スポーツ大陸の伊藤選手、カッコイイね。
スポーツ大陸での特集は、元ホンダのGPライダーで今もSB1000クラスに参戦されている伊藤真一選手だ。伊藤選手は、自分にとって一二を争う程に好きな選手だ。
http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2009/04/post-643c.html
でも書いた事あるけど、1985年前後の記憶が強く残っている。デビュー前がAR125で峠小僧、同じ頃、菅生TT-F3のチャンピオン、その前は多分、モトクロスにも参戦されていた筈だし、その際のコメントが1985年頃の東京モーターショー開催に併せて発刊される自動車ハンドブックにも写真入りで掲載されていた筈。その時の名前は、真一でなく慎一だったような記憶があるけど、どうだっただろうか?
何にしろ、その頃からのキレッぷりから大好きなライダーである。昨今の選手、大ちゃん、ノリックという世代は、幼年期からミニバイクという世代であり、レプリカ世代のオヤジの息子世代だが、伊藤選手はモロレプリカ世代であり、単車は高校生からというもの。
それでいて一線級だから、今をときめくライダーとは毛色が違う存在なのだ。
当時、若くしてホンダワークスで契約して纏っていたカラーが1989年型NSRで人気を誇ったSEEDカラーだ。伊藤選手の印象は、日本人で平選手に続く2ストロークスペシャリストという印象が強い。伊藤選手+2ストでの印象は、スポーツ大陸では取り上げられなかったけど、筑波か菅生か忘れたけど、菅生だったような気がするが、NSR500で上りストレートでフロントリフトでバクテン、転倒というのが印象的だったし、WGPのホッケンハイムリンクで当時のGP500の最高速度記録を打ち立てられた記憶もある。
そんな希有な存在のライダーだが、二年前に股関節を砕いて人工関節を組み込んでレースに復帰された様子が放送されていた。番組でのコメントの一言一言に重みがある。速さ、走りに対する思い、拘り、、、、そして、レースに備えて自分の考え、手の内を人には知らせないという部分、、、、そういう話がテレビの中で聞けて、チョット嬉しかった。
自分のイメージと実際の乖離部分を見定めて、それを補っていく。その方法は自分で考える。そして、そうやって得た考えは、本番迄、決して誰にも明かさない。そういうホンネが大切だ。
この特集を記事にした理由は、正に最後の部分。物事は自分で考え、自分の理想に自分の実態を近づける。そして得た武器、能力の鍵は、決して他人に明かさないというところだ。
レースに限らず、趣味でも研究でも何でもだが、最近は、教えて貰って当然、教えてやるのが優しさ、教わるのが当然なんて考える甘チャンが多いけど、だれもホントに掴んだものは教えないのである。教わる事を当然と思う奴は、自分で考える事が出来ない死人のような存在なのだ。辛口だけど、それが本気で生きる人のホンネだろう。それが聞けたのは嬉しいし、そういう部分を感じたから20年来以上好きな選手として見ているのでもある。
つまり、出来る出来ないを全て自分で考えている。だから、今年43歳になって年齢の限界を囁かれても、人工関節が必要な大怪我から復帰して二度目の転倒では歩行不能になる可能性があると言われても、他人や周囲の声に影響されることなく自分の可能性を信じて強い意志を持ち続けることが出来るのだろう。
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