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2010年1月31日 (日)

1/24~1/30の週の検索ワードピックアップ

★DAHONのキャリパーブレーキ台座
 Vブレーキからキャリパーブレーキに交換する台座、、、、何が流用出来ると言う事は基本的に無い。DAHONは年式、グレードによってフォーク長が異なっている。それ故に、台座は、使うキャリパーアーチに応じてピポット位置を決めなければならない。
BigApple以外を装着しているDAHONならば前側はフェンダー取り付け穴を利用出来る機種が多いだろうけど、後は結構難儀。近年(2004年以降)のモデルではリア側のフェンダー取り付け様ブリッジが湾曲構造だし、OEM車の場合は単なるプレス板材の場合が多い。そうなると、取り付け台座はワンオフで作る必要がある。
 スマートに行うには、10mm厚以上のジュラルミン板を入手して切りだして現物合わせで固定する。プレートの固定は、フェンダー穴、キャリアダボ等を利用するのが良さそうだ。
 因みに、自分は10mm厚の板を二枚用いてフェンダーブリッジを隙間無くクランプできるアダプターを作り、それにキャリパーを装着している。このアダプターは2002年式DAHON専用のモノである。
 そんな工作は全く行わずにキャリパーを前後共に装着する方法が一つだけある。
 それは、DIA-COMPEのピスト用ブレーキセットを用いる方法だ。特に、加工の難しい後用には重宝出来るのでは無いだろうか?

★自転車を車に載せる
 似たような事を考える人が多い。
 自分も車に望むのは道具としての潔さというか機能。車は道具。道具に大事なのは信頼性、ランニングコスト、そして積載性、居住性。
 信頼性という面では大抵の車に差違は無い。敢えて言えば、商用系に近いモデルが優れるか?ランニングコストというと、排気量が1.5L以下、大きくても2L以下、車重でいうと今の時代なら1.5tを越えるか?結構重要なのがタイヤサイズ。インチ数が大きくなる程に厳しくなる。スタッドレスタイヤ云々の交換時出費等々を考えると13~15インチくらいがベストか?そんな感じ。
 さて、室内のスペースというと居住性と積載性だが、どっちが大事?っていうと、超肥満でなければ巨大なシートは不要。つまり居住性は車のサイズに関係無く一定、、、、となると大事なのは積載性。積載性で大事なのは奥行きだ。巾については5ナンバーなら1700mm程度で一定。3ナンバーでも1800mm、この場合、ボディの造形から考えると実質巾に差違は無い。つまり、奥行きオンリーだ。折り畳み自転車の横置きで必要な長さは800mm、これがエリオである。エリオの場合、全長4200mm程で荷室長800mm、これが自分の基準。一般の2BOXは3800~4000mmの全長で荷室長は800mm未満、アクセラ、インプレッサ、フィールダーといったワゴンで全長が4500mm弱でも荷室長は800mm一寸でメリットは低い。1000mm級のラゲッジはプロボックスが全長4200mm未満ながら実現しており非常に優秀。当然、ライバルのウィングロード、エアウェイブあたりも優秀。レガシー、アテンザクラスも荷室長は大きいけど、全長は4700mmオーバーで率的には平凡。
 ということで、自転車を載せるのなら、プロボックスクラス、他には、サクシード、エアウィイブ、ウイングロードあたりが最適な選択。個人的には唯一のMTが選べるプロボックスがベストだ。
 これ書きながら決心した。スズキのエスクードでは妥協が多すぎる。長く乗る事を考えると、プロボックスで決まりだな。じっくり、エリオの故障が多発する前に家族を説得するのが大事。

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好きなタイプ

 単車の場合、好きなタイプは2ストレプリカ、ミドルクラスのVツインと決まっている。嫌いなバイクは、並列四気筒エンジンを搭載したレプリカ、スーパースポーツ系のバイクだ。

 自転車の場合はどうか?

 これも大方決まっている。乗るなら、ピストバイクの様に固定シングルギアを装備したバイク、実用装備を持つスポルティーフのようなバイクだ。そして嫌いなのは、今流行のロードバイクだ。

 好き嫌いの判定の尺度に、誰が乗っているとか、流行しているとか、そういう判断基準は全く無いと言って良い。固定シングルが好きでもトリック系のために好きなんて事はない。純粋に走るために好きなだけ。
 流行のロードバイクを選ばない理由っていうのは、きらびやかにラインナップされて市場に提供されているモノ達の中から、これだ!と選ぶ要素が見えないモノを選ばない、、、選べない、選ぶ基準を持っていないだけの話。色んなバイクがあるけど、ブランドイメージを除いて純粋にモノを見た時に、コレだ!って言えるポイントが見えないから選ばないだけだし、ブランドに拘る理由が無いから拘らないだけである。

 正直、伝統的なイタリアンブランド、新興アメリカンブランドのどっちがどう?って評価する尺度が無いから選べないし、基準が無いからブランドフィーを払うつもりが湧かないというのがホントの所。これだ!って選べないから選ばないだけなのだ。

 その点、ピストバイクなんて選びやすい。選ぶポイントはスケルトンだけである。それ見て、欲しい、欲しくないが決める事が出来るのは良い。スポルティーフもそうだ。スポルティーフとは、こうあるべきだ!ってフォーマットが決まっているから、それで選ぶ事が出来る。
 結局、自分で理解出来て、自分の気持ちが反映出来るモノ。反映したくなるモノが自分の好きなタイプと言う事になる訳だ。

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2010年1月30日 (土)

配慮と主張

 自転車は車両という認識はOKだ。
 しかし、車両なら自動車と同じか?というと、それは違う。例えば、高速道路で大型車が追い越し車線を走ってはならないとか、原付が二段階右折とか、一応、車両毎にルールがある。

 そして、自転車は現行法では車道も歩道も通る事が出来る乗り物だけど、車道では自転車らしい振る舞いが必要だし、歩道でも然りだ。

 車道での自転車らしい振る舞いとは、左側通行、基本はキープレフトである。他の交通に対しては、道路の流れを阻害する程に失速するならば、左に寄って単車、自動車を先行させるのがマナーであり、ルールである。
 歩道での自転車らしい振る舞いとは、歩道を走る段階で、その存在感は多くの利用者がそうであるように基本は歩行者と等価になるべきである。歩道で車道を走行する車両の如くの振る舞いが危険を招くのである。歩道では、歩行者レベルの速度で走るべきなのだ。

 自分も反省すべき点がある。それは、歩道を走っている時は歩行者と同じようなモノであり、対向する自転車も歩行者並の注意力で走っているという意識を持つべきなのである。そうすれば、携帯を操作したり、ふらつき、並進する自転車に対しても寛容になれるのである。今までは、携帯操作、ふらつき、急停止する事を批判していたけど、こいつらは意識として歩行者であり、多くの歩行者が並進、携帯操作しているのが普通という現状を見れば、自転車という車椅子に乗ったのが歩道を走る自転車という認識を持てば、怒りの感情も静まるな!って考えに改める事にしたのだ。

 車道では車両、歩道では歩行者らしく振る舞うというのが大原則であり、マナーと考えるのが最大公約数的に多くの人が納得出来ると思う。

 今日、そんな思いを抱きながら帰宅していると、普通の道路がエラク渋滞している。それも速度で10km/h以下、、、、、脇を単車が抜いていく、、、、少し広くなったけど車の流れは解消せず、、、、、このまま1km程度走っただろうか、、、、前方を走る車が一台、また一台と右左折して消えていく、、、、すると前方に現れたのは、GIOSのシクロクロスに乗ったサラリーマン、、、、ちょっとした勾配の道路の真ん中をトロトロと上がっている。これが原因。自転車が車道を通るのは良いけど、その速度で後方に渋滞を作って走るって、どんな神経?というのが正直な感想。結局、最後の最後迄、このGIOSは車に道を譲るつもりが無い様子、、、、最後は、道路の分岐、合流を利用して一気にパスしたけど、正直、迷惑な話だ。

 俺は、娘に自転車に乗せてサイクリングに出掛けるけど、自分より速い車両が迫ってきたら左端に寄るか、停止するかして先に行かせるように指導しているけど、多分、このGIOSはそういう事はしないんだろう。自転車=車道、遅くても後ろは構わない、、、、そういう意識なんだろう。

 最近は主張する人を多く見るけど、実際は、配慮が必要なのだ。配慮とはマナーである。それは何時わかるか?っていうと、立場を変えると一発で判る筈。立場を変えれない奴は配慮が行き届かないのだ。

 一般に、単車、自転車、自動車乗りは事故を起こしにくい。それは、どれかに乗っていても他の動きが読めるからである。つまり、配慮が行き届くのだ。子供や高齢者の自転車事故が多いのは、単車や自動車の動きが読めないから。単車と事故する四輪は、単車の動きを知らないから。そういうものである。配慮を持てない奴は、主張する資格なんて無いのだ。

 今日のGIOSを見て、チョット怒りの感情が爆発だ。

 因みに、俺はラングスターで10%オーバーのヒルクライムする時も道路の真ん中は絶対に走らない。路側でキープレフトだ。路肩から数十センチの位置を保って走るし、狭いところで後方に車の気配を感じたら停まって先行させる。これは普通だと思うのだが、こんな事が判らないスポーツサイクル乗りが居るなんて、、、、正直、残念というか、吃驚。

 配慮、影響、、、、そういうのが何で判らないのだろうか?子供と一緒だろうに、、、、

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次期エクササイズバイクは?

 我が家で一番実走で活躍しているのはラングスターである。
 このラングスターは2007年モデルで発注は2006年の12月、入荷が2007年の4月である。そして、もうすぐ3年目だ。別に機械的な不具合は無いのだけど、何が違うか?っていうと、20年ぶりに復帰したフルサイズバイク一発目ということで、一発目として選んだ時と今では、望む形(ジオメトリー)が微妙に違うのが気になるところ。

 それで、自分好みのジオメトリーを持つバイクが無いかな?って探してみると、、、見つかりました。
 オーダーすれば良いのでしょうけど、走り込んで道具として使いこなす訳ですから、有名処に頼むまでもありません、、、、、寧ろ、今流行のクロモリホリゾンタルなNJS思考も嫌ですし、最近流行なカラーコーディネート系も嫌です。

 敢えて言うならば、バリバリのスローピングデザインで寧ろ人気無い系な形の方が好みです。材質的に拘りはありませんが、鉄でもアルミでもカーボンでも構いません。まぁ、アルミ辺りが良いかな?って気持ちが強いです。敢えて順位を付けるとすれば、アルミが第一希望、鉄が第二希望というところでしょうか、、、

 今考えているのは、タキザワサイクルさんがHARPブランドでリリースしているトラックフレームで、鉄のCM-1000ってタイプも良いですが、アルミのAT-2600が良さそうです。CM-1000なら29,800円と激安ですが、AT-2600の56,800円も相当にリーズナブルです。
 最初の頃は、POSのトラックフレーム、BSのアンカーPA3も考えましたが、タキザワサイクルさんのモデルの方がグッと来ますね。残念なのは、AT-2600にアルミポリッシュ仕上げが無い事です。

 勿論、部品はラングスターから全部コンバートするという形ですからフレームしか必要ないですね。
 タキザワサイクルさんのトラックフレーム、自分から見ると良いですけど、自分(172cm)より小柄な人は選べないのが寂しいところかもしれません。

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怪我は外科?病気は内科?

 怪我にしろ病気にしろ、どちらも病院の世話になったりして治療を要するモノ。
 自分の場合、病気より怪我の方が多い。怪我っていうと、基本は外科的な治療を要するモノで、外傷、骨折というモノで、人体構造から見るとマクロ的な機構的正常性を失った状態で、病気というとミクロ的、システム的な組織的、機能的正常性を失った状態だろうか?

 果たして、どちらかの不具合に陥るとすると、どっちがマシか?っていうと、これは難しい選択だ。どちらの不調だとしても、その重度次第というのが正直なところだけど、単発の不調が治癒した後に、同じ不具合に襲われるかどうか?という点で考えれば、怪我っていうのは単発的なトラブルだけど、病気っていうのは単発で終わるとは言い切れない要素が在るように見える。

 ところで、一般に外傷、骨折っていうのは外科、整形外科で診療を受ける。そして、疾病っていうのは、主に内臓に原因があって薬物治療で対処するモノという認識。
 そうなんだが、恥ずかしながら、最近迄誤認していた事がある。それは、臓器に発生する癌に対する治療を受け持つ診療科目は何処?っていうと、てっきり内科と思っていたんだが、これは外科なんである。

 そもそも認識の間違いは、外科の『外』を外傷から連想していた事。外科とは怪我を治すという思い込みであり、外科の『外』とは、人手を用いて修正する作業の事なんだそうだ。つまり、怪我か病気か?というのでなく、手術か薬か?という区別の方が支配的なんだそうだ。
 しかし、外科であっても手術というよりも薬品のような化学反応的な効果で治療する手法も在る訳であり、なんとも判りにくいというか、曖昧な感じが捨てきれないのは正直な感想だ。

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2010年1月29日 (金)

多機能携帯端末は嫌い。

 携帯端末の多機能化が著しい。iPhone、スマートフォン、、、他にも、携帯型ゲーム端末のDSi LL、PSP go等々、、、、

 正直、付いていけないというか、付いていく気がしない。普通の携帯電話でさえ機能は絞りたい程。絞って更にコンパクトとか、そういう方が望ましい。

 思えば、この流れ、ノートパソコンの高機能化とよく似ている。しかし、パソコンの世界では、携帯性を重視し、出来る事を絞ったネットブックという形で機能の先鋭化が進んでいる。更には、携帯性、単機能性では、電子ノートでポメラのようなモノがヒットしている。

 自分としては、携帯機能の強化は歓迎するけど、携帯機能の強化で並行する方向性としては、機能の特化の流れの方が歓迎出来る。

 大前提として、携帯して迄、端末に依存した何かを行う必要性があるか?という点において、必要性を認めないからだ。端末作業は基本は、それに適した環境で行うべきという考え方が根底にある。つまり、そのような作業は、そのような環境に身を置いて行うのが楽であり、敢えて、宅外に居る時に、宅内で行う作業を行うのは、宅外に居る意味が無いとも言う。出先に向かう際に列車の中で資料を作るとか整理するとか、、、そういうビジネスマンも居るようだけど、そんな切羽詰まった状態で何かを行う事自体がナンセンスであり、その瞬間は鋭気を養ったり、同行者との意見の交換を行う方が余程に有意義と考えているからだ。

 アプリを自在に利用できるのは歓迎するが、それの利用に携帯性は必要無いと言える。

 自身のデジタル機器の利用形態はどうなっているか?っていうと、自分の移動先に用途に応じたPCを中心とした機材がばらまいてある状態。移動した先でオペレートするだけで、それ以外での作業は原則として行わない。更に、一つの部屋であっても用途に応じて機能や役割は複数のマシンに分散させているのだ。極端な話、書斎と寝室、リビングに別個にデスクトップPCが転がっている。

 大事なのは、マシンの遠隔操作と、必要な情報を何処からでも取り出せるネットワークのようなモノ。移動した先で作業は行っても、移動中で作業は行わない。移動は移動という行為を主体として考えている。移動の際に、端末に集中して過ごす事と、外界からの情報や会話に意識を集中して過ごす事を比較した時に、某K女史のような効率論的な展開からすれば、無駄な時間云々ということになるかもしれないが、移動中に端末を見て歩くバカとか、イヤホンして外界に注意を払わない自転車乗りを見ると、正直、むかつくものだ。

 移動の途中に活用するというスタイルに人々を誘導するようなモノは正直嫌いである。
 ホント、携帯電話とかゲーム機というのは、地磁気センサーでも付けてやって移動中は強制スリープさせるようなインターロックでも必要だろう?って思う程。移動先で利用するなら判るが、移動中に利用するっていうのはダメだ。
 後は、使いもしない機能に、アレも!コレも!出来たら嬉しい!的な考えが無いので、多機能という言葉にワクワクしない、、、って言うより、一芸に秀でるのが好きだから毛嫌いする方が多い。

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クルマ、どうしようかな?

 今年はエリオの車検の年だ。秋に9年目4回目の車検の時期を迎える。
 ここ最近、エリオはトラブル頻発している。

・排気温度異常警告灯が点灯!
→中古センサーで部品代だけで対処した。
・純正オーディオの電源不良が三回目。(初回はクレーム、前回は新車外し品で交換)
→中古オーディオを調達して交換した。
・内装のガタツキ、ビビリ音発生
→バラして疲労したプラピン留めをボルトナット留めに交換

 更に、先日、停車している最中にサイドブレーキが甘かったせいか、ジワッと下がってリアフェンダーパネルに工事現場で使う足掛け棒が突き刺さって豪快に凹んでしまった。
 幸い、バンパー、テールランプは無傷だったけど、パネル自体には深さ3cm、直径10cm程の凹みである。流石に、直径15mmの鉄の棒にはボディパネルは無力。塗装も剥げたしやばそうなんで、内装を剥がして裏から木槌で叩いて出して凹みを数ミリ以下に修正した後に表面をパテで盛って缶スプレーで対処して遠目には気付かないようにはしてあるけど、微妙、、、、、既に、板金修理する気も湧かない。ボディ全体に飛び石等の小傷、エクボ凹みがあるので言っても仕方ないのだ。

 そんな状況だが、秋に車検を受けるべきか?買い換えるべきか?をコレからじっくり考えていかないといけない。

 絶対条件として守るべきは、、、、

1.マニュアルミッション車である事。
2.5ドアで、後部からの荷物積載性を確保している事。
3.エリオと同等以上の居住空間と積載性能が欲しい。

 希望条件としては、、、、

4.出来れば5ナンバーサイズで1.5ton以下が望ましい。
5.出来れば慣れ親しんだスズキの営業マンから買いたい。
6.家族の同意(恐らく世間体的な要素だろう、、、)が必要。

 というところ。

 今、候補として残っているのは三車。それは、次の通り

1.トヨタ プロボックス F・Extra Package Limited 4WD 5MT
●メリット(1.2.3.4.OK)
・価格は1,630,650円と非常に安価。
・ボディサイズも4200mm以下で手頃。5ナンバーサイズで駐車に困らない。
・中のスペースも広々。リアラゲッジは相当に広大。1m以上確保!
・維持費も楽々で言う事無し。1.5L以下、1.5t以下、165/80R13サイズのタイヤ。
▼デメリット(5.6.NG)
・スズキでない。
・後席の狭さ
・家族が毛嫌いしている。

2.スズキ エスクード 2.4XG 4WD 5MT
●メリット(1.2.3.5.6.OK)
・スズキ扱いである。
・価格は2,089,500円と車格の割りに安価
・FRベースの4WDで5MTである。相当にレアである。
・積載能力的には十分満足出来る。
▼デメリット(4.NG)
・個人的に大きすぎる。特に幅1810mmはキツイ。
・維持費が掛かりそう。2.4Lの排気量、1.6tの車重、225/65R17のタイヤ

3.スズキ スイフトスポーツ F-Limited 1.6L 5MT
●メリット(1.2.4.5.6.OK)
・スズキ扱いである。
・価格は1,701,000円と特別仕様でリーズナブル!
・車の性格的には一番好み
▼デメリット(3.NG)
・逆に小さすぎる。荷室が無さ過ぎる。エリオの半分はキツイ。

 という所。現実、家族での使用と言う事を考えると、プロボックスかエスクードの二車択一だろう。スイスポは実用性の部分で厳しい。
 ここら辺でスズキから離脱するのもアリかもしれないけど、営業マンが色々と融通を利かせて対応してくれるから、なかなか離脱する決心が付かないのが厳しい所。振り返れば平成元年以降だから20年の付き合いと言う事だ。そういう事を考えると、エスクードが一番の候補ではあるのだが、あのデカサは最後の決断を躊躇させる。勿論、プロボックスの場合も、後席の狭さから不満が増大しそうなのが決断を躊躇させる。、、、、正直、SX4系(セダンでもHBでも)にMTが選べれば決まっている筈、、、、特にSX4のセダンは、あの全長のままにワゴンでも出ていれば相当に魅力的になるのだがなぁ、、、、

 ホントはMTなんて潔く無視すれば選択肢は広がるのだけど、V6エスクードMTからDEエスクードATに乗り換えた時の残念な感じと、エスクードATからエリオMTに乗り換えた時の嬉しさを思い出すと、やはりATは要らない。

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2010年1月28日 (木)

勝手なブランドイメージ

 先日、自転車を買おうって人から、ブランドにどんなイメージを持ってる?って聞かれた時、改めて考えた答え。勿論、そのイメージに従ってモノを買うか?っていうと、それは無い。買わないけど、世間はどう思っているか?を想像しての事。

1.伝統系最高級
 イタリアを中心としたヨーロッパ系の伝統在るブランド。デローザ、コルナゴ、チネリといった所だろうか?

2.伝統系高級
 1.に準ずるけど、勝手な印象で、その次に位置するブランド。ビアンキ、ピナレロ、ジオスといった所。後はそれ以外の欧州系も、サーベロとか、ラーレーとか、昔のプジョー、ジタンなんかもそんな感じ

3.新興系上級
 本場のイタリア系以外、MTB、トライアスロンバイクからの参入系でアメリカンブランドの上級志向として、TREK、キャノンデール、スペシャライズド辺り

4.新興系中級
3.に準ずるけど、其処までの特化したイメージが出来上がっていない系統、ルイガノ、GT、FELT、RITEWAY等々

 そんな印象。イメージの根拠はローエンドモデルの価格帯が何処からスタートしているか?で思った印象だ。

 それとは別の価値観では、ブランドイメージ、デザインといった部分以外を重視した系統として、

5.コンペティブ上級
 ピストフレーム~ロードフレームを作るビルダー系

6.コンペティブ中級
 国産マスプロ車、BS、Pana系

 という感じ。自分的には、5.とか6.が好み。経験から見て、オーダーする程の知識は無い。すると、国産マスプロメーカーの上級車が自分レベルには丁度良いか?というのが自己判断の結果だ。

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痛みの移動

 先日、肩の強打で肩が動きづらくなった。

 直後の症状は、瞬間的に動かす事をためらう程だった。勿論、その日の直後のラジオ体操では動作不能だ。これで、最初に疑ったのが、鎖骨は大丈夫?ってこと。鎖骨っていうと、簡単に折れる細い骨。見た目に折れたかどうか?っていうのは簡単に目視可能だから鏡の前で鎖骨を浮かせれば一目瞭然、、、、、で、胸側の付け根から肩側の付け根迄、追っかけてみました。どこにも問題無し。違和感、痛み無し。ならば、鎖骨は無事だということ。
 12時間程経過して大分落ち着いてきた。鎖骨でないなら何処?って想像するのだ。この時点は、肩が動かない、、、、翌朝のラジオ体操も動作不能だ。

 さて、時間は過ぎて24時間経過である。この時点では、脱臼か?って心配だ。 脱臼っていうのは、見た目顕著なのは関節が外れる事による外見的な大きな変化と、自由度を失う事。チョット画像で無いか?調べ見た。

http://www.akimoto.ecweb.jp/dislocation02.htm

 なる程、こんな調子か?ということで、肩は外れていないし、取り敢えず動くから問題無しだろうと、楽観的に予測。実際、24時間後の昼のラジオ体操は何とかOKとなっている。冷静に見ると、痛みで動き(腕の動かせる方向性、角度の範囲)が拘束されていたのは、殆ど当日のみ。翌日からは動く分には問題無い。ただし、特定の方向、一定以上の稼働角度の時に痛みを感じる状態。

 で、30時間経過時点では、これなら大丈夫?って判断、それが翌日実施の水泳だ。泳いでみると、、、、何だか、痛みを感じていた肩より肋骨の方が痛み出したぞ?負傷当日は何も感じなかったのになぁ、、、、、。今は肋骨側の痛みの方が気になる程。この時点で、自由形+ブレストでプルが動作可能、、、、、結局l、脱臼の心配は殆ど無くなった。

 さて、水泳を終えて36時間経過である。ダンベルで負荷を掛ける。すると、MAXは無理だけど、半分の重さなら大丈夫。肩の動きの制約は余程の激しい動作で無いと関係ない。気になるのは左の胸の肋骨だ。押さえて探すけど、、、正直、何処が痛いか良く判らない。そりゃぁ、押さえれば痛みが出るような感じだけど、、、、敢えて、痛みを感じるというと咳き込んだ時に何となく左の胸の奥が傷む感じ。その界隈を押さえつけたら、まぁ、多少は痛みを感じるか?というのが痛みの程度。ただ、この程度っていうのは人による感覚だから、この痛みは一般的に激しいのか?軽いのか?は判らない。

 最初は鎖骨骨折を疑い、次が脱臼、最後が肋骨のダメージを疑っている。時間と共に、痛みを感じる箇所、程度が変わっているからだ。果たして、真実は?まぁ、病院に行って診察を受ければ問題無いんだろうけど、、、、

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2010年1月27日 (水)

B-ODR1、良いじゃないか!

