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2009年12月31日 (木)

成長とは?

 1年の総括の記事と相当に重なる。

 でも、人間の一生を考えると、間違い無く言える事がある。

 それは、知識、体力、機能全てに言える事。生まれた時には可能性は在っても獲得したモノは何もないということ。可能性は誰にも等しく備わっている。可能性を開花させる事が出来るかどうかは、その後の過ごし方次第ということ。

 時間と共に、可能性の一部を獲得した能力として実体化する一方、可能性を少しずつ失っているという事。可能性については、時期が大切ということ。時期と刺激が何よりも重要ということで、そのどちらかが失われたら、それは永遠に手に入らないと言う事。

 可能性を何処まで具現化出来るか?は、種族としての個体が完成する迄の期間で、どれ程の刺激を与えてきたか?に尽きると行って過言ではない。それは、健康、運動能力、知識、知力、、、、、全ての面について例外なく言える事だ。時間は戻せないし、やり直せないから、可能性を可能性のままに終わらせても、それは永遠に取り返せない。まぁ、取り返す以前に、無かったモノだから新たに生み出せないということ。冷たいようだが、行うべく時期に行わなかったモノは、永遠にその差を埋めるのは不可能ということ。それ故に、可能性を実体化出来る時期を過ごしている世代は、その時間の貴重性を自覚する事が大事なのだ。まぁ、何を大事と捉えるか?は、個体の個性であり、その判断は個人が行う事だが、すくなくとも、何か一つの芸を得るではないが、大いなる可能性の内、最低でも一つは実体化する事が大事だ。可能性を全て失った大人にだけはならないようにという、警告でもある。

 成長可能な時期に受ける刺激が、可能性を能力に転嫁できるのだが、その実体化できる能力の洗練度というのは、その時期に、適切な刺激を与えられてきたかどうか?であり、それが、個人にとっての良い環境か否か?と言う事と捉える事が出来る。
 適切な時期に、良い環境の元で刺激を受ける、、、、これが出来れば、個人にとって大きな精神的な支えになり、自信になるだろう。

 それが、どうなるか?というと、それを振り返る時期に、自信となったモノ、支えとなっているモノが、如何にして得られたか?に気付く。そこでは、必要な知識、取り組み方、考え方というモノが潜んでいる事に気付く。すると、その考え方が、様々な世界や分野に通用する事も理解できる。そう、必要な要素と組み立て方が判るのである。それが、個人にとっての新しい世界を、より短時間でモノにする事が出来るという事に繋がり、そのような思考の展開が出来るようになって初めて、個体として完成する、つまり成長したと言う事なのである。
 成長とは平等に持っている可能性の幾らかを、実際の能力として完成させることであり、それを完成させるには、然るべき時期に、然るべき刺激(環境)に身を置くことが最重要なのである。

 幼児期には、刺激とは親であり、成長とともに、刺激が友人であったり、師範であったり、講師であったりと変わってくる。その刺激で具現化した能力の違いというのが、大きな意味で個人の個性となるんだろう。この時期と刺激というのが最重要であり、それは、時期を逃したら一生得る事の出来ないモノとなるんだろう。

 過去の塾講師経験でみた生徒と親、会社での部下や同僚、上司、学生時代の後輩等々を見て思うのは、このような事。前までは、誰にでも同じことを期待する事が少なくなかったけど、最近は、成長というプロセスで、然るべき時期に然るべき刺激を皆が等しく受けた訳ではないと思うと、そこでの質の違いっていうのは、見方を変えれば優劣でなく違いにしか過ぎない訳で、考え方、発想力を教えたり、指導したり、教授したりする必要もないかな?と思うことが少なくない。

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2009年を振り返って

 去年の今頃も同じ事を考えていた。
 一年を振り返ってどうよ?っていうと、やっぱり健康が一番と言う事。今年、更に思ったのは、健康であるのは当然ながら、体力、知力共に、機能を失いたくないと言う事だ。
 正直、得たモノを失うのは嫌ということ。それを体力面で言えば健康の維持と言う事になるし、知識面、知力面でいうと、なんていうかなぁ、、、、、頭が固いとか、古いとか揶揄されるようにはなりたくないという思いが強く出たと言う事。

 健康という面で言えば、去年と較べて体重は2kg程増加した。そして、基礎代謝が約60kcalほど増加した。更には、体年齢(恐らくは体重辺りの代謝量)的には一年前と比較して-4歳で念願の20代に突入したという事。見た目的、服のサイズ的には変わっていないけど、重量が増加した訳であり、更に引き締まったと言う事だろう。これは、見た目的な筋肉アップというよりも、実質的な筋力アップを目指して行った筋トレの成果かな?と認識している。基礎代謝値自体は昨年で1600±5[kcal/day]程度だったけど、これが1660±10[kcal/day]程度となったのが変化といえば変化だ。

 他には、知識、知力の面だ。新しい考え方、新しい分野の知識の関心や吸収力もそうだが、過去に蓄積した知識について失われていないというのは実感する事が少なくない。知らない事はとても多いけど、知らない事で興味の湧く事に対しては、自分なりに納得出来るまで考えるという癖は昔と変わっていないと自覚する事が多かった。
 何故にこんな事を書くか?っていうと、ジェネラルには若年性認知症をテーマにした報道や番組がとても多かったという時代性もあるけど、そんな疾病症状とは別次元の話だが、身の回りの色んな世代を見て、特に、こいつら今迄何してきたの?って思う(失礼かも知れないが、失笑してしまう事が凄く多かった)程に、それ見て、あんな風になったり、思われたりしたら人間お終いだなという事がとても多かったのが理由だ。

 疾病症状の場合は別として、本来、授かっているはずのモノを使わずに、どうにもならない状況で苦しんでいる者を見れば、自分的には有り得ない訳であり、考え方を変えれば、別の次元から見ると、自分もそう見られているかな?と言う事のゼロという訳ではない筈であり、仮に、そういう風に思われていると気付けば、多分、耐える事が出来ない程のダメージを受けると思う。
 勿論、今更、知らない事を高度に全て理解するなんて不可能だろうが、少なくとも、自分の考え方を生むバックボーンとなった分野に対する知識や理解度、考え方っていうのは、これからも失わずに保ちたいと思う。

 体力にしろ知力、知識にしろ、オッサン域から新たに新しい能力を獲得するのは絶対的に不可能だろうけど、コレまでに得た体力、知識を錆び付かせずに保つというのは可能だし、そのプロセスで得た手法というのを自覚していれば、新しい運動能力にしろ、新分野への理解度にしろ、向上させるのには役立つ訳であり、身に付いたモノ、身に付けてきた手法というのは大事にしなければならない。そういう気持ちに対する拘りが強くなったというのが、この一年の大きな変化だと言える。

 大事なのは、成人するまでに獲得した能力と、それを手に入れるための考え方。その考え方を利用した能力の拡げ方を見出す事。そして、成長が止まった年齢であっても、到達したレベルの機能は、活用して使い続ければ、その能力は維持出来る、、、今年は、それをハッキリと認識した事だ。老化という言葉には、体力でも知恵でも、使わなければ不要と生体が判断し使えなくなるとい適応現象も含まれているという事を確信した事だ。

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2009年12月30日 (水)

プロ野球選手と競輪

 以前、広島東洋カープの選手がプロ野球を引退して競輪に転身したってニュースを新聞で読んだことがある。この選手は兵頭選手であり、自分のホームコースと定めている太田川沿いを走っていると新聞に紹介されていた。

 で、週末の新聞には、カープの現役選手である永川投手が広島競輪場で競輪トレというトレーニングを行ったという。このトレーニングでは、同じくカープの森、上野選手も参加されたという。新聞記事によると、森選手は1000mを1分26秒ということで、なかなかのタイムということが記事になっていた。この記事では、プロ野球の西武ライオンズも新人選手のトレーニングに競輪トレを取り入れているということが紹介されていた。

 そういえば、最近は競輪学校には、一般試験の他に、他の競技で優秀な成績を収めた人を対象とした特別選抜試験という方法もあり、一次試験が免除される制度もあるそうだ。

 競輪という自転車競技だけど、ここでパフォーマンスを発揮するのは、やっぱり身体機能が重視されているということ。その機能は、別に自転車に限らない方法で鍛えられたものもありということ。

 自転車競技志向の人は、自転車に乗ってこそ鍛えられる!って誇りを持つ人も少なくないけど、実際、必要なのは、乗って鍛える部分、機材を扱う部分っていうのも大事だけど、使い方以前に、使うための身体能力も大事なもの。それっていうのは、競技の形態を問わず、地道なトレーニングを積んできた者にこそ得られるもの。

 日本においては、自転車競技っていうのはマイナーかつ系統だった普及はマダマダなジャンル。実際、競輪に限らず、色んな形態の自転車競技者の多くが、他のスポーツで白眉な才能を発揮してきた人だ。
 そんな事を考えれば、自転車好きが自転車に乗ってこそ!って拘り、他の運動で得られる能力等に否定的な意見を持つ人は、逆に、他のスポーツや運動の経験が無いのかな?なんて思ってしまう。

 実際のところ、どうだか知らないが、スポーツ経験者が流行で始めたロード初心者と、スポーツ経験が皆無に近いけど、自転車好き歴が長いロードマニアというのを比べると、ロード初心者であっても、スポーツ経験が長く身体が鍛えられた方が圧倒的に高いパフォーマンスを持っているんだろうなぁと、素直に思う。

 そして、スポーツっていうのは、種別に垣根はなく、そこで過ごす事で得られる能力っていうのは、どんなスポーツにも通用するのだろう。それが、競輪をトレーニングメニューに加えたり、転身して活躍できるという事を証明しているように見える。

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コンパクトよりもトリプルが良いなぁ

 スタンダードなギア比は人気無い。まぁ、軽いギア比が得られないからだろう。で、最近多いのがコンパクトクランクだ。コンパクトクランクとは別に、伝統的に初心者用として普及しているのがトリプルクランクである。
 一般的に各々に利点が謳われている。

 コンパクトクランクの特徴は、メリットではアウターリングが50T、インナーが34Tで、スタンダードクランクに比較してアウターで-2~-3T、インナーで-4~-5Tと言う事でギア比が軽いのがメリット。トリプルに較べると踏み幅は変わらないので良いと言う人も居る。デメリットは、アウターとインナーの歯数比(歯数差)が大きい(多い)事。歯数差に関しては、変速性能の低下を訴える人も多いけど、自分的には歯数差が大きい事で、その繋がりではカセット側を多くオーバーラップさせて使う必要性が出る事の方が問題かな?と考えている。

 トリプルクランクの特徴は、スタンダードクランク+インナーに30Tを追加という構成であり、純粋にスタンダードクランクに較べてインナー30Tの軽いギアが選べるのがメリット。デメリットには踏み幅が広がる事、重くなる事を訴える人が居る。自分的なデメリットとしては、絶対的な前、後の歯数差が大きくなりやすく、その場合はロングケージのRDが必要となることかな?と考えている。まぁ、それは致命的とも思わないから気にならないというのがホンネだろうか?

 どっちにしろ、標準的な構成をそのまま使うって事は無い。クランクの歯数差は大きくしたくないのは変速性能云々でなく、アウターインナーの境目で使う時の後の動かす煩わしさがウザイので、歯数差を気にして選ぶ。理想は8~12T程度だし、トリプルの場合は、チェーンラインのこと、Rメカの引きの事を考えると、歯数差は小さく保つ拘りは、より強くなる。

 だから、そういう拘りが満たされれば、正直、どちらでも良い!っていうのが個人的な感想。どちらのクランクセットを使うにしても、歯数差(アウターインナー差)が大きくなるので、デフォルトとしてカセットはクロウス気味のタイトなモノを選ぶ。仮に、コンパクトクランクを用いるならば、最低でもアウター50Tは使わない。絶対に48T、出来ればインナーも36Tくらいにしたい程。48-34Tで歯数差14Tというところだろうか、、、、仮に、トリプルクランクを用いるとして、、、アウターは53Tの選択肢は無い。大きくても50T以下、50~46T辺りを選ぶだろう。センターは38~39T、インナーは30Tというパターン。歯数差は20T~16T程度となる。前歯数差が大きい場合は、後のカセットの歯数差は10T程度にするだろうから、超タイトなクロウスレシオとなる。

 そういう事を考慮、コンパクトクランクとトリプルクランクの違いは?っていうと、自分の場合は、前後歯数で組合せ可能な全段を使う習慣が無いので、コンパクトクランクというか前が二枚のクランクの場合は、後のカセットで襷掛けで使う割合が多く、トリプルの場合は、襷掛けで使う割合が減るというくらい。一言で言えば、チェーンラインの捻れがトリプルの場合の方が少ない状態で使えるという事。トリプルの場合は、アウター×トップから3~4枚程度、センター×真ん中3~4枚程度、インナー×ローから3~4枚程度という感じ。踏み幅云々、重さ云々を言う人も居るけど、それは気にならない。
 自分としては踏み幅の広さよりも、チェーンラインのズレによる微妙なフリクション感の方が気になる。欲しいギアを選ぶ時に、チェーンラインのズレが少ないトリプルの方が踏んでいて心地よいと思う。理想は、固定シングルギアのようにチェーンラインはバッチリ真っ直ぐで不要なモノの無い感じ、ロスの無い感じが一番であり、そういう面から言うとトリプル仕様の方が気持ちいい。
 因みに、前シングル、後9速のDAHONのスピママ号ではローで走行する時は、何とも言えないシャリシャリ感が結構気になるもの。踏み幅よりも変な干渉音、フリクションの方が嫌いだ。

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2009年12月29日 (火)

ミドルVツイン

 先週末も午後はVツインの単車に乗った。秋以降、雨の降らない週末は殆ど皆勤でSV650SとCX怪に乗って走った。

 走る場所は、通い慣れた峠、自転車でホームコースと定めたコースと併走する車道を中心としたエリアである。まぁ、一般道だけで、三桁の速度域には達する事は稀な場所ばかりである。
 こういうエリアを走って思うのは、このミドルクラスのツインエンジンは実に心地よく、扱いやすく、過剰でなく不足もないパワーとトルクというのがよく判る。発進して、ロー、セコ、サード辺り迄、パワーバンドの中程迄引っ張って加速すると、イイ具合の速度域にアッという間に到達する。そこから、速度を保ったままトップ近辺迄シフトアップしてクルージングである。その状況からの追い越し加速を含めた走行時の加減速ではシフト操作不要でアクセルワークのみで十分以上のレスポンス。そして、信号に合わせての減速、曲がり角での減速も、イイ感じでブリッピング噛ませながらシフトダウンして、セカンド辺りのギアポジションでサッと曲がってバン!と加速する。
 市街地の混雑した状況では、5速以上をホールドして回転域を低く保ったままでもノッキングのような症状、しゃくりも生じない。アイドリング+1000rpmでも全く問題無い。
 速度域が同じ故に、一般道の峠道でも基本は同じだ。セコとサードを中心とした走行、ロー迄は必要無い、場合によっては4速に入る事は在るけど、パワーバンドにおけるパワーの程度、トルクの太さ、使うギア範囲におけるギア配分、、、、その辺が実に使いやすい。少々の勾配でパワー不足を感じる事は無い。車体の大きさも寝かし込み、切り返しを含めて手に余る大きさでもないし、路面の荒れで暴れる程に軽くもない。

 基本、発進以外でローは使わない。セコとサードで常用域を全てカバー出来るというのが何よりである。そして、定常走行、クルージング走行ではトップギア近辺でノッキングしなくて走れるのは燃費的にも楽だし、夏場では低いギアで高い回転数故のオーバーヒート気味な症状にもならないのがイイ具合だ。

 乗れば乗る程に、このクラスのバイクが実に心地よい。確かに、長いストレートの続く状況、特に、上り坂でも稀にある長い直線では全開にするとパワーがモノ足らない気がしないでもないけど、そういう状況ではエンジンパワー勝負であり、そこで速度を載せる気持ちが無いので関係無い。

 今のコンディションでは、このサイズを心地よいと感じているのだが、加齢、老化、衰えで、これが手に余るような感覚を覚える時が来るのかも知れない。今できる事を将来も出来るというのが大切であり、身体のキレを失わないように過ごすのが大事って事を単車に乗っても実感する。
 単車に乗って時折遊ぶ?のは、上体と下半身の姿勢を保ったままに上腕を完全にフリーにして身体が支えられている事を確認したり、そのままの体制で峠の下りをリアブレーキと下半身だけで下ってみたりして遊ぶ事もある。実際、下りを攻めて走ってどうか?っていうと、ブレーキを掛けても腕が膠着している事もない、基本は上腕フリーなんだが、下半身が大事なのだ。やはり、自転車に乗って体力維持を勤めるのも大切だが、それで維持しているコンディションが活用出来る事を確認するためにも、単車にしっかり乗るというのが、それ以上に大切だ。

 個人的には頭で描く格好良さは、自転車で漕いでいる姿よりも、単車を扱って曲がる時の姿の方が随分と勝っているように思っている。自分が納得できる範囲で格好良く単車に乗るってことは、自分が納得できる姿で、自分のイメージ通りに曲がるという事。イメージ通りに曲がれる自分をずっと保ちたいものである。

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80年代レプリカブームとか、今のロードバイクブームとか、、、

 メインサイトに記事作成中だが、このレプリカブームとロードブーム、実によく似ている。っていうか、ブームの牽引層は殆ど同じ人では無いだろうか?と思うほど。

 自転車と単車っていうと全く違うもので、楽しみ方も違うし、スポーツ○○で考えても、必要な能力は全く違うモノだけど、二輪というだけで、二つを共通の趣味として嗜む人も少なくない。

 1985年頃のレプリカブームを牽引した二十歳前後世代というと、2010年目前で当時から25年後の今、二十歳前後世代は45歳前後世代、所謂不惑世代だが、ブームを牽引しているのはこの世代なのかな?とも思う。

 更に考えると、1970年代後半の少年サイクリング世代というのはレプリカ小僧が中学生時代とも言える。
 他にも、二三年前から流行語となったアラフォーという言葉、昨今の1980年代POPSへの回帰ブーム、懐古CDのヒット、そもそもバブルという言葉の産まれた1980年代後半、、、色んな事、特に消費に関する色んな事を考えると、共通して言えるのは、今の不惑世代、バブル期の20代世代っていうのが、色んなジャンルで消費を引っ張っているように見えるのは気のせいだろうか?住宅バブルと住宅不況っていうのも、この世代の不動産購入適齢期に連動しているようにも見える。

 このところの不況感っていうのは、消費を引っ張ってきた世代が安定期に入ってきたからとも見えなくもない。次の世代が消費を牽引すべきなんだが、次の世代は対照的な世代のようにも見える。例えば、無気力、無責任というのも然りだが、ゆとり世代と揶揄されるような話、モンスター○○というような一方通行的な視点しか持てない親の話、非正規雇用で社会問題となっている犠牲者的な部分が取り上げられるような話が多く、元気な話が世代の話題として露出する頻度が極めて少ないような気がするが、その世代感が不況感に大きく影響しているように見える。

 それを社会全体で感じて、消費を引っ張る事が期待できる不惑世代の関心を掴むという戦略が市場を支配しているような印象だ。その世代が通り過ぎた市場というか世界では、次の世代が引き継がないから壊滅的な状況になっていった良い?例が、今の自動二輪車関連の悲惨な状況のようにも見える。

 過去の消費を引っ張る世代というネタを見ると、殆どが今の不惑以上の高齢世代の関与が無視できないようだが、結局、そのような世代的な特徴というか性質を演出しているのは、教育による価値観の植え付け方の差のように見える。

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コーヒー

 習慣的にコーヒーをよく飲む。コーヒーといっても、缶コーヒー、インスタントコーヒーが殆どだ。飲む頻度が多いから、手軽に飲める方が大事。時間を掛けて入れて飲む習慣は持っていない。確かに、サイフォン等を用いて入れたコーヒーの方が風味も香りも上回るのは判るけど、実際問題、そういう時間の使い方はしていない。

 そんな習慣で、地元のスーパーで割り引きコーナーにインスタントコーヒーが在れば、つい買って帰るというのが日常だ。で、先々週辺りに、飲んでいたコーヒーが底を着いたので新しいパッケージを開封してみた。

 すると、、、、、、、、、、、

 なんと、インスタントコーヒーでなく、ドリップ用のレギュラーコーヒーである。

 そういうモノで入れる習慣は暫く無い、、、、つまり、そういう道具も持ち合わせていない。

 しかし、開封した手前、使わないと惜しい、、、、、ということで、100円ショップで、ドリッパー、ペーパーを調達した。サーバーは何故か家に在ったので、それを使用だ。軽量スプーンは無いので適当なスプーンで代用である。

 で、十数年ぶりにやってみた。やり方はすっかり記憶の彼方、、、、

 スプーンで二杯、湯を注ぐ、、、、、なんだか、エラク薄いぞ、、、味、しない、、、、、正直、不味い。インスタントの方が遙かに美味い、、、、、。

 ということで、すっかり入れ方を忘れているので、チョット調べてから入れ直してみた。

 すると、、、、結構、美味いではないか、、、、しかし、時間が掛かりすぎるのがNGだ。ホントのコーヒー好きには、そういうプロセスを楽しむ余裕が在るのだろうけど、そういうプロセスを嗜む程のコーヒー好きではない。コーヒーを入れる時の注意事項としては、温度管理も大事だけど、結局はポットから湯を注ぐ部分が一番重要なのである。これを手で行うのが正直面倒臭い。

 で、考えてみた。

 湯を注ぐ時にコーヒーから旨味をしっかり引き出してやるには、その流量、流速に注意するということだから、その部分だけを留意して入れれるような重力落下式、流量調整式のタンクを準備すれば良い、、、、

 で、作ってみました。ドリッパーの上にセットして下部の細いパイプから湯が落ちる構造です。まぁ、単純に滴下速度が調整できる漏斗のようなものですね。

 結果、、、、セットして湯を注ぐだけで取り敢えず満足できるコーヒーが飲めるようになりました。

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2009年12月28日 (月)

不良オーディオは、、、、

 スズキのエリオの純正装着の2DINのオーディオは不良品っぽい。
 新車時には1年も経たずにディスプレーが薄暗くなり音が鳴らなくなって無償交換された。

 その後、対策品だったらしく5年間稼働したのだが、それが壊れて新車はずし品の同じモノを調達して使っていたら、今度は電源が時折切れる。調べると、電源周りの不良は持病的らしい、、、、

 で、次は修理するのも今一、同一商品を調達しても同じ苦労しそう、、、、ということで、スズキのこの年式の旧12ピン接続のオーディオを探した、、、、結果、同じサンヨーの当時のオプション品である。

 何故にサンヨーにしたか?っていうと、中古品の場合、取り説も無し、、、となると、色んなファンクションが判らないけど、同じメーカー、同じ時代なら、ファンクションは似たようなものだろうという読み故の話。

 実際、時刻設定、表示優先指示、ディスプレー照度設定等は殆ど同じファンクションで呼び出す。心配?な点は、同じ時代の同じメーカー製ということで、持病を持つかも?って事。
 まぁ、今の車の使用予想期間を考えると、どんなに出しても5,000円くらいのモノ。となると、それ系の有名どころよりも、大衆的なメーカーの方が良さそうだ。

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ダンベルのプレート選定中

 ダンベルのプレートの新調を計画している。
 今、バーに2.5kgのプレートを10枚、1.5kgのプレートを2枚で28kg、これにシャフト3kgを加えて最高で31kgでプレスとフライを行っている。コンディションによっては2.5kgを8枚にしたり、1.5kgのプレートを外したりしているから26kg、28kg、31kgで行っている。

 この重量、決して軽くはないけど、動かない重量でもない。フライでもプレスでも15回ずつを続けて、合計30回は継続出来る。確かに、効く重量だけど、挙げるのが一杯一杯という重量でもない。
 これを新調するには、、、、、バーの長さ的に大きなプレートを利用する必要がある。

 5kgのプレートなら、6枚で30kg+バー3kg=33kgだ。
 7.5kgのプレートなら、2枚で15kg+バー3kg=18kg、4枚で30kg+バー3kg=33kgだ。
 10kgのプレートで、2枚で20kg+バー3kg=23kg、4枚で40kg+バー3kg=43kgだ。

 軽いプレートの場合、取り付ける長さの兼ね合いで既存のプレートの追加が限られる。
 恐らく、5kgプレートは片側(取り付け部)3枚が限界だろうから必要枚数が両側12枚で最大が片手33kgだから今と較べてメリットは少ない。
 7.5kgプレートは片側2枚+2.5kg位が可能だろう。つまり7.5kgが4枚、2.5kgが2枚にバー3kgを加えて38kgが限界だろう。
 10kgプレートは片側1枚としたら2.5kgが2枚可能、つまり10kgが2枚、2.5kgが6枚でバー3kgを加えて38kgが限界だろう。

 選ぶとしたらプレートとしては7.5kgか10kgのプレートだ。7.5kgを片側4枚とすると両側で8枚、10kgなら片側2枚で両側4枚である。7.5kgプレートの最安単価が2000円、10kgプレートで2250円、、、7.5kgなら8倍だから16000円、10kgなら4倍だから10000円、、、、これから見ると10kgプレートという気もするけど、、、、、

 果たして、何キロのプレートを調達しようか?微妙に悩む。7.5kgプレートの方が他のプレートと組み合わせて細かい重量調整が出来るし、、、、

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年齢別最高血圧の分布

 毎日、健太郎で血圧を測っているけど、そこの注意書きには、表題の分布表が掲載されている。具体的には、男性で例を挙げると、

・20代 126±14(mmHg)
・30代 132±17(mmHg)
・40代 136±19(mmHg)
・50代 141±19(mmHg)
・60代 144±20(mmHg)

 だそうだ。
 この分布表を見ると、高齢程、血圧が高くなる、、、、そう見えるのだけど、それは年齢の影響?って考えるのが自然なのだろうか?
 純粋に数値だけ見ると、高齢程、血管が硬くなって血圧が高くなりがちという表現になるのだろうけど、血管の硬さを証明する程には、血圧数値自体が高く為っているとは言い難いように見える。
 高血圧というと、本態性と二次性に分けられるが、遺伝的要因による本態性とは異なる二次性の高血圧症の原因は?というと、血液粘度増大、血管内径の縮小というものであり、これは血液成分の高粘度物の増大、血管内径側への付着物の堆積であり、このような変化は加齢によるものでなく、そのような変化に移行する生活習慣による負担の蓄積度が大きく左右しているのでは無いだろうか?

