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2009年12月31日 (木)

成長とは?

 1年の総括の記事と相当に重なる。

 でも、人間の一生を考えると、間違い無く言える事がある。

 それは、知識、体力、機能全てに言える事。生まれた時には可能性は在っても獲得したモノは何もないということ。可能性は誰にも等しく備わっている。可能性を開花させる事が出来るかどうかは、その後の過ごし方次第ということ。

 時間と共に、可能性の一部を獲得した能力として実体化する一方、可能性を少しずつ失っているという事。可能性については、時期が大切ということ。時期と刺激が何よりも重要ということで、そのどちらかが失われたら、それは永遠に手に入らないと言う事。

 可能性を何処まで具現化出来るか?は、種族としての個体が完成する迄の期間で、どれ程の刺激を与えてきたか?に尽きると行って過言ではない。それは、健康、運動能力、知識、知力、、、、、全ての面について例外なく言える事だ。時間は戻せないし、やり直せないから、可能性を可能性のままに終わらせても、それは永遠に取り返せない。まぁ、取り返す以前に、無かったモノだから新たに生み出せないということ。冷たいようだが、行うべく時期に行わなかったモノは、永遠にその差を埋めるのは不可能ということ。それ故に、可能性を実体化出来る時期を過ごしている世代は、その時間の貴重性を自覚する事が大事なのだ。まぁ、何を大事と捉えるか?は、個体の個性であり、その判断は個人が行う事だが、すくなくとも、何か一つの芸を得るではないが、大いなる可能性の内、最低でも一つは実体化する事が大事だ。可能性を全て失った大人にだけはならないようにという、警告でもある。

 成長可能な時期に受ける刺激が、可能性を能力に転嫁できるのだが、その実体化できる能力の洗練度というのは、その時期に、適切な刺激を与えられてきたかどうか?であり、それが、個人にとっての良い環境か否か?と言う事と捉える事が出来る。
 適切な時期に、良い環境の元で刺激を受ける、、、、これが出来れば、個人にとって大きな精神的な支えになり、自信になるだろう。

 それが、どうなるか?というと、それを振り返る時期に、自信となったモノ、支えとなっているモノが、如何にして得られたか?に気付く。そこでは、必要な知識、取り組み方、考え方というモノが潜んでいる事に気付く。すると、その考え方が、様々な世界や分野に通用する事も理解できる。そう、必要な要素と組み立て方が判るのである。それが、個人にとっての新しい世界を、より短時間でモノにする事が出来るという事に繋がり、そのような思考の展開が出来るようになって初めて、個体として完成する、つまり成長したと言う事なのである。
 成長とは平等に持っている可能性の幾らかを、実際の能力として完成させることであり、それを完成させるには、然るべき時期に、然るべき刺激(環境)に身を置くことが最重要なのである。

 幼児期には、刺激とは親であり、成長とともに、刺激が友人であったり、師範であったり、講師であったりと変わってくる。その刺激で具現化した能力の違いというのが、大きな意味で個人の個性となるんだろう。この時期と刺激というのが最重要であり、それは、時期を逃したら一生得る事の出来ないモノとなるんだろう。

 過去の塾講師経験でみた生徒と親、会社での部下や同僚、上司、学生時代の後輩等々を見て思うのは、このような事。前までは、誰にでも同じことを期待する事が少なくなかったけど、最近は、成長というプロセスで、然るべき時期に然るべき刺激を皆が等しく受けた訳ではないと思うと、そこでの質の違いっていうのは、見方を変えれば優劣でなく違いにしか過ぎない訳で、考え方、発想力を教えたり、指導したり、教授したりする必要もないかな?と思うことが少なくない。

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