 会社の同僚が表題の自転車を注文した。定価は136,000円だが、付いているパーツはエントリーグレードだ。ODR1の上がORC23で、SORA組で159,000円、TIAGRA組で169,000円である。
 以前、パナソニックのエントリークロモリロードバイクでは、レ・マイヨLってモデルが存在したけど、これがSORA組で91,350円だ。それを考えると、2300系パーツ組で136,000円っていうのは、パーツ価格を差っ引いてみると、価格帯の割りにはフレームは結構良さそう。フレーム自体は上級のORC23系と殆ど同じで、チェーンステー、シートステーのみ異なる構成のようだ。このフレームで良いのは、フェンダーステー用ダボ付きエンドと言う事と、ブレーキのアーチが57mm仕様ということ。対応アーチはORC23も同じだけど、ORC23ではステーダボは無いので、アーチが57mmを選ぶ理由が見えないけど、ODR1はフェンダーのためのアーチサイズと考えれば整合性もバッチリ。上級グレードに買い換えるとしても、この車体ならフェンダーを付けて街乗りに移行させるのも容易い。なかなかの構成だ。正直、このフレームだけ欲しいくらいだ。

 一般に、エントリーグレードというと、殆どが2300~SORA組でリリースされている。GIANTで言うと、DEFYシリーズがそうだ。DEFY3が2300組で87,150円、DEFY2がSORA組で99,750円、DEFY1が105組で147,000円である。ルイガノで言うと2300組のCR23が71,400円、SORA組のCENが93,450円、TIAGRA組のCTRが126,000円だ。
 概ね、何処のメーカーでも2300組なら70,000~90,000円、SORA組なら90,000~110,000円、TIAGRA組なら110,000~130,000円というパターンである。

 因みに、パナのORC23のフレーム、FRC23は95,000円もする。これから言うと、SORA+パーツで64,000円、TIAGRA+パーツで74,000円である。これはコンポ以外のホイール等々も含んだ値段だ。2300系+パーツでは概ね50,000円くらいだ。
 これを踏まえて考えると、ODR1はフレーム単体で90,000円弱というところだろう。他メーカーのモノを見ると、SORA組では本体フレームは車体価格から部品価格を引く訳で、100,000-64,000=36,000円程度、TIAGRA組でも120,000-74,000=46,000円程度だ。

 自転車っていうと、正直、フレームがどう?コンポがどう?で走りなんて変わりはしない。
 そういう意味では、どういう買い方が幸せな買い方か?というのは、買い手の考え次第であるのは事実だけど、それでも、この方のような選択は悪くないと思う。頻繁に複数台の自転車を買い増したり、買い換えたりというのが難しいのであれば、ベースから必要性に応じて少しずつグレードアップするのも一つの楽しみだ。その際は、多くの人が、ワンランク上の部品を欲するモノ。グレードアップしても変にならないというか、グレードアップの余地が在る程、モノに注力する時間が長く保てるとも言える。そういう意味では、交換出来る部品にコストを最初に突っ込むよりも、交換出来ない部分にコストを掛けておく方が長く楽しめるようにも思う。

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景気回復する?

 景気回復するか?っていう話。話の発端は、先週木曜のNHKでの番組紹介、紹介された内容の番組は日曜9時から放送されるMade in Japanの・・・・って話。

 番組の言いたい事は、

・デジタル化によってモジュールの組立で品質の差違が出にくい構造に変わってきた。
・日本企業は他者が開発したアプリケーションを利用して商売してきた体質がある。
・ユーザーの購買欲を刺激出来ない。必要な物が普及している。

 って事。

 確かに、現代の製品はパソコン的な物作りが普及してモジュールを組み立てる事で、だれでも製品を作る事が出来る。モジュール自体は特化した集積回路故に安価かつ誰でも作ることが出来る。このようなユニットの製造は機械化された工程で製造される。製造用機械は、日本企業を始めとする先行企業が開発し、既に製品化しているので誰でも利用可能。ユニットを調達して、工作機械を調達すれば、だれでも一定の性能の製品を作る事が出来る。出来た物に差違は殆ど皆無。

 何でもだけど、このような仕組みを考える所が商売の勝者、利用するところは常に競争に曝される。デジタル的(モジュール的)な物作りの考え方は、米国発の思想。それ故に、その思想に乗った人は全てがユーザーとも言える。価値観の創造が一番重要だけど、日本が一番苦手としているのも事実。

 最後は、購買欲を刺激出来るか?だけど、番組では東芝が8画面同時録画可能な超高機能テレビの開発で生き残りを掛ける例が紹介していたけど、テレビに100万円を掛ける意味というか、ユーザー層が存在するか?という根本の部分がずれている印象。年間で1000台出荷を見込むといって、1000台×100万円=10億円?程度のモノ?っていうのが正直な感想。チューナーを8台搭載して共同開発したセルプロセッサで処理して、、、、っていうのは、よくやるよ!とは感心するけど、だから何?って感想になるのが偽らざる感想だ。

 やはり、安価で欲しいと思わせる物でないと普及しないし、アイデアというかアプリケーションのコア、鍵を生み出さないと話にならないというのが正直な感想だ。

 今、デジタル家電、自動車等々を見ていると日本企業が生き残る可能性は極めて低いというのが正直な感想である。そういえば、100年予測って書籍がある。そこには、21世紀はアメリカの時代とある。この書籍の物語の結末部分は別として、100年というスパンで見ると、それはその通りだと思う。如何に新興国が経済発展を遂げようとしても、それは数字のまやかしだ。最初が困窮の状態だから発展率を見ると凄まじいが、絶対値的な発展は鈍化するし、その発展のパターンは戦後日本の辿った道にオーバーラップする。
 そう、先駆者の作ったアプリケーションに乗っているだけで、己で価値観を作らないからだ。

 日本企業が追随者を生むような価値観を生み出す事が出来るか?が今後の未来を占う大きな鍵になるように思うのだが、それは、先述のNHKの特集番組でも言われていた事。アプリケーションを生めなければ、その利用で生み出す物の価格での勝負が強いられるのだが、それで何処まで持ち堪えるか?が未来を占う。

 日本の国民性での唯一の武器は何か?というと、『配慮』である。配慮、細やかさ、気配りが、故障の少ない製品を生みだし、故障した製品の面倒を見てきた。この配慮をコストに転嫁しない奉仕性が唯一の武器である。現段階では人件費等々を見れば価格的に新興諸国と対向できる製品は皆無だが、時間が経てば、価格差は減少していく筈。その状態で、如何に無償の奉仕の精神を保つ事が出来るか?に掛かっているように見える。

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2010年1月26日 (火)

ダンベルシャフト、換えてみよう。

 今、ダイエット筋トレには、AUSSIEの長さ420mmのシャフトでスターナットで固定するタイプのダンベルを使っている。片側が30kg弱の設定だ。コレを右手、左手で持って、フライとプレスを行っている。
 しかし、このスターナットっていうのが評判と違い結構緩みやすいのだ。

 緩む理由は、グリップを握った状態での動きの際にグリップを回すような動きがあるから。軸は回ろうとするけど、プレートは回ろうとしない。プレートに密着したナットはプレートと同じ位置に留まろうとする。すると、ナットが緩む場合があるのだ。

 それを嫌って準備したのがミズノのダンベルバーだ。これはグリップ部が円筒で軸と独立しており手首の回転を軸の回転に伝えない構造。そして、プレートの固定はねじ込みピンで締めて固定する。ピンはバーの溝に嵌る構造故に、仮にプレートが回っても、ロックは軸に固定されているので回らないのだ。

 ダンベルの扱いやすさはグリップの太さ、プレートの固定の度合だけど、通常の安物のダンベルバーは直径が28mmでチョット細い。AUSSIEのセットは30mmとチョット太いのが握りやすく使い易いのだが、ミズノのバーはグリップが円筒と軸の二重構造となっているためか33mmと更に太い。これがイイ具合である。
 ロックの緩みの原因となる軸の回転が起こらない円筒グリップ構造。更にはロックが回らないように溝に打ち込んでロックする構造。見るからに安心である。

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記事の公開タイミング

 ブログっていうのは、日常思い付いた事を簡単に表示する事が出来るのがメリットだ。
 そう、発想と表示のタイムラグの縮小というか、即時性が普通のサイトのFTPでの更新と違う所だ。

 しかし、そのような即時性には大きな落とし穴がある。瞬間的な発想の入力即公開では、文章を公開する事の影響を見つめる時間が無いので、思い掛けない、公開しなければ良かった、、、、って文章も公開しかねないのである。

 そういう点で、一般サイトのFTP更新では文章を推敲する時間がある分、リスキーな公開は減らす事が出来るけど、ブログの場合は、思い付き即公開では、リスクを抱えるといっても良い。

 で、自分はどうしているか?っていうと、記事は定時公開と決めている。原則、日付の変わる午前零時頃に記事を複数アップするというスタイルだ。当然、定時公開ならば、それ以前に記事は書いてなければならない。記事の入力は、休日とか風呂上がりとか、暇な時にテキスト入力ツールで書き込んだ物を一端メール等で自分のアドレスに送り貯めて、それをペーストしてブログに記事を送る。送った記事は公開時刻を指定するという方法だ。

 つまり、書いてから公開迄は最長では一週間以上のラグが発生する。その間、書いてはみたけど、公開を見送る記事も少なくないのである。日々の生活で思った事が書いた事と相容れない状況が生まれれば、記事を見直したりするのである。

 一般にこのようなブログの記事っていうのは、個人の感想文、日記みたいなものであり、その内容は、書き手に接する環境に対する意見であるのだ。その対象は、世間であったり、組織であったり、個人だったりするのだ。それに対する意見であるのだ。そうした時、その印象記事の与える影響がどうか?ってことを考えて、この程度なら良いか?って判断に留まるものが公開されているのである。

 そういう意味で、印象即公開に較べると、キレは少なくマイルドかな?って感じもするが、記事が負のインパクトを与えすぎないようにするには、このようなタイムラグを設けるっていうのが自分が決めた解答なのである。

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2010年1月25日 (月)

体温と体年齢

 体温を毎日定刻測定している。
 朝は、低めである。36[℃]前後の事(35.9~36.1[℃])が多い。そして、夕食後の午後7~8時でも36[℃]チョットが多いようだ。で、色んな時刻で頻繁に測った結果、よく見かける数字は幾ら?っていうと、36.2[℃]って表示である。

 これって、、、、、推奨とされている36.6[℃]より幾分低いようである。

 体温っていうのは、身体の中の活動度を示したモノと言える。エネルギーを燃焼して生じる熱によってもたらされた温度状態である。言い換えれば代謝の活発さを表す数値といっても差し支えないのである。体年齢が若いっていうのは、理屈から言えば同じ組織でも単位辺りの代謝が活発であり発熱量が多いって事。つまり、体温が高めと言う事。これは、子供の平均体温が高い事にも通ずるものなのだ。つまり、体温っていうのは体年齢とも相関するモノというよりも、体年齢その物を表す数値と言っても良い筈なのだ。
 体年齢は老けてない筈だが、、、、もしかして、体組成計の論理がチョット違うのか?と思ったりしたのである。で、そもそも体温は?を掘り下げて考えてみる事にした。

 体温というと、オムロンとかテルモだろう、、、、、で、以前も紹介したサイトが詳しい。

 テルモ体温研究所だ。

http://www.terumo-taion.jp/

 である。

 すると、体温は当然体内温度を測定するもので、第一に測定をきちんと行わなければ意味無い事を改めて気付かされる。更に、体温も日変化があり0.5~0.6[℃]程度は時刻によって変化する事も判った。そして、測るべき体温も、前後の生活状況によって低めになっている時、高めになっている時を測っても意味無いと言う事も改めて判った。

 そういえば、数値を測定する。正確に測定する時は、モノの温度を慣らして測定するなんて日常茶飯事だし、精密加工する時などは、温度を変化させないように細心の注意が必要なのも常識なんだが、何故だか、体温計を測る時は習慣からか、いい加減に測る癖が付いていた事に思わず笑ってしまう。

 体温計というと、昔は水銀式の温度計で5~10分程度は測定するのに時間を要していたけど、今はデジタル式が一般的で、温度平衡に達する前に電子音で測定完了を通知するタイプが殆どである。そして、その測定時間を短い事を売りにした体温計が主流であり、30秒程度で測温できるものも珍しくない。

 それはそうとして、体温とは身体の深部温度らしい。その温度に如何に近い温度を測るか?っていうと、測温箇所が深部温度に近い温度状態にして測定するというのが大前提であり、その状態の検知速度が温度計の測温時間というものだけど、冷え切った身体で測温箇所が深部温度に達していなくても僅かな時間で電子音が鳴ったとすると、それは体温でなくその瞬間における電子音通知状態に到達した温度に過ぎないという事のようだ。
 そして、正確な体温を測定したければ、測定箇所で10分程度は体温計を挟んで測るべきと言う事が述べられていたけど、読む程に、なるほどと思えるもの。確かに測定部位が身体深部と同じ温度になるのには時間が必要で、その時間を経過した後で体温を測らないと意味無さそうだ。測定したい部位の温度を測るのでなく、測定したい部位が身体の平衡温度になった状態を測るというのが基本のようだ。その上で、計測した体温こそが正確な体温と言えるようだ。

 で、これを踏まえて体温を定時定刻に推奨される方法で測定してみた。

 すると、、、、いつもの測り方では、36.2℃と表示されていたのだけど、安静にして脇を締めて数分間経過後に、体温計で電子音が鳴るまで測ってみると、、、、、36.8℃である。 これは初日の測定だけど、その後、続けてみると、概ね、コレまでの測定数値に較べると0.5℃程度高めに出るようだ。つまり、ズバリ36.5℃前後で変動しているようだ。決して、低体温では無いということだ。その後、暫く、定められた方法で測温してみると、、、36.7~37.1[℃]程度のようだ。

 そういう安心?後に、再度、体温が低いってことは何?を考えてみた。

 体温っていうのは、代謝、即ちエネルギーを取り出すために栄養分を燃焼した時に発生する熱量の程度を表す数値である。つまり、代謝基準値(単位体重あたりの代謝量)が大きい程、体温が高くなるのである。筋肉が如何に沢山付いて代謝総量が大きくても、代謝基準値が小さければ体温は高くは為らないのである。
 そして、体温が高ければ小さな身体でも代謝が大きくなる。そう、体温が高いと言う事は、代謝が大きく、エネルギー消費が活発ということで、肥りにくい、痩せやすい身体ということである。

 ここからは自分の考えだけど、エネルギー消費が活発と言う事はどういう事か?っていうと、それは、体組織が活発に活動するということ。活動の根拠は何?っていうと、これは組織への刺激である。外界からの刺激への反応性ということ。つまり、身体に外界から多くの刺激を与えるような生活こそが身体の反応力を高めるということ。身体に与える刺激は何か?っていうと、、、

・運動を積極的に取り入れた生活
・様々な食材を積極的に食べる生活
・運動と休息をリズミカルに行う生活
・高温環境、低温環境に身体を曝す生活

 と言う事になる。これって、快適な生活というか、利便性を追求した生活とは逆であるのだ。良く食べて、良く動く、そして、良く寝る。更には、寒い時は寒く、暑い時は暑さに耐える生活こそがベストなのであろう。
 自分の生活で何が足らないか?っていうと、温度環境の部分。寒い時は寒さを、暑い時は暑さに耐えるような生活を取り入れていけば、道理に適った生活が出来そうだ。

 それは兎も角、最近は中高年世代に限らず、若年世代~子供の範囲迄、低体温、35[℃]台の平均体温って人が多いそうだ。理由は、快適な生活で刺激の乏しい生活を行っている事に対する身体の適応現象と言えそうだ。
 そして、体温によって身体の活力はどう?っていうと、、、、

①39.1[℃]以上(高熱)
 神経や体力に悪影響。解熱剤等で体温を下げる必要あり。
②38.6~39.1[℃](中程度発熱)/③38.1~38.5[℃](軽度発熱)/④37.5~38.0[℃](微熱)
 体内に進入したウイルス、細菌を白血球が攻撃している。免疫機能が働いている証拠なので解熱剤を使うと免疫力が低下する恐れがある。食欲、元気があれば解熱剤は不要
⑤36.55~37.23[℃](理想体温)
 ありとあらゆる生命活動が最も理想的に働く体温。新陳代謝、酵素、腸内細菌が活発に働き健康維持が可能
⑥36.3~36.4[℃](ボーダーゾーン)
 今すぐ健康に悪影響は無いが、低体温の予備軍である。
⑦34.0~36.2[℃](低体温)
 新陳代謝、酵素、腸内細菌の活動が低下し悪影響が現れる。ガン細胞は35.0[℃]で増殖力が最大で、39.3[℃]で死滅する。自律神経失調症で排泄機能低下や、アレルギー体質など新陳代謝が不活発。遺伝子の誤作動が多くガン体質といえる。
⑧34.0[℃](生命維持可能体温)
 生命が維持可能な体温下限値。自分で身体が動かせなくなる温度。
⑨33.0[℃](危険)
 生命の回復が困難となる下限値。死の直前で幻覚を見る体温。

 ということらしい。

 それでも、この温度でどうした?って危惧する前に、正確に体温を測ってから判断するのが一番大事だ。実際、自分も常識にとらわれた測温では36.2[℃]、しかし、改めて意識して検温すると36.7~37.0[℃]であり、色んな情報に左右される前に、実際はどうよ?をしっかり考える事が何より大事だ。

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やっぱりねぇ、、、

 先日、娘がA型インフルに感染の疑いが出たということで、勤務先には報告し、ルールに従って治癒証明が出るまで公休で休んだ。

 そんな話をしたところだけど、そのネタについて、各所で聞いた事。それは、『有給休暇が無いから、発熱が大したこと無いから黙って出社している人、多いよ!』とか、『家族が感染したけど、自分は大丈夫だから何も報告していないよ!』って事。

 正直、やっぱりなぁ、、、って思ったし、別にビックリもしなかった。正直、娘に感染の疑い、、、、って時点で、黙っておこうかな?という気持ちが全く無かったか?っていうと、そういう気持ちは確かに脳裏を過ぎったのは事実である。しかし、立場上、それで感染拡大すると!って事を考えると、納得出来ようが出来まいが、ルールはルール、それは守るという気持ちに従ったけど、立場が違えば、その判断は一様でない。

 それを考えると、この手の感染症の感染拡大は実質防ぐ事は不可能だろうな!って印象。

 ところで、新型インフルエンザは年明けを過ぎて感染者数の拡大はピークを過ぎたようだ。定点医療機関からのインフルエンザ患者の報告数が注意報レベルである10人を下回っているようだが、これからは季節性インフルエンザの流行も危惧されており、簡易検査ではA型判定は可能だが、季節性か?新型か?の区別は付かない訳で、症状的にも差違は明確でない。

 そういう意味では、現状のA型判定で新型扱いの処置をする体制では、新型判定の患者数は間違いなく報告数が増えるだろう。新型インフルの感染が確認されて患者数が増えた時期を振り返ると、丁度一年前だ。新型インフルが低温乾燥期に減少傾向でも、今からが季節性インフルエンザ、高温多湿期になると新型インフルエンザ、、、、この調子だと、年から年中がインフルエンザを注意しないといけないのかも知れない。
 そう考えると、平生の生活における身体の免疫力を高く保つような生活習慣を営むのが一番大事という事かもしれない。

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2010年1月24日 (日)

犬のリード、、、、、

 今朝、ラングスターで走っていた。
 場所は太田川土手上で、巾が3m×2=6m以上のエリアだ。

 前方に犬、、、、、、犬は土手への誘導路の一番右、、、、、飼い主は土手の一番左、、、、、その間隔は土手の道幅+誘導路の道幅で10m程、、、、、接近すると伸縮式のリードだ!!??

 完全に道を塞いでいる、、、、コイツ、バカだろう!何考えているのか?

 避ける場所が無いので、土手の一番右端の雑草部分に対比して避けたけど、つい、怒鳴ってしまった。

 ペットの世話している連中のリードの扱い、、、それと土手上で見掛ける犬の糞、、、、、犬を飼う資格なんて無いだろ。

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意見の対象は、他人の意見?事実?

 評判とか、インプレッションを参考にするっていうのは、誰にでも少なからず在る事だろう。しかし、そのインプレッションとか感想に対する感想を行うことばかりしていくっていうのは、どうなんだろうか?
 判りやすいモノ、そうでないモノ、モノは色々だし、モノに対する見方は、これまた見る人次第だ。見る人の嗜好、経歴、熟練度、理解度、、、、、ありとあらゆるモノで影響されるもの。感想っていうのは、感じ手の好みに合わせた優先順位みたいなものであり、その優先順位の判断基準が何か?判断するに見合った者の視点か?によって、それは定まらないモノである。

 そういう訳であり、自分の場合は、モノや知識、用法等々に対して、自分のレベルで理解出来るモノ、自分の目的への適応度で要、不要の判断を行って優先順位を付けている。それ故に、その意見というのは、誰に対してもの万能解では無いし、汎用的な模範解答から見ると、寧ろ間違っていると言える場合も少なくないと考えている。

 っていうのは、考え方で基本的な部分、基礎的な部分っていうのは、モノや論理の都合で決まっており、それは普遍的に正しい、正しくないが決まるモノだけど、その基本の上に成り立つ使い手側が支配する部分っていうのは、モノの都合でなく使い手の都合で決まるものである。そこでは普遍性を失いながらも、特定の部分で特化させるという方法論も生まれるけど、それは、その事を承知した上で成り立つモノ。普遍的には正しくないけど、そいういう方法もありなのだ。
 多くの評判とかインプレッションというのは、基本的な部分の評価のウエイトよりも、寧ろ、使い手側の都合で支配される部分への評価である場合が多く、そういう意味では、そこでの感想や評判には普遍性が無いものである。

 そんな評判や感想、他人の意見に感想を持つ(評論する)っていうのは、言ってみれば、モノへの評価でなく、感想への評価だし、更に言えば、評論する相手への信頼度の評価のようなモノに変質してしまうのである。結果的に、何を見ているのか?というと、一番大事な部分、そう、モノの具体的な部分の内、自分で理解出来る範囲で感じる情報が何か?というのが全く見えない状態に陥るのである。

 そういう感想をして、それを自分の意見というのは甚だ変な話だと思うのである。

 誰彼がこう言ったから、俺もこうする。雑誌の評判が良いからコレにする。誰彼の意見に、誰が否定したから俺も否定する、、、、、そういうのは、何だか見ていて気分が悪いのである。
 大事なのは、そこにある事実、モノを見て、自分の知識や経験で判断出来るモノを見つめて判断を下す事。そこで得た結果を経験として還元していく事。当然、失敗や浪費を招くだろうけど、そうやって得た情報こそ重要だと言える。

 最近は、他人の持ち物を載せて貰って決めるとか、モノを使ってから決めるとか、人に聞いてから決めるとか、色んな情報誌を眺めて決めるとか、行為によるリスクを減らしたいがために、レベルの違う世界の人の感想に惑わされるって例をよく見るけど、それって、実体験を積み重ねる機会を無意識の内に失っているように見えるのである。

 昨日アップした記事から数えると同じ内容とも言える小言三連発になってしまったなぁ、、、、。でも、どの年齢からでも良いから、自分の状態を冷静に見つめて、体裁に捕らわれすぎず、、、、そういうのが良いと思っての事。

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1/17~1/23の週の検索ワードピックアップ

★CJ250T
 目に付いた検索ワード。CJ250T、、、、これに興味ある人が居るんだ、、、、、これはホンダのツインのバイク。時代はCB400Four時代である。この時代、ホンダのスーパースポーツはCB350Four、CB550Four、CB750Fourである。この中でCB350Fourの鈍くささが不評で、これに当時のカスタムエッセンスでカフェレーサーを取り入れたのがCB400Fourである。これが好評でCB750Four-IIってモデルが登場して、スポーツバイク=レーサー風の流れが生まれていったのだ。
 そんな時代であるけど、中小排気量は上級クラスをモチーフにしているのが当時の習わしである。四本マフラーをモチーフにした中小クラスがCB250/350のセニア、エクスポートといった系統だ。そのモデルが上級クラスのカフェ化の流れを受けて変化したのがCJ250/360Tだ。これは、基本はセニア系と同じだけど2in1マフラー、タンクは単色塗装でCB400Four風、でもエンジンはセニア系ってモデル。
 これらのカフェ系の流れが後の本流に繋がる。上級がCB750F系、中級がHAWK系である。このようなエフとかホークに繋がる直前のモデルがFourとかCJってモデル達だ。何れも短命だが、前時代のメカニズムに新しい時代のデザインというハイブリッドな感じが独特なモデルである。
当時、みんながFourの中古に群がり、その対向がKHとかサンパチに行っていた中で、安いという理由で入手したのがCJ250T。デザインは結構好きだった。エンジンを見なければCB400Fourとよく似ているけど、更に新しくテールカウルが付いていた。CB750Four-IIに近いデザインだ。これでホンダツインが好きになって、後にHAWK-N、SuperHawk、SuperHawkIIIと乗り継ぐ事になる。自分にとって、ホンダのツインは頑丈って印象はこの時生まれたものだ。
 因みに、仮に峠を走るにしても、ストリートバイクは馬力でない!って確信を掴む第一歩のバイクになったように思う。その後、単車を選ぶ時には馬力は重要視しない。車重も気にしない事が多い。

★Windowsバージョンと認識CPU数
Windows9X系は除外でNT系の話。今使われているというと、Windows2000以降のOSだろう。
 Windows2000は大きく分けてProfessionalとSeverの二種類。Professionalは2CPU迄、Severでは、それ以上を認識するけど、インストールすると中身は随分と異なる。因みに、Windows2000はHTによる仮想CPUと実CPUを区別出来ないから、HT内蔵のCPUをデュアル搭載可能なマザーでは、OSが2CPU迄の認識で、実CPU+仮想CPUという認識に留まる場合がある。そうすると、実CPU+実CPUと認識させるHT無効状態と較べるとデメリットだけになる。そういう意味で、Windows2000の場合は、HT、マルチコアの無いデュアルCPU構成以下で有用なOSとも言える。
 WindowsXpの場合は、HTによる仮想CPUを区別できる。XpのProfessionalならHT内蔵のCPUをデュアル構成した環境で、4CPUと認識する。ただ、認識しているのは間違い無いけど、家庭利用では4CPUで足らない負荷なんて無いから自己満足の世界。
 Vista以降ではマルチコアCPUがトレンドの時代であり、Homeエディションは基本はシングルソケットオンリー、Businessエディション以上で複数ソケットをサポートする仕様。Businessエディションでは殺風景、でもUltimateエディションでは高価過ぎ。
 まぁ、実質的にマルチソケットのM/Bを使うユーザーは極少なんで問題無いけど、PentiumIIIやHT-Xeonをデュアルで使うユーザーからすると、Windows2000~XpのProfessionalが一番使い易いし、実用上ストレスも無い。しかし、それ以降の普通?のユーザー、恐らく、マルチコアシングルCPUユーザーならばVista以降のHome Premiumが一番合理的だろう。ソケットが一つでも、HT内蔵4コアなら8スレッドを認識している。
 まぁ、CPUの認識数なんて通常は意識しないのでストレスが無ければ何でもOKだとは思うけど、、、、

★NEC PC9801T
 これまた懐かしい検索キーワードだ。このマシン、何も知らないPC初心者だった自分の初号機である。これにMINIXをインストールしてカーネルをコンパイルしたりして遊んでいた。殆どUNIXの練習機として使用した。最終的にはファンクションキー毎に複数走るプロセスを画面に呼び出せるようにして終了した。
 さて、機体的にはどうか?っていうと、これは、重量級ラップトップである。キーボードが分離独立可能なモノで、運んで使う時の使い心地はデスクトップと変わらない。デスクトップとの違いはディスプレーが液晶という点である。液晶でも標準はモノクロの液晶(W2、W5、W7)で、上級モデルにSTNモデル(S5)、TFTモデル(F5、F51、F71)が存在したけど、モノクロモデルでさえ定価は約75万円と非常に高価だった。
 本機は20MHzのi386SXであり、CPU上部に拡張メモリを増設するレイアウトであり、CPU上に被せて使うアクセラレータは使用不可能である。スペースが無いのだ。只でさえCPU交換がし辛いi386SXで、アクセラレータも被せる事が出来ない。
 その他の拡張性としては、背面に汎用Cバススロットを2スロット有しており、標準のSASI40MBのディスク(W5モデル)にCバス内蔵HDD、ICMのCフラット辺りを使えばSCSIで80~120MB程拡張可能である。他には前面にFDが二台存在している。
 この系統のモデルは後の9821Tsに引き継がれて、最終的には消えていくモデルだった。

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2010年1月23日 (土)

どっちが好き?

