伝聞君には、、、
近いところに、私の考えとか記事とか意見とかを、一生懸命第三者に話す人が居る。
それ自体、あんまりよい気分はしないのだが、まぁ、公共のネットにブログで記事の公開しているので、それは仕方ないと思うのだが、それでも、それを一生懸命人に伝えようとするのは、チョット気になるところがある。全く、気にならないと言うと、嘘になる。
別に、嘘を書いているつもりは無いけど、伝聞を『○○だそうだ!』と第三者に伝える時、自分が他人に伝えるのと、他人の意見を第三者に伝聞で伝えるのは、最後の聞き手から見ると同じように感じるとは限らないのである。それは、言葉の真意を何処まで理解しているか?が違うからだ。下手すると、誤った内容を伝えかねないのである。伝えてが内容を理解するレベル次第で、言葉は変質するものである。まぁ、伝言ゲームみたいなものなのだ。
特に頻繁だと、同じジャンルの話を次から次へと伝えたがる場合、話の引用元の違い、伝え手の情報源の違いから、整合性の取れない伝え方を気付かないままにしかねない場合もあるのだ。
一番、困るのは、そういう伝聞で○○さんが、こう言った!という内容で、内容がトンチンカンとなっていたときに、聞き手が○○さんって変な事言うね!って意味不明な誤解を持たれるのが見えない相手とは言え、不愉快なのである。
ならば、何も話さないと良いといっても、そうは行かないのが世の常、、、、
で、最近思ったのは、伝えるな!と言っても、伝えるような人は居る訳で、熱心な読者で、意見を第三者に伝えそうな人には、その内容の真意が的確に伝わるように、記事や意見の生まれる背景とか考え方とか、本当の意味を理解させる事が必要だという考えだ。
そう、自分の意見を人に伝聞として伝えるのは良しとして、伝えるならば真意を的確に伝えるべきという事が最後の聞き手にとっても幸せか?(勿論、誤解を招かないためという保身的意味合いもあるが、、、)と考え、一から十まで考え方を徹底的に仕込む事にしたのである。
これは、趣味の話に限らず、育児とか仕事とか、色んな話を伝えたがる人には、そのような全ての事を意見を第三者に正しく伝えられるようなバックボーンを植え付けるべしという判断に基づくもの。
伝聞君には、言葉の意味や言葉の生まれた背景もしっかり理解して貰わないといけない。まぁ、自分の知らない世界での話ならいざ知らず、自分の知っている世界では、少なくとも、そうなる。ホンネを言えば、聞いた話、見た話ばかりをするって言うのは、如何なモノか?と思うし、そういう会話は少なくとも自分はしない。人の話をして楽しいか?というのが正直な感想。
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コメント
人に話す言葉は、基本は自分の言葉であるべきだと思います。
人の話をかじり聞いて、こういう話がある、、、ということばかりで話す人がいますが、聞きかじり+感想で意味不明な言葉を発しているようで、正直、迷惑な人もいます。
言葉や記事は、聞き手に対してある程度の影響と責任を考えるのが大人かな?と思います。
投稿: 壱源 | 2009年12月13日 (日) 02時29分
ひとに物を言うにはレベルの違いがあると思いますが、友人に言うのと、ブログで公表するのはかなり違いがあると思います。
不特定多数に物言う場合、もう少し考えてから書いたほうがいいのでは?というのも多いです。
友人に思ったことをすぐ言うひとがいましたが、こういうひとがブログをやると多分誰も見ないのでは?と思います。
投稿: yama | 2009年12月13日 (日) 00時22分