数字
金額や点数とか、そういった数字で物事の判断は可能だけど、これだけで判断して行動するのはチョット違うって考えている。
額面だけで高い安いを判断したり、テストの点数だけで偉い、馬鹿を判断するのもチョット違うような気がする。
物事の判断に数字を用いるのは一般的かもしれないが、数字が同じだったら、モノは全て同じか?というと、それは違う筈だが、最近、身の回りを見ると、数字だけで判断する人が結構多い。
数字っていうのは、数字のスケールにおける数値であり、スケールにおいては同じかもしれないが、モノの評価が一つのスケールで判断できるか?というと、それは有り得ない。
モノには見方、視点が様々にある。それが変わればスケール、尺度は違う筈。
例えば、試験における点数が評価基準ということで、点数を確保する術だけで点数を得るという考え方では、試験の持っている意味からすれば、かけ離れるように思う。点数を取るのは目的でなく、己の理解度を知るための点数を知るのが目的であり、それが入れ替わった人が結構多い。だから、単位をとって、科目を理解しているだろうと思われる人に、その科目の知識が必要なネタを話すと、自信満々に、単位を取るために過去問を覚えて対処しただけだから全く判りません!って人も居る。
自転車関連が熱いけど、最近は、重量が何キロとか、何段変速とか、材質が○○とか、そういう数字だけで判断する人も多い。得か損かの話も、どっちが何円安いから得とか、そういう金額だけで判断する人も多い。
そういう考え方は、どうも好きでない。
数字の判断は大切だけど、判断する前に、数字のスケール、視点は自分の視点に一致するか?が大事だし、本来、数字とか額面というのは、それを良くしたり、安くしたりするのが目的でなく、現れた数値がモノに見合うかどうか?を判断するのが大事の筈。数字を目的として捉えるのでなく、数字を結果として見つめるのが大事なのだ。
数字だけしか見えなくなると、その数字の背景や意味が見えなくなる。それは失わないようにしたいものである。仮に、数字で判断する時は、判断すべきスケールは自分で付けて、自分の採点した数値を見るべきと考えている。人の判断した数字を見て決めるっていうのが一番情けない。
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コメント
点数、スペック、値段は、モノを測った結果ですね。
結果の値だけを目的にした結果が、偽造とか改竄に結びつきます。
100点という数字を目指すのでなく、理解度の結果を数値として知る事が目的です。
折角の測定の機会を、理解しないままでの暗記やカンニングで数値の信憑性を下げる事は非常に愚かな行為です。
同様に、スペックも然りです。必要な機能の積み重ねが諸元表数値であり、その目的のために本質を犠牲にするのはナンセンスですね。
例えば、高強度軽量素材を利用した結果の数値なら問題ないですが、その数値競争の果てに、素材強度を犠牲にするとか耐久性を犠牲にするというのを、用途違いの分野、例えば実用分野で施すのは本末転倒だと言えます。
投稿: 壱源 | 2010年1月 2日 (土) 21時58分
試験の点や営業の数字が大事なのは事実ですが、自分が測定したわけではないスペック値やメーカーが決めた値段を元に物の良し悪しを言うのはとてもみっともないです(自分の中で参考にするのは問題なし)
投稿: yama | 2010年1月 2日 (土) 18時25分
そうですね、数字は結果なのに、数字を目的のように扱う人は、正直、付いていけません。
そういう人は、人の意見に左右され、人の判断で自分の行動を決める人に多い気がします。
投稿: 壱源 | 2010年1月 2日 (土) 15時39分
特にニワカの自転車マニアは値段で判断する人が多い気がするけど、値段って所詮他人が決めたもので根拠はわからないのです。
穀物などと違って適正価格など無いに等しいと思う。
良いものは高いなんて言ってるけど、値段以外のことが言えないのなら書かないほうがいいのに。
カメラや双眼鏡でも値段以外は抽象的でわかりにくい文が多いです。
投稿: yama | 2010年1月 2日 (土) 06時47分