 自転車とか単車とか、PCとか色々と趣味がある。趣味の世界に新たに入ってくる人から相談を受ける事も多い。

 相談してくるのは、当然、初心者、素人である。それぞれに雑誌やネットで一応の情報収集した上で聞いてくる。

 そんな人達には2パターン居る。

 多くは、趣味の世界に入る時、その世界の機材には色んな機能、序列、用法、流儀、、、、そういうモノがが煩雑に見えるようだ。その煩雑さの中から自分の好みを選び出すのだが、そこで何をどう考えるべきか?迷う人が多い。

 それで聞かれる事が少なくない。例えば、自転車ならコンポとか系統も様々だ。で、初心者が聞いてくる時、一生懸命調べて、情報の入手元の意見に支配されて聞いてくる人と、情報源の言っている事が判らないのを承知して素直に無の状態で聞いてくる人に分けられる。

 例えば、コンポを例に取ると安価なグレードに用いられている2200系とかSORA系や105以上の系統の情報を雑誌から仕入れ、取り敢えず105以上から始めれば安心という言葉で、105以上に拘る奴と、それらの違いは自分に必要か?という問い掛けで聞いてくる人だ。前者の場合、どんなに説明しても、既に自分で雑誌やネットでの話から決めているので賛同して欲しいのだろうけど、それを感じると『ハイ、ハイ、そうですね、好きにすれば』となる。しかし、後者の場合は、実際買ってどうなるか?色んなストーリーを想定し、そのグレードで不満が出るか?出ないか?を含めて、その違いが知りたいのなら、自分のレベルが初心者なら、そこから始めるのが良いのでは?という解答になる。
 この2パターンは最初に限らず、その後の付き合いでも全て違いがでる。乗り方、改造の仕方、攻め方、セッティング論、、、、全て、一方は調べまくり、聞きまくり、そこで公約数的に良いと言われるモノを模倣する事を決めている人には、何を言っても無駄になる。
 しかし、初心者が、そのレベルに応じて取り組んでいくタイプの人は、自分の問題点、自分の解答を自分の身の程に合わせて進めていく。それ故に、何か聞かれたら、聞きたい事がストレートに判るので、その人なりへの意見をストレートに返す事が出来るのである。

 このように2パターンの人がいる。前者の方が、自分の身の程を棚に上げて格好良さに拘り、体裁に拘る人。伝聞に惑わされるタイプの人。後者の方が、自分の身の程を理解して、出来る範囲、判る範囲から初めて、その範囲を拡げていく人。
 そんな風に分けられる。で、聞かれて対応出来るのはどっち?っていうと、100%、後者の人に限られる。それは、趣味、学問、全ての分野で言える事。

 どっちが好き?っていうと、付き合うならば後者の人だ。前者の人とは考え方、価値観が違う。でも、出来れば素直に物事が見れるようになればと思うのだけど、それは、お節介なんだろうか?基本、価値観が合わなければスルーで良いのだけど、つい、言ってしまうのが自分の悪い所。それも承知しているが、それが性格だから仕方ない。黙認っていうのが出来る人は或る意味凄いものだ。

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やるのは誰?

 モノを買う時や選ぶ時、多機能性を重視する人やスペックを重視する人っていうのは、モノに何か(?)を期待している人に多い。

 モノを手に入れれば、何か素晴らしい事が起こるかも知れない!って期待なんだろう。何かを買う、選ぶ、そんな時、煌びやかな文言が大量に並んでいると、それが、さぞかし素晴らしいモノに見える。その物が素晴らしい結果を導いてくれる!そういう思いが強い人が多いようだ。

 でも、素晴らしいモノが素晴らしい結果を与えてくれるかどうか?は使い手次第なのである。使う人が必要としたモノであるときにのみ、その必要としたモノが利用できるだけなのである。モノは結果を与えてくれるのでなく、モノは結果を得るために利用しているのに過ぎないのだ。モノは結果でなく手段なのである。

 ここで言うモノは、物理的なモノの場合もあれば、使い方や手法のような場合もあるし、論理や知識の場合もある。言えるのは、それらが使い手にとって絶対的に必要な時にのみ、利用できるのであり、そのモノを持っていても、知識ということで語句説明が出来たとしても、用法ということで手順の箇条書きを暗記していても、全く役に立たないのである。

 役立つかどうか?利用出来るかどうか?は、利用するための目的が定まっているのは勿論だが、利用の仕方が判っていないと話にならないのである。利用方法が判らないから、ネットや書物を調べて文言を暗記しても何の意味にもならないのだ。

 何かの結果を望むっていうのは、目的があっての事。目的とは問題があるから生まれるモノ。問題が問題として存在するのは、問題がなければ何が得られるか?が判っていると言う事。つまり、理想があって、理想を阻害するモノが具体的に定まり、その阻害要素を取り除く必要性が明らかになっているモノである。
 その問題が現状において取り除けずに存在しつつも、それを取り除く意志が在る時に、色々な情報や知識が役に立つのだけれども、その情報や知識を字面的に知っていても使えない。未解決の問題を解決するために知識を得るという時の知識を得るという行為は、知識の文言を暗記するのでなく、既知の知識や常識が、先人の解決する前に問題として残っていた時代に、どういう考えで、どういう手順で解決されて、それが現代の知識となったのか?という目的と解決の手順を理解する事が最も大事なのである。

 そのように知識を積み重ねて、自分の行動に自信を持てるようになって始めて、モノを選ぶ時、買う時に必要なモノが何か?というモノが実態として見えてくるのである。そういう状況になった時に、色々なモノや情報が問題解決のために利用できる強力な武器となるのである。
 逆に言えば、自分で判断が出来ない状態、つまり解決するための自信が持てない状態では、願いを他力本願的にしか叶えようと努力しなくなる。そういう思想が、モノが何かを解決してくれるかも知れないというような、甘っちょろい思想に行き着くのである。

 自信を持つっていうのは、降りかかる問題を解決出来るという気分を持つということで、それは、既知の事実がどうやって生まれたか?を自分なりに消化して理解する事である。
 偽らざる気持ちで自信を持つには、判らない自分を認め、判らない事を無くす歩みを始める事である。逆に、体裁を気にして、判らない言葉を並べるだけで格好を付けたり、説明出来ない熟語、他人の言葉を聞いて判ったような振りをするようでは、ホントの自分は何が判らないのか?さえも判らなくなる。人の話、人の感想に感想するようなヤツは、自分の無知がどれ程か?さえも見えなくなっている。

 判らないのに、判らないと言えないのは、歳と重ねると誰にも襲いかかる傾向。これが老害かもしれない。子供が凄いのは、純粋に判らない事を無くす取り組みを自然にするからである。以前、テストの目的が高得点を取る事でなく、理解度を数値化する事という記事を書いたけど、体裁ばかりを気にして育つと、大事なモノが一生見えなくなるような大人になるのでは無いだろうか?

 結局、個人に降りかかる問題は、個人固有の問題。個人の好みも固有のモノ。そこで満足を得るには、自分が満足する訳であり、そのためには自分の行動が必要なのだ。全ては自分のための行動である。ならば、実行も自分がするだけの話である。その辺が判っていないヤツが剰りにも多い。それが他力本願くん、検索くん、伝聞くんの繁殖という形で現れている。そんな感じを強く受ける。

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2010年1月22日 (金)

怪我からの回復記録

 木曜日、車のハッチゲートが下がってきたのに気付かずに、20kg近い荷物を抱えて反動で積み込もうとする際に、ハッチゲートのエッジで肩、肋骨近辺を強打した。瞬間、目から★が出た感じ。

 滅茶苦茶痛む、、、、、装備を纏っての単車での転倒以上の衝撃だ。鎖骨が折れたか?肩が動かない?脱臼したか?そんな状態。こりゃぁ長引くかも知れない、、、、、、

 取り敢えず、確認、、、、鎖骨はどうだ?鏡でチェック、指で追っかける、大丈夫だな、、、、折れていないな、、、、、脱臼か?肩の丸みはOKだ。外れていない、、、、動くか?、、、、動くな、、、、、どうやら肩が上に上がらないだけだな。関節よりも筋肉だな。腱がダメージかな?

 さて、病院に行こうか?とも思ったけど、時間と共に痛みも牽いてきてチョット様子見だ。

 夜、筋トレ、ローラー台にチャレンジ、、、、右半身は問題無い。左半身、、、、手が付けない。体重が支えれない。手首のスナップも利かない。マズイかも、、、、、湿布して2時間経過、、、、、手首のスナップは復旧した。水平より下での動作も復旧した。

 取り敢えず、左手はやばそう。しかし、時間も来たんで就寝だ。

 明日から、復旧経過をコメントしてみよう。

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先行待機ポンプの勘所

 先行待機ポンプというワードで調べる人が多いので一つ、小ネタを。

 先行待機ポンプって大袈裟な名前が付いていて何が普通のポンプと違うか?っていうと、流体機械的には何の違いもない。タダの縦型斜流ポンプだ。駆動器が在って長軸の先にインペラーがある。そして長い駆動軸を何点かで保持しているだけのものである。

 にも関わらず、何で、そんな名称がついているか?っていうと、、、羽根車式ポンプの全ては、使用環境の大前提に送り出す液体中に羽根車が使っているというのが鉄則なのだ。つまり、羽根車の下側から水を吸い込んで上側に送り出す時、羽根車を駆動する軸を支える軸受は絶対に液体に曝されているのである。そして、この送り出す液体を軸受の潤滑と冷却にも利用しているのである。つまり、液体があるから軸が摺動しても大丈夫なのだ。この液体が清浄な水や油ならば軸受に配慮は殆ど不要である。その潤滑機構は、純粋にトライボロジーの世界の知識で片づくモノである。

 この手の軸と軸受の隙間に液体を存在させて機能させる滑り軸受の場合、重要なのは軸受隙間だけど、軸受隙間は使用環境に合わせて厳密に設定出来るし、摩耗限界を定義する事も可能だ。まぁ、この業界では、この隙間計算を数値的に厳密に行える企業ばかりか?というと、現実は違う。えぃ!やぁ!的に軸径の1/500~1/1000という機械ハンドブックの大雑把な方法で事を済ませる企業が殆どなのだが、、、、実際、荷重、周速、合成表面粗さ、液体粘度から、定義した隙間と、隙間で生まれる水膜厚さの関係が求まり、隙間と水膜厚さの変化率から初期隙間、摩耗限度隙間を決めるモノなのだ。

 それでも、この滑り軸受の計算は、上述のような流体潤滑の論理、トライボロジーの論理を駆使して行っているのが実状。

 しかし、このシステムの先行待機たる所以は、摺動部位に潤滑を司る液体が存在しない点にある。つまり、流体潤滑でも混合潤滑でもない世界、固体同士の接触の世界の話なのだ。この固体接触摺動に耐える摺動システムが確立出来るかどうか?が、先行待機ポンプが出来るかどうかの勘所なのだ。つまり、ポンプがポンプの役割を発揮する前段の液体無い状態でポンプを回す事が出来るかどうか?つまり、液体無しで摺動が可能かどうか?が、このシステムの勘所なのだ。

 つまり、摺動システムの設計において、流体ポンプメーカーが行いがちな流体潤滑の論理に捕らわれた摺動システムのデザインでは、固体接触摺動を賄う事は非常に難しいのである。出発点、視点を変えた摺動システムのデザインを発案する事こそが、このポンプの勘所と言えるのである。既存の概念、既存の材料の用法に捕らわれていたら、良い解には行き着かないのではないだろうか?
 少なくとも、自分の発案したシステムは、出発点として流体潤滑の論理には捕らわれていないし、流体潤滑の世界での機能から見れば従来システムに対してメリットは大きく無いものだ。しかし、発想の原点は固体接触故に、その世界では圧倒的なのである。

 最近は、これらの潤滑の論理を眺めていると、仮定の部分が実際と大きく違う部分がある事に気が付いた。そして、多くの人が見落とす部分が性能に宿命的な制約を与えている事にも気が付いた。そこで、固体接触システムでありながら流体潤滑性能を著しく高める物理的な工夫も開発して、今イイ具合に試験が進んでいるところだ。

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自転車通行帯、整備着々

 以前、画像掲示板にもアップした内容だ。
 自分の使っている周回コースに向かう途中の幹線道路沿い歩道の中にも自転車通行帯らしきエリアが整備されつつある。

Jihodo

 である。この茶色の部分が吸水、防音舗装されたエリアだ。本来は左半分のようなインターロッキングであり自転車で走るとゴツゴツ感溢れるものだったけど、この舗装は結構快適だ。

 因みに、ここは祇園新道沿いの歩道だけど、このような処置は市内中心部から幅員の確保されている歩道に整備されている。

 道交法では、自転車は車両、車両故に原則車道通行となっている。しかし、インフラの整備は歩道内に通行帯が確保されている。これが現実だ。因みに、この祇園新道は片側3~4車線の幹線道路であり交通量は24時間多い。そして、車の流れは非常に速い。確か50km/h規制だろうけど、実質は三桁で走る車も少なくないのが実情だ。そこに速度差の大きな自転車通行帯を白線一本で設ける事は、どちらかというと危険と感じるのは自分だけだろうか?

 自転車用ヘルメットなんてオモチャみたいなモノ。重量級の他車両と交錯して転倒した時に役立つか?というと、微妙な防具だ。更には、服装は無防備に近いのが実情。
 昨今では、ノーヘルスポーツサイクル、例えば、ノーヘル、ノーブレーキ、ピストを蔑ますショップもあるようだが、ヘルメットを被っているからといって、レオタードルックで足固定して公道で素人にロードバイクを奨めるのと五十歩百歩だ。
 持論は偏屈かもしれないが、競技用自転車を公道で走るならば、走る場所と安全のバランスを考えて、少なくとも、どんな防具を付けようとも、他の交通と交錯しない場所に限って利用を留めるというのが普通だと思う。
 安全を考えると、ダンプ、バス、車と走るには、穴あきヘルメットだけでは無意味だ。少なくとも原付バイク以上の防具は必要だろう。それが出来ないなら、歩行者を保護する前提でセニアカーばりに歩道を走るのが正しいと思う。それにはスポーツサイクルは適さないだろうが、実用という観点で自転車を捉えれば一般自転車をゆっくりと歩道で利用するっていうのが大多数が望む解だと言えよう。
 スポーツサイクルを市内歩道で乗れ!って言っているのではない。スポーツサイクルを市内歩道で乗るのもナンセンスだし、それの生い立ちから考えると、それ向きの装備をするならば、郊外、田舎で他の車両、交通との交錯が無いような環境で車道で乗ればよいだけの話である。どんなに装備をしていても、それは安全のための装備とは言えない訳であり、それを振りかざして安全を叫ぶのは変な話である。

 世間の大多数の考える自転車っていうのは、ママチャリであり通学自転車、OLやサラリーマンの通勤車両である。そのための公的インフラの整備としては、今の方法は至って正しいものだろう。しかし、行政が行っている施策が有効に機能するかどうか?は、そこが走る事の出来る空間として定着するかどうか?である。
 定着させるには、少なくとも、そのエリアに障害物が無いように運営すること。利用者がホントに便利と思える利便性を提供する事だろう。少なくとも、このエリアに違法駐輪等が生まれない事を望むし、そのエリアを守るような規制の運用も必要だろう。作りっぱなしで、ホレ使え!では、多分ダメだろう。モラル云々を考えると、本格的に取り締まる制度も併用すべきだ。

 一般的には免許作って反則金、、、、、ってなるんだろうけど、それって実質不可能。
 ならば、雇用創出と合わせて駐車違反取り締まり業者如く、違法自転車取り締まり業者でも作って現行犯で反則金納付状を送り続けるような制度でも入れてしまえ!と思ったりする。

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2010年1月21日 (木)

体温測定

 嫁、娘が色々とウイルス性疾患に感染して自分も!って思いながら過ごしているのだが、一応、予防と予測のために、このところは毎日定時に体温測定を行っている。

 体温測定を行うと、朝が36℃前後、夜が36.5℃前後で完全に静定している。嫁の不調は年明け早々から1/6位まで、娘の不調が1/12~1/16迄だ。その間の自分の体温は全く変化無し、今も変化無し、、、、、

 変化と言えば、加湿器が無い時に喉にダメージを受けたくらい。まぁ、この喉のダメージが辛いと言えば辛いのだけど、致命的という訳ではない。実際、喉の状態が最悪だった時にも3kmスイムを行っているし、その週末では、固定シングルで合計100km以上を負荷掛けて走っている。それ故に、コンディションがどう?っていうと、快調では無いものの、、、、って状況だ。

 因みに、家族の感染したのは娘がA型インフルエンザということ。息子の方は二歳児と言う事で予防接種を早いタイミングで受けていたせいか、ダメージは今のところ無し。娘は予防接種を受けて二日後に発症だから、予防接種で免疫が出来る前だったんだろう。

 それで、自分は大丈夫か?と言う事で一応診察は受けたけど、特に異常無し。但し、喉のダメージだけは正直、迷惑な話だ。

 話を元に戻すと、この季節は体調を崩しやすい季節でもある。その体調の変化を素早く知る事が疾病の重症化を防ぐポイント。日々の体調を管理するのに良いのは、やはり体温測定は外せない。器具があれば血圧、脈拍を計っておくのも悪くない。体温と血圧を測っていれば、身体がどうなっている?反応している?って事も自覚症状とは別は早く気付く事が出来る。そういう意味で、体温測定を行う習慣っていうのは悪くない。

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道具として、機材として、武器として、、、、

 学生時代には単車に凝っていた。一番高額な買い物は?っていうと、YAMAHAのTZ250だ。そう、市販レーサーである。市販車ではなくサーキットしか走ることしかできないアレである。中古でも60万円以上、新車では150万円以上の世界のオモチャである。
 これは基本的な素の状態を、コースに合わせて、乗り手に合わせてフィッティングして使うモノである。売られている状態のままで使う人っていうのは、、、、、実は殆ど居ない世界である。
 一方で、市販車の世界、、、、メーカーのテストで万人が乗れるように調整されて世に出るのである。この状態で、誰でも何処でもソコソコに使えるものである。これが基本であるのだが、市販車ベースの競技の世界では、市販車のままでは当然使えない。不要なモノを外すだけでも足らない。やはり、乗り手、癖、場所に応じたフィッティングが必要なのである。このフィッティングの必要性は競技?っていうと、実は、競技に使うという事に限らない。長きに渡る経験と理解によって乗り手は乗りやすいように万人向けから改変していくのが普通である。それは万人向けから個人向けへの変更であるのだ。

 どちらが正しいか?万人向けと個人向けを較べてみると、、、、、王道的、モノの立場から考えると、間違い無く、万人向けが正しいのである。万人向けというのは道具としてモノを見た時に、道具の機能を高度なバランスで保つような公約数的な解答であり、それに勝るモノは無いのである。
 何を以て正しいか?というと、道具であるからには、求める機能因子が多数存在する。その因子数を軸に取ったスターチャートに書き込むチャートの面積が大きければ正しいという事で判定する事も可能だ。

 しかし、万人向け、機械の都合での正しさっていうのは、個人が扱って最大の効果を発揮するとは限らないのである。それは、個人が機械の全てを発揮出来るような力をもっているとも限らないし、個人の得手、不得手もある。ある機能を犠牲にしてでも欲しい機能もある。それは、使い手、個人の目線で見たもので、道具をどう使うか?次第であり、それは個人にとっての都合であり、或る意味、汎用性を失い、普遍性を失い、機械の立場から見ると総合的な機能は縮小している場合も少なくないである。それでも、使い手が、多くを犠牲にしてでも得たい何かを武器として捉えれば、個人によるフィッティングは機械として万人から見た見え方としては間違いであっても、個人にとっては正解なのである。

 そう、機械を見つめると、純粋の機械の立場から見た道具としての部分と、使う側の人間の立場から見た部分に分けられるのである。前者が道具的な部分、後者が武器的な部分である。それは、全てのジャンルのモノに当て嵌まるのである。

 結論を言う前に、面白い話がある。

 例えば、ロードレーサーの乗り方、セッティングの蘊蓄について、、、、、有名な元選手で、例えば今中選手がいらっしゃる。彼は彼なりの乗り方、セッティングに関する意見を情報と発信している。そして、多くの人がその情報に接している。
 その中で、今中選手の乗り方に否定的な意見を述べる方も少なくない。

 それはそれで良いのだけど、一番の問題は、盲目的に乗り方や考え方を模倣する素人ユーザーの考え方が悪いと言う事の筈だけど、それを伝えずに乗り方マニュアルが悪いという表現があったとすれば、それは変な話である。

 何が言いたいか?というと、機械には道具的な要素、武器的な要素があり、前者は機械の都合、後者は乗り手の都合であり、競技具としては乗り手の都合で生み出したアドバンテージこそが大事であり、或るレベルに達した人の意見というのは、その人の素地やセンスを活かすという点において特化した解答であり、模倣する連中が素地として選手と同じモノを持っていなかったとすれば、同じ方法は基本的には通用しないのは当然だからである。

 そう、モノには道具的な側面、武器的な側面がある。道具的な側面では、機械の持つ本来の役割に沿った部分である。これは機械の原則論に従った部分だ。
 そして、武器的な側面では、機械の持つ機能の何を重視して何を捨てるか?という取捨選択で得られる特異な形が現れる。それは、機械を扱う人の思想に支配される。使う側がどういう戦略を取るか?で、機能の取捨選択の形は都度変化する。乗り方、組み方、選び方、全てに言えるものである。これは個人の思想に沿った正解であり、他人に取っては正解とは為り得ない答えである。
 例えば、ロードレーサーという用途が特化した乗り物がある。これは、自転車という漕いだら進む機械の道具的な部分と、それを使った結果で競うために優位性を得る武器的な部分がある。道具的な部分の考え方は、ロードレーサーという形に縛られないシンプルな考え方が通用する部分だ。
 これを武器とするには、道具的な部分の何処を重視するか、引き出すかを個人の資質に合わせて重要度を分配しなければ得られないのである。

 ロードレーサーで速さ云々を語る前に大事なのは、自転車というシンプルな部分で、どうあるべきか?という道具的な部分の理解が一番大切であり、そこから何を育て、何を捨てるか?を自分の資質に合わせて取捨選択する事が、武器としての自転車を作る第一歩なのである。
 いきなりロードレーサーを進めたり、ロードレーサーの乗り方、速く走る方法という事を言いながら、自転車の基本的な部分を混同して伝えたりしているのは、正直、理解不可能である。

 未だ、単車の世界、レプリカブームの時代では、ショップもベテランも素人にハードなモデルを薦める風潮は無かった。初心者に350cc以上の2ストロークとか、、、そういう推薦はナンセンスとしていた。
 しかし、自転車の世界、ロードバイクブームの現代は、ショップもベテランもいきなりハイエンドを進める風潮が蔓延している。そういう奨めは一般化している点が、当時とは大きく違っている。

 自分が自転車店で勤務している時、少なくとも、スポーツサイクルに憧れる人に、いきなりロードレーサーを奨めた覚えは無いのだけど、今は時代が変わっている。今は、いきなり奨めて、いきなり乗り方指南するのが普通のようだ。そういう意味で違和感を常に感じている。初心者がロードレーサーで速く走る基本、、、、、こういう文言は未だに理解出来ない。

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2010年1月20日 (水)

使う筋肉は意識できる?

