開発論
寒波の襲ってきた1/13、素材関連の講習会に出席した。新しい技術関連では、その専門分野の紹介に終始する事が多いのだが、最近は、その細々とした内容には関心が持てない事が多い。
講演での総論を聞いて判断するようにしている。何を判断しているか?っていうと、後援者である研究者、開発者の意志や意図は何処にあるか?誰の意志で行ったか?というところだ。本人の意思がメインでない時は、如何に優れて先端的な内容でも、チョット迫力に欠けるように思う。
例えば、新素材の講演があったとする。その素材が世間の注目を浴びていたとする。一般には材料技術者が一生懸命素材開発を行う。開発の指針は物性を高める事だったりする。それはそれで良いのだけど、その適用の仕方というか、市場への問い方の部分が弱いと感じる事が多い。
っていうのは、新しい注目度の高い技術が出来ました。これを、既存の何かに置き換えようとしています。でも、コスト的に厳しいです、、、ってパターンが多い。コスト的に厳しいけど、ある部分では、こんなに性能が優れています!ってノリの説明では、何だか開発の意志の弱さを感じるのである。
それよりも、今、世の中では、こんな事が出来れば良いな!って言われています。でも、それを実現出来る技術は世の中にありません。それを適えるには、こんな機能が求められています。だから、そんな機能を具現化した技術を開発しました。出来たモノが無ければ、絶対に製品は成立しません!ってノリの方が、開発の意志が強いと思うのである。
エンジニアに必要なのは自己満足でないのである。夢があって、それを具現かするのに必要なのは何?それを得手、不得手、専門、専門外といった自己都合を問わず求める意志こそが必要なのでは無いだろうか?
そういうエンジニアが極めて少ないような気がする。多くの理系出身の理系モドキは、問い掛けに対して専門外だからとか、知らないからとか、やった事がないから、、、とそんな理由で、未知を辞退する人が多い。歳を取る程、そう言う傾向が強い。ホントは、誰もやったことがない事に取り組む方が、ハンディが無い分、やり甲斐があると思うのだけど、未開の地を切り開くのを一人でやるのを嫌がる人が多いようだ。
必要なのは、需要を掘り起こす事。その需要は、今、適えられていないモノであるのが望ましい。誰も出来ない事をやる。そういう気持ちを持つ人が居る企業程、強い企業になるように思う。
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