 加齢という表現で、血圧数値の傾向を言うならば、高齢者の分布下限と若年者の分布上限が大きく重なるというのは表現的に違和感を感じる。

 先の表の表現を変えてみると、 

・20代 112~140(mmHg)
・30代 115~149(mmHg)
・40代 117~154(mmHg)
・50代 122~160(mmHg)
・60代 124~164(mmHg)

 という事になる。傾向的には高齢程、血圧数値が高くなる傾向を示すが、その傾向が強いとは言いがたい。

 特に二次性高血圧が問題であるならば、その原因を作る疲労の蓄積度こそが問題であり、それを言うならば、喫煙における一日の喫煙本数×喫煙年数で定義されるブリンクマン指数(一日20本で20年の20×20=400で肺ガンリスク発生、600でハイリスク群)とか、飲酒においては一日の日本酒換算合数×飲酒年数で定義される酒指数(因みに2合ずつ30年で2×30=60が喉頭癌リスク増大)のように、高血圧状態となる蓄積を表現する因子を用いる方が判りやすいかな?という気がする。

 二次性の場合、血液成分と血管内径が重要であり、それは栄養過剰状態が主たる原因である。そして、高血圧症の場合、血液成分の浄化と血管内径の回復で改善可能であり、蓄積数が永遠に残る質でない事から、栄養状態の過剰性を示すパラメータと、その負荷に連続的に曝された年数を乗じるような指数を定義することで、高血圧症の度合をより傾向的に表現出来るのではないだろうか?

 栄養状態の過剰性というと、一番判りやすく定着しているのがBMI指数であり、BMI値と年数を同時に表現する数値が良いように思う。
 個人的には、直近で数年程度の範囲におけるBMI数値の標準値に対する偏差の累積値が高血圧指標に相関するのでは?と考えている。

 例えば、標準値が22だとして、5年前からの数値が28、23、22、22、22だとすると、+6+1+0+0+0で+7とか、28、28、30、30、32だとすると+6+6+8+8+10で+38と表現すると、期間内における栄養過剰による累積負担が求められるので、この累積負担と血圧数値の相関を取れば、年齢よりも収支過剰によって明確な血圧傾向が見えてくるように思う。

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2009年12月27日 (日)

付かれたら、、、、

 付かれても気にしない、、、、そうなんだが、無言で背後っていうのは、正直、吃驚する。
 抜くのに躊躇するならば、少なくとも10m以上は離れて欲しい、、、、、まぁ、風よけ目的、楽したい目的で、付かせて下さいと言われれば、基本は断らない。

 でも、無言でピッタリはチョット驚くのだ。

 そんな話は以前もしたけど、それに対して独走力はどれ程必要か?ということも記事にした事がある。

 で、結論、独走力では牽き千切る事は難しい、、、、そもそも、速度30km/h以上では空気抵抗が80%以上を占める。そこで、速度を上げてもエアロカプセルに入られると速度を上げても後ろは楽々なのだ。

 で、徐々に速度を上げて、、、、って今までのやり方では、場合によっては千切る事が難しい事が多いと思っている。

 そんな事態に土曜日にも遭遇したのだが、そこで試したのは、瞬発力である。瞬発力とは、付かれた状態から一気に加速すること。35km/h程度で走っていたならば45km/hオーバー迄一気に加速して持続する。そして、タイミング的には路面が荒れ気味な瞬間を捉える。転がり抵抗が少しでも多くなる瞬間に僅か数秒以内に速度にして10km/h以上上げること。変速していては間に合わない速度へのダッシュだ。

 そうすると、35km/h以上の速度域で車間は簡単に十数メートルは開く、そうすると、ドラフティング効果は消え去る。+10km/h以上の速度差を瞬間的に作り出せれば、その後、徐々に落としても付かれる事は無い。実証してみると、効果抜群である。

 一人で気持ちよく、心地よく走る、、、、そのためには、一般の自転車乗りが重視しているだろう心肺機能とか、筋持久力とかだけではダメだ。最近は、心肺機能を高め、自転車筋を発達させるぜ!とか、連んで走るとか、集団走行云々を取り組むぜ!といった、まるでプロのロード競技者のような論調が少なくないけど、個人的には、素人には、心肺機能も持久力も筋力も、オッサンになってから鍛えるなんて不可能だと思っている。如何に、成長期で得たモノが発揮出来るか?こそが重要だと思う。成長期以降に成長する筈なんて無いのだ。そんな夢を見る事自体が馬鹿げている。

 そういう考えを持ってやってくる人から逃げるには、スパッと瞬間移動するための瞬発力が大事。変速なんかしないので、純粋に筋力、回転力だ。それも上体を動かさない、脚だけで生む力こそ大事だ。
 多くのローディが無酸素運動的な筋肉に否定的な論調があるけど、こういう瞬間に必要なのは、やっぱり無酸素運動的なパフォーマンスだ。瞬発力こそ一人で趣味的に楽しむには大事と思う。

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12/20~12/26の週の検索ワードピックアップ

★バラスト水、論文
 今週最も検索で目を惹いたのが、これ。
 検索にヒットしていた記事は、

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/04/post_3f8e.html

 である。
 このネタが検索されたのは、韓国の企業の製品を日商岩井が仲介して広島の造船所に対して受注を獲得したというニュースがあったからだろうか?これは、小さい話故に、どうでも良いといえば、どうでも良いのだが、、、、
 このネタが話題に上って久しいが、いよいよ取り組む企業グループの製品が形になってきたようで、承認を続々取っているようだ。

 動向的には情報が古いけど

http://www.mbrij.co.jp/nenpou/yasui07.pdf

 辺りが判りやすい。日本の技術的な特徴を活かしたスマートな例としては、

http://www.kuraray.co.jp/release/2009/091005.html

 が良さそう。他にも最近メディアに露出したモノとしては、

http://www.kakoki.co.jp/news/090805.html

 がある。
 当初は、新興企業が怪しいシステムで提案したモノが多かったけど、ここに来て、勝負出来そうなモノは、やはり技術的難易度の高さからか、それなりに投資が掛かったようなモノに集約されてきた印象だ。

★スポルティーフ
 これで検索する人が多い。セットでキャリアで調べる人も多い。
 スポルティーフというと、キャリア+フェンダーだ。スポルティーフって呼び名が残っていた時代はブレーキはセンタープル。つまり、キャリアはセンタープルのピポット留めが正統派とも言える。ピポット留めのキャリアは記憶の限りでは三種類ある。
 一つは、TAの小型のモノ。対応ブレーキはマファックだ。残りの二つがVIVAのキャリアで、やすい方がムク棒で出来た小型のキャリア、高い方がパイプで出来た一寸大きめのキャリアである。何れもフォークのフェンダー取り付けボルトとピポットの二点の合計3点で固定する。このような、自転車に装着するキャリアで一番カッコイイと思うのが、昔ながらのスポルティーフに付けるモノで、センタープルキャリパーブレーキに付けるタイプだ。これは、フォーククラウンのフェンダー取り付け穴、ブレーキキャリパーのピポットボルトを利用して付けるタイプで、フォークブレード部にはダボ等が無いのだが、これが一番スマートと思う。フォークのダボを利用しあり、フォークに対してバンド留めで付けたりっていうのは、如何にも野暮ったいし、後付け感がにじみ出る。個人的にはTAのセンタープル用のキャリアが一番カッコイイと思う。

  小林ファーストライディングには日東のパイプキャリアを付けているが、これはフォークブレードにバンド留めしているのが今一だ。まぁ、これは元がロードで、キャリパーにサイドプルブレーキを用いているから仕方ないけど、少なくとも、本当のスポルティーフでは有り得ない選択肢だ。これは、元がロードフレーム故にフェンダーステーもピポット共締めのステーダボを介しているので、剰り気にはしないけど、少しでもリアルなスポルティーフを作りたいならば、そんな後付け的なステーとか、バンド締めとかは格好悪い。

 スポルティーフの流儀を守るには、そんな思いが強いのだけど、今や存在しないセンタープルキャリパーブレーキ故に、それようのキャリアっていうのは入手性が極めて悪い。
 私が知っているのは、VIVAのパイプ製、ムク製、そしてTAのモノの3種類。
 構造的には、非常に狭い間隔の三点で支えるために大型では無いものの、スポルティーフ的には十分なモノ。

 なお、ロードレーサーにフェンダーつけて、キャリア付けたら見た目はスポルティーフっぽくなる。でも、実態は違う。我が家の小林ロードフレームで作ったのはスポルティーフに憧れたけど為れなかったバイク。敢えて言えば、ファーストライディングって感じ。
 ロードレーサーとスポルティーフの違いは、やはり走る距離と走り方の違い。スポルティーフとはスプリントでなくラリー的な走り方。自転車でいうとブルベのようなモノだろう。先鋭よりも安定や快適性という事。耐候性を考えるとフェンダーも欲しい。操縦性よりも安定性なら低重心、、、、ロードバイクと較べると、低く長くなるはず。それが本当のスポルティーフに必要なもの。但し、乗り手の骨格構造が変わらないならば、長くなってもトップ長で長くなるのでなく、リアセンター、ヘッドアングルとオフセットで稼いだフロントセンターだろう。稼ぎ代としては、一方でなく両方で、重心位置を変えないように長くするパターン。
 そういうモノがスポルティーフだろう。実際、歴史あるブランドが現代に復活させたスポルティーフのスケルトンを見ると、ハンガー位置は低く、リアセンターは長く、ヘッドアングルは寝ているモノが多い。

★ベンチプレス
 油圧ダンパー式では鍛えれない。保持では負荷が生まれないから。常に動かし続ける事が必要だから。
 張力式ではストローク量に連動するからフルストロークで保持している時しか負荷が高まらない。変位0では負荷0なのが寂しい。
 となると、フリーウエイト式が一番だ。
 バーベルとダンベルが選べるけど、バーベルの方が楽。左右が繋がっているからウエイトの保持のバランス確保が容易だからだ。ダンベルの場合、一点で支えるので様々な筋肉を同時に動かすので効果的な筋トレが出来る。
 難点は、せいぜい片側で30kg程度の負荷しか作れないことか?

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HONDA HSV-010

 表題のモデルがNSX-GTの後継車両としてGT500クラスで走るそうだ。
 FRレイアウトのモデルで、写真も公開されている。

http://www.honda.co.jp/SuperGT/news2009/02/

 である。見て思うのは、非常に洗練されたデザインで、まるで市販車の様、、、、、多分、急激な不況で開発中止になったアキュラスポーツコンセプトの焼き直しなんだろう。

 実際、完成間近と言われ突然のお蔵入りとなったモノがNSX後継車だけど、世界を越えて、市販車の世界ではないけれど、競技の世界ではバトンタッチと言う事なら、なんか楽しい話かな?と思える。

 仮に、この世界で生きながらえて、将来の市場の空気、景気の状況によっては、もしかしたら市販車の世界に再登場なんて事が無いとも言いきれない。

 これが、本当にNSX後継車だとすると、企業の中で開発に携わってきた人の執念っていうのは凄いモノがあるんだろうなぁ、、、と想像する。

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2009年12月26日 (土)

装備に拘る!

 自転車、特にスポーツサイクルに乗る人は、ヘルメット、レーパン、レーシャツ、ビンディングといった装備に拘るけど、大事な事に拘っていない人も少なくない。

 大事な事とは、大事な装備。そう、ライト、リフレクター、ベルといった保安基準を満たす装備だ。固定ギアでもブレーキが必須なのは言うまでもないが、そこでノーブレーキピストを否定する人の中にも、安全装備が欠落している人も居るのでは無いだろうか?

 自分の場合、レーシーな装備は有無についての感想を持たないけど、安全装備は必須だと考えている。

 それは、兎も角、最近の関心は灯火類である。ヘッドライト、リフレクターだ。ヘッドライトについては、被視認性も大事だけど視界の確保の方が大切だと思う。特にタイヤの細いスポーツサイクルでは、路面の状況の見落としはトラブルの元だから、集束した光で局部が明るいのよりも、分散した光で全体を照らすのが大事だ。
 次がリフレクターだが、これは被視認性が大事だ。最近は発光式も多いけど、寧ろ、見られる必要性は、より速いモノに認識して貰う訳であり、より速い乗り物=単車、自動車であるから、その灯火を反射するのが大事かな?と思うのである。ということで、自分は尾灯は発光式でなく反射板を好んで装備している。

 そんな反射板には、チョット拘りがある。最近は、シートポストにプラバンドでクランプするのが多いけど、サドルの真下では、上半身の装備、衣服が垂れるような場合は、それを隠しかねないのと、丁度、両脚の間であり、角度によっては光を遮りかねないのが好みでないのだ。

 自分的にはリフレクターは出来るだけ後部にあるべきと考えており、本来はフェンダーが理想的と考えている。フェンダーが無理なら、リアキャリア後部、それがダメならシートステーと考えている。

 ということで、この度、シートポストに装着していたもので、他の部位に移せるモノは全て移した。700Cのロードバイクはラングスター以外は全てシートステーに移設した。ラングスターはシートポスト部でなく、ポストクランプバンド真下のフレーム側に移設した。

 因みに、西DAHONはリアキャリア最後部、オ・モイヨWW号とスピママ号はシートステーで、ルイガノ号だけシートポスト部である。シートポスト部からそれ以外に移したいのだが、独特な構造故にチョット難しい。

 ところで、リフレクターを丸形にしてシートステー側に移すと何だか懐かしい感じだ。

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正直、スローピングデザインは嫌い

 小径車、折り畳み自転車で自転車に復活してから、乗れるジャン!って思いからフルサイズに移行したけど、その初っぱなのバイクがスペシャライズドのラングスターである。このバイク、結構活躍しているし、重宝しているし、気に入っているけど、、、、、どうにも好きでない部分がある。

 それは、、、、安っぽいアルミヘアーライン仕上げの、、、ではない。A1アルミとは言っても所詮アルミフレームの、、、、でもない。

 単純に、スローピングデザインのフレームというのが気に入らない。正直、この系統のデザインは現代の主流だけど、乗ってみて判ったというか、自分で得た感想としては、この形、好きでないのだ。

 このデザインのバイクは、多分、生涯に渡って手に入れる事は無いだろうと思う。最初で最後のラングスターである。まぁ、乗らないと判らなかったんで後悔も無いし、寧ろ、買って良かったとは思うけど、次の選択では有り得ない。実際、後に手に入れたフルサイズのバイクは全車ともホリゾンタルデザインの自転車である。将来、アルミフレーム等の自転車を買うとしても、カーボンのバイクを買うにしても、やっぱりスローピングデザインは嫌である。アルミフレームならアンカーのPA3のようなデザインが良いし、カーボンでもPHM7とかPHM9のようなデザインの方が遙かに好みだ。

 三角形を小さくしてフレームの剛性を高めるとか、色んな利点らしき説が飛び交っているけど、それでもスローピングのフレームは嫌いなのである。勿論、様々な利点が挙げられているのは知っているけど、個人の好みとして嫌いなものは嫌いなのだ。

 今の高性能、世界における供給国と重要市場の関係から考えると必然といえるデザインとは思うけど、どんな道具でも『良い』道具っていうのは、使い手に対する仕立てに尽きると考えている。それは、スーツでも然り、ゴルフクラブでも然り、バットでも然り、どんなモノでもそうだ。道具がどれほどに使い手の方を向いているか?使い手だけを見ているか?が道具にとって大事なモノと考えている。言ってみれば、工業製品、大量生産品とは別のベクトルにある工芸品、オーダー品こそが至上だという考え方だ。
 自転車なら、最高の品は、乗り手にとってのテーラーメイド、オーダー品であろう。次がセミオーダー、ここで言う、オーダーっていうのは歴史と伝統、実績を持つ者が押し付けるでなく、乗り手の個性を汲み取って見出すということで、ありきたりの押し付け数値で決めるというモノではないのは当然だ。次が乗り手と同じ民族をターゲットにしたマスプロダクションの国産品、後はどれも一緒って印象。
 大量生産を前提にすると、一つのベースから、どれほどの多様性を吸収できるか?が大事であり、その汎用性というか万人への適応の柔軟さを得るためには、調整幅が如何に大きく確保できるか?が勝負であり、その考え方が、大雑把なサイズで非常に広範囲の市場をカバーできる現代のデザインを作っている。その制約で生まれた機能の洗練が現代の高級車を作り上げたり、それを売るための商業的戦略の上で競技の世界に供給されているに過ぎない印象を持っている。

 少なくとも、最近の自転車は自分にとっては長く、サドルとハンガーの水平方向の距離も長い。もちろん、ステムの調整、サドルの固定位置の調整で取り敢えず的に乗れる形を得ることは可能だが、ステム長の変更は、そもそもリーチの調整のために行うものでないという考えからすると今一感が残る。どんなに乗り手のポジションをそろえても、自転車全体で考えると、自転車から見た乗り手の位置は、オーダーで作ったものとは大きく異なるものである。こんな思いを強くしたのは、乗車状態は同じ、ギア比も同じで、スローピング輸入車(ラングスター)と国産車(シルクR1)で乗り比べると、乗りやすさがまったく違う事を体感したからだ。他の部品が付いてないので、その思いはことさら強いもの。そういう目で見ると、構造的に、材料的に納得できない部分は凄く多いように見える。

 まぁ、スローピングデザインが嫌いというよりも、非常に幅広い市場で売る事を前提として、ポジションの適応性を高めるために採用したスローピングデザインが嫌いということ。大量生産によって全世界市場を売り場と考えたモデルが嫌いということ。その象徴として、舶来のスローピングデザインのモデルが好みで無いということなのだ。
 だから、ホリゾンタルが好きというのでなく、やはりホリゾンタルであっても世界市場をターゲットとしていれば嫌いなのだ。

 日本人という典型的な胴長短足体系が乗るなら、日本の由緒ある工房、日本のマスプロメーカーの作品こそベストというだけの話だ。

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老化への抵抗

 前記事で、筋肉=体年齢とは言い切れない旨の記事を書いた。体年齢とは、本来持っている機能を眠らせていないか?に尽きるのである。

 では、体年齢を若く保つには何が効果的か?を考えると、これは人の持つ本来の機能をしっかり使う事に尽きるのである。生物の身体っていうのは、機能があっても使わなければ退化するかの如く適応するのである。何に適応するか?なのだ。運動に若い頃取り組めば、それに適応した能力を得るように、使わなければ能力は失うのである。どっちも適応減少なのだ。適応する時に、機能を獲得する方向か?喪失する方向か?が重要なのである。

 機能を失わないためには、備わった機能を使う事である。つまり、外界からの刺激を沢山受けるかどうか?に尽きるのであろう。思考に対する刺激、皮膚に対する物理的、温度的な刺激、運動器を使うどうかの刺激、消化酵素を多く分泌するか否かの刺激、少々の怪我疾病に対する過剰な薬剤依存の抑制、、、そういう事なのである。
 刺激を多く得る生活こそが、機能を失わせない重要なキーワードとなるのである。

 これは、一朝一夕で変える事が出来るものでは無いのである。非常に長きに渡る生活で獲得されるものであり、誰々がやっているから、自分も同じ事を、、、、ってノリでは絶対に上手く行かないモノなのだ。思考を怠慢し、運動からも逃避し、偏食を好み、、、、そういう生活を続けてきたとすれば、本来の機能の多くを失っており、結果的に体年齢を決する代謝基準値が低下するという事になっているのである。

 老化へ抵抗するには、一番大事なのは、価値観を改める事。人間性を改める事が大事なのである。生活習慣における様々な状況における判断を改めるには、人間性を司る価値観の改革が必要なのである。ある部分だけを真似するという考え方では、ダメというのは、そのこと自体が、機能喪失ということであり、それに気付く事、つまりは価値観を変える事が、最初の一歩だと言える。

 価値観を変えて生活する。見るモノ全てに感心を持ち、考える。そして、出来る事は自分で行う。出来ない事も自分で行うように心掛ける。そして、人為的なモノの摂取を避けて偏食、簡易食に走らない事。つまりは、率先して煩わしさに取り組む事を良しとするように生活する事が大事なのだ。しかし、口では言っても、それを実践するというのは非常に困難だろうなぁ、、、、、個人的には、そう思うのである。

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2009年12月25日 (金)

最近オーダーしたのは、

 今月に入ってオーダーしたのは、安室奈美恵の『PAST<FUTURE』と、マドンナの『Sticky & Sweet Tour』のブエノスアイレス公演のDVDだ。

 ここ二三年でも、この二人のアーティストのアルバム、前の『Best Friction』、或いは、『Hard Candy』等々も調達しているし、懐古系では、アンルイスの『Womanism』、レベッカのベスト盤を調達している。

 このところ、無理に時代に併せて聞くというよりも、好きなモノを好きなように聞く、新旧問わず聞くというのが良いかな?と思う事が多い。
 今、再び聞いてみたいなぁ!って思うのは、ZELDAとかSHOW-YAといったアーティストの音楽であったりする。

 時代的には80年代の復刻盤ベストが流行っている。その影響ではないが、レベッカ、アンルイス、ゼルダ等々に感心があるのは確かだけど、コレ系よりも、モロ今な安室奈美恵やマドンナの最新のアルバムの方が演出的にも見て面白いのは確か。古いのも悪くないけど、やっぱり新しいのが良い。

 因みに、マドンナのSticky & Sweet TourのライブDVDを買おう!って思ったのは、偶然、WOWOWで早朝にライブを放送していたのを見たから。やっぱり、この人、カッコイイですね。でも、マドンナの前々回のアルバムConfessions On A Dance Floorの曲である『Hung Up』の始まりは、大昔のABBA(アバ)の『GIMME!GIMME!GIMME!』って曲にそっくり。まぁ、サンプリングして使っているから当然といえば当然だけど、ABBAっていうと、自分は中学生の頃に良く聞いていたアーティストだ。

 因みに、マドンナっていうのは自分より6歳年上、自分が中学生の頃、マドンナは二十歳の頃、その頃ABBAが世界的にヒットを飛ばしていた訳だ。マドンナがメジャーに駆け上がろうとしていた頃、リスペクトの対象がABBAって事。
 マドンナが時代を席巻したのが1980年代の半ばだが、その頃は、マイケル・ジャクソンの最盛期と重なる。マイケル・ジャクソンというと、自分的には、ジャネット・ジャクソンのスタイルの方が好きだったし、ジャネット・ジャクソンのアルバムは何枚か買って、今も聞いている。そのスタイルをリスペクトしていたというのが、今の安室奈美恵である。

 で、今聞いている曲、アーティストの流れから自分の好みを遡ると、案外、何も変わっていないなぁっていうのがよく判る。

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筋肉増加だけでは体年齢は若返らない

 体年齢っていうのは、大雑把に言って体重1kg辺りの代謝の大きさの事のようだ。自身も基礎代謝が多い程、体年齢が若いと大雑把に捉えていたのだが、考えてみれば、絶対値での評価は、身体の大きさに左右される訳であり、それを言えば、赤ちゃんと高齢者を比較すると、絶対的に大きな体重の高齢者が若いとなるのだが、そうはならないのは、やはり、単位重量あたりで考えるべきなのが顕かなのだ。

 消費カロリーの大小は、純粋に個体の基礎代謝量に左右される。基礎代謝量とは、単位重量あたりの代謝(基礎代謝基準値)×体重で求まる。痩せやすい身体とは、基礎代謝量を上げる事だが、基礎代謝を司る器官が、臓器であったり筋肉であり、そのためには結果的に筋肉量を増やす事が大事なのである。但し、筋肉量を増やすということは、体組成中においては比重の小さな脂肪が減って、比重の大きな筋肉が増えるということなので、結果的には体重が増えるのである。これは、あくまでも基礎代謝が増えるということであって、体年齢が若くなる事には直結しない。そりゃぁ、体脂肪を極限迄絞り、骨格筋率を極度まで高めることで、大きな意味で体重1kgあたりの基礎代謝基準値を高める事が出来るのは理屈の上では可能だが、体年齢を定義する基礎代謝の基準値の刻み幅を見ると、なかなか難しいのがよく判る。

 実際、体年齢というか若さを問題視する年齢層での刻み幅を見ると、基礎代謝の基準値は5~15%程も違う。仮に代謝基準値で1%の違いがあるとすれば、これを体組成で30%程度しかない筋肉増加で対処しようとするには、最低でも100/30倍の割合で骨格筋率を高めないといけない。代謝基準値1%アップには骨格筋率で3.3%増やすと言う事。体重の30%を占めるに過ぎない筋肉自体を3.3%増加させる必要があるのだ。体重が60kg程度の人で、筋肉量増加で代謝基準値を1%高めるには約2kgの筋肉が必要なのだ。体組成で体年齢に拘る年齢層では、代謝基準値で2~3%の違いな訳であり、そうなると筋肉で4~6kgの増加が必要ということで、これって或る意味実現不可能な数字なのだ。
 筋肉を増やせば基礎代謝は増えるけど、体年齢を若返らせる程の効果を得るのは実質的に困難なのである。痩せやすく、逞しくはなれるのは否定しながい、若返るという効果迄得るのは並大抵ではないのだ。

 年齢別基礎代謝の基準値は、体重計メーカーのサイトにも紹介されている。

http://pro.tanita.co.jp/tech/tn04.html

 だ。コレを見ると、成長期における基礎代謝基準値の圧倒的な多さが目を見張るものである。基礎代謝の基準値は、あるレベルからは減少せずに最低のレベルで静定しているが、成人以降では、その変化は非常に小さいモノである。基礎代謝の基準値には、筋肉自体の代謝の他に、身体の器官の活動度等全て含まれており、言ってみれば、身体の新陳代謝レベルといっても差し支えない。
 つまり、体年齢が若いというのは、基礎代謝基準値が大きい事であり、新陳代謝が活発ということである。新陳代謝が活発というのは、免疫力が高く、治癒能力も高い状態。つまり病に冒されにくく、怪我も早く治るということ。外界からの刺激に対して身体の器官が効率的に働く状態なのである。

 勿論、骨格筋率が高いというのも大事だが、成長期の基準値の高さは、筋肉比率以上に、細胞の成長力、免疫力、治癒力として現れる細胞の活動度に左右される。
 身体の器官の活動度とは、機能の活動度であり、個体毎に見れば、元来備わっている筈の機能を如何に眠らさずに使ってきたか?の差による機能の取捨選択で機能を失っていないか?が大きな差の理由というのは、誰が考えても判る事である。
 つまり、如何に、自然界に存在する食材を自然な形で広く食してきたか?そして、備わった運動機能を始めとした様々な機能を活用してきたか?に左右されるのである。もっと言えば、生活習慣において人体機能の活用する度合の差に左右されるといって過言ではないのだ。
 ファーストフード、偏食、サプリ、薬剤依存、思考怠慢、運動不足、、、、そういう、本来の機能を眠らせるような生活習慣の蓄積が、機能喪失を招き、代謝基準値を低下させているのである。