 自転車ブームの今、速くなりたい人がハムストリングスを動かしたとか、ここをこのように動かしていい具合とか、、、、あるいは、足が売り切れた?脚が一杯になった?から、筋トレして大腿三頭筋を鍛えるとか、、、、ケイデンスが上がらないから、何処を筋トレするとか、、、走っている時に○○筋が不足しているから、○○筋を鍛えるトレーニング、、、、、とか、そんな話を聞く事が多い。

 でも、そういう話をされても、自分の回答は、正直、乗っている時、漕いでいる時に、○○筋が足らないとか、、そういう事を感じた事無いし、ハムストリングスを使えているぜ!なんて実感を得た事も無いのである。
 そもそも、今の不具合や不満が、何処の筋肉の不足なんて因果を明確に言い当てるほどの感覚を持ち合わせていないのだがなぁ、、、、なんて思っており、みんな凄いなぁ、、、凄い割に、大したことないなぁ、、、、なんて思うことがとても多かった。

 しかし、さっきのプロ野球ニュースで、ゴルフの石川遼選手がスキーのクロスカントリーに挑戦し、筋肉の使い方、使ってる筋肉の違いに驚いたとのコメントをされていたけど、プロスポーツ選手でも、どこそこの筋肉を具体的にどうやって動かす!なんて意識を持っていない事が判りちょっと安心した。そういえば、以前、カープの永川投手が競輪トレーニングでピストに乗った時も、筋肉の使い方、部位の違いに驚いた旨をコメントされていたけど、筋肉をどのように意識して動かすなんて考えている人は居ないのでは?って、改めて思うところ。

 少なくとも、自分の筋トレは、筋肉を肥大させるとか、特定の部位の筋肉を鍛えるなんて意識は殆ど無い。四肢に目的の動作が出来るように練習しているに過ぎないのである。目的の動作を行っている時に、何処の筋肉を使っているなんて意識も持っていないのだ。そもそも、筋肉を付ける事は目的でなく、目的の動きができるようにしている訳であり、その結果として場合によっては筋肉が付いているだけなのである。

 筋肉を目的としている人に対して、自分は目的の動作を行えるようにしていいるだけで、結果として筋肉が付いている場合があるだけの話なのである。

 これは、筋トレして速く漕げるとか、速く泳げる訳ではないのと同じ事である。速く漕げるようになる、速く泳げるようになるのを目指し、必要な動作が行えるように、その動作を抜き出したトレーニングを行っているだけなのだ。だから、その内容は筋肥大狙いとは違うのは言うまでも無い。

 目的はダイエット、健康管理に効果的なのは、自分が幼少から取り組んできたスポーツだという考えがある。その結果が水泳と自転車であり、水泳なり自転車に乗って、若かった頃に感じた感覚を味わう事で効果的にダイエットや健康管理を行うというのが大きなストーリーであり、その感覚を得るには、気持ちよく泳ぐ、心地よく漕ぐと言う事。それが出来るようにするには、部活で習った部位トレも併用して、種目における能力維持向上を図っているだけの話なのである。勿論、行っている部位トレは、自分が種目を行っている時に苦手を直す目的であったり、得意を生かす目的だったりするけど、その方法は自分固有の資質に合わせたものであるのは言うまでもない。

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過ごし方

 先週の木曜、金曜は娘のインフルエンザ感染で自分は公休扱いで休みとなった。で、土日と合わせて四連休である。

 これが思い掛けない四連休、、、、、、休みは好きなんだけど、このような不意の休みっていうのは時間が余りすぎである。娘は寝ているので遊びに行くのも無し。でも元気。会社に出掛けるというのは無し。すると、一日が凄く長いし、無駄に過ごしている感じ。

 しかし、、、、過去を振り返ってみると、学生時代を含め、会社勤めの今を含めて超多忙な時期もある。学生時代ならば修士論文発表前の一週間っていうのは泣きたくなるような忙しさ。社会人時代では、国の補助金による事業で監査前の一週間っていうのも連日丑三つ時迄の残業だったし、産官学の共同研究では公的研究機関で午前零時近く迄の実験もあった。純粋に会社の仕事では、年末年始を挟んで年明けの顧客への製品プレゼンテーションに間に合わせるための設備システムの製作という期限に合わせ残業時間が月間で150時間を軽く超えた事もあったけど、そういうのは充実しているというよりも、正直、面倒臭いし、アホらしいって思う事の方が多かった。

 敢えて、多忙であっても不満が出ない状況は、人の為、組織の為でなく、純粋に自分の為の時。そう、仕事ならば自分の学位とか権利取得のための活動であったり、それ以外では自分の趣味遊びって状況に限られる。

 そうして考えると、多忙を容認するのは、自分のための活動の時。

 それ以外を考えると、忙しすぎるのもNGだし、全く出掛ける事の出来ない状態も暇すぎてNG。理想は、程良く適当に出掛けて、出掛けた先で気楽に過ごすというリズムということ。忙しくなるのは嫌だし、やる事が無いのも嫌。適当に過ごすという、頃合いの良さが心地良さには大事なようだ。この微妙なスタンスを保った過ごし方っていうのを生活の基本に据える事が大事って事に、この公休を過ごして改めて気が付いた。

 そういう意味で、この二日間の公休は非常に有意義だったと捉える事が出来る。

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気温とパフォーマンス

 この日曜日、朝は相当に寒かった。午前7時から定例走行では吐く息が白いのは勿論だけど、走り始めると、耳、指先、足先が痛いような寒さ、、、、体温も上がらない。

 となると、、、、ペースも上がらない。風の強さばかりが堪える走行だ。体調が完璧とは言えないけれど、それでも、前日の昼前走行では、楽々だったし、前々日の3kmスイムでも楽勝だった訳で、体調よりも気温の影響が大きい。

 走行時の気温が零度近辺では身体が活動状態にならないようだ。まぁ、分かり切っていた事とは言え、これ程迄に違うとは、、、、実際、心拍数も上がらない。っていうか、上げれない。走り始めが60~80bpm、土手の周回コースに入ってからも110~130bpmと何時もに較べると30~50bpmは低い。気温が低く、体温が低い。それ故に、身体が収縮している。血管も収縮している。それ故に、血圧が上がらないように心拍数が抑えられる。となると、筋肉の活動に必要な酸素が送られない、、、、よってパフォーマンスは上がらない、、、、、このスパイラルである。

 気温が7~10℃程度になると身体が暖まって、走行風が加熱分を取り除く程度となりイイ感じで平衡する。最大心拍も180bpm程度となる。気温が15℃を越えると、発生熱量も相当に増えるから薄着で走行風も十分必要、、、、その時は最大心拍数で200bpmを軽く超える事も珍しくない。

 結局、気温による体温、走行風による冷却能力によって心拍状態の上限が決められる訳だ。パフォーマンスの上限が心肺によって決まるか?或いは、筋肉によって決まるか?は、人次第だけど、ここ最近の走行負荷程度では、自分の場合は、心肺の機能を律する気温によって大きな影響を受けるようである。

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2010年1月19日 (火)

二輪車教育!?

 自分は自転車に補助輪無しで乗れるようになったのは、相当に遅かった。今でも鮮明に覚えているけど、最初に買い与えられたのが22インチの自転車に巨大な補助輪がついたブルーメタリックの自転車。確か、ロッド式のブレーキで今なら重量運搬用の実用自転車のような構造の小型の自転車だったのだが、幼稚園児が跨ると、まるで空を飛んでいるような感じを受けたものだ。
 そんな自転車で自転車に乗るための練習というと、半ば恐怖との戦いをしていたような印象である。

 それ故に、自分の子供には、そんな苦労はさせまいと、、、、、上の娘には身長に合わせた幼児車を与え自転車の補助輪無しデビューが速く出来るように練習させてきた。基本的な車両の調整は子供の成長に合わせて頻繁に行い、年少組(4歳)の内に乗れるようにして、幼児車を連れて日帰り15km程度のサイクリングに連れて行ったりしていた。その甲斐あって、年中では相当に上達し、年長組になってからは今のジュニアマウンテンバイクを与え、ステム等々を身体に合わせて交換し、変速機の使い方、漕ぎ方の指導を行って標高150m程度の山、勾配で最大斜度12%くらいの坂なら足を付かず一気に漕いで上がれるようにして、今では自転車に相当な自信を持っているようである。
 正直、自転車に乗ってペダルを漕いでいる様は、親の自分以上に上手いかな?と思うほど。教えていないけどペダリングは相当にスムーズ。もちろん、スムーズに漕げるようなポジションと乗り方のコツを伝えているけど、飲み込みが速いのは幼さ故の凄さだ。

 なお、娘に乗り物を与えたのは誕生日プレゼントであり、二歳で三輪車、三歳で14インチ幼児車だ。20インチのジュニアMTBは誕生日でなく年長組に上がる前に繰り上げて与えている。

 そんな過程から息子はどうするか?と考えた結果、三輪車は不要?という判断で、ペダル漕ぎの前にバランス感覚、二輪車感覚を与えるという事で、二歳で木製のバランシングバイクを与えてみた。バランシングバイクの対象年齢が三歳以上だけど、チョット成長が早く大きいので良いか?という判断で一歳半で与えてみたのである。なお、当初は足が届かないので、サドル部分を日曜大工で作り直して足が届くように改造している。
 乗り始めはさすがに怖かったのだろうけど、後ろから支えて押して暴走気味に走らせて、曲がるときはしっかりバンクさせて曲がるという練習を繰り返すと、二輪車の扱いを会得した様子。曲がる時は車体を思いっきり寝かせて駆け回る。超、面白い。今、二歳半だけど、このバイクに跨って家中を暴走爆走しているのだが、狭い部分では、車体をハンドル部分を持ち上げて向き変えしたり、サドル部分で後輪を持ち上げて向き返したり、、、、自由自在である。

 それで、屋外でお下がりの補助輪付き幼児車に乗せると、これまた爆走したがる。但し、二輪車は足で蹴って進むものという意識が強いせいか、ペダルを漕ごうとしないのが難点だったのだが、娘と同時に遊ばせると、ペダルは漕ぐものという意識を得たせいか、良い感じだ。勿論、車体のバランスはすでに補助輪に頼る頻度は少ない様子。

 この調子で行くと二歳の内、後半年で補助輪無しで暴走できそうだ。

 なお、娘には今は一輪車の練習、インラインスケートの指導を行っている最中だ。

 出来れば、二人とも最低でもスポーツサイクル乗りにしたいし、あわよくば、レプリカバイク乗りにして三人で峠ツーリングに出かけたいものである。ロードだろうが、ピストだろうが、2ストレプリカだろうが、最低でもオヤジ以上のレベルになってもらいたいものだ。

 まぁ、子供からしたらイイ迷惑かもしれない。オヤジのオモチャになっているかな?とも思ったりする。

 ところで、近々、我が家にはBMXを導入しようかな?と考え中。公園や土手で面白い扱いを見せて自転車は楽しいぜ!を見せるには、そういう自転車が必要だ。もちろん、今のトリック系なユーザーのような事は出来ないけど、浮かせたり、跳ねたり、岩を登ったり、下りたりの範囲ならOKだ。
 兎に角、オヤジレベル以上には仕上げたいのが願いだ。

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サイクリストの輪

 自転車ブームの広がりを実感する事が増えてきた?
 ニュース、雑誌といったメディアで取り上げられているけど、そういう遠い?世界の話でなく、自分の身の回りでの話だ。

 自分の場合、嫁、娘の自転車を買うなら町内で家に一番近い所が便利!という事と、自分自身、大昔に買った事があるというので選んだのがニシダサイクルさんだ。
 自分が先に買って云々なら、サークル活動、部活、自分のバイト経験ということで、自分の通っていた中学に近い○ツナガサイクルズさんでの調達と言う事になっただろうけど、自宅からの距離を考えると、嫁、娘がお世話になるのは難しい。

 嫁、娘の自転車は兎も角、今現在は自分の自転車のお世話を頼む事が多くなっているけど、ニシダサイクルさんを選んで良かったと思っている。

 自分の趣味の部分で単車に近いポジションになりつつあるのが自転車だけど、そうなってくると、色々と身近から自転車ネタで相談を受ける。受けると言うと、前提としては、相談者自体が自転車に興味を持っているから。更に言えば自転車を買いたいという希望を持っている。一般論的な相談では、何処何処で買って下さい!なんてセールスは一切行わない。ブランドの話、流行の話、機能の話程度しかしない。

 心の奥底では、自転車っていうのは身近な乗り物故に、買うには地元のお店っていうのが一番便利という考えを今でも持っている。何かあった時に迅速に対応してくれるっていうのは、各人が育ってきた生活環境の中で育まれた信頼関係が前提というか必須だと思うからだ。それ故に、自分にとっての地元のお店っていうのは、同僚にとっての地元のお店とは違うのは当然だ。 敢えて、店の場所を地元から選ばなくっても良いというユーザー層を思い浮かべるとすれば、それは、自分で何でも出来るとか、ブランドを特定するという場合くらいである。
 勿論、自分の出入りする店で聞いてくれ!って頼まれれば、店を紹介するけど、それ以上っていうのは無しである。

 そんな訳だが、身の回り、特に会社の同僚で自転車を買う方の多くが、ニシダサイクルさんで購入されている。会社の同僚っていうのは居住地域はバラバラであり、自分と同じ牛田町内に住んでいる人は皆無で、各人の居住地区には普通に自転車屋さんはあるのだけど、わざわざニシダサイクルさんで買っている。

 そのためか、ニシダサイクルさん主催のサイクルイベントには、新規のお客さんとして知り合いの結構な割合になってきた。
 こういうのを目の当たりにすると、自転車ブームなんだなぁ!って言うのを実感する。

 昔のレプリカバイクブームで自分の出入りするショップに知り合いが増えてくると同じように実感したけど、正しく、そんな感じである。
 まぁ、自分の選んだお店が、他の人から見ても、この店にしておこう!って決断しての結果であり、或る意味、自分の見た判断っていうのが間違っていないと言う事とも考えられる訳だ。多くのお客さんが増える。そこに知り合いが増えるというのは、イベントでも知り合いが多く参加するということ。

 最近は、乗り方、漕ぎ方、選び方、走り方、、、、そういう所で相談をうける事も少なくないけど、そういうのを教えて喜ばれるのも悪くない。まぁ、相談されるのも、自分に話しを聞いてきて、購入に到る経緯で自分の話の多くを受け入れられているので、逆に、信用されているか?とも思う訳で、そういう状況では、基本的な道具としての使い方はしっかり教えようって気になるのも事実。それで輪が広がるのは悪くない。

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2010年1月18日 (月)

買い物する時は?

 自分は買い物をする時、なるべく地元の商店を利用するようにしている。
 勿論、設置搬入面で難しい場合、即時入手が困難な場合は仕方ないけど、そうでない場合は、極力地元商店を利用する。

 勿論、価格も或る程度は重視するけど、価格は最重要ポイントではない。買うモノによって異なるけど、容認出来るモノはなるべく地元で買うように心掛けている。モノを額面だけで判断して買うと言う事は稀で、商品の売買行為の中で人間関係を作ったり、或いは、地元の活気維持に少しでも役立とうって気持ちの方が優位にあるのである。

 人間関係を重視しての買い物の場合は、自分にとっての趣味性の強い買い物ジャンルに多く、地元の活気という面では単価が少なくても頻度が多い消費品目に多い。耐久消費財で使用年数が5~10年以上というモノの場合は、アフターサービス体制重視で選ぶ場合が多い。

 自分の趣味系の場合、単車、自転車、自家用車、デジカメ、パソコン系は、店側担当者との人間関係を構築するのを最重要視している。価格は二の次である。正直、価格で要求を出す事は稀で、基本は相手を信頼して任せるというスタンスだ。人間関係っていうのは、鏡のようなモノであり、自分が相手を信頼すると、同じように相手も自分を信頼するもの。そういう人間関係を作る事が一番大事なのだ。一円十円でガタガタ言うような態度では、当然、相手も自分をそういう客と捉えるものなのだ。趣味を楽しく過ごすには、そんな数字だけの顧客関係よりも、趣味という土壌から拡がりのある人間関係を作った方が楽しいという考えに基づくものである。

 地元の活気を保ちたいっていうのは、住んでいる街から小売店が消えるのが何となく寂しいという思いがあるからだ。勿論、小売店が大量販売のチェーン店に対して価格的競争力が無いのは判るけど、だからといって、その金額の差が数千円程度の場合、それで市内迄出向いて買うか?っていうと、、、、自分の考えでは有り得ない。少々高くても地元商店の場合は、利便性が高いし、融通も利くのは大きなメリットだ。地元故に、チョットした合間で用を済ませられるのは非常に大きなメリットだ。お店の対応も市内のチェーン店に較べると顧客にニーズに細かく対応してくれるのは有り難い。高々数千円の範囲では、実質的な経費差は案外少ない。僅かな金額差が利便性をひっくり返す程の魅力を感じないし、何よりも、地元が賑やかな方が自分は嬉しいのである。

 大型の耐久消費財についてはアフターサービス重視で、、、、これは省略するけど、何にしろ価格最重要で買い物をしていないのは確か。必要なモノであれば買う。但し、安いから買うという事は無い。必要なモノを選んで見た金額で買うかどうかの判断は行うけど、高いから我慢して機能を落として買うという買い方ではないのだ。

 自分で満足するのは、安いからではなく、必要なモノが得られるか?が判定基準。機能を満たしているかどうか?便利かどうか?人間関係が作れるかどうか?が最重要なのだ。

 そんな考えで今まで買い物をしてきたけど、それで大金を使ってきたか?っていうと、今振り返れば、実は最高にお買い得な過ごし方をしてきたように思う。
 額面重視で安いところを探し歩いて買う人は、買い物で満足しているというけど、そういう人は非常に多いのが現実。そういう買い方では、売る方から見ると、客は大勢の中の一人である。その一人に特別の計らいなんて有る訳ないのだ。人間、長い時間を掛けて信頼関係を作れば、客と店という仲を越えた関係になる事は少なくない。そうなると、額面では計る事の出来ない関係があるもの。それは、どんなに大金を叩いても手に入らないのだ。そういう関係を得られる事が大きな財産では無いだろうか?

 これって、物事の判定をスペックだけで語る人には理解出来ない考え方かもしれない。他人の尺度での数値に捕らわれたり、テストの点数だけで優劣を評価するしか出来ない人っていうのは、在り来たりの数字でしかモノが見れない訳であり、そういう人が多いのが、激安に群がる民衆を相手にした商売ばかり持て囃される社会になっている理由かもしれない。 

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絵に描いたような事故

 先日、会社から帰る途中、何時も使う裏道がエラク渋滞、、、、渋滞の先に救急車、道路を塞ぐようなトラック、、、、近付いてみると、テールボックスを装備した原付二種のスクーターと二トンダンプの衝突事故のようだ。

 そう言えば、二トンダンプは軽快かつ俊敏で図体の割は激しい運転する車両を沢山見掛けるし、テールボックスを装備した二種スクーターっていうと、これまたエラク感じ悪いというか、激しい運転するオッサンを多く見掛ける。

 この2つのパターン、確かに俊敏なんだけど、上手い感じはしない。荒っぽいというか、忙しないだけである。信号で言えば、青黄当然!赤勝負!とか、赤信号でもエンジン掛けたまま押して交差点をスルーするパターン。責めてエンジンを停止してから押すならば容認出来なくないけど、エンジン掛けっぱなしで押して通過するのは、モロ、信号無視の筈。

 この二パターンっていうのは頻繁に見る光景だが、その二台が交錯すると事故になるのも或る意味当然と言えば当然。
 他にも、ゆっくり走れば安全?という意識かどうかは知らないけれど、エラク遅い車も事故の起点になりやすい。ゆっくり走れば、全てOKという認識かどうか知らないけど、一時停止も何も無しで、ドヨーンと交差点に進入して事故する御婦人もよく見る光景だ。

 結局、ルールを守って運転すれば事故の確率は非常に減るモノ。標識、信号は当然だけど、四つ角で信号の無い交差点では左方優先の原則とか、或いは、広くない幅員の坂道では意味があるかどうかは別として上り優先の原則がある。その原則に従って走れば事故も諍いも相当に減ると思うけど、その取り締まり対象となりにくい原則は感知しない人が殆どで、事故や諍いは、そういう場面で多発しているのも事実。

 そう言えば、絵に描いたような事故が減らないのも不思議だ。雨天での直進二輪車と右折四輪の右直事故も注意が常に促されながらも減らないし、当事者も、当事者となるまでは自分はそんな事は無いという風に思いながら当事者になるのも笑える。

 他にも貰い事故ってのもあるけど、案外、貰い事故っていうのは避ける事が出来無くないのも事実。幹線道路走行中では、大型車両に近付かない、併走しない、挟まれないような位置取りして走るとか、郊外の交差点で信号で停止する時は、後続車両が認識しているかどうか?をバックミラーで確認しながら減速停止するように心掛けるとか、そういうのは普通にしているけど、それも貰い事故を避ける工夫だ。
 勿論、共用の駐車場では、駐車位置が選べる時は、島角位置には停めないし、誘導路の角に面した位置にも停めない。更には、両サイド、或いは片方だけでもポールや支柱で隣と物理的に区切られた位置を探して停める癖が付いているけど、それは通過車両、隣接駐車車両との干渉を嫌っての事。

 大体、人間は勝手なモノで、自分の不注意で付けた傷は容認するけど、それ以外で受けた被害には誇大に反応する。それで嫌な気分になるのを極力さけるには、日頃の注意力が必要なのである。
 事故に限らず、生活で遭遇する様々な事柄は、どんなモノでも固有性があり、固有性の多くには自分の人間性が関与しているもの。それを自覚していれば、注意を払って過ごすし、その上で遭遇する不可避な事に対しても、それは仕方ないかと諦めも付くもの。そんなもんである。

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2010年1月17日 (日)

加湿器

 インフルエンザ対策に限らず、冬場の乾燥には加湿器が有効だ。
 特に、冬場に暖房器具を用いて部屋を暖めると一段と湿度は低くなる。そもそも低温では飽和水蒸気量が少なく、低温故に絶対的な空気中の水分が少ない。そこで加温すると湿度的には激しく下がる。低湿では、喉を痛める。これは結構不快なモノだ。

 で、低湿対策で加湿器っていうのが、ここ十数年急速に普及してきたけど、これは、住宅の高断熱性が高まり、冬場でも温度を保ちやすい環境が広まった事とも無関係ではない。
 実際、自分も実家の旧来の木造家屋で生活していた頃には加湿器云々は思わなかったし、屋内でも厚着で対応していたのだが、今の住居では冬場でも夏スタイル。それは暖房を掛けているからだけど、その分、湿度は低いのである。それ故に、加湿器は必須家電となっている。

 そんな加湿器だけど、最初に買ったのは数年前で、ハイブリッドタイプのナショナルの加湿器だ。機能としてはマイナスイオン発生器も装備、空気清浄機能も有した高機能タイプで、高温蒸気も発生せず安全だし、非常に静かなのだけど、これはフィルターを頻繁に交換しなければならないのが使いづらい。

 そんな反省で、次に導入したのがシンプルなスチーム式加湿器。スチーム式故に消耗品的なフィルターは無いのだけど、それでも空気取り入れ口のフィルター清掃は必要であり、内部の水タンクから加熱部に送るラインの途中にはフィルターらしきモノが存在する。
 それ故に、フィルターの清掃はやはり必要なのだ。
 まぁ、ハイブリッドタイプ程、頻繁なフィルター交換は不要なのだが、フィルター清掃は必要というのが、やっぱり不満。

 最後に今年ゲットしたのは何?っていうと、今度はスチーム式でも純粋に湯沸かしタイプの加湿器。それ故に蒸気は非常に高温だけど、エアー系は存在しないのが良い。構造的には、モロ炊飯器、モロ魔法瓶タイプ、、、、メーカーも象印。これはフィルターが完全に存在しないのが良い。メンテナンス性を考えると、これが一番だ。結局、使い心地に惚れて二台投入した。大型のモノと小型のモノを各一台。

