絵に描いたような事故
先日、会社から帰る途中、何時も使う裏道がエラク渋滞、、、、渋滞の先に救急車、道路を塞ぐようなトラック、、、、近付いてみると、テールボックスを装備した原付二種のスクーターと二トンダンプの衝突事故のようだ。
そう言えば、二トンダンプは軽快かつ俊敏で図体の割は激しい運転する車両を沢山見掛けるし、テールボックスを装備した二種スクーターっていうと、これまたエラク感じ悪いというか、激しい運転するオッサンを多く見掛ける。
この2つのパターン、確かに俊敏なんだけど、上手い感じはしない。荒っぽいというか、忙しないだけである。信号で言えば、青黄当然!赤勝負!とか、赤信号でもエンジン掛けたまま押して交差点をスルーするパターン。責めてエンジンを停止してから押すならば容認出来なくないけど、エンジン掛けっぱなしで押して通過するのは、モロ、信号無視の筈。
この二パターンっていうのは頻繁に見る光景だが、その二台が交錯すると事故になるのも或る意味当然と言えば当然。
他にも、ゆっくり走れば安全?という意識かどうかは知らないけれど、エラク遅い車も事故の起点になりやすい。ゆっくり走れば、全てOKという認識かどうか知らないけど、一時停止も何も無しで、ドヨーンと交差点に進入して事故する御婦人もよく見る光景だ。
結局、ルールを守って運転すれば事故の確率は非常に減るモノ。標識、信号は当然だけど、四つ角で信号の無い交差点では左方優先の原則とか、或いは、広くない幅員の坂道では意味があるかどうかは別として上り優先の原則がある。その原則に従って走れば事故も諍いも相当に減ると思うけど、その取り締まり対象となりにくい原則は感知しない人が殆どで、事故や諍いは、そういう場面で多発しているのも事実。
そう言えば、絵に描いたような事故が減らないのも不思議だ。雨天での直進二輪車と右折四輪の右直事故も注意が常に促されながらも減らないし、当事者も、当事者となるまでは自分はそんな事は無いという風に思いながら当事者になるのも笑える。
他にも貰い事故ってのもあるけど、案外、貰い事故っていうのは避ける事が出来無くないのも事実。幹線道路走行中では、大型車両に近付かない、併走しない、挟まれないような位置取りして走るとか、郊外の交差点で信号で停止する時は、後続車両が認識しているかどうか?をバックミラーで確認しながら減速停止するように心掛けるとか、そういうのは普通にしているけど、それも貰い事故を避ける工夫だ。
勿論、共用の駐車場では、駐車位置が選べる時は、島角位置には停めないし、誘導路の角に面した位置にも停めない。更には、両サイド、或いは片方だけでもポールや支柱で隣と物理的に区切られた位置を探して停める癖が付いているけど、それは通過車両、隣接駐車車両との干渉を嫌っての事。
大体、人間は勝手なモノで、自分の不注意で付けた傷は容認するけど、それ以外で受けた被害には誇大に反応する。それで嫌な気分になるのを極力さけるには、日頃の注意力が必要なのである。
事故に限らず、生活で遭遇する様々な事柄は、どんなモノでも固有性があり、固有性の多くには自分の人間性が関与しているもの。それを自覚していれば、注意を払って過ごすし、その上で遭遇する不可避な事に対しても、それは仕方ないかと諦めも付くもの。そんなもんである。
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コメント
単車にも、自転車にも、自動車にも乗ると、どれかに乗っている時、他のどれかの動きも読めるようになりますね!そんな時、どこ見てるか?っていうと、全体の雰囲気でターゲットがどう動くか?が予測できますよね!
怪しいのを避けるっていうのは、既にターゲットを怪しいと判断しているのであり、それが読めない人が事故を起こすんだと思います。
投稿: 壱源 | 2010年1月20日 (水) 00時38分
バイクに乗っていた時は周囲へ注意を払い、先を読んで運転。気が付くと視野も広がっていました。併進する車の中で何をしているか、何処を見ているかが見えていました。バイクを降りて四輪ばかりになるとフロントグラスの範囲だけしか見えていないことに気付き愕然とした事が有ります。今は周囲を見回し、君子危うきに近寄らずですね。
投稿: クマ | 2010年1月19日 (火) 14時32分