 体年齢を若く保つ、、、つまり、老化に抵抗するには、持っている機能(運動行為に限らず、思考行動、食習慣を含む全て)を如何に活用しつづけるか?というもので、昨今流行の楽して運動とか、サプリ摂取で体内環境の人為的な調整というのは、本来の機能を休眠させることであり、老化の促進に他ならないのが良く判るのである。

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2009年12月24日 (木)

インフルエンザ耐性

 今年のインフルエンザの流行は新型ばかりだそうだ。季節性のインフルエンザの感染報告が一件のみという。

 新型の流行と共に、季節性のワクチンの需要も高まり接種率が高くなり、新型への留意からか、手洗い、うがいを励行する人が増えたのも季節性の流行を押さえている一因になっていると言われている。

 ところで、新型インフルエンザの予防接種を受ける方法だけど、その方法論の周知の仕方は今一つ不明瞭だ。
 掛かり付けの医療機関で予約出来るにしろ、予約のタイミングの告知も伝聞に従う要素が高く、区役所の告知する集団接種にしても告知方法も平等性を確保しているとも言い難い。

 実際、集団接種の告知では、予約の電話が殺到して、アッという間予約満杯となったそうだ。受けれるか否かは、そういうタイミングで不平等が生じるのはどうか?と思うのだが、実際は、そうなっている。身の回りで話を聞くと、諦めているから接種させない人も居る。

 今回のインフルエンザは春先の報道とは異なり、実際の流行では案外大事にならないと言う事が多いということで、状況自体は随分変わってきたけど、今のような対応では、本当に怖いと言われている鳥インフルエンザから由来する新型インフルエンザが蔓延した時には大きな不安を残す気がする。

 それと思ったのは、前記事でも書いたけど、新型インフルエンザでは無症状が18%以上、軽症を含んで考えると、症状が顕著になるのは非常に少ない事が判ってきたけど、その一方で重症化している人もいる。
 その差は何よ?って考えると、遺伝的な要因もあるだろうけど、要は身体の抵抗力なんだろう。免疫機能を含み抵抗力は如何に身に付くか?というと、生活習慣だ。新陳代謝の高い生活、つまり、多種多様なモノを摂取し、それを速やかに燃焼消費するスタイル。多種多様を摂取するというのは、摂取の過程で人体の機能を活用するというのが機能を保つ大前提とすれば、自然のモノを如何に幅広く食べて、しっかり動くか?ということ。

 ファーストフード、スナックという菓子ばかりでなく、自然の食事を如何に食べて、如何に遊ぶ、如何に動くか?が病原菌耐性を作っているように思う。

 サンプルというレベルではないが、自分と家族は、ここ数年、誰も流行性感冒に感染していない。子供もそうだ。クラス全員がインフルエンザで欠席したようだが、皆勤賞で最後の一名状態。兄弟揃って、生まれてこのかた一度も夜間診療等に世話になっていないし、高熱の経験も無い。勿論、自分もそうだ。
 食生活的な特徴は、野菜と魚、納豆は毎日で、冷凍食品、インスタント食品を誰も食べないということ。

 そういう事考えると、本来の機能をしっかり使うような生活習慣を保つっていうのが、健康には最も有効かな?という気がする。

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夢の扉

 日曜日夕方のTBS系の番組、『夢の扉』で中野鉄工所さんの自転車向け新製品開発の取り組みが紹介されていた。

 基本は、他では無いモノを作り出して生き残るというモノで、そこで生み出されたモノの紹介、今の取り組み、将来の取り組みを実製品を例にとり取り上げるもの。

 過去の成功例としては、エアハブって製品。これは、ブリヂストンの軽快車に装備されていたのは知っているけど、これが中野鉄工所の発明というのは初耳。ハブ内部にロータリーポンプを設け、走行することでエアを供給するもの。このポンプと供給ラインのレギュレータというか簡単なリリーフバルブで圧力を制御する構造で、エアの無い状態からスタートして、30分程で適正エア圧になるというのが紹介されていた。これは、経済産業省のものづくり関係の表彰も受けたそうだ。
 なお、この発展形態としては、エアハブとハブダイナモをハイブリッドする取り組みも紹介されていた。

 今の取り組みとしては自動変速システムである。これはシマノのネクサブが行っているような電池を用いた8段自動変速のような日本的な方法とは異なり、もっとシンプルな方法で、発進時におけるトルク不足によるフラツキの解消のみをターゲットに絞った二段変速システムである。特徴なのは、変速システムを自動にするのでなく、変速器という概念とは別の概念で変速させるようなモノ。つまり、内装、外装の変速機は持っていないもの。
 外観的には全く変速機の存在が見えないものなのである。二段変速で発進時のみLOWで、走行するとHIGHに切り替わるシンプルな動作だが、これの実用化の過程が紹介されていた。これもブリヂストンの自転車に商品として搭載されており、『楽スタート』という機能で実用化されている。
 機能は停止から車輪二回転迄は低速ギア、その後はワンウェイクラッチによって通常ギアに切り替わるモノ。低速への切り替わりは車輪の停止した時のみで、通常になるのが車輪二回転後というもの。つまり、走行段階では常に通常ギアというもので、自動変速というよりも、発進アシストといった方が適切かも知れない。

 これ見て感心したのは、作り手が使い手の問題をシンプルに見抜くという点。アレもコレも的な発想では生まれないコンセプトだ。オバチャン=空気入れない、実用自転車の危ないのは発進時のフラツキ、、、、、それに特化して、それを極力シンプルに解決するというのが素晴らしい。

 この問題をシンプルに抽出して、なるべく簡単に解決する。解決はスマートな程素晴らしいけど、そういう方向での取り組みっていうのは、最近は見かけなくなってきたように思う。
 実際、自動車で燃費対策といえばハイブリッドという感じだけど、あれは如何にも日本的なメカニズムの博覧会状態だ。もっとシンプルに、もっと単純に、、、そういうのがカッコイイ。エンジンのバルブタイミングの話では、最近は可変バルタイが常識だけど、昔はOHVのプッシュロッドの慣性による遅れを利用した可変バルタイっていうのも在った。必要な機能を絞り、それをなるべく単純に実現するっていうのが本当の天才の仕事だろうけど、そんな例は見かけなくなったような気がする。

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2009年12月23日 (水)

スタッドレスでも、、、

 週末は強烈に冷え込んだ。雪は大したこと無いけど、団地の道路の陰の部分は所々が黒ずんでいる。つまり、凍っているのである。そんな場所を車で通過すると間違い無く滑っているというか、グリップが不安定なのが判る。スタッドレスでも滑るのである。未だ、雪の方が運転しやすい。所々が凍っているって状況は、ミューの変化が滑り出しを助長している。

 用心というか、安心代のために冬場は冬タイヤが必要だ。

 しかし、広島では冬でも冬タイヤの効果を認識する機会なんて、年に2~3回程度である。殆どがドライ路面、、、、冬タイヤは必要無い。そんな状況では、意味もなく摩耗が進行する。

 スポーツセンターに通う時は峠を越えるのだが、住まいの団地通行と合わせれば、スタッドレスには厳しい環境。夏タイヤでも結構摩耗するので、冬タイヤなら尚更なのだ。

 そんなスタッドレスタイヤでの走行モードは、ターンインとブレーキングを明確に分ける事。ブレーキングを送らせるほど、前に荷重が残った状態となる。そこでのターンインはフロントタイヤ外側の縁の摩耗を加速する。よって、スタッドレスタイヤの場合は、ブレーキングを早めに終えて、加速しながら進入する。加速しているから荷重は後に載っている。そこで、ターンインという気持ち、、、これでタイヤ外側の負担を軽減する。他には、道路幅を目一杯使い曲率最小で回るような心構えである。

 しかし、それでも摩耗する。摩耗すると交換する。摩耗しなくても3シーズンで交換と決めている。スタッドレスタイヤは結構金食い虫だ。でも、14インチだから出費は最小、、、、コレが、最近の車だとタイヤ代も馬鹿にならない。

 何考えていても、次の車の事になってしまうなぁ、、、、(笑)

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ゆったりスイム

 先週の泳ぎ納めでは、3000mの所要時間短縮を目的というよりは、プルとキックのタイミングを色々変えて楽に泳げるというか、推進力をなるべく失わないタイミングはどうか?を気にしながら泳いでみた。忙しなく泳ぐでなく、ストロークは短水路25mで5~6ストロークくらいだ。ターン自体で軽く数メートル以上は進むから、50mの時よりストローク数は減るのは当然だが、概ね1ストロークで、4m程度は進ませるような泳ぎ方である。

 手で掻いた後、息継ぎで上体を持ち上げるリカバリー後に入水と同時にキックを行うのだが、キック後の伸びた姿勢となった時に、如何に上体で生じるブレーキを最小限に留めるか?が勘所である。そのためには、プルに要する時間は最短に留め、プルでは推進するというよりも、上体を引き上げる事に留意する。上体を真上というよりも、斜め前方上方に飛び出すように掻くのだが、プル自体は内掻きよりも外掻き気味の方が上体を短時間で引き出しやすい感じである。掻いた後に手を前方に伸ばす際には、顔の前面から頭を、手を合わせて水の流れが乱れないようにカバーするような心掛けである。その際はプールの底に視線を置くようにしなければ顔や背中の姿勢的にも抵抗が増える。

 そんな感じで、サッと引き上げてキックは踵で水を感じながら行う。キックでは畳んだ状態から膝関節が伸びる瞬間に掛けて大きな力でその後は脚を揃えて推進している間は抵抗を生まないように心掛ける。

 そういう泳法では25mを30秒程度である。30秒で5ストロークだから6秒毎の呼吸だ。大きく息を吸って6秒間で息を吐き出す。これは自由形とは呼吸法が一寸違う。全体で大きなリズムを刻む、腹式呼吸というか、横隔膜を大きく動かす呼吸法というか、そんな感じだ。
 ピッチを上げて25mを25秒程度にすると50mを50秒で、3000mを50分というペースだが、その程度ならば、プルとキックでの最大の力を水を捉える事が出来る範囲迄増やす事で対応出来る。決して、ストロークを増やして掻く回数を増やそうとしても、1ストロークあたりの距離が短くなるリスクの方が高くなる。
 大きな力で、プル、キックを行うと、その分、1ストロークで進む距離が伸びる。結果、ストローク数が減る。ストローク数を減らしながら、進む距離を増やす。1ストロークで要する時間はそれ程増えない、、、そういう条件が満たされた時に初めて効率よくペースを上げられるのである。

 プルとキックの力の下限、水を捉える方法を考えながら、プルの際の手の角度、脇の閉め方、キックのパターンもウィップかウェッジか中間かの組み合わせを様々に変えてトライするのだが、ツボに嵌った時は気持ちよいくらいロス無く1ストロークでの距離が伸びる。この違いの顕著さっていうのは、自転車なんかでは、なかなか判らない感じなのである。

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2009年12月22日 (火)

経験から見た基礎代謝と除脂肪体重の関係

 筋肉とか、除脂肪体重の単位量あたりの基礎代謝は幾らか?というのは素朴な疑問としてずっと持っていた。で、体験上、自分の筋トレの結果の変化から類推してみた。

 増強系筋トレ前:
  体重:65.0kg、体脂肪率:12.5%、骨格筋率:33.5%、基礎代謝:1570kcal
  骨格筋量:65.0×0.335=21.8
  体脂肪量:65.0×0.125=8.13
 筋トレ実施一年後:
  体重:67.5kg、体脂肪率:11.5%、骨格筋率:36.0%、基礎代謝:1650kcal
  骨格筋量:67.5×0.360=24.3
  体脂肪量:67.5×0.115=7.76
 筋トレ前後比:
  体重:+2.5kg、体脂肪率:-1%、骨格筋率:+2.5%、基礎代謝:+80kcal
  骨格筋量:24.3-21.8=2.5kg↑
  体脂肪量:8.13-7.76=0.4kg↓

 この数値の見方はよく判らないが、増加体重=除脂肪体重に近いので、大雑把に類推すると2.5kgで基礎代謝が平均で80kcal増加している。

 大雑把に言って、、、、

              32[kcal/除脂肪体重1kg]

 のような感じである。

 そうなのかなぁ?と思いながら、偶然、筋肉自慢?な自転車好き少年との話で、なにやら最近は体組成計を買ったそうなのだが、本人的には自信のあったらしい体年齢、筋肉量が今一で不満を漏らしている。そこで詳しく聞くと、、、、身長が165cm、体重が56kg、体脂肪率が15%ということで、私から見ると、正直、一寸背が低いのは別として、身長からすれば随分軽いという印象。特に痩せては見えないから、まぁ筋肉は少な目か?と思っていると、案の定、彼の基礎代謝が1300kcal程という。身長、体脂肪率が平均で体重のみ軽い訳であり、彼と同等の身長の平均は?というと、BMI的に言えば59kg程であり、その平均の基礎代謝も1380kcalという。つまり、除脂肪体重的に平均より3kg程度軽い訳であり、結果、実測の基礎代謝も人並みより80kcal程少ない訳だ。
 これから考えても、3kgで80kcalだから、27[kcal/除脂肪体重1kg]である。

 ということで、なる程、除脂肪体重1kgで基礎代謝は30[kcal]程変化するのだな?と考えていた。
 実際、この自転車最強願望少年と自分を較べると、彼の体脂肪量が56[kg]×0.15[%]=8.4[kg]であり、自分は体脂肪が0.7kg少なくて体重で11kg多いのは除脂肪体重でいうと11.7kg上回っている訳であり、基礎代謝に直すと11.7[kg]×30[kcal/除脂肪体重1kg]=350[kcal]となる。彼の基礎代謝が1300[kcal]だから、それに350[kcal]を加えると、ピッタリ1650[kcal]となる。

 なるほど!ガッテン!!である。ただ、注意が必要なのは、これは除脂肪体重ということ。代謝を生むのは筋肉に限らない。各種臓器も含まれる。そういうものである。だから、基礎代謝を30[kcal/筋肉1kg]という数値で割って出た数値が筋肉量とはならない。それは、全てを筋肉に置き換えたら?という仮定的な数値という理解を忘れないのは当然だ。

 因みに、彼はヒルクライムには軽い方が良いから体重を増やすどころか、落としたいそうなんだが、根本的に同等の身長の人に較べると、脂肪量は同じ程度で除脂肪体重が3~4kg少ないのだから、増やせる除脂肪体重、つまり筋肉を増やさないと話にならないと思うのだが、軽さに拘るという、、、、

 彼的には、ネットで拾ってきた競輪学校の偉い先生のマニュアルに従って何かしているらしいけど、そのマニュアルのメニューっていうのは、それを消化出来る人向けの資料であって、アンタがやると弊害しかないし、そのメニューの負荷値さえ決めれないでしょ?って警告したのだが、まぁ、頑張るらしい。取り敢えず、ネットとか雑誌っていうのは、不特定多数向けか、或いは、特定の誰かに向けての話しであり、それを読み手が自分の話と勘違いして取り組む部分では結構な恐さがある。指導者が等身大の自分を見て指導してくれて初めて価値が生まれるものであり、それが専門のスクールであったり部活であったりするのだが、大雑把な資料にある一般に!って言われている文言に自分が含まれていると思う事自体に不思議さを感じるところだ。

 まぁ、人事だからどうでも良いけど、実際には自分自身を表す数値を使って色々考えるのも楽しいモノだ。

 ところで、除脂肪体重とか筋肉の単位重量辺りの代謝については、

 http://www.nih.go.jp/eiken/center/q_ener3.html

 http://www.webleague.net/information/coach/qandadet.php?qandaid=2096&teachid=3

  http://pro.tanita.co.jp/tech/tn04.html

 に載っている。ここで興味深いのは3つ目のリンク、タニタのサイトである。基礎代謝と体重から体重辺りの基礎代謝である基礎代謝基準値である。これが自分の場合は、24.2[kcal/kg/day]であり、これが体年齢の根拠になっていると思われる。当然、除脂肪体重あたりの代謝量より少ないのは当然だし、身体が大きい程、つまり重いほど基礎代謝が多くなるのも当然。大事なのは体重あたり、除脂肪体重あたりで見る事である。除脂肪体重あたりで見ると、脂肪の少なさ、臓器の活発さも含まれる訳であり、それが体年齢という指標に結びつくということが理解できる。単に基礎代謝が高いから若いのでなく、重量あたりの基礎代謝が高いから体年齢が若いのである。重量あたりの基礎代謝の差は極僅かであり、基礎代謝の差は殆ど体重(体格)の差の影響なのだ。体年齢で若さを言いたいなら、非常に難しい事だが、軽くても重量あたりの基礎代謝を高めるような取り組みが必要なのである。

 此処までで思ったのは、筋肉を増やし、それ以上に体脂肪を減らし減量した上で、基礎代謝を増やすという行為の意味だけど、減量という事で体重が減ると言う事は、基礎代謝自体は減る可能性の方が遙かに高いということ。組成的に筋肉を増やしても体重自体が減っていれば、その差として基礎代謝を高められたとして、その量が極僅かということ。
 世間のダイエットネタでは、筋肉を増やして肥りにくい身体をゲット!というのがあるけれど、筋肉を1kg増やしたところで基礎代謝で50kcalも増えないのである。せいぜい20~30kcalだ。筋肉が5kg増えても100kcal程度の増加に過ぎない。筋肉をkgオーダーで増やすのは基本的には並ではないのだが、、、、

 筋トレというと、それでダイエットとか体重が云々というよりも、動かす訓練によって日常生活で不都合を感じる機会を減らすため!という意識の方が自然に見えるのは確かだ。
 実際、自分の筋トレは、自分の経験した事のある最高値に近い運動能力を近いレベルで今でも再現する事が目的であり、鍛えると言うよりも怠けた生活への適応、即ち老化を防ぐということだ。

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小難しい名称は判らない。

 ダイエット目的、上達目的に限らず運動にはよく判らない名称が多い。
 特に、絶対値的でなく相対値的な部分で気になる言葉がある。相対値でも言葉によって受ける印象は様々である。語句的に理解出来る部分と納得しきれたとは言い難い言葉が入り交じっている。

 正直、運動を行う時は負荷次第で出来る回数、持続出来る時間が変化するのは当然だが、行っている事が、小難しい言葉的に何を示しているか?というと、正直判らない。
 例えば、サーキットトレーニングという言葉。これは?っていうと、決めたメニューを循環して繰り返し行うトレーニング。繰り返し行うことで、負荷を掛ける部位を短時間に留め、切り換える事で、筋力と持久力を強化するっていうのは理解できる。そして、その単位的な操作を大きな負荷×少ない回数、小さな負荷×多い回数で分ける事で、その部位の鍛えようを切り換えるのは理解出来るけど、負荷と回数を絶対的に決めるっていうと、正直よく判っていない。
 自分の場合はどうか?っていうと、(機材的に)与える事が出来る限界で、その状況なりの限界の回数を限界と定めている。例えば、ダンベルでのプレスとかフライっていうのは片手30kg弱がダンベルの最大重量であり、回数はそれで出来る限界というだけの話であり、実は大きな意味は無いのだ。仮に、ダンベルが20kgしかセット出来なければ、20kgで出来る限界の回数が行う回数になるだけの話である。
 ダンベル体操の負荷も、考え方は同じである。体操ではメニュー毎の回数が定義されているが、その回数がこなせる最大の重量を選んでいるだけなのである。こちらの場合、回数が決まっているから変化に合わせて重量が増えているに過ぎないのである。

 水泳でも然りである。基本は3000mを無休で泳ぐという事。無休で速度を保てる最高速度で泳いでいるだけである。

 自転車は?っていうと、これまた同じだ。LSDとか回転練習とか、、正直、全く知らないというか、その言葉に当て嵌まるメニューの決め方が判らないので、気にしていないというのが正解。LSDって何よ?LongSlowDistance?鼻歌で出来る?運動強度?正直、判らないのだ。何を以て長距離?というのが判らないから、正直選べないというのが感想。
 回転練習だって然り、、、、何回転迄上げてやるの?心拍系トレーニングでも然りだ。言葉先行で、持つ意味があやふやな感じでやるって言うのは、果たして意味あるの?って状態だ。
 トレーニング法には色んな言葉が飛び交っているけど、自分で選んだメニューが該当しているか?なんて事は考えた事無い、、、っていうか、行っている要素が語句に正確に該当しているか?合致しているか?というと、判断しようがないのが実のところなのだ。

 今行っている運動、筋トレ、水泳、自転車、、、、これらの行い方は、実は小学校以来の学校の部活でのやり方と全く同じである。

 サーキットトレーニングでは作れる負荷で出来る最多回数、水泳なら3000mを最短で泳ぐ事だけ、自転車なら決めた距離を走るなら最短時間で漕ぐだけなのだ。それ以外の要素は全く無いといって良い。特に社会人で時間的な制約が多いので、負荷を決めて倒れる迄続ける的な運動は行っていない。決めた時間や距離で完全にばてるまで負荷を高めているに過ぎないのである。小難しい理論なんて何もないのが実のところである。

 但し、運動を行うに辺り、泳ぐ時、プルをどうするか?キックをどうするか?は動作する時には常に考えている。筋トレでも負荷を大きくえるようなストローク速度や保持時間を選んでいるし、ペダル漕ぎでもそうだ。ペダルを漕ぐ時に最も合理的と納得できる漕ぎ方感じ方を考えて漕いでいるのは確か。
 小難しい回転練習で回転数上昇に命をかけるのでなく、納得出来る合理性を見つけるような試行錯誤をやっている程度である。そう、負荷と時間については目一杯的な部分があるけれど、各動作については学問的、研究的、探求的に考えている。

 或る意味、判る範囲の事を精一杯考える。判らない事をほったらかしにしない、判った振りをしない、出来る理想をイメージする、、、、そんな風に、小中学生のような意識レベルでやっている。まぁ、プロでも何でもないから、よく判らない事を口に出さないとか、感心を持たないというか、そういう状態である。

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2009年12月21日 (月)

ダンベルとバーベル

 土曜日は、久しぶりにバーベルでベンチプレスを行った。
 過去、バーベルでは基本は100kgフルストローク、揚げて云々は110kg、一度切りなら120~135kgというところだったのだが、連れがジム通いを辞めてからはサポートが無いとおっかないのでバーベルは無しにしている。まぁ、変わりにスイムを1500mから最低3000mに変更しているのだが、筋トレをジムで行わなくなって久しい。

 まぁ、ジムでバーベルベンチプレスを止めて以来、自宅に油圧ダンパー式ベンチプレスを経て、テンション式レバレッジベンチプレスを導入して、最近はダンベルオンリーで代用している。油圧ダンパー式はダンパー抜けで廃却、レバレッジ式は金属疲労でフレーム破断で廃却、最終的には市販ダンベルで増やせるだけ重量を増やしている。

 ホントは自宅でバーベルが理想だが、機材が大袈裟になるのと、サポート無しでは重量級のベンチプレスは恐い(尽きたらギロチンで死ぬかも知れないし、過重量で木造一戸建てが厳しい)ので一人筋トレならダンベルに為らざるを得ない。

 ダンベルではバーベルと異なり、片手でバランスを取るので、より軽い重量でマキシマムを迎える。バランスを取るために色んな筋肉を自然と動かすから支えられる重量が減るからだ。当初は片手15kgから始めたのだが、最近は片手で30kgでフライ、プレスを1セット15回ずつを5セット行っている。それでも両手で60kg程とバーベルに較べると絶対値的な重量は随分軽い。

 そんな状況で今、バーベルベンチプレスならどう?って関心があったので、久々のバーベルベンチを行ったのだが、リフトで120kgが楽勝、100kg~60kgのフルストロークを10回程度続ける事は楽勝。久々に行ったのだが筋力は衰えていないのが判った。

 ダンベルはなかなか優れものだ。軽い(?)負荷で、重量で倍近いバーベルと同じような疲労度、、、、

 ということで、今後は片手40kgオーバーのダンベルで5RM以下のフライやプレスを取り入れてみたい。そのためのロングバーも手配済み。今度はローレットで挟んだグリップ部分が回転式で手首に変な負担が掛からないタイプだ。プレートもスターナット式では緩むリスクがあるのでキーボルトで締め付けるタイプだ。実に楽しみである。
 別に、筋肉至上主義ではないし、雑誌に掲載されているフレーズ、『何が何でも筋肥大!』ってノリでも無い。要はナチュラルに見た目最小でパワー最大を目指すとでも言おうか、、、体重で単位重量辺りの代謝を増やす、筋肉比率を高める、重量辺りの出力を上げるというのが理想。基礎代謝でいうと1700kcalを今の体重で伺う。今が1650kcalだから、あと体重を1kg程度増やすと1700kcal弱に迫る。骨格筋率で今が36%程度だからコレを37%弱にするということで、普通に得られる数値だ。体重1kg辺りの代謝で今が24.5kcal/kg/dayだが、これを25kcal/kg/dayにすると、体年齢もワンステップ若返る筈だ。

 因みに、上体の筋力強化はピスト系バイクでの最大出力、最高回転数の双方に有効な感じ。3000m/60分以内のスイムと筋トレっていうのは、振り返れば既に15年以上前の自転車生活復活前から続けているけど、実際、心肺機能と筋力というのは、双方が必要な運動には効果的っていうのが身を以て実感できる。20年ぶりにピストを初めとするチャリンコで漕いでみて、楽勝ジャン!って思ったのは、やっぱり理由があるんだと改めて思う。

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電子煙草

 深夜のテレビ通販で面白い?モノ、、、、それは、表題の電子煙草である。
 見たのは『SPA-SPA』ってもので3980円で売っていた。何やら、充電式で吸ったら先端が赤く発光して、吸い込んだら水蒸気を吸うようなモノ。吐くと息が白いけど、それは水蒸気なんだそうだ。味としては、煙草、メンソールがあるという。

 煙草のダミーというか、イミテーションというか、そういうモノ。節煙アイテムであったり、禁煙小道具だったりする訳だが、それにしても色んなモノがあるもんだと感心するばかりだ。

 オモチャ的には感心あるけど、煙草が吸いたい人にとって、どれ程の代替えとなるか?は微妙だ。
 前記事でも書いたけど、煙草に中毒な人と、癖、習慣的に吸っている人では、煙草の役割が違う。煙草でなければダメな人にとっては、これは何の代用にもならない。ただ、煙草を借りて時間のゆとりを作り出すとか、気分転換するという手段として煙草を使う人には、代用で良い訳だから、そういう人にとっては有力な代替えとなりうるだろう。

 まぁ、これは何でも言える事。選ぶモノが目的の人と、手段の人では、選んだモノ、嗜んでいるモノに対する拘りの度合が違う。拘りの度合の強い人=モノが目的の人、そういう人が多いと一過性になりにくいもの。

 このSPA-SPAっていうのは、煙草自体が好きな人以外には、有力な節煙アイテムになりそうだ。

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何が楽しいの?