 ということで、個人的には、スチーム式がベスト、機能は何もない。強弱の切り替え程度だけど十分。一番使いにくいのが高機能タイプのハイブリッド式。それが結論だ。

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1/10~1/16の週の検索ワードピックアップ

★タンケンライトにLED
 タンケンライトにLEDを使う、、、、簡単なようで結構難儀。
 タンケンライトは単一か単二の乾電池を通常は三本直列でタンケン球を光らせる懐中電灯だけど、一番メジャーなのは単二×3本のタイプ。これをLED化する場合、LED球を自作するか?購入するか?だろうけど、普通は安易に購入する。
 でも、タンケンライトのリフレクター部分っていうのは結構短くて、LED球を入れると正面レンズにあたってしまうのである。特に普通に出回っている3.8VのLED球では難しい。仮に3.8Vを装着できたとしても、出来れば駆動電圧の4.5Vの方が望ましい。4.5Vで球サイズがレンズと干渉しないようなモノは案外見付けにくいのである。
 そういう意味では、タンケンライトでもナショナルとかブリヂストンが販売していたタイプよりも、ノーベルとかが出していたタイプならLED電球を装着してもレンズと干渉しにくい。
 電球とレンズの干渉するかしないか?の見分け方、、、、それは電球からレンズまでの距離が有るか?無いか?だけど、スイッチオンで電球が前後にスライドして焦点距離が変えられるタイプなら大丈夫。つまり、ライトスイッチが懐中電灯の胴体の側面前方寄りのモノなら大丈夫。スイッチが胴体底面部に有るタイプでは厳しいだろう。

★ビーンズハウス
 2010年モデルのビーンズハウスの記事の注目が高かったようだ。今度のモデルはキャリパーブレーキ+バンドブレーキ、少なくともDAHONのOEMとは異なる構成。一見はメトロOEMっぽいけど違うモノ。販売店在庫の2009年モデルがお奨め。何たってヘリオスと同じ系統のアルミフレーム。2010年モデルはDAHONカスタム遊びを目的とする趣味系サイクリストには向かない。パナソニックの折り畳みなら廃盤となって久しいレ・マイヨWの方が遙かに楽しい。

★日本人の脚の太さの平均値
 色んなサイトに色んな数値が載っている。
http://homepage3.nifty.com/orangejuice/index.html
 が詳しい。
 太股の太さは、51.5cmと紹介されている。脹脛の太さは、35.6cmだ。競輪選手のS級S班の選手の脚の太では、太股は57cm~74cm、平均では63cm程。脹ら脛は40~43cmで平均は42cmとなっている。太股で10cm以上、脹脛で5cm以上は太いということ。その分、パワフルなのである。
 但し、デブで脂肪が厚いのは論外なのは言うまでもない。このサイトによると、標本体型としては身長が170cm、体重が60kgと普通だ。

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2010年1月16日 (土)

開発論

 寒波の襲ってきた1/13、素材関連の講習会に出席した。新しい技術関連では、その専門分野の紹介に終始する事が多いのだが、最近は、その細々とした内容には関心が持てない事が多い。

 講演での総論を聞いて判断するようにしている。何を判断しているか?っていうと、後援者である研究者、開発者の意志や意図は何処にあるか?誰の意志で行ったか?というところだ。本人の意思がメインでない時は、如何に優れて先端的な内容でも、チョット迫力に欠けるように思う。

 例えば、新素材の講演があったとする。その素材が世間の注目を浴びていたとする。一般には材料技術者が一生懸命素材開発を行う。開発の指針は物性を高める事だったりする。それはそれで良いのだけど、その適用の仕方というか、市場への問い方の部分が弱いと感じる事が多い。
 っていうのは、新しい注目度の高い技術が出来ました。これを、既存の何かに置き換えようとしています。でも、コスト的に厳しいです、、、ってパターンが多い。コスト的に厳しいけど、ある部分では、こんなに性能が優れています!ってノリの説明では、何だか開発の意志の弱さを感じるのである。

 それよりも、今、世の中では、こんな事が出来れば良いな!って言われています。でも、それを実現出来る技術は世の中にありません。それを適えるには、こんな機能が求められています。だから、そんな機能を具現化した技術を開発しました。出来たモノが無ければ、絶対に製品は成立しません!ってノリの方が、開発の意志が強いと思うのである。

 エンジニアに必要なのは自己満足でないのである。夢があって、それを具現かするのに必要なのは何?それを得手、不得手、専門、専門外といった自己都合を問わず求める意志こそが必要なのでは無いだろうか?
 そういうエンジニアが極めて少ないような気がする。多くの理系出身の理系モドキは、問い掛けに対して専門外だからとか、知らないからとか、やった事がないから、、、とそんな理由で、未知を辞退する人が多い。歳を取る程、そう言う傾向が強い。ホントは、誰もやったことがない事に取り組む方が、ハンディが無い分、やり甲斐があると思うのだけど、未開の地を切り開くのを一人でやるのを嫌がる人が多いようだ。

 必要なのは、需要を掘り起こす事。その需要は、今、適えられていないモノであるのが望ましい。誰も出来ない事をやる。そういう気持ちを持つ人が居る企業程、強い企業になるように思う。

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海自補給活動、終了!

 ニュースで知ったけど、海自補給活動の最終部隊が昨年12月に出発したとのこと。
 気になるのは、この燃料補給艦だ。燃料補給艦は燃料を他の船舶に供給するものだが、これについて任務が事故を起こすことなく終わって良かったと思っている。

 っていうのも、この最終出向した燃料補給艦が該当するかどうか?は、記憶では定かではないが、○ツイ造船で建造された艦艇で、2002年起工、2004年竣工に該当する補給艦で『ましゅう』って艦艇がある。本機は中期防衛力整備計画に基づく平成12年度計画13,500トン補給艦4015号艦に該当するものだが、実際にインド洋でテロ特措法に基づいて任務に従事した艦だ。

 この艦船に意識が強いのは、この艦船の燃料補給用機器のとある部品に当時新開発したモノを用いていたのだが、その部品は任務に従事するという事で非常に長い時間に渡り継続的に使用されたモノである。
 そのモノが無事にトラブルを起こすことなく任務を終えたっていうのは、チョット一安心だ。

 因みに、何?っていうと、この補給艦の主な役割である燃料補給装置の部品である。
 この部品は、燃料供給装置の基幹部品であるけど、その部品の素材が当時新開発した材料なのである。この材料は1994年から完全に一人で基礎研究を行い1996年に基本が完成した材料だ。これを実用化するために、1997~1999年の間にパイロットプラントを整備し製作したものである。
 これは、主に耐食耐摩耗用途で用いられる硬質摺動部材で、その部材を用いた基幹部品の事だが、今現在は2003年に大きな進化を遂げている。具体的には、現在流行の炭素繊維材料を部品として組み込んだ部品に進化しており、首都圏の公共インフラにおいてゲリラ豪雨対策として機能する機械の部品としても用いられている。現在は、艦艇向けの耐食耐摩耗性という機能の他に、公共インフラで機能するための機能として、無潤滑摺動、気中、無水、ドライといった条件でも耐えうる機能を有している。

 そういうモノだけど、その最初期のモノが日本の国際貢献と言う事で、絶対に壊れてはならない状況で、何の問題もなく完璧に機能したというのは、正直、ホッとしている。
 本来、艦艇向けというと、高い機能を求められるけど、実際は使われる事は極稀で、民生用途の方が遙かに過酷なモノである。用途的に厳しいゲリラ豪雨対策の設備といっても、年に何回ゲリラ豪雨警報が発令されるか?っていうと、正直、数える程しかないのが実際だが、インド洋での燃料補給というと、殆ど毎日連続的に稼働してい訳であり、その使われ方は、非常に厳しいものだっただろう。それが、任務を全うしたっていうのは、ホント良かったと思う。そりゃぁ、民生用途の方がハードだし、ゲリラ豪雨対策の方が更に過酷な条件だけど、絶対に壊れてはいけないという部分では大きなプレッシャーがあるのだ。

 話は変わるけど、一応、完全に自分一人でゼロから生み出したモノが、実際に現場で使われて、現在は公共インフラでも使われている。開発系職種勤務のサラリーマンで、ベース無しでゼロから開発したモノが一つでも実社会で使われるって経験は、余程の大企業のエリートでも無い限りは体験出来ない気もする。逆に小さな会社だったから干渉を受けずに出来たというのもあるかもしれないが、、、、
 まぁ、生まれて教育を受けて社会に出る。そして創造して得たモノという形で一つ社会に還元できたっていうのは、或る意味、人生での社会に対する役割は全うしたかな?なんて甘い考えを持ってしまいそうだ。振り返れば、ゼロから作って社会に提供し、進化型も提供して今だ。要した時間はざっと15年以上を掛けている。これから新しい事が更に出来るか?っていうと、今から15年を加えると定年年齢に近づく訳だし、もう終わりでよいような気もする。後は、惰性というか慣性で悠々と過ごし人生を楽しむのも悪く無いような感じだ。

 これからは、社会に対する責務は果たしたような感じなんで、余生は自分のためだけに、家族のためだけに過ごしていきたいモノ。健康第一、育児第一、それで楽しく過ごしたい。

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2010年1月15日 (金)

少年野球クラブは青少年の教育に、、、、

 野球って言うと国民的スポーツの一つである。そして、その入門から底辺を支えるのが各地で運営されている少年野球クラブだ。

 見れば、保護者も参加し、揃いのユニフォームを着て河川敷の広場で数多くのチームが練習、試合を行っている。
 それは、まだ良い。

 でも、思うのは、この練習に参加する子供達の事だけど、多くは自転車に道具を満載して通っている。しかし、幅が3m程の歩道や車道を、この自転車で通っている子供の100%は、道幅一杯に道路を3列、4列並進で占拠しておしゃべりに夢中になりフラフラ運転している。野球チームということで、それが十数人、、、つまり、3列、4列が4重、5重で移動しているのである。

 正直、全部土手下に落としてしまいたい衝動に駆られる。

 おしゃべりに夢中過ぎて、直後から声を掛けても聞こえない。当然、ベルを鳴らしても聞こえない。声掛けも最初は優しい口調だったけど、最近は、つい、怒鳴ってしまう事も少なくない。それでも聞こえない。そして、ニヤニヤ笑っている場合が多い。

 当然、故意では無いとは思うけど、抜く時は、3列、4列のまま一カ所の隙間を空けるだけであり、何故に、1列走行に戻らないか?という程だが、それは4重、5重走行で一列に戻れない癖が付いているが故に、4人の4列走行でも一列に戻らない。
 それでスルー出来れば良いけど、こいつらは、側方通過中にこちらに寄りかかる事も少なくない。

 過去にそれで、二度程接触した事がある。つい、怒鳴ってしまう。下手に出て声掛け、ダメならベル、、、、とステップを踏んでいるのだけど、反応が変わらないので仕方ない。
 先日は、安佐南区の大町少年野球クラブのガキ共だ。野球クラブの先、目指す方向は、中には甲子園とかなんだろう。ならば、せめてモラルも教育させて欲しいものだ。野球クラブの主催が、野球好きのオッサンか何かだろうけど、子供を集めて教える時には、モラルや礼儀も教えていれば、通ってる途中の子供の態度も少しは変わっている筈だ。

 実際、青少年の教育のため!なんて言っているけど、ホントのところ、上手くなりゃOKとか、少年野球大会で入賞すればOKとか、その世界の結果だけ求めるために運営しているのが実状だろう。
 まぁ、学習塾でテストの点とか入試に受かるとかの結果を得るためだけに、過去問演習とか、難問解法テクニックを教えて点数を取る結果だけ求める運営と同じ様なものだ。

 教える側だけの責任でないのは理解している。野球クラブだろうが、塾だろうが、通わせる親が、技量とか点数を求めているから、ニーズに応えているだろうけど、それに違和感を感じる人が少なく、体裁だけで、青少年教育なんて文言が踊る事に恥ずかしさを感じない社会自体の価値観が或る意味腐っているとも言う。だから、学校教育も、今の様なんだろう。

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速くなりたい人の気持ちって?

 チョット面白い話を聞いた。単車や自転車が好きになった人の熱い話だけど、色々と高級なパーツやコンポ、ブランド、機能に関心を持ったり、色んな所で溢れているトレーニングネタ、テクニックネタに関心を持ったりする理由は、何でも、速くなりたいからだそうだ。

 『速くなりたい、、、、』、、、、まぁ、言葉的に、気持ち的、心情的に判らないではない。

 その気持ちが強い(?)から、ネットや雑誌の情報に敏感だったり、他人の話や行いに関心が強いのだろう。

 そして、速くなりたい!って気持ちの根底は何処にある?何にある?って聞いてみると、何やら、最終的には他人との比較のようである。

 なる程、速くなりたいというのは、速くないという思いがあるからで、何故思うか?っていうと、他人に挑んだ結果、挑まれた結果で感じる事のようだ。

 思えば、考え得るトライを行って、カスタムしたりトレーニングしたり、蘊蓄を貯めたりして結果どうなった?を他人で測っている訳だ。そして、速くなりたいという言葉の裏には、何故だか、速くないと言う事を自覚しているみたいなのである。

 これから、何となく思ったのは、速くなりたいって人は、心の奥底で速くない事を自覚している人。そして、この世界の価値観は、尺度は不明だが、『速さ』に求めているようだ。その定量的なターゲットが定まらない状態で、とにかく『速く!』を求めているみたいである。そして、そのための投資ということで、ネットで拾ってきた蘊蓄情報を試したり、誰彼の行っているトレーニングをトレースしたり、或いは、メーカーの謳う宣伝文句に乗ってモノを仕入れたりして過ごしているようだ。それで、何かの結果が得られるかも知れない、、、、そんな願いを持っているようだ。
 言ってみれば、彼らから見て速そうな人がやっていそうなトレーニングとか、テクニックとか、機材を手に入れたら、それに近付けるかも知れない、、、、そんな気持ちが行動の原動力となっているようである。それを確かめる?ために、遭遇したりすると、挑発モードになってしまう、、、、そんな感じのようだ。

 まぁ、全てがそんな人では無いとは思うけど、こういう人も少なからず存在するようだ。

 そもそも、速いとか遅いとか、、、、そういう尺度っていうのは、あくまでも相対的な比較の話であり、そういう事を目標にして楽しいのだろうか?というのが素直な気持ち。

 私のこのブログでは老いへの挑戦というか、そんなフレーズを掲げているのは事実だけど、別に、昔より速く!なんて考えてはいない。しかし、老いへの挑戦=昔より速く!って捉える人も居るかな?とも思う。老いへの挑戦っていうのは、老いるという宿命のなかでも、同じ事を続けようと言う意志を持つ事であり、別に昔と同じを求めているのとは違うのである。

 趣味にしても続けて楽しい!っていうのは、自分がテーマを掲げて、それがクリア出来るか?で一喜一憂しているのである。つまり、目標が実現出来たかどうか?が判定出来るから次に行けるのである。速いか?遅いか?っていうのは、判定しようが無い。
 判定出来る事というのは、具体的に現状出来ない事があって、それを出来る事を目的に様々なトライを行う。そのトライは、出来ない理由を掲げ、それを解決するという事だけど、実践出来たかどうか?で判断するモノ。つまり、速いとか遅いという比較級的な話とは違うのである。

 だから、自分を速いとも遅いとも思っていないし、自分の望む結果が得られているから、それが人と較べてどうであれ満足していると言う事なのだ。自分が、コレくらいが出来れば嬉しい!と思ってトライして出来たら嬉しい、作れたら嬉しいという単純な世界なのだ。今、何かを行ったとして得られた結果に対しては、どんな結果であっても満足している。何故ならば、その結果は自分を表した結果だからであり、行動に際しては思い通りに行っているという自負があるから、どんな結果でも受け入れるのである。

 速いとか遅いで一喜一憂する人は、結果が思い通りでないと受け入れない人も居る。結果は行動の実態そのものであり、実態に伴わぬ結果を得ても何も嬉しくない筈だが、結果だけを求める人っていうのは、行動の実態との相関性を無視した人であろう。
 別の世界でいうと、テストの点数のみを目指し、手法に拘らない人に多いだろう。点数を確保するために、公式頼り、暗記頼み、過去問対策、下手すればカンニング、解答写しと手段を問わない。テストの点数っていうのは、自分の取り組みを数値化したものであり、その点数数値は理解度を把握するためのもの。つまり、目的は点数でなく理解度なのだ。理解度0で点数が100点っていうのは、自分のレベルを見る機会を逸しているのだが、その辺が気付かないんだろう。

 相対的なモノを求めていても、楽しくないのでは?っていうのが自分の意見だ。自分で行った結果が得られるかどうか?それが明確に見られる事でないと、取り組みに対する結果が見えないし満足感も得られない。そういう考えは、別に、自転車、単車に限らず、筋トレ、水泳、或いは、研究、特許作成、、、、全てに共通している考えだ。
 自分が満足するには、満足出来たかどうかが判定出来る目標が必要だが、それが目標となるのは、現時点で出来ないから。出来ない事が出来れば嬉しいのは万人に共通な事。出来ない事が何で、出来ない理由が何か?が判れば、出来るようになる取り組みも自ずと見えてくるもの。

 抽象的、漠然に希望を言う人は、満足するための判定基準も無ければ、満足するための具体的な手法も見えない。それでは、一生答えには行き着かない。そんなもんである。

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2010年1月14日 (木)

ルイガノにもキャリアを付けてみた

 自転車は好きだけど、競技系での接し方は20年以上前に卒業した。今は、30年前の接し方でサイクリング好きな接し方である。だから、ロードよりもスポルティーフとかランドナーの方が好きだ。
 なお、固定シングルは自分にとっては自転車というよりもエアロバイクで、単なる健康増進用の自転車とは異なる道具の扱いに過ぎない。ロードバイクも持っているけど、勢いというか、盆栽趣味で組んだだけで、基本、乗るつもりも、予定も何もない。飾りである。自転車としての存在価値は皆無に等しい。寧ろ、車に載せてある実用DAHONの方が遙かに有意義な存在で、自転車らしい存在感がある。

 ランドナーを活用する程の時間の自由度は無いから、日帰りのポタリング、サイクリング用だから、スポルティーフとか小径車が自転車としてメインな存在である。
 サイクリングとなると、当然、土産を買って帰るのが家族に対する礼儀?だ。ならば、当然、工具、雨具に加え、土産を搭載する能力が必要だ。
 ポタリングとなると、娘との遊具を持ち歩くのがデフォルトだし、ピクニック用みたいなもんだから弁当や菓子、水筒も載せる能力が必要だ。
 実用自転車となると、当然、目的があって移動する訳で、目的には持ち物が付き物だ。よって、何か載せる可能性は極めて高いのだ。

 つまり、自分が使っている自転車は、移動のためだけでなく運搬という機能がとても大事なのである。

 で、それ系の一号機が西DAHONである。これは、折り畳んで持って帰る事が簡単に出来る軟弱旅行自転車だけど、旅行自転車故に土産を持って帰るため、キャリアが付いている。前キャリア+後ろキャリアである。これで荷物はしっかり搭載可能である。
 で、二号機が小林ロードフレームで組んだバイクだ。これはフェンダー+フロントキャリア+フロントバッグという出で立ちで快走サイクリング用。
 次が、製作中のシルクR2ロードだ。これもフェンダーにキャリアだけど、キャリアはフロントキャリア+リアキャリアって仕様。
 他には、実用で大活躍中のスピママ号だけど、モノの運搬を結構行っており、当然リアキャリアを装備している。

 そんな具合だけど、娘との散歩用のルイガノMVF改に荷台が無いのに気が付いた!娘とのサイクリングでは、コレまでは不自由ながら背中にバッグを背負って乗っていたのだ。
 まぁ、距離的に短いから良いと言えば良いけれど、出来ればキャリアに荷物を載せる方が好みと言えば好みなのだ。

 そんな訳だが、部屋掃除をしていて、ふと目に付いたのが、昨年の春にBSトライバイクで出掛けた時に付けたBBBのシートポストキャリアだ。オールプラ製で積載重量は9kg迄。
 これを買った理由は、BSトライバイクでサイクリングにシェイクダウンしたためだけど、BSトライバイクには、今はサドルバッグが付けてあるのでシートポストキャリアは不要となり取り外していた。そこで、これをルイガノMVFにセットしてみた。
 イイ感じである。なんか、タルタルーガみたいな雰囲気である。このシートポストキャリアというチープかつ合理的な作りは近代的だけど、それは近代的デザインのルイガノMVFに良く似合っている。このキャリア自体、装着する自転車を選ばないけれど、これは、ルイガノMVF専用と割り切って使っても良さそう。

 そう言えばDAHONは二台とも荷台をつけているけど違和感無し。このルイガノMVFの違和感無し。

 なんだか、小径車っていうのは荷台が似合うのかな?って感じだ。

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AEONでジーンズ?

 今までは、リーバイスとかのジーンズが7,000円前後で調達していたのだけど、腰のサイズと脚のサイズが合わず探すのに苦労していた。

 そこで、この連休では、ふらりと出掛けたジャスコで話題の激安デニムを見てみた。安いぞ!880~1,980円!見ると、、、、これで十分だね!

 で探してみました。

 狙いはウエスト73cmから3cm刻みで選べると言う事で、、、73cm、、、、ありません。在庫していないとのこと!

 で、仕方なく76cmを、、、、、これも殆どありません。76cmの場合は股下66cmということですが、、、、短すぎます。最低でも69cmは無いと足首丸出しです。

 結局、880円コーナーではラインナップ無し、、、、1,980円コーナーで見付けました。ここも73cmは在庫無しですから、76cmです。
 試着すると、、、、、胴は拳が入りますが、尻、太股、脹ら脛がパンパンです。次、79cmを試着しました。すると、、、、、尻、太股、脹ら脛は辛うじていけますが、、、、胴回りがズルズルです。

 仕方なく76cmを試験的に購入してみました。

 太股から尻にかけて、更に太くなっていますねぇ、、、、家で測ってみると太股は64cmオーバーです。脹ら脛も44cmオーバーです。
 鏡で見ますと、、、、大腿四頭筋、大腿二頭筋が凄い事になってます。下腿三頭筋も見た目で一回りは太くなっているようです。まぁ、ヒラメ筋は元々太いのは自覚していましたが、大腿は半パンで生活しているので見る機会がありませんでしたが、見ると、吃驚です。

 ブレストでキックのパワーを上げるための筋トレ、それと昔のバイク系部活で習った下半身のトレーニングを続けて1年半になりますが、その効果が出てきたのでしょうか?
 これは、スロートレーニングとか加圧トレーニングとは異なる方法で、スイム系では反動、溜めと抜きを意識した筋トレと、バイク系では軽負荷(ウエイトでは片側でも2kg以下)を高速(秒間2~3ストローク)で反応速度を高める筋トレで、手間の割には見た目の変化は少ないですが、よく動くようになります。

 見た目の脚の変化では少ないですが、実際のスポーツではどうなったか?っていうと、ブレストなら50mを12~13ストロークで消化出来ますし、バイクなら230~250rpmのケイデンスが得られるようになりました。まぁ、スイムやバイクでの脚の運びを意識した筋トレの効果の御陰ですが、こればっかりは、実際のスイムやバイクでは負荷を作り出す事が出来ませんので、その目的に会わせたトレーニングはやっぱり必要ということでもあります。

 ジーパン買って、僅か1cm程ですが変化していたのが改めて判りました。ジーパン買わなかったら数値の変化は気付かなかったでしょうね。

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2010年1月13日 (水)

乗り方本ってどう?

