間食、、、癖?中毒?依存症?
運動後、風呂上がり、就寝前のくつろぎタイム、、、、定番のくつろぎ方はキムチ食って、ウーロン茶をしっかり飲んで、ノートPCでリビングでネット見て、テレビ見て、そして時間に余裕があればコーヒーをドリップして飲んで寝るというパターン。これだけなら良いのだが、運動しているから!って安直な理由で、その合間に間食を摂る癖がついていた。
間食は何?っていうと、パン類、スナック類、菓子類と絶対量は少ないけど、このくつろぎタイムが非常に心地よかったのだが、この間食癖を絶って一ヶ月が経過した。
この間食癖っていうのは、くつろいでいる最中に、ふと呼び起こされるモノ。この我慢感っていうのは、煙草を中断しようとか、酒を中断しようとかよりも禁断性が強く感じる。
煙草、酒は楽に我慢出来るけど、くつろぎタイムの間食カットは結構厳しい。
そういえば、拒食症とか過食症に陥る人が夜中に冷蔵庫で食材を漁るシーンがテレビで再現されている事があるけど、あれって、理解出来る光景だ。
ただ、間食が欲しい理由が腹が減ったというのでなく、くつろぎ感を演出する小道具的な要素であるのが○食症と違うところ。
これって、なんていうか癖のようなもの。断って一ヶ月経つと何ともないのが不思議なもの。
依存症、中毒、癖、習慣、慣れ、、、、見た目は似たようだけど、案外、異なるモノなのかな?と思う今日この頃。
煙草を断つのが厳しいというのは、依存症になっていたら厳しいけど、癖に留まっている人なら簡単なのかな?という気もする。それ自体が好きか?それを嗜む雰囲気が好きか?で、その区別があるのかな?という気もする。
中毒っていうと、それ自体で快楽感を感じる事だろうけど、そういう意味で考えるとピストバイクに乗っている時って、そんな感じである。
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コメント
繰り返し行動は、モノによって表現が違いますよね。
良い表現なら習慣、まぁ、仕方ないかな?的なら癖、チョットヤバイかな?なら中毒、依存症、、、、最初は、それが許されるか否か?生活を破綻させるか否か?で表現が違うのかな?とも思いましたが、結局は対象が目的か?手段か?で違うのかなとも思います。
良い方向に行くっていうのは、それ自体を上回る目標が在っての事で、それ自体が目的では無いからかな?とも思います。
それ自体が目的となり、その優先順位が最も高まると、それからの回復は人間性の改革が必要で、凄く大変なものだろうと思います。
人生に彩りを添える趣味、例えば、カメラもそうですが、そういうのが在るのは、余裕がある証明でもあり、生きていく上では大事な事かな?とも思います。
投稿: 壱源 | 2009年12月21日 (月) 14時56分
依存症治療病棟に居たことが有ります。
AA(アルコホーリック・アノニマス)ミーティング参加の練習もします。毎日ミーティングする中で、依存、習慣など少しずつ重なっているように見えました。
生き方の問題というように捉えていました。
改善したい習慣が有って、努力するなら良い方向へ行くものですね。
習慣といえば、30年日常の記録に使っているマニュアルカメラ(さすがにAEです)があります。撮影し終わって、フィルムが無くなると、ついついフィルムを入れています。シンプル・ニコンFEで当時の初級機ですが、花が咲いたり、何かを修理したり、夕焼けがきれいだったりを記録し続けています。
投稿: クマ | 2009年12月21日 (月) 14時37分