 単車に乗って楽しいのは、先の記事にも書いたけど、変化に富んだ状況で思い通りに操る事。それに必要なのは、反射神経、反応性、断続的で瞬発的な筋力というもの。勿論、経験も必要だが、それによって操った!という爽快感が堪らないのである。爽快感を感じる度合というのは、自分の出来る限界迄突き詰めた時だ。

 では、自転車はどうよ?っていうと、どれだけ長距離行けるか?どれだけ速く走れるか?というのは、当然、根底に在った(部活時代の過去形)けど、今は自分の現有体力で、何処まで当時に近付けるか?なんて理屈っぽい事を言っているけど、もっと、コアな部分でいうならば、何処まで身体を追い込めるか?という所である。

 結局、単車も自転車も、自分の本心に従って何処まで身体を追い込めるか?と言う事なのである。
 単車の場合、追い込む先の障害となるのは、正直、恐さ、恐怖心というモノである。自転車の場合はどうか?というと、追い込む先の障害というのは、これ以上ダメ、出来ないという疲労がそれに該当する。

 追い込むには、障害や限界、障壁を乗り越えていかないとダメだ。単車では恐さを克服するには度胸ではないのである。恐さというのは対応出来ない事によって晒される次への事態の不測性であり、対応力を高める事で恐さは克服出来るのである。対応力を高めるには、対応速度を如何に速めるか?予測行動の精度を如何に高めるか?である。対応速度とは反射神経、予測行動精度とは多くの情報収集に尽きるのだ。
 自転車の場合は、疲労故に、疲労の元となる心肺機能、筋力、筋持久力を高める事が特に重要となる。
 勿論、単車でも自転車でも、自分の持つ能力を器具の操作に伝えるための精度を高めるような器具の理解と使い方の修得が大前提なのは言うまでもないが、これらの知識的な積み重ねと並行して、必要な能力を高める事が大事なのである。

 何が楽しいの?っていうと、単車でも自転車でもだが、自分の出来る限界に近づく事が楽しいのである。その限界付近での感覚っていうのは、全く異なる次元の話だけど、感覚的には非常に近い感じを受けるのも確か。その感覚って言うのは誰がどう感じるか?は全く解らない。多分、人によって全く違う次元でそういう事を感じるんだろう。単車と自転車で大きく違うのは、単車で養うべき限界を高める方法は、単車に乗らなければ手に入らないということで、自転車の場合は、必ずしもそうでは無い点である。
 これ系の趣味で楽しいっていうのは、そういう限界が高まっている事が実感出来ている時であり、その先に行くための取り組みに熱中している時だろう。そういう時も楽しいし、それで得た感覚を実感する時も楽しいのは間違い無い。

 逆に、楽しくなくなるっていうのは、行動の方向性と到達したレベルでの満足感が得られない時だろう。目的を叶えるためにどうしたいか?が決められなくなったり、自分なりの取り組みで得た結果に納得出来なくなった時が、楽しみを失う時かもしれない。

 例えば、誰でも感心を持った瞬間は楽しいのは間違い無いだろうけど、暫くの時間の経過の後に、自分が何したいか?とか、取り組んだ割りには納得できないと感じたりするのは、その人の到達したレベルの差で決まるのでなく、その人の取り組み方で関心が薄れる時がやってくるのかな?と思うのである。

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2009年12月20日 (日)

12/13~12/19の週の検索ワードピックアップ

 最近は、ピストバイク、コンパクトクランク、CATVとBS/CSの混合のような定番検索が多いので、それは過去のワードピックアップで解説した通りなんで、目新しいワードを重点的にピックアップすることにした。

★広島の二葉山をヒルクライム
 これは、広島駅北口から見て北側にある山。山頂に仏舎利塔というモノがそびえ立つもので、ヒルクライムするならば北側斜面の牛田町からのアタックだ。団地としては東園団地という団地が広がるが、そのメインストリートが直線的に峠を作っている。距離としては800m程度の短いものだけど、標高は一気に100m程度は上がる。峠山頂にはピザ屋があるけど、そこを左手に寿老園(老人ホーム)のある方向に上がると、最大斜度20%に迫る勾配が迫る。
 ラングスターTTでの定番コースだが、峠山頂迄の勾配ならば5.5mロールアウトの固定シングルで最低でも15km/hを保持して上がるのは難しくない。山頂から左手に目指す方向はさすがに厳しい。

★PIX-DT090-PE0の感度
 今は問題無い。一般にはPCIバス周りのノイズ云々説が多いけど、実はアンテナレベルの方が問題かな?とも言える。っていうのは、その後の調査で、アンテナ線の間の増幅感度を変更すると、以前のような受像不良が見られた。つまり、アンテナレベル、信号品質が大きな影響を及ぼすのでは無いだろうか?因みに、ブースターに巨大なモノを用いて増幅し過ぎてもダメ。勿論、少なすぎてもダメ。その辺の兼ね合いも受信に影響する。

★非磁性(コバルトレス)超硬合金の利点
 唯一、、、、それは錆びないと言う事。Coが入ると錆びちゃう。コバルトレスなら必然的にニッケル(Ni)が入っている。これなら錆びにくいけど海水では錆びてしまう。超硬合金はセラミック並に硬く、金属に迫る強さがあるけど、錆が大きな弱点。錆の根元であるコバルトとかニッケルを除けば、錆びないけど脆くなる。これがジレンマだ。

★超硬合金のHv
 詳しい人か、そうでない人か知らないけど、混合物の物性を調べて意味あるの?って検索だけど、バインダーの含有量次第だ。一般に超硬合金はHv(ビッカース硬さ)で1200~1600くらい。バインダーレス(バインダーの欠点が顕著にならない程度の最小量のバインダー量)の超硬合金でHv=1800~2000というところ。バインダー自体が金属であり、これが少ないと基材のWCとなる。炭化タングステンであるので、これ自体だと硬度は更に高まる。WC基で何処まで硬度を高められるか?というと、やり方次第だが、自分が特許申請した別の元素を十数%加えた材料ではHvで2000~2500程度迄高める事が出来る。
 勿論、硬さとは脆さであり、靱性を失うのは仕方ないけど、それでもバインダーレス系の超硬合金とは比較にならない靱性、強度を確保する事が可能。そのためには当然、別の強化機構を用いる。具体的には析出強化による方法で強度を高めている。抗折力的、靱性的には、バインダーレスの2倍程度、非磁性超硬の2/3、磁性超硬の1/2程度迄は確保出来る。
 硬いモノを作るのは簡単だけど、靱性と両立するのが非常に難しいのである。

★Z250FT
 153kg、27PS、180°クランク、SOHCの空冷ツインのカワサキ車。Z1Rにチョット似たデザインでオプションカウルもそっくりなのが在った。
 大きく分けて前期と後期2モデル。カラーリング変更を入れると更に細分(初期が薄いシルバーにピンストライプのバリエーション、次がシルバーが濃いタイプ、次が太い横ラインのタイプ、後期は角目で横基調の線でシルバー系、黒系、最終がシルバーに柔らかいラインのタイプで記憶の限りでは最低でも5型迄存在する筈)されるけど、初期は丸目のタイプ。塗色はブラックシリンダーでフィンエッジが磨きだし、クランクケースもサイドは磨きだしだでポイント点火のモデル。クラッチの取り出しはクランクケース側から、次のモデルが角目でフロントがセミエアサスとなった。塗色はエンジン周りは真っ黒けでZ-GP系と同じ雰囲気となる。フルトランジスタ転嫁、クラッチの取り出しはケースカバー側からとなる。
 バンク角は深くない。センタースタンドを擦る。そして、リアタイヤが浮く。そして滑る。
 パーツは少なく、集合とB/Sはセレクトから出ていたくらい。
 とばすと直ぐクランクが謳う。洗車すると電気系が不調になる。後継のGPZ250も同傾向だ。コレ系の空冷ツインはZ250FTの丸目、最終角目、GPZ250改305と乗ったけど、本気で走って壊れなかったのは皆無。どれも脆すぎ。
 名前は似ているけどZ250FSがお奨め。Z200を起源とするSOHCシングルエンジンで前期が246ccのバランサー無し、後期が249ccでバランサー入り、特徴はダブルカムのドラムブレーキ式のキャストホイール。20PSと少ないけど、ブン回して壊れる事は無かった。まぁ、オフ車のKL250と共通のエンジン故に、そんなに脆くは無いもの。KL250の最終モデルは在れば欲しいくらい。

★タイトル名?
 検索ワードで『健究所』とか『Theっ』で検索される方が居る。つまり、タイトルが脳裏に焼き付いている人が何人かいらっしゃるという事。悪くない話だ。もっとタイトルに見合った雑学を増やしていくべきだろう。

★単車で下りを攻める?
 言えるのは、ブレーキングを長引かさない。体重をハンドルを握った腕だけで支えない事。臍下に力を入れて固定した下半身、腰の上で状態を多く支える事。ブレーキングの際は、リアを先に掛けて、リアを後にリリースする。リアを引きずりながらトラクションをコントロールする事も可能だろう。下り程、メリハリを付ける。っていうかアクセルを開ける時間を長く確保したい。そのためには、前述の配慮が必要。
 下りで逆勾配というような難しい局面程、差が出やすい。個人的には下りのS字、逆勾配気味の状況が特に好み。
 地元なら安芸郡府中町甲越峠(畑賀峠)で頂上から府中側へ下りるセッションで、出雲大社前の下りのS字が最高に面白い。手前の急勾配の下りからS字となるけど、二個目の曲率の方がタイトで逆勾配気味。四輪でも最高に面白い。綺麗に斜めに流しながら走ると気持ちいい。こういう状況では、二個目に併せて一個目はコーナーと捉えずアプローチ区間と考えて走る。
 昔は下りで一つ目から二つ目のクリップに付けず、一つ目でオーバーランして二つ目に入る事が出来ず下から上がる車と衝突するヤツが凄く多かった。

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久々に筋肉痛!

 筋トレメニューを変更して久々にやって来たのが筋肉痛だ。
 理由は、レバレッジタイプのスプリングテンション式ベンチプレスが壊れたので、全てのプレス動作をダンベルを用いたフリーウエイトに変更したためだ。

 前記事でも紹介したが、メニューの変更をまとめると、、、大きなインターバルでは、次のような変更だ。

 従来のメニューでは、

1.フリーウエイトの筋トレ(片側25kgのダンベルでフライ15回+プレス15回、10kgでリスト)
2.サーキットメニュー5セット
3.フリーウエイトの筋トレ
4.ローラー台
5.フリーウエイトの筋トレ
6.ダンベル体操

 というパターンだったのを、今回は、

1.サーキットメニュー5セット
2.ローラー台
3.ダンベル体操

 という風に単純化している。
 しかし、サーキットメニューの組み合わせ要素自体は次のように変更している。従来の組み合わせは、

1.レバレッジプレス最大ストローク時のテンション80kg×15
2.10kgダンベル保持でのスクワット×15
3.10kgダンベル保持での腹筋×30
4.10kgダンベル保持での背筋×30

 だったのを、今回は、筋トレと融合して

1.片側30kg(合計60kg)フリーウエイトダンベルでフライ×15
2.片側30kg(合計60kg)フリーウエイトダンベルでプレス×15
3.10kgダンベルでリストスナップ×30
4.12kgダンベル保持でのスクワット×15
5.10kgダンベル保持での腹筋×30
6.10kgダンベル保持での背筋×30

 としている。
 この変更による変化は何がある?っていうと、運動中においては、このメニューの4セット目からフライとプレスが非常に厳しくなってきて5セット目では相当に汗も噴き出すような状態となった。以前のメニューでは負担感は殆ど無かったので実質的な負荷は増えている。そして、運動後は上腕部から胸、肩に掛けて所謂筋肉痛が残っている感じである。
 この感覚は、ジム通いでバーベルを用いたベンチプレスを行っていた時のような感じであり、イイ感じである。

 そして、今更ながらに気付いたのは、筋肉痛になる?故障痛になる?って敷居は、筋肉痛の場合は疲労が蓄積していない状態なら負担を激しく感じることなく動作できるものの、回数を積み重ねると負担感が著しく増大するという負荷レベルが適切かな?ということ。
 初っ端から負荷に耐える事の出来ない大きさでは、痛みが筋肉痛で終わるか?故障痛になるか?の瀬戸際が捉えにくく、場合によっては安息が強要される故障痛になりかねないのである。

 筋肉痛と故障痛の境目を自覚して、筋肉痛になっても故障痛にはならない点を狙って筋トレするっていうのは、実は有酸素運動系のトレーニングよりも高い効率性を維持するのが難しいかな?って思う。そういう意味で、今の負荷レベルは、故障痛にはならず、筋肉痛を伴うという良いレベルなんだが、問題は、他の記事でも紹介しているけど、これ以上の負荷が手持ちの機材で作れない事だ。将来の筋力強化のステップでは、機材の見直しがやっぱり必要そうだ。

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2009年12月19日 (土)

間食、、、癖?中毒?依存症?

 運動後、風呂上がり、就寝前のくつろぎタイム、、、、定番のくつろぎ方はキムチ食って、ウーロン茶をしっかり飲んで、ノートPCでリビングでネット見て、テレビ見て、そして時間に余裕があればコーヒーをドリップして飲んで寝るというパターン。これだけなら良いのだが、運動しているから!って安直な理由で、その合間に間食を摂る癖がついていた。

 間食は何?っていうと、パン類、スナック類、菓子類と絶対量は少ないけど、このくつろぎタイムが非常に心地よかったのだが、この間食癖を絶って一ヶ月が経過した。
 この間食癖っていうのは、くつろいでいる最中に、ふと呼び起こされるモノ。この我慢感っていうのは、煙草を中断しようとか、酒を中断しようとかよりも禁断性が強く感じる。

 煙草、酒は楽に我慢出来るけど、くつろぎタイムの間食カットは結構厳しい。

 そういえば、拒食症とか過食症に陥る人が夜中に冷蔵庫で食材を漁るシーンがテレビで再現されている事があるけど、あれって、理解出来る光景だ。

 ただ、間食が欲しい理由が腹が減ったというのでなく、くつろぎ感を演出する小道具的な要素であるのが○食症と違うところ。

 これって、なんていうか癖のようなもの。断って一ヶ月経つと何ともないのが不思議なもの。

 依存症、中毒、癖、習慣、慣れ、、、、見た目は似たようだけど、案外、異なるモノなのかな?と思う今日この頃。

 煙草を断つのが厳しいというのは、依存症になっていたら厳しいけど、癖に留まっている人なら簡単なのかな?という気もする。それ自体が好きか?それを嗜む雰囲気が好きか?で、その区別があるのかな?という気もする。

 中毒っていうと、それ自体で快楽感を感じる事だろうけど、そういう意味で考えるとピストバイクに乗っている時って、そんな感じである。

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単車だって体力必要だ

 最近はスポーツサイクル、ロードバイクブームでロードレーサーはヘルシー、スポーティ、、、って好意的な意見が多く、一方で、単車はクサイ、汚い、デブ、オッサン、、、、というネガティブな意見が多い。
 また、単車乗りと自転車乗りを較べて身体能力(?笑)は自転車乗りが上回るとかの意見も聞くけど、、、、

 このような論調には今一つ合点がいかないのが自分の感想。

 自転車、単車といっても、あまりにも幅が広すぎるので何とも言えない。例えば、ママチャリVSエンデューロ、ロードレーサーVSアメリカン、MTBVSスクーターというようなのは比較しようがない。

 まぁ、ママチャリVSスクーターならママチャリの方が運動しているかもしれないけど、比較するモノ次第で見方は変わる。

 自分の単車感、自転車感から言うとどうか?を考えてみる。

 単車の場合は、運動性能、旋回性能を最上位に据えており、自転車の場合は、動力性能、巡航性能を最上位に据えている。この時点で、タイヤが二個という共通点以外には重なる部分は全く無い。
 自転車贔屓な人は動力性能で、筋力、持久力、心肺機能等々を並べるだろうから、それはそれで置いておいて、単車の場合の話を考えてみる。単車での運動性能、旋回性能というと、エンジンの絶対出力は二の次である。出力特性は重要かもしれないが、それは主たるモノを補うモノであり主たるモノとは違う。

 単車を操縦するという行為は、次々と訪れる状況を把握して、思い通りに操作するのだが、その操作は全身を使って行うところに四輪車とは違う面白さがある。
 状況に応じた操作という部分は、どんな乗り物でも同じだろうけど、訪れる状況、変化が速い程、速い判断と操作が必要なのは言うまでもない。その状況の変化というのは、何処で楽しむか?も大きく影響する。
 自転車では比較的変化の少ない環境を走る事が多いが、単車でいう運動性能を体感するには目まぐるしく変化する場所程楽しい訳であり、変化の大きさ、速度の速さを考えると、他の乗り物とは較べものにならない程の素早い状況判断と操作が必要なのである。その素早い操作を身体全身を使って行うというのは、自転車とも自動車とも異なるものである。

 正直、どんなに軽量な単車でも重量は軽く100kgを越える。色んなエリアで楽しむポテンシャルを求めると、装備重量で最低でも150kg、普通は200kg前後に迫るモノ。その重量の物体を身体を使って思い通りに向きを変え、思い通りに扱う。扱いにおいては、瞬間毎の挙動を把握する感覚と的確な対処が重要であり、或る意味、ノンビリ考えていては間に合わない部分も少なくない。動作自体も素早い動きから定常的に大きな力で貯めるような動作迄、全身の動かし方というのは、自転車や自動車に較べると圧倒的に多彩な動きが必要となる。そして、その多彩の動きはワンパターンというような、繰り返し的な連続性は殆ど無く、連続的でありながら瞬間毎に常に変化するような動作となっている。

 初心者時代の及び腰とか、変に力が掛かったぎこちない動作とは違う世界。そういう世界で遊ぶには、それなりの要件が必要であり、その要件というのは、やはり乗り手の身体能力に大きく依存しているのである。自転車なんかと違って、反応、神経的に繊細かつ素早い応答が必要であり、力の使い方も抑えた力で連続的な動作とは異なり、瞬発的でありながら平衡的な要素も含んだ断続的な動作が結構あるのだ。

 自分的には、自転車で乗れた状態っていうのは、高い運動強度を保つような状態で感じる事が多いが、単車の場合は、神経的に高ぶった状態とでもいう感じなのである。

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2009年12月18日 (金)

やっぱりMTに拘りたい。

 二輪、四輪に限らず、機械を操るという部分では、MTは譲りたくない。速さ、効率等々を言えば、最近のATは大きな進歩をしているのだけど、そういう屁理屈無しでMTが好きだ。
 2ペダルも嫌。時代の流れに遅れようとも3ペダルのクラッチ付きが望ましい。

 運転が面倒臭いとか、そういう問題でなく、如何にも機械を操作しているという感じが良いのである。操作する側がどうにでも使えるという自由度の高さと、自分の意志で直接操作出来るという感覚は、ATでは、どんなに理屈的に上回っていても得られない感覚である。

 クラッチを切る、繋ぐ、変速する、回転を合わせる、燃費重視で遊ぶ、回転数キープで遊ぶ、、、、そういう自由度が直接的な操作で行う事が出来るのはMTならではの世界。
 単車でもATはおろか、ヘンテコリンなインジェクションの制御とか、エンブレ制御のスリッパー、トルクリミッターも嫌。アクセルを絞るだけで強烈にエンブレが掛かるようなのが素直で良い。これを、如何に制御するか?リアタイヤのグリップを感じながらシフトダウンの際でのクラッチの合わせ方、回転の合わせ方をコントロールする部分に楽しみがある訳で、変な制御は不要なのだ。

 全ては自然が一番である。不都合とか面倒臭さを機械仕掛けで隠す程、それが無いと扱えなくなるというのが嫌なのだ。何事も自然が一番。自然を理解して、どうすれば良いか?を考えながら機械を扱うのが大事だと思う。
 車の運転は移動の操作だけど、その中では常にアクセル、ブレーキ、変速を始めとする操作を行っている。その操作一つ一つに留意を払いながら行うのが楽しい。アクセルの踏み方一つでも違う。それは単車でも一緒。ブレーキのかけ方もそうだ。どの瞬間に何するのがベストか?を考えながら操作を組み立てていくのが最高に楽しい。

 スポーツカーといえば、カッコイイスポーツクーペをイメージするかもしれないが、そうでなく、車という機械を如何に滑らかに扱うか?を考えると、別にスポーツカーである必要はない。どんなモノでも良いのだ。ただ、モノに介在できる自由度が多ければ多い程、扱っているという感覚が充実するもの。となると、選択を考える時に、ATよりもMTが良いし、2ペダルよりも3ペダルが良い。

 こういう意識の人は最近は少数派なんだろう。

 今、エリオは新車から8年目に突入している。1.5LでMTの4WDだ。これで片道5kmで山越え団地越えの通勤で燃費は9~11km/Lである。休日でのレジャー&買い物メインでは13~15km/Lとなる。遠出すると17km/L以上を記録する事も普通。別に不満は無い。この燃費が良いか悪いかは解らないけど、少なくとも、運転行為で楽しみながら過ごせているのは確か。仮に、燃費が1割以上向上しても、運転が移動のためだけになると、多分、我慢出来ないだろう。

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エアローラー台

 自転車漕ぎ運動は自宅で行う手軽な有酸素運動だ。自分も当初から行っている。

 初号機は、普通にフリクションタイプのエアロバイク、二号機はマグネット負荷タイプのエアロバイク、三号機は再びフリクションタイプのエアロバイクである。これらは、エアロバイクであり負荷はプーリーに巻き付けるバンドのテンションを調整したりすることで負荷を生むものだが、三台とも30分程度の使用で負荷値が変動して今一であった。
 勿論、スポーツセンターに設置してある高額な機種ならOKだろうけど、其処までの投資をする気もないのが正直なところ。

 四号機は、小林ロードフレームで作ったロードバイク、今スポルティーフ、ファーストライディングモデルのような奴。これをローラー台に乗せて使用していた。これは、無負荷では何の運動にもならないので、負荷ユニットを噛ませる事で或る程度の走行負荷を生んで使っていた。
 結果、使い心地は悪くないし、時間的な負荷変動の変化も無くイイ感じだったのだが、機能として満足できると、今度は自転車の室内ノリ的な要素を期待してしまい、そうすると、元々が旅行車風に作っているので今一気乗りがしないのが難点となった。

 で、五号機の今は、シルクR1ピストだ。これを固定シングルでローラー台に乗せて使用している。これ、最高である。前車のように手放しで遊ぶなんて事は出来ないけど、程良い緊張感、固定でローラーという感じが何ともイイ。アッという間に1時間過ぎる。これで、最高ケイデンスアタックなんかすると、最高回転数迄に到達した後に落としていく時も留意していないと、どっかに飛んで行きそうなのが面白い。前車とセッティングが違うせいか、同じ様に最高ケイデンス狙いでアタックした時に到達回転数が10~20%は違うのが興味深い現象だ。今なら240rpmオーバーは楽勝。前車の時の感覚では200rpm程度の感じである。この違いは、ポジション、駆動系のシンプルさの違いだろうけど、この辺りの違いがピストバイクの本領発揮なんだろう。

 ダイエット、有酸素運動ならピストでローラーっていうのは、かなりお奨めである。まぁ、乗れればの話だが、乗れれば、これ程に面白く、ローラー台でも60分がアッという間なのだ。スポルティーフで乗っていた時は結構退屈だったんで、それだけでも正解だ。

 まぁ、ポジション的に乗っている最中は何かしよう!なんて事が不可能な体制故だが、少なくともロード、スポルティーフよりは上体の筋肉も沢山動かしているような感じ。尻は何乗っても痛くはないけど、ピストは頑丈なプラスチックサドルだが、それでも快適といえる程。それだけ腕で支える要素が大きいのだが、それは上体の筋肉でカバーしているから問題無い。負担が分散して全身の筋肉を使って居るぞ!的な感覚は、ピストバイクならではの感覚であり、そういう面でもダイエット目的のエアロバイクとしては合理的だろう。

 ダイエットに全身運動という観点から見ると、最強な運動は間違い無く水泳だ。世間一般には自転車も全身運動と言われているが、実際、運動して動かしている筋肉は?と考えると、実用車よりも旅行車、旅行車よりもロードバイク、ロードバイクよりも圧倒的にピストバイクと言える。
 ダイエットサイクル、エアロバイクとして用いるなら、ピストバイクに限る。でも、固定でローラーに乗るっていうのは、誰でも簡単に!とはいかないかも知れない。

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スズキ、どうしたの?

 車を買い換えようと思いながら、スズキのラインナップを眺めてみる。

 モーターショーの頃にキザシが登場してビックリしていたのだが、良く見ると、、、、敢えて表記しているかどうか知らないけど、受注生産車の表記、、、意味深だなぁ、、、

 SX4では2Lのラインナップが消滅してHBも1.5Lオンリーになっている。MT追加どころでは無い様子。まぁ、セダンがISO-FIXチャイルドシートに対応したというのは進歩といえば進歩だけど、、、

 エスクードはどうか?ってみると、3.2Lが消滅して2.4Lのワングレードオンリーになっている。MTが残っているのはせめてもの救いか、、、、このまま行くと、VWのティグアンをOEM供給受けて済ませるパターンなんだろうか?