 乗り方本、選び方本、、、色々ある。で、ふと思った事がある。それは、ロードレーサーの乗り方指南の殆どは、それはロードレーサーの乗り方という高尚なモンでは無いような気がする事。

 チョイ前の記事でのコメントにも書いたけど、ロードレーサーっていうのは競技用自転車。競技用自転車は競技用であっても自転車である事には間違い無い。自転車の乗り方に加えて、競技で使う場合の使い方、扱い方、乗り方が在る。そして、競技車両的な部分での使い方、扱い方、乗り方っていうのは、ホントの所、何らかの形で実際に競技に携わっていないと判らない筈。

 そういう前提で考えると、数多くの雑紙、本、サイト、ブログで書いてある情報っていうのは、殆どが競技向けの部分でなく、普通の人の自転車の乗り方という部分に帰結している。

 ペダルの漕ぎ方?ポジションの出し方?云々っていうのは、これは競技用自転車とは関係無い。普通の自転車の乗り方だ。普通の自転車の乗り方を競技用自転車の乗り方として多くを割いているのはチョット不思議な様子である。更に言えば、普通の自転車であり、単純に機械の効率的な使い方こそが自転車の基本的な使い方であり、そこには、人の伝聞や、誰彼がどうした?的なモノとは異なり、明確な論理や根拠に基づいた万人が納得できる論理が在ってこそ、自転車の基本的な乗り方という事を講釈垂れる資格が在ると言える。

 少なくとも、乗り方本の蘊蓄を語るスタイルとしては、その基本の部分は、その根拠と思想を強制するでなく、万人が自然に受け入れられるような解説が望ましい筈だ。ペダルを漕ぐ行為に特化して考えると、多くの語られ内容は、別にロードレーサーのためだけの部分ではないように思う。
 これは、記事のアクセスアップで思い付いた記事から、ニシダサイクルさんで雑紙の蘊蓄コーナーを見て思った事だ。何だか、大層な御託が並んで書いてあるけど、基本の部分はロードレーサーネタとは違うのでは?と素朴に感じたものだ。

 ホント言えば、自転車の乗り方という部分は、もっと単純で、敷居の低い、普通の部分が殆どだろう。そして、その普通というのは、非常にベーシックな理屈で説明出来るモノ。このベーシックっていうのは、誰しもが考えれば理解できる知識で生まれるモノ。だから、漕ぐ行為一つでも物理に従って判りやすく解説されていないような記事は、正直、信じる事は出来ない。だれもが納得出来るのは、ベースが正しい事だから。納得出来るのは固有でなく常識だけで説明されるからなのだ。
 そして、その基本的な知識から乗り手にとっての基本を自らで生む事が大事なのである。有り触れた知識から方法を見出す力が基本からの第一歩なのである。
 多くの指南本では、根拠の解説をすっ飛ばし、アレをこうしろ、それは違う!理屈を越えてこうしろ!というのは、少なくとも、自転車の基本という部分で知識から基本を生み出させる力を育てる事の重要性を重要視していない点で嘘くさい。

 そして、機械の基本常識から自分の活用する常識の選眼力を得た次のステップで考えるべき、ロードレーサーという競技機材の使い方というのは、自転車の使い方は常識として理解した上で、機材運用でアドバンテージを生み出す部分が鍵なのだ。機材としてのアドバンテージを生み出す運用も、やはり、知識から方法論を導き出す思想が大事であり、その方法論というのは機材の運用の重きを何処に置くか?という事であり、方法論は誰一人同じ方法では無いのである。そこの部分で、使い方を指南するという発想自体、有り得ない筈だ。使い方を指南するのでなく、アドバンテージを生み出す方法論を見出す力の有無がロードレーサーを扱うセンスの有無では無いだろうか?センスとは思考であり、それは、機材以前の普通自転車を扱うにはどうすべきか?を一般的な知識から方法を見出す力量次第だとも言える。

 普通の物理を基準に自転車の乗り方を考えるのが自転車を考えて乗ると言う事。これは、あくまでも自転車の乗り方だ。考える力というのは、自転車に限らずに、自分の知識を生活に実践する力ということ。
 機材の使い方というのは、考え方自体(知識から目的を叶える手順を導き出す事)は同じであり、それは前述の基本の上の話。そして、その形は千差万別であり教え、教わる事ではない筈だ。

 改造方法、走り方、トレーニング方法で色んな方法が存在するけど、どれを選ぶか?どう取り入れるか?は実践する人次第であり、正解なんて有り得ないのである。
 少なくとも、ロード○○の△△テクニック!なんて言うのは怪しすぎである。イイトコ、自転車の乗り方は?ってタイトルで無いと信用出来ないモノである。

 本来、この記事はもっと後に公開予定だったけど、繰り上げて見た。それは、巨大掲示板によるアクセスアップ現象が顕著であり、その検索ワードやコメントで類推される問いに対する解答も兼ねてのためだ。

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ステップアップ

 自転車も単車も共通して言える事。多分、他のジャンルでも言える事。
 周囲から一目置かれる存在な人って言うのは、周囲より携わっている時間(年数)が長い人が多い。長いっていうのは経験がそれだけ豊かだけど、特に、長けた人っていうのは遡って行くと相当に幼少に遡る。
 幼少に遡っていくと、、、、、その人達も最初はみんな素人である。そんな素人、子供に変な知識なんて無いのである。変な知識、色気が無い中で携わっているのだが、その初っ端は?って言うと、、、、、殆ど、道具や機材は眼中に無い。

 初めて自転車に乗った時、初めて単車に乗った時、その頃を思い出すと、純粋に動いた、乗れた、走れた、遠くに行けた、坂を上れたというだけで嬉しかったのを思い出す。道具なんて、どうでも良いような感覚である。取り敢えず、モノがどうこうよりも、自分がどうだ?自分でどうしたい!って意識が先行している。

 つまり、モノに求めるのでなく、あるモノに対して自分で何とかしたいという意識が先行していた筈だ。知識の無い素人、子供が何とかしたいという考えでトライして、それを受け入れてくれるモノとは何か?っていうと、それは所謂ビギナー向け、汎用性の高いモノだが、それはモノの特化した性能は無いけれど、モノの受け入れてくれる幅が広いものでもある。それ故に、素人なりのトライにそれなりに答えてくれるし、そこでの過ちは、それなりに表現で感じる事が出来る。

 そう、限界は低くても間口の広いモノっていうのは、子供や素人を育てるというか、色んな事に答えてくれるのである。
 コレこそが、ステップアップの意味である。ステップアップして初めて、その次元を理解して、次の次元での要求が明確となり、それを繰り返す事で、素人が成長していくというものである。

 単車を例に挙げると、中免取って、いきなり400ccに乗って上手いヤツ、速いヤツが居たか?っていうと、、、、皆無だ。速いヤツ、上手いヤツは、原付乗って怪我して、泥だらけになって、モノが逝かれて、125ccなり250ccなりにステップアップして、そして400cc、そして上級、、、、、という風にステップアップしている。
 小さなクラスだろうが大きなクラスだろうが、基本的な挙動は等しく現れる。しかし、その挙動が現れる次元が違う。小さなモノは低い次元で限界を呈する。高度なモノはその次元が高い、、、、、上手いヤツ、速いヤツは、それに対応できる能力があるか?それを予測出来るか?ということ。予測にしろ対応にしろ、その挙動に為れていないと無理。その挙動が現れる頻度、それが現れる次元の恐さを考えると、限界の低いモノで無ければ慣れる事は不可能。原付で暴れを知ると、その対処、その恐さを知って慣れている。次元を上げれば徐々に対応できるから大排気量でも対処出来る。いきなり大排気量では、高い速度域で突然現れる。すると、、、死ぬしかないだろうし、恐さで何も出来ないのが落ちだ。

 自転車でもそうだ。何もないジュニアスポーツ車、ママチャリで色々乗る事で、行為の一つ一つにトライを行う。モノがシンプルな程に、モノに工夫する、モノの道理を考えるのが普通だ。これが幼児期の自転車好きの子供の本能である。それが、上手い漕ぎ方、扱い方の基本を養う。それで世界を拡げる。そこで初めて必要なモノは純粋に何か?を実体験で得ていく。そういうプロセスを経たモノは、ポジションにしろ漕ぎ方、ギアの選び方の真実を会得しているものだ。それが判らないっていうのは、正直、プロセスを省略して、モノが機能を与えてくれると錯覚しているバカばかりだろう。モノが機能を与えるのではないのだ。機能は乗り手が作り出すモノ。モノはあくまでも補助なのである。

 結局、上達の主体をモノに求めるか?己に求めるか?だけど、後者の己に求めるというのが、ステップアップする人の事。そして、その時にのみ、ホントの事が見えてくるのでは無いだろうか?傾向的に、真実が見えないから、モノ選びにもスペックとか値段という本質が測りにくい数字ばかりで判断する人が多いのが良い例だ。そして、自転車でも単車でもだが、ベテラン好みとかで表現されたりしながらも、市場性から売れる要素の極めて低いモデルがラインナップされているのは、客層の極一部に、それを望む層が居るからでもある。それが売れないのは、その本質が見えない人が多いから。語られる数字に魅力が無いように見えるのは、そうしか見えないから。でも、判る人は判るモノ。そんなモノだろう。

 最近なら、初心者で初体験が高級ロードバイクとか、昔なら免許取り立ていきなりレプリカとか、、、、そういうのは多分、一生下手くそだろうと推測する。ステップアップしながら、ある時はトレンドに乗り、、、、それを繰り返し経験を積んだ時に、見えてくるモノがあるのは事実。そういうものだろう。

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2010年1月12日 (火)

血圧の変化から見たトレーニングメニュー考察

 一般的に運動を行うと、心拍数が上昇する。そして、収縮期血圧が上昇し、拡張期血圧が加工する。更に運動を続けて発汗すると循環血漿量が減少し、血圧維持のために末梢血管が収縮する。そうすると拡張期血圧が上昇する。しかし、末梢血管が収縮しているために拍出量が減少し、収縮期血圧は低下する。

 これは、運動時における血圧の変化の傾向を示したモノ。

 さて、これとは別に、運動後、疲労を翌日迄持ち越した時に血圧はどうなるか?但し、オーバートレーニング症候群というように疲労が抜けず慢性的なモノでなく、急性的なモノの場合はどうか?である。

 以前も記事にしたことがある。

 http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/11/post-ef51.html

 であるけど、今現在、金曜日翌日の土曜日がこんな調子である。通常より血圧が低く、心拍数が高めになるのだ。

 金曜日は平日と違うのが、3kmを60分で泳ぐという自分的には結構ハードなスイムである。これをやると、スイム後は身体が重い、体温が高めになる。全身が怠い状態がスイム後の数時間は続く。この状態のまま、通常の筋トレ系を1時間チョット行って、その後、反復負荷を併用したローラー台を一時間行うのだが、その翌日土曜日は毎日がこんな調子。
 土曜日に血圧測定出来るのは土曜日に出勤した時だけだけど、この時は何時も血圧は低く、心拍数は高くなる。症状的には、身体の各部が痛みと怠さを感じている状態だ。

 しかし、これは狙ったモノだ。この狙いが大事なのである。恐らくは、このような状況で回復させずに続けるとオーバートレーニング症候群となるのだろう。

 でも、トレーニングでは、いろんなルールがある。五原則+二法則

・過負荷の法則・・・負荷慣れするので負荷を少しずつ上げる必要性がある。
・特異性の法則・・・種目に特化した能力を見定める。

・意識性の原則・・・トレーニングの意義をよく理解し、目的をもって積極的におこなう。
・全面性の原則・・・心身の機能が調和を保って全面的に高められるようにする。
・個別性の原則・・・個人差をよく理解し、個人の特徴に応じたトレーニングをおこなう。
・反復性の原則・・・続ける事が出来る負荷を継続する。
・漸進性の原則・・・体力の向上とともに、しだいに運動の強さ、量や頻度を高める。

 ここで、身体の適応状況に合わせてメニューには、徐々に負荷をアップさせるリズムが必要である。つまり、一週間のメニューを組んだとすれば、そのメニューは平易なメニューでなく、抑揚が必要。抑揚させるのは、負荷、量だ。
 自分の場合、平易なメニューにスイムという負荷を入れて、翌、土日を抜き気味にして月~木をコンスタントで揃えている。金曜にアップ、土日にダウンというリズムだ。そこでアップした時の翌日のコンディションが、オーバートレーニング気味な症状となる。勿論、これでは症候群になるので土日で抜く。抜いたら月曜日には通常のコンディションに戻るのである。

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 最近はビンディングってシステムが一般的なようだ。専用のペダル、専用のシューズで足裏とペダルを固定する。そして乗るんだそうだ。まぁ、今のスポーツサイクルのデフォルトの装備みたいになっている。

 でも、自分はこのSPDタイプっていうのは、過去に一度だけ試したものの、その後は遠ざかって今は見向きもしない状態となっている。

 このようなビンディングシステムは、多くの自転車好きのサイトで推奨されているし、それ系のショップでは常識のように進めるシステムだ。そして、利点としては引き脚が使える!上り坂で役立つ!って表現が結構多い。

 でも、自分はやっぱり必要ないかなぁ?って思っている。
 安全か?危険か?という議論もあるかも知れないが、そういう事でなく、純粋に必要としていないというか、現状で不満が無いからである。
 コレがないと、回せないとか、登坂能力が落ちるとか、そういうモノなら乗る自転車によっては利用するだろうけど、無くても回るし、登坂に不満が無いからである。

 自身、ペダリングで言う引き脚と言う言葉に対して、脚を引き上げる時にペダルを引っ張り上げるという概念が無いから、上方向への引っ張りが可能なような締結が不要というのもある。
 ペダリングに対して、何を望むか?何を行っているか?でビンディングシステムが必要かどうか?は変わってくるように思う。

 自分はペダリングでは、インパクト&リリースという意識のみで乗っている。インパクトとは、必要な時に大きな力で一瞬という考え方。拇指球がスピンドルに近くないと判らないし、寧ろ、素足のような感覚の方が大事だと考えている。リリースでは、極端な話、ペダルと足は離れているような状態。引き脚という言葉を使うとすれば、ペダルが戻ってくる速度と同じか、少し速いくらいで脚を畳み、ペダルに脚は干渉しない状態を意識する事を引き脚と捉える程度である。特に、一定以上の速度のペダリングではそうである。
 高負荷低回転のペダリングではどうか?状況的には登坂の立ち漕ぎに近い状況ではどうか?っていうと、ハンドル引いて脚を引っ張り上げるという乗り方を見かける事は少なくないけど、登坂の立ち漕ぎでは、どちらかというと難波走りのような感じである。ハンドルは少なくとも押しているし、脚を引くというよりも、半身毎に押し側で駆動させる事を意識している。
 つまり、引き脚って言葉がペダルを引っ張り上げる状況は無いのである。

 で、どんなペダルを使っているか?っていうと、、、、

1.本気で走る時
 ・トークリップ+ストラップ+トラックペダル+シュープレート+専用シューズ

2.公道を高負荷で走る時
 ・トークリップ+ストラップ+トラックペダル+靴底にスリットの入ったシューズ
 ・トークリップかハーフクリップ+トラックペダル+深溝プレート+専用シューズ

3.普段
 ・両面踏みのフラットペダル

 って感じである。ここで、シューズ+シュープレートという組み合わせは最近は殆ど使っていない。99%が靴底にスリットが入ったシューズを選んでいる。このスリットにペダルプレートがピッタリ嵌り込むので具合が良い。 ペダルプレートが靴のスリットに嵌り込む。すると足の向きは固定される。トラックペダルの場合、ペダルプレートが前後で独立でサイドで繋がっていないのが好都合だ。クイルペダルの場合はサイドが靴底に嵌らないので靴底にペダルプレートは埋まらないからだ。トラックペダルに靴底にスリットが入っていれば、ペダルの後端で足向きが固定されるので、それはシュープレートを使うのと同じ様な効果を得る事が出来る。

 一般にトークリップ+ストラップでは縛り上げて使う!ってなっているけど、足を引っ張りあげるのでなければ、そこまで縛る必要は無い。靴底のスリットからペダルプレートが抜けない程度の軽い拘束で十分なのだ。

 ということで、靴は底がなるべく薄く、足裏の感覚がダイレクトに感じられるようなモノで、尚かつ、靴底にスリットが入ったモノが好みである。まぁ、普通に歩きやすい靴っていうのは、足裏面がしなやかに動く靴であり、そういう靴は靴底にスリットが入っているモノも少なくないので比較的見つけやすい。今はDUNLOP製の靴でひも無しのファスナー式を使っている。

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2010年1月11日 (月)

エンゾさんて、どんな人?

 昨年の暮れ、12/30の異様なアクセスアップの理由は、巨大掲示板のとあるスレに、当ブログへのリンクが貼られたから。そして、そのスレは、エンゾ早川さんって方への意見を集約するスレだったのだが、そんな影響力の大きなスレの話題になっているエンゾ早川さんって、どんな人?って思うのは不思議ではないことだろう。

 勿論、名前くらいは、聞いた事ある。ニシダサイクルさんに置いてある自転車雑紙の特集のコーナーに時折固有名詞として見つける事が出来る。というレベルで、自分の知識としては、自転車が好きな評論家のような方で、何某かの著者でもある方という印象。

 その後、この方がGIOSのショップ店主という方というのも知ったけど、それ以上の認識は無い。

 色んな著書を執筆されているということで、本を買えば意見や考え方を知る事が出来るだろうけど、基本、最近は自転車の選び方、買い方、乗り方、、、、そういうのに全く関心が無いので本を手に取る事もない。勿論、第一の趣味の単車でもそうだ。峠を攻めるのが好きでも、攻め方読本なんて、どうでも良い。どんなバイクが発表された!ってネタも関心が無い。部品だってそうだ、、、、、って事で、単車、自転車関連で書物を買う事は極めて稀である。

 買うとすれば、持っている愛車の情報が掲載された過去車アルバムとか、タイヤカタログとか必要なデータが掲載されている時だけで、他人の主観に彩られた情報には関心が無い。

 ということで、この方がどんな人か?は知らないし、GIOSってバイクがどうか?も全く関心は無いけど、言えるのは、著作して、ショップを経営して、、、、ということで、相当に好きなんだろうなぁ!って事だったんだけど、前述のような経緯で、チョット簡単に調べてみた。
 なるほど、、、、結構、面白そうな人だ。何よりも信念を持っている感じ。チョット、度が過ぎているようで、それが毒舌論評になっているのだろうか?ただ、情報発信の段階で毒舌吐くっていうのは、当然、その応答は予想しての事だろうから、その反応を楽しむって目的もありそうだ。何にしろ、反応が激しい事を承知で毒舌っぽく吐き続けているっていう部分で、相当に自信と自負があるのは確かである。それ故に、理念の違うモノを見ると歯がゆくなったり、否定してみたくなったりするんだろう。
 取り敢えず、自分で大好きなモノに突き進めるっていうのは幸せだろう。ただ、どんな世界でも突き進んで盲目的になるほど、思考が排他的になるもの。これは自分にも当て嵌まる事だけど、その盲目性と排他性が極端になり、有名になっているから、巨大掲示板で話題の集まるネタにもなるんだろう。まぁ、ネタになる程の存在ということだから、凄い話だと感心するばかりである。

 ただ思うのは、この世界、ロードバイクのユーザーは速くなりたい!上手くなりたい!って思う人が少なくない筈だが、そのハートにつけ込むようなのは、どうなんだろ?って思うし、そこに頼ろう!って思う人に対しても、どうなんだろ?って思う。
 こういうのって、自分で探すのが一番楽しいはずだけど、答えを人に聞いたりして楽しいのかな?っていうのが素直な疑問。そして、氏の性格がどうか知らないけど、自分で掴んだ勘所というか、奥義っていうのは、多分、人にはホントの所を伝えていないような気もする。自信を持つ人ほど、自信の得たモノを得るに到った労力の価値を大事にしているだろう。そんなモノを安易に触れ回る事はチョット考えられない。言ってる部分は、ジェネラルな話だろうし、或いは、敢えて判らないように表現しているのかな?なんて勘ぐってしまう。

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割り切るのは難しいけれど、、、

 最近はロードバイクでも安価なモデルが結構見られる。

http://www.and-style.com/andsports/index.html

 なんかに沢山載っている。で、買うか?って聞かれると、買わないけれど、、、、これらがダメか?っていうと、決してそんな事は無いように思う。二万円台から8万円弱迄幅広くラインナップされているようだ。

 安いクロモリロードなら

 http://item.rakuten.co.jp/nextbike/and-dr7014/

 だし、ハイエンド?なら

 http://item.rakuten.co.jp/nextbike/custom-alcb/

 なんか、凄いぞ!カーボンフォーク、カーボンバックである。勿論、こんなフレームを自社生産している筈無いから、どっかのOEM供給だろうけど、コンポ類を激安にして価格の8割はフレーム価格か?と思える程。

 オールアルミなら

http://item.rakuten.co.jp/nextbike/and-twd-sora/

 が選べる。

 まぁ、自転車自体がステイタス?、、、或いは、大人の嗜好品?ってスタンスで捉えている人から見るとゴミかもしれないが、多分、走っても数十万円の自転車との違いは殆ど無いかな?って気がする。勿論、整備状態をキッチリしてという前提だが、、、、、寧ろ、こういうのを割り切って買って、無改造で乗り潰す、、、、そういうのが一番コストパフォーマンスに優れるようにも見える。
 自転車買っても痩せるとは限らない。乗ってナンボである。でも、乗り続けるって言うのは案外面倒臭い。買っても玄関のオブジェになっている人は少なくないだろう。特に、高額車両程、住居スペースを占有する。こうなってくると、格好いいけど邪魔モノ以外の何物でもない。

 そんな時、3万円でお釣りのくるモデルなら屋外保管がデフォルトだろう、、、、乗らなくなっても、少なくとも住居内で邪魔になる事はない。そういう意味で、ブームだから!って軽い気持ちで始めるならば、コレ系は悪くない。

 気取った高級ロードなら、決めたレーパンレーシャツが必須だけど、AND系ならジャージとかジーパンでも違和感無しである。

 ふと、ホームコースで遭遇する人を思いだしてみると、、、、3割くらいはAND系なオジチャンが多い。AND系も気取り系も実際の走りの風景は似たようなモノ。つまり、自転車はあんまり関係無いんだろう。寧ろ、普段着+AND系でブチ速い方が格好いいっていうか、イケテル感じがするようにも感じる。

 正直、気取り系で速いのは当たり前にも見られる。速くても人によっても気取りバイクの御陰でしょ!ってなるかもしれない。すると、AND系なら逆に、、、、、、、オッチャン凄いよ!ってなるかも知れない。
 スポーツサイクルって何よ?って知識を本来持たず、ショップで洗脳される君的なレベルなら、割り切ってAND系くらいがホントは良いような気もする。

 其処まで言って、買うか?って言われると、、、、自分は買わない。

 でも、自分の物欲対象であるアルミヘアーライン仕上げのポリッシュのピストフレームがあれば買うかも知れない。クロモリピストの

http://item.rakuten.co.jp/nextbike/and-lp530cp/

 なんか、見る限りでは素直に格好いいと思う。

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2010年1月10日 (日)

1/8は初泳ぎ

 1月8日の金曜日、今年初の水泳だ。
 プールは年末は工事があったようで12/24~1/6が休み、、、、で、1/8が初である。

 すると、、、水は超綺麗、プールの底も超綺麗、、、、、凄く泳ぎやすい!気持ち良い!

 しかし、、、、

 3kmを60分で泳いだ後、、、、非常に疲れた。最近は身の回りで色んなウイルス感染者が居るけど、まるで、自分も感染したか?と思えるほどのダルさ、、、、、、

 でも、熱も無い。下痢も無い。異常無し、、、、、

 原因は、、

 何だ?

 そうだ、年末に泳いだのは12/18が最後、、、そう、随分と間隔が開いたからである。やっぱり、泳ぎ続けないとだめだ。
 取り敢えず、今年もしっかり泳いでスタミナと抵抗力を付けて元気に過ごせるようにしたいものである。

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1/3~1/9の週の検索ワードピックアップ

★テスタッチフェンダー
 本所工研がリリースしたロードバイク用フェンダーである。相当にタイトなバイクにも取り付け可能だけど、ブレーキアーチとタイヤの間のクリアランスで10~15mmは無いと厳しい。我が家では深谷のステンレスロードフレームには装着不可能。シルクR1ピストフレームにも無理。BSテーラーメイドフレームなら可能かも?ってレベル。
 小林ロードフレームに装着したところ、タイヤトレッドのエッジとフェンダーエッジの距離が5mm以下、フェンダーとタイヤのクリアランスは概ね5~8mm程度である。
 走行時、タイヤの跳ね上げた小石がフェンダー内で踊る音が聞こえる。クリアランスがタイトだから取り付けはしっかりしたい。リア(デフォルトで3点留め)は兎も角、フロント(デフォルトで二点留め)は特にそうだ。自分はフロントを三点留めに変えている。フロントを二点留めのままだと、走行時の振動でフェンダーとタイヤが干渉する。やはりフェンダーは最低でも三点で留めないと厳しい。
 因みに、ロードフレームにテスタッチフェンダーを付けて、キャリアを付けると一見スポルティーフっぽくなるかもしれないけど、作ってみて思ったのは、チョット違う。
 テスタッチフェンダーの後ろ側は、ちょうどFメカバンド近辺でフェンダーは終わり。そう、タイヤとシートパイプのクリアランスが無いのを想定したフェンダーだからフェンダーはBB後ろ迄は無いのだ。
 ロードフレーム+テスタッチフェンダー、、、、、これはスポルティーフには成り切れない。良いところ、ファーストライディングというモデルどまりだろう。
 まぁ、自分がシルクR2ロードフレームをベースにスポルティーフを作ろうと決心したのは、そのためだ。

★ステンレスロードとかクロモリロードとか、、、軽い?
 一般にステンレス=柔らかいという印象を持つ人が多い。ひずみ的に言えば許容応力は鋼管の半分だけど、許容値の定義は材料特性が違うので数値の直接比較は無意味。
 鋼管の応力と比べるにはステンレス鋼の場合は耐力で比較する。そうすると、強度的な差は殆どない。
 さて、そういう材料だが、これらの鋼管フレームで軽く作れるか?っていうのを調べる人が多い。
 軽さの次元をナンボ?と定義するかだけど、個人的には十分軽いと思う。小林スポルティーフは9.8kg、フェンダー、キャリアレスで9.2kgだけど、これは重たい革サドル、懐中電灯、ペダル、ボトル、インフレータを装備しての重量だ。最初期の安物ホイール仕様で9.5kgだった。サドルを軽いものに変えて、ペダルレスにすると8kg台は楽勝だろう。
 ステンレスロードフレームの場合、普通に保安部品からペダル、ボトル類フル装備で8.5kgだ。ペダルを外して、ボトル台座、ライト、ベルを外すだけで8kgは切れそう。これも結構軽くできる。この二車、軽く作る意識は全くないままにパーツチョイスしているのに、こんな具合。
 軽いから良い!って事はないけど、別に鋼管系フレームでも軽く作るのは可能だ。そして、パーツを軽量命で組んだら、おそらく中級のカーボンフレームなみの軽さが実現できるかもしれない。ただ、パーツの差はわずかで、軽さを望むなら、鋼管フレームでも相当に薄肉のパイプを選ばないと難しいだろう。
 実際、ステンレスロードフレームは手で握るだけで凹むような感じ。超薄い。小林フレームも何たって、激レアのレイノルズ531SL(スーパーレジェ)だ。並の531とは次元の違う軽さだが、このようなパイプがあっての話なのは間違いない。
 シルクのR1ピストは何も付いてないのに9.4kgと重い。やはり、フレームパイプ次第だろう。因みに、、、、BSロードは不明だ。

