういう見方が出来れば、問題となっている痛みから逃げる事が出来るのでは無いだろうか?
最近思うのは、色んな所でポジションの重要性云々とかが語られているけど、ポジションだけでなくギア比の作り方、本来的な乗り方を誰でも納得出来るような系統だった説明迄行われている所っていうのは、案外少ないなぁ、、、って事。
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