 確かに、軽四はそれなりに商売しているのだけど、普通車のラインナップが寂しくなってきた様子。もしかして、VWとの提携で、このクラスの新型は順次OEM供給を受けて過ごすのだろうか?
 チョット、元気が無くなってきたような気もする。ホントは、次のステップへの生産調整か?というような期待したいところだけど、それは可能性としては低そうだ。

 ところで、車に関心があるのは、やっぱり次の愛車を考える頻度が高くなってきたから。
 理想は、低維持費、小型、軽量、コンパクト、実用性重視、、、、具体的には、5ナンバー、ワゴン、MT、、、、、というところ。無いんだよなぁ、、、、唯一の選択肢がトヨタのプロボックスワゴン、、、、、でも、家族の反対が多すぎ。これのモデリスタ系カスタマイズバージョンになると、頭悪そうな感じになるので今一。ズボンずらして履く世代の雰囲気。普通にお買い得パッケージモデルで十分だが、現実、家族の反対があると買えない。
 営業マンとの付き合いから言うと、スズキの車両を贔屓に選びたいのだが、ホント、選択肢が無い。エスクードの2.4LのMTも悪くないけど、1.5tオーバーの車重、17インチのホイール、1800mmを越える全幅と、MT以外の要素は全てNG。SX4のセダンがMTなら即決なんだが、ATを容認するとなると、他のメーカーを含めて選択肢が一気に広がる。それくらいなら、1.6LのMTで荷室を諦めてスイフトスポーツとなるけど、荷室の広さっていうのは譲るとしては決断が必要なポイント故に簡単には決められない。昔でいうところの、カルタスワゴンくらいがベストなパッケージなんだが、そういうのが無いのが非常に悲しい。

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2009年12月17日 (木)

ヘッドライト組み換えました。

 自転車のライトを見直している。
 殆どの自転車はCATEYEのLEDライトを付けていた。機種はHL-EL120とHL-EL130だ。どちらも一灯式のLEDで、明るさ的には不満は無いのだが、固定方法的に嫌なのがHL-EL120のタイプだ。このHL-EL120はハンドルへの固定がフレキシブルバンドタイプで締め付けが強くなく、一寸した干渉で直ぐに向きが変わるのが今一なのだ。HL-EL130の方はバンドの締め付けがねじ込み式だから気にならないのだが、、、、ただ、自転車を久々に購入した時は、HL-EL130が販売されていなかったので、仕方なくHL-EL120を選んでいただけなのだ。

 そんな今一気に入らないHL-EL120だけど、これは西DAHONとオ・モイヨWWに付けてある。これを固定のしっかりしたライトに変えたい!ということで、手持ちのライトの組み合わせを色々と変えてみた。

 まず、当初は全車がHL-EL120/130だったのだが、雰囲気に合わせて似合わないモノがある。小型のLEDライトはチョイ古の自転車に似合うか?というと、似合わない。チョイ古の自転車というと、クロモリホリゾンタルのフルサイズの自転車だ。特に、コンポ迄古くさいと似合わない。ということで、この辺りは全て別のライトに交換した。

1.シルクR1ピスト
 元:Panasonicの小型LEDメタルライト(CR123A)を補助灯
 今:ヤジロベーでLED化した探検ライトを追加

2.小林ファーストライディング
 元:ヤジロベーでLED化した探検ライト
 今:キャリア横マウントにLED化したSANYOブリンクライト

3.シルクR2ロード改スポルティーフ
 VIVAセンタープルキャリアにLED化した探検ライト

4.BSテーラーメイドベースのトライバイク
 元:ハンドルバー下側にSANYOのマグライトLK-H303A(単三×2)
 今:ハンドルバー下側にPanasonicのLEDメタルライト(単三×2)

5.ステンレスロードバイク
 ハンドルマウントでHL-EL130

6.西DAHON
 元:ハンドルマウントでHL-EL120
 今:前キャリア横にリフレクターバンドを利用して汎用LEDタフライト(単三×3)

7.オ・モイヨWW
 元:ハンドルマウントでHL-EL120
 今:思案中

8.ルイガノMVF
 ブリヂストンのパワービーム(PB-400)

7.スピママGTR
 マジ軽ロボ

 という状態。装着場所は、フロントキャリアを有するモノはキャリアの右側に装着が基本。探検ライトのように単二が三本というような重いライトはハブ軸にヤジロベーでマウントし、現代の単三が二本の軽量なモノはハンドルマウントが基本という構成だ。

 ここまでやって思ったのは、LEDヘッドライトは思ったより明るくないということ。電池寿命自体は長くて有り難いのだが、走行時における路面照射は運転には適さないというのが正直な感想だ。ライト自体はクリプトン球のような従来型の灯りの方が見やすい。真正面の一点から見た時の眩しさはLED球は明るいようにも見えるけど実際には明るいエリアが狭いのである。
 LEDライトは高級なスポット照射タイプよりも、安価なモノのスポット照射が緩いタイプの方が自転車向きではあるようだ。

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ダンベルどうしようか?

 今使っているダンベルはシャフトに40cmの長い奴を用いている。
 このシャフトにウエイトを付けて28~30kg程度の重さで使っているのだが、バーの長さが長く無いので、結構不安定。
 スピンロックの固定は緩みやすいのが難点なのだが、バーに対してウエイトの枚数が増えたために緩んだ時の事を考えるとチョット怖い。

 今、寝そべってのダンベルベンチプレス、ダンベルフライで片側30kg弱のダンベルで行っているのだが、正直、負荷が足らなくなるような感じ。負荷を増やすにはウエイトに大きなものを用いるか、バーを長くしてウエイトを追加するしかない。
 どっちにしろバーの長さが一杯故にバーを買い換えないといけないのだ。長くて緩みにくいモノがベスト。次は、スクリューシャフト+スターナットとは異なる、ストレートシャフト+ロックナット方式の方が良いかな?と思うのだが、それでもシャフト長で40cmを越えるモノが少ないのが悲しい。

 家庭でバーベルというのも良いのだが、バーベルの場合、重たい重量でやる時はベンチ台が必須となる。コレがないと最初のスタートも出来ないし、尽きた時にギロチン状態になりかねない。家庭ではバーベルよりダンベルだ。でもダンベルでは片側30kgの今より上を狙うと、バーからウエイト迄全てを揃え直す必要も出る、、、、どうしようか?悩み中。

 予算的には、ユーズド品を含め、上限1万円くらいで今の負荷より増やして遊べるのが理想。

 まぁ、それでも始めた当初の片側15kgでも結構な負荷と感じていた時代から見れば進歩している訳で、そういう点では嬉しいのだけ、続けるほどに何かと出費が嵩むのは問題だ。

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2009年12月16日 (水)

エコってホンネか?

 自動車の売り上げには、エコカーの優遇税制政策が大きな牽引になっており、ハイブリッドカーを中心としたエコカーが市場を牽引しているそうだ。

 エコカー、ハイブリッドカーのようなモーターアシストカー、従来車ならば最大効率点での伝達で走るCVTとかがコアテクノロジーのようだ。車は全部、エコ志向、、、、、単車はどうよ?っていうと、印象の悪い2ストは絶滅し、環境を支える排ガス、騒音の環境負荷を減らすような触媒付きマフラー、インジェクション、、、、そういうのが殆どだ。

 でも、正直、エコってどうよ?って気持ちが強い。車や単車を移動の道具として考えると、移動手段としての存在ならそうかもしれないが、運転自体が目的である自分からすれば、エコという名を支える技術がもたらすモノっていうのは、正直、楽しみを感じる事は出来ない。

 勿論、燃費最高を目指す運転がどうのこうの、、、、という別の意味での楽しみ方は理解できるけど、そういうのは操縦行為でなく、操作によって知覚的な満足度を得るための楽しみ方であり、運転行為その物で陶酔を得る質とは異なる。

 車の運転なら非効率でも構わない。運転に積極的に参加できる3ペダルのMTが最高である。車型は問わない。3ペダルのMTでは運転している実感があるのである。最低でもそれが必要。人と機械のインターフェイスに人手の意識が介在出来る事が、高性能以前の話で、干渉度の高さ、繋がりの濃密さを考えると、馬力等々の数値以前に重要なのがインターフェイスの形なのだ。ATとかは全く不要だ。
 そのインターフェイスの上に、車型毎の楽しみ方があると言える。スポーツカー、クロカン、スポーツセダン、、、、、そういうモノは、インターフェイスで乗り手の意識が強く反映させられるというのが前提条件の上の話だ。
 どんなに高性能でイージーに性能が獲得できても、それはちょっと違う訳だ。これは単車でも同じ。誰でも乗れる高性能っていうのは関心無い。寧ろ、扱うには難しさを伴う方が、機械と濃密な関係になれると感じている。

 ここ最近は車の買い換えを考えている。MT車を探すのだが、色んな条件を緩めてもMTだけは譲れない。そんなMTだが、スズキのエスクードを見て驚いた。今、ラインナップはワングレードオンリーでMTかATの選択だけのようだ。現行エスクードは三代目で、随分と立派になっているが、いつの間にか2.7Lとか3.2Lは消滅している。そもそもMTは2.4L以下にしか存在しなかったけど、こういう無駄の多いタイプ自体が縮小傾向にあるのだろうか?

 エコが持て囃される時代かもしれないが、スポーツカー、クロカンSUVの様な遊びが楽しい車がドンドン減っている様子、、、、正直、悲しい。

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新型インフルエンザ、無症状が18%

 週末のニュースで目が惹かれたのが表題のネタ。
 何でも、新型インフルエンザは感染しても発熱等の症状が現れない人が18%も居るとの事。これは、大阪の高校での感染状況から判ったモノだそうだが、年齢層別に言えば、更に、無症状者比率が高くなるかな?とも思える数字である。インフルエンザに限らず症状が出ない感染の事を、不顕性感染と呼ぶが、ウイルスが感染力を持っているために、感染源としてはなりうる状態である。不顕性感染っていうのは、遺伝的体質、肉体的、環境的条件にもよるらしい。

 因みに、新型インフルエンザでは通常の高熱を伴う発症が1/3、軽い症状が1/3、無症状が1/3とも言われており、上述の不顕性感染というのには、軽い症状は含まれていない。つまり、感染したとしても顕かなインフルエンザ症状になるのは半分にも満たないそうだ。

 今回のインフルエンザは春先の情報では、感染=重大な事態とも思えるような報道が為され、当初は異常に高い感染率がピックアップされて、当初の印象では、感染リスクが高く、重症化したら死に至る!?なんて印象が先行していた。

 しかし、感染者(医療機関での受診者)が1000万人を越えたあたりから、死者が100人という。それで10万人に一人という割合だが、ここで基礎疾患を有する人を除くと、その致死率というのは更に1/3程度迄下がるというのが判ってきた。
 更に、感染者とカウントされるのは、先の不顕性感染者、軽症発症者でインフルエンザとの認識で医療機関を訪れていない人を見積もると、既に2000万人以上の人が感染している可能性が高いということ。6~7人に一人程度は感染している可能性が高いということ。
 更に言えば、身近な例では娘の小学校では、新型インフルエンザ感染者が200名以上との連絡で、クラスで9割近くが感染したとの事だけど、全てのクラスメイトが1~2日以内に回復しているという。結局、重症化した例が身近には皆無という状態。

 そういう事を考えると、過度に神経質になる必要もないのかな?とも思う。

 新型に限らずインフルエンザで重症化って例は、知っている限り、一件しかない。数年前に連れがインフルエンザ感染から肺の機能を失い他界したけど、それだけだ。

 正直、自分の娘がクラスで90%以上が感染者となった状況を過ぎて、皆勤賞を保つ最後の一人になっている。クラスでインフルエンザ感染が最多となった頃に、友人の家に遊びに行ったりしているのだが、それでも何も起こっていないというのは、感染していないというよりも、不顕性感染という状態の方だったのかな?という気もする。
 勿論、だから今後の注意を怠るという事はないけれど、春先に受けた印象とは随分異なってきたというのは事実だ。

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2009年12月15日 (火)

メニュー変更!

 日曜日、筋トレ中に自己流改造したレバレッジプレスのバーが金属疲労で破断した。
 以前、支柱部分が破断して修理していたけど、今度の場所は修理が困難な場所だ。

 これで、通算で4回のプレスマシンの故障である。一回目はシリンダープレス式マシンのダンパー抜け、二回目は荷重が足らないということでスプリング追加した結果、支柱部分が破断したので廃却した。このマシンは通算で2年ほど使用した。
 二台目の現行機は二年前に導入したもの。導入直後から負荷不足ということで、レバー比を変更して、レバー感のテンションラバーをテンションスプリングに変更して使用していたけど、半年前に支柱部分が破断して溶接補修を行ったのだが、今回は、テンションスプリングの固定部分のバーが金属疲労で破断ということ。溶接補修も困難そうで、補修しても従来並の強度は保てそうにないような破断の仕方であり、諦めも付く。

 となると、ベンチプレスは昨年から本格導入したダンベルを利用した方法を主に行うのが良さそう。まぁ、マシンよりもダンベルの方がコンパクトだから良いかも知れない。ダンベルは筋トレ+ダンベル体操でサーキットトレーニングには基本的には取り入れていなかったのだが、ここ最近は、15RM程度のプレスとフライが軽く感じてきたのもあり、少々メニューの変更を行おうかな?と思っていた矢先の出来事でもある。

 従来、ダンベルで用いていた最大重量は片側25kgのダンベルで、これを左右各々に持ち、合計50kgでプレスを15回、フライを15回を3セット行っており、サーキットトレーニングでは、レバレッジプレスでスプリングテンション負荷80kgで15回を5セットというパターンである。
 これのメニュー変更である。レバレッジプレスを廃止するので、これに該当する負荷をダンベルで取り入れる。片側25kgを何処まで増やせるか?というと、バーの長さの都合もあり限界が30kgだ。そこで、片側30kgで合計60kgのプレスとフライを15回ずつをサーキットメニューに入れて、別メニューの筋トレを廃止する事にした。併せて、ダンベル重量を見直し、その他のスクワット、フレンチプレス、サイドレイズ等々は全て+2kgとすることにした。

 これでやると、時間の短縮にもなるし、負荷の実効値自体は従来以上の感じである。

 取り敢えず、このメニューを試行したのは日曜日だけど、実は片側30kgのプレスとフライは思ったより重くない。15RM負荷どころでなく30RM負荷くらいな感じ、、、、パワーを上げる筋トレを目指すなら、長いバー+ウエイト増加か、重いウエイトを導入する必要があるかもしれない。
 これから、メニュー(負荷)を熟考して決めていきたいところだ。

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電子マネー

 自分は基本は現金買いで買い物を行う。でも、最近は徐々に現金買いで買い物を行う事が減ってきたような感じである。電子マネーのような形態で、お金の実態の無い取引というと、口座への給与振り込みが一番普及しているものだろが、そういう口座を媒介とした公共料金の支払いのシステムとか給与振り込みのシステム。

 この銀行口座の残高に応じて決済できるのがデビッドカードのような銀行発行のカードで直接口座から引き落としを可能とするシステムがあるけど、クレジット会社との契約で残高に必ずしも依存しない形で借入額を含んで決済できるのがクレジットカードだ。

 他には、昔の回数券や食券、テレフォンカード、バスカードなんかもそうだ。現金によって現金と同じ効力(権利)を持つモノを購入し、後に効力(権利)を利用するものも該当する。この辺りは、適用範囲が非常に限られた範囲の話だったけど、これを更に進めたのが、最近の電子マネーと呼ばれているもの。

 仕組みや形態は様々だろうけど、基本は、口座からカードに入金操作を行うと、その段階で自分の口座からサービスを運用する会社に指定した金額を前送金するもの。そして、そのサービスの運用会社と契約した店で、そのカードに記録された残高の範囲で決済が出来るというもの。契約店は、客のカード運用でもたらされた額面をサービス運用会社から支払って貰うというモノ。

 どれもコレも、まぁ、似たような考えだが、財産の入出金のインターフェースが煩雑になるにつれて、リスクが生まれているだろう。クレジットカードにしてもデビットカードにしても、行使する瞬間が大事。そこでの行使に隙があれば、どんなセキュリティーだって無意味になる。
 最近は、交通系乗車カードが大流行だが、これに将来的には電子マネー機能を持たせるという流れが主流。簡単で大流行だが、用途、額面、入金方法の制約がセキュリティーに有効だが、利便性を求めて、そのような制約を緩める方向になるとすれば、別の問題が出てきそう。

 こういうシステムは便利で良いとは思うけど、お金を遣っているという実感が湧かない。これが怖い。つい、遣いすぎてしまう感じだ。これは、チャージが口座とか現金で可能だからだろう。その辺をしっかり考えて付き合わなければならない。

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2009年12月14日 (月)

アプリケーションは楽しい?

 アプリケーションといっても、ツール的なモノ以外の話。具体的には、ゲームとかシミュレーション的なヤツだが、これって楽しいのだろうか?

 昔はコレ系は、殆どがゲームマシンでの世界だったけど、今はパソコン、携帯でダウンロードしたり通信したりで楽しめるようだが、これらには、全く関心が湧かないのが正直なところだ。最近はiphoneで何でも出来るぜ!的なCMも見かけるけど、多分、入手しても何もしないだろうなぁ、、、という方が先で全く関心が湧かない。

 パソコンの利用法は?っていうと、文章~画像、図面のデータ管理と編集や作成作業、データ収集、メール、ネット通販とオークションだけだ。ゲームはしない。携帯電話はどうか?っていうと、通話オンリー。メールさえしない。メールはPCに転送して、PCで行う。メールに即時性は不要だから、そういうのはタイムラグはOKだから簡単なPCで行うと決めている。アプリなんて利用した事が無いのだ。

 ゲームでシミュレーションというと、ロールプレイングで恋愛モノとか、戦闘モノが有名。他には、ドライブ、ライディング等々からスポーツ系も結構あるみたいだが、どれも無関心。車や単車の運転は好きだが、ゲームで出来ても何も嬉しくないし、ゲームで画面見てやろう!って気持ちが湧かない。趣味の分野でそういう意識となると、アプリケーションが楽しいと感じる要素は、基本的に思い付かない。実際、我が家にゲームマシンは皆無に近い。DSが一台あるけど、既に誰も使わないようになって何年も経過している。勿論、最初から自分は使っていない。

 それでも、世界的にはゲーム市場は大きく、それを一つの価値としてパソコン、携帯も媒体としての機能を充実させているのも事実。
 しかし、実体験の伴わない事に時間を費やすのは、自分的には有り得ない。画面を睨んで時間を浪費するぐらいなら寝てた方がマシだ。

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制約は人を育てる。

 機能面を指してシンプルっていうのは何か?っていうと、方向性が定まっているって事。
 シンプルという意味で機能を絞っていて、方向性が定まっていても、その方向での難度によっても色々である。難度というと、使い手の介在する要素の多少の差でも見て取れる。難度が高いと、使い手が考えるべき事が非常に重要となる。

 そんな事を考えながら、機能をいう要素を分けるとどうなるか?を考えてみると、機能の幅の広さと、機能の深さで分けれるようだ。

 最も目立つのは、多機能で機能別の設定の自由度が高い製品。それは、どんな場面でもどんな風にでも使えるもの。その対極が、単機能でフルオートの製品。モノなりの場面でしか使えないような代物。
 普通に考えると、多機能で色んな事が沢山好きなように出来るっていうのが格好いいとされているだろう。

 でも、思うのは、何でも好きなように出来るっていうのは、行う方向性が定まった人だけの話。だから、モノを選ぶ上で大切なのは、憧れる気持ちを如何に抑えるか?が鍵だろうと言える。憧れる気持ちを抑え、自分の判る範囲で付き合っていく、、、、つまり、最初は機能を絞ったモノが本当は良いのだろう。機能を絞って、チョット物足りない位で始めるのが一番だろうと言える。

 自分の持論としては、最初は単純で間口の広いモノで始めるのがベストという考え。自分にとって何が必要か?というのは、簡単で単純なモノで工夫を重ねていった結果、何が欲しい、何か一つ叶うなら何?という欲求で初めて見えてくるものと考えている。
 誰彼が、この機能があるから良い!なんて話を見て、錯覚で、俺も!俺も!的に揃えると、当人の本心が見えなくなるし、その機能の必要性も自分の話に基づいたものでないがために、却って、物事の進め方を見えなくなるのでは?と考えている。

 モノ選びっていうのは、自分の投資で行うモノ。そこで、何を選ぶか?を冷静に見れば、選ぶ人が、その世界で理解する事をどれ程理解しているか?の鏡みたいなものなのである。実像と選択が懸け離れている人程、その世界の真理に近づく事は難しいかな?と思う事が多い。

 何か関心を持った時、敢えて、初心者向けとか簡単、単純、手軽、シンプルってモノから始める。そうすると、それで上手くしたいとか、その単純さ故の制約を納得できるようになる。それが、その世界での上達に繋がるもの。そういうのは制約があっての事。制約が人を育てるのである。不自由が人を育てるのである。話が飛躍するけど、苦労させるほど人は育つのである。更には、身体に障害を抱えた人程、生きる事に真剣なのにも通ずるモノと考えている。

 簡単に答えが欲しい、簡単に結果が欲しい、、、、そういう奴ほど、中身が無いものである。そんなもんだ。成長するためには、苦労や制約が一番だろう。

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2009年12月13日 (日)

ピクセラのPIX-DT090-PE0が安定してきた!?

 我が家のデジタルテレビを兼ねたパソコン、P6Tだが、先日からハングアップの頻度が激減した。日に2度程度のフリーズしていたのが、最近は、月に一回あるかないか、、、、多分、WindowsUpdateによるドライバーの更新の成果だろうと考えている。もちろん、マザーのBIOSも関係ありそうな説明を見つければ、こまめにUPGしている。

 で、そんな事とは別に、このパソコンのチューナーカードにデジタル三波対応のカードでピクセラのPIX-DT090-PE0を使っている。今は、ロープロフィールのDT096ってモデルが最新のようだが、自分が調達する時は、DT090が最新だった。
 しかし、このカードは、BSのNHKの受信が非常に不安定で、BS1、BS2、BSHが上手く受信出来ていなかった。この原因は、カードのチューナーがノイズに弱いとか言われていて、対策にはチューナーカードのパワーサプライを独立電源で供給すれば良いとか、あるいは、4PINコネクターにコンデンサーを噛ませるとか、、、色んな対策が紹介されている。

 我が家でも、同じく、BS1、BS2、BSH、更には地元のCATV局の地デジチャンネルも受信不良だった。
 対策としては、独立電源供給とか、コンデンサー利用とか行ったけど目立った改善は出来なかった。取り敢えず、BSHのみ映るようになったのがせめてもの進歩だった、、、

 ところが、、、

 ふと、受信してみると、いつの間にか、BS1、BS2、BSH、CATVローカルの全局が綺麗に受信可能、、、、、、何か変えたかな?と思っても、思い当たる節が無い。いつの間にか映っている。

 不思議なものである。

 最近は、ネットで勝手にアップデートを知らせてくれて、気に留めることなくアップデートするのだが、多分、ここ一月のアップデートで急激にマシンの安定度が高まっている様子、、、、

 今、Vistaで運用して、Windows7のパッケージも準備できているのだが、問題無いなら、このまま使うのも手かな?と考えている。

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12/6~12/12の週の検索ワードピックアップ

★理科支援員
 教員免許不要で授業の補助を行う人らしい。自分達が子供の時代には存在しないが、最近は居るそうだ。話題の事業仕分けで存続の検討対象となっている様子。個人的には不要だと思う。本来、小学校教師は体育、音楽以外は担任が全教科を受け持っていたような気がする。そういう段階では、支援員という制度を導入する事は如何なモノだろうか?そもそも、実験や研究の方法を紹介するのでなく、実験や研究に結び付く疑問点を日常から見つけて遊ぶという次元が、小学生向きだと言える。
 小学生に何期待するの?見つけてやったモノで実験を紹介するのでなく、何に気付くか?で人間性の違いから子供の可能性を見つけてやるのが小学校教師の役割の筈だ。

★急坂
 最近はgoogleのストリートビューで見る事ができる。記事で紹介したのは、広島市東区牛田東2丁目の坂だ。2丁目の7番地、8番地、9番地の境目を起点とした坂。この坂道の両サイドには家が無いので番地の何号か?が指定できないけど、この場所をストリートビューで見ると強烈なのが判るだろう。
 カシミール3Dで見ても最大斜度30%を越える箇所がある。兎に角強烈なんで、脚自慢はチャレンジしてみると面白いかも知れない。

★超硬合金(タングステンカーバイド)
 このキーワードで、コバルトレスとか、バインダーレスを調べる人が複数居るので、簡単に解説。
 一般に超硬合金はWC(タングステンカーバイド)をバインダー相で結合させたもの。バインダー相には二種類ある。一つはコバルトを含んだもので磁性超硬合金と呼ばれる。含有率は0.1~20%程度迄様々である。もう一つがコバルトを含まずにニッケルを吹くんだもの。これは非磁性超硬合金と呼ばれている。含有率は同じ様なモノ。
 超硬合金と呼ばれるからには、絶対にコバルトかニッケルを含んでいる。これは間違い無いこと。世間的に言われるバインダーレス超硬合金というのは、含んでいないというのは慣用的な言い回しで、1%以下の極少量を含んでいるけど、量が少ないから、含有する事の欠点が顕著にならないという言い回しである。だから、含んでいないというよりも、欠点が顕著になる程には含んでいないという事。
 ところで、WCはバインダーを全く含まなくても一応は焼結できる。WCの融点の70%程度迄昇温すれば焼結可能だ。但し、バインダーを含んだ時ほどに低温で高速には焼結できない。つまり、短時間に緻密な材料が得られないから誰もやらない。そして、仮に作る事が出来ても、バインダーが無いために非常に脆く割れやすい為に、やっぱり作らないのだ。

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伝聞君には、、、

 近いところに、私の考えとか記事とか意見とかを、一生懸命第三者に話す人が居る。
 それ自体、あんまりよい気分はしないのだが、まぁ、公共のネットにブログで記事の公開しているので、それは仕方ないと思うのだが、それでも、それを一生懸命人に伝えようとするのは、チョット気になるところがある。全く、気にならないと言うと、嘘になる。

 別に、嘘を書いているつもりは無いけど、伝聞を『○○だそうだ!』と第三者に伝える時、自分が他人に伝えるのと、他人の意見を第三者に伝聞で伝えるのは、最後の聞き手から見ると同じように感じるとは限らないのである。それは、言葉の真意を何処まで理解しているか?が違うからだ。下手すると、誤った内容を伝えかねないのである。伝えてが内容を理解するレベル次第で、言葉は変質するものである。まぁ、伝言ゲームみたいなものなのだ。
 特に頻繁だと、同じジャンルの話を次から次へと伝えたがる場合、話の引用元の違い、伝え手の情報源の違いから、整合性の取れない伝え方を気付かないままにしかねない場合もあるのだ。