★スポルティーフ向け(センタープル)ブレーキ
 センタープルというと昔はスポルティーフ、ランドナーの定番だった。ランドナーは選択としてカンティブレーキが後には完全に主流となっていった。
 スポルティーフとランドナーの違いは?っていうと、タイヤのサイズ。スポルティーフは700×28C以下、27インチだと1-1/4以下、、、それに対してランドナーは昔でいうと26インチで1-1/2以上が多い。そう、クラウン下のクリアランスに大きな違いがある。だから、使うブレーキもアーチサイズが違う。ダイヤコンペでいうと、DC750とDC610があるけど、前者のロングアーチがランドナー向け、後者のショートアーチがスポルティーフ向けだ。ショートアーチといっても現代のロングアーチのデュアルピポットであるBR-R650なんかと同程度のサイズ。今はDC750のみ復刻されている。DC610系は存在しない。因みに、マファックとかワインマン、ユニバーサルのロード、スポルティーフ向けはDC610サイズのアーチである。
 逆に、現行の復刻版のDC750を使うと、、、、、間延びして格好悪い。

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2010年の物欲

 今年の物欲、自転車版、、、、、

 先日、ヘアーライン仕上げのアルミポリッシュのラングスターが好き!って話を記事にしたけど、あれから、それ系のバイクが欲しくなってきた。
 年末のセンタープル直付け台座仕様のクロモリスポルティーフが欲しい!って気持ちは相変わらずだけど、今現在、この2パターンのバイクが欲しい。

 ヘアーライン仕上げアルミポリッシュのラングスターの後継としては、狙いはトレーニング機材としての希望。ラングスターも良いのだけど、一寸、トップ長が長いので、もう少し小さいモノが欲しい。今のトップ長は538mmで出来れば525~530mm位が望ましい。ステム長も今は100mmで、できれば80mmくらいが理想。それ故に、自分のリーチからすると30mmくらい長いのである。元々、シート角74°に前述の数値を承知で買ったので問題無いと言えば問題無いのだけど、やはり、見た目が悪い。シート角が75°~75.5°、トップ長が530mm、ステム長は80~90mm位が理想なのだ。そういう細かい部分を修正したいのである。そういう訳で、希望は2007年モデルのキャノンデールのCAPO、アルミCLRカラーのモデルでサイズが50サイズの物。これが欲しい。これとて、サイズがぴたりという訳では無いけど、今よりは見た目的に違和感は少なくて済みそう。

 クロモリスポルティーフとしては、センタープル直付け台座仕様という点でオーダー以外有り得ない。中古車両を見渡せば、大昔のブリヂストンのユーラシアグラン、アトランティスのスポルティーフがあるけど、エンド幅等が古い寸法だし、今更ユーラシアクラスを買うのも抵抗がある。実際、作るならば現代の工作寸法+台座という事で、東叡のモデルくらいだけど、聞くところによると、そうとうな受注納期という。

 この2種類の自転車が一寸欲しいなぁ!って考えている。CAPOもラングスターもアンカーのPA3も現行の塗り系のモデルばかりで今一興味湧かない、敢えて安価なクロモリホリゾンタルのピストも必要無い。
 スポルティーフといっても単なるフェンダー付きロードも要らない。ロングアーチのデュアルピポットでも問題無いのだろうけど嗜好品故にセンタープルに拘りたいからNG。勿論、直付け台座で無いのも、間に合わせ的だから嫌。

 この二車種は、道具と言うよりも、塗色とか工作に拘っているので盆栽的要素が結構多く入っている。

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2010年1月 9日 (土)

貯筋の筋トレ

 ここ最近、気温が低く寒い、、、、寒い中、屋外で運動すると夏場とは違う感覚である。
 ということで、気温と筋肉について一寸考えて、色々見たり聞いたりしていると、面白い言葉に出くわした。

 それは、、、、、『貯筋運動』って言葉。特に、貯筋って部分である。

 これは何?って調べてみた。

 すると、読んで字の如く、筋肉を鍛え貯める事だそうだ。目的としては、高齢となって足腰が弱り歩けなくなるのを防止するために、運動を啓蒙しようとするモノだそうだ。
 筋肉が減って歩けなくなるのは、足腰の筋肉が減少するためで、若者の大腿四頭筋肉が25[g/体重1kg]だが、これが加齢と共に減少し、70歳代では15[g/kg]に低下する。そして筋肉が10[g/kg]以下になると歩行困難となるそうだ。

 貯筋って言葉を提言された福永先生のサイトは、

 http://people.nifs-k.ac.jp/fukunaga/index.html

 であるが、高齢化社会では、寝たきりとなって要介護となることが一番の問題だが、それを防止する運動が貯筋運動ということ。なお、この『貯筋』って言葉は商標登録されているそうだ。

 ただ、最近よく耳にする、老化防止での貯筋、ダイエットでの代謝を高める筋トレというのと、特定の運動種目の能力向上のために行う筋トレっていうのは、同義ではないのかな?って考えている。

 代謝アップ、寝たきり防止っていうのは、原則的に生活における基本機能を確保するという部分であり、競技的な運動種目では、通常生活とは全く異なる次元での負荷や速度での動作を実現するためである。
 これって、全く同義とは思えないのが正直な感想だ。

 最近注目を浴びているスロートレーニングとか、加圧トレーニングっていうのは、純粋に筋肉の絶対量を増やすためのトレーニングである。即ち、筋肉自体が目的となっている。
 しかし、運動における筋トレっていうのは、筋肉は目的に非ずである。目的は種目の実践能力であり、その道具というか手段として筋肉が存在している。使える筋肉が必要という事。この目的と手段という部分で考えると、筋肉を付ける事と使う事という事で、鍛える意味は別個と考えるべきではないだろうか?

 因みに、自分としては筋肉を付けるというよりも、必要な事が行えるような筋肉に改質するというのが自分にとっての筋トレの意味である。これが、元々、サプリ類が嫌な理由もあるけど、プロテイン等を嫌う理由の一つでもある。

 まぁ、実際は、使えるという部分の考え方、目的と手段の境界を何処に定めるか?っていうのは、一義的に線引き出来るモノではないのが現実。スイムでもバイクでもパワーが必要だから筋肉を付けるというのは道理である。しかし、付いた筋肉が目的の用途に使えるか?が大事な事。必要な箇所に筋肉を付けても、用途に応じた使い方が出来なければ無意味であるけど、目的の動作反復では負荷が生めず筋肉が付けにくいというのも事実。そういう時に、前述の考え方が大事だと言える。本来の目的動作では筋肉が付き辛い場合でも、本来の目的動作に準ずる動作で行えば良い訳であり、そこで付け方が決まってくる。付く量というものを目的の第一に考えれば、加圧とかスロートレが有効であっても、付け方が使い方と乖離していれば使いようがない。

 関連記事は、

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2009/07/post-7826.html

 にも記載しているけど、色んな考え方がある。因みに、自分は、負荷と反動速度を組み合わせて、必要な組み合わせで行っているけど、少なくとも、スロー系とか加圧系は行っていないし、同じ箇所を鍛えるにしても定方向性の筋トレは行っていない。目的の動作に対して、色んな部位の筋肉を投入するような筋トレというのを重視しているかな?

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子供とか動物とか

 流行しているテレビCMは?っていうと、子供店長とか、白いお父さん犬とか、或いは、招き猫ダックとか、、、、そういうのが多い。

 パッと見、当たり障り無く、可愛い?っていう印象を与えるためだろう。

 最初は、何にも思わなかったけど、最近は、こういう子供とか動物を使う宣伝って、どうよ?って思う事が多い。

 子供を宣伝に使うって言うのは、子供が楽しんで遊ぶ玩具とか食材ならば違和感は無いけど、そうでない分野に使うっていうのは、正直、違和感を感じるし、動物でも自然に生きている様を映像的に利用する分には何も思わないけど、CGならまだしも、仕込んだ芸とか演技によって擬人化させた表現っていうのは、どうなの?って気がする。

 っていうのは、子供が大人の振りとか、動物が人間の振りって部分は、ナチュラルというか自然でないのは明らかであり、その辺りが違和感の元なんだと思う。

 そういえば、製品や機械構造、プログラムのアルゴリズム、或いは、スポーツの様、改造の様、、、色々あるけど、違和感を感じるモノっていうのはスマートでないというか、強引な部分が目に付くようなモノに多いけど、それと通ずる感覚だろうと思う。

 良いモノ、優れたモノ、高性能なモノっていうのは、シンプルで違和感無く、スマートなモノの場合が多く、ゴテゴテで、強引で、無理矢理感溢れるモノっていうのは、それとは違う場合が多い。

 やっぱり、子供とか動物を、大人の振りとか、擬人化して使うのはチョット違うような気がする。

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2010年1月 8日 (金)

痙攣?

 大晦日の吹雪の極寒時にケルヒャーの高圧洗浄機を用いて家の外構、床、フェンスの掃除、ホースとブラシで窓掃除、カーポートの掃除を10時間程行って、思いっ切り筋肉痛になった話を記事にした。

 その筋肉痛というか疲労は、1/3頃迄続いたのだが、この疲労感が残っている間、胸の下の筋肉で体表面の部分が時折、ピクピクと痙攣していた。痛みは全く感じない。最初は、心室細動か?とも思ったけど、明らかに体表面で、心拍を見ても異常ないから気にしなかった。

 その後、いつの間にか治まったけど、治まった時期は何時?って思い返すと、そう、冒頭の年末大掃除での疲労が抜けた頃、、、、

 結局、体表面の痙攣っていうのは、疲労の蓄積によるモノだったみたいである。
 そもそも、痙攣というのは、不随意で筋肉が動くモノであり、原因の殆どは疲労の蓄積だという。痙攣に対する印象は?っていうと、こむら返りに象徴されるような筋肉の収縮で痛みを伴うモノって印象だったけど、無痛での痙攣もあり得るようだ。

 因みに、痛みを伴う痙攣というと、どういう状況で感じた事があるか?を考えると、、、、そう、3000mをブレストで50分以内で泳ぐようなスイムにチャレンジした時等である。泳いでいる最中は、攣る瞬間というか手前の状況な何となく判るのでセーブする事が出来るけど、泳ぎ終わった後にプールサイドから上がる時にも経験がある。それぐらいである。
 なお、同じように脚を使う運動で思い付くのは自転車があるけど、自転車では脚が攣った経験は皆無だ。ハイスピードのブレストでの長時間スイムを行った時くらいである。

 痛みを伴おうが、伴うまいが、痙攣という異常な状況は基本的に焦るけど、その因果関係が思い付けば、焦りは一時的なモノで済む。ブレスト後の痙攣とか、今回の極寒時の大掃除後に感じた胸下の筋肉のピクピクも、心拍リズムに異常無しと判断してからは、まぁ、様子見かな?と判断した。
 日々の生活で何か変わった事していないか?を常に意識していれば、感覚的な変化に気付いても大丈夫。
 逆に、そのような覚え無しで異常に遭遇した時は、結構焦るけど、そういう注意が疾病の早期発見早期治療に繋がる訳だ。

 そういえば、以前、血便?って思い、汗って胃腸科に駆け込んで、バリウム+内視鏡でチェックしたけど問題は全く無かった。焦った行動に出るかでないか?は、その直近の生活で変わった事をしているかどうか?次第なんだが、日々の行動がどう影響するか?を常に考えて生活する事が大事なのである。

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一言で筋トレと言っても、、、、

 筋肉に大事なのは何か?っていうと、しなやかさで、動きの自由度の高さ、即ち、行き届いた神経系が大事って事を記事にしてきた。

 純粋に筋肉を増やすという部分では、定方向の筋トレは有効だけど、それでは、動きの速さや、出力の細かな調整が苦手となる。
 勿論、肥りにくいからだ、代謝を増やすという面では、筋肉量を増やす、筋肥大させるというような筋トレは有効だけど、他の目的から見ると、それは必ずしも正解とは言い難い。

 筋肉量を増やす事、筋肥大させる事が目的ならば、最近流行の加圧トレーニングとか、スロートレーニングは有効だろうけど、筋肉量を増やす事、筋肥大させる事を第一の目的としない場合は、寧ろ弊害の方が多いのでは無いだろうか?

 パワーの絶対値を求めるならば、そのような手法の筋トレが有効だが、絶対値ではない部分を求めると、恐らく異なった方法のトレーニングが有効で、そういう別の方法が必要となってくる筈である。

 自身、運動を行う目的は、敢えて言えば、水泳&最近は自転車だけど、そのために行っている筋トレは、間違っても筋肥大系のトレーニングとは異なる方法だ。方向性重視、平衡性重視、入出力のタイミング重視としている。スローとか保持というよりも、敏捷性、制御性を重視している。勿論、負荷の大きさと速度の速さをバランスさせており、負荷の大きさ毎に対応したい速度を合わせたメニュー作りを行っている。

 一般に、筋トレ!っていえば、筋肥大を目指すとか、或いはRM数といっても、その回数のみを考えたり、、、、そんな感じだけど、一言で筋トレといっても、行う行為が何のために行うか?どうしたいか?によって、負荷、時間、サイクル数、セット数、部位の組合せっていうのは様々である。この様々な不定形の部分は、運動を行う本人が何を願うか?で千差万別であり、本人の意思が何か?っていうのが最も重要なのである。

 以前、スケートの岡崎朋美選手の特集番組でトレーニングメニューを見て関心した記事をアップしたけど、やはり、運動するといっても、何のために?どうなりたいか?がしっかり定まらないと、運動しても効果は弊害となって現れるかも知れないのである。

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2010年1月 7日 (木)

2010年モデルのビーンズハウス

 情報としては昨年から知っていたのだけど、DAHONネタを一つ。
 DAHONっていうと信頼性の高い折り畳み機構と走行性能の良さで、このOEM供給が各所に為されている程で、そんなOEM供給車の中でも出来の良さは出色だったのが、パナソニックサイクルテックのビーンズハウスである。

 パナソニックとDAHONのOEMの関係と言えば、最初のモデルがパンチというモデルだ。これは変速無しながらヘリオスと同じデザインのアルミのRe-Barフレームを組み合わせた自転車だけど、これに更なる実用装備を加えて生まれたのが初代のビーンズハウスである。

http://img.kakaku.com/images/productimage/fullscale/64400410490.jpg

に画像があるけど、これが

http://cycle.panasonic.jp/products/compact/bh3.html

に変わっている。一見、今度はメトロベースか?と思ったのだが、良く見るとDAHONのOEM供給では無い別個のモデルの様子。

 これは、チョット残念なチェンジである。DAHON遊びのベースとして考えると結構面白い存在だと思っていただけに、残念である。
 旧ビーンズハウスは、ガタが出にくいスレッドステムで、今のインテグラルヘッドよりは個人的には好きだし、前フォークのエンド幅が100mmでありホイールを普通のロード用ハブで調達する事も簡単。前のブレーキはなんとキャリパーブレーキであり、451化して遊ぶにも苦労は少なそう。他にも、良さそうなポイントが何点かある。例えば、後三角がそうだ。正爪エンドでホイールベースの調整が可能な事に加え、エンドプレートが大きくシートステーがフリーと干渉する可能性が少ないためにカセットスプロケットの選択も易しそう。他にも、スピード系フレームと違いチェーンリングをダブルにする際にもメインパイプとシートパイプの接合箇所がメカ用ブラケットと干渉しないのも良い。

 これに較べると、新しいビーンズハウスは一見、DAHONのOEMっぽいけど、ステムもフレームの折り畳み部も違うので別物。完全にママチャリ系の折り畳みで、パーツの流用情報も少ない。エンド幅も不明、ブレーキも見るところ後はバンドブレーキだ。

 こんな訳で、2009年モデルのビーンズハウスは販売店の流通在庫のみのようだが、型遅れになるせいか、割引率も拡大中、、、、、結構、お奨めだ。

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格好悪いけど、、、盆栽よりも道具が大事

 自分が持っているフルサイズのバイクは、鋼管系ホリゾンタルフレームが多い。クロモリ鋼、マンガンモリブデン鋼、ステンレス鋼、ラグ付きだったりラグレスだったり、、、何れも、自分の中では結構格好いいと思っている。

 そんなバイクに混じって、アルミの太いチューブのスローピングデザインの上記のデザインを格好良いとすれば、思いっきり格好悪いのがスペシャライズドのラングスターだ。
 このラングスターは、アルミフレームでも、思いっきりアルミフレームを主張するデザインで、アルミのヘアーライン仕上げというもの。塗装仕上げだったらパッと見はカーボンフレーム風に見えるけど、流石に、ヘアーライン仕上げのポリッシュって場合は、誰がどう見ても、アルミフレームである。

 世間のホントの考えはどうか知らないけど、自分が思う世間の価値観は、競技性が高く高級高額格好良さの象徴がカーボンフレーム、趣味性の高いモノがクロモリフレームというもので、アルミフレームは今一人気が無い存在だと思うのだが、何故か、自分の持つラングスター、それも、アルミを主張するデザインをとても気に入っている。

 デザインもサイズも今一だし、格好も良いとは言えないけど、、、、、これが結構気に入っているのだ。特に、アルミを主張しているような仕上げ、、、、ヘアーライン仕上げのポリッシュというのが最高である。仮に、アルミフレームを入手するなら次もヘアーライン仕上げのポリッシュ仕様が良いなぁ!って思うのである。こういう系統は結構好きなんだが、現行のラングスターを含め、アルミフレームを見渡しても、何故だか、こういう仕上げパターンは見当たらない。BSのアンカーのPA3なんかでも、ポリッシュ仕上げっていうのは選べないようだ。
 ラングスターを選んだ時には、キャノンデールのCAPOのCLRカラーが在ったはずだけど、今は無いみたい。

 不思議なモノである。格好いいとは思えないけど、気に入っているのである。なんだか、荒っぽく使っても気にならない、、、道具感というか、そういう感じが特に気に入っている。

 モノと付き合う時、剰りにも嗜好に合わせて拘りすぎると使い辛くなるのは確か、、、、実際、車や単車でも新車を購入したりすると、最初の内は凄く神経質になる。一寸した傷も悲しくなる。しかし、或る程度古くなると、これがイイ感じになるのだ。少々の事は気にならない感じとなる。こういう時っていうのは、道具感として最高なのである。
 モノが盆栽か?道具か?という目で見ると、機材にのめり込みすぎると、使えなくなる。使えない道具は盆栽だ。そういう面では、このラングスターっていうのは、程良く錆びて、程良く傷が入って、程良く遣れている。程良く汚れ、小汚い、、、、元々は新車だったのだが、最初から盆栽として拘っていなかったせいもあり、ドンドン、ガシガシ使って今の状態である。新車で使っている時と較べても、更に更に、道具感が高まっている。

 新しいモノを手に入れても、道具感が高まるのは、機材に拘りが強くなかったというのが大きいかも知れない。この感覚は悪くない感覚だ。

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2010年1月 6日 (水)

老化への抵抗?

 老化っていうのは筋肉の多様性の喪失、筋肉を制御する神経系の退化という話を最近の記事に掲載してきた。

 では、その対応には何が必要か?というと、神経系を退化させない事。退化させないためには、せめて保たせる努力が必要なのであるが、どうやったら良いか?というと、、、、、

 それは、むやみやたらな筋トレでは無意味と言う事であり、神経を研ぎ澄ますということ。神経とは、結局何よ?ってうと、命令と判断である。命令と判断というのは結局は思想である。命令には意思があり、判断は感覚器で得た情報が元である。

 つまり、目的意識を持つ事。何のために、どうして、どうやったら目的を満たしているか?何が目的を満たせないか?を仮定して取り組む事であり、行動に意味を持たせる事である。これが、神経系の退化を防ぐ唯一の方法である。

 だから、神経系を鍛えるには、何をどうしたいか?どうすればよいか?何が出来れば、目的が達せられて、失敗したらどうなるか?を頭で考えたトレーニングを施すというのが大事なのだ。
 老化に抵抗するには、そういう意識を持った運動を行うというのが最も有効だろうと考えている。

 神経系を退化させないというのは、頭を使って自覚行動、目的行動、判断基準を設ける事。つまり、頭をしっかり使う事なのである。

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ネットで調べてもねぇ、、、

 アクセス解析していて気付いた事。それは、疑問符系の検索が多い事だ。
 例えば、ロードバイクで速く走るには?とか、テスタッチフェンダーをロードフレームに付けるには?ジュニアカセットをフレームに付けるには?とか、、、、、そういうのが多い。これは、自転車ネタに限らず、パソコンネタ、CATVとBS/CSの混合ネタでもそうだ。

 正直、調べる意味次第で結果は違う。

 調べて判る事、、、、それは、目的とするモノの実例が在るかどうか?位のモノである。そして、実例が在れば、後は、、、、、、調べる意味は殆ど皆無だろう。つまり、実例があるならば、後はネット等で人がどうした?を調べる価値は殆ど皆無と言っても良いのである。誰がどうした?っていうのは、人、人の環境、目的が違う訳で、同じ事をやっても無意味だからだ。実例があるならば、考え方次第で自分の方法を見出す事が大事で、そういう気持ちがあれば、答えに行き着くし、徹底的に真似を、、、、って思えば、多分、答えには行き着かないのである。

 ネットで調べるには、同じ目的を持つ人が居るかどうか?似たような事をした人が居るかどうか?レベルで十分なのだ。それ以上を調べるのは、、、、、多分、ナンセンスだ。

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2010年1月 5日 (火)

老いを埋めるモノは?

 老いる事は、生まれ持った可能性を活かすことなく過ごし、淘汰されて失う事。その変わりに、活かした可能性を具体的な能力に実体化する事でもあるというのが考え方だが、失った可能性というのは、一生失ったままなのだろうか?

 仮に、可能性を失ったのであれば、歳を経て新しいチャレンジが実を結ばないということにもなる。

 果たして、、、、そうなのか?というと、そうでもないとも考える事が出来る。

 勿論、あらゆる可能性を秘めていた時代と同じような方法で、新しい能力が身に付くということではないが、、、、、、

 で、思った事は、可能性を失っても、年老いてからでも、取り組み次第では、新しい個性を獲得出来るけど、この取り組み次第っていうのは、一体、どういう事?っていうのを考えてみた。

 言えるのは、少なくとも幼少期に過ごす方法と同じ方法では、新しい能力は手に入らない。それは、素地も、可能性も違う。掛ける事の出来る時間、手間も違えば、環境も何もかもが違うから仕方ない。

 言えるのは、違う方法なら新しい能力は手に入る。この新しい方法というのが、老いによって失った可能性を埋める方法だ。
 老いというのは、言葉を換えれば経験である。経験とは、過去の体験から未来の選択を合理的に効率的に進める事の出来る術の事である。

 新しい事の取り組み方を、過去の既知の取り組み方を参考に無駄なく効率的に進める事で、より短時間に新しい力が獲得できるのである。可能性というか本能を埋めて代用するために必要なのは何か?

 それは、経験、つまり、知識である。知識には、物事の意味、論理、解明の手順、類推の方法論という事。そして、目的としている物事を分解して整理して系統立てて理解して、何をどうするか?というのを自分で決める力の事である。
 成長過程において、何かの可能性を実体化する。その成長のプロセスで、その取り組みが何を意味するか?どう対処してきたか?どんな手順だったか?を理解するの必要な知識を教育によって受け取っている。その教育によって、体験した過程を理解し、方法論を吸収していくのである。その吸収した方法論こそが、可能性を失った以降の生活において、新しい物事を消化する上で必要な能力なのである。

 そう、能力を実体化することを成長期で体験し、その体験を通して物事の進め方を論理で納得し知識として得る。得た知識を、以後の生活で活用して新しい能力を加えていく、、、、それが成長ということだろう。

 結局、老いによって可能性は失うが、引き換えに、得ることのできた能力を理解することで、その手順という知識を得る。知識は、老いよって失った可能性の代わりに得た財産となる。この財産を使って新しい能力を得るというのが人の一生のように考える事が出来る。

 例えば、子供はありとあらゆる可能性を持ち、それなりにスポーツに接することが出来て楽しみを感じる事が出来る。そこで、得意な一つに傾注し、それに特化し熟練することで、特技として能力を獲得する。この特技を得る過程は子供ならではの獲方である。
 成長とともに、特技をさらなる高みに高めるには、そこに潜む論理を理解し、必要なモノは何か?を考えるようになる。結果、特技が特技たる理由、その能力を高めるに必要な手順や論理を身につける。そして、更なる高みに達する。
 このプロセスで、特技を科目として理解し、その上達の意味を知る。
 意味を知れば、新しい種目に取り組むとしても、その種目の持つ意味を考えれば、体験で得たモノに当て嵌める事で、新しい種目を上達する手順を見出す事が出来る。

 そう、特技を持っていれば、その展開を別のジャンルで発揮できる。これこそが、本能的な可能性による上達とは異なる方法での上達の仕方である。

 可能性を失うというのは、実は、何を得る事で、知識や方法論という経験を得るということなのである。

 結局は、これも神経という部分で見れば、『広さ』、『乱雑』から『深さ』、『体系』というモノへの変化に一致する。年齢を重ねる事で必要なのは、神経、考え方の深さ、体系性ということ。これを得ないで歳を重ねる事が一番つまらない人生とも言える。

 教育論に展開すれば、どんなテーマでも良いので、子供には、馴染む世界を見つけ出させ、その世界を通して、考え方や神経といった部分で深さと体系性を身に付けさせることこそが必要なのである。それが得られないとすれば、それは非常に不幸な事だと言える。可能性も知識もない、、、、それは、チョット悲しすぎる事だ。

 身近を見渡すと、、、、何をやっても出来る人=新しい事に躊躇しない人=何か一芸、特技を持っている人であり、何をやっても上手く出来ない人=新しい事を避けたがる人=表面や体裁だけしか無い人である。前者っていうのは、自分の経験で得たモノから得る手順を理解している人であり、それが自信に繋がっている人だろうし、後者っていうのは経験から得るモノが無い人であり、それが内向的な人なんだろう。

 そう言えば、勝間式とかを唱える経済評論家も、実践出来る人、唱える人っていうのは、自分の中に自信が持てる、即ち、何かで成功体験や特技を持っている人であり、それに憧れても挫折する人っていうのは、そのような書物に頼るという時点で、自分で自信や特技を得る事が出来ない人なんだろうなぁと、素直に思うところである。

 老いるのは宿命だが、それを埋めて余りあるのが経験と、経験から得た知識、経験を通して学ぶ手順や論理である。老いを埋めるには、それしかないのだが、それを得ると言う事が、逆に老いるという事なのかも知れない。
 毒舌的に言えば、老いるだけで、自信が持てず、経験に基づく知識や手順を得る事が出来ないというのが、勝ち組み、負け組みという区分でいうところの、完全なる負け組みなんだろう。成長後、即ち、老いのプロセスに入った段階で、老いを埋める経験を積んで知識や手順を身に付けるのは、並大抵では出来ないのでは無いだろうか?