 一番、困るのは、そういう伝聞で○○さんが、こう言った!という内容で、内容がトンチンカンとなっていたときに、聞き手が○○さんって変な事言うね!って意味不明な誤解を持たれるのが見えない相手とは言え、不愉快なのである。

 ならば、何も話さないと良いといっても、そうは行かないのが世の常、、、、

 で、最近思ったのは、伝えるな!と言っても、伝えるような人は居る訳で、熱心な読者で、意見を第三者に伝えそうな人には、その内容の真意が的確に伝わるように、記事や意見の生まれる背景とか考え方とか、本当の意味を理解させる事が必要だという考えだ。

 そう、自分の意見を人に伝聞として伝えるのは良しとして、伝えるならば真意を的確に伝えるべきという事が最後の聞き手にとっても幸せか?(勿論、誤解を招かないためという保身的意味合いもあるが、、、)と考え、一から十まで考え方を徹底的に仕込む事にしたのである。
 これは、趣味の話に限らず、育児とか仕事とか、色んな話を伝えたがる人には、そのような全ての事を意見を第三者に正しく伝えられるようなバックボーンを植え付けるべしという判断に基づくもの。

 伝聞君には、言葉の意味や言葉の生まれた背景もしっかり理解して貰わないといけない。まぁ、自分の知らない世界での話ならいざ知らず、自分の知っている世界では、少なくとも、そうなる。ホンネを言えば、聞いた話、見た話ばかりをするって言うのは、如何なモノか?と思うし、そういう会話は少なくとも自分はしない。人の話をして楽しいか?というのが正直な感想。

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2009年12月12日 (土)

22時の魔女、励みになります。

 表題の番組は、チョイ前迄は結構見ていたけど、最近は程々だ。
 でも、この番組がこれ程続くのを見て思う事がある。この番組が続くのは、出演者が居るからだが。どんな人を出演させているか?というと、これは、99%が年齢の割に驚く程若さを保っているという事。40代に見える70歳とか、20代に見える40歳、50歳というのがそれだ。

 それが半年以上も続いているのは、相当な人が世間的な常識から見て驚かれるべき存在ということなんだが、裏を返せば、年齢詐称でも無い限りは、誰でも、出演者の状況が手に入るということでもある。

 つまり、70歳になってもパワフルさを保つっていうのは、強ち不可能では無いという事だ。個体としての限界に挑むという訳ではないし、今まで出来なかった事が出来るようになりたいなんては思わないが、少なくとも、今まで出来ていた事は、出来なくなりたくないという願いは、もう暫くは無謀な願いとは言えない感じだ。

 人間としての能力というと、体力、持久力、柔軟性、記憶力、理解力等々の○○力という 部分だが、その○○力は、個体が完成した二十歳前後がピークである。そのピークを如何に保つか?何時まで保てるか?を考えると、この番組が存在するだけで、励みになるのは確かだ。

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日々の過ごし方の訳

 先日、お客様からコメントを頂いた。
 それは、限界に挑むような感じですね?って感想だが、限界という言葉の捉え方次第だけど、或る意味、言い得て妙な感じだ。

 単車、自転車、水泳、、、、この辺りが成人前に主に取り組んできた競技だが、これが今の趣味の土台になっているのは事実であり、その趣味での状態が心の満足度に直結していると言って過言ではない。

 で、どういう状態を以て満足しているかどうか?は、趣味に接する事で得た感覚が当時と同質かどうか?次第である。
 つまり、限界に挑むというよりも、過去の成長期の取り組みで到達したピークに、どこまで近付けるか?低下を如何に防げるか?というもので、いわば、老化への抵抗みたいなものである。

 そう、一言で言って、得た能力を失う事の恐さ、それに対する抵抗、、、、更に言えば、老化、老衰、死への抵抗みたいなものだ。

 その抵抗は、限界への挑戦といっても、出来なかった能力レベルを目指すのでなく、やっていた事を今も出来る状態を維持するというレベルであり、実は案外大したことではないのだ。

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2009年12月11日 (金)

ライト周りのメンテナンス

 未だ、シルクR2フレームは仕上がってこないけど、着々と部品は揃っている。重要部品が揃うと、どうでも良い部品に手が回る。

 で、今はヘッドライト周りのセットアップだ。基本、今の時代はLEDライトが普及しており現代の自転車には違和感なく付ける事が出来る。それ故に、殆どがCAT-EYEのLEDライトを使っている。オ・モイヨWW、西DAHON、ラングスター、ステンレスロードがCAT-EYEのLEDライト、そしてルイガノMVFがBSのLEDライトである。

 でも、チョット風合いの古い自転車はそうでない。古いといっても一番新しめ?なのがBSのテーラーメイドフレームをベースに作ったTT風味のロードバイクだが、これはパナソニックのLEDメタルライトをマウンタに付けている。まぁ、選んだProfileDesignのDHバーが普通のCAT-EYEのLEDライトを付けづらくしているからというのもあるけど、棒状の単三電池二本駆動でフォーカスフリータイプのLEDライトだ。そして、シルクのR1ピストもLEDメタルライトである。これは、兎に角、小さくということで、CR123電池による小型のモノを選んでいる。

 そして、完全レトロデザインなのが、小林ファーストライディングモデルとシルクR2ベースのスポルティーフだ。この二車には、最新のプラスチッキーなLEDライトは似合わないし、LEDメタルライトもマウントが樹脂とかラバーになるから今一である。

 で、選んだのが自分が中学時代から愛用していたナショナルのタンケンライトだ。これは、凹みがあるけど完動品だ。そして、タンケンライトは昨年、ニシダサイクルさんから貰ったBSのタンケンライトもある。BSのタンケンライトは、残念ながらレンズとリムの間のプラスチック部品が劣化破損して半分くらい欠損しており思いっきり浸水する仕様なのだ。

 このBSのタンケンライトを頂く際に、一緒に頂いたのがヤジロベー+クランプなんだが、このクランプとヤジロベーに自分のナショナルのタンケンライト、それにLED電球を組み合わせて小林ファーストライディングに付けているのだが、シルクのR2はチェリーのセンタープルキャリパーにVIVAのセンタープル用キャリアを使う予定なのだ。このセンタープルキャリアにはライト取り付け用ダボが溶接してあり、これにやはりタンケンライトを使うのが正解。
 ということで、頂いて保管しておいたBSのタンケンライトの修理を行う事とした。修理はレンズとレンズリムの間のプラスチック部品をどうするか?ということ。取り敢えず、劣化破断して欠損が多いプラスチック部品を外す。すると、レンズとリムの間には1.5mm程度の隙間が空いてガタガタとなる。
 色々考えて出した結論、、、、それは、グルガンを用いて低温で溶融する樹脂を充填して接合する方法だ。溶融温度は70℃程度だが、実際の仕様で其処まで高温になる事はない。で、半透明の接合棒を溶かして付けてみた。
 すると、イイ感じである。隙間も無いし最低限度の防水機能は確保できていそう、、、、これで、準備完了である。

 自転車のライトっていうのは、自転車の表情を極める重要な部品である。クランク、レバー、サドルも大事だが、このライトやキャリアっていうのも大事なパーツ。この目に付くところを抑えていれば時代の雰囲気が醸し出せるのである。

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記憶の節約

 色んな事を同時に考える。すると、ふと忘れてしまう事も少なくない。しかし、とある事を考えて、その考えの根底、経験となるモノを遠い記憶を遡って考える。そうすると、その記憶の対象となる事実迄、頭の中はタイムスリップする。そして、そのモノをその瞬間にどう考えたか?その時に、残した痕跡が今現在、何処にあるか?その時、周りの反応はどうだったか?という記憶というか、その時の状況が映像的に蘇る。蘇った映像を頼りに、そのモノを探し出したり、その時の考え方を記憶から掘り出したりする事が多い。それで、思うのは、どうにか記憶は保たれているなぁ、、、ってこと。
 勿論、上司、部下、友人、同級生・・・と話して、その内容、自分がどういったか?相手がどういう反応をしたか?そういう部分もほぼ100%忘れていない。

 勿論、記憶容量には限界がある筈だから、覚える端から忘れている部分もあるのだろうが、記憶の形としては、全てを覚えているというよりも、とある切っ掛けから忘れていた記憶というか、その時の自分の気持になって順繰りに出てくるような感じだ。

 果たして、これは記憶なのか?記憶としては一つであり、そこから連想的に想像されるような感じである。自分の記憶をシャープに蘇らせる事が出来る時期を遡って考えると、面白い事に、自己分析して自分の人格が形成されて以降なのだが、仮にそうならば、人格形成、性格形成でそれが確立されているならば、覚えていなくても、その時の状況を脳内に作り出す事で、今考えた事と昔考えた事が同じために、覚えていなくても覚えているような錯覚をするのかな?と考えたりもする。

 そう言えば、暗記というのも字面を暗記するのは苦手であり、映像的な暗記が得意。数学や理科、工学系の科目も公式、法則は正直覚えていないけど、その公式の元となるモデルは記憶しており、そのモデルを展開して公式や法則を誘導することで字面を表す事の方が多い。

 趣味の事、遊びの事、或いは、開発等々の事に関しても、体系的に分けられた科目毎の事実を同時スタートで書き表す何て事をしたらダメダメだろうと思う。でも、趣味でも、遊びでも、或いは、研究、事故処理、業務改善等々で遭遇する事態は、正直、どれも同じ形に見えるし、どの問題も過去に似たモデルで対応したような印象なのだ。それ故に、原点的に考えると、ジャンル毎に得手不得手という感覚は皆無であり、どれも同じ様な印象で、どっかで見た事があるような感覚を得るのである。

 そう考えると、記憶している絶対量は実は極めて少ない過ごし方をしてきたのかな?と思える今日この頃である。記憶の量を競うのでなく、記憶を効率的に行う事で、最小の記憶で最大の再生が出来るのがベストであり、そのためには、物事の様の決まりというか、法則性というか、そういうモノを感じる感覚が最も大事なのかな?と思う事が多い。正直、降りかかる事態を問題と捉える事は稀で、なんかの改造とか、どういう風にしたいとか、そういう気持ちが芽生えたら、次の瞬間には答えが見える事が多い。これも、記憶の広さは少ないけれど、考える対象を他の事例に当て嵌めて考える故にも見える。理解しているレベルは低いかも知れないが、記憶を節約しているのは事実であり、記憶の余白は、同世代より遙かに広い領域が残っているような気がする。

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身の程志向へ

 今の生活で続いている趣味というか関心事というのは、パソコン、カメラ、自転車、単車というところだ。パソコンは?っていうと、触った事があるのは1980年代後半からだが、所有っていうとPC-9821時代から、カメラは?っていうとデジカメが中心だけど2000年代初頭から、自転車といっても今的なスポーツサイクルとしての付き合い方は小学5年生の頃から、単車への憧れは小学生から、、、

 始まりの時期はバラバラだけど、取り敢えずそんな感じ。それらのモノに関心が向く切っ掛けは?というと、多くの人と同様に、友人の影響だったり、時代の流行だったり、最初は好きでもないけど生活上での必要に迫られたり、、、という感じだ。
 そういう段階で、モノを得る、買う、選ぶという段階では、どうか?というと、多くの人と同じように、色々目に入る情報を見て、その段階の、そのレベルの知識に応じて、アレだコレだと選んでいた。

 そういう選び方では、自分自身が素人故に、多くの人と同じようなチョイスとなっている。そのチョイスは、皆と同じ、日本人的な見方、売れ筋方向、人気のあるチョイスだ。勿論、その時点では、素人なりに考えたつもり、アレ出来る、コレ出来る、、、、そんな感じだ。

 パソコンなら、その時代での最速志向、高機能志向、アレ欲しい、コレ欲しいという方向だったし、デジカメでも、高倍率、色んなマニュアル機能、音声付き動画撮影機能、、、、という高機能方向。単車ならどうよ?っていうと、カタログ馬力が一馬力でも上とか、最速志向、人気志向で小学5年生では火の玉Z2にインパクトを受けて、それ系、Z750four、Z750FXを目指し、現実としてはZ400FXという風なマルチエンジンを選んでいた。そんな感じである。それらのチョイスは、その時点での自分の考えで自分で考えて選んだつもりだったのは確かだ。方向性としては、評判が良いとか、雑誌で良く書かれているとか、カタログスペックが素晴らしい、機能が盛り沢山という選び方だった。

 しかし、現実に、その世界で長く過ごしていると、そういうモノから違うモノに関心が移っている。勿論、そういうモノも否定しない。寧ろ、そういう素晴らしい機能が全部使いこなせたらどれ程に素晴らしいか?なんて考える事が多い。しかし、素晴らしい機能が理解出来ず、使いこなせずに、有り難みも感じないのだ。
 となると、判らないモノは必要ないという方向になる。逆に言えば、自分で判る部分のみに拘りを持つという事。勿論、拘りというのは具体像に対する拘りではなく、フィロソフィーでの拘りだ。考え方の指針みたいなモノ。自分の考え方の指針に従って、こういう用途でこういう方向性だったら、どのように遊べるか?を拘るのである。それ故に、特定の何かに拘る事は無い訳で、選択肢としては、色々なのである。何が嫌いという事はなく、何が好きという事も断言出来ないもの。敢えて言えば、そのジャンルでは、こういう使い方をする。こういう使い方をするならコレが良い。コレで、こういう使い方をするためには、こんな機能が必要だ!とか、、、、そんな感じで、モノを特定しないし、使い方も特定していないのが現実である。或る意味、臨機応変に、選んだもので、とある利用法を考えた時に、コレをどうすれば楽しいか?を考えて付き合う感じなのだ。

 そういう選び方で、求める方向性をシャープに限定する程に、必要な機能を限定して選ぶような感じである。っていうか、不必要な機能を削ぎ落とす、使わない機能は選ばない、理解出来ないモノは理解出来ない限り取り入れないという方向になる。
 気が付くと、そういう選び方で、自分の考え方の指針に拘りを持つ程、言い換えれば、目的がハッキリする程に、機能の要不要が明確になり、自分の満足を満たすモノは、世界に入り始めの時では考えれないようなチョイスになっている。それは、デジカメでもパソコンでも、自転車でも単車でも言える事である。

 TPOに応じて、何がしたいか?を考えた時、その解を求める方向性だけは決まっている。しかし、TPOが違い、望む事が異なれば、得られた解の形は全く異なっているのだ。だから、自転車ならばクロモリのロード、アルミの固定シングル、折り畳み、サス付き折り畳みと形は様々だけど、その形に到る考え方の指針は共通だし、単車でもマグナム80、AR125S、ガンマ200、500、或いはAV50、グース、CX改、SV650Sと選んだ形に一貫性は無いように見えても、それに到る考え方の指針に何の迷いも無いのである。カメラでもパソコンでも一緒なのである。

 結局は、何かしたい事が決まれば、それを自分が体感するのに必要なモノに絞り込んでモノを選ぶというスタイルである。必要なモノが多く見えないという身の程があるから、機能を絞り求めるモノが単純化していくのである。判らない事は判らない。知らない事を知っているような錯覚をすればする程に、自分の理解を高めることは難しい。知っている事が少ないと、良いチョイスは行えないけど、試行錯誤を繰り返す事で、選択の精度が高まっていくのは、何よりも、失敗が肥やしになっているのだ。目に見えるモノ、人の評判、雑誌の評判に迷っていた時代から、自分の身の丈に応じて過ごそうという風に変わったのは、自分なりの経験の蓄積故の事であり、選び方がシャープになるというのは、そういう方向で自分の趣味性が明確になったから。明確になるからターゲットが絞れてくる。明確になるには、経験の蓄積が不可欠。経験の蓄積とは、自分自身の試行錯誤、失敗の積み重ねと、満足体験の積み重ねによるもの。失敗というか、後悔というのは、真剣に考えて、得た感想の落胆が大きい程、身にしみる。身にしみた経験こそ、繰り返しやらかさないという抑止力になる。そういう経験が、選択をシャープにするのだが、その選択は体験が大前提であり、その後悔を避けて人の話で、そんな気になるような馬鹿は、いつまで経っても自分の心の声を聞いて満足を得るような事は無いのだろうなと思うのである。

 大事なのは、身の程であり身の丈だ。そして、程度の低さを諦めるのでなく、判らない事を判りたいという意識を保つ事が知識を増やし、程度を高め、身の丈、身の程を高くする事に繋がる。この意識に終わりは無く、理想に近づくための探求活動というのが、上昇志向に繋がるんだろうと言える。

 自分の身の丈を理解して、それを上昇させる気持ちが大事なのである。自分の考えとしては、身の丈志向、身の程志向というのは、実は、上昇志向ということなのである。上達したい、上昇志向というのは、今を見極めて足らないモノを補う努力が不可欠。それを無くして、願いは叶わない。

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2009年12月10日 (木)

血便・血尿

 排泄物中に血が混ざるっていうのは、本来、出ちゃぁいけないところからの出血ということで、結構恐い。
 血便といえば、一昨年に便に血が混ざっているを確認して慌てて検査に出掛けたけど、やっぱり異常なモノに状況は、専門家の診断を受けて早期発見早期治療こそ重要という意識在っての事。その時は異常無しで、その後の異常も無く重大な問題ではなかったのだが、その時の気分としては、便に血が混ざるとどうか?を赤本を始めとして、調べれるモノを調べていくと、悪い状況ばかり考えたりというパラドックスに陥り、結構ドキドキしたものである。
 今となっては冷静に考えられるけど、見た目に赤い血の場合は、大腸、直腸での出血であり、痔、直腸近辺のポリープ、直腸癌が疑われ、黒っぽい血の場合は、凝固が進んでいる証であり、より深部における出血、具体的には胃ガンが疑われるという話を聞いて、マジか?って考えたりもした。
 その後の胃腸科での精密検査、内視鏡やバリウム等々での診断結果は、医師をして『ポリープの一つでも見つけてやろう!』と思わせる程に全く異常の無い綺麗な状態だから問題無いという結果であり、その時は、痔とは言わないまでも、一時的な外傷の痕跡が原因であろうとの話だった。

 因みに、健康に対する意識や、具体的な疾病症状に対する関心というのは、冷静に見れる瞬間は、自分の問題ではない時だ。具体的には、周りでの話の時に限られるもの。自分の身の回りに起こった話の場合、冷静に考える事は、なかなか出来ないモノである。

 次には、血便のように排泄物に血が混ざる症状としては、血尿っていうのも存在する。血尿はどうよ?っていうと、良性反復性血尿、特発性腎出血、腎がん、尿管がん、膀胱がん、前立腺がんというのが疑われるそうだが、日本人の死因の1/4が癌という現実を踏まえれば、解釈的に素人で良性だろうと判断せずに、泌尿器科での健診を受診する方が望ましい。仮に血尿が出ても、良性と診断されれば心配は無い訳であり、安心を手に入れるためにでも健診を受けるべきだ。因みに、良性反復性血尿は遺伝性のモノが多く、家族にそういう症状が無いならば、逆に、それ以外の可能性を疑って掛かるべきとも言える。

 健康診断というのは、半年、一年毎の定期的な検査であり、異常の発生は長くても健康診断の間で生まれた変化であり、そこで疑われるモノを徹底的に調べるということは、どんな異常であっても手遅れでは無い状況と言える訳であり、そういう意味では、僅かな異常に対する受診者の心構えこそが健康維持に大きく影響するものだ。

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ミドルVツイン

 11月以降は週末の昼下がり以降は、SV650SとCX改に乗って峠中心で走り回っている。
 峠は?というと、センターラインがあるか、或いは無いかという道で、速度は乗せる事は出来ない峠だ。せいぜいサードのパワーバンドの手前という速度域、セコ中心の峠である。セコ~サード、パワーバンドというかトルクバンドの範囲で遊ぶ感じの峠だが、実に楽しい。これがガンマだとパワーバンドが狭すぎて、選ぶギアが低くなりローとセコになるとシフトショックの多さ等々で楽しくない。よりハイパワーなバイクだと、ロー固定とか、ギクシャク感一杯となる。実際には、250ccクラスが具合が良いのだろうけど、それでは物足りない部分も少なくない。

 そんな場所で走るミドルツイン、車重は軽くないし、車体もCXでは小さくない。重量も乾燥重量で170~220kgだが、エンジンの特性が重量への意識を消し去ってくれる。重量を消して、トラクションも程良い感じ。これがミドルツインの最大の美点だ。パワーだけだとパラレルツインも悪くないのだが、通い慣れた峠は、過去を遡ると、ツインではGSX400E、CB400D、Z250FT、GPZ400Sでも頻繁に通った峠だ。そんなツインのバイクは漏れなくステップをする。マフラーに穴が空く状態で、案外、攻めにくい記憶がある。

 当時、単車選びの時は、如何にステップを擦らないか?が大きなテーマであり、ステップのアップ化、センタースタンド取り外しに勤しんでいた。それでもマフラーに穴が開くのがどうにもならないという印象であり、単車選びの大きな要素は、パワーでも何でもなく、ステップを擦らないで走れるか?というものだった。

 その後、単車は2ストか、V型エンジンかというのが好みになっていった大きな要因なのだ。実際、当時、XZ400に乗り換えてからはステップこそ擦っても他は擦らないというのが大きな印象となっている。そして、今、SVとかCXで同じ場所を走る。SVではステップをする事なんてまず無い。CXでは相当に高い速度域で車体が沈み込んだ時に路面のギャップで揺れた時とか、限られた時でしか擦った事がない。まぁ、CXの場合は、大改造に近い変更によって足回り全体で車高が高めになっているというのもある。

 単車選びで大きなポイント、それは、ミドルVツインに集約される。ポイントは二つだ。

1.常用速度域でセコ、サード中心にトラクションを掛けてのシフト操作が楽しめる。

2.深いバンク角で安心して車体を寝かし込んで旋回動作を楽しめる。

 この二つを持つバイクこそが、自分の出した答えだ。しかし、同じ答えを出すライダーはとても少ないようだ。実際、こんな趣味は少数派であり、少数派故にメーカーからリリースされる事も極稀、、、、、チョット寂しい。乗り換えるバイクが見つからない。

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2009年12月 9日 (水)

ズバリ、速くなるには?

 何か知らないけど、アクセス解析していると『速くなるには?』で検索する人が凄く多い。

 自転車で?単車で?で言えるのは、

 答えから言うと、ズバリ、一人で走る。先頭を走る。そういう事に完結する。

 自転車で速く?っていうと、自転車をロードバイクとするならば(BMX、MTB、BTRでないという意味)、速さとは身体能力で殆ど決まる。身体能力とは、筋力、筋持久力、心肺機能といった要素だろう。純粋に鍛えるとなると、それに特化した事をすればよいけど、それでは、自転車に乗るという部分から懸け離れてくるから、一般的に、自転車に乗って速くなるとういうならば、乗る機会において、身体能力が鍛えられる状況を逃さない事だろう。

 つまり、、、、、一人で走る。先頭で走るということに尽きると思う。

 人の後を走ると、折角、走る事で受ける負荷を受けずに走れてしまう。つまり、時間を割いて走っているのに負荷が掛からないということは、身体を鍛える機会を失っていると言う事。人の後を走る事=自分の能力向上の機会を自分で潰しているようなモノなのだ。

 単車で速く?っていうと、単車をスポーツバイクとするならば、速さとは状況判断の速さと読みの深さで殆ど決まる。状況判断を的確かつ素早くするには、予測するに必要な情報の収集力である。如何に、走りながら周りの状況を収集して予測を立てるか?予測の精度は、情報収集力の差が大きな割合を占める。その差が安全にも繋がる。機械任せ、人任せにするほど、自分の情報収集力が無くなるのだ。つまり、乗る機会においては、どれ程沢山の情報を仕入れる事が出来るか?が重要なのである。

 やっぱり、、、、一人で走る。先頭で走るということになるのだ。

 人の後を走ると、折角、考えながら走らなければならない所を、人の行う行為を無意識にトレースする事で自然と同じ速度で走れてしまうのである。そう、何をどのタイミングで、どうする?って判断を行っていないし、判断に必要な情報収集も視線が前走車のテールランプに釘付け故に行われていないのだ。やっぱり、人の後を入る事=自分で情報収集と判断行動の機会を失っているのだ。

 だから、人の後を走りたがる奴は、単車でも自転車でも、他人を基準にしないと自分の位置が解らない奴なんである。そういう奴は、誰に付いて行けたとかで判断する。それでしか判断出来なかったりする。そんな奴は、結局、自分で考えれない訳で、何時まで経っても何も変わらない奴なんだろうと断言できる。

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科学と学習、廃刊、、、、

 先日、大人の科学でカメラを買って喜んでいたのだが、子供向けの『科学と学習』が廃刊にんるという、、、、寂しいじゃないか、、、、、

 『科学と学習』というと、小学校に販売に来ていたような記憶がある。月に一度の販売で、学校から持って帰って家で遊ぶというパターンだったんだが、娘に買い与える為に調達するのは大手書店でという形態で、販売方法が変わったんだなぁと思っていたけど、その理由は、小学生にとってのディフェクトスタンダードというモノから一部の人向けに変わったのが理由みたい。発刊数が最高で680万部以上だったのが近年では1/10程度というのは、小学生にとって常識的な存在で無くなったためで、それ故に、学校での販売も行われなくなったのだろう。

 因みに、『大人の科学』を買う層は、オッサンで、『科学と学習』が沢山売れていた時代の小学生。そして、『科学と学習』が休刊になっても、『大人の科学』は続くという、、、

 結局、当時の小学生、今のオッサンが『○○の科学』ってシリーズに関心があるということなのだろうか?

 それにしても、この話にしても、80年代の音楽を再収録したCDとか、懐古系ドラマ、映画、5年前のアラフォーって言葉、ここ最近の80年代ブームというのは、全部、1960年代生まれの世代をターゲットにしているような感じだ。実際、レプリカブームを牽引したのもそうだし、現代のオッサンチャリブームの牽引もしかりだ。
 気のせいかも知れないが、1960年生まれ前後世代というのが、日本の市場というか需要というか、発展というか、教育というか、そういうモノの拡大成長路線を牽引してきた最終世代ということなのかもしれない。この世代迄の志向が、当時の高度経済成長~バブル迄のイケイケムードを作り出し、その行き過ぎが反動として節約志向、ゆとり教育等々に振れて現代に続いているような気もする。

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2009年12月 8日 (火)

Windows Xp にSP3適用でc000021a Fatal Error が出たら、、、、

 表題の如く、Windows Xp SP2にSP3を充てたらc000021aのエラーと共に起動不可能となった。セーフモードも何もかも起動不能、、、、

 経緯は、Windows Xp SP2のマシンのサポート期限が迫るということで、SP3にアップグレードしよういうのが発端。Windows Updateでアップデート作業を進める、、、、順調に進む、、、、、最後に再起動を促すダイヤログ、、、そこでOKをリターン!

 で再起動すると、、、

 BIOSの起動画面、Windowsの起動画面と来て、画面がフラッシュ、、、、、デスクトップの背景画面+マウスカーソル表示迄済んで、、、、そして突然画面が真っ黒、、、、再度、再起動の繰り返し、、、

 で、次はBIOSの起動画面からWindows起動画面に切り替わる直前にF8キーを押して、起動環境を選ぶ。

 最初は前回正常起動時の環境を選択、、、、、しかしアウト、、、、、次、セーフモードを選択、、、、、しかし、これもアウト、、、、、、、、、、、

 つまり、HDDからの起動は不可能ということ、、、、、結局、SP3を充てた事が失敗の元、つまりSP3を適用除外するか、SP3の起動問題を解決しなければならない。何にしろ、起動しての作業が必要ということ。

 ならば、起動ディスクから起動するしかないのだ。Windows9Xなら起動ディスクから起動してHDD内部ファイルの編集、編成変更で対処出来た、、、、NT系も多分同じだろう、、、、

 そこで、Windows Xp SP2のCD-ROMと使って起動してみる。起動すると、インストールと回復コンソールが選択出来る。

 で、起動画面で回復コンソールを選択する。具体的には『R』キーを押してリターン!

 すると、キーボード等の選択のメッセージと共にコマンドプロンプトで起動した。そこで、Windowsディレクトリーを探索、、、、すると、$NtServicePackUninstall$ってディレクトリーを発見、その下を見ると、SpUninstってディレクトリーを発見、その下を表示すると、SpUninst.txtってファイル、、、、内容を見ると、コマンドの羅列、、、

 これは、最新のサービスパックをアンインストールするためのバッチファイルである。

 そこで、回復コンソールから最後にインストールしたサービスパックをアンインストールする。

 具体的には、回復コンソールでコマンドプロンプトに入ると、

C:\Windows>って表示の筈だ。そこで、

『CD $NtServicePackUninstall$』と入力してリターン

 すると、C:\Windows\$NtServicePackUninstall$>って表示になる。そこで、

『CD Spuninst』と入力してリターン

 すると、C:\Windows\$NtServicePackUninstall$\SpUninst>って表示だ。そこで、

『Batch SpUninst.txt』と入力してリターン

すると、『ファイルが見つかりません』、暫くの沈黙、『一個のファイルをコピーしました』等々のコマンドプロントでの命令後の表示が暫く流れた後に、、、、

C:\Windows\$NtServicePackUninstall$\Spuninst>って表示が出る。

これは、バッチファイルが正常に行われた証なのだ。そこで、

『Exit』と入力してリターン

すると、SP3をインストールする前の環境に戻るのだ。
しかし、これでSP2状態で起動しても、システムのプロパティではSP3のままになっている筈。そこで、コントロールパネルのアプリケーションの追加と削除でSP3を削除する事で作業は完了だ。

しかし、これでは根本的な解決にはならないのだ。SP2でOK、SP3でNGとなる問題は残っている。このままでは永遠にSP3にはならないのである。SP3でエラーが起きるのは、SP3起動段階でのエラー原因が悪い訳だ。

我が家にはPIII系DUALのマシンでXpが入っているのは二台ある。一台は最初からSP3、一台はSP2だ。SP2モデルをSP3へのアップグレードする時にエラーが生まれる。この二台、チップセットは基本的に同じ様なモノ。エラーが起きているのはWinlogon.exeあたりだ。この辺のファイルの入れ換え等を試みるとどうなるか?関心事だ。
色んな情報を検索すると、Intel機とAmd機の違いが再起動無限ループに陥るという話もある。再起動無限ループの原因は、Intelppm.sysが原因とされているが、マイクロソフトの公式見解にそぐわないトラブル例もあるようだ。トラブルの原因としては、他にもgdi32.dll等も疑われているみたいだが、確定的にコレだ!的に解決する報告自体はアップされていなく、多くの人はSP2で我慢している様子である。これから暫くは、原因究明に取り組んでみようと思う。

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ポメラ 新型発売間近!

 物欲は留まるところを知らない。

 夏頃に表題のポメラDM-10が欲しいって事を書いた。価格が20,000円もつれだったので様子見をしていたのだが、ここに来て15,000円前後で入手可能ということで、いよいよ買おうか?と思っていたところ、12/11に新型のDM-20が発売という、、、、、希望小売価格は35,000円弱、市場価格では29,800円ってところが多いようだ。

 大きな違いは、大きな画面ということ。他にも小さな違いはあるけれど、実売価格に倍半分の差を認めるかどうか?が機種選びのポイントだ。

 15,000円のDM-10か?30,000円のDM-20にするか?を悩み中。機能は据え置きで、見やすい画面というのが気になるところ。仮に、機能を増やす方向での新型なら迷わず従来モデルを選ぶのだが、機能はそのままで見やすさという点がポイント高い。

 最近は視力の低下が激しく、見やすい画面は入力に大きなメリットをもたらせてくれると思っているからだ。
 さて、どうするか?しっかり考えたい。

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2009年12月 7日 (月)

イメージ逆転したみたい。

 イメージの変化を感じる今日この頃、、、

 単車の場合は、1970年代から不良、暴走族を経て、ローリング族、レプリカ、峠、レース、そして、その後のアメリカン、SR、ビクスクの頭悪い系のカスタム、ワルぶりオタク系のZ改、カタナ改を経て、今はチョイワルオヤジのオッサンデビュー系重量車~デブ、オタク、、、って感じ。

 自転車の場合は、球技系の運動が出来ないガキンチョの趣味、貧乏くさい交通手段というイメージが長く続いていたけど、今は、スポーティでエコな好印象って感じ。

 そもそも、鈍くさく格好悪い印象は自転車の印象、単車は華やかで恐い印象だったのだが、今や、自転車はスポーティでヘルシー、単車がオタク的な印象が強いようだ。

 これって、時代の価値観の変化故の話だが、、、気が付けば、こうなっていたという驚きを感じるのが偽らざる感想だ。
 でも、時代の価値観がどう変化するか?未来の事は誰も判らない。価値観が変わった時、今、そういう方向に向かっている人のどれだけが今の世界に留まるのだろうか?
 単車では最盛期の1/10程度の販売台数になっている程に大きな変化があったけど、自転車でもどうなるか?判らない。

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女性はどうして乾燥肌?

 冬は空気が乾燥している。嫁は乾燥してくると皮がパックリ割れる箇所も出てきて苦労しているが、これは女性全般の問題らしい。たけしの本当は怖い家庭の医学・・・って番組でも女性の乾燥肌ネタを扱っていたが、女性の乾燥肌の原因は、十代、二十代での清潔な生活、具体的には、洗顔、化粧水、石鹸、、、、で肌のダメージを与えたためみたいな説明だったような、、、、

 そして、回りを見ても、自分を見てもだが、肌が乾燥ってこともない。肌の潤いは多分、女性を上回っているように思うけど、考えてみれば、十代、二十代でのいい加減な洗顔ケアのためだったのかな?と思ったりする。

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単車の醍醐味

 二輪車でも単車と自転車はまるっきり違う。
 最近は僅かな距離でも努めて乗るようにしているのだが、ガレージから出て団地を下る過程でもそう感じる事が多い。

 自転車に乗って爽快!って思うのは、やっぱり或る程度の負荷を与えて漕ぐという状態が必須である。漕ぐという行為で得られる結果に拘わらず、自分なりに漕いだだけで身体が暖まり、精神が高揚し、心地良くなる。自転車の場合は、取り敢えず漕いで走り回ればそれだけで満足感を得て楽しくなるという要素がある。無意識に、何も考えなくても楽しいという感じがある。

 しかし、単車に乗って爽快!っていうのは、乗っているだけでは、そう感じられる事は少ない。単車で爽快とか楽しいとかの感覚を得る状態っていうのは、より限られた瞬間だけのように思う。普通に運転していて楽しいか?というと、必ずしもそうではない。
 単車で楽しい瞬間というのは、積極的な操作を心掛けて実行した時に、イメージ通りに出来た時である。運転操作では、目から入る情報を処理して上手い具合に行おうとする訳だが、上手くできたというのは、情報から思い描く理想通りに出来たということ。入ってくる情報にしっかり対応するということ。瞬間瞬間の思い通り感というのが爽快感というモノに大きな影響を及ぼしている。爽快感=上手く乗れたという実感である。

 発進する。右折、左折、Uターン、、、、色々あるけど、その操作一つに意識を集中し操作を積み重ねる。家から出て最初のコーナーを通過しただけで、イイ感じ!って感覚が得られるのは単車ならではの世界。イイ感じ!って感覚を得るには、見た情報に基づいて、ブリッピングしながらシフトダウンし、それと同時に制動動作を行う。荷重は前に載せながらもハンドルの自由度は奪わない、、、そういうバランスを保ちながら身体を支え、想定する速度で狙ったラインを一発で処理するのに必要なアングルを瞬間的に作り出す。と、同時に、車体の安定を保つべくアクセルワークと四肢で車体の重心を整えながら立ち上がる。どんな速度域、どんな路面、どんな曲率であれ、見た瞬間に状況なりに併せて、実践する走りのイメージを作り上げて、適切に実践する。その実践が思い通りであれば、その瞬間に爽快感が湧き上がる。実際、どんな瞬間でもイイ感じに乗れているな!って思う事は多く、こういう感覚は自転車では感じた事がない。これこそが単車の醍醐味だ。

 自転車の場合、状況を処理して瞬間で対応するという要素は少ない。頑張るほど周りを見ていない場合が少なくない。しかし、単車では逆だ。高度な状況になるほど、周囲から取り入れる情報の精度を高める必要性が高まる。

 筋肉を始めとする身体の使い方は全く異質なもの。自転車の場合は、連続的な筋肉運動が主で、それを持続的に維持するような安定した呼吸の継続という感じだが、単車は違う。筋肉の運動は瞬発的で断続的な運動となる。呼吸も安定したリズムを刻む質とは異なり、大きな変動を伴ったモノとなる。因みに、峠に遊びに出掛けた時、単車を扱っている時に記録する最高心拍数はどのくらいか?っていうと、最高で180bpm程度にはなる事は少なくないのである。筋肉がどうこうよりも、緊張度が高いのである。速度の次元が全く違い、非常に多くの情報を素早く処理し、繊細な動作を過不足なく適切に行うという状況は自転車とは全く異なるものである。
 状況に対する判断を考えると、処理すべき情報量は圧倒的に多く、どんな状況であっても速度的には自転車以上であり、多くの情報を一気に処理して、適切に行動するというのは、予想以上の負荷なのである。

 そんな訳で単車の醍醐味というのは、どんなに自転車に割く趣味時間が増えても色褪せない。自転車に乗る時間が増えるほど、単車の面白さが再認識される。
 不思議なモノである。

 昨日、レースクイーンから転身してフォーミュラレーサーになられた方の特集をやっていた。彼女の運動スケジュールは、基本メニューが水泳3km、自転車100km、筋トレという、、、これって、男性でも続ける事は難しい。
 先日、伊藤真一選手のレース中での心拍数の話がテレビで紹介されていた。最高で200bpmというレベルになるという。
 メディアで紹介されているのは一部だけど、職業とするモータースポーツの選手の身体の鍛え方は並ではないのだ。

 勿論、そう言う事が絶対必要か?というと、競技者でない限りは必要でないかもしれないが、競技者が垣間見る世界に踏み込む時には、やはり必要性があるから皆鍛える訳だ。趣味の世界のライダーであっても、そういう世界に入るには、そのための資質が必要な事を知っている人は少なくない。そういう世界を見たいがために、そういう資質に拘る人も少なくないのも事実。ただ、そういう世界は、資質無しでは見れないのも事実。そういう世界を知らない人が最近は多くなったのかな?というのが、スポーツバイクのユーザーの数とスタイルを見ての最近の感想だ。

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2009年12月 6日 (日)

新型インフルエンザワクチン

 今日、二歳の長男に新型インフルエンザのワクチン予防接種を受けさせた。
 予定は明日午前中だったんだが、今日の夕方、小児科の前で偶然、看護婦さんと会ったのだが、小児科の土曜午後の予約者ワクチン接種が終わったタイミングだったため、『明日の予定を今は可能?』って聞くと、『OK!』の返事で、急遽繰上接種したのである。

 これで、取り敢えず下の子には予防接種一回目完了となった。二回目は1/17頃なんだそうだが、次は小学一年の娘だ。その予約も併せて済ませた。

 ただ、娘の小学校では既に200人以上がインフルエンザ感染となった模様、娘のクラスで言えば、娘以外全員が感染したらしいが、未だ元気で不思議な気分。 果たして、感染していないのか?感染しても発症しなかったのか?は不明だが、どうせ感染発症するならば、年末の押し迫り過ぎない時期の方が望ましいと思ったりする。

 因みに、二歳の息子は生まれて今まで病気で病院に行った事は無い。風邪もひかない。健康診断と外傷のみ。実は我が家は夜間診療病院に行った事は皆無なのだ。

 果たして、元気なのか?鈍感なのか?よくわからないけど、、、まぁ、自分自身も物心ついて以降、風邪引いたとか、熱が出たとかの記憶はない。風邪引いたら水泳!って事は記憶があるけど、病気には縁遠い。遺伝的に皆元気なんなら良いけど、そうではないだろうなぁ、、、

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クリンチャーの寿命、短いなぁ、、、、、

 本日、ラングスターで走行後、ニシダサイクルさんに寄った。
 雑談している時に、パンク修理のお客さん、、、、それで、何気なくタイヤを見る、、、、空気抜けてるジャン、、、、

 タイヤを外して確認する、、、、、朝の出走時には120psiで確認して異常無かったのだが、トレッドゴムが剥離している、、、、下のカーカスが見えてる状態。剥離したゴムの厚みは0.1mm程度のフィルム上、、、、凄い摩耗だし、トレッドゴムとカーカスが剥離しているなんて、、、、そしてチューブを見ると、、、、タイヤとチューブが熱で接合されたような状態、それで、その部分に穴、、、、

 このタイヤ、半年前に換えたばかりなんだが、半年でアウトのようだ。それで、前輪のタイヤチューブを交換して、さて帰ろうか?と思ってみると、後輪も微妙にエアが下がっているような、、、、

 で、開けてみると、前輪と同じ症状。トレッドの相当の部位でカーカスベルトとトレッドゴムが剥離して何時破れても不思議でない状況。同じく、チューブも結構なダメージを受けている。熱にやられるみたい。

 結局、前後輪のタイヤ、チューブを全交換である。因みに、愛用のタイヤはIRCタイヤだ。外国産のタイヤは嫌い。しかし、タイヤの消費量が激しく多い。何だか、いつも交換しているような感じだ。1000~1300km程度でアウトの様子。空気圧管理は完璧なんだが、1000km寿命っていうのはどうなんだろう?

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11/29~12/5の週の検索ワードピックアップ

★ダンベルとバーベル
 ダンベルとバーベルの重量は同じ人間が行うとして、目方に差があるか?というと、バーベルの方が大きな重さが動かせる。バーベルとダンベルで同じ動きというと、ベンチプレスがある。バーベルとダンベルの違いは?っていうと左右が繋がっているかどうかが大きな違いであり、バーベルの場合は、重さを左右で支える。重さを支えるのは上方向が主体となるけど、ダンベルは片手で別々に持ち上げる。重さの支えは上方向のみでなく、前後左右のバランスを片手でとっている。つまり、筋肉を色んな方向で細かく動かしながら支えている。
 結果として、バーベルの方が目方的に大きな数値を上げる事が出来る。
 自分の場合はどうか?というと、ダンベルの場合で片側25kgずつ、合計50kgを続けて行える回数から判定すると、バーベルなら80kgくらいだろうか?ダンベルで30kgずつ、合計60kgでバーベルで100kgくらいだ。ダンベル重量×1.5=バーベル重量という感じだ。

★スポルティーフ
 まず、ポジションフィッティングサービスで、ロードもピストも殆ど同じを推奨する見方では、スポルティーフを定義することは出来ないだろう。基本は同じでもロードに特化させるポジションと、それに最適なスケルトンを定義できるレベルで初めて、本物のスポルティーフを定義できるだろう。スポルティーフを泥よけ付きロードレーサーと捉えるレベルでは、本物には為り得ない。装備を付けるだけの変更はナンセンスだ。
 スポルティーフの使い方、使われ方、発祥から歴史を知り、その用途に特化させる時に必要な機能、その機能を発揮する場面に最適な構成を定義できて初めて本物を考える素地となる。その素地を具体化させるには、その使い方で、最適な特性を得るには何をどうすべき?とい事が判らないと現代は稀な存在のスポルティーフを作る事は困難。
 スポルティーフは綺麗な舗装路面を軽快に走る自転車と言われているが、それだけでは不十分。それなら何でも使えるからだ。そういう路面でどういう風に走るべきか?が大事では無いだろうか?
 自分のイメージではブルベのような使い方だと考えている。ブルベでどう使うか?を考える事が自分のスポルティーフ具体化の第一歩となっている。

★ミドルツイン
 ミドルツインを選ぶ理由は、公道で楽しむため。楽しいとは、ギアでいうと2速~の領域をパワーバンド近辺で遊ぶこと。一般行動の変速を頻繁に行うスチュエーションでローギアが必要なモノは公道では遊べない。理由は、ローは離れすぎでシフトショックが大きすぎる。パワーバンド近辺ではギグシャクする。等々の理由からローを発進以外で使うモノは除外。
 現実の速度域がエンジンの美味しい領域に一致するのは、2速パワーバンド~4速パワーバンドが、公道での限界速度域に一致するモノ。
 2ストなら最大で500ccが限界か?三桁前半の速度域が2速~3速だ。4ストならどうか?最大で650ccクラスのツインだろう。マルチの600ccクラスとなるとロー~2速、それ以上ならローギアオンリー、或いは、高いギアでパワーバンドの半分以下の回転数での使用に制限される。
 そういう意味で公道で遊んだ時にアクセル開度80%以上が使えるのは?と言い換えると上限がミドルツインとなるのが自分の走り方。因みに、公道といっても何処を選ぶかで?好みのクラスは違う。自分の場合は、つづら折れの山間部の山道。出しても三桁前半迄しか無理的な道。ミニバイクコース~カートコースレベルで勾配の激しい道だ。サーキットレベルの道、、、、そういう場所は交通量も多く、速度域の高まりに伴うリスクのアップを考えると限界を楽しむ世界から切り離しているからだ。高速道路等々は眼中に無い。アクセル開けると根性があればそれなりの速度が出るというのは関心が持てない。

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フレームオーダーに向けて、、、、

 将来、自転車のフレームをオーダーしたいと考えている。
 オーダーするからには、吊るしで手に入るモノとは違う、オリエンテッドなモノにしたいし、そうしなければオーダーの意味は無いとも考えている。オーダーというと、工作のオーダー、スケルトンのオーダーがある。優先順位は注文主の考え次第だ。オーダーの良さは発注者の意思が繁栄したモノが得られると言う事だが、或る意味、リスクも抱えるモノである。リスクとは何か?というと、オリエンテッドな要求が、致命的な過ちの場合も考えられるからだ。高い金払ってゴミを作りかねないというのである。
 それ故に、オーダーとは非常に難易度の高い話になるのだ。

 自転車の良さは、他の車両と違えて乗り手に併せて仕立てる事が出来るということ。下手がピッタリというのが最良の自転車ということ。自転車の性能とは、仕立て次第といってよい。仕立てのレベルを考えると、一番良いのは、特定の個人に合わせた仕立て、次はどうか?というと、乗り手の属する人種を想定した既製品、最後は、世界市場をターゲットに万人に向けた製品ということになる。

 そう、順位を付けると、

1.フルオーダー
2.セミオーダー
3.日本人なら国産マスプロメーカーの国産品
4.世界市場をターゲットとした輸入品

 ということになる。勿論、極一般的なポジションフィッティングで不都合の無い状態は作る事が出来るのも事実だが、用途に特化した特徴を前面に出して本質の部分でメリットを浮き上がらせる事が出来るか?というのとは別問題である。

 そういう一品を得るには、特性を表す要素の指定を間違い無く行える知識が必要ということになる。注文主の実態に合わせると、どうするべきか?を注文主自体が理解して加減を指定する事が必要なのである。
 それ故に、スケルトンフルオーダーで特徴を与えるっていうのは、非常に難易度の高い作業である。しかし、それは望まなければ身に付かない知識でもある。望んで、考えて、知識の破片で納得する。これを繰り返す事で、考えを体系的に組み上げていく事が大事なのだ。

 だから、オーダーフレームを欲している今、そういう作業を行っているのである。フレームのスケルトンが何を意味するか?それがどう影響するか?その数値がどのように感覚として伝わってくるか?それを求めているのである。
 未だ道半ばだが、少しずつ解ってきた部分がある。その解ってきた部分に着目して実際に載って感じる。そして考えが如何ほどか?を体験して経験に置き換えている。この作業が楽しいのである。

 全ては、目的を叶えるという妄想が起点だ。妄想を論理に置き換える作業、これが非常に時間が掛かるのだが、それが一番楽しい時でもある。

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2009年12月 5日 (土)

トイカメラ

 物欲は留まるところを知らない。

 先日、大人の科学で二眼レフカメラを作ってみた。結構面白い。十分満足できるのだが、収集癖を持つ自分としては、コレ系ってどうなの?って関心が沸き上がる。

 この二眼レフカメラの良さっていうのは何か?って考えてみる。素人考えで思い付くのは、二つだ。

 一つ目は、在り来たりだけど首からぶら下げてウエストハイトからの視点での撮影だろう。ファインダーというかビュースクリーンを見て撮影するのは、往年のカシオのデジカメQV-10のような雰囲気だが、そういう撮影スタイルの違いが受けているのだろう。

 二つ目は、使うフィルムの大きさから得られる解像感かな?という気がする。勿論、35mm専用の大人の科学の付録では得られないものだろうけど、普通の二眼レフカメラではフィルムサイズの違いからくる雰囲気は多分マニアにとって大事な違いなんだろう。

 自分が二眼レフカメラに惹かれるのは、映像をスクリーンに投影して撮影するというスタイル。先入観としてデジタルカメラのスタイルという印象だが、それが光学式のカメラで普通なんだ!という、改めての感想故のものだ。
 本当のコレ系マニアならば、大きなフィルムが絶対だろうけど、現実問題、最も普通の35mmフィルムでさえ一般に入手する事が難しい時代だ。ホームセンターでも置いていない事はしばしばであり、こういうモノを楽しむというか、遊ぶというレベルなら本格的な120mmフィルム仕様では難しい。

 そういう素人の好奇心を満たすレベルというと、35mmフィルムが使えて二眼スタイルというのがベスト。一番安価なのが大人の科学の付録だが、これ系を調べてみると、

・大人の科学10月号付録   35mm二眼レフ  2,500円
・BlackBird,Fly                       35mm二眼レフ   12,000円くらい
・Lomo Lubitel166+                35mm対応可能二眼レフ   35,000円くらい

って感じだ。120mmフィルムとなると、HOLGAの120TLR,12GTLR、更にはシーガルの4A-105,107,4B-1あたりがある。HOLGAのモデルで8,000~9,000円くらい、シーガルでは4B-1が最安で20,000~35,000円、上級になると45,000円くらいまであるようだ。

 オモチャで遊ぶとなると、価格の問題、使えるフィルムの問題から考えると、BlackBird,Flyくらいまでだ。面白ければ、Lubitel166+辺りまで投資するのもやぶさかでない。

 カメラに限らずだが、どうもチープなモノに惹かれる傾向がある。貧乏性だ。
 カメラも時代に拘わらず高機能、多機能がある。しかし、どんな時代の製品でもチープなのが好きだ。意味が見えない高機能に必要性を感じない。使えないからだ。それ故に、必要な機能のみ搭載ってなると、ジャンルにも依るけど、本格的な趣味で無いモノの場合は、チープなモノを選ぶ傾向がある。

 カメラで遊ぶなら、、、フィルムカメラならやっぱり二眼レフのオモチャレベルだし、デジタルカメラなら35万画素の単焦点パンフォーカスカメラが好きだ。カメラという世界では完全素人域故に、どうも関心は旧式かトイカメラばかりになってしまう。

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大人の科学、付録を組み立てた。

 先日、大人の科学って本を買った話を記事にした。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2009/11/post-05ec-1.html

 だ。
 この時は買ったという話。でも、組み立てる時間、読む時間が取れず放置プレイ中だったのだが、火曜日の夜に思い切って付録を組み立ててみた。
 この付録、見ると組立時間は約1時間とのこと。対象年齢は小学生以上ということだが、自分が組み立てるにもやっぱり一時間は掛かるかな?というのが第一印象。

 パッケージは、発泡スチロールの区分けに梱包されている。六枚の板を組み合わせて本体の直方体を作る構造。内部にはフィルムの巻き上げ機構、滅茶苦茶簡単なシャッター機構、前面に取り付けるレンズという構成だ。シャッターはシャッター板をスプリング3本の組み合わせで駆動するモノ。極めて単純な構成で部品はプラスチック部品をタッピングビスで組み立てる構造だ。この手の本格的なレトロカメラはプロ用の大きなフィルムだったような気がするけど、この付録は普通の35mmフィルムを用いる。

 カメラの側板はフィルムの巻き上げ機構を組み付け、前板はシャッター機構を組み付け暗箱を組み付ける。暗箱に対しては鏡でカメラの天板に取り付けるスクリーンに映像を映し出す機構を組み付ける。レンズは撮影用、ファインダー用でレンズフードにレンズを入れて本体にねじ込んで完成だ。

 出来上がりは、、、とてもチープで全てがアナログというか古典的。シャッター速度はスプリングテンションとフリクションで決まったもの。フィルムの巻き上げは、ノブの印を目安に巻き上げるだけ。自動的な送り機構なんぞ何も無し。驚く程シンプル。いわば、現代のデジタルカメラの対極のような存在である。
 しかし、出来上がりはオモチャならではの面白さがある。

 水曜日には早速フィルムを買って帰ってセットしてみる。フィルムのセットも壊れそうなプラスチックボディに慎重にセットする。フィルムのテンションをしっかり与えて蓋をして、フィルム送りがしっかり動くのを確認して準備完了。
 撮影する時は、左右が入れ替わっているのでデジカメとは違う独特な感じ。普通のファインダーカメラのような感じとも違う。上からスクリーンに投影された画像を見てピントを合わせるのだが、この画像もなんともレトロ。そしてシャッターは心許ないシャッター、、、、撮影してから、フィルムを送るのだが一枚分の送りの確認もシンプルそのものだ。

 しかし、このノンビリしたレトロアクションが堪らない。どんな写真になっているのだろうか?と考えるだけで楽しくなる。ネックは、フィルム代金が安くない事。36枚撮りしか入手できなかったけど、それで700円だ。現像代も掛かる。実際、撮りまくるとコストパフォーマンスは最悪だ。現像自体を自宅で行うのは実質困難、、、、現像のみ店で行って、写真にするのはフィルムスキャナーでパソコンで確認するとか、スキャナー読み込み画像を印刷するという感じだろうか?それで写真の雰囲気がどう変わるか?も関心事だ。

 それにしても、この『大人の科学』の付録カメラは面白い。

 こういうのを見ると、二眼レフってどうよ?って関心が湧くのも事実。今、二眼レフというと、シーガル、ロモの二社の製品が入手可能という。何れも120mmフィルムを用いるらしく、直ぐ買ってみよう!って事には繋がらないが、このオモチャで遊んでみて惹かれるモノを感じたら案外買ってみるかもしれない。

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冬季は快調だ。

 朝の最低気温が5℃前後迄下がり、日中の最高気温も15℃程度に留まる今の季節。血圧測定でも解る事だが、収縮期血圧が120mmHg以上、拡張期血圧も65mmHgをキープ出来ている。更に、心拍数も40bpmを下回る事はない。それ故に、妙な睡魔というか、そういう状況に悩まされる事もない。心臓が止まるような不安もない。この位がイイ感じだ。

 夏場は食後の睡魔というか、そういうのに悩まされていたけど、冬場になると睡眠時間が少なくても問題ない。夏より冬の方が具合が良い。

 ところで、その理由は血圧、特に拡張期血圧が低いからだけど、ネットのニュースでは入院患者の27%が高血圧症、16%が糖尿病を持病として患っているそうだ。
 血圧が低い人は、気温が低いと血圧が高めになって調子が良いということは、血圧が高い人は、気温が低いと血圧数値が高くなりすぎて、更に危険度が増すということでもある。

 冬場に人が多く亡くなるのは、気温の差と言われていたり、インフルエンザ等の感染症が大きな原因だろうが、案外、高血圧の人の血圧数値の以上上昇が原因というのも大きな理由かも知れない。心疾患の発生リスクが高まる季節が冬季というのだろう。

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2009年12月 4日 (金)

運動と食事の時間

 今運動を行っている理由は、ダイエットというよりも習慣に近い。習慣化した目的は、持てる機能を活用すること。即ち、使わない生活への適応による機能低下を防ぐということ。認識は違うけど、世間的にいうところとの老化への対策とでもいうべきだろう。

 痩せるというよりも、現時点で持つ運動機能を活用することで身体に機能が必要だと思わせるためだ。使わないと衰えるという認識でなく、使わないと機能を無駄と判断するのが身体の適応性だから、使う事で持っている機能が必要だと思い込ませる作業である。

 それ故に、運動する時に必要なのは何か?っていうと、エネルギー、燃料である。燃料無くしての運動は、脂肪だけらなら良いけど、下手すると筋肉さえ失いかねない。活動している筋肉に十分な燃料を補給するというのが大前提である。

 そう、そういう意味で、自分の行う運動の前には、しっかり食事をとっている。長時間の運動、1時間とか2時間の連続運動の場合は、口の中に氷砂糖が入っている。断食、脱水で身体からモノを絞る考えはなく、機能を活用するために積極的に食っているのである。それ故に、運動=ダイエットとはならず、寧ろ体重が増加傾向という結果になるのだ。

 しかし、夜の運動の後の入浴後は、就寝前にも拘わらず、腹減りまくりである。それで、ついつい食ってしまうのだ。これを思うと、食ったエネルギーの使い道が今一という事で、最近は、運動前、食後というタイミングでタップリとデザートを摂るように心掛けている。

 御陰で、入浴後に激しい食欲に襲われる事もなくなった。食欲とは足らない燃料を満たすための信号だ。そういう事を考えると、無闇な摂取制限は怖くて出来ない。

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ストリートビュー

 Googleのストリートビュー、12/2に広島も対応したようだ。
 ということで、早速、自分の生活圏を見てみた。生活圏というと、住居、実家、勤務先等々だ。一言で言って、よくもまぁ、これ程のデータを集めたもんだと関心するばかりである。これ程の画像のデータを読み込んで表示する訳だから、、、、マシン的にもインフラ的にも相当なリソースを消費するんだろうなぁと思うところ。しかし、全方位をくまなく表示出来る訳であり、どうやって撮影したのだろうか?と想像すると結構楽しい部分もある。

 まぁ、そんな事よりも、これ程詳細に公開する事は如何なものか?とも思える部分もある。人によっては嫌う人も居そうだ。最近は電話帳への記載を見合わせる人も少なくない訳で、プライバシー云々を言う人も居る。個人的には、住まい、道路から見た範囲の様子がネット上で見られる事程度なら問題無いとは思うけど、それさえ嫌う人がいないとも言いきれない。

 

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理科支援員?

 先日、事業仕分けのニュースを見て単純に驚いた事、、、、、

 それは、『理科支援員』の話、、、、、正直、何だそれ?って感想。理科が教えられない奴に教員なんぞを、させる方がおかしな話。そんな制度は不要だろ?っていうのが偽らざる感想だ。少々感心があって調べてみると、理科支援員っていうのは、ここに紹介してある。

http://gakushu.tokyo.jst.go.jp/scot/tokubetsukoshi/index.php

 これだ。昔はこういう制度は無かったけど、正直、無くても問題無かったように思うのだが、、、、

 要は、理科離れを危惧した政府が、理科への関心を高めさせるために観察、実験活動を充実させるために生まれたモノだそうだ。
 確かに、理科は大事である。しかし、観察活動、実験活動を充実させるために、支援員的な活動が必要か?というと賛否があるのだろう。

 別に、理科支援に限らず、企業における指導教育、学校教育に到るまで思うのは、定型的な枠に嵌め込んでトレース能力を高める事ばかりという印象が強い。全ての手順、標準的な視点、見方を教えて、それに順応させる事、トレースさせる事に主眼を老いているようにしか見えないのである。それは、マニュアル化、手順化という企業の活動指針にも通ずるように見えるが、今の考え方は、知識、知識の運用方法の正攻法に如何に則った見方が出来るような人間を作るか?という風にしか見えないのである。

 少なくとも、理科支援員でもテーマが最初にありきで、観察、実験を紹介してってパターンには、ものを見た時に感じる独自性の芽を奪っているように見えるのは気のせいだろうか?

 実は、先日から企業活動において、部下、関連会社の共同研究員に対しての話し方を変えているのだが、その理由は、この理科支援員制度に対する自分の違和感と相通ずる部分がある。

 例えば、何かの修理、問題解決、開発作業が在ったとする。そのような作業には理由がある。理由というか問題の対処を試みるには、問題を切り分けて、対応が問題にどう作用するか?対応が期待に応えるか?を確認して物事を進めていく。その積み重ねというか合わさったものを具体的な行動で確認し、結果を導いていくのだが、当然、行動の中には、要点が複数存在している。要点自体は簡単だが、それが何処に効いているか?を意識しないと何も見えない。
 今までは、その要点の一字一句を説明していたが、その度、殆どの奴が、『わかってます!』『考えてます!』という解答に終始しており、その割りには何にも判っていない事に対して、フラストレーションを感じていたのだ。話す度、説明する度に、判っていると言われては、いざ任せて行わせると何も判っていないという繰り返しは非常に疲れるのであうr。

 そこで、大きな流れの中の小さな要素全ての説明をして判ってますと言われるくらいなら、大きな流れの大きな指示のみを先に与え、そこで何をするか?何処を見るか?を観察してやろうって方針に変更したのだ。そこで、何処を見ているか?を尋ねて、小さな要素が本当に見抜けているか?を調べているのだが、どうやら99%以上は判っていないようなのだ。
 つまり、指示を与えたら、指示自体は簡単であり当人から見れば『判っている』つもりなんだろうが、本当は大きな流れから小さな指示を生み出せるかどうかこそが重要で、出された指示への適応よりも、指示自体を思い付くか?こそが判っているか否かの判定基準であり、当人に判っていない事を知らしめる事こそが教育では?と思うのである。人の説明を聞いて受け入れられた状態を判ったと思わせる事自体が過ちであり、無から問題を見抜いてこそ判ったという事の筈だ。

 話が判りにくいけど、見方や方法を与えて、どう思うか?でなく、どんな見方や方法を生み出すか?こそが大事であり、理科の本質はそこにあると考えれば、やはり、理科支援制度でのやり方は、マニュアルに単に従うだけの人間しか作り得ないように感じるのである。

 支援員制度は否定しないが、今の支援員の支援の仕方はチョット違うような気がする。支援員というよりも、教育現場における教師が、定型に当て嵌めるでなく、見方や着眼能力を身に付けさせる方向で教育に接する方が先のような気がする。
 そもそも、マニュアルに従う、手順を守る、公式に当て嵌める、、、というのは、誰かが決めた事に従うだけであり、自分で何か新しい事をやるっていうのとは別問題。前例があれば出来るけど、前例が無いモノは出来ないというのは、果たして求められているのだろうか?

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単車のメカニズム

 単車で峠を走る。上り坂、下り坂とあるけど、どちらを走るにしても基本は、フロントタイヤに荷重は載っていても、フォークの自由度を奪うような腕の荷重は載せないのが鉄則。つまり、身体は腕で支えない。下半身で支える。下半身で支えながらも、重心位置を何処に持ち込むかを留意しながら身体の重心をコントロールする。つまり、アクションを開始する前の重心位置を身体の重心を動かす事で、新しい重心位置に移行させるような感覚。いってみれば、動きを不安定にしている。不安定な動きを解消するには、車体を安定させる。安定させるのは前輪に載せた荷重を抜く操作が必要。それがトラクション。トラクションを掛けるには、不安定な状態から安定した状態に移行させるための体位の入れ換えとアクセル操作だ。

 そういう事を念頭に入れて、この動きを得るためには、アクションとして何を支配的に行うか?それを考える。そういう操作を行う時には、何が必要か?で見えたモノを取り入れる。そんな感じだ。

 そういう考え方は、動作に留まらず、機構についても考える。速くアクセルを開けるためには、どういう挙動が必要か?その挙動を得るには何が適切か?それを考える。その操作を行う時、操作系の位置関係や作動性は何が大切か?何処を押さえるべきか?それこそが、個人の拘りであり、個人の実践を支えるバックボーンというか機材の要点だったりする。そして、機材やセッティングを作り出す時に、その拘りを最も近道に与えてくれる構成に何を選ぶべきか?が道具選びの第一歩である。

 勿論、道具であるからには、それを使う場面で、どう使う?がイメージできていないと選べないから、そういう理想を描く事も大事なのである。

 因みに、ここで考える事っていうのは、本に載っている事でなく、自分で行う上で感じた事に限定して考えるのが大事。人の話や一般論を欲張りに取り入れようとするほどに、自分の感覚で得たモノの情報が希薄になって、拘るべきモノが与えてくれる信号が感じ取れなくなるからだ。感じたモノを一つずつクリアにする。これが大事なのである。その積み重ねが、多くのモノを見抜く力を養うものであり、それが経験というものなのだ。

 これは、単車に限らない。チャリンコでも同じだ。何処に痛みも感じない乗り方、楽勝の高回転ペダリング、、、、色々あるけど、基本は、同じ考え方が通用する。自分のモデルを創る事。自分のモデルだけを自分で検証する。モデル作りは自由だが、検証に際しては、道理に適った理屈が必要。そういう意味で、子供やバカには出来ない世界があるのは事実。理屈や知識無しに答えを出せる人も稀に存在するが、それは極一握りの天才である。多くの一般人には、感性だけで答えは出せない。まぁ、感性だけで答えが出せる人っていうのは、ジャンルを問わず誰にも真似できない特技を持っているが、何の取り柄もない奴には、感性なんぞ無い訳であり、自分を含めた凡人の多くに必要なのは、やはり、細分化して考えた時に正誤を判定するだけの知識や論理だ。

 何かを進める時、大事なのは、テーマを細分して、その正誤判定を行うに必要な知識だ。そういう考え方が、単車の操作等々に役立つのである。

 持論だが、義務教育を始めとする教育っていうのは、生活における様々なイベントを処理する時の方法論を学ぶためにある。その実践の場は、仕事に限らず、趣味や遊びにも言えるのである。

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2009年12月 3日 (木)

褒め方、叱り方

 我が家は上が娘、下が息子の兄弟だ。
 上が小学校一年生、下は未だ二歳、、、それ故に、叱る頻度は娘の方が多い。下は叱るというか、そういう次元には達していない。

 上は叱ってばかりでは言う事を聞かない。しかし、褒めてどうか?っていうと、世間で言うほど簡単に木に登らない。褒めるといい気になる程度だ。

 しかし、下も二歳で、そろそろ叱るというか、躾ることが大事ということで、躾を厳しく言い聞かせる事を始めたところだが、そうすると、上が変わる。叱っても、褒めても思い通りに動かない癖に、兄弟を躾る、、、叱るように見えると、自分は違うとアピールするためか、予想外にマトモな動きを始める。

 チョット、笑ってしまった。結構、面白い。この辺を使い分ける事も育児のテクニックなのかなぁ?と気が付いたのだが、冷静に考えると、当然といえば当然だ。子供っていうのは、そんな生き物なのである。

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最近、何故か安定してきた>Vista+P6T

 11月の初旬迄は安定動作とは程遠い状態だったWindows Vista+P6Tだが、11/13頃を境に全く不安定な状態が無くなった。

 P6Tは極オーソドックスな構成である。定番のcore i7 920、メモリが12GBが贅沢な仕様だが、他にはPalitのGeforce9600GT 1GB、ピクセラのチューナーカード、後はアナログハイビジョンキャプチャーカードのMonster-Xiという構成。ソフト的にはRamPhantom3とバックアップソフト程度で、相性問題が原因となるような構成ではないのだが、毎日一回?程度は、ブルースクリーン、フリーズという状態になっていた。スクリーンセーバー画面が固着したり、ブルースクリーンになったり、テレビ視聴中にフリーズしたり、、、という症状。対応は強制リセットオンリーだった。

 それで少々諦め加減だったのだが、11/13か14以降、一度も不安定な状況を見せる事はないのである。ハードの設定は全く変えていない。変わったとすると、Windows Vistaの自動アップグレードによる更新のみだ。因みに、マザーのBIOSはRev.0801のモノだが、それは、9/30更新だから関係無いかな?という事。勿論、今はRev.0904だ。この0801以降のモノはメモリーコンパチビリティが向上したとのことで、多少は関係あるかな?と思うのだが、それでも0801を入れた時は、安定度向上に違いが無かったのも事実であり、やはり、安定度が高まったのは11/12、13、14辺りに自動的に行われたWindowsUpdate以降であり、その際の変化がマシンの安定度に影響を与えているのだろう思っている。

 そんな経緯を経て安定動作中故に、購入したままのWindows7への入れ換えもしていない。

 今は、同じくVistaで運用中のVersaPro VJ16MXF1027と同様に極めて安定している。この安定動作の理由は何か?それが気になる。理由がないと挙動の変化は起こらない筈なのだ。一体、安定動作のズバリの理由は何だろうか?

 因みに、他のマシン、Xp運用のCUV4X-D、Evo W6000、GA-6VXD7、2000運用のCUV4X-D、GA-6VTXDはハングなんぞした事は皆無。何れも超安定動作中。
 パソコンは、速さよりも見た目よりもバージョンよりも、何よりも大事なのは安定動作だ。それしかない。

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2009年12月 2日 (水)

アカウント変更か、、、

 自分の使っているメールアドレスだが、大手プロバイダ、会社、CATVプロバイダ等を使い分けている。大手プロバイダのサービスでは、他にもメールの他にもホームページとブログを開設して利用している。

 この中で、掲示板へのスパム投稿は一応自作CGIで防御できているし、ブログへのコメントやTBも取り敢えずは気にならない範囲で対応できている。

 しかし、迷惑なのはメールへのスパム投稿だ。量が凄く激しいのだ。メール受信ではメーラーソフトでの対応とサーバー側の対応がある。メーラーでの対応は使用するPC個別で行う必要があり、根本的な対策にならない。だから、大事なのはサーバー側での受信選別なんだが、これは大手プロバイダーのサービスでは取り敢えず満足の出来るフィルター設定が可能となっている。
 しかし、携帯電話とかCATV局が提供するものは十分な設定が出来ないのだ。

 特に、CATV局で使っているアカウントには非常に激しい量のくだらないメールがやってくる。殆どが、くだらない勧誘メールだ。これをサーバー側で弾いてくれれば良いのだが、どうやら不可能で、下手すると毎日50通ものくだらないメールがやってくる。

 ということで、ついにアカウントを変更することにした。それにしても、何故、アカウントが漏れたか?が非常に不可解。そもそも、送信に使った事は無いアドレスだし、受信専用で、特定のサービスからの連絡を受けるだけのアドレスにも拘わらず、こういう事態に陥ったのである。大手プロバイダのアドレスは頻繁に使っているから判らないではないのだが、頻度の低いアドレスがこれだから困りものだ。
 因みに、CATV局のアドレスは合計3つ使っているが、糞投稿に悩まされるのは一つだけ。他の二つは全く無しだ。

 新しいアカウントも利用する予定だが、使い方をちょっと考えないと二の舞になりそうだ。

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子供も生活習慣病

 月曜日の朝のNHKニュースでの特集の話。
 それは、子供も生活習慣病が結構あるとのこと。放送されていたのは、身長135cm、体重49kgの子供で、中性脂肪が207mg/dl(正常値は170以下)という表示で、肝機能障害の疑いありとの診断。

 なんでも、菓子中心、油っぽいもの中心の食生活が子供の栄養バランスを崩し生活習慣病にしていると言う事。

 以前も、健康、肥満、体力等々をオッサンの老化が原因でなく、生活状態への適応減少だろ?って持論を展開したけど、こんな子供の例を見ると、やっぱり、老化でなく生活習慣への適応現象だろ?って思いが強くなる。

 子供の場合、成長という事で細胞数が激しく増大している時でもあり、代謝数値は非常に大きいものだろうが、それでも過剰栄養は、脂肪の蓄積、それに併せた身体の適応が生じる訳だ。
 一般に基礎代謝が成人前の16~19歳近辺で1600kcalが最大だけど、世代別の基礎代謝+生活代謝という消費分に対して、どれだけ過剰の摂取を行うか?によって、収支不均衡の割合が決まり、その程度に併せた適応現象が場合によっては生活習慣病という形で現れるだけであろう。

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2009年12月 1日 (火)

スポーツ大陸の伊藤選手、カッコイイね。

 スポーツ大陸での特集は、元ホンダのGPライダーで今もSB1000クラスに参戦されている伊藤真一選手だ。伊藤選手は、自分にとって一二を争う程に好きな選手だ。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2009/04/post-643c.html

でも書いた事あるけど、1985年前後の記憶が強く残っている。デビュー前がAR125で峠小僧、同じ頃、菅生TT-F3のチャンピオン、その前は多分、モトクロスにも参戦されていた筈だし、その際のコメントが1985年頃の東京モーターショー開催に併せて発刊される自動車ハンドブックにも写真入りで掲載されていた筈。その時の名前は、真一でなく慎一だったような記憶があるけど、どうだっただろうか?

 何にしろ、その頃からのキレッぷりから大好きなライダーである。昨今の選手、大ちゃん、ノリックという世代は、幼年期からミニバイクという世代であり、レプリカ世代のオヤジの息子世代だが、伊藤選手はモロレプリカ世代であり、単車は高校生からというもの。
 それでいて一線級だから、今をときめくライダーとは毛色が違う存在なのだ。

 当時、若くしてホンダワークスで契約して纏っていたカラーが1989年型NSRで人気を誇ったSEEDカラーだ。伊藤選手の印象は、日本人で平選手に続く2ストロークスペシャリストという印象が強い。伊藤選手+2ストでの印象は、スポーツ大陸では取り上げられなかったけど、筑波か菅生か忘れたけど、菅生だったような気がするが、NSR500で上りストレートでフロントリフトでバクテン、転倒というのが印象的だったし、WGPのホッケンハイムリンクで当時のGP500の最高速度記録を打ち立てられた記憶もある。

 そんな希有な存在のライダーだが、二年前に股関節を砕いて人工関節を組み込んでレースに復帰された様子が放送されていた。番組でのコメントの一言一言に重みがある。速さ、走りに対する思い、拘り、、、、そして、レースに備えて自分の考え、手の内を人には知らせないという部分、、、、そういう話がテレビの中で聞けて、チョット嬉しかった。

 自分のイメージと実際の乖離部分を見定めて、それを補っていく。その方法は自分で考える。そして、そうやって得た考えは、本番迄、決して誰にも明かさない。そういうホンネが大切だ。
 この特集を記事にした理由は、正に最後の部分。物事は自分で考え、自分の理想に自分の実態を近づける。そして得た武器、能力の鍵は、決して他人に明かさないというところだ。

 レースに限らず、趣味でも研究でも何でもだが、最近は、教えて貰って当然、教えてやるのが優しさ、教わるのが当然なんて考える甘チャンが多いけど、だれもホントに掴んだものは教えないのである。教わる事を当然と思う奴は、自分で考える事が出来ない死人のような存在なのだ。辛口だけど、それが本気で生きる人のホンネだろう。それが聞けたのは嬉しいし、そういう部分を感じたから20年来以上好きな選手として見ているのでもある。

 つまり、出来る出来ないを全て自分で考えている。だから、今年43歳になって年齢の限界を囁かれても、人工関節が必要な大怪我から復帰して二度目の転倒では歩行不能になる可能性があると言われても、他人や周囲の声に影響されることなく自分の可能性を信じて強い意志を持ち続けることが出来るのだろう。

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バンド式ウエイトって変?

 随分昔の話だが、ホームセンターの処分品ワゴンにて売価が半値になっているバンド式のウエイトを見つけて買って使っているのだ。
 で、、、、実は、これを用いて通常の運動を行っている。このバンドは片側が1.5kg程とそれほど重たいものではないのだが、巻くとそれなりの負荷になるのだが、これが良い具合である。さすがに日常生活でずっと付けておく訳にはいかないが、せめて運動の最中だけなら誰も見ないし悪くない。そして、このウエイトを付ける事で、チョット身体のパフォーマンスが変わってきた。身体のチョットした動きにウエイト分の慣性というか反動が働くのだが、それ故に無駄な動きは身体の動きを阻害するので、そうしないように心掛ける事で、身体の運びが綺麗になってきたのと、パワーの抜き差し加減が無駄なく行えるようになってきた。なかなかイイ具合で効果を実感している。こういうウエイトを付けて筋トレ等を行う事自体、或る意味、変かも知れないが、、、、取り敢えず、変化は実感している。

 こんな記事を書く切っ掛けは、アイススケートの5輪代表選手の岡崎朋美選手の特集をテレビで見たから。
 岡崎選手は、長い階段を足、腕にバンド式ウエイト、更にウエイト入りジャケットを装備して駆け上がるトレーニングをされている。そんな風景を見て、こういうバンド式ウエイトを使うのは別にアホとちゃうんだな!って思ったから。

 話は脱線するが、この特集では岡崎選手の筋トレの様子も紹介されていたけど、その様子はビックリというか驚愕に値するもの。自身、スロートレーニングってどうよ?って記事を書いた事があるけど、岡崎選手のトレーニング風景もそんな感じ。多分、流行りのスロートレーニングでは得られない何かを掴んでいるから、あういうやり方を取り入れているんだ!と思える。因みに、自分が思って記事にしたのは↓

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2009/07/post-7826.html

 何にしろ、岡崎選手もスロー系とは違う反動系のトレーニングで、あの鍛え上げられた肉体が得られている訳だ。更に、38歳で自己ベストを叩き出す程の向上を見せている。
 岡崎選手のコメントで共感を得たのは、この年齢にして初めて気が付いた事がある。若い頃見えなかった、出来なかった事が見えてくる、出来てくるというコメントだ。年齢で老化云々でなく、年齢で経験、知識を積み重ね見えてくるものがある。そして、それを取り入れて向上出来るという自負というか、、、そういうのは素直に尊敬に値する。

 思ったのは、岡崎選手は自分の行くべき次元に行くために考えて、その理想と現実の乖離を埋めるには?ということで、自分の目で自分の足らない何かを見定めている訳だ。
 そして、それを得るためにメニューを作り実践しているのである。これは、誰かの真似とかでなく、多分、自分の意志で決めていったのだろう。誰彼が何しているから俺も、、、って奴には絶対手に入らないもの、、、それが、結果として年齢の常識を越えた進化に結びついている良い例だと言える。

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体温が変わらない、、、

 インフルエンザ騒動依頼、起床時と夕食後というタイミングで体温を測っている。
 それで、チョット驚いた事がある。それは、体温が殆ど毎日変化しないということ。午前中は低めで35.8℃である。そして、午後になると36.2℃となる。そして、この誤差は0.1℃以内というもの。まるで体温計が壊れているかのような変わらなさである。
 試しに、体温計を換えても結果は同じ。誤差泣く一定なのである。因みに、朝の血圧も変動は少ない。結構安定している。

 気持ち悪いくらいに数値が動かないのである。体温は36.5℃近辺が一番抵抗力の強い身体ということだが、その部分は何処か?っていうと、身体の中心部なんだそうだ。体温は、朝が最も低く、徐々に上がっていくもので、年齢から言うと、代謝の活発な若年程体温が高く、年齢と共に体温は下がっていくものだそうだ。

http://www.terumo-taion.jp/health/temperature/05.html

そんな体温だが、体温は36.5℃近辺が最高の状態で、35.5℃を下回ると低体温となり免疫機能が低下するものだそうだ。癌細胞は35℃で活発に活動するとのこと。逆に、39℃を越えるとガン細胞は死滅するそうだ。

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