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老いと若さ

 ここ最近の筋トレで得た筋肉、若い筋肉についての記事を纏めていて思い直した事。

 それは、全ての事について言えることだが、『若さ』と『老い』について言える事は只一つで、若さとは、可能性の広がりの事を言い、老いとは、可能性から選び育んで得た能力の事、即ち個性の事を言うのかな?という思いだ。

 可能性という面では、どんな方面にも育つ汎用性、未来を持ってはいるけど、それは入口に立てるというだけの話であり、取っ掛かりの広さの事であり、この選択肢の中で何を選ぶか?何を獲得するかで、成長に併せて個性というか性格というか、そういうモノが実体化するという考え方である。
 選んだ方向性に生き方を定める事で、それに必要なモノはドンドンと研ぎ澄まされていき、それが熟練という言葉で表される。そして、選んだ能力への対応の純度を高める程に、それ以外の汎用性というか、選ばれなかった可能性は淘汰されて消滅していく。

 この適応の深さというのが成長であるという考え方が一番理解しやすいようだ。

 そうすると、『老い』とか『若さ』が、可能性と個性の比率によって決められると考えれば判りやすい。
 個性として現れていないけど可能性が無限というのが生まれたばかりの世代であり、可能性は無いかも知れないが対極が年の功という表現で敬われる世代だろう。

 この、可能性と個性は具体的に何に表されるか?というと、筋肉の多様性と適応性、思考の広さと深さという違いに表される。

 つまり、可能性という部分では、深さは無いけど広さがある。個性という部分では広さは無いけど深さがあると言う事。この神経系の広さから深さへの転換というのが、個体の誕生から消滅に到る過程で辿るプロセスということ。
 この可能性を個性に実体化するために必要なのが、TPOではないが、必要な時期における、適切な刺激と言う事である。これを経験する事で、個体が完成していくのであろう。

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2010年1月 4日 (月)

筋肉より大事なのは?

 昨今のダイエットネタでは、代謝を高めるために筋肉アップ!って話を基本にした話が多い。
 ところで、筋肉の性質はどうよ?って纏めると、、、、

1.筋肉は方向性の定まった筋トレで強化すればするほど、動きが単調で直線的な動きが得意になり、曲線を描くような滑らかな動きを苦手となる。

2.筋肉は年齢とともに動かなくなるが、理由は、多様な動作制御に必要な細かい神経が切れるから。

3.筋肉は年齢とともに疲労が抜けにくくなる。結果的に慢性疲労を起こしやすくなる。

4.筋肉は疲労すると、単調な動きしか出来なくなってくる。

5.筋肉は筋肥大で太くする手間や時間よりも、筋肉に動きを与える神経を張り巡らす時間や手間の方がかかる。

6.実は、筋肉は付ける事よりも、付いた落とす事の方が難しい。

7.実は、筋肉は力を入れる事よりも、抜く事の方が難しい。

 って事だ。
 筋肉が大事というよりも、筋肉を思い通りに動かす事が難しいのである。思い通りに動かす事は、筋肉自体の多様な動きであったり、負荷に対して利用できる筋肉の種類の多様性であったり、疲労に対する感度の良さ、回復するための代謝の信号の応答であったり、力を抜く動作であったり、、、、これらは、純粋に筋肉を支配する神経系の働きが大きな役割をしている事を示している。

 筋トレで筋肉を付けても、しなやかな動き、応答性の高い動きが出来なければ役に立たないというのが納得出来る話でもある。

 前記事でも書いたけど、年齢別の筋肉の話ではないけど、年齢別というか世代別による生活形態、運動習慣の違いが行動の多様性の差であり、多様な行動パターンがある程に、多様な動きが求められ、それに応える筋肉の制御システムが備わっているのである。

 特定の動きに特化する程に筋肉の多様な動きへの適応度が下がる。つまり、特定の動きに特化するように適応していく訳だ。若い頃に運動を嗜むと、その運動に特化したシステムが残り、不要なモノが排除される。排除されて必要なモノが残り、それへの適応度の純度が高まるから、その運動への適応性が更に高まると言う事でもある。

 失われた神経が蘇るかどうか?についての情報や知識を持ち合わせていないから断定的な記事ではなく、ここからは感想になるけど、新しく運動を始めるというのは、筋肉の動きへの多様性を持っていない状態からの取り組みというのは、実は非常に難しいのである。持ち合わせていないシステムをゼロから作り上げる訳であり、見よう見まねでも出来ないと言う事でもある。これを、それなりに上手く出来るようにするために必要なのは何か?というと、これに対する明確な解答を見出す事自体難しいのである。
 筋肉を機械的な運動で増やしたとしても、その使い道、使い方を実践するシステムが無いと、上述の筋肉の性質の縛りに捉えられるのである。

 歳を取って始める運動のレベルを高めるには、筋肉よりも、実は筋肉の制御システムである神経系を如何に身に付けるか?と言う事なのだ。

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鍛えていないと、、、、

 筋トレで自分の使う部分、使う動作に応じた筋トレは割と続けてやっている。
 それ故に、体年齢も、骨格筋率も実年齢平均に較べると全然違うのだけど、そういうのは、やはり鍛えた部分による効果だ。

 しかし、トレーニングとか特定のスポーツでは鍛えている部分が限られるっていうのが現実であり、その種の運動では使わない筋肉、動かし方というのも確実に存在している。運動の種別、動かし方が違えば、鍛えている筋肉とは違う部分、あるいは、鍛えている動かし方とは別の動かし方の部分では、殆ど役に立たないみたい。

 っていうのは、年末の家の大掃除での出来事。それは最高気温が1℃程度の極寒の中、水仕事を行った。仕事では超前屈、海老ゾリに近い格好で、ブラシ、モップ、雑巾等々を用いた仕事だけど、これをやった結果、仕事を終えて直ちに身体が痛む。腕、背中、脇腹、首といった部位だ。起き上がる事も困難な程、、、、、まぁ、筋トレ、自転車、水泳とは全く違う動きをしたので、鍛えているはずの場所でも痛む。勿論、鍛えていない部分は更に激しく痛む、、、、、洒落になっていない。

 このような状況に陥ると、、、、純粋に身体の変化があるのが判る。使っていない部分、使わない動かし方に対しては身体が言う事を聞かないのだ。老化というよりも、適応現象と捉えているが、そんな感じ。

 更に、興味深いのは、こんなに疲労感一杯であっても、初走行で自転車に乗ってホームコースを走っている時には、何処にも痛みを感じないし、疲労感も無いということ、、、、、やっぱり、疲労していても、痛みが残っていても、自転車乗りには関係無い部分のようだ。

 つまり、使う部分は大丈夫だということ。

 別の記事でも紹介予定だけど、歳を取ると生活パターンが決まる。それで、身体の箇所別の使用頻度も変わってくる。使わないとダメ、、、、使えばOKということ。若いと言う事は可能性を秘めているけど、当然、それに応じた遊びという不定形な生活が多く、それが身体にも現れているのだろう。遊びが無い、特定の運動ばかりする、、、、これでは、不慣れな運動に対しては極めて脆くなるのである。

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2010年1月 3日 (日)

12/27~1/2の週の検索ワードピックアップ

★ファーストライディング
 これを自転車の車形でいうならば、昔の呼び名で、ロードレーサーとスポルティーフの中間というところ。昔ならば、クリンチャー仕様のロードレーサー全般的な呼び名である。昔はロードレーサー=チューブラーというのが方程式だったから。
 今の時代では、スポルティーフ、ランドナー以上に死語的な呼び名だ。敢えて言うと、、、ロードレーサーにフェンダー付けたものとか、スポルティーフの定義に該当しないパーツで組まれたもので、ロードレーサー寄りなモノとでも言うべきだろう。
 この言葉が最初に用いられたのは、ブリヂストンのダイヤモンドとかユーラシアグランのラインナップだろう。どちらのブランドにもロードレーサーとスポルティーフが存在していたけど、その間のモデルとして存在していた。定義づけは非常に難しいけど、フレームディメンジョンはロード、装備がスポルティーフに近いという感じだろう。スポルティーフというとロードよりも低く長い場合が多かった。
 レアだけど、ディアゴナールって呼び名の方が通りが良い。ディアゴナールとは、700C+カンティ仕様のツーリング自転車。スポルティーフとランドナーの中間で、スポルティーフにカンティ、あるいは、ランドナーに700Cってパターンに該当する。

★レ・マイヨW
 生産中止になって久しいパナソニックの451サイズの20インチホイールを履いた横折れ式折り畳みロードバイク。フレームはアレックスフレームというハイテン鋼。
 折り畳んでも小さくない。小径車でも重い。フロント多段は困難。メリットは少ない自転車だ。

http://homepage1.nifty.com/firstsource/Motorcycle/bicycle/twoway.htm

メインサイトに記事がある。コレ参照。

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若い筋肉、オヤジの筋肉

 同じ筋肉1kgでも年齢の違いによって性質も違うって考えるのが自然ではないか?と思う。

 若い筋肉の1kgとオッサンの筋肉1kgは違うものであるはずだが、その違いの存在について論じているサイトが無いというのも理由だが、だからといって筋肉に年齢差が無いと考える方が可笑しい話。

 大体、遠目に見て高齢者と若い人っていうのは動きの違いが一目瞭然だが、その理由は筋肉の動き方っていうのが実に大きく影響しているのだ。どう違うか?それは、、、、動きがぎこちないか?なめらかか?ということ。筋肉自体の違いもあるけれど、一番大きな違いは、筋肉が滑らかに動くかどうかが大きな違いなのである。
 滑らかに動くっていうのはどういうこと?それは、単純で直線的な動きで無いってこと。滑らかに動くというのは、筋肉の動きが自由度が高く、動きの変化も滑らかということ。もっと言えば、ある動きをする時に、多くの筋肉が利用されているということの裏返しでもある。

 つまり若いってことは、動きに対して導入出来る筋肉が多く、それ故に動きが滑らかということ。一定の負荷に対して、ある部位の筋肉が受け持つ仕事が少ないとも言える。つまり、見た目、細くても、多くの部位の筋肉が導入出来るとも言える。

 逆に歳を取ると動きが直線的になって、負荷に対して仕事する筋肉が決まってくる。決まった筋肉の決まった動きになる。仕事に対して受け持つ筋肉が特定されるから、同じ負荷を受けようとすれば、少ない部位の筋肉で担わざるを得ないために太くなるとも言える。

 筋肉自体の差、筋トレに対する筋肥大の効果の差は認められないという筋肉自体の差が無いという報告は数多くみられるけど、筋肉の動作、回復っていうのは筋肉自体でなく、筋肉を動かす神経系によって支配されいている。神経系というのは動作形態の多様性に支配されている。若い個体は、動きが多様である。身体の成長に対する刺激の元が日常生活の不定形の動作であるために、筋肉に対する刺激は多様性に満ちている。それが、筋肉の動きの多様性、滑らかさに大きく関わっている。
 運動形態が単純化して多様性を失うと、筋肉の動きを支配する神経系も必要な動きを司るもの以外は無くなるのが適応現象である。
 疲労の回復でも、その違いが影響していると考えられる事を想像すると、仕事にたいして滑らかな動きで対処するっていうことは、様々な筋肉が負荷を分担しているということであり、部位あたりの負担は大きくない。それが、部位の負担軽減、即ち、疲労回復に貢献していると考える事が出来る。

 このように、若いということは、滑らかな動きが可能で、それ故に、筋肉に指令を送る神経系も発達している。この違いが最も大きな違いなのである。

 運動形態に多様性を失うというのは、人間の生活の加齢による変化にも通ずる事だけど、その多様性を保つのに一番の回答は、子供と同じ生活スタイルを採ることだろうけど、それは実質不可能。そして、競技に特化するほどに、それに使う筋肉の動作形態は多様性を失う。多様性を失っても、滑らかな動きが出来るような神経回路を組み付ける事が最重要になるのである。滑らかな動作が出来る神経回路を身につけるということが、運動の勘所の習得ってことである。それが、若年時における経験運動が、成人後における運動を行う時のスタイルに現われているが、それが、滑らかな動作を行うために必要な神経回路なのである。

 そう、水泳部出身の泳ぎ方、野球部出身の投げ方、、、、そういうものなのだ。

 それを身につけるっていうのは、滑らか動かす事の出来ないオッサンデビューで新しいスポーツでそれを習得するっていうのは、至難の業なのだ。
 機能的に多様な動きが出来ない身体しか無い状態で、滑らかに動かす事の意味、それが出来たかどうかを感じる判断基準も判らなければ、目指すモノも見えない。そこで、新ジャンルのスポーツ等で滑らかさを得るには、何が必要で、何で判断すべきか?ということを理詰めで考える力が大事となるのである。
 それが無ければ、どんなに筋肉を付けても、目的となる動作には有効に利用出来ない事になりかねないのである。

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2010年1月 2日 (土)

掲示板は凄い

 12/30のアクセス数は異常だった。
 アクセス解析を見ると、巨大掲示板に掲載されていたため。凄すぎである。因みに、そのスレは、『エンゾ早川』って人についてのネタを言い合うスレだ。
 過去に巨大掲示板で掲載されてアクセス数が増えたのは、西DAHONが話題になったDAHONスレ、コンパクトクランク系スレ等があったけど、今回のエンゾさん系スレでの参照数アップは普通でない程。他にもアクセス数アップした事はあるけど、それは@niftyのトップページに紹介された時、他には自動車評論家の国定氏のブログに掲載された時だけど、その時とも比べ物にならないほど。

 過去のDAHON系では改造への関心だろうし、コンパクトクランクネタではギア比への関心だろうが、このエンゾさんスレからの関心は、ロードバイク乗りに対する印象への関心のようだ。

 ロードバイクを始めとするスポーツ自転車がブームになって結構時間が経っているけど、爆発的な盛り上がりは、ここ2~3年位だろうか?それ以前も自転車は、そこそこの流行だったようだけど、その頃は、小径車とか折り畳み自転車の方が注目を浴びていたようだけど、今はフルサイズのロードバイクばかりである。

 ブームで人が集まると、ホントに幅広い人があつまる。人が集まるから商売として魅力的なマーケットも出来上がるし、色んな人が居る程に、色んな価値観が生まれる。すると、いろんな情報発信者が生まれる。それは、文化人、芸能人、業界人、、、、、、といったところから始まっていく。その発信者に感化されて、さらに多くの人が感化されていく、、、、これがブームの拡大時の特徴だ。

 ブームの様に対して同調的な人っていうのは、ブームに乗ってきた人、ブームの様に対して距離を置く人っていうのは、ブームとは無関係に乗っている人。おそらく、この二者は全く違う価値観を持っているだろう。こういう対峙した関係っていうのは多くの人の注目を浴びるんだろうけど、そういう系統のスレに掲載されるということは、物凄い影響があるみたい。

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数字

 金額や点数とか、そういった数字で物事の判断は可能だけど、これだけで判断して行動するのはチョット違うって考えている。

 額面だけで高い安いを判断したり、テストの点数だけで偉い、馬鹿を判断するのもチョット違うような気がする。

 物事の判断に数字を用いるのは一般的かもしれないが、数字が同じだったら、モノは全て同じか?というと、それは違う筈だが、最近、身の回りを見ると、数字だけで判断する人が結構多い。

 数字っていうのは、数字のスケールにおける数値であり、スケールにおいては同じかもしれないが、モノの評価が一つのスケールで判断できるか?というと、それは有り得ない。

 モノには見方、視点が様々にある。それが変わればスケール、尺度は違う筈。
 例えば、試験における点数が評価基準ということで、点数を確保する術だけで点数を得るという考え方では、試験の持っている意味からすれば、かけ離れるように思う。点数を取るのは目的でなく、己の理解度を知るための点数を知るのが目的であり、それが入れ替わった人が結構多い。だから、単位をとって、科目を理解しているだろうと思われる人に、その科目の知識が必要なネタを話すと、自信満々に、単位を取るために過去問を覚えて対処しただけだから全く判りません!って人も居る。

 自転車関連が熱いけど、最近は、重量が何キロとか、何段変速とか、材質が○○とか、そういう数字だけで判断する人も多い。得か損かの話も、どっちが何円安いから得とか、そういう金額だけで判断する人も多い。

 そういう考え方は、どうも好きでない。

 数字の判断は大切だけど、判断する前に、数字のスケール、視点は自分の視点に一致するか?が大事だし、本来、数字とか額面というのは、それを良くしたり、安くしたりするのが目的でなく、現れた数値がモノに見合うかどうか?を判断するのが大事の筈。数字を目的として捉えるのでなく、数字を結果として見つめるのが大事なのだ。

 数字だけしか見えなくなると、その数字の背景や意味が見えなくなる。それは失わないようにしたいものである。仮に、数字で判断する時は、判断すべきスケールは自分で付けて、自分の採点した数値を見るべきと考えている。人の判断した数字を見て決めるっていうのが一番情けない。

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2010年1月 1日 (金)

2010年の方針

 昨年一年で体重で2kg、基礎代謝で+60kcalの変化である。方法論としては、上体の筋力アップだ。ほぼ、予定通り。

 で、今年一年の方針はどうするか?っていうと、昨年からの継続で、筋力アップと基礎代謝アップという事は変わらない。更には、昨年一年で理解?した事で、今備わっている機能を失わない事。失わないようにするためには、その機能を活用するような生活を心掛ける事。それは、運動に限らない。食習慣、遊びの楽しみ方、未知の分野への好奇心、、、、そういった部分全てについてである。

 機能を失わないようにするには、何事も人任せにしない、機械任せ、道具頼りにならない、サプリ依存、特保食品依存にならないということ。考え方も、公式依存、伝聞便り、模倣、猿真似に走らないということだ。
 折角ある頭だから、フル回転させて考える。折角ある消化器官だから機能をフルに働かせて必要な栄養分を抽出させる。備わった免疫力、快復力だから、薬任せ、医者任せでなく、自分の治癒力を高めるようにするということ。
 それを実践するには、刺激を与え続ける生活が大事で、好奇心重視、負けん気、独創性重視、運動も持久系、筋持久系、心肺系をバランス良く続けるという事。まぁ、ここ数年の過ごし方を崩さずそのまま継続するという事。

 人生を振り返れば、高度経済成長と共に成長し、バブル期で大学生活を過ごし、不況とは無縁の業種で今まで過ごし、気が付けば、社会人生活も折り返しを過ぎて、入社からの経過年数よりも定年迄の方が短くなっている。既に、実務を離れた状態であり、振り返れば、自分で発明したモノも実際に活用されているし、後は、社会と接する部分ではクールダウン状態で、定年後の生活に向けての助走開始の時期である。これからは全ての力を自分の能力維持に注ぐ事だ。目指している定年後の生活は?というと、成長期に自分で決めた生涯の趣味を嗜むと言う事であり、それは単車で走り回る事。単車で走り回るというのは、見栄でハーレーとか、そういうのでなく、峠を思い通りに駆けめぐるオッサンになりたいということ。そんな還暦になるには、少なくとも、今レベルの身体能力は維持しておかないとダメだ。

 何もせずに失った15年を取り返すのは不可能だが、今を保つ事を目標に一年を過ごしていけば、それを15回続ければ、案外、失うモノは少ないかな?と思うのである。
 それ故に、これからは年数をカウントダウンして体力、知力、健康を保つ事が大目標だ。

 その記念すべき一年目が本日(元旦)からの一年である。

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膝が痛い?

 これって、最近のスポーツサイクルユーザーにとっては結構な悩みみたい。
 このキーワードで検索する人も多い。自身は、膝も腰も尻も痛くないから気にしないけど、痛くない理由もあるし、痛いのは何故?って思い浮かぶ部分も少なくないから書いてみる事にした。

 一番は、膝が痛い話。膝の痛みの多くは重いギアを踏むから!って言われている。
 果たして、それが全てか?ホントか?というのが第一。

 重いギアを踏むっていうのは、ペダルに掛ける力が大きい場合を言うのである。で、その重さが過激に増えた状態は、誰でも経験する立ち漕ぎである。立ち漕ぎは誰もが幼少の頃から経験しているのだが、それで膝が痛い事を訴えるって、、、、自分自身、聞いた事がない。確かに重たいギアを踏み続ける事でダメージを受けるのも事実だけど、他の考えだってアリである。
 それが、自分に膝痛に対する考え方で、重いギアが膝を痛める唯一の主要因とはならないという説明の一つになっている。
 では、他の可能性として、何が痛みになるか?を考えてみる。
 痛みの質も多いけど、関節の痛みの多くは、圧縮方向で無く、引っ張り方向に脆いのだ。良くある例が、野球での肩や肘の抜けなんかもそうだ。自分も大昔に球数過剰で肩がダメになったことがあるけど、この肩は未だに治っていない。案外、関節は抜け方向に弱いのだ。
 これをペダリングに置き換えてみる。
 膝の痛みを訴えるのは99%がロードバイクユーザーだ。ロードバイクユーザー、それも形から入る人の99%はビンディングを使っている。引き脚が効率的という、まことしやかな説明を真に受けての人が多いけど、現実、そうだ。
 そして、多くの店の説明では、結構サドルを高くしてセッティングしている。これも、脚をしっかり伸ばした状態迄使う事で筋肉を大きく動かして、大きな出力、効率的なダイエット効果なんて、わかりきったような理屈で説明している。ホントにそうか?それは、理屈を言う人の実体験に基づいたモノか?と言う事を考えると、甚だ疑問なのである。

 高いサドル+固定した足がもたらすもの、、、、それは、乗車時における脚が半ば強制的に伸ばされているのである。それは運良く関節の限度内なら良いかも知れないが、関節の自由角度を超えた状況を作る状態だってあり得る話なのだ。脚の長さでクランク下死点~サドルトップの長さを決めるのは結構危険なのだ。脚をフリーにした時の関節(膝、足首)の角度が人によって違う訳であり、脱力時における自然長を越えるストロークになると稼働部や筋肉には引っ張りの負荷が掛かり続ける。特に、高回転ペダリングでは、その引っ張り負荷を常に受けるのである。身体が硬く、足首が硬く、必要以上にサドルを高く、脱力が出来ないのに足を固定する、それで高回転ペダリング、、、これは、クランク下死点において関節に負担を非常に激しく与え続けている。
 重くても立ち漕ぎで問題が起きる事は無い。何故ならば、下死点においても力が押す方向に掛かっているから、、、、ペダリング的にはロスが多いけれど、身体の筋肉の負荷を受ける方向で弱い方向である引っ張り方向での負担は無いのである。

 自身、ビンディングやストラップを初心者に勧めるのはナンセンスだと思っている。それは、転倒の危険以前に、上述のような考えがあるからだ。個人の体質、体格、柔軟性に応じた足の自由長に会わせたサドル位置の見極めが必要なのだ。そのためには、足を伸ばした時に脱力してペダル抗力を限りなくゼロに出来る最も低いサドル高さを探すことが先に必要だからだ。効率良く出力を取り出して踏めるようになるには、脚自由長を長くできるような柔軟性が必要だが、その程度は人それぞれなのだ。乗り始めた時点における脚質に応じたサイズを見極めるのが先決なのである。見極めた上で、足を固定するので良いのである。見極める前、位置が決まる前に固定して乗るっていうのが本末転倒なのである。それが痛みを呼ぶ一つの原因と考えている。

 ここでは、では数値的にベストはどうやって決めるか?ベストな数値で得た位置と脚の相対位置毎で何を留意すべきか?留意する際に必要な、鍛えるべき要素は何か?といっの持論迄は書かないけど、サドルは、関節を守るには低い方が良いけど、回転と効率を高めるには高い方が良い。そこにリスクが存在していると考えている。そのトラップに嵌るという事、それは、流行の高ケイデンス志向になると必然的に高くなりがち、それが関節を痛めるリスクを高めている、、、、そんな